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検索対象: 小説トリッパー 2014年冬季号
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1. 小説トリッパー 2014年冬季号

爆発記念碑は今は通称『科学不信の碑』で知られ、この 東桜島小学校の、海に向かった裏手に残っているという。 火山噴火の予測は測候所の誤った判断で大惨事となった。 理論ニ信頼セズ、とある。科学に頼るよりも島民自身の、 長年鍛えた勘を信ぜよと碑文は戒める。 東北で起こった地震と原発の大災厄が、日本列島を一足 で飛んで、九州の南端の町を恐怖させている。 桜島の大正大噴火は、明日の平成大噴火にならないとも 限らない。その三十キロ圏内に県内のいちき串木野市が位 置し、ほかならぬ鹿児島市は五十キロ圏内にほばおさまる。 桜島はその鹿児島市街から目と鼻の先、三キロの海上に浮 かんでいる。 人の大勢住む都市と、大型のランク火山がこれほど近 接している町は、世界でも稀であるらしい。 人の気配が濃くなった。通りすがりの人々がそばで何人 も立ち読みを始めていた。 「あのう、オンコロジ 1 でお会いする方ですね」 ふいに後ろから遠慮がちな男性の声がする。振り返ると センタ 1 で一、二回会った覚えのある六十がらみの人物だっ た。背が高く色白の顔に縁なしの眼鏡をかけている。 遠方から治療にやってきたような感じがした。センタ 1 に通う内にそんな勘が働くようになるのである。 二人で書店の建物を離れると、商店街のア 1 ケードを抜 けて交差点に出る。道路を渡った右手は照國神社前の公園 で、そこから左へ折れるとセンターはすぐ見えてくる。 「早瀬さんの : : : 」 と彼は腕時計を見ながら言った。 「予約は何時ですか。いや、そこの神社前の広場にも、も う一つ桜島爆発記念碑があるんですー 彼は高山という姓だった。 肺癌で千葉からきたという。 自己紹介は自分の名前と癌の部位だけで充分だ。癌が患 者の顔になる。肺癌の顔。肝臓癌の顔。膵臓癌の顔。乳癌 の顔。子宮癌。それ以上の個性はいらない。 わたしは腕時計を見た。 「まだ十五分はありますから、寄りましようかー 「足、大丈夫ですかー よそ目にも足元の定まらない様子がわかるらしい 一日の内で朝のこの時間だけが極楽である。前日の放射 線のダメージから体が何とか立ち直る。だが帰りはまたひょ ろひょろになる。その繰り返しの一ヶ月が終わる。 行実翔子が去ってから、患者同士でこんなふうに話した ことがない。横断歩道を渡って公園に入った。通りに背を 向けて大きな石碑が建っている。碑文は風化して読みにく いが、所々、刻まれた文字が浮き上がっている。 「鹿児島にはこんな爆発記念碑が十以上もあるんですよ。 これは大正五年、爆発から二年後に建てたようです」 145 焼野まで

2. 小説トリッパー 2014年冬季号

る。今度は、なかなか集中できないようだ。私が漫画をめくる 「さらに君ときたら、愛らしい顔にくわえ、実にプリティな体 型をして。そんな君が女の子座りしてちょっと髪をかきわけて と、その音に反応してふりかえる。 たりされてたらドキドキするだろ ! もっと幻減するような格 「その漫画、面白いかい ? 」 「す、すみません。私がここにいると、執筆のじゃまですよね好をしていてくれよ ! 」 「ご、ごめんなさい : 悪いことをしてしまった。私のせいで、気が散ってしまった 「その声 ! 声ね ! 鈴を転がすような声 ! かわいいんだよ ! よ、つだ。 なんなの女神か何かでいらっしゃいます」 「わ、私さえいなければ、また、さきほどのように、キ 1 タイ そのとき、部屋のドアかいきおいよくひらいた。 「うるっせえんだよ ! 」 プの音が部屋にひびいていたかもしれないのに 師匠は、ムッとした顔をする。心の底から憤るようにさけん 葉山先輩だった。目を見開いて、師匠をふみつける。 「私の蜜柑に欲情するな ! 」 「かわいいなあもう ! せめてプサイクな顔をしていてくれよ ! 「折れる ! 折れる ! 折れた ! 」 そんな愛らしい顔で後ろに座られているとドキドキして小説が 私と師匠は、何とかして葉山先輩の怒りをおさめようとする。 手につかないだろ ! 」 暴力をふるわない程度に葉山先輩はおちついた。すると、心底 「わ、私はプサイクですけど : : : 」 つまらなさそうにつぶやいた。 「おいおい、いきすぎた謙遜は嫌味だぜ ! このチャ 1 ミング 「というか、退屈なんだけど。この辺、何かないの ? 」 ガ 1 ルめ ! まったく : 蔵書漁りに飽きたらしい。師匠は困った表情を浮かべて腕を 師匠はぶつくさ言いながらパソコンに向き直り、なんとか文組む。 章をつむぎ始める。ほちっ : : 。私は出来るだけプサイクにな 「マリオカ 1 トぐらいしかないよ」 ろうと、下唇をつきだし、頬をふくらませ、眉をしかめた。今、 「観光地とかない ? 私はゲ口を吐くほどのプスになっているはずだ。これならいい 「水天宮がすぐそこにあるから、安産祈願でもしてきたらどう だろうと師匠の背中を見ると、その気配を察したのか、師匠が ちらっとふりかえる。 「なにが安産祈願だ。そんな予定ないわ」 葉山先輩は勝手にマリオカートのセッティングを始める。私 「まだかわいいわ ! むしろそれはそれでかわいいわ ! ちょっ たちは三人でマリオカ 1 トをすることになった。ニンテンドウ と変な顔をしたぐらいじゃだめさ ! 」 「ま、まだ、だめですか ! 」 のやつである。それ以外に多人数で出来るゲ 1 ムはなかった。 31 サッカシボウ狂想曲

3. 小説トリッパー 2014年冬季号

い。一日かけてもせいぜい、 400 字詰め原稿用紙換算で 300 警官は去っていった。またばんやりと歩いていると、今度は、 枚前後を執筆するのが限界だった。私にとってはスロ 1 なペ 1 道路を挟んだ向こうの歩道に、ランニング中の野田正樹君を見 スだ。 力。ん それでもなんとか恋愛小説を書き終えたのだけど、プリント 「蜜柑さん ! ひさしぶりだねー すいこ、つ アウトした状態でほったらかしにした。推敲する意欲もわかな 彼はそう一言って近づいてこようとしたのだが、私の顔を見て、 い。誰かに読んでもらいたいという気持ちも。いや、一人だけ、 はっとした表情になる。 しぎやく 読んでもらいたい人がいる。だけど私は首をふって頭の中から 「蜜柑さんが、嗜虐心をそそる弱々しい顔をしている ! 」 その人を追い出した。 そうさけんで、猛烈な勢いでいすこかへ走り去った。私はと お腹がへった。落ち込んでいても、何かを食べたくなるものりあえず、歩き続けた。 だ。食料を切らしているので、買い出しに行かないといけない。 今度はコンビニの近所で葉山先輩に会った。 私はパジャマから外着に着替えると、顔を洗って、簡単に髪を 「蜜柑 整える。とりあえず、歩いて数分のところにあるコンビニで食 交差点の角をまがったところで、私に気づいたようだ。こん 」 2 十つは・ 。おひさしぶりです : ・ べ物を買って、今日という日を乗り切ろう。 ドアを開けて、外に出た。太陽の光が、私の目と頭に射すよ 「あんた、おひさしぶりじゃないよ ! この一週間、心配して うな痛みを起こす。出来るだけ建物の日陰を移動した。 たんだから ! 何回もたずねたのよ ! 玄関のドアをたたいた 「そこのお嬢さん、この辺で不審者を見かけませんでしたか ? のに、無視したでしよう ! 」 ふらふらと歩いていたら、制服を着た若い警官に出くわした。 あれは先輩だったんですね。 以前、師匠が大学にやってきたとき、葉山先輩の通報でやって 葉山先輩はため息をつく。怒っているが、どこかほっとした きた人だ。いえ、見てないです : : : 。私は頭をおさえて答える。 ような表情だ 「そうですか。実はですね、サッカシボウがこの周辺をうろっ 「まったく、ひどい顔をして 。もの凄く嗜虐心をそそられ いているという通報を受けたのです。おや ? あなた、この前る顔をしているわよ」 はあ : のサッカシボウ大学乱入事件の際のお嬢さんではありませんか ? 」 はあ : 。なんだか、頭がばんやりして、警官の話が頭に入っ 「ちょっと、本当に大丈夫 ? てこなかった。太陽がまぶしくて、体がふらついてしまう。 葉山先輩は私の肩を支えてくれた。それにしても、今日はよ 「ご安心を。今度は逃がしません。とっ捕まえて、射殺してやく知っている人と会う。こんなことなら、ちゃんと化粧をして る ! 本官は人を射殺してみたくて警官になったのです ! 」 くるのだった。まったく、散々だ 。涙が出てきそうだ : 35 サッカシボウ狂想曲

4. 小説トリッパー 2014年冬季号

柿沢は、腕を延ばし、受話器をんだ。 「はい、 柿沢ですが」 何も返事がない。かすかに息遣いが聞こえるような気がする。 「もしもし、誰ですか」 柿沢は苛々した口調で言った。 「反社会的勢力に関する報告はコンプライアンス委員会や取締 役会にも報告されています。大塚会長も藤沼頭取も、実態を知っ ています。報告しなくなったのは最近のことです。北沢さんは、 トップの指一小を受けてあなたがたに嘘を報告したのです。それ で死んだのです [ 男の声だ。低く、ややかすれている。口をふさいで話してい るよ、つだ。 柿沢は、男が話す内容に驚愕した。 「何を言っているんですか ? はっきりと話してください」 柿沢は声を荒らげた。 「反社会的勢力に関する報告が担当役員止まりというのは嘘で 電話は唐突に切れた。 「どんな内容だったのですかー 蛭田が顔を近づけた。 「この銀行は、腐っているみたいだな」 柿沢は呟いた。 検査は予定通り終了したが、今の電話の主はその結果に不満 だったようだ。北沢の死に触発されたのかもしれない もし、電話の内容が真実であれば、我々、検査官は騙された ことになる。トップが何も知らなかったとい、つことにすること つか ニ〇一三年六月ニ十七日 ( 木 ) 午前九時三〇分 ( 常務室 ) 「主任は、北沢が殺されたのは反社が原因ではないかとおっ しやったが、なにかんでおられるのかな」 倉品は執務室の椅子に背中を預けながら康平に言った。 康平は、来客用ソフアに座り、じっとうつむいていた。顔を 上げす、返事をしない。 「おい、橋沼、聞こえないのか」 倉品の叱責するような言い方に康平がようやく顔を上げ、倉 品を見た。 「なんだ、その顔は ? 何か言いたいことがあるのか」 「常務、私は、まだ納得がいきません。 康平は、床を蹴って立ち上がった。 「なんのことだ」 倉品が康平を睨んだ。 「お分かりだと思います。金融検査におけるコンプライアンス にメリットがあるのか ? あるとすれば反社問題の組織的な隠 蔽になるが : 「なあ、蛭田」 柿沢は蛭田を見つめた。 ( しなんでしようか」 蛭田は柿沢の真意を読みとろうと表情を引き締めた。 「我々は、我々のやり方でこの銀行を根本から変えねばならな いようだな」 江上剛 178

5. 小説トリッパー 2014年冬季号

だが何と言っても一番の特徴は顔だった。目、鼻、ロ、それは、彼に危害を加えようとしているのか ぞれのパ 1 ツは普通なのに、それらが収まった顔は凶暴のひと 「あの : : : 失礼ですが園長先生に何のご用でしようか」 言に尽きた。不用意に近づいたら問答無用で殴られそうな気が すると男はそれには答えず、「あなた、この幼稚園は長いのか する。 い」と聞いてきた。 いったいどこのヤクザかと怪しんでいると、男はこちらに向「 いいえ、わたしは今年赴任してきたばかりです」 かってつかっかと歩いて来る。凜は咄嗟に身構えた。 「それでは役に立たんな。見るからにまだ若いし , 「京塚園長にお会いしたいのだが、どちらにいらっしゃいます 見ただけで役立たずと評されたのは業腹だった。 か」 「ここの勤務が一番長いのは誰だね」 丁寧な口調だが、目は今すぐその居場所に案内しろと命令し 「長いというのなら園長先生です。もう十五年も前に赴任され ている。助けを求めて周囲を見回すと、三人は光の速さで視線て現在に至っていますからー を逸らしてしまった。 「他に同じくらい長く勤めている職員は ? 裏切者め。 「いません」 「えっとですね、園長室はここの廊下を真直ぐ行って、突き当 「ふん。それならやつばり園長から聞くしか仕方ないな」 り一つ手前で右に曲がって、それから 男は不遜さを隠そうともしない。その態度に、凜はだんだん 「案内してもらえませんかね」 腹が立ってきた。 男はすいと顔を近づける。それだけで有無を言わせぬ迫力が 「わざわざ昔話を聞くためだけに園長に会うんですか」 あった。 「当時を知っている者しか証言はできんだろう」 凜は諦めるしかない。命令に従っていれば、少なくとも暴力「証言 ? を振るわれることはないだろう。 「先生は知っているかね。十五年前、ここの園児たちが三人連 「どうぞ 続して殺された事件だ」 仕方なく職員室を出ると、男は当然だと言わんばかりに後を 「話には聞いてますけど、どうして今頃そんなことを ? ついて来る。こうしてただ後ろにいるだけなのに、殺気じみた 「ああ、失敬。すっかり自己紹介を忘れていた」 空気が背後から漂ってくる。さてはヤクザはヤクザでも、武闘 男は胸元から二つ折りの黒手帳を取り出した。開くと上部に 派と呼ばれる類のヤクザなのだろうか 顔写真っきの身分証、下部には金色の記章が鈍く光っている。 わたせ 凜は急に不安になる。京塚との面会を求めているということ 「埼玉県警刑事部捜査一課の渡瀬と言いますー ( 第三回了 ) 中山七里 270

6. 小説トリッパー 2014年冬季号

「おかしいよね、私のようなシコメが恋愛小説を書くだなんて」 ドギマギしちゃうだろうが。お前のようなイケメンに、蜜柑君 私はもじもじとしてしまう。野田君は、変人が集う文芸部で は渡さんぞー 唯一のイケメンだった。 自分の名前が呼ばれたことにおどろいた。人込みをかきわけ 「何を言うんだい。君みたいなチャ 1 ミングガ 1 ルをさしてシ ると、タ焼け空の下に立っていたのは、野田君ともう一人、見 コメだなんて。俺は正直、・、、今こうして君と部室で二人っきりで知らぬ男の人だった。 いることにムラムラしているよ。読みたいな、蜜柑さんの恋愛「蜜柑さん ! 」 野田君が私を見て声をあげる。 私は彼の端正な顔を見てドキリとする。 「性欲を解消するためにランニングしていたら、この男が大学 「そ、そうかな。野田君がそう言うなら、私、書いちゃおっかの構内に乱入して『蜜柑君はどこだ ! 』と連呼していたんだ。 な。恋愛小説、書いちゃおっかな」 きっと変態にちがいないよ。さあ、はやくお逃げなさい」 野田君の話を聞いて、もう一人の男カノ ゞ、、ツとしたような顔 「ぜひとも読ませてくれ。蜜柑さんが書いた小説ー 野田君は荒い息遣いになってきた。 で私を見る。野田君をおしのけて、私に近づいてきた。 「ムラムラしてしようがないから、ちょっと外を走ってくるね」 「きみが蜜柑君か ! 僕だよ ! 」 彼は部室を出ていった。 顔の血色が悪く、髪はばさばさだが、目はぎらぎらと輝いて チャイムが鳴り響く。外はタ焼けだ。そろそろ帰ることにし いる。自殺する寸前の文学青年に見えた。 「もしかして」 よう。鞄をぶらさげて私は部室を後にした。階段を下りて部室 「そうさ。まだ、おばえていてくれたみたいだね」 棟を出たところで、人のざわめきが聞こえてくる。通用門に人 だかりが出来ていた。 彼は、ほっとしたような顔をする。はじめて聞いたはずの声 なのに、なっかしかった。一メールのやりとりをしていたとき、 「どうかしたんですか ? 」 立ち見している人に聞いてみる。 いつもパソコンのむこうに想像していた声と風貌だ 「師匠 ? 」 「どうやら、おかしな人が構内に侵入したみたいなんだ」 おかしな人 ? そのとき、聞き覚えのある声がした。 彼は頷いた。 「貴様のような社会の最底辺に彼女は渡さん ! 」 「君と交わしたメ 1 ルから君の住所を割り出し、この大学に通っ ていることを突き止めたのだ」 さきほど部室で話をした野田君の声だ。 「何だとこのイケメン野郎 ! 男の僕でさえドキリとしてしま 「完璧にスト 1 カ 1 じゃないか。蜜柑さん、近づくんじゃない。 うようなかんばせをしやがって。あんまり見つめてくれるなよ、妊娠するぞ」 イナミッ featuring 乙一 22

7. 小説トリッパー 2014年冬季号

ここはまるで東京そのものだ。東京という場所を、ひとつの車が別の男性の顔をたたいてしまう。怒声があがった。数人が、 両に凝縮してしまったかのようだ。そのなかをかきわけて、も マナ 1 のわるい僕をつかまえようとする。すみません ! ごめ まれながら、僕は、彼女をさがさなくてはいけない。見つけ出んなさいー あやまるが、ゆるしてはくれない。腕や肩をつか し、声をかけるのだ。 まれて、腰に腕をまわされる。その手をはずして、なんとか先 おっきあいできる可能性はゼロだろう。友達からはじめる、 へ進もうとするのだが、みんなの力が強くて、ついに僕はその というのも、ゆるしてはくれないだろう。それでも、彼女にも場からう ) 」けなくなる。みんなの体重がのしかかり、電車の床 う一度、逢いたい。顔と顔をつきあわせて、話をしたい。好き に転んだ。 になった人の名前さえ、まだ僕はしらないのだから。 はらばいのまま前方を見る。無数の足が目の前にならんでい 頭をさげ、謝りながら、移動を開始した。隙間をこじあけ、 た。彼女はどこらへんにいるのだろう ? わからない。とにか とにかく前へ前へとむかう。押すと、押し返され、無数の舌打 く、彼女をさがして、すすまなくてはいけない。床をはいずつ ちが聞こえてきて、抗議の視線がおくられてくる。肘が顔にぶ ていこう。しかし、ちっとも前に行けない。首や腕を、大勢の つかり、鞄がおなかにめりこむ。疲労と、酸素のうすさで、頭人がっかんでいる。 がもうろうとする。蒸し暑い。汗が出て、目に入る。僕が無理 僕をひきとめているたくさんの手のなかに、女性の手があっ 矢理に人をかきわけるものだから、車両内はちょっとしたさわた。それが一瞬だけ、母や、母の親族の手のように見える。 ぎになる。マナーがわるいと、怒り出す人がいて、僕の腕をつ 人々が、こちらをふりかえり、騒動をながめている。彼らの かんだ。それをふりほどこうとすると、別の人に肘がぶつかっ隙間のむこうに、しよばくれた男の人の背中があった。そちら てしまう。今度は肩をつかまれた。ふりほどこうとしたら、拳 にむかって、僕は右腕をのばす。大昔に見た、父の背中に似て や 、、老人とヘルバーとケアマネの、 風変りな恋模様。 妻を亡くしたひとり暮らしの歳の男、すっと独身を通してきた歳の 女性ケアマネジャー、老人介護の仕事をやめたばかりの歳の僕 ぬぐえない痛みを抱えた大人たちの間で、風変わりな恋がはじまる 《解説・角田光代》 ■定価 540 円 ( 税込 ) 山田太一 ISB N978 ー 462 ー 264741 ー 2 空也上人が しよう 朝日文庫 A S A H ー お求めは書店、 ASA ( 朝日新聞販売所 ) でどうそ。朝日新聞出版 15 電車のなかで逢いましよう

8. 小説トリッパー 2014年冬季号

嘆きの美女 表面的な「女の友情」なんてクソくらえ ! ・・・ , ー土、亡月 ' の、 文庫イ 柚木麻子 生まれつき顔も性格もプスな耶居子は、 978 ヰ 02 毛 647 -3 583 円 ( 税込 ) 272 頁ー 会社を辞めほぼ引合も顔のにきびをつぶナ之とと、 美人専用悩み相談ナイ ~ ト「嘆きの美女』を荒らす ~ とが最大のなのしみ。 ころが、ある出来事をきっかけに「嘆 3 の美女」の管理人の住む屋敷て同居するノ、メに : ・。 全女性に送りたい、とびつきりの成長小説。 読めば心が「す一つとする」 ASAHI 朝日新聞出版 0 . お ) も すべての人に、価値ある一冊を ー美人もプスもたまにはネガティブに なった方が良いと思います。 藤きの美女」黒沢かすこ ( 森三中ト お求めは書店、 ASA ( 朝日新聞販売所 ) でどうぞ。。。朝日新聞出版 9.

9. 小説トリッパー 2014年冬季号

雨狗から会うように言われたその老女は、コナモン騒動の残 党だ。 警察に捕まった彼女は、他の逮捕者と同様に壁屋か穴屋とし つくづく、自分の顔をまじまじと見詰めるこの作業が苦手だ。 て人知れずどこかへ送り込まれてもおかしくなかったが、そう 病院に入って真っ直ぐトイレに向かい、それなりの風体に見はならなかった。騒動の首謀者の一人で重要な情報を持ってい る可能性があることや、過酷な労働には耐えられないほど高齢 えるようにとメイクを試みたリオだったが、僅か十秒ほどで思 い知らされた。 だったこともあるが、暴動の中で重傷を負っていたことが主な 鏡を見るといえば、盗みを働く前にフェイスペイントを施す理由だ。 他にもそんな者は大勢おり、その殆どはたいした手当も受け 時くらいで、それはつまり顔を隠す行為だ。同じ年頃の地上の 住民が行なうメイクと、人を欺くという意味では同じかもしれられず、ほどなく病院か獄中で亡くなったと思われる。 老女が今でも生き延びているのは、雨狗がと思われる ないが、最終的な狙いは真逆と言っていい 組織からの依頼を受ける交換条件として、手厚く治療するよう 「、つ 5 、面倒臭え メイクは諦め、盗品の中から適当に持って来た化粧品をゴミ頼んだからだ。 彼女が入院しているのは、万博公園近くの大病院だった。 箱に投げ捨てた。方々に飛び跳ねるポサポサ頭を水道水で濡ら してなんとか落ち着かせ、ライダ 1 スジャケットを脱いでナイ の冠は付いていないが、系列であることは調べて分かって いる。尤も、大きな病院で Z の息が掛かっていないところ フもホルスタ 1 ごと外し、同じく盗品の白いシャッと黒いプレ は存在しない。 ザーを羽織ると、リオは鏡に向かってニッコリ笑って見せた。 「ヤマダハルコさんの病室はどちらでしようか。サイトウナッ 「うん、 O—a とか女子大生に見えなくも : ・・ : 」 オさんからこちらに入院していることを教えて頂いた、タナカ 言い掛けたが、 やめた。どう見ても変だ。シャッとプレザー が取って付けたようなのはしようがないとして、下が破れたプアキコと申しますが」 ラックデニムとエンジニアプ 1 ツであることにも目をつぶると 雨狗に教えて貰ったままの台詞を告げると、受付の女性は怪 訝な顔をした。一瞬、メイクと服装がおかしいのかと不安になっ して、ファンデーションで隠し切れない顔の傷痕や首筋に覗い いれすみ たが、どうやらそうではない。女性の視線は、リオが手にした ている刺青は、とても見舞いに来たや女子大生つほくない。 花東に向けられていた。 「だからって、どうすんだよ。大丈夫、こんな奴もいるさ」 なにか言われるのかと思ったが、女性は「そちらにお掛けに 鏡の中の見慣れぬ自分を励ますように呟き、リオは受付に向 うやうや かった。 なってお待ち下さい」と、やけに恭しく言った。 ュイコウ もっと 341 Y. M. G. A.

10. 小説トリッパー 2014年冬季号

先輩といっしょにコンビニに向かった。しかし自動ドアの手「そんなツレない顔をしないでくれよ。今日は君に話があって 前で立ち止まる。誰かが店内から出てきた。 そのときだ。 「あ、蜜柑君 , 幻聴が聞こえた。なぜ、それが幻聴なのかというと、師匠の 「何でお前がおるんじゃあ ! 」 何者かが師匠にドロップキックをかました。師匠は横ざまに 声に似ていたからだ。 吹っ飛ぶ。 「げつ ! 」 「の、野田君 葉山先輩が、ゴキプリでも見たような声を出す。私は顔をあ げた。そのひとは、コンビニの自動ドアを通り抜ける途中で突っ 彼は憤怒の表情で、地面にヘドロのようにへばりついた師匠 立っていたから、自動ドアが何度も閉まろうとしては、開いてをにらんでいる。 しまい、ファミリ 1 マートの入店メロディーがくりかえしなが 「お前、まだ蜜柑さんにまとわりついていたのかー れていた。 「な、なぜ貴様らはとりあえず僕を暴行するんだ ! 」 しよばくれた風貌の男が、袋から出したパピコをふたつに割 鼻を打ったのか、鼻血を出しながら立ち上がる師匠。野田君 り、今まさにロにくわえようとしている。やさぐれた文学青年はそんな彼に近寄ると、さらに蹴りを放った。 といった雰囲気の、なで肩の輪郭である。周囲の音が急速に現 「死ね ! 」 実感をおびてよみがえった。 「砕ける ! 文芸部員のキックじゃない ! 」 「師匠 ! 」 野田君は性欲で鍛えた脚力で師匠を暴行する。師匠は縮こまっ そこにいたのは、ばさばさの髪に、よれよれのシャツの師匠て、それに耐えた。 だった。 「ちょっと、野田、落ち着きなさい。本当に死んじゃうよ。殺 師匠は少年のような無邪気な笑顔で駆け寄ってきて、そしてすなら人気のないところで」 葉山先輩に殴られた。 葉山先輩が止めに入ろうとする。私は、おろおろするばかり で、どうすればいいのか分からない。周囲には人だかりが出来 「痛い ! 何でいきなり殴るんだ ! 」 「蜜柑に近づかないで。何であんたがここに居るのよ」 始めていた。その中の誰かが呼んだのか、先ほど、道で会った 「やっとお小遣い日になったから会いにきたのだ。蜜柑君、元若い警官がやってきた。 気だったかい 電話にも出ないから、心配してたんだよ ! 」 「きみたち、やめなさい。白昼堂々、治安を乱しおって。死刑 そうだった。師匠に幻滅していたところだったのだ。私は、 にしてやる」 ぶいっと顔をそらす。 そう言って警官は師匠を取り押さえた。 イナミッ featuring 乙一 36