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検索対象: 小説トリッパー 2014年冬季号
217件見つかりました。

1. 小説トリッパー 2014年冬季号

会部の鎌谷です」 らに関心を寄せているのだ。このチャンス逃してはならない ほら応答がないだろうと真嶋が言うより早く、鎌谷はスマホ し、ましてや自分で潰すような下手な応答もってのほかだ。 を返してきた。 「はい」 「切れてるじゃないか」 真嶋はまず返事をして、それから大きく、なずき、そうやっ 「そんなはずは て少し時間を稼ぎつつ素早く頭を回転させ慎重に応答する。 切れているとしたら、切られたのだ。こいっ勝手に切ったな、 「この前に彼からかかってきたとき、ロー ーの使用はやめろ と頭に血が上る。真嶋は憤りをそれでもこらえて、スマホの音 と言ったからだと思われます。呉 声を聞くが、鎌谷の言うとおりだ。無音。 いけない、気をつけていたのについ名前で言いそうになっ 「なにをするんですか」と真嶋は抗議する。 た。姓は呉、名は大麻良。でかまら、はまいし 、や、本名だ 「なにつて、なんの話だ」と鎌谷。 から真実を言うことになんら問題はないのが、相手の心象を 大河内が声をかけてこなければ真嶋は鎌谷につかみかかって思えば、ここは少しでもふざけた感じを持たれてはならない。 いたかもしれない。 名付けられた当人にはなんの責任もないのにと真嶋は、呉自身 「ツクダジマ特区からというのは間違いないのかい」 の自分の名への複雑な気持ちを初めて思いやる気になった。 「はい、デスク」真嶋は深呼吸をして大河内に答える。「午後早「呉は」と真嶋はもう一度言い直し、続けた。「それが彼の名で くかかってきたときは特区で仕事をしているとのことでした。 すが、ローダーを使用して仕事をしていて、その不具合に巻き おそらくいまもそこだと思われます 込まれた可能性があります。わたしが、そのタイプのロ 1 ダ 1 「そことは、特区のどこかから助けを求める電話をかけてきた は使うなと電話で言ったので、不具合の対応策をわたしが知っ とい、つのか ている、教えてもらおう、わたしなら助けられる、そう思った 「はい」 主な登場人物 「事件事故なら警察か消防だろう。なせきみにかけてきたのか 真嶋兼利 : : : 新聞社生活文化部の記者 心当たりはあるのか」 呉大麻良 : : : 老人介護施設の元職員。退職金代わりに施設のパワー ロ 1 ダ 1 を持ち出し、フリ 1 の訪問介護を開業する。入所者を虐 大河内デスクの口調は先ほどよりも少し緊張したものに変わっ 待していた疑いをもたれ、間嶋の取材を受ける ている。 竹村・ : ・ : ックダジマ・ゲートアイランドの超高層マンションに住 ここは軽軽しく返答してはならないところだと真嶋は自分に む上流階級の女。呉に父親の介護を依頼する。呉の持っパワ 1 ロ 1 言い聞かせる。隣に立っている鎌谷への私憤じみた感情は忘れ、 ダ 1 を装着し、彼に襲いかかる デスクとのやり取りに集中しなくてはならない。デスクはこち 109 オーパーロードの街

2. 小説トリッパー 2014年冬季号

そのハ 1 ディは、至高の英雄であるグスタフ・マーラーを輝かんと聴いとかないといけないんだ。この夜の演奏を忘れないよ せ、そしてマーラーは、私たち人間がすべて、この日、このよ うに見てなきゃいけないんだ。細かいところを忘れないように うな運命に翻弄されることを、遠い過去から今、指し示してい しよう。でないと、どっかで兵藤さんとこの夜の話をする時に、 るのだと。 信用してもらえない。今夜だけの特別なことが、なんか起こら 堀もまた運命を感じつつ、我慢して席に座り続けていた。常 ないかな。なんか印象的なことが。地震とかそうい、つこととは にも増して緊張した面持ちで、よく判らないが難しいに決まっ 別に、彼女が今夜やることで、なんかないかな。堀は音楽を追 ひょうどう ている演奏に必死で食らいついている兵藤みのりさんは、今ま うのをやめて、兵藤さんの腕や表情ばかりを、いつもよりさら に倍、集中して見つめることにした。 でにないほど美しく、かっこいいと、堀は満足だった。音楽は そろそろだるい長さになってきたけれど、長ければ長いほど彼 八木のような、あるいは堀のような陶酔は、オ 1 ケストラや 女を見ていられるのだし、兵藤さんの演奏している音楽を退屈 1 ディはもとより、永瀬にとっても無縁のものだった。永瀬 だなんて思ってはいけない。もっとぶっちやけていえば、今夜はこのコンサ 1 トが、あまたあるオーケストラの定期演奏会の 一つであることを、あえていえば、一つでしかないことをわき この場で最も大事なのは、今夜この場にオレが、兵藤みのりた だ一人を見るためにだけ来ているということであって、音楽は まえていた。これが他の定期公演よりも特別であるとすれば、 それはディヴィッド その次か、次の次くらいの重要性しか持たないのである。堀は ・ハ 1 ディの新世界交響楽団就任初の記念 客数を数えたくてしかたがなかったが、 広いホ 1 ルに客がまば コンサ 1 トであること、これから数年をかけて行われる、 こ、つし らすぎて、カウントしきれなかった。まあ百人かそこらだろう。 ディと新世界響によるマ 1 ラ 1 の交響曲全曲演奏の嚆矢である そのうち音楽や指揮者を二の次にして、ほかでもない兵藤みの ことくらいだった。それが東北地方で発生したという大きな地 りさんだけを見に来ている奴は、自分ひとりと断言していいん震の当日に行われたことだの、演目が第五交響曲であることな じゃないだろうか。今夜の演奏が彼女にとって特別なもの、死どは、、 しうまでもなくただの偶然であり、全曲演奏の第一弾に ぬまで忘れられないものになることは間違いない。その演奏を選ばれたのも、「マラ 5 」 ( クラシック通や「インサイダ 1 が、 今、オレが聴いている。オレが同じ場所にいる。もし、もしそ脂下がって口にするこの手の略称ー「プラ 1 」「アイネク」「ド ヴォコン が、永瀬には嫌悪を感じるというより、恥ずか のことを彼女がいっか知ったら、どんなに喜んでくれるだろう。 どんなに感動するだろう。それはまるで、兵藤さんとオレ、一一しくて仕方がなかった ) が最も知られているからという以上の 人だけの秘密みたいなもんになるんじゃないだろうか。 理由があったとは思われなかった。 あ、そうか。堀は椅子の前のほうに尻を据え、頭を背もたれ 永瀬がこの交響曲を演奏会で聴くのはこれが二十二度目だっ にくつつけていたのを、深く座りなおした。だからオレは、ちゃ た。バーンスタインや小澤征爾といった名手たちの演奏も含ま やにさ 297 あの日、マーラーが

3. 小説トリッパー 2014年冬季号

犬も食わない 「なんということだ。私は反社融資のことなど : ばならないんですか。私だって報告を受けてはいません。金融 大塚は絶句した。 庁にそう説明しました」 「今晩辺りは、会長や頭取の自宅に記者が張っているかもしれ 大塚は声を震わせた。 ません。お気をつけください 「いえ、なにも私は責任逃れをしようというのではありません。 倉品が重々しく言い、眉をひそめた。 私もガバナンスル 1 ルから言えば、反社融資の実態の報告を受 「この記者の問題は、反社融資の実態を現経営陣が報告を受け、 け得る立場ではあります。報告を受けていないという責任はあ 知っていたと言っていることですね。しかし私は、パシフィコ・ ります。しかし受けていないのは事実です。知らないことの報 クレジットの反社融資の実態など説明を受けた覚えがありませ告がなかったとしても、ないことが異常だとは気がっかない。 ん。金融検査官にもそう説明しました。反社融資については、 そうじゃありませんか。知り得る立場にはありましたが、知ら コンプライアンス委員会、取締役会に報告することになってい なかったのです。知っていれば、適切に対処しました。でも大 ます。私が、 報告を受けなかったとい、つことは、許されること塚さんは違うでしよう ? ハシフィコ・クレジットは旧大洋産 ではないと思っております。責任は痛感しています。しかし、 業銀行のメイン先です。あなたがその実態の報告を受けていな 本当に私は、そのどちらの会議においても報告を受けた記憶が いということはありえないと思うのが、世間の常識ではないで ないんです。大塚さんは、前任の八神さんから引き継ぎなさっ しよ、つか」 たのでしようか」 藤沼は、パシフィコ・クレジットの問題は、大洋産業銀行の 藤沼はこう言、つと、突き刺さるような視線を大塚に向けた。 問題であるとの認識がどこかにあるのであろう。それは経営統 「何をおっしやるんですか。なぜ私が八神さんから引き継がね合の際、お互いの問題企業についてはそれぞれの銀行の責任で 絶体絶命の夫婦の危機 ! 上沼恵美子上沼真平 年間の結婚生活で繰り広げられてきた、 すさまじくも爆笑の夫婦げんかの結末は ? 朝日文庫 最新けんか話 4 編を加筆′ できれは同じお墓に 入りたい : 腹が立 0 ・定価 691 円 ( 税込 ) ISBN 978-4-02-261793-4 ASAHI お求めは書店、 ASA ( 朝日新聞販売所 ) でどうそ。朝日新聞出版 203 抗争ーー・巨大銀行が溶融した日

4. 小説トリッパー 2014年冬季号

と呼び、懐いてくれている。「刑事のおじちゃんは、正義の味方 怒りは、決意へと変わってゆく。 大石が可能であれば遺体を見るのは、このためだ。 なんでしよなんて言われたときには、どんな困難でも乗り越 えてゆける気分になった。今、大石にとって唯一にして最大の 被害者の無念を肌で感じ、胸に怒りの炎を灯し、犯人を必ず 願いは、この姪っ子が健やかに幸せに育ってくれること、ただ捕まえて落とし前をつけさせるという、決意を新たにする。 それだけだ。 大石は手を合わせて、もの言わぬ三人に告げた。 この子だって、きっと 「必す、捕まえてやるからな ! あんたたちをこんなふうにし たやつを絶対に許さない。なんとしても無念を晴らしてやるか そう、今、目の前で血の気をなくし目を閉じているこの子だっ らな ! 」 て、きっと誰かに健勝と幸福を願われたに違いない。おそらく は、一緒に死んでいた母親と祖母こそが、その誰かだ。 不意に、視界の隅で何かが動くのを感じてそちらを見ると、 大石は姪っ子が、同じくらいの年頃だったときのことを思い 検視を手伝っていた所轄の捜査員が、立ち上がり、大石に感化 出す。 されたように遺体に手を合わせていた。背広の上から、作業用 のプルゾンを羽織っている。鑑識ではなく私服刑事なのだろう。 まだまだ舌っ足らずで大石のことを「け 1 じのおいひやん」 と呼んでいた。『アンパンマン』のアニメが大好きで、毎週録画 「西多摩署の刑事か ? して繰り返し見ているのだと妹が言っていた 9 大石が尋ねると、その捜査員は「はい ! 」と短く大きな返事 を返した。 この子も、あの頃の姪っ子と同じように喋ったのだろうか ? 若い。おそらくまだ二〇代の前半だろう。刑事に成り立てな この子は、何が好きで、誕生日には何をねだるのだろうか ? のかもしれない。その分、擦れていない、いい目をしている。 しかしこの子に、もう誕生日は訪れない 「俺は一課の大石だ。たぶん、この現場を仕切ることになると きっとまだ、この世界の楽しいものや美しいものをほとんど ホシ 思う。早期解決だ。何がなんでも、犯人をあげるぞ ! 」 何も知らないまま、理不尽に命を奪われたのだ。 その小さな身体に二カ所、大きく深い刺し傷がある。どんな 「はい 若い刑事は、先ほどよりも大きく力強い返事を返してきた。 に恐ろしかっただろうか。どんなに痛かっただろうか。そして、 どんなに悲しかっただろうか 分かりました。今夜八時。は この子は、こんなふうに殺されるために、生まれてきたわけ 「特捜、西多摩署ですね。はい、 くらしな じゃない。なのに、殺された。冷酷に、無慈悲に。こんなこと い、倉科検事に伝えます えんどうよしはる 遠藤善治は受話器を置くと顔を上げ、部屋の奥に設置された があっていいわけがない。どんな理由があろうとも、こんな所 行は決して許されない。許しては、いけない。 大きな執務机で一心不乱にペンを走らせている倉科に声をかけ 83 断罪の果実

5. 小説トリッパー 2014年冬季号

康平は冷たい目で倉品を見つめた。倉品は、手帳を取り出し、 銀行と癒着しているから銀行に嫌われたくないと思っている。 スケジュ 1 ルを確認していたが、「重要な予定と重なっているな。 社会部の記者なんか引き合わせようものなら広報から文句が出 後で秘書に香典を君のところに持って行かせるから、悪いが代るに決まっている。なぜあんな遠慮会釈もない奴と会わなきや 理をお願いできるか。と言った。 いけないんだと金切り声を挙げるだろう。だから社会部の記者 康平は、頭を下げ、倉品の顔をまともに見ず「分かりました」を銀行だろうとどこだろうと企業に紹介するような酔狂な経済 部記者はいない。 と答えた。血が滲むほど、唇を噛みしめていた。 以前は、経済部記者と銀行との癒着はこれほど酷くなかった。 今は、最低レベルだ。何も酒や金品の接待を受けるわけじゃな 銀行が、特に都市銀行があれもこれも合併や統合をし、数 がなくなってしまったことが癒着の原因だ。 ニ 0 一三年六月ニ十七日 ( 木 ) 午前十一時 00 分 ( 日銀記者ク 以前なら銀行が情報の出し渋りをすれば、銀行、 0 銀行 ラブ ) きょはらたけし に行けば良かった。そうすると何らかの情報を得られたものだ。 朝毎新聞社会部記者清原武は、日銀記者クラブの朝毎新聞に ところが最近はメガバンク化が進み、都市銀行の数はたった四 割り当てられたデスクに座って所在なげに新聞を読んでいた。 昨日の朝、ミズナミフィナンシャルグル 1 プの行員が殺されつになってしまった。これではどこかが情報の出し渋りをすれ たというニュ 1 スが飛び込んできた。 ば、なにも擱めない。そこで経済部記者たちは銀行への出入り 殺されたのは、北沢敏樹、四十八歳ということしか分からな差し止めを喰らわないように、嫌われるような記事を書くのを 止めたってわけだ。これを癒着と言わないでなんというか ! すわっ、金融スキャンダルかと小躍りして関係セクションに この癒着で社会部記者がとばっちりを受けるとは思わなかっ 日 た 当たったのだが、 戦果ははかばかしくない た。社会部記者が銀行が喜ぶような記事を書くわけがない。だ し 融 捜査一課はロが固い。銀行に関わる事件だからいつもより慎から経済部記者とタッグを組んで、できるだけ近づけないよう にしているというわけだ。 重に対応しているんだろう。 まともな情報が取れないまま、とりあえず夕刊には警察発表銀 ミズナミフィナンシャルグル 1 プの広報に電話をしても誰も 巨 出やしない。記者会見があるという情報が流れてきたので、今 の事件の概要だけを掲載した。こんなことではデスクにとっち か今かと待っていたが、どうも実施する様子はない。結局、待められてしまうと危機感を抱いていたら、突然、ミズナミフィ 抗 ちばうけを喰らわされてしまった。 ナンシャルグループの広報が事件に関するリ丿ー スペーパ 配布し、記者レクをするらしいという情報が入ってきた。 経済部の記者に広報を紹介してくれと頼んだが、あいつらは

6. 小説トリッパー 2014年冬季号

になっていた。二十歳前後だろうか。すでに陣痛がはじまって 彼女たちを見て気がついたのは、若い子が多いということだっ た。若いといっても二十歳そこそこではない。十代半ばぐらい いるらしく、腰の骨を両手で押さえて、うめき声を出しながら 歯を食いしばって痛みに耐えている。 の子供にしか見えない女の子が大きなお腹を突き出していて、 ジェシカが「大丈夫 ? 」と声をかけるが、脂汗にまみれてう 中には一人、二人すでに赤ちゃんをつれている子もいる。 なずくだけで返事をする余裕がない。以前妻から聞いた話では、 私は陰山さんに言った。 「十代での出産が多いっておっしやってましたよね。この国の陣痛の痛みは骨盤を巨大な金槌で思い切り叩かれているような ものだというから、他人に構っている余裕などないのだろう。 女性は、中絶とか避妊とかしないんですか」 ジェシカは苦笑いして言った。 「ホンジュラスではカトリックが九割なんで中絶が禁じられて 「妊婦さんは、ここで子宮口が開くまで待ってから、隣の分娩 いるんです。女性がする避妊については、避妊注射が一般的で、 保健所へ行けば無償でやってもらえます。一度の注射で三カ月室へ行くんです。赤ちゃんの頭が出てきたら、お医者さんが診 察室からやってきて産みます」 ぐらい避妊効果があるみたいです」 「お医者さんは一人しかいないんですよね ? お医者さんが家 海外ではホルモン剤による避妊注射は広く行われている。コ に帰っている間に生まれそうになったらどうするんですか ンド 1 ムのような性感染症の予防効果はないが、避妊率は九十 「そうしたら当直のナ 1 スで何とかします。 九パーセントといわれている。 一瞬耳を疑ったが、考えてみれば日本の地方だってそんなも 「でも、避妊注射の普及率は十五パ 1 セントから二十パ 1 セン のなのだ。私の妻は実家のある田舎で里帰り出産をしたが、市 トぐらい。地方の人ですと保健所まで行く交通手段がなかった 内にお産ができる病院が一つしかなく、妻が午前五時頃に分娩 り、保健所に行ったら看護師さんに浮気をしているんじゃない 室に運ばれた時、医師は自宅に帰って眠っていたために看護師 かって疑われたりするので、なかなか広まらないんですよ」 たしかに地方に暮らす十代の女性が遠くの保健所まで避妊注二人がお産を見守ることになり、医師が来たのは出産の三分前 す だった。逆に言えば、産むという事象の前で医師にできること 射を受けに行くのは、敷居がかなり高いだろう。 ま など限られているのだ。もっとも一般的な日本人ならクレーム 廊下を進んでいくと、いくつか並ぶ部屋の奥から生体情報モ を 耳 をつけるだろ、つけど。 ニタ 1 が発するピッピッピッという音が聞こえてくる。なんだ 声 陰山さんが陣痛室の女性を見て言った。 ろう。ジェシカは私の視線に気がついて立ち止まった。 産 の 「ここの部屋の妊婦さん、二人とも普段着ですよね。ホンジュ 「ここは陣痛室と分娩室なんです。さっき許可を取ったので入っ ラスの女性って家庭を大切にするので、ギリギリまで家族の食世 てもいいですよ」 陣痛室のドアを開けると、妊婦が二人、点滴を受けたまま横事をつくろうとか、掃除をしようとして、もう耐えられないと

7. 小説トリッパー 2014年冬季号

凜は早速、母親との連絡帳で栞の努力を誉め称えた。 その日の献立には固ゆでタマゴが出たのだが、大河の戻した 『今日、栞ちゃんが苦手だったピ 1 マンの入った給食を完食し食器にはそれがなかったのだ。 ました ! 園では特に指導はしていなかったので、これもご家「ええつ、今日は大河くんがやってくれたの ? 庭でのしつけの賜物だと思います』 凜はしばらく口を半開きにした。大河のタマゴ嫌いは少し変 ところが好き嫌いの解消は栞一人に留まらなかった。次の日わっていて、タマゴ焼きのように元々の形からすっかり形状が には仁希人がやはり嫌いなニンジンサラダを残さなかったのだ。 変わったものならともかく、原初の形を残すものは絶対に受け 「仁希人くんまでどうしちゃったの」 付けないのだと言う。きっと気分的なものだろうと母親がゆで 凜は半ば驚き半ば呆れた。何しろ仁希人のニンジン嫌いは筋タマゴを刻んでサンドイッチに挟んだところ、大河はすぐさま 金入りで、献立の中にニンジンの欠片でも見つけるとその場で嘔吐したらしい。本人の弁によればあの一種硫黄臭いのが堪ら なく気持ち悪いそうだ。 地団駄を踏むといった具合だ。母親の話によれば、家で父親が すがぬまえり 無理やり食べさせようとしたところ、手の付けられない暴れ方 大河の母親菅沼恵利は子供にいささか強圧的な傾向がある。 しつけ をしたらしい 勉強にしても躾にしても、自分の思惑通りに仕上げようとして そんな仁希人がニンジン嫌いを克服したのだ。問題行動の目大河にはロうるさくしているらしい。食べ物も同様で、「好き嫌 立たない栞の時よりも、これは画期的な出来事のように思えた。 いがあったら碌な大人にはならない」とばかり無理強いをして 「今日のサラダ、いつもよりニンジンが多めに入っていたのに。 いるフシも見受けられる。 昨日の栞ちゃんに続いて苦手なおかず完食じゃない 無理強いさせられた大河は逃げることを思いついた。つまり 給食に出されたゆでタマゴを殻をむいてそのまま家に持ち帰り、 「んー、やつばり給食は残しちゃいけないから : : : 」 自室のゴミ箱に廃棄しておいたのだ。数週間後、暑い時期だっ 仁希人は昨日の栞を真似てそう言う。仁希人は自分をあまり 、つじ 自慢する子供ではないが、それでもこの振る舞いは少なからずたのでタマゴに湧いた蛆が大量のハエに成育し、部屋中を飛び 交った。 凜を感動させた。 そうした強烈なエピソ 1 ドの持主であるだけに、大河の完食 「偉い、仁希人くん。好き嫌いを無くしたことも偉いけど、そ れを偉ぶらないのも偉い。よくできました ! 」 は一層意外だったのだ。 「大河くん、ゆでタマゴの臭いが苦手だったはずでしよ。、 すると仁希人は満更でもない様子で頭を掻く。これはこれで 可愛い仕草に思えた。 たい、どうやって食べたの」 つま 嬉しい驚きは連続する。そのまた次の日、今度は大河が同様「鼻、摘んで食べたんだよ . 大河は先の二人と違い、鼻高々で誇らしげに語る。 の奇跡を見せてくれた。 たいが おう 中山七里 244

8. 小説トリッパー 2014年冬季号

働けない人たちは、働けないというそのは『告白』や『悪人』などヒット作連発が高等中学校の哲学教師を辞めて工場で ことだけで、自信を失い苦しんでいる。 の映画プロデュ 1 サ 1 。初小説『世界か働いた日記である。労働者の現実を知る 工藤啓と西田亮介による『無業社会』をら猫が消えたなら』もベストセラ 1 になっ ために働いたのだが、とにかくつらい日々 読むとつらくなる。働けない若者たちに た。「仕事。』に登場するのは、山田洋次だ。仕事はきつく、給料は安く、上司は ついてのルボである。潜在若年無業者四や沢木耕太郎、宮崎駿、坂本龍一ら十一一理不尽で、職場の雰囲気も悪い。ヴェイ 八三万人、若者の十六人に一人が無業と人。 ュにとっての労働は苦役だ。だがこれを いうデ 1 タに驚く。第二章に働けない若 人は誰でも自分の仕事について語ると一九三〇年代という遠い昔のことだといっ 者七人の実例が紹介されている。入った き能弁になる。こうしてやってきたといて片づけられるだろうか。現代でも低賃 会社がプラックで、しかも退職勧奨されう具体的な事実の裏づけと自信があるか金の単純労働を強いられている人はたく た若者。応募した一〇〇社から断られてらだ。自信のある人の話を聞くのは楽しさんいる。人は苦役のなかにも自分の存 自信を失った若者。面接が苦手で引きこ い。ポジテイプな気持ちになる。とはい 在意義を見出そうと努力する。意義が見 もってしまった若者。個々のケ 1 スを読 え、今野や礫川の本を読んだあとでは、 つけられなかったとき、心が折れてしま むと「多かれ少なかれ、原因は自分にあ「いかがなものか」と思う発言も散見されう。 るんじゃないの ? 」といいたくなる。しる。たとえば倉本聰が、二十代のころを ミリアム・グラックスマンの『「労働 かし落ち着いて全体を見回すと、グロテ振り返って「誰かから、世間から抜きんの社会分析』は、ヴェイユがフランスの スクな現実が見えてくる。つまり、企業出るには、やつばりどこかで無理をしな工場で働いていたのとほば同じ時期に、 が求める標準型から少しでも外れると働 いといけない。だから、僕は睡眠時間 2 イギリスで働いていた女性たちにインタ けない。労働市場から排除されるのだ。 時間だった時期のめちゃくちゃな無理が ビュ 1 したオ 1 ラル・ヒストリ 1 である。 いびつな果物が青物市場に出荷されない 財産ですねーなどというところ。成功し男が働くことと女が働くこととは違う、 ように。企業は労働者に完璧を求めすぎたから「財産ですねーなどといっていら という事実に気づき、たじろぐ。つまり だ。いまの企業は「こいつはちょっと難れるが、それで死んだり自殺に追い込ま イギリスの女性たちにとっても工場の日々 ありだけど、まあ、雇ってみるか」とい れた人は浮かばれない。老人たちのこう は決して楽なものではなかったけれども、 う余裕がない。 した無責任な言動がプラック企業をはび彼女たちが働くのは工場だけではなかっ 川村元気の『仕事。』は、いわゆる一流こらせるのではないか。 たのだ。工場で働く前後には家事労働が クリエイタ 1 たちに職業観や労働観、こ シモーヌ・ヴェイユの『エ場日記』が待っている。未婚のときは娘として、結 れまでの人生などを聞いた対談集。川村ちくま学芸文庫に入った。若きヴェイユ婚してからは妻として母として、ダブル、 永江朗 168

9. 小説トリッパー 2014年冬季号

い。一日かけてもせいぜい、 400 字詰め原稿用紙換算で 300 警官は去っていった。またばんやりと歩いていると、今度は、 枚前後を執筆するのが限界だった。私にとってはスロ 1 なペ 1 道路を挟んだ向こうの歩道に、ランニング中の野田正樹君を見 スだ。 力。ん それでもなんとか恋愛小説を書き終えたのだけど、プリント 「蜜柑さん ! ひさしぶりだねー すいこ、つ アウトした状態でほったらかしにした。推敲する意欲もわかな 彼はそう一言って近づいてこようとしたのだが、私の顔を見て、 い。誰かに読んでもらいたいという気持ちも。いや、一人だけ、 はっとした表情になる。 しぎやく 読んでもらいたい人がいる。だけど私は首をふって頭の中から 「蜜柑さんが、嗜虐心をそそる弱々しい顔をしている ! 」 その人を追い出した。 そうさけんで、猛烈な勢いでいすこかへ走り去った。私はと お腹がへった。落ち込んでいても、何かを食べたくなるものりあえず、歩き続けた。 だ。食料を切らしているので、買い出しに行かないといけない。 今度はコンビニの近所で葉山先輩に会った。 私はパジャマから外着に着替えると、顔を洗って、簡単に髪を 「蜜柑 整える。とりあえず、歩いて数分のところにあるコンビニで食 交差点の角をまがったところで、私に気づいたようだ。こん 」 2 十つは・ 。おひさしぶりです : ・ べ物を買って、今日という日を乗り切ろう。 ドアを開けて、外に出た。太陽の光が、私の目と頭に射すよ 「あんた、おひさしぶりじゃないよ ! この一週間、心配して うな痛みを起こす。出来るだけ建物の日陰を移動した。 たんだから ! 何回もたずねたのよ ! 玄関のドアをたたいた 「そこのお嬢さん、この辺で不審者を見かけませんでしたか ? のに、無視したでしよう ! 」 ふらふらと歩いていたら、制服を着た若い警官に出くわした。 あれは先輩だったんですね。 以前、師匠が大学にやってきたとき、葉山先輩の通報でやって 葉山先輩はため息をつく。怒っているが、どこかほっとした きた人だ。いえ、見てないです : : : 。私は頭をおさえて答える。 ような表情だ 「そうですか。実はですね、サッカシボウがこの周辺をうろっ 「まったく、ひどい顔をして 。もの凄く嗜虐心をそそられ いているという通報を受けたのです。おや ? あなた、この前る顔をしているわよ」 はあ : のサッカシボウ大学乱入事件の際のお嬢さんではありませんか ? 」 はあ : 。なんだか、頭がばんやりして、警官の話が頭に入っ 「ちょっと、本当に大丈夫 ? てこなかった。太陽がまぶしくて、体がふらついてしまう。 葉山先輩は私の肩を支えてくれた。それにしても、今日はよ 「ご安心を。今度は逃がしません。とっ捕まえて、射殺してやく知っている人と会う。こんなことなら、ちゃんと化粧をして る ! 本官は人を射殺してみたくて警官になったのです ! 」 くるのだった。まったく、散々だ 。涙が出てきそうだ : 35 サッカシボウ狂想曲

10. 小説トリッパー 2014年冬季号

体です』 呉はそう反駁しながら、どきりとする。この記者はどうして 「だれがやったんだー そう思うのだろう。こちらが関係していると、どうしてそのよ 『不明ですが、あなたに心当たりはありますか』 うに考えられるのか、その根拠はなんだろう。いま聞かされた 「あるわけないだろう。あんたはいまどこだ」 〈黒い絨毯〉とかいう闇サイトと関係あるのか。そうだ、黒いな 『ム 1 ンプリッジのゲ 1 ト前です。封鎖されていて入れません。 んとやらは先の取材のとき、あの喫茶店で、別れ際にあの記者 他のゲートも、全部です』 が言っていたような覚えがある。いったいどういうサイトなん 「どうしてそんなおおげさなことをしなくてはならないんだ」 だろう。ロ 1 ダ 1 を使うなとか電話で言っていたし、この記者 『わかりません。が、思い当たることはいくつかあります』 は、その闇サイトからなにを擱んだのだ ? 「聞かせてくれ , 『大声であなたの本名を呼んでもいいんですか ? 』 『それは言えません。ですがー』 「近くに警官がいるのか」 「特殊機動隊が投入されたというのは本当か」 『たくさん、よ、。 ( しックダジマ特区を訪れて帰る人間の検査に 『どうしてその情報を。どこから仕入れたんですか』 動員されてます。検問ですよ。一般人は入ることはできません。 「言えないな」 一方通行です』 『〈黒い絨毯〉ですね』 「なるほど、だいたい様子はわかった。言っておくが、おれは 「〈黒い絨毯〉 ? 」 その事件とは関係ない」 『〈地球の意思〉というやつが書き込んでいる闇サイトです。普『ロ 1 ダーが勝手に動いたりはしてませんか』 通のサイトではないです。あなたは本当に知らないんですか 「ローダ 1 が勝手につて、なんだよ、それ」 とばけているのなら、教えてください。なにか、とてつもない 『たすけてくれって電話してきたじゃないですか。ロ 1 ダ 1 の ことが起きているようなんですが、特区内には入れてもらえな異常だったんじゃないですか。あなたのそのロ 1 ダ 1 には、ナ いし、報道管制が敷かれてるし、こんなのは ライ機能がついてますよね』 記者の饒舌を呉は遮る。 「ああ、それがどうかしたのか」 「おれはどうしてあんたから、でかさん、なんて呼ばれなくて こいつは、おれがクピになった施設での、ローダーの異常に はいけないんだ。おちよくっているのか 気がついているようだ。 『あなたの名をだれかに聞かれるとまずいと思ってのことです。 『そいつが暴走すると着ている人間が危険にさらされるだけで あなたがやったことかもしれないでしよう』 なく、ローダ 1 の意思に操られて犯罪を犯すようなことになる 「なんだよ、それ。なんでそうなるんだ」 のではないか、それを心配しています』 神林長平 130