サッカー女子日本代表 - みる会図書館


検索対象: 人事院月報 2016年10月号
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1. 人事院月報 2016年10月号

インタビュー 「、名 = としての力」言マネジ凶ントの力」言専門性の力」この三つ をしつか、りと構築するごとヅリーダ = 与レて結果を出せるア レージが高ま 煎ッ女子日本代表監督佐々を則夫 2011 ( 平成 23 ) 年女子ワールドカッブドイツ大会におけるサッカー女子日本代表「なでしこジャパ ン」の優勝は、東日本大震災などの災害で自信を失いかけていた多くの日本の人々に感動と勇気を与え てくれました。このような高い目標に向けて、リーダーはチームをどのように導き結果を出していくの でしようか。 現在、十文字学園女子大学副学長を務められる佐々木則夫前サッカー女子日本代表監督から、ご自 身の指導者としての成長過程、必要な要件などについてお話を伺いました。 月報編集部 夢をしつかり掲げることで、有形のものと 女子サッカーの指導者としての経験は 大きな宝 なり結果が出ました。 このような結果を選手と共に切磋琢磨し ーーサッカー女子日本代表監督を本年三月 に退任され数ヶ月が経ちましたが、女子て得たということは、僕自身の大きな宝に なっていますし、本当に有意義な一〇年間 サッカーの指導者として歩んだことを振り の女子サッカーとの関わりでした。今後は、 返って、今感じておられることをお聞かせ この経験を将来の女性の活力のためにいか ください。 していきたいということで女性教育、ス 一〇年間女子サッカーに携わらせてもら いました。最初は日本代表コーチ、その後ポーツを学ぶ若者への指導に携わるなど、 日本の人材育成のために何かを返していき に監督の要請があり引き受けたのですが、 日本代表のコーチ及び監督時代にユース年たいなと深く思っています。 代の代表監督も兼任しましたので、そうい う意味で、女子サッカー「なでしこジャパ 野球好きな少年がサッカーと出会い、 サッカー指導者への経験を積み上げて ン」の成長を図るため、やり甲斐のある場 いく で指導をさせていただいたと思っています。 日本の女子サッカー選手の特質やウィー クポイント、欧米の選手の良い部分など世一一 界を見据え、日本の特徴をいかした「攻守 にアクションする」というサッカーをイ メージして指導していきまして、まず「二 〇〇八年北京オリンピックベスト 4 」とい う目標を掲げ、この目標を選手と共有して 選手達と共にベスト 4 を獲得しました。し かし、ベスト 4 にはなったのですがメダル を獲得できなかった。そこから選手と話し 合い、今度は「チャンピオン」という目標 を掲げました。このように無形の目標とか 亡当・第 - ーイ 0 / 人事院月報洳 8

2. 人事院月報 2016年10月号

8 0 報 ー佐々木副学長は、少年時代は野球をさ に行って、サッカーをやりたいということで、 今は部員が一二〇人位いたら多数のコー 月 院 れていたと伺っているのですが、サッカー 中学時代に大会で優勝や優秀選手になったわ チなどがいるのですが、昔は違いまして、 事 人 に結びついたきっかけはどのようなもの けでもない名もない生徒でしたが、帝京高校監督とキャプテンの二人三脚でチームを誘 だったのでしようか。 の門を叩きサッカー部に入部しました。 導していました。ですから今のキャプテン明 僕は山形県尾花沢市で育ち野球が大好き とは違います。監督も厳しく、僕が不合理 でした。父の転勤で小学校を何回か転校し ー帝京高校サッカー部ではキャプテンも な事をすれば皆の前で叱られました。その まして、三回目の転校の時にサッカーと出務められましたが、多くの部員の中から、 ような重責のある立場になり、非常に学ん 会いました。野球もサッカーも両方するよ佐々木副学長がキャプテンに選ばれること で成長をしましたね。 うになり、最後に転校した小学校は野球も となったのは何故だったのでしようか。 サッカーもしない小学校だったのですが、 僕も理由は分かりませんが、一年生の時ー高校卒業後、実業団ではなく大学進学 その時どちらがしたいかと考えたらサッ から、部員が沢山いる中で先輩に「お前一 を選択されましたが、何かお考えがあった カーをしたかった。そこで、一人で友達を年生のリーダーやれ」と言われたのです。 のですか。 集めサッカーを始めまして、そこからサッ そこから周囲も僕をリーダーというイメー 実業団からの誘いはあったのですが、僕 カーが本当に好きになりました。その頃、メ ジで見たのかもれません。 はサッカーの選手よりも、大学に進学して キシコオリンピックでサッカー日本代表が銅 しかし、僕は一人っ子で甘えん坊、わがま指導者、教育者になりたいという思いがあ メダルを獲得し、大好きなサッカー選手のペ まな性格でして、同じ中学校の同級生と四人 りました。その後、家庭の事情もあってす レがプラジル代表として、メキシコワールド で帝京の門を叩いたのですが、最初にサッ ぐに社会人にならないといけないというの カップで優勝したのをテレビなどで見て「凄カー部を辞めたいと言ったのは僕です ( 笑 ) 。 もあり、日本電信電話公社に入社し、電電 いなあサッカーって。日本と違って世界は 他の同級生三人に止められて何とかサッカー 関東 / Z+E-* 関東サッカー部 ( 現・大宮ア サッカーなんだ」と感じましたね。 部に残り、忍耐力もついたのでしよう。その ルディージャ ) で三三歳まで選手を続け、 後、同級生三人が辞めないのに、どうして俺 Zee で指導者となる道ができてきまし ーー高校時代はサッカーで有名な帝京高校は辞めると言ったのだろうと反省しました。 て、男子のサッカー指導者となりました。 に進まれましたよね。 俺が一番上手いのに何でポールを蹴らせてく 実は、中学時代怪我ばかりしていまして、 れないのだろうと、わがままな性格から、 女子サッカー指導者としてプロのサッ サッカー部で満足に活動できなかったのです。 カー指導者へ進む決断 ちょっと高飛車になっていて「辞めよう」と 怪我が多くフラストレーションも溜まってい 思ったのでしよう。そこから、選手としても ー男子サッカー指導者としての道を進ま まして、全国大会に出られる確率の高い学校強くなりキャプテンになりました。 れている中で、女子サッカーの指導者に

3. 人事院月報 2016年10月号

0 報 駄目でしよう。サッカーの理論とかいい考繰り返される中、気分でものを言うのは一 きました。この二〇一一年は、男子サッカー 月 え方を持っていても、選手、スタッフを掌番よくない。い つも僕の性格を分かりやす が南米選手権を辞退するという出来事など 人 握して彼らがついてこないと駄目ですし、 く感じてもらいたいと思っていました。選もありまして、女子サッカーに非常に注目 マネジメントの要素がしつかりしていない 手、スタッフを掌握するという意味で僕自 が集まりました。女子のサッカー選手は決明 身はフランクさにメリハリをつける。それ とバランスがわるくなる。サッカー以外の して恵まれた状況でサッカーをしてきては 部分でいくら選手達、スタッフ達が上手く とあまり鎧を着ないで自分を常に出し、そ いませんので、いつも後輩達が私たちを見 いっていても、サッカーの専門性のところ の時の反応を見て即座に反応し、自分が改 ているという気持ちがあります。日本が厳 が駄目では結果が出ません。 善しないといけないところは改善する。 しい状況の中、サッカー女子日本代表とし 「なでしこジャパン」について「選手が 昔であればカリスマ的な指導者というの て何とか出来るだけの事はやろうじゃない 上手く行っている」、「すごくュニークな指 もいたのかと思いますが、今はやはり融合 かという気持ちが、僕から言ったのではな 導をしている」と言われる事が多いのです性のある人達が成功している感じがしま く、選手達自身から湧いてきたのです。で が、それだけじゃ勝てません。チーム戦術す。僕もで二四年間働いて色々な上 すから、練習の時も非常に集中していまし などサッカーの専門的な部分を徹底して 司を見させていただきましたが、融合性が て、ちょっと気が緩んだ時に注意すると彼 やっているから、結果を出せるアベレージ あって周りの部署の責任者などを使える女達はすぐ気を引き締めていましたね。 が高まっているのです。選手達の指導の仕 ーダーが伸びていましたよね。ガチガチ そのような状況で、予選リーグの対イン 方も最初は徹底して我々が主導しますが、 の怖い人でカリスマがあるなんてそうはい グランド戦は、ー 弓き分け以上で一位通過と そのうち選手主導に切り替えていくように ないし、今の世の中が認めないですよね。 なる大事な試合だったのですが、二対〇で 指導していきました。 負けてしまいました。対戦相手は、予選リー グ一位通過ですと過去に勝利したことのあ 高い目標設定においても、日々の積み ー・指導者としてチーム内の人心を掌握す重ね、チームの距離感、結束力が大切 るフランスでしたが、二位通過となったこ るために特に心がけた事などあるのでしょ ニ〇一一年の女子ワールドカップでの とで、今まで勝利したことのないドイツと 一つか 優勝など我々の想像をはるかに超える高い なりました。このプレッシャーは違います。 自分のキャラクターとして、カリスマみ 目標に向かってどのようにチームを指導さ そうしますと選手達は「誰々がこれをやっ れたのですか たいなタイプではないですし、指導するに ていない」、「あれもやっていない」、「これ 当たってもそんな器用なタイプではないで もできていない」となり揉めました。 二〇一一年の女子ワールドカップは、我々 す。しかし、指導者として、昨日と今日で は優勝を目指して着実にやっていって、日 僕は選手達に、今になって「これもあれ 言ったことが違っていたり、毎日同じ事が本が東日本大震災などで大変な時に優勝で もできない」と言っても、練習に時間をか

4. 人事院月報 2016年10月号

インタビュー なったきっかけはどのようなものですか。 大宮アルディージャでユース年代の監督 をしていた時、当時、サッカー女子日本代 表監督だった大橋浩司さんから、是非コー チでサポートをしてくれないかと依頼があ りました。そこで女子サッカーを見に行っ たのですが、特質的なフィジカルもあまり なく、非常に真面目にサッカーをしていて、 僕が当時指導していたチームと似たような 選手達で、大橋さんの一助にはなれるかな と思いました。しかし、僕も二四年間 ZE* E* にいましたから、一歩踏み出すのがなか なか難しかったですね。 Zee からは出向 夫 でいけばどうかとの話もあったのですが、 木 ZE—e は辞めてプロとして女子サッカーの 佐指導者になることを決断しました。 表ー大企業を辞めてプロに進むというのは 本大きな決断ですね。 日 子 僕自身には腹積もりはあったのですが、 一やはり、何かあったら家族にすまないなあ カ ッ と思いますよね。その頃、娘が高校でサッ サ カーをやっていまして、そのチームがキャ ンプの時に、僕が見てあげたら娘のチームメイ トから人気があったらしいのです。それで娘か ノハいいかもよ」と推してくれました。そ れは自信になりました。それと、妻が「い えるかどうかも分かりません。代表のチーム の指導者というのは契約した時点から、退任 するまでのカウントダウンが始まっているみ たいな感じですよね。だからと言って怖がっ てやる仕事じゃないので、やはり誇りと責任 を持って準備をするということが、我々プロ としての責務なので。 ープロの指導者として結果を出すために 必要なことは何であるとお考えでしようか 僕も結果が出るのかどうかは分かりませ んが、結果が出るために準備をするのは大 事なことです。こうやれば絶対結果が出る というマニュアルはない訳です。自分が 丿ーダーなのだから、とにかく事を動かさ いわよプロで。駄目なら駄目でそれでいいじゃ ないといけない。 これは何処でも通じるも ない。パパやればいいじゃない」と言ってくれ、 のだと思うのですけれども、まずリーダー 何か勇気が湧きまして。家族の後押しがあって はしつかりとしたリーダーであるべきで 「行こう、やってみよ一 2 となりました。 す。それには選手、スタッフを掌握するカ が必要です。それとマネジメントする力で 常に結果を求められるプロの指導者と しての条件 す。それにサッカーの専門性の要素。そし て結果ですよね。この「リーダーとしての ープロの指導者となりますと、常に結果 力」、「マネジメントの力」、「専門性の力」 を求められることになりますよね。 この三つをしつかりと構築する。まあ、勝 そうですね。プロというのはやはり結果が 負は運もありますけど、リーダーとして結 ついてこないと。「いいサッカーやっているよ 報 ね」ではいけません。特に代表のチームは常果を出せるアベレージが高まります。この朗 三つのうちどれか一つが底にいっていたら人 に結果がついてこないと、次に契約してもら 0 ′ 0 1

5. 人事院月報 2016年10月号

人事院月報 平成 28 年 10 月 1 日発行 ( 毎月 1 日発行 ) 通巻第 806 号 公務員関係情報誌 寄稿公務分野での官民協働 ~ 法制度の観点から ~ 上智大学法科大学院教授小幡純子 インタビュー前サッカー女子日本代表監督佐々木則夫 特、集国家公務員健康週間 月号 2016 N 。 06 徳市立図一般 160978310

6. 人事院月報 2016年10月号

インタビュー けることはできない。今までやってきた事レッシャーを更に高め内向きになってしま をもう一回意識してやる。それに何を言っ うと殆どいいプレーはできないし、それを ても一番やらなきゃいけないことは、みん 「何で俺はこうやってプレッシャーを与え な思いを一つにしてきたのに、こういう状てもらってプレーさせてもらっているのだ 況になったとき、そんなに慌ててつながり ろう」位にならないといけません。そして、 がなぜ崩れるんだ。もう一回みんなで話し いつでも覚悟できる体制を整える。マイン 合って、この大会に来た意義を見つめ直さ ドを変えるのです。そういう経験をしたこ ないと駄目だと言いました。そこで、日本とで、更に僕も選手達もパワーアップして は大変だけど復興を目指して被災地の方々 いったところもあると思います。 が一生懸命頑張っている姿のビデオなどを つくって見せ、チーム全体がもう一度一つ 自分にプレッシャーをかけて今後の活 動にトライしていく になろうとなりました。決勝トーナメント の対ドイツ戦の準備二日間はこのようにす 十文字学園女子大学の副学長に就任さ 夫 ごく揉めたのですが、三日目の準備の時は れましたが、今後、佐々木副学長として目 0 木 とても雰囲気がよかったです。 指す方向についてお聞かせいただけますか。 々 佐 その後、決勝までは新たな挑戦なのだから、 サッカーの監督をしていますと、どうして 督結果を恐れずにやろうと言ってやっていまし もサッカーの事ばかりにな「てしまうのです 0 一 監 表 た。自分を信じて、仲間を信じて「大好きな ね。これからの人生はサッカー以外も見なが 本サッカー。失敗を恐れない」というのが合い ら、サッカーの選手、指導者、女性でアスリー 子 言葉だったのですが、このマインドを常に トを目指す人達などの一助になりたいなとい 一持っていようと。厳しいことに耐えるのは当 う思いがあります。今、活動を色々広げてい カ ッ たり前です。そこに更にプレッシャーが来る。 ますが、先程申し上げたように、僕は高校 サ その時あまりプレッシャーに耐えすぎるのは 時代にキャプテンになって成長していますか よくない。どこかでそのマインドを楽しさに ら、まず今は場を作って自分にパワーを与え、 変えないとやっていられないですから。 プレッシャーをかけて動いていくための構築 これが「何で俺にだけこんなにプレッ の時です。今は与えられた仕事に前向きにト シャーが来るのだ」と構え、自分の中でプライして質のいいものにしないといけませ ん。現在、副学長として人材育成などを担 当していますが、僕の経験から伝えることは できますが、今後は周囲の皆さんと勉強しな がら、更に違うサポートの部分についても、 伝えられるようになりたいという思いでやっ ています。 佐々則夫 ( ささきのりお ) 1958 ( 昭和 33 ) 年山形県出身 帝京高校、明治大学を経て、日本電信電話 公社に入社、電電関東 / N T T 関東サッカー 部 ( 現・大宮アルディージャ ) でプレー 2007 ( 平成 19 ) 年サッカー女子日本代 表監督に就任 2011 ( 平成 23 ) 年女子ワールドカップ ドイツ大会優勝、国民栄誉賞受賞 現在、十文字学園女子大学副学長などを務 める 7 7 人事院月報洳 .

7. 人事院月報 2016年10月号

人事院月報 公務員関係情報誌 [ ー亜垣コ ノ、クー 4 ) ′ 01 皇太子殿下に御接見を賜る第 20 期ンスフ ールド研修員 02 国家公務員健康週間 ( 28 年 10 月 1 日 ~ 7 日 ) 03 タイ人事委員会一行の来訪 04 ベトナム公務員制度改革支援訪日研修研修員一行の来訪 月号 2016 N 。 .806 寄稿 02 公務分野での官民協働 ~ 法制度の観点から ~ 上智大学法科大学院教授小幡純子 インタビュー 0 / 「リーダーとしての力」、「マネジメントの力」、「専門性の力」この三つをしつかりと 構築することで、リーダーとして結果を出せるアベレージが高まる 前サッカー女子日本代表監督佐々木則夫 特集国家公務員健康週間に当たって 72 「見逃すなあなたのシグナルストレスチェック」 職員福祉局職員福祉課 76 寄稿ワーク・エンゲイジメント ~ 健康で活力ある組織づくりに向けて ~ 東京大学大学院医学系研究科精神保健学分野准教授島津明人 人事行政報告 20 平成 27 年度国家公務員苦情相談の概要 25 平成 27 年民間企業の勤務条件制度等調査結果の概要 地方事務局の今 30 東北事務局管内の紹介 ~ 東日本大震災からの復興をはじめとして ~ 海外事情 3 国際機関における多様性への取組 ~ 経済協力開発機構での経験から ~ 公平審査局職員相談課 職員福祉局職員福祉課 東北事務局長秋庭能久 経済協力開発機構総務局人事部戦略・業務分析グループ 人事調整官杉浦直人 ひろば 38 「エキスパート」に思う 時事通信社内政部記者相京真伍 「羽休め」染谷香理 1977 年 島根県生まれ 東京藝術大学大学院文化財保存学保存修復日本画専攻修了 2002 年 院展奨励賞 ( 同 ' 13 、 ' 14 、 ' 15 ) 2011 年 舂の院展外務大臣賞奨励賞 ( 同 ' 14 、 ' 15 ) 2013 年 第 2 回郷さくら美術館桜花賞奨励賞 2014 年 第 4 回前田青邨顕彰中村奨学会中村賞 2015 年 現在 東京藝術大学大学院教育研究助手 日本美術院特待 表紙の

8. 人事院月報 2016年10月号

リオデジャネイロオリンピック・パラリン ピックが閉幕しました。日本選手団の活躍 に心躍り、感動と勇気をいたきました。 一一〇一一〇年東京オリンピック・パラリンピッ クはどのような大会になるのでしようか 今月号では、なでしこジャパンの前サ 後 ッカー女子日本代表監督の佐々木則夫氏に 集 インタビューを行いました。安定した ZE-" 編の社員から退路を断ってプロの監督にな られたことや、ご自身の少年時代から現在 に至るまでのサッカーとの関わりやエピソ ード、指導者としての成長過程や心構えな ど、公私にわたりいろいろなお話を伺うこ とができました。』是非お読みください 次号予告 11 月号 2016 年 11 月 1 日発行 日本航空株式会社 執行役員 人財本部人事教育担当 ( 兼 ) 人事部長 植田英嗣 事行政報出 初任行政研修 など ※企画は予告なく変更する場合があります。 一〇月一日から「国家公務員健康週間」 が始まります。職場全体で健康の保持・増 進を図るよい機会です。健康週間にあわせ て、健康のチェックをしてみてはいかがで しょ , つか 健康週間に当たって、東京大学大学院 医学系研究科精神保健学分野准教授の島津 明人氏から「ワーク・エンゲイジメント」 についてご寄稿いただきました。「ワー ク・エンゲイジメント」とは、職員の心の 健康度を示す概念のひとつで、仕事に対し 「熱意」、「没頭」、「活力」の三つが揃い充 実している心理状態を指すとのことです。 一わ的 一に人 一見個 一意のす一 、者ま ~ ~ て筆き ~ 一いれお 一おぞて ( 一にれし一 一事そり ~ 一記、断 一名はお 一署てを一 一しつこ 載にる一 一掲分あ 一に部で 一誌る解一 一本た見一 健康で活力ある組織づくりに向けて、ワー ク・エンゲイジメントの実現は、組織にお けるメンタルヘルス対策が目指すべき新し いテーマとして注目されています。 また、上智大学法科大学院教授の小幡 純子氏から「公務分野での官民協働」と題 して、公務の民間委託・民間開放等の官民 協働の場において、公務員が果たすべき役 割等、公務分野での官民協働の課題につい てご寄稿いただきました。 秋は気温の変化から体調を崩しやすい 時期でもあります。皆様くれぐれもご自愛 ください ( 広報室長渡辺一一郎 ) 発 日 0 諸しり 関 橋 月 田 意さ 霞 飯 区 年区 ごだ面 8 田 室代代代 るく こ 成報千Ⅱ社千 3 す っ すせ 平広都引会都田ま 課京式京ョり 関寄 田株あ 0 7 6 て ズま 、 ) ・ . 公、い 11 っリ 号。 9 届 O - し 院 O 印 0 報を 事話経話ん のま ( 0 月等 巻人〒電日〒電に 月 者で 紙 院望読ん x 計 表 号 は組 発 事要 < E 事 誌り 価 印 定 人ご本取 u- 人 2 編 2016 10 月号人事院月報 / 0

9. 人事院月報 2016年10月号

ひろば 時事通信社内政部記者相京真伍 入社一〇年目。自分ではそうは思ってい 段は中央省庁や地方自治体の行政マンの話 専門用語があまりにも多すぎることの是 なくても記者の現場では「中堅」とみなさ を丹念に聞き、記事にするという仕事が中 非はともあれ、現実問題として長く一つの れることが増えてきた。「自分までが若手」 心となる。もちろん取材範囲は行政マンに 問題に関わってきたことで得られる知識や と強弁してはみるものの、最近では後輩か とどまらず、国会議員の「夜討ち朝駆け」 経験がこうした場ではものを言う。各国代 ら哀れんだ目で首を横に振られる始末。若 に明け暮れたり、地球温暖化問題の取材で表団がそれぞれ開く内外記者会見では、米 手女性記者から聞いてもいないのに「相京 ベルーやフランスなどに飛び、国内外の交国や欧州連合 (æD) 、中国などの交渉担 当者は一〇年以上この問題に携わってきた さんはおじさんじゃありません ! 」などと渉官や国際環境 ZtO の人々から話を聞い 気遣いのフォローが入るに至っては屈折し たりする機会も持った。 人が姿を見せる。一人で各国メディアの多 た心境になってしまう。 こうした取材の場でつくづく感じるの 岐にわたる質問に対処する姿は率直に 実際のところ一〇年という経験値は、多 は、「エキスパート」の強みだ。例えば昨 「かっこ ) しい」と思えた。 いような少ないような中途半端なところ年、一昨年と続けて取材した地球温暖化問 ちなみに日本の政府代表団も、新しい国 だ。それでも、これまでさまざまな取材対題の国際会議。国際交渉は英語を中心とし 際枠組み「パリ協定」をめぐる重要な交渉 た国連公用語であることを前提として、温局面を迎えた昨年末の時点で、幹部クラス 象や貴重な取材の場面に遭遇する機会にも 暖化問題に長く携わってきた人でないと到 の多くは「現在のポストに来て一年半ない 恵まれている。人事院月報のこの欄に何を 執筆しても良いという光栄なお声掛けをい 底理解できない用語が平然と飛び交う。 し二年」というメンバーがほとんどだった。 テーマとしては比較的キャッチーである割 経験が浅い中でも日本の国益が守られる ただいたことを幸いに、筆者自身の記者と しての経験から感じたこと、思っているこ に交渉の内容も「マニアック」な感が否め交渉結果に導いていることから考えると、 ず、共に取材した英語に堪能な特派員の同 とをご紹介することとしたい。 日本の行政マンの能力は高いものがあるの 僚ですら「 ( 国連気候変動枠組み条 だろう。「現在のポストに来て半年」とい う人もほとんどいなかったので、一定の人 筆者が所属する内政部という部署は、国 約の締約国会議 ) で出てくる言葉は『宇宙 事上の配慮もされていたと思う。それでも 語』」と評していたのが印象的だった。 内の行政取材を主に担当する。このため普 「エキスパート」に思う 2016 10 月号人事院月報 38

10. 人事院月報 2016年10月号

「エキスパート」に思う ひろば やはり、長期間同じポストで仕事をしてい 「マスコミの人ってすぐ担当代わっちゃう 議員の在り方について「税制だけじゃだ る海外の交渉官に一日の長があるように感 よね・ : 」と残念がられるのは日常茶飯事だ。 め。政策全体や世界のことも勉強しないと じられたし、日本政府代表団の中でも比較 報道機関の中にも専門性の高い記者もい いけない」と語っていた。「エキスパート」 的長く携わっているメンバーからは海外の るし、個人的にも、一年担当したところよ の発言としてはやや意外とも取れる一方、 交渉官との人脈の太さが垣間見えた。 りは二年担当したところのほうが、情報が もっともでもある。幅広く学ぶことでこそ 筆者が公務員行政を担当していた年にま 自分の中に蓄積されている実感は強い。三 専門性が磨かれるということなのだろう。 とめられた人事院の年次報告書は、「在任年以上やればなおさらだろう。自分ももう 期間の長期化」の必要性を取り上げ、「少 少し同じポストを長く担当し、何らかの分 筆者自身、今後「エキスパート」の道を なくとも三年は異動させない方針をとるこ 野の「エキスパート」になれれば : ・との気歩むのか、はたまた「ゼネラリスト」にな と」などを提言している。なかなか今の日持ちを持っこともあるが、現在三〇代半ば るのかも分からない。そもそも自分の人事 本では海外の交渉官ほど長期間同じ問題に の筆者が現場の記者としてやっていけるの は自分では決められないことが大半だ。 一貫して携わることが難しいとは思う。現 は恐らくあと一〇年程度。それを考えると、 そんな中で今何をなすべきかを考える 状は「三年」も道半ばと言ったところだろ ある程度幅広い分野を経験することも重要と、その時その時で経験を糧にし、知識を なのか、と考えることもある。 積み上げていくことがやはり大切なのかも しれない。 くそ真面目のようにも当たり前 もっとも、筆者自身も「在任期間の長期 そんな時にふと思い出し、ある人物に取 のようにも思えるが、そんな積み重ねが 化」にはほど遠く、ある意味で行政マンと 材したメモを引っ張り出した。その人物は、 べースにあってこそ、「エキスパート」に 似たような状況にある。東京本社で新人時長きにわたって自民党税制調査会の「イン なるにせよ「ゼネラリスト」になるにせ 代を過ごし、地方支局で約三年、その後再ナー」と呼ばれる幹部を務めているべテラ よ、道が開けてくるのではないかという思 び東京本社に戻り五年余り。地方支局では ン国会議員。ご存じの通り、自民党税調の いを抱いている。 行政、、経済、事件、裁判など何でも一人で インナーは長期間税制に関わっていること やってきたため専門性を語るレベルには至 による専門知識と、複雑な利害を調整でき らず、東京に戻ってきてからは担当分野が る政治力を兼ね備えるまさに「税のエキス ほぼ一年ごとに代わっている。 パート」だ。 頻繁に担当が代わってしまうのは筆者だ このべテラン議員は、筆者が自民党税調 けでなく、他の同僚や同業他社の記者もお を担当していた当時から後進の指導に積極 おむね同様の傾向と言える。取材先から 的に取り組んでいたが、筆者に対し、若手 ( あいきよう・しんご ) 39 人事院月報 .8