この水中で二人の握っていた手が離れた。 永遠の別れがここからはじまった。 衛士は頭上の断崖にレンズを向けると静かにシャッター ボタンを押した。 すぐに現れたプレビュー画面には手を握ったまま飛び込 もうとしている二人の姿が写っていた。これは二人の、と いうよりは断崖がしつかりとどめている記憶であろう。 衛士は改めて再生画像にすると二人の顔を拡大した。や はり、と衛士は思った。 「これ、衛士さんじゃないの ! 」 のそ 脇から覗いて深月が声を発した。 「ホントだ。衛士そっくりだ」 徹吾は何度も見較べた。 「断崖から飛び込んだ瞬間にばくたちの顔が渓流の水に映っ た。たった今思い出したよ」 だから自分の前世と察したのだ。 「似ている魂は互いに繋がり合う。前世とは限らん。魂が 似れば顔も似る」 卓造は衛士の肩を優しく叩いて、 「また、たとえ前世だったとしても今の衛士君とは無縁。 魂は新しく生まれ変わる」 「綺麗な子」 深月は娘の顔を羨ましそうに見ていた。 衛士は誘われるように沢の下流の岸壁を写した。その岸 壁に亀裂が見られる。画像には亀裂を背にしてたくさんの 鹿たちに囲まれた男の姿がはっきりと捉えられていた。も ちろん現実には鹿も男の姿もない。 衛士たちは迷わず亀裂を目指した。 人がようやく通れるほどの狭さだ。 真っ先に衛士が潜り込んだ。 徹吾が続くとその体で光が遮られて暗闇となる。徹吾は 用意してきたライトで照らした。 眩しい光の中に衛士は見付けた。 鹿のものと思われる多くの骨に守られる形で横たわって いる人間の白骨を、である。 「百年以上もここで一人静かに眠っていたのかいー 徹吾は屈んで両手を合わせた。 「これで二人はようやく一緒になれる。彼女は盛岡の大き な糸屋の娘だ。それを手がかりにすれば葬られている寺も 分かる」 「なんで糸屋の娘と ? 」 「夢の中でさ。おなじ墓は無理でも近くに彼の骨を埋めて やろう」 それに喜んで頷いたのは深月だった。 かが ( 第二話了 ) 397 遠野小説
由美子と志乃は、いつも二人で一緒にいました。華があって、 瞳が大きくふつくらとした唇が愛らしい由美子と、どちらかと 一城あさき ( 本名】武田恭子 ) いうと地味で、線が細くて目立たない、いつも自分のくせつ毛 を気にして自信なさげにしていた志乃。この二人は正反対に見 いったいなにを見たと思います ? あのとき息ができなくなっ えましたが、 本当に仲がよくて。レッスンに行く時も、清掃の た時間なんて、せいぜい五、六秒だったでしよう。たった数秒、あいだも、休日に映画や買い物へでかける時も : : : 。常に二人 そう、そのたった数秒のあいだに、わたしの身体は、木々の隙で連れだっていました。 間から美しい塔が頭をのぞかせている、アドリア海に浮かぶ小 志乃は当時でも珍しい自宅からの通学生でしたけれど、ご両 さな島へと飛んでいました。あっというまに小柄な住民たちに親は海外に暮らしているということで、実質は十六歳にしてひ 取り囲まれて、この島を丸ごと買わないかと迫られたのです。 とり暮らしをしていたみたいです。由美子は音楽院の敷地内に あの時は、生まれて二十数年にして、人生最大の決断がやって ある寮から通っていて、普通、寮生は寮生同士で徒党を組むの きたと冷や汗をかきましたね。わたしは結局、気の毒そうな顔ですが、由美子と志乃は入学試験の時すでに顔を合わせていた をした住民のために島を買うことを選んだところで、この世界みたいで。 に戻ってきたのです。 二人とも歌劇団に入ったら女役のトップになることを信じて そのあと、わたしはまた舞台へと復帰しました。それから一一疑わず、普通は三年生の夏に決めるステージネームを、一年生 年で歌劇団を辞めた理由 ? いえ、あの事故のせいで、芝居やの時に二人で決めてしまっていました。互いに、互いの名前の 踊りに支障をきたしたわけではありません。十分、二十分だっ 一部を付けあったのです。由美子は自分の「由ーという字を志 ささきゅま たらわかりますが、たった数秒の窒息では脳に損傷は起こりま乃にあげるんだと言って、志乃に「沙咲由舞」と付けましたし、 きさらぎ せんから。わたしの人気が下がっていったのは、ひとえに実力志乃は自分の「乃」を使って、「如月ふゅ乃」というステ 1 ジネー 不足のせい。退団を決めたのも、元から身体が弱くて喉に負担ムを由美子に贈りました。二人は気が早くもサインの練習をし かかかり、声帯ポリープができたせいです。ただ、あれから間て、バレエのレッスン室や音楽室に貼って回るなどしたもので 違いなくわたしの巡り合わせは変わりました。あなたが話を聞すから、先生にひどく叱られていましたね。 きたいとおっしやっている二人も、きっとそうに違いありませ そうそう、こんなこともありました。駅前の写真館で自分た ん。 ちのプロマイドを撮り、それらをスクラップブックに貼りつけ 75 メントール
女性の叫び声が響いたのはそんな時だった。ここから先の詳午前 ( 日本時間日未明 ) 、先住民族集落を訪れた際に襲撃され 細は報道によって異なるが、その女性は子供が日本人観光客に 現地警察などによると、邦人らはバス 2 台に分乗して現場を 写真を撮られたことによって、「人さらいが来た ! 」というよう なことを叫んだのだという。現地では少し前から人さらいが子訪れ、週末に開かれている市場を見物。現地の子供や女性を撮 ささや 供を奪いにくるという噂が真実しやかに囁かれており、彼女は影し始めたところ、約 500 人の住民がツアー客を取り囲み、 石を投げたり棒で殴るなど暴行を加え、逃げ遅れた山広さんら 日本人観光客を誘拐犯と勘違いしたらしかった。 民衆は、その女性の声によってパニックに陥った。そして「人が死傷した。死亡したバス運転手の遺体にはガソリンがかけら さらい」を追い払おうと、ある者は棒を握りしめ、ある者は石れ、一部が焼かれた。興奮した住民を催涙弾で鎮圧する際、警 官 2 人もけがをしたと報じられている。 を握りしめて駆けつけ、日本人観光客に襲いかかったのである。 現地では「外国人が子供を誘拐しに来る」などのうわさが流 これによって日本人一名が死亡、二名が怪我を負った。残り の日本人はあわててバスへと助けを求めて逃げた。だが、民衆れており、ツアー客が写真撮影を始めた際、だれかが「子供が はさらに追いかけ、今度は止めに入ったバスの運転手を袋叩き連れて行かれる」と叫び、騒ぎが起こったという。 市場はマヤの民族衣装を見るための観光名所として観光ガイ にして殺害した ドなどにも載っている。同市は首都グアテマラ市の北西約 150 日本にこの一件が報じられた時、次のような説明がなされた。 キロ。ツア 1 は旅行会社「西遊旅行」 ( 東京都千代田区 ) が企画、 ■写真撮影で激高負傷者は 5 人にーグアテマラ・邦人襲先月日から 6 日まで、グアテマラ国内のマヤ文明の遺跡など をバスでめぐる予定だった。 撃事件 ( 「毎日新聞」タ刊二〇〇〇年五月一日 ) 中米グアテマラのトドス・サントス・クチュマタン市で、日 本人観光グループが先住民族に襲われた事件の死傷者は、同国 す この事件を報じるニュ 1 スが流れた時、私は事件の真相がまっ 駐在の日本大使館の調べでは、死者が埼玉県与野市の会社員、 6 たくつかめなかった。 山広哲男さん ( ) とグアテマラ人バス運転手 ( ) の 2 人、 を 耳 なせ中米の秘境と呼ばれるような地域で日本人が人さらいに 負傷者は東京都の江差家孝さん ( ) 、神奈川県の植田久美子さ 間違われて事件に巻き込まれなければならないのだろうか。そ声 ん ( ) ら日本人男女 5 人とグアテマラ人ガイドの計 6 人 ( い の すれも軽傷 ) と分かった。米国人観光客らも襲撃事件に巻き込もそも「外国人が子供を誘拐しに来る」とはどういうことか 界 世 漠然と推測できるのは、グアテマラの辺境の町で、私たち日 まれたとされるが、被害などは確認されていない。 同大使館によると、邦人観光客 2 グル 1 プ計四人は 4 月四日本人には想像もっかないことが起きているのだろうということ 、」 0
閃光弾も催涙弾も使わす、扉からまともに三人が傾れ込み、 扉脇にいたカイが、目にも止まらぬ速さで三人目の大腿部に ナイフを突き刺した。「うあツ」という叫び声に振り返った二人しかも追撃もない。その戦術をおかしいと思わない者はいなかっ 目にオ 1 ティ 1 が飛びかかり、銃を持った右腕の腱を斬った。 「話があるなら、なにもこんな面倒なことしなくてもいいのに 先頭の男はモニター前にいたゴンザとリオに銃を向けていたが、 援護の筈の二人が数秒で戦闘不能になったことを悟り、慌ててねえ カイだけは面白いことが起きるのが楽しみでしようがない子 銃口を方々へ向けた。その銃口がカイに向けられ、彼が「恐え よ」と呟いた次の瞬間、リオが背を向けていたその男の後頭部供のように笑っていたが、彼もまた彼なりに集中力を高めてい た。奪ったボディア 1 マ 1 と銃を、白兵戦に向かないゴンザと に、容赦なく肘の一撃を見舞った。 スズキとコプに渡したのは彼だった。 その間、計四発の銃声が鳴り響いたが、いずれも床と天井を コロニーの中心部を目視出来る場所まで来ると、シプャチ 1 貫いただけだった。 ムが完全に制圧されていることがはっきりした。転がっている こちらの数は把握されている。そう判断したのだろう、オー なり ティ 1 が銃を拾い上げ、数合わせにもう二発床を撃った。同時遺体と怪我人は、その形から見て、やはりすべてシプヤの人間 と叫ぶと、コプが「は、はい」と扉の上のだ。 に「プレ 1 カー ! その中に、キョマサとハンの姿はなかった。まずは二人の居 プレ 1 カーを落とした。 「舐めてんじゃねえぞ、コラ。よお、殺っちまおうせ、リオ」場所を探さなければならない オーティーの指示で、ゴンザとスズキが中心部を見下ろせる オ 1 ティ 1 は興奮してそう言ったが、リオはポケットのあち 櫓の上に登った。下にいる四人は、二人から死角の状況を教え こちを探りながら「駄目だ」と制した。 「こいつらは生かしとく。もし連れて帰ることが出来たら、訊て貰いながら行動する。 リオは、熱感知モードで確認出来なかった箇所に生存者がい きたいことがあるからな」 ると目星を付けていた。コントロ 1 ルタワーの周辺はしよっちゅ ケープル帯で三人の手足を縛り、ガムテープで目と口を塞ぎ、 う爆発が起こっていたので、ここに雨狗達と人質がいると見て ついでに銃とボディアーマーも頂戴した。それから六人は息を 潜めて追撃を待ち受け、一分弱、なんの変化もないことを確認間違いない。キョマサもトンボの存在に気付いており、規則的 に爆風を吹き出す排気ロの近くに身を潜めている筈だ。 した後に頭を低くして警備室を出た。 『丑寅の丙。サイロの裏』 「向こうは、あたし達が来るのを待ってるらしい」 そこを重点的に見てくれと頼んでいたゴンザから、連絡が入っ 集中力を高めよという意味でリオが言うと、オーティ 1 達は 口元をきつく結んで頷いた。 ふさ 三羽省吾 378
だ。つまり、母親が赤子に手を取られずに働けるための習慣との。わたしの場合はスペイン語がしゃべれるけど、子供は二人 い、つことである。 とも自宅で産んだわ . 読者の中には自由を奪う好ましくない習慣だと思う方もいる グアテマラでは、スペイン語を小学校の授業で教える。小学 かもしれないが、面白いのは赤子の方もしばられることに慣れ校には九割の子供が入学するが、地方で卒業までいって中学に て心地よさを感じることだ。生まれてからすぐにそうされるの進むのは二割ほど。少なくない子供たちがスペイン語もろくに で、当たり前だと思うのだろう。布で巻かれている時はすやす習得しないまま働きはじめ、そのままお産をしているのである。 やと眠っているのに、逆にほどかれると不安になって泣きはじ 「グアテマラでは公立の病院でお産をすれば無料ですよね。で めたり、手足をばたっかせて巻いてくれとせがんだりする。 も、産婆さんを呼べば、まるつきりただとはいかず、お礼を払 ちなみに、ゆりかごに砂を敷き詰めるのは、布団やオムツのわなければならないと思います。産婆さんにはいくら支払うも 代わりになるからだ。砂は柔らかいので布団のようにへこむし、 のなんですか」 冬の寒い時期には砂を鍋で温めてから敷くので毛布の役割を果「一五〇〇ケツアル ( 約二万円 ) かな」 たす。それに、赤子がおもらしをしても、砂ごととりかえてし 農村の人にとってみれば二カ月分ぐらいの収入だろう。逆に まえば清潔な衛生状態を保つことができる。近年ではかなり少言えば、そこまでしてでも産婆に頼らざるをえないのだ。 なくなってはいるが、一九九〇年代までは一般的に行われてい 「生活は大変そうですね。現金収入はプランテ 1 ションでの日 た習慣だ。 雇いって聞きましたが、あまりお給料はよくないでしよう」 さて、私たちは畑の近くにあった木陰に移動し、少しだけ湿っ 「ぜんぜんダメよ。プランテ 1 ションの仕事があるのは収穫の た草の上にすわって話を聞くことにした。ジョナサンが英語と時ぐらいだけだし、女性の給料は男性の半分って決まっている スペイン語の通訳をしてくれることになっていた。赤子はオラ から、どうしたって足りないの。困るのは赤ちゃんの食べ物ね。 ンダさんの背中でミイラのようになったまま安眠している。 二歳までは保健所に行けば赤ちゃん用の食べ物をくれるんだけ す 「さきほど家で義理の妹さんのお産の様子を少しだけ見てきま ど、その後は何にもくれないわ」 亠ま した。オランダさんも含めてこのへんの人たちはみんな病院じゃ 「今は旦那さんと二人でどれぐらいの収入があるんですか を 耳 なくて自宅で赤ちゃんを産むんですか」 「うちの夫は、ここにはいないわよ」 声 「そうね。ここらへんの人はスペイン語をしゃべれない人がい 「いない ? 」 るので、病院へ行くのを嫌がるのよ。働いているお医者さんた 「ええ、下の子供が生まれた直後の五年前からアメリカに出稼の 世 ちは地元の人じゃないし、何か起きた時にどう言っていいかわぎに行っちゃったの。だから下の子供は夫の顔をじかに見たこ からないから困るでしよ。だから家族や産婆さんの方が安心な とがないのよ」
子だ。いまは「二次被害」を恐れて由衣から距離を置いていゑ 無邪気に質問に従って座ったまま。眼鏡の子も立ったまま。 「わかりました。目を開けていいよ」 「リョウト君じゃないヒト」 二学期が始まって三週目。もう半数近い子が十四歳になって 座っている全員が椅子を交換した。「大人みたいな」ギャグに さなぎ いる。幼くはないが、 大人でもない。みんな蛹だ。羽を生やし 四角い唇で笑いながら。リョウトは眼鏡の男の子の名前だ。 て殻から這い出ようとして、あるいはまだ殻から出たくなくて、 立たされつばなしのリョウトはゆっくり首をかしげる。 必死にもがいている。歪な世代、大人のカリカチュア。世間で あれ、なんでばくだけ、、 しつまでも座れないんだろう。 はそんな言われ方をすることがあるけれど、七年半、中学教師 をしてきた琥代は思う。彼らはただの混沌とした原形で、大人 〇 のほうが彼らのカリカチュアじゃないか、と。 教室の後方で声があがった。 二年三組の三十八人をぐるりと見まわして、琥代は声をあげ やむら 「矢村センセ工、こういうのムダじゃね ほしかわしようた 星川翔太。短い髪をせいいつばい流行りのスタイルに仕立て 「誰も教えてくれないのなら、目を閉じてくださいー 教室に声のさざ波が立つ。奥の列から鼻を鳴らす音が聞こえあげている男子生徒だ。スクールカーストの頂点に君臨する梶 た。中学一一年生にしてはやけに鳴らし慣れている。どうせ深夜野陽菜のグループの一人。女子たちの間の、陰湿とはいえ局地 アニメの声優の真似だろうけれど。窓ぎわの二列目の空席に目的な心理戦争だった由衣へのいじめを、落書きや雑巾やバケッ の水や黒板消しなどなどを駆使して、肉体への攻撃にエスカレ 1 を走らせてから、琥代はさっきより声を大きくした。 トさせたのは、こいつ。田中由衣は先週から不登校を続けてい 「このクラスには本当にないのかな。いじめが。あると思う人、 る。 手をあげて」 ソコンやスマ 1 トフォンを大人並みに 「なぜそう思うの」 手はあがらない。パ 「もし、本当にそ 1 ゅーのがあったってわかったとして、学校 いや、大人以上に使いこなしている子どもたちだ。彼らにとっ が何してくれるのさ , てなにより恐ろしいのは、匿名がバレること。教室の後方、 かじのはるな 担任になったばかりのあんたに何がわかるの、と言いたいよ じめのリ 1 ダーの梶野陽菜ほか数人が薄目を開けて様子を窺っ ていた。 うだった。琥代がこのクラスの担任になったのは二学期になっ てから。前任の英語教師が休職し、急遽、その代役になった。 「顔も伏せて。じゃあ、もう一回聞く。いじめがあると思う人 星川翔太の言葉は、ある意味正しい 窓ぎわの三列目の席でおすおすと手があがった。小島明日香。 いじめの存在は一学期の時からわかっていた。教師がときお いじめられている田中由衣の友人。いや、かって友だちだった たまよ いびつ はや こんとん 荻原浩 38
上人の話を「兄弟は争うべきでないーと聞いた十兵衛は、自分 三なぜ十兵衛は嵐の五重塔に上るのか は兄弟の弟の方だと思い、争いを回避するため弟は兄に譲らなけ ればならないのかと考える。「のっそり . と言われてネガティヴに 「其一」で源太の女房を出す。「其一 l_ では源太が留守のまま、おならざるをえなかった十兵衛ならではの判断で、だからこそ十兵 ああ おと、 つら 吉の許へ子分の清吉がやって来る。清吉は後に十兵衛を襲撃する衛は《嗚呼、弟とは辛いなあ。》 ( 同前・其十 ) とひそかに嘆く。 人物だが、彼の口から十兵衛ののっそりぶりが語られ、「其三」で 一方、自分は「兄ーだと思う源太は、上人の話を聞いて《弟を 十兵衛の女房が登場する。ここまでで、十兵衛を中心とする全体可愛がれば好い兄ではないか、》 ( 同前・其十一 ) と考えて、十兵 のラフな構造が語られ、「其四」になって五重塔建設計画を持っ感衛と共同で五重塔の建設をすればよいと結論付ける。それをして 応寺のことが具体的に語られ、「其五」になってようやく十兵衛が源太は《好い男児》 ( 同前 ) と思われたいのだ。 登場する。感応寺にやって来た十兵衛は朗円上人に会いたいと言 共同建設を思いついた源太は、自分から十兵衛の家へ赴いてこ どう いや うが、その御上人様は「其六」にならなければ登場しない。「其六」 の提案を口にするが、十兵衛は無愛想にも《何も十兵衛それは厭 で朗円上人と対面出来た十兵衛は、ようやく自身の胸の内を語り、 でござりまする、》 ( 同前・其十三 ) と一蹴する。「のっそり」の十 「其七。になって朗円上人は十兵衛を五重塔建設に参加させる可能兵衛は「なぜいやか」を口にせす、ただ《厭でござりまする》だ 性を考える。 けだから、「人の親切を無にしやがって ! 」と源太は怒って帰る。 朗円上人と接することによって、十兵衛の「人 , としての表情帰ると家には子分の清吉が来ていて、お吉に酒を勧められている。 はようやく現れるが、しかしここまで、まだ一方の雄である源太怒った源太もこれに加わって酒を飲む内、酔った清吉が十兵衛の おこ は姿を現さない。「其八」になって十兵衛と共に感応寺へ呼び出さ ことをばろくそに言い出し、それで源太は《怒って帰って来はし ゃうだい きりや、つ たか れて、ようやく源太は《すっきり端然と構へたる風姿と云ひ面貌たもの、彼様では高が清吉同然、さて分別がまだ要るは。》 ( 同前・ と云ひ水際立ったる男振り、万人が万人とも好かすには居られま其十七 ) と考え始め、結果、五重塔の仕事を十兵衛に譲ろうと決 断する。 じき天晴小気味のよき好漢なり。》 ( 同前・其八 ) という姿を現す。 名の通った大工の親方の源太はイケメンで、対する十兵衛は不 ここまでの源太の親切心は、己をよく見せたい、よいものと思 細工で「のっそり」である。対照的な二人を呼び寄せた朗円上人 いたいという虚栄心から出ているもので、つまりは「兄 . たる源 は、五重塔建設を誰に任せるかとは言わず、「二人で話し合って決太からの施しだから、これを断ると「礼儀知らずの我がまま者」 になってしまうが、十兵衛はまた別の考え方をしていて、源太が めろ」と言い、「其九」にな 9 て不思議な話をする。それは、「あ るものを手に入れようとして互に先を争い、そのことによって得去った後で女房のお浪にその理由を言う。 るものを失ってしまった幼い兄弟の話」で、これを聞かされた二 十兵衛の言うところは、「一つの五重塔を二人で建てると言って 人の考え方の違いがその先の展開を生む。 も、その建築プランが細部まで同じだというわけではないのだか あつばれ をとこ しゃん かはい をとこ あにき おと、 橋本治幻 4
と言ったところ、他の子から「それ、すごくいいよ ! 」と背中もので、ゆかりは一人で書いたものだった。 を押された。 ゆかりに票を入れる人なんて、おそらくいない。 「そしたら、私、副委員長になる」 本人も、その自覚があったのだろう。前に立って発表しなが 当時のクラスには、委員長の下にはそれぞれ男女一人ずつ副 ら、ゆかりの肩が震え、声がたどたどしくなって、息継ぎまで 委員長がいた。話がまとまり、すっかりその気になっていた夏あやしくなった。極度に緊張して、とても最後まで発表を続け られそうもなかった。 休み近く、ゆかりが思い詰めた顔をしながら、早穂たちの席に 近づいてきた。 早穂は、普段から、面倒見がいい、と言われるタイプだった。 普段、あの子は、人気のない子だけで構成される、寄せ集め 見ていられなくなって、立ち上がり、ゆかりの背中をさすっ のようなグループにいることが多く、教室の、自分たちの席のた。まだ泣いていないけど、泣いている子を慰める時のように。 方には滅多にこなかった。二つのグル 1 プの間には、見えない ゆかりの背中は汗ばんで、それで震えていて、早穂の手を振 国境とでも呼ぶべき線があった。 り払わず、どうにか最後まで発表を終えた。 「ー早穂ちゃん、二学期の委員長、立候補するの ? 」 小声で、「ありがとう」と言われた。そのまま、俯いて、ひっ 「しないよ」 く、ひっくと泣き出した。この、すぐ泣く、というのもゆかり 咄嗟にそう答えてしまったのは、どうしてかわからない。け が周囲から煙たがられた理由の一つだ。 れど、今、大人の世界の選挙で見ても、それはよくあることだ。 選挙は大差がっき、二学期の委員長は早穂になった。 出ない出ない、と言いつつ、直前で意向を変えて出馬するよう 副委員長に立候補する、と言っていた早穂の親友は、結局選 な人たちの気持ちが、早穂は何となくわかる。 挙に出なかった。ゆかりがあまりに泣くので、先生が気を利か ゆかりは、早穂の答えを喜びはしなかった。言葉を信じた様せて「じゃあ、副委員長をしたらどうだ」と彼女に聞いたから 子もなく、何かを言いたげに唇をぎゅっと引き結んで自分の席だ。 に戻る。その後ろ姿を見て、早穂は気の毒に思った。「出ないで もう六年生だったし、周りはそこまで子供ではなかった。早穂 ほしいと思、つなら、はっきりそ、つ言えばいいのに。 の親友も、あっさり、それならば、と引き、立候補しなかった。 二学期になって行われた選挙で、ゆかりと早穂は、ともに学 早穂とゆかりは、だから少なくとも六年生の二学期、委員長 級委員長に立候補した。 と副委員長という間柄だったはすだが、その後の記憶は不思議 一一人で黒板を背に立ち、模造紙に自分の方針を書いて発表し と薄い。選挙のことだけが鮮明だ。 合う。その模造紙は、早穂は周りのみんなに手伝ってもらった 辻村深月 16
たいことを教えてくれるかもしれない」 家は二部屋あり、広い方の部屋には丸太を切った椅子が二つ ジョナサンの方を見ると、「行こう」というようにうなずいた。 置いてあった。大きなラジオから陽気なラテン音楽が流れてい 私は父親にお願いしますと頼んだ。畑を取り巻く花壇は、陽る。音楽をやっているのか、小さなギターが部屋の隅に転がっ ていた。 光に照らされてまぶしいほど輝いていた。 紹介されたのは、ドミンゴという名前の五十一歳の男性だっ トドス・サントス・クチュマタンの町の中心部は、お祭りか た。お腹がぶつくりと突き出した体型で、カウポーイハットを と思うほど民族衣装を着た人でにぎわっていた。クリスマスが かぶっている。食事中だったのか片手に肉を挟んだトルティ 1 近づいていることもあり、買い出しにくる人の数がいつもよりヤを持っていたため、逆の手で握手を求めると、私たちを椅子 にすわらせ、自分は窓の縁に腰かけた。 多いのだそうだ。 ジョナサンが運転席にすわり、後部座席から「あっちだ」「こっ 父親が壁にもたれながら男性に言う。 ちだ」と言う父親に従ってハンドルを切っていた。だが、父親「昔、チ 1 ナが殺される事件があっただろ。あのことについて の指示がいい加減なせいで、細い石畳の路地へ迷い込んでしまっ教えてやってほしいんだ。事件の時にはすでに町に引っ越して いたよな」 私は再び「殺されたのはハポネスですーと訂正した。ドミン 十五分ぐらい右往左往した末に、ようやく父親が目的の家を ゴは聞いているのかいないのか、肉を挟んだトルティ 1 ヤを齧 見つけた。壁が薄いピンクに塗られた平屋を指さして、「あった、 りながら、そんなこともあったな、というような表情をした。 あの家だ ! 」と叫んだのである。なぜか門の上にライオンのヌ イグルミが飾られている。 この辺では、日本人観光客襲撃事件はすでに忘れられかけて いるのだろう。考えてもみれば、内戦の最中はそこらへんで虐 ここの家の主人は子供二人をアメリカに養子に出して得たお 金で町に家を建て、商売をはじめたのだという。そのような「成殺が起きていたし、今でも殺人事件は日常茶飯事なわけだから、 す り上がり」は少なからずいるらしい 外国人が一人二人殺害されたとしてもすぐに風化してしまうに ちかいない。 「先に行って話をつけて来るから、ちょっと待っててくれ」 を 耳 「古い話で申し訳ありません。あの事件が起きた当時、ドミン 父親はそう言って車を降りると、薄いピンクの家へと入って 声 いった。 ゴさんはどちらにいたんですか」 五分ぐらい経って、父親が顔をのぞかせて手招きをした。話「この家にいたよ。引っ越したばかりでね、たしか誰かが大変の 世 なことが起きたって呼びに来たんで駆けつけたんだ。そしたら がついたようだ。私とジョナサンはつづいて家へ行くことにし すでに警察がたくさん来て何人か捕まっていた。直接見たわけ
「あたしじゃ、ない、ない」 母さんがはたはたと手を振る。 「別れたダンナに、娘の喜ぶプレゼントをわざわざ知らせ るほど暇じゃないから」 暇がなくてもできるだろうとは思うけれど、母さんの性 格から言って、絶対にするわけがない。連絡すれば、あれ これ聞かれるだろうし、あれこれ告げなければならない。 そういうの、母さんはとても面倒臭く感じるタイプだ。 母さんにとって、父さんはもう過去の人なんだろう。ちゃ んと清算した借金みたいなもの : : : じゃないだろうか そんな気がする。過去を振り返っても面倒なだけ。前を 向いて歩く方がずっと性に合ってる。 母さんは、そういう人だ。 あたしとは、あまり似ていない。 あたしは、引きずってしまう。まだ、十六歳になったば かりなのに、いや、正式には十五歳だ。まだ、たった十五 年と数カ月しか生きていない。なのに、過去を引きずって 、つじうじしていた。 うじうじしている自分が嫌だった。嫌いだった。情けな いとさえ感じる。うじうじを隠して、明るく元気に軽やか に振る舞わなくちゃいけないと、自分にプレッシャ 1 をか ける自分が、また、嫌で、好きになれない。そういう心持 ちが重くて、また、つじ、つじしてしま、つ。 でも、このごろ、ちょっと軽くなった。 軽やかに見せようと無理をしているんじゃなくて、ほん とに、少し気持ちが軽くなったのだ。 あたしの未来って、かなり楽しいかも。 なんて、思えるようになったのだ。 吹奏楽のおかげ、かもしれない。 あたしは、今、楽しい 落ち込むことも、、つじ、つじしてしま、つことも、ついつい ため息を吐いてしま、つことも、けっこ、つある。しよっちゅ うある。でも、楽しいと感じもするのだ。 おうらん 桜蘭学園吹奏楽部は、部員が四十八人になった。あたし たち、あたしゃ久樹さんや菰池くんを含め、一年生が二十 人以上も入部したのだ。最初は十人ちょっとだったのに、 急に膨れ上がった。 これは、あたしの推測だけど、菰池くんのせいじゃない かと思う。もしかしたら、久樹さん効果もあるかもしれな つまり、菰池くんや、久樹さん目当てで入ってきた人が かなり、いるのだ。一一人とも、極め付きの美少年と美少女 だから、憧れてちょっとでも傍にいたいと思っている者は、 かなりの数いるのだ。当の二人は、そういう人たちにはま るで頓着せず、それぞれのパ 1 トで奮闘している。 二人とも、特に久樹さんはテクニック的にはまったく問 題はない。でも、吹奏楽って、テクニックもむろん大切だ けれど、それ以上に必要なものがあった。 あさのあっこ 336