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検索対象: なごみ 2016年8月号
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1. なごみ 2016年8月号

師豊はそれだけで顔を赤くしている。 「わかったら下がれ。いまはそれどころではないわ 師豊はなにか言いたそうにしつつも、一礼して消えた。 あやつも、やはり家督がほしいか。 見た目も弱々しくて、家中ではだれも総領に推す者がいないというのに、やはり家を継ぎたい らしい。 相続とは残酷なものだと思う。ことに宗家の子供たちにとっては、家督を継げなければ、生き かて る糧である所領と他の者に命令する総領の地位と、ふたつながらに失うことになる。もし自分よ り年若の者が継ぐことになったなら、屈辱ですらある。師豊も、政豊に負けるわけにいかないと 必死なのだろう。 わが子だけにかわいそうだと思うが、情に流されるわけにはいかない。器量もないのに宗家の 家長の地位についたら、あとで本人が苦しむだけだ。山名家の家長とは、天下の大名衆をひきい る立場なのだから、押しのきく者、そして内衆から支えられる者でなければっとまらない。 その後、垣屋らが諸大名衆と和議の条件を調整するが、なかなかまとまらずに日数ばかりがす ぎていった。 そもそも、なぜこんな大いくさになってしまったのか あらためて考えてみると、宗全にも理由がわからない。 最初は畠山家の家督争いだった。だがそれは上御霊社の戦いで決着がついたはずだ。その後の 数々の戦いはなんのためだったのか。 畠山家中の争いに、越前の朝倉氏や播磨の赤松氏などが加わる必要はない。なのに諸大名は、 両畠山より熱心に戦ってきた。 おそらくいまこの問いに答えられる者は、日の本広しといえど一人もいないだろう。みな、根

2. なごみ 2016年8月号

垣屋越前は疲れた顔で告げる。 「いろいろ言う者がいて揉めはしましたが、細川方も考えはほぼおなじのようで、最後には勝元 どのがわれらの話に同意してどざる 「おお、でかした。それでよい あとはこまかい条件を詰めるだけだ。峠は越えたと思えた。 しかしいざ和議の条件を整えるとなると、これが容易ではなかった。 「このままでは兵は引けませぬぞ。恩賞をいただく約束をしてもらわねば」 「それがしが家督を継ぐとの、公方さまの許しを得ねば、ここまで戦った甲斐がありませぬ。な にとぞど勘案を」 と、西軍の中でも諸大名がいっせいに声をあげたのだ。みないくさに倦み、和議そのものには 賛成だが、こと自分の利害が侵される事態となれば別で、戦いをつづけるという。 やむを得ず垣屋越前らが説得に走りまわる羽目になった。 そんな騒ぎの中、師豊が思い詰めた顔で宗全の前にあらわれた。 「父上、申しあげたきことがござりまする」 「なんじゃ」 「わが家の家督のことでどざりまする」 きたか、と思った。 宗全の息子は、もう師豊しか残っていない。だがいまや家中は、一代飛ばして嫡孫の政豊が家 督を継ぐことでほぼ合意ができている。師豊では家中がおさまらないだろう。 「家督なら、わしが決める。そなたが口をはさむことではない」 びしりと言ってやった。 「いえ、ロをはさむなどと : 、姦簽新み

3. なごみ 2016年8月号

「されば、さっそく細川方へ話を通ずるとしよう」 強引に話をまとめて大名たちを帰すと、翌日、垣屋越前ら家老衆五人を、正式な和議の使者と して細川勝元の陣へ送った。 ーーやつも拒みはすまい。 宗全には勝元の反応が読めている。勝元は沈着冷静で、物事を感情に流されずに判断できる男 だ。いまなら和議を受け入れるだろう。 なにしろ勝元は宗全の婿であり、大乱が起こる前までは協力して政敵にあたってもいた。本来、 宗全と勝元は、敵味方になる間柄ではなかったのである。 もちろん、ふたりのあいだに確執がなかったわけではない。勝元には長いあいだ実子がなかっ たので、宗全の息子を養子とし、跡目を継がせる約束をしていた。ところがその後、勝元は細川 一族から養子をとり、宗全の息子を廃嫡して出家させてしまった。宗全はそれを恨みに思ってい る、と世間では囃すのだ。 しかし宗全は、その件に関して強いわだかまりをもっているわけではない。 たしかに一時は勝元の不誠実さを怒ったが、いまではおさまっている。というのはその後、勝 元に実子ができたからだ。それも正妻である宗全の養女が生んだ子なので、この子が跡取りとな れば宗全の面目は立つ。 それより気がかりなのは、勝元の周囲の反応だ。大将とて、従えている諸大名の言い分を無視 してことをすすめられるものではない。和議に強硬に反対する者がいれば、話はどう転ぶかわか らない。 いらいらして待つうちに、夕刻近くになってようやく五人が帰ってきた。 「苦労であった。どうであったか」 「まず、話は通じたと思われまする」 はや

4. なごみ 2016年8月号

宗全は言った。原則として乱による領国の改変は認めないとしないと、大名たちがおさまらない。 はりま びぜんみまさか じつは宗全の領国も、また危機に瀕していた。播磨と備前、美作が旧守護家である赤松家によ って侵食されているのだ。これは乱以前の姿にもどさねばならない。 「もっともな話にござる。それであれば御敵と和議をなすこと、異議はどざらん。 大内政弘は納得したようだ。 「矛をおさめ兵をひくには、名分が要りましよう。それはいかがでー かんれい というのは管領の斯波義廉だった。 幕府の重職である管領をつとめる家は、細川、畠山、斯波の三家と決まっている。そのうち畠 山、斯波の一一家は家督をめぐる内紛を繰り返して弱体化し、やしなう兵も少なければ諸大名の支 持もない。いまでは細川家か山名家に支えてもらわねば、立ち行かない存在になっていた。 よしなり 「まずは畠山の家督。義就どののものとならねば、納得できぬ。わが斯波の家督も認めてもらわ ねば。その上で管領はどちらがなるのか。その点を明確にした上で和議を結ぶのであれば、異論 はないがー かみごりよう となりにすわった畠山義就ーー上御霊社で従兄弟の政長と戦い、勝利を得た男ー・・・ーもうなずい ている。 斯波義廉は同族の義敏と、畠山義就は政長と、それぞれ西軍と東軍にわかれて家督争いをつづ けている。自分たちが宗家の家督を継ぐのであればよし、そうでなければ和議などもっての外、 戦いをつづけるというのだ。 一族の宗家の家督を継ぐかどうかは、武士にとって生きるか死ぬかの大問題である。 源平のころまでは、兄弟で領地を分けて相続することも多かった。だがいまでは、家督を継ぐ ひとりが父の遺領をすべて相続するのがふつうになっている。 つまり家督を継いだ者があるじとなり、継がなかった者は家来になるしかない。命ずる者と命 いとこ 前回までのあらすじ 足利将軍家をはじめ有力大名家の家督争いに 端を発した応仁の乱。西軍の大将・山名宗全 は泥沼化したこの戦を終わらせるため、和議 を結ぶことを味方の諸大名に提案した。

5. なごみ 2016年8月号

おふろの周辺 ン 0 ) 」人、てを こぼとけしろやま 小仏城山山頂の原つば 山々の向こうにそびえる富士を眺めることがで きる。相模湖方面へ下る登山道の入り口があり、 こで丘の下から吹く風を感じながら木陰で昼 寝をするのは実に心地いい。 第ら第ま 一丁平 高尾山と小仏城山を結ぶ登山道の途中にあるこ の広場には、木立ちの中に木製のテープルや椅 子がならび、登山客たちがくつろいでいる。 叫。な 小仏城山山頂の茶屋 小仏城山の山頂からは、天気が よければ東京都心が一望でき る。名物のなめこ汁やかき氷、飲 み物などを出す大きな茶屋があ り、登山客たちが昼食をとって いる。高尾山から、 こを通って 小仏峠、景信山、陣馬山へと縦走 する人も多い。 、い ク 0 ′、 市、キ雫 103

6. なごみ 2016年8月号

に高尾山口駅で同手を交わす。大きな茶屋があり、登山客たち騒がしいが、このあたりにはのどかな雰囲気 行の友人たちと待が、携帯コンロに鍋をかけたりして、にぎやが残っていて、入口の自転車置き場の隣のべ ち合わせて登りはかに食事をとっていた。僕らはそこへは行か ンチで老人が二人、缶酎ハイを飲みながら世 からはふ じめる。リュックの中には、おにぎりが三つ。 ず、なだらかな丘のようになった草地にのび間話をしていた。小さく張りだした唐破風の それに焼いた竹輪とソーセージ、沢庵。久し る松の木陰に場所をとって弁当を広げた。富瓦屋根には昔ながらの銭湯の風情がある。長 ぶりの登山なので、無理をせず一二十分おきに士山がよく見え見晴らしのいい場所だったい登山靴を小さな下駄箱に寝かせて押し込 休憩をとりながらゆっくりと登っていくが、 が、食べていると松の枝から小さな虫が何匹み、脱衣場で汗でぬれた下着を脱ぎ、いそい 額からは汗が流れる。尾根づたいの登山道で、 も落ちてきた。それで、別の木の下へ移り そと浴室へ行って湯をかぶる。ああ、気持ち 時折、山の下の方から風が吹いてくるのが心 そこでリュックを枕にして昼寝をした。敷物いい。しばらく、小さな椅子に腰かけたまま、 地よい。木立ちからは鶯の声もきこえる。高 うなだれた。 に横たわり、登山靴と厚手の靴下をぬいだと 尾山山頂に到着してひと休み。それから、さ きの足の解放感といったらない。 浴室には二つに仕切られたビアノのような らに隣の城山山頂へと歩いていく。このあた 下山の途中、朴の大木が野性味あふれる花形の湯舟があり、先客たちは目をつむって泡 りからは奥高尾と呼ばれ、登山客の数も減っ を咲かせていた。珍しいので近くへ行って、 やジェットバスで揺れる湯に体を沈めてい て静かになり、体が山に溶け込んでいくよう 携帯電話のカメラで撮影をした。そのほかに た。壁には、海辺の島々に帆掛け船が浮かぶ な感じがする。 も色々な野の花を見たが、名前がわからずロ 景色が描かれている。石鹸で汗を流してさっ 途中の一丁平で休憩。同行の友人が、 にできないのが悔しかった。友人も植物図鑑ばりとしたところで、僕も湯舟につかり、ゆっ 「血糖値がさがってるなあ を買ってみたが、見た花と図鑑に載っている くりとふくらはぎを揉んだ。 と、リュックからアンパンをとり出してか花が一致できないとこぼしていた。それでも、 さて、そしていよいよ今日のしめくくりに じった。僕もキャラメルを舐める。甘いものきれいね、きれいね、と道端に咲く花を指さ と、駅近くの居酒屋「一平ーへ行く。厚切り が体に沁み人るようにうまい。 していたので、詳しい人がいたらいいのに、 のハムカツを肴にレモンサワーを飲みはじめ そして、いよいよ城山山頂に到着。標高と笑いながら登山道を下っていく。 た。あとは、家に帰ってなにもかも忘れ、深 い眠りにつくだけである。 六百七十メートルばかりの低山で、いささか 福の湯は、八王子駅から歩いて十分ほどの 大げさだが、無事の登頂を祝してみんなで握ところにある。駅周辺は次々とビルが建って 朝七時半 いっちょうだいら ほお 102

7. なごみ 2016年8月号

、王孑一を 一 ( 0 一一 0 ) えセイ のこ -- 0 一 , なル尊五月三日 まきのいさおー 1964 年、福岡県 北九州市生まれ。多摩美術大学卒 業後、デザイナーを経て、画家に。 個展を中心に活動。装丁・装画多 数。著書に画文集「僕は、太陽をの む」 ( 港の人刊 ) がある。 101

8. なごみ 2016年8月号

/ イ・ 成山を 一丁平 亠笊王系 . をコ ッ 引ー 厄望可 亠る尾 襠の塀 八王子馬 お小ろの画帖 第八回 争高尾山と八王子の福の湯 牧野伊三夫画家 山登りには、お風呂が欠かせない。大汗をかい て坂道を上り下りしてくたくたになった体中の筋 肉が、湯に入ると疲労感とともに心地よくほぐれ てくる。これが、たまらない。思わず、おおおつ、 というため息が腹の底から込み上げてくる。でき れば、下山したその足でのんびりと大きな湯船に つかり、身も心もさつばりしてから家路につきた い。山へ行くときは温泉や鉱泉、銭湯など、近く にあるお風呂を調べてから行く。 高尾山は登山道がよく整備されていて歩きやす く、僕のような初心者にもありがたい山だ。いく つかの登山道があり、いずれもわずか一時間半ば かりで山頂まで到着するが、思いのほか山が深 く、すっかり都心の喧騒を忘れてしまう。手ぶら に近い軽装でも大丈夫で、ふと思い立って気軽に 行くことができるのもいい。春の連休に久しぶり に登って、八王子にある福の湯へ行ってきた。 100

9. なごみ 2016年8月号

茶の湯と民藝 . そのまなぎしの先へ 茶器にまさる「茶器」を求めてーー柳宗悦の場合 ( 中編 ) しんもんぜん 寺町といえば、新門前・古門前と並び、京都を代表する骨古い刺し子の品物がひしめきあっていた。最初に目にとまっ かかと 董街である。市役所のある御池通から、丸太町通に面した御たのは、小さなアクト掛けだった ( アクトとは踵を意味する 所の南東角まで、南北一キロほどの間に、いくつもの古道具東北の方一一一只アクト掛けは踵を保護するためのものである ) 。 のき 屋が軒を連ねる。その北の端、丸太町通からひと筋南の竹屋長さは十五センチくらいだっただろうか。形は、子ども用の 町通をすこし下がったところに、ギャラリー啓はある。 長靴みたいで、どこか童話の挿絵めいた趣きもある。かわい ギャラリー啓は古布を専門とする。農漁村の仕事着や袋類い。聞けば、幼い子どもの旅路に供されたものだという。ス くずしな など、生活用品としての日本の布は、葛、科、藤、梶、楮、 テッチ状に緻密に施された刺し子も見事だったが、それこそ たいま ちょま 大麻、苧麻など、もともと自然に繁茂する身近な草木の繊維踵に当てられたであろう部分に、何重にも継ぎはぎが施され を利用して作られた。古布のなかでも、とりわけそうした「自ている。それでも破れてしまった箇所もある。どれだけの距 然布」を、ギャラリー啓は扱う。四月号で奥会津・昭和村の離をこの子は小さな足で歩いたのだろう。大人たちからはぐ からむしについて紹介したが、同村のことを僕が知ったのも、れまいと懸命に歩く姿を想像し、切なくなった。 店主の川崎啓さんとの出会いからだった。それだけではない。 こういうものに僕は弱い。小さく愛らしいもの、しかもそ 僕はここではじめて、物を見て、痛覚の刺激を覚えた。 の小ささのままに、一途な生きざまが感じられるもの。当然、 それは藍染木綿の刺し子だった。ちょうど特集展が行われこのアクト掛けを連れて帰りたくなったのだが、残念ながら、 たびきやはん ており、足袋や脚絆など足まわりの物を中心に、店内には、 値札にはすでに赤丸がついていた。 てらまち おいけ こうぞ 鞍田崇哲学者

10. なごみ 2016年8月号

俳人から歌人へ お題 「サポテン」 で一首詠んでください。 東直子様へ サポテンの水やりは月に一度でよく、他の植物のように水 をやると枯れてしまうそうです。先日、夫が夜遅く風呂に入 るというので、良かれと思い追い炊きをしたら「なんで熱く するんだ、僕はぬるいお湯が好きなんだ」とぶりぶりしなが ら出てきました。植物も、人も、心地よい環境はおのおの違 うのですね。 / 、つべらのよ - つなサポテン大 / 、さめ 神野紗希より