「これだ」 いいます。少しお話をさせていただいてもよろしいでしようか ? 机に新聞を広げた。 どこか話ができる場所はありますか」と言った。 ミズナミ銀行員刺殺される 「はい」 本日、早朝六時半ごろ、自宅マンション前でミズナミ銀行に勤 織田は、審査第一部の応接に北沢を案内した。 務する北沢敏樹さん ( 四八歳 ) が、何者かによって刺殺された。 応接と言っても狭い。通路の一角をパーティションで区切っ 警視庁と高井戸署は、捜査本部を設置し、殺人事件として捜査ているだけだ。中にはソフアと小さなテープル。織田は、固い を開始した」 表情でソフアに座り、北沢と向き合った。 北沢の真面目そうな顔の写真が小さく掲載されている。 北沢は、自分の名刺をテープルの上に置いた。 織田は全身の震えが止まらない。額から汗がにじみ出てくる 「コンプラ部の方が、どういうご用件でしようか ? 」 ような気がする。 織田は訊いた。 新聞をその場に放置したまま、織田は、本店の外に飛び出し 北沢とは、初対面だ。こうやって近くで向き合うと、陰気さ てしまった。何かに突き動かされているかのように急いでいた。 かより強く伝わってくる。 そしてこの喫茶店に逃げ込むように入り、柳井に電話をかけ 「審査部ではどういうご担当をされているんですか」 たのだ。柳井は電話に出ない。織田はメッセージを送った。「北 北沢は、なにやら一般的な質問をした。 沢が死んだ。殺された。至急、会いたいーと。 「私は新宿エリアの支店を担当しています。そこから上がって 来る案件の審査です。あの : ・ 、時間がないんで、何か特別な 北沢と織田が初めて会ったのは、いつだっただろうか ? 確用があるんですか」 か二カ月前だ : ・ 織田が顔をしかめた。 北沢は突然、審査第一部に訪ねて来た。 北沢は、織田の苛立ちが分かっているに違いないが、それを 「織田健一審査役はいらっしゃいますか」 表情に表さない。 受付で言う声が耳に入った。 織田は、警戒した。この男は事情聴取に慣れているに違いな 織田は、すぐに立ち上がって、「はい、 何か ? と答えた。 受付を見ると、真面目と一言うより陰気な雰囲気を漂わせた男 コンプライアンス統括部は、行内における法令順守を担当し が、こちらを見つめていた。 ている。言わば行員に規律を守らせるセクションだ。そのセク 嫌な感じがした。 ションの人間が、訪ねて来たということは、織田に法令違反の 警戒しながら、近づくと、「コンプライアンス統括部の北沢と疑いがあるということではないのか 195 抗争ーー巨大銀行が溶融した日
「はあ、言われてみればその通りです - かもしれない。北沢は、何度訊いても「失念」を繰り返すだろ 再び北沢は頭を下げた。 う。もし誰も本当のことを言わないならば、処分を下して訊く 「このロ 1 ンの中には反社会的勢力が入っていたということでしかないか : したが、どういう報告ル 1 ルになっていますか。説明してくだ 柿沢は、頭を下げ続けている北沢を見つめていた。 さい」 柿沢は、北沢の発言を確認するためにコンプライアンス統括 くらしな おおっか 柿沢は、北沢を叱責するような口調になっていた。 部長の倉品とミズナミ銀行会長の大塚を一緒に呼んだ。 「反社取引は、コンプライアンス統括部長が四半期ごとにコン 大塚が呼ばれたのは、。、 ノシフィコ・クレジットは旧大洋産業 プライアンス委員会に報告し、そこで質疑され、その後は取締銀行がメイン先であり、それに加えて大塚はミズナミ銀行前頭 役会に報告されるということになっています。その結果、取引 取として本件を把握しているはすの立場だからだ。 解消に向かっての具体的な取り組みがなされることになってお 大塚は、金融検査中にもかかわらず本日急遽、ミズナミ銀行 ふじぬま ります 頭取の座を藤沼に譲り、会長に就任した。 ミズナミ銀行のコンプライアンス委員会は、頭取を委員長に、 大塚は、これでミズナミフィナンシャルグル 1 プとミズナミ 副頭取や各部長、そしてミズナミフィナンシャルグル 1 プの社銀行、二つの組織で共に会長となった。藤沼は、ミズナミフィ 長など、経営を担う主要幹部が出席し、コンプライアンスに関ナンシャルグル 1 プの社長とミズナミ銀行の頭取兼任だ わる審議などが行われる。 会長と社長、頭取では会長の方が上位に位置づけられている 報告ルールや反社取引を解消する責任が分かっていて何もし と世間一般では考えられているかもしれないが、実権を持って ていないことに、柿沢はミズナミ銀行の悪質さを感じた。 いるのは社長であり、頭取だ。 すさん 「杜撰ですね」 どうして大塚が急遽、会長にいわば棚上げされたかについて 「規則ではそうなっているのですが : 。当事者意識がないと は、ミズナミフィナンシャルグル 1 プの一体化がなかなか進展 しいますか、なんといいますか しないために強引に金融庁が人事を判断したのではと憶測され ている 北沢は情けない顔で再度、釈明をした。 北沢は、「失念」と表現したが、それはあり得ない。北沢の表 オンライン事故により、八神が退任し、ミズナミフィナンシャ 情が無念そうで、一瞬、唇を物みしめたように見えたからだ。 ルグル 1 プの社長には藤沼、ミズナミ銀行の頭取には大塚が就 任したが、金融庁は満足していなかった。これではまだ二頭体 コンプライアンス委員会などに報告をしなかった、あるいは 制だというのだ。そこで会長は大塚、社長と頭取は藤沼に替わっ できなかった本当の理由は、北沢以外の人間から聞くしかない 江上剛 174
織田は、ある種の恐怖で腹の底から冷え冷えとしてくるのが 「否定されますか」 分かった。もし法令違反の疑いがかけられているとしたら、問 北沢の視線が冷たい。 題はひとつだけだ : 「勿論です。まったくそんなことはしていません。心外だなあ」 「では単刀直入にお聞きします。織田さん、あなたは重村聡子 「そうですか。という中堅の出版社の相続トラブルに関して という女性をご存じですか ? 資金が必要になった。そこで資金を集めている。銀行が表に出 北沢の視線が鋭くなった。どんな微妙な変化も見逃さないと られないが、実質的には銀行がやっていることで心配ない。資 いう強い意志が窺えた。 金は、ミズナミ銀行が責任を持って預かり、元本保証で、利率 重村聡子 ? は、月利二 % 。いつでも解約可能。こんな話です。先方はチャー 織田は記憶を探ったが、思い出さない。北沢を見て、小さく ト図を見せられたと言っていますよ」 首を左右に振った。 「まさか : 「では銀座のクラプ「マリ』のママということでは、どうでしょ 織田は、ひきつった表情をした。 「という会社は、有名ですから私も知っています。ミズナミ 北沢の冷たい視線が射貫いてくる。 銀行というより旧大洋産業銀行の取引先です。でもあなたの担 当ではないですね 織田は、表情を変えた。それを気づかれたくなくてうつむい 「なにをおっしやっているんですか」 「社は、確かに相続問題で揺れているそうです。しかし、そ 「ご存じのようですね。重村さんは、その店のママです。 うした投資家から資金を募るようなことはしていません。この 「一度だけ、お客様に連れて行ってもらったことがあります。 投資話は全くのでたらめですー ママには会ったことがありますが、名前まで知りませんでした」 北沢の表情が、初めて変わった。怒りが表れている。 織田は、北沢を見つめ、落ち着いた口調で言った。 「あのお、私は知りませんよ。心外ですね。一度だけしか行っ ママの名前を知らなかったことは本当だ。しかし、それ以外ていない店のママにそんな話を持ちかけるはずがないじゃあり は嘘だ。店には、柳井と行った。それも何度か : 。それは重ませんか。それに私になんのメリットがあるんですか」 村聡子が金を貯め込んでいると聞いていたからだ。 織田も憤慨した口調で言った。 「彼女に投資話を持ちかけたことはありますか」 「あくまで嘘だというのですか。これはどうですか ? 」 「なんのことでしようか」 北沢は、テープルに名刺を置いた。それは織田の名刺だった。 織田は首を傾げた。 「私の名刺ですが、それがどうしましたか」 江上剛 1 %
「齊藤さんは奥さんがいるじゃないですか 「ああ、そうだったな」 齊藤がおどけると、朋子はまた微笑んだ。 「私、最初は冗談で登録したんです。クラブに勤めていますか ら、だれかいいお客さまでも捕まえられたらと思って : 「動機が不純だな」 齊藤が朋子を睨んだ。 「すみません。でも : : : 」 「でも、本気になったというわけですね 康平が訊いた。朋子は、小さく頷いた。 私、父親がい 「お会いして、色々お話ししているうちに : ないので、ものすごく落ち着いている、こんな人と暮らせると いいなと思ったのです。北沢さんも私のことを真面目に考えて くださって : : な私、思い切ってクラブ勤めのことや、本当は お客様を見つけたいと思って登録したことなど、正直に話した のですー 朋子は、一気に話し始めた。 「北沢さんは、ふんふんとじっくり話を聞いてくださり、怒る こともなく『客になるよ。そう頻繁に行けないけどね。案外、 給料、安いから』と : ・ 朋子は目頭を押さえた。 「それで北沢は『マリ』の客になったわけだ 9 それでどうした 齊藤が身を乗りだしてきた。 「北沢さんは、時々、店に顔を出してくださいました。お互い、 ゆくゆくは結婚してもいいかなという気持ちになってきました。 その時、ママから相談を持ちかけられたんですー 「ママから ? 」 康平は、話が予想外の方向に転じていく気がした。 しげむらさとこ 「ママは、重村聡子といいます。銀座ではべテランのママでい い人です。ママが、投資話を持ちかけられまして、それで北沢 さんに相談したのです」 「北沢が銀行員だからですか ? 「それもありますが、重村ママに投資話を持って来たのは、ミ ズナミ銀行の人だったからです」 朋子は、康平の目を見つめた。 「なんですって , 康平は、思わず声を荒らげた。 「おいおい、ちょっと問題じゃないのか。投資話を持ち込んだ のはどこのどいつだ」 齊藤が表情を強張らせた。 朋子は、二人のあまりに大きな反応に少したじろいだ。 「詳しく話してください」 康平は言った。 朋子は、慌てた表情になると「葬儀が始まります。詳しくは、 終わった後で」と言った。 「チキショ 1 うめ 齊藤が呻いた。 「今日は、北沢さんを送る日ですからね。通夜が終わったら、 どこかでお話を聞かせてください 「分かりました」 朋子は答えると 、バッグから一枚の名刺を出した。ミズナミ 193 抗争ーー - 巨大銀行が溶融した日
反社会的勢力排除の象徴的存在であるミズナミ銀行の金融検査 「はつ、申し訳ありません」 においては、この点に力を入れた。 「取締役会などで報告をしていないということであれば、これ しかし、結果は失望でしかなかった。 らの取引を排除もしていないということですね」 「申し訳ありません」 柿沢の質問に北沢はようやく頭を上げ、苦しそうな表情で 柿沢は、青い顔をしながら頭を下げた北沢の顔を覚えている。 「はあ」と気が抜けたような声を出した。 はんしゃ 柿沢が、「パシフィコ・クレジットのローンにおける反社チェッ 「なぜ報告していないのですかー クの結果はコンプライアンス委員会や取締役会に報告していな 「私が失念しておりました。申し訳ありません」 いのですか」と訊いた時のことだ。 北沢は深く頭を下げた。 北沢は、担当役員以外の役員には反社チェックの結果を報告 「失念とは、また安易な答えですね」 していないと言った。 柿沢が怒りに満ちた表情で睨むと、北沢は動揺を見せた。 柿沢は、驚いた。なせこんな重要なことを取締役会などで役「 : : : それはこのロ 1 ンの審査や与信管理はすべてパシフィコ・ 員に報告しないのか クレジットが行っていまして : : : 。私どもとしては当事者意識 銀行のガバナンス規定では、反社会的勢力に関する報告は、 が薄かったと申しますか、これではいけないと思ってはいたの コンプライアンス委員会と取締役会に報告することになってい ですが : : : 。事後チェックをして、それをパシフィコ・クレジッ るはずだ。 トに伝えましたら、その後は彼らが上手くやってくれるだろう 反社会的勢力排除の象徴であるミズナミ銀行が、トップと現と思っておりました」 場が一体となってこの問題に取り組んでいなければ、どうして 柿沢が問題にしているパシフィコ・クレジットの消費性ロ 1 他の銀行が真剣に取り組むだろうか ンとは、確かに北沢の言う通り全てはパシフィコ・クレジット シフィコ・クレ 「本当ですか ? それは重大な問題ですよ にお任せの金融商品だ。 ジットの消費性ロ 1 ンの中には反社取引があったわけでしよう」 客が、パシフィコ・クレジットと契約している店で物品購入 柿沢は半ば脅すように北沢に言った。 のためのローンの申し込みをする。パシフィコ・クレジットは、 「私どもの調査では約百万件のロ 1 ンの中に約二百二十件程度その申し込みを審査し、問題がなければその旨を店に連絡し、 見つかりました。全部が全部、暴力団というわけではありませ店にロ 1 ン金額の資金を交付する。パシフィコ・クレジットが ふほうぞくせいさき ん。いわゆる不芳属性先がほとんどですー 客に代わって立て替えしていることになる。資金を受け取った 北沢は、柿沢に目を合わさず、つつむいたままで答えた。 店は客に物品を渡す。 「一件でもあってはいけないんですよ」 パシフィコ・クレジットは、客が選んだ提携金融機関にロ 1 江上剛 172
きしかわ 八神は、車の後部座席で隣の岸川に話しかけた。 「すみません。ちょっといろいろと考えていまして : 「そのようです。彼はああ見えてなかなかの策士ですからね」 桑銀行復活の日になりますね。 岸川がにやりとした。 「通夜の場所は、荻窪の駅近くの寺だったな」 くどう 「期待したいものだ。工藤とは連絡をとっているのか」 八神は、岸川の言葉を無視した。表情は固く暗い。 「それはぬかりないと思いますが : 。もし藤沼と大塚を失脚 「はい、 銀行で全て準備したようです。北沢は身内が少なく、 させることができましたら、その後には工藤さんに座ってもら弟が喪主を務めていますねー います・から 「寂しいものだな。両親も妻もいないのか」 「あいつは、い、。 私に忠実だから、なんとでもなる」 「そのようです」 八神は暗い声で言った。 「何が楽しみで暮らしていたのか」 「それにしても頭取が、北沢の通夜に行くとおっしやったのに 「さあ、真面目な男だったようですから は驚きました。普通の行員ですからね」 岸川は、運転手に高速道路を利用するように指示した。 岸川は八神を、媚びるような目つきで見つめた。 「金融検査で北沢が全ての責任を背負った。いや、背負わされ 「その頭取という呼び名は止めなさい。顧問でいいよ。扶桑銀たと言うべきか。それは本当なのか」 行の行員が殺されたわけだ。それも反社が関係しているとなれ 八神は岸川に顔を向けた。 ば、兀頭取の私が参列しないわけにはいかないだろう」 「そのようです。倉品常務に言い含められ、検査官に虚偽報告 八神は不機嫌そうに口を歪めた。 をさせられたようですー 「畏れ入ります。申し訳ございません。気をつけます。それに 「藤沼も大塚も、 ハシフィコ・クレジットに関わる反社取引を しても北沢は我々扶桑銀行の救世主になってくれるでしような、 全く知らなかったという報告だな。あさましい奴らだ。私は、 きっと」 反社の問題やパシフィコ・クレジットの反社チェックの問題は、 岸川は嬉しさが抑えきれないのか、笑みをもらした。 口をすつばくして彼らに言った。私は、道半ばで銀行を去らね 八神は本気なのだ。そうでなければ北沢の通夜に出席するよ ばならないが、後は頼んだよ、とね」 うなことはない。もし通夜の席に藤沼も大塚も来ていなくて、 「よく存じておりますー 八神だけだったら : ・ : 。旧扶桑銀行の連中は、八神のことをさ 「彼らは、反社問題には、全行挙げて取り組みますと私に誓っ くすぶ すがだと尊敬し、旧大洋産業銀行や旧日本興産銀行に対する燻っ た。それさえきっちりとしておけば、北沢が死ぬことはなかっ ていた恨みに本格的に火が点くだろう。 。それを、部下が報告を怠ったのが、対応が遅れている 「なにがそんなにおかしいんだねー 全ての原因だとしてしまったのだな。許せん」 。旧扶 江上剛 184
彼らが報告を求めなくなった。あるいは報告をしても、それに 「やってきました」 おもんばか 見向きもしなくなった。そこで北沢は、彼らを慮って報告書に 蛭田が報告に来た。 はしぬまこ、つ 記載しなかったのだろう。 大塚、倉品そしてコンプライアンス統括部総括次長の橋沼康江 あるいは、報告しないでいることが、いずれ金融検査で明ら平の三人が慌てた様子で会議室に入ってきた。 かになれば、役員たちに責任が及ぶことを北沢は計算に入れて 三人は、柿沢の前に立ち、まるで裁きのお白洲にいるような いたかもしれない。復讐ということになるだろうか 雰囲気で肩を落としていた。 そこまで考えるのは、うがち過ぎだが : 「新聞を見ました。北沢さんの事件をどうしてすぐに報告しな 柿沢は、この実態を看過するわナこよ、、 。。ーし力ないと考え、大塚かったのですか」 と倉品に「コンプライアンス態勢の不備は看過できない。そこ 柿沢は厳しい顔つきで大塚を見つめた。 で銀行法第一一十四条第一項に基づく報告命令の対象として検討 大塚は、慌てて倉品を見た。 することになるだろ、つ」と告げた。 「報告していなかったのか : ・ 二人は、驚いている様子だったが、報告命令の重みをあまり 大塚は、隣に立っている倉品を咎めるように睨んだ。 深刻に受け止めていないようだった。報告命令から銀行法第一一 「はつ、今朝にもご報告をしようと思っておりました」 十六条第一項に基づく業務改善命令が発せられることになる可 倉品は、大塚を無視して柿沢に答えた。 能性が高い。これは銀行に徹底した業務改善を求めるもので、 「真っ先に報告しないとダメじゃないか」 違反したり、不十分ならば、業務の執行停止や役員交代まで行 大塚がきつい口調で言った。 うことができる強力な命令だ。 「申し訳ございませんー ひど 甘く見ていると酷い目に遭うぞ。 倉品が頭を下げた。 柿沢は二人を見て、思った。 「この銀行は呆れた銀行ですね。なにもかも他人任せだ。報告 同時に北沢に同情した。これほど反社会的勢力との取引謝絶がなされたかどうか確認したらよかったではないですか。反社 に熱意を失っている銀行の中で、一人でその業務を担っていた の問題も北沢さん任せだった。今回の事件は反社絡みとは考え からだ。 られませんか」 その北沢が死んだ。それも殺された。それなのに未だになん 柿沢は怒りで自分の目が吊りあがっていくのを自覚していた。 の報告もない。銀行の幹部が殺害されるような事態が発生した 「それはないと思いますがー 場合は、即座に金融庁に報告をするのが銀行の義務ではないの 倉品が動揺しながら、とっさに応えた。 「どうしてそう言い切れるのですか」 とカ
大塚が入ってきた。そして倉品を見つけると、「倉品君、急用ていないことに小さな満足を覚えたのだろう。 とはなんだ」と不機嫌な様子で言った。 「進展と言っても北沢殺しの理由が分かったわけではありませ 倉品は、その表情を見て、まずいと思った。明らかに大塚は、 ん」 自分に不信感を持っていると確信した。 倉品は大塚を見た。 この倉品という男は、同じ大洋産業銀行だが、どこまで信用 「話を続けてください」 できるかは分からない。今や風前の灯と化した大洋産業銀行勢 藤沼が言った。 力は、日本興産銀行か扶桑銀行のいずれかにつかなければ生き 「実は、朝毎新聞の社会部記者が動いていると、山村広報部長 ていけない。この男も、その選択を間違わないように注意深く が知らせてきました。北沢が殺されたのは、パシフィコ・クレ 行動しているようだ。同じ大洋産業銀行だからといって心を許 ジットの反社融資のせいだという話の裏をとるためです。実際、 してはいナ . よい 0 北沢が殺された直後から、反社が原因ではないかとの噂は流れ そう考えている大塚の心の中が手に取るように分かる ていましたが、 具体的にパシフィコ・クレジットの問題と名指 「会長、お待ちしていました。どうぞお入りくださいー ししてきたことは驚きです。北沢が、この会社を担当していた 倉品は、大塚に、テ 1 プルに着くように言った。 ということは、ごく一部の関係者と金融庁くらいしか知ってい 藤沼は、椅子に腰掛けたまま「申し訳ありません。わざわざ、 ません。それが広がっているのです。理由は分かりません , ご足労いただきまして」と言った。 倉品が眉間に深く皺を刻んだ。 「北沢殺害について進展があったというのは本当ですか」 「なんだって : ・ 大塚は、ソフアに座るのももどかしそうに言った。 大塚は、焦った。 「そう慌てないでください。まずは座ってください 「どうしてそんな話が外に出たのか ? 」 倉品は言った。 藤沼も、その端正な顔を歪めた。 「慌てるなと言う方がおかしいでしよう。どんな進展があった 「もう一つ、大きな問題があります。実は、記者が言うには、 のですか」 パシフィコ・クレジットが反社会的勢力に融資を行っていると 大塚は慌てた様子で倉品に言った。 いうのは事実か。そして現経営陣は、その実態の報告を受け、 「まあ、会長、まずは倉品常務の報告を聞きましよう。私もま実態を認識しながら全く放置したままだったことは事実か。そ だ聞いていませんから」 うした経営陣が不作為である状況をなんとかしようと無理をし 藤沼が、宥めるように言った。大塚の表情が、一瞬、ほころ て反社会的勢力排除に動いたため、北沢が殺されたのではない んだのを倉品は見逃さなかった。まだ藤沼もなにも報告を受け か。これが記者の問いかけですー 江上剛 202
ニ〇一三年六月ニ十七日 ( 木 ) 午後五時三五分 ( 通夜式場 ) 康平は、女性を式場の人がいないところに案内した。齊藤も 一緒だ。 彼女は、しつかりしている様子だったが、非常に警戒してい るように見えた。康平は、名刺を渡した。齊藤のことは北沢の 友人だと紹介した。 女性は、名刺をじっと見つめていた。そして顔を上げた時、 急に目を潤ませていた。 「如何、されましたか ? 」 康平は訊いた。康平の背後で斎藤がじっと彼女を見つめてい 「私、楙原朋子といいます。実は、銀座のクラブ『マリ』にお ります」 「北沢とは ? 「パシフィコ・クレジットの反社融資といってもたいしたこと はありません。総会屋に巨額の融資をした大洋産業銀行事件と は、全く違います。とにかく記者の動きには注意を払ってくだ さい 「私もご一緒しましようか」 山村が言った。 「君はいい。 私が報告します」と倉品は言い、山村に近づき、 「両トップを守りましよう」とその手を握り締めた。山村は握り 返してこないで、冷え冷えとした目で倉品を見つめていた。 る。 「おっき合いをしておりまして、結婚も考えていました」 朋子は、淡々と言った。 「結婚 ? 」 齊藤が、驚きの声をあげた。康平も、同様に目を見開いた。 「最初は、本気でなかったのです。実は、北沢さんとは婚活サ イトで知り合いました」 「婚活サイト ? 」 聞き慣れない言葉に康平は首を傾げた。 朋子は、バッグからスマ 1 トフォンを取りだすと、画面を康 平に見せた。そこには北沢の写真とプロフィールが写っていた。 「これは結婚相談所のサイトです。ここに男女が入会して、お 互いのプロフィールを掲載します。そして相談所を通じて気に いった人とお見合いするんです 「おい、見せてみろよ」 齊藤が手を延ばし、スマ 1 トフォンを手に取った。 「やナこ、、 男こ写っているな」 「ええ、適度に修正を加えていますので、実物よりよく写って いますー 朋子は、微笑んだ。不謹慎だと思ったのか、再び、真面目な 表情に戻った。 「この結婚相談所のサイトを通じて北沢と知り合ったというの ですか」 康平が訊いた 「俺も、あんたみたいな人と知り合えるなら、サイトに登録し ようかな」 齊藤が、冗談ほく言いながらスマ 1 トフォンを朋子に返した。 江上剛 192
八神は、今にも怒鳴り出すのではないかと思われるほど、顔 八神は、首を傾げて岸川を見た。 をひきつらせた。 「当然、金を借りるためだよ。今、暴力団は、一切の金融にア クセスできない。そこで < 社の社員の名義を借りて、車を買っ 「知らなかったで済むと思っているんでしようか。知らぬ存ぜ てんたい たり、中にはこれを転貸して利ザヤを稼いだりしているんだろ ぬという態度が、何もしていないことの言い訳になるはずがな うね」 い。ところで顧問は、北沢は反社に殺されたと考えておられる のですか , 「ほほう、初めて聞く話ですね 岸川は、感、いしたように大きく頷いた 岸川は八神におもねるような笑みを投げかけた。 「そりやそうだよ。北沢には、誰にも話すなと釘を刺したから 「それ以外、何が考えられるんだ。あのパシフィコ・クレジッ トの問題は闇が深い。私は、北沢から、一度、興味深い報告をね。しかしこれが表ざたになったら、大変なスキャンダルだよ。 それは社に留まらない。社に影響し、旧大洋産業銀行に波 受けたことがある」 及するだろう。その結果、ミズナミフィナンシャルグル 1 プも 八神は遠くを見つめるような目になった。 無傷では済まない , 「どんな報告ですか ? 八神は深刻な表情で岸川を見つめた。 岸川が興味深そうな表情をした。 八神は、窓から外に視線を移した。車は、高速道路を下り、 「顧問は、この事実を封印されたのですか : 岸川は訊いた。 環状八号線に入った。このまま進めば、荻窪だ。 八神の性格からすれば、これだけの重要な事実を看過するわ 「パシフィコ・クレジットは、旧大洋産業銀行の闇が隠れてい けはないと思うのだが : るというんだよ」 「さあ、どうだろうね。いすれにしても北沢が殺されたことに 八神は静かに話し始めた。 「それは面白い 反社が絡んでいると、私が信じる理由は分かってもらえたと思 岸川は、八神の方に身を乗りだすようにした。 八神は、薄く笑った。 「旧大洋産業銀行はという有名な食品会社と親密な取引をし ている。この会社の社長が、資材納入会社と組んで裏金を作「問題の根は深そうですねー 岸川が呟いた。 り、私的に流用していた。それを知った暴力団関係者に脅され たんだ。そこで言われるままに社の社員の名義を暴力団に貸「ああ、深い。そして北沢の無念を晴らしてやらねばなるまい。 したそうだ」 それは我々のやるべきことだ」 「なんのためですか」 八神は、再び、窓外に視線を移した。 185 抗争ー - ー巨大銀行が溶融した日