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検索対象: 小説トリッパー 2014年春季号
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1. 小説トリッパー 2014年春季号

今は二十一世紀ですが、二十世紀はとにかく戦争ばかりの時 三日三晩も放置された。 梅川も蜂の巣になり、死体は行政解剖台の上で五時間にもわ代でした。二十世紀前半まではヨ 1 ロッパが中心で、後半には たって切り刻まれ、臓器がさらけ出された。遺骸は、大阪市西アジアなどの非ヨーロッパ諸国が民族解放などの中から登場し つもり てきますが、精神的・思想的な面で一一十世紀を考えたときに三 成区南津守、津守斎場の第一号火葬室で焼かれた。遺骨は母の 人の思想家を挙げろと言われたら、マルクスとニ 1 チ工とフロ 胸に抱かれて、本籍地の香川県大川郡引田町に帰った。 うっせみ イトでしよ、つ。 二人の男、デイミト 1 リと梅川は、どこか現身ではない、ほ では、二十世紀の三大発明は何か。まず映画です。これは近 んとうにこんな男が存在したのだろうか、と信じられない思い で、何とか実体を探り当てようとするみたいに、これでもかこ代科学がなかったら生まれなかった芸術、エンターティンメン トの世界です。十八世紀ぐらいまではオペラがエンターティン れでもかといった感じで突き刺され、切り刻まれたのです。 メントの王様で、十八世紀後半から十九世紀には印刷術と紙の 贋ツアー物語と三菱銀行事件の梅川とを強引に結びつけるの は、歴史家の仕事ではなく小説家の仕事です。これをどうい、つ本の本格的な登場で、小説がエンターティンメントの王座に就 ふうに結びつけるかということは、やはり「もはや誰の息子できます。映画は、サイレントから始まって一九三〇年代にはト 1 もない」という点にかかっているようです。これが小説の起源キーの時代になる。サイレント映画はスラップスティックがほ を突き止める大きな武器になるのではないか。それをやってみとんど、つまりセリフがありませんからどんな動きも滑稽、あ るいはパロディーになります。男女が真剣に恋をささやき合っ よ、つと思います・。 ていても、声がなければ滑稽でしかありません。しかし、トー ( 三菱銀行事件については、毎日新聞社会部編『破減梅川昭美の ドラマ キ 1 になると、まさに悲劇が成り立つ。登場人物の考えている 三十年』晩聲社刊に多くを拠っています。記して感謝致します。 ) ことが、つまり内面が声になって出てくる。ト 1 キーによって 映画の登場人物が内面や心理を持つようになった。一九三〇年 、リウッ 代には映画の第一次黄金時代が来ます。日本も早いノ ・ニ十世紀の三大発明のひとつ、精神分析 ドに二年遅れで、東京の向島に日活のガラス張りの大撮影所が 君たちは家出をしたことがありますか 私はしよっちゅう、家出をしていました。それは、「もはや誰できます。 二つ目の発明は原子爆弾、もう一つは精神分析ではないだろ の息子でもない , という存在になりたかったのです。限定され た父と母、家、家族、共同体、そういうものから出ていくとい 映画、原子爆弾、精神分析が三大発明です。三大思想家の一 うことは、誰の息子でもない、あるいは誰の娘でもない、そう 人であるフロイト、そして三大発明の一つの精神分析。精神分 いうものに対する欲求があるような気がします。 197 東大で文学を学ぶ

2. 小説トリッパー 2014年春季号

ものの存在を、人は信じている。 で、土左衛門が上がって人だかりがしとったから、どんな だから、精神分析には独特の危うさがある。はっきり確 仏さんやろと思て、よう見たら、熊さん、おまえさんやが 証されない幼年時代、その人自身があったと思い込んでい な」「え、わしがそこで死んどるんか、そら、すぐ行ってみ るだけの幼年時代なんか、頼りになるのか ? そんなもの なあかん。あ、ほんまにこれはわしやがな。かわいそうな で、治療ができるのか ? わし、こんな姿になってしもうて」 フロイトは、語られた幼年時代をどう受け取ったらよい しゃれこうべではなく、土左衛門だが、精神分析家は、 のかという問いに答えて、次のように述べている。その現 こういう「自分ーを受け取ること ( を助けること ) が仕事 である。 実性は、たしかに保証されていない。しかしわれわれは、 アレキサンダー大王が実在だったことを信じている。歴史 しゃれこうべとか土左衛門の間はそれなりに扱いやすい 的に積み上げられてきたものを信じるという習慣を、われ が、それらのものは、けっこうたやすく生き返ったりもす われは持っている。これを捨てる必要はない。だから、語 る。そ、つい、つときには、なかなか扱いがむずかしいときも られた幼年時代も信じよう、と。 ある。しかし、アレキサンダーや源頼朝に関する実在性と ただしフロイトは、この「精神分析入門』という一般向 同じものが、実はそこにある。少々不合理さがあったとし けの講義では、言わないでおいたことがある。それは、フ ても、歴史と個人史を重ねる冒険こそ、精神分析の賭けで ある。 ロイトの言っているアレキサンダ 1 大王の実在性のような ものは、精神分析では、源頼朝公幼少のみぎりのしゃれこ 安直なテレビドラマで多重人格が登場して、子供人格が せん うべという形で、どんどん発生するということである。フ 最強だったりする。フロイトの賭けは、そんな二番煎じだ ロイトはそのあとで、ヒステリーや夢の例を沢山挙げてい けに使うのはもったいない。これからの世紀の思想的挑戦 る。フロイトが答えに使った歴史的実在性と、個人の幼年 にそれは生かしてゆくべきものだ。 時代の実在性とは、どうも違うらしいと思う人もあるだろ う。たしかに、精神分析の中では、「俺は実は幼年期の源頼 捨子物語は非性的な物語です。捨子物語にとっての両親は、 朝だ」というような不合理な観念が生まれる。実は、その人間、人格というより神です。だから葛藤はない、愛憎もあり 不合理さを実在性として受け取ってゆく技術が、精神分析ません。自分自身は守られているというナルシシズムの世界で、 なのである。 これは童話やメルヘンの世界の一つの基本になっています。 そこっ 落語には、「粗忽長屋 . という演目がある。大阪の長屋と 一方、私生児物語では、主人公は、自分が誰を愛し、誰を憎 いうことにしておこ、つ。「熊さん、えらいこっちやで、そこ んでいるかを知っている。しかも、母親は不義を働いて堕落し 辻原登 208

3. 小説トリッパー 2014年春季号

枚数で言うより重さで指示を出したほうがニュ 1 スを広範囲でた。バイクに二人乗りして、持たされた商品を私が落としでも したら一大事だからである。 ざくりと捌けて、その日のエ 1 ジェンシ 1 の商いのカの入れど ころがより明確になるのだった。それは、卸し業者が問屋に威「今日は、ちょっとしたドライプになるよ」 勢良く量り売りするような光景だった。 スポ 1 ッと政経と私を積んで、アントニオは車を飛ばす。 「価格は、いつも通りでいくから。バラ売りはなし。セット売 りの最低点数は、十点だ」 アントニオが担当する大手出版社は、昔は筋金入りの左派で ああ厳しいなあ、アントニオが大げさにため息をついてみせ知られていた。創立者は北イタリアの知識層を代表する傑物だっ る。 たが、やがて経営難に陥り、出版社は居抜きで売却されてしまっ 一点だけ売ってくるな、必ず十点以上まとめ売りしろ、と命た。会社自体は残ったものの、新しい経営者が右派であったた じられても、政経もので十点以上を売るには、四ペ 1 ジ以上のめ、社の方針が逆向きとなった。出版業界とは無縁の、新進実 業家が潤沢な資金力に飽かせて買い上げたのは、政界に進出し 特集記事にする必要があるだろう。 皆がうんざりしている政情を、写真入りで四ペ 1 ジもの特集ようとする彼が世論調整の足がかりにするためだ、と噂された。 にする媒体があるだろうか 左派の創立者が去ったとき、大勢の記者や編集者たちも揃っ アントニオは思案顔である。 て社を後にした。しかし社員全員が、自らの宗旨を守るために 一方スキャンダル専門誌の担当者は、余裕の笑顔で出かける 安定した収入を見捨てられるわけではない。社風に賛同して入 仕度をしている。カンヌ映画祭ものが大量に入荷していて、そ社したのに経営者が変わり、それまで自分とは対極をなしてい た世界で働くことになってしまった。 こにはアメリカの人気女優が新しい恋人と食事をしているカッ トやら、売り込みのために路上で全裸になりポ 1 ズを取る若い 行く先と辞める勇気が見つからず、会社に残った者たちは、 女優ものがあるのを見て、楽に売り捌けるのがもうわかっていその後すっと忸怩たる思いを抱えて働いている。 るからである。 ジュ 1 ト袋を持ち込んでからごくわずかな時間で、いくつも 「今日は、また格別にお美しい ! 」 歯の浮くようなアントニオの世辞に、受付の若い女性たちが の企画商品が出来上がった。貸し出し伝票にサインをすると、 華やかな笑い声を立てて応対している。 営業担当者たちはヘルメットを被り、重い鞄をしつかりとオ 1 じゃれ合うように挨拶を終え、アントニオが磁気入りカ 1 ド トバイの荷台に括り付け、けたたましいエンジン音を残して早 を持って戻ってきた。 朝の町へと走り出ていった。 私を連れていく番に当たった営業担当者は、車を出してくれ 「以前は受付には熟年の男が二人、だったのだけれどね」 内田洋子 54

4. 小説トリッパー 2014年春季号

るうちに楽しみましようよ。それでいいじゃないですか。運が りするのだが、その作り笑いはヘタクソすぎて、見ていて痛々 しいくらいだった。 良ければ「上」に行かれるかもしれないけど、行かれなくても 楽しめますよ。そうでしょ ? 堀はいっぺん桶狭間に、 みんなほんとは「世界制覇ーの野望なんかないし、あったと 「無理してます ? と、思わず訊いてしまったことがある。桶狭間は、はっきり しても、それについて何をどうすりやいいのかなんて判らない。 だからそんな野望、なくていい。あってもいいけど。 した声で間髪をいれず、 堀はそう思っていた。こういう風にはっきりと、思考を文章「はい ! 」 と答えてから、ハッと見開いた目で堀を見つめた。 化して考え尽くしたわけじゃなかったけど、結果的にそう考え そのまなざしの美しさを、堀はいつまでも忘れることができ ていたわけだった。地下アイドルの世界とは、自己肯定の世界 ない。ああ、この人は、がんばろうとしてもがんばりきれない である、みたいな ? そう考えるのが正しいかどうかは知らな ガチでがんばってる地下アイドルたちを馬鹿にした考え方人だ、と思った。努力すれば努力の跡がわざとらしく残り、し なのかもしれない。でも別に堀は、自分が彼女たちをそういう かも続かない人なんだ。堀はもうちょっとで、ボクもそうなん 気持ちで見ていることを人に宣伝するつもりもなかったし、まですよ、なんていってしまいそうになった。 いわなくて、本当によかった。せめて。彼女が脱退、つまり してや彼女たちに気に入られようとか、友だちになろうともし なかった。 堀たちの世界から完全消失した今、つくづく彼はそう思ってい た。桶狭間ミリヤは、堀毅と同じじゃなかった。全然。これつ だから堀は桶狭間ミリヤを推していたのだ。ほかのメンバー やアイドルたちは、自分に投票したり握手を求めてくる人に向ほっちも。 かって、会いたかったですう ! とか、今日も来てくれたん 「ここにいたら、情けない人間になる。」 だあ ! なんていってくる。まるで友だちであるかのように。 彼女は人一倍、野心に燃えていたのだ。それが、アイドルに なるという野心だったかどうかは判らない。多分違ったんだろ 桶狭間にはそういう明るさもなかったし、社交辞令も下手だっ う。もっと本格的な歌手か女優になりたかったんじゃないだろ た。いつもほんの少し猫背で、どうも、という。それから慌て うか。握手会とか人気投票みたいな、コンテクストにかまけた て、あ、マネ 1 ジャ 1 に「どうもっていうなっていわれてた んだ、といって焦る。ほかのアイドルなら、たやすく笑いにで世界に、うんざりしちゃったのだ。だからあんなにも綺麗さっ ばり、跡形もなく、いなくなったのだろう。 きるであろうこんな話をするときも、桶狭間はただ眉間に皺を 桶狭間ミリヤ、だった人、が、これからどうするつもりなの 寄せて焦るだけだ。愛想は全然なかった。しかもそういう自分 か、進学、就職、結婚、もしかしたら新しい名前になって新規 をなんとか矯正しようとしているらしく、無理に笑顔を作った 311 あの日、マーラーが

5. 小説トリッパー 2014年春季号

『古事記』と 『源氏物語」 何だか辻原の講義は漂流しはじめたぞ、とみなさんの顔には そんな表情が浮かんでいる。じつは、私も同じ思いなのです。 しかし、もう乗りかかった舟です。何とか最終目的港の「谷崎 へ辿り着いてみせますから。 神話批評としての『源氏物語』 したかを語る神代の物語です。中巻は建国記、神武東征から始 まって大和国家の樹立、神々の世界から人間の世界への移行を 語る。下巻は、既に儒教や仏教思想によって中央集権国家、い わゆる律令国家の体裁が整ったことが書かれています。『古事記』 はすべて漢語 ( 漢字 ) で表記されています。太安万侶による序 べんれい 文は純粋の漢文体 ( 唐代の気品の高いとされる駢儷体 ) 、本文は 三種の変態漢文、歌謡は一音節一字の仮名で表記されています。 ・『古事記』の構成について なかつまきしもつまき かみつまきあわ 『古事記』は、上巻拜せ序、中巻、下巻に分かれています。序内容は神話、伝説、歌謡、神祀、祭祀、儀礼風習、歴史的記録 などです。 文と上巻は『旧約聖書』の創世記と同じで、この世界がどうやっ これから話すことは大体、折ロ信夫の『日本文学啓蒙』 ( 折ロ てできたか、国土の由来、皇室の祖先がどうしてこの国に降臨 第四講義 辻原登 216

6. 小説トリッパー 2014年春季号

にこそ創造性が満ちあふれる、という見 澤はあとがきで〈振り返ってみて色々と 『ピストルズ』などである。なぜそんなこ 思うことはある。とくに、どうしてこん地から書かれた本なのだ。しかもその歴 とをするのか。〈批評するとは自分を問う こと。それによって自分と世界を変えるなに苛立っているのかということが、読史的スケ 1 ルが大きい。福嶋は山崎正和 はくすきのえ こと〉という〈切実な衝動を批評に求め〉む人によっては理解できないと思う。私を援用しつつ、白村江の戦いや壬申の乱 にも理解できない。見苦しいとも感じる〉からの復興が白鳳文化につながり、源平 るからだ。探偵と批評家の類似はこれま と書いている。それでも書かずにいられ合戦が鎌倉仏教や『平家物語』につなが でも指摘されてきたが、こうして実践さ り、南北朝時代が能楽や『太平記』に、 れてみると滑稽味もおびてくる。ちょっ 応仁の乱が東山文化につながったという と滑稽なんだけど、著者の切実さもまた のだから。柿本人麻呂や空海を論じ、中 ほんとうで、その微妙な居心地の悪さが 福嶋亮大『復興文化論』は、タイトル 読者を巻き込み、批評を前へ前へと進めだけ見ると東日本大震災からの復興につ国における王朝の滅亡と孔子や『水滸伝』 との関連を論じていく。古い話ばかりで ていく。 いて書かれた評論かと思う人が多いだろ 三編を通じ、異様な迫力を感じる。大う。ところがこれは、日本文化は復興期はない。中上健次や太宰治や川端康成や、 さらには宮崎駿や村上春樹までも。柿本 人麻呂と村上春樹が、ともに復興期の文 化だったなんて。 木村朗子「震災後文学の副題は「あ たらしい日本文学のために」である。東 日本大震災を境に、世界が変わり、価値 観が変わった、文学はその現実を言葉に 冊 しようとし続けている、という立場で、 む 読 震災後に書かれた文学作品を批評する。 を とりあげられるのは川上弘美『神様論 の 2011 』や高橋源一郎『恋する原発』、 近 最 辺見庸『青い花』など。 木村は、震災後に原発と放射能汚染に 坪内祐三『昭和の子供だ君たちも』 ( 新潮社 ) 大澤信亮『新世紀神曲』 ( 新潮社 ) 福嶋亮大『復興文化論ーーー日本的創造の系譜』 ( 青土社 ) 木村朗子『震災後文学論ーーーあたらしい日本文学のために』 ( 青土社 ) 鶴見太郎『座談の思想』 ( 新潮選書 ) 東浩紀『セカイからもっと近くにーーー現実から切り離された文学の諸問題』 ( 東京創 佐々木敦『シチュエーションズーー「以後」をめぐって』 ( 文藝春秋 ) 古川日出男『小説のデーモンたち』 ( スイッチバブリッシング ) 柄谷行人『遊動侖 言ーー柳田国男と山人』 ( 文春新書 ) 重金敦之『食彩の文学事典』 ( 講談社 )

7. 小説トリッパー 2014年春季号

CONTENTS く特集〉 世界の果てまで 旅したい

8. 小説トリッパー 2014年春季号

世界の 果てまで 旅したい 〈対談〉 下川裕治 X 吉田友和 「旅を書をということ 〈読切ノンフィクション〉 常見 ~ 滕代女一人、イスラム旅 新連載〕 石井光太 世界の産声に耳を澄ます 内田洋子 イタリアからイタリアへ 冖 〈特集〉 -6 ・ 4 0 人 。既叫阯 5. 0 〔特別対論〕 小熊英ニ X 木村草太 憲法と政治参加を考える 〈追悼〉山本兼一 安部龍太郎縄田一男 連載完結〕 辻原登東大で文学を学ぶ ドストエフスキーから谷崎潤一郎へ 湊かなえ物語のおわり 葉室麟風花帖 麻生幾背面捜査 森日麿偽恋愛小説家順 鈴木英柳生左門雷獣狩り 136 162 362

9. 小説トリッパー 2014年春季号

賞する人たちはみな耳で聴く。多分、紫式部ではなく、読むのく、文化的なさまざまな距離があった。東京の日本橋に生まれ がうまい女房が読んで、天皇もやってきてそれを聴く。声によ た谷崎が関西に移住するということは、ほとんど外国移住みた ふうてん る物語です。『夢の浮橋』以降の『瘋癲老人日記』や『台所太平 いなものです。しかも、その土地の言葉を話せるようになると 記』も谷崎の声によるものが書き取られ、今われわれは目で読 いうことは、大仰に言えば、フランス語から英語、あるいはオ んでいる。 ランダ語からイタリア語を使えるようになるぐらいの関係です。 「夢の浮橋』を書いた三十四年の五年前に谷崎は二回目の『源ですから、谷崎にはたくさんの関西弁の通訳がいます。彼女た まんじ 氏物語』の現代語訳を完成させています。つまり、この小説のちの協力によって『細雪』や『夢の浮橋』、『春琴抄』『卍』『蘆 冒頭の「五十四帖を読み終り待りてほと、ぎす五位の庵に来刈』『吉野高』「猫と庄蔵と一一人の女』など、信じられないよう 啼く今日渡りをへたる夢のうきはし」、これは主人公の母親の歌な傑作が生み出されました。 ですが、同時にこの物語を書き始める谷崎の心境でもあったの こういう作家は、意外に思うかもしれませんが、案外多いの でしようか。ついに二回目の『源氏物語』の現代語訳が終わっ です。ヘンリ 1 ・ジェ 1 ムスはアメリカ生まれでイギリスに移 た。つまり、「夢浮橋」は『源氏物語』の最後の帖ですから、そ住します。アメリカとイギリスとの関係は東京と京都の関係と の橋を渡り終えたという谷崎の感慨もこの小説の冒頭の歌に込近い。あるいはコンラッドは、ポーランドからイギリスへ、。そ められていると思われます。 の移動した場所の言語で物語を紡ぐというのは面白い。谷崎が 関西に移住したのは、単に日本の中を東から西に移動したとい うだけではなく、古典回帰でもあるが、同時にこれはモダニズ ・谷崎のモダニズム ムそのものです。 この地図は私が一生懸命つくったものです。捨てないで下さ 第一次世界大戦で、十九世紀ョ 1 ロッパは粉々になってしまっ ( 笑い ) 。ご覧なさい、日本海と太平洋、大阪湾、紀伊水道、 た。もう一度それを言語として取り集めるにはどうしたらいい 紀伊半島、京都、神戸、大阪、吉野、これらを舞台に、谷崎の かという問いかけがあった。ギリシャ・ロ 1 マの古典に戻り、 あまたの傑作が生まれています。「乱菊物語』を読んだ人はあま古典の枠組を使って作品を書く。世界を再構築する。モダニズ りいないかもしれませんが、京都と姫路と瀬戸内海の室津と家ムです。新しいことをやることがモダニズムではありません。 島を舞台にした公卿、大名、遊女、海賊、明の貿易商などが登谷崎がやろうとしたことは、単に古い日本に帰ったということ 場して、波瀾万丈、めちゃくちゃに面白い。 ではなく、関東大震災で粉々になったヨーロッパ近代の模像装 谷崎の関西移住は、前に言ったようにこのころの東京と関西、置としての東京、いや近代日本を「関西」によって再構築する 京・大阪とには大きな距離があった。空間的な距離ばかりでな ことだったのです。しかも、たった一人で。 辻原登 2

10. 小説トリッパー 2014年春季号

れているのか でその魂が白鳥となって昇天するという物語の中にすくい取る。 それまでの大和の共同体内部における罪は、国っ罪と、神に あるいは閉じ込める。その分離によって人間天皇を導き出し、 あまつみ 対する罪・天っ罪の二つに大別されていました。性的な関係に 祭政一致の古代国家から律令国家への転換が成し遂げられる。 『古事記』が神話であり同時に歴史書であるという深い意味もおいては、母子相姦は国っ罪だが、兄妹の相姦は禁止されてい ません。それまでの共同体において天皇になる人物の好きな女 ここにあると思います。分離された文化英雄、悲劇の英雄とし ての倭建命の物語が、日本の物語のヒ 1 ロ 1 の典型となる。わ性がたとえ妹であってもかまわない。王位に就くことができた。 れわれの物語のヒ 1 ローは、孤独と恋と流浪と敗北の中で死んところが、允恭天皇の時代の軽太子と衣通姫の物語は、恋と近 親相姦と王位の三つを一緒にすることができない時代が来たと でゆく。彼らには神々の輝きがっきまとう。貴種流離譚です。 いうことを意味しています。ちなみに、允恭帝は十九代、西暦 もう一つはいろごのみ。これは好色という意味ではなく、そ 四一二年即位です。先に出た景行帝は十二代、西暦七一年即位 の土地の霊力を身につけているのはその土地の有力者の娘で、 その女性と関係を結ぶことがその土地の霊を自分のものにする 景行天皇の時代には既に倭建命の暴力は許されなかった。そ ことになる。これが古代から日本人の考え方の基本にあるいろ して允恭天皇の軽太子では、今度は恋が禁止される対象になり ごのみということです。 ます。それまでの世界では同母の兄妹の恋はごく自然であった。 しかも、軽太子は次の天皇になる人ですから妹と結婚しようが 問題はなかったはずですが、認められなくなった。つまり、こ ・「軽太子と衣通姫」 こで恋あるいは結婚と統治、王権が分離するということです。 ついでにもうひとつ、『古事記』の中にある、やはり象徴的な 軽太子の物語を読むとわかりますが、「世論。というものが登 エピソ 1 ドにも触れておきましよう。 いんぎよう かるのひつぎのみこそとほりひめ 場してきています。民衆がどう考えているか「民衆が皆背いて 允恭天皇の御代に、「軽太子と衣通姫ーの物語が置かれてい しまった」という記述がありますが、「古事記』の物語で政治の ます。これが『古事記』下巻半ばにあることは非常に興味深い ものがあります。軽太子は天皇に即位を予定されていた允恭天中に民衆が登場するのは初めてではないだろうか。軽太子の恋 皇の長男で、衣通姫は同腹の妹です。衣通姫は、その艷色、美もそれまでなら自然な行為だったのに反乱とみなされ、太子も しさが衣を通して照り輝くほど美しかったので衣通姫と呼ばれそれに逆らうことが許されず兵に取り巻かれて結局、流刑とな ります。今では四国の愛媛も遠くはありませんが、当時はまさ ていました。兄妹が恋に落ち、軽太子は四国の愛媛に流されま に地の果てです。妹の衣通姫は兄を追ってゆき、心中したので す。兄を追って衣通姫は愛媛に行き心中する。これは世界で最 も古い恋の心中物語でしよう。どうしてこの物語がここに置かす。 つみ 223 東大で文学を学ぶ