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検索対象: 小説トリッパー 2014年春季号
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1. 小説トリッパー 2014年春季号

対する深い認識と洞察力がなければ、とうてい多くの登場人物両性具有的存在です。すべてはほのめかしですが、糺は父とそっ くり、そして武は母とそっくりという設定です。 を支えきれません。悪を描くにも、善を描くにも、恋を、ある まだ武は子供ですが、「私ー ( 糺 ) は最後に無理矢理、丹波か いは風に揺れる一本の樹を描くにしても。 思想が土台です。思想がテ 1 マをかたちづくってゆく。最初ら武を引き取り、二人きりの ( 乳母は戻ってきますが ) 微妙な にテ 1 マをつかんで始めることができる作家もいれば、書きな生活が始まります。つまり、武は源氏にとっての冷泉帝であり、 かっ若紫とみなすことができます。光源氏がまだあどけない少 がらテーマをつかむ人もいます、それぞれです。やはりいいテー 女を見初める。実は藤壺の姪であることがわかります。場所は マをつかむ、これがいい作品を書くための基本です。しかし、 いいテ 1 マがみつかるかどうか、いいテ 1 マだったのかどうか、 武が里子に遣られたところとほとんど同じ、京都の北、北山の ほうです。源氏は少女を京に連れてきて大事に育てます。大き 書き終えてみないとわかりません。 では、『源氏物語』のテ 1 マ、思想は何かというと、何度も言くなるにつれ、少女 ( 紫の上 ) は藤壺そっくりになる。 武は男の子という設定ですが、母とそっくりだということが うようにいろごのみと貴種流離、そして、無常観です。無常観 はもののあはれと言いかえてもよい。光源氏の誕生は貴種流離はっきりと繰り返し語られています。『源氏物語』の三人の関係 で、彼のドラマチックな人生の展開はいろごのみであり、最後を『夢の浮橋』の三人に移行させる。なぜこういうことを谷崎 がするのかというと、先にも言ったことですが、日本の物語の につかむのは無常観 ( もののあはれ ) です。 根元である『源氏物語』にたどり着くためです。 これは古代の英雄にはあり得なかったことです。 それはさておいて、ここには母子相姦だけでなく、父子相姦 の匂いが濃く漂っている。これは谷崎のモチーフの一つでもあ るのですが、先に論じた父親殺しの物語、息子は父親を殺すこ ・『源氏物語』と『夢の浮橋』を比べてみる ( この項は、秦恒平 「谷崎潤一郎ー〈源氏物語〉体験ー』 ( 筑摩書房一九七六年 ) に とによって「父親ーを生み返す、というパラドキシカルな関係 触発され、展開するものです ) から、父と子の関係が、もう一つ別のレベルの関係へ。父と子 では、谷崎潤一郎の『夢の浮橋』です。父親と息子の糺。糺の共生と結婚へと移行する。むろん、これは谷崎独特の文学的 は主人公であり、手記の作者、物語の語り手です。それから弟フィクションであり、谷崎が『源氏』を媒介に、あるいはパス の武。しかし、武はどうやら継母の茅渟と糺の間にできた不義ティ 1 シュしつつ、いかなる夢を見ていたのか、想像してみる のはわくわくするほど面白い の子である可能性がある。 『源氏物語』では、藤壺と光源氏はおそらく三回肉体関係があっ 『夢の浮橋』と「源氏』を重ねて読んでみよう。茅渟は糺の母 たと考えられますが、不義の子を天皇の位に就けるために二人 であり実質的な妻で、武は弟であり子であり、最後は妻になる 辻原登 2 料

2. 小説トリッパー 2014年春季号

そうか、と左門はいった。 そうか、と左門はいった。 もし左門を四郎に会わせれば、一揆が 「吾郎造、松平忠長がいるかどうかは別 「もともと柳生は忍び仕事を得手として近いことを確実に覚ることも恐れている にして、天草四郎どのに会わせてくれぬ いる。その中でも闇討ちは得意中の得意のかもしれない。左門から計画がよそに か。是非ともお願いしたいし だ」 漏れることへの恐れもあるにちがいない。 しんし 左門が真摯な口調で頼み込むと、吾郎「得意中の得意にございますか」 「吾郎造、一揆はもう近いのだな」 造の目がきらりと光を帯びた。 吾郎造が、人のよさげな笑みを頬に浮 吾郎造を見据えて、左門はいった。 かべてみせた。 しえ : : : そのよ、つなことは : 「柳生さま、念のためにうかがっておき 「えつ。 ますが、まさか、四郎さまを害するため その笑顔を見る限り、わずかながらで 「そのような微妙な時期に、四郎どのの に会おうとなされているのではありませも左門に気を許したのではないかと見え手をわずらわせたくないという気持ちは んねー たが、四郎に会わせるべきかどうか、吾よくわかる。だが、どうしても会わせて 郎造はまだ迷っているようだ。 ふつ、と左門は小さく笑った。 ほしいのだ」 「もし俺が四郎どのを亡き者にするつも 左門に圭ロ意がないことは、も、つはっき うなるような顔つきで、吾郎造が左門 りなら、わざわざおぬしに話を持ちかけ りと感じ取っているにもかかわらず、たをじっと見ている。 はせぬ。おのれのカで四郎どのを捜し出めらいがあるとはどういうことなのか 「わかりました」 し、ひそかに始末することになろう」 もしや、と左門は気づいた。理由は一 ついに吾郎造がいった。 始末、という容赦のない言葉に吾郎造っなのではないか。おそらく暴発が近い 「手前が柳生さまを、四郎さまのもとに が顔をゆがめる。だがすぐに、なるほど、 のだろう。一揆が間近に迫っているのだ。 お連れいたしますー とい、つよ、つに、つなず . いた。 今日は、寛永十四年十月一一十三日であ「ありがたし」 る。吾郎造の様子からして、まさか明日 「失礼ないい方をいたしますが、柳生さ 左門は素直に謝意をあらわした。 まご一門は、闇討ちというような仕事は とい、つことはないよ、つな気がするが、一一、 「ただし柳生さま、目隠しをさせていた お手のものとうかがっております」 三日のちにはキリシタンを中心とした百だきます。その上で、両刀も預からせて ほ、つを」 「よく知っているな。その通りだ」 姓衆が蜂起するのではないだろうか。 いただきます。よろしゅうございますか」 気を悪くすることもなく、左門はあっ 今その支度に、四郎は忙殺されている 「そのくらいのことは、はなから心得て さりと肯定した。 のだろう。だから、できれば関係のない いる」 「ええ、こんな田舎でも噂だけはよく入っ者を会わせたくないという気持ちが、吾 「それと、柳生さまが目にされたことは、 てまいります 郎造にはあるのだ。 すべて他言無用に願いますー 鈴木英治 376

3. 小説トリッパー 2014年春季号

夕食を食べに行っていたおばんざい屋さんの客に、山本 さんの中学時代の同級生がいて、彼女の紹介で知り合った のでした。 彼はほがらかで気さくな人です。苦労人であり、人の話 を聞くやさしい耳を持っています。ですから私も盃を酌み 交わしながら、楽しく歴史小説の話をすることができたの ですが、もっとも感心したのは歴史小説にかける彼の真剣 さと情熱でした。 資料を読み込む力には定評がありましたし、必要な本や 資料は労をいとわず集めていました。実際に自分で経験し てみなければ細かいことは分らないと言って、火縄銃を買 い込んで前装銃の射撃大会にも出場していました。 「ほら、これが三匁玉ですよ」 そう言って、自分で作った直径七センチほどの鉛玉をプ レゼントしてくれたこともあります。 剣士を描くために抜刀術を習っていたし、刀鍛冶のもと に修行に行き、向かい鎚を打たせてもらったこともあった そうです。 歴史のとらえ方や興味の持ち方にも共通するところがた くさんありました。中でも戦国時代を江戸時代の鎖国史観 や士農工商の身分差別史観でとらえるのはおかしいと、同 志的な共感を持って語り合いました。 戦国時代は大航海時代であり、その波に乗ってスペイン やポルトガルが東アジアに進出してきました。その頃日本 もんめ では石見銀山が開発され、空前の好景気と高度経済成長の 時代を迎えたのでした。狩野永徳や長谷川等伯を輩出した 安土桃山文化が花開いたのもそのためです。 こうした認識を基本にしなければ戦国時代の本当の姿は 分らない。その考えを作品化するために、彼は『花鳥の夢』 や『銀の島』、『ジパング島発見記』を書きましたし、私は 『等伯』や『レオン氏郷』、『五峰の鷹』などを上梓して道を 同じくしました。 山本さんと最後に会ったのは昨年の十月のことです。そ の時にはとてもお元気で、「二人で新しい時代をきずいてい こう」と語り合いながら、おいしいワインを傾けました。 それからわずか四カ月後にこのように哀しい知らせが届 くとは、今でも信じられないし残念でたまりません。彼の 頭の中にはいくつもの作品の構想があり、やがて世に出る 時を待っていました。その機会を永遠に奪われたことを、 本人が一番無念に思っていることでしよう。 どうかこれからも山本さんの作品をたくさん読み、貴兄 の美術研究と人生構築の参考にして下さい。器量の大きな 人だけに、まだまだ未完のままだったという思いは強いの ですが、小説にかける熱意と誠実さはどの作品からも感じ 取れるはずです。 以上、思いついたことをしたためました。書き足りない ことも多いと思いますが、とり急ぎ返信させていただきま す。 365 く追悼〉山本兼一

4. 小説トリッパー 2014年春季号

「野獣は求婚してるだけだし、断っても怒り返さないのはヒロ者がそんな考えを持っていなかったとは言えない そう言えば、昔映画になったものを観たときに、最後に人間 インのベルに去られると困るからだよ。それを勝手に彼女が人 に姿が変わるシ 1 ンに妙な違和感を覚えたものだ。何というか、 の良さととらえている。 「でも、病気のお父さんのために家へ帰してくれますよね ? 」騙された感じ、というのだろうか。ヒロインのベルは野獣を愛 「騒ぐようなことか ? 帰さないって言ったらただの傍若無人した。何の見返りも求めずに。なのにーそう、たしかに夢セ ンセの言うとおり、あのときわたしは自分たちのためにこのラ だろ ? それほど酷くなかったってだけだよ ストが用意された、と感じたのだった。 「む : : : そりゃあそうですけど 「たとえ元が人間だろうと、野獣からはかって備わっていた知「今回ばかりは、同意してもらえたみたいだね わたしは何となく面白くない気持ちを抱えて黙っていた。 性も品格も感じられない。フランス語の野獣 (Béte) には動物 まカまが 「本物の感情はときにモラルとは無縁だ。大事なのはその時何 ではない禍々しい生き物という意味があるように、彼は禍々し を感じ、何を考えたのか。魂と魂の触れ合う真空地帯には穢れ い存在なんだ。異常な恋には違いない」 なんかない。たとえ野獣があのまま死んでしまってもね。野獣 「でも、実際は王子なわけで : : : 」 「結果論だよ。王子だとわかって恋していたわけじゃない。そは野獣でよかったのさ。名前なんか必要ないんだ」 種の異なる野獣との不道徳な恋。その奥に潜むピュアな感情。 れとも大昔は野獣と恋愛することが許されていたとでも ? 」 ないでしようね 『彼女』のテ 1 マとつながる気がした。 「それは 「『美女と野獣』の作者が一一人とも女性というのも何やら暗示的 「だろ ? いけないことをしてるのさ、このヒロインは」 だね。十八世紀の窮屈な道徳観のなかで、彼女たちがいったい 屁理屈だ、とは思う。だが、この屁理屈を曲げる理屈が思い どんな恋愛をしていたのかー興味深いよー つかない 今『美女と野獣』の例を出したのは、『彼女』のなかに潜む野 「最後に『じつは王子様でした』ってつけるのは、言ってみれ 獣が埴井潔ではないことを仄めかしたのではなかっただろうか ? ば不道徳な恋愛を世間が美談に変えるための手続きでしかない。 インモラルの象徴としての野獣。だとしたら、『彼女』のなか 二人にしてみれば、野獣が王子に戻ろうがどうなろうが、愛し で野獣の役目を果たすのは、埴井潔ではなくてー本木晃 ? 合ってるんだから何も問題はない。世間様を安心させるための 「 : : : で、ほかに話したいことって ? デ 1 トがしたいとかな ラストだ。〈こうして美女と野獣はいつまでも楽しく暮らしまし た。おしまい〉では種が保てなくなって、人間社会が崩壊してら断るよ。今年いつばいは予定がぎっしりだから」 しま、つからね 「そんなこと頼みませんよ」 種の保存のためのハッピ 1 エンド。もちろん、無意識下で作「あっそう」 , どうでもよさそうにあくびをする。 Ⅱ 1 偽恋愛小説家

5. 小説トリッパー 2014年春季号

景というテーマで原稿依頼がきて、新疆ウイグル自治区とパ いてしまうんですよね。 キスタンを結ぶ、カラコルム・ハイウェイを取り上げたんです。吉田同じですね。アンコールワットを見たとしても、「アンコー でも、僕は三回も往復しているのに、どこが絶景なのかよくわルワット見てきました」で終わってしまう。どんな遺跡かとい かっていない。山がきれいだとか、湖があって眺めがいいとか、 う解説は、ガイドブックに書いてありますし。それよりも、そ そんなことは知識としてわかってるんですよ。でも、あんまり こに行く途中で出会った現地の人や旅行者の話のほうが、すっ 見ていない。結局、「峠を越える道がひどくて、バスで僕の二、 とおもしろいし、ネタになります。 三席隣りに座っていた女の子が吐いてしまった。それが流れて 下川一応、目的はあるんですよね。「〇 x に乗る」とか、「〇 くるかこないか気が気じゃなかった」という、そんなことを書〇に行く」とか。でも、そのことについて実はあまり書いてい phtograph 域 Abe Toshiya 9 「旅を書く」ということ

6. 小説トリッパー 2014年春季号

怯なはめ手を使うなどと非難しましたが、やがてそのように言 そんなおり、思いがけない話を杉坂様から聞かされました。 めあわ われることさえなくなりました。 親戚の間で、わたしと吉乃様を娶せようという話が出ている 夢想願流を使う変わり者とだけ言われて、腕前については、 というのです。わたしさえよければ、縁組の話を進めるが、ど 、つかとい、つことでございました。 相変わらす無視され続けたのです。 わたしはなんとなくすべてを諦めました。 わたしは天にも昇る心地で杉坂様に頭を下げ、ぜひともお願 叔父がそうであったように、どれだけ努力しても、カがあっ いいたします、とお伝えしました。杉坂様は温顔で微笑んでく ん癶、り・、 ても、ひとに受け入れてもらえない、めぐり合わせの者はいる のだ、と考えるようになったのです。 ては、いずれ吉乃に伝えるが、それまでは内密にしておくよ 、つに」 ところが、屋敷が火事になり、吉乃様のお屋敷に住むことに なってから、わたしにとって初めてのことが起こりました。 とおっしやったのです。わたしは嬉しさのあまり、部屋に戻っ 吉乃様がわたしに親しげに笑いかけ、話しかけてくださったても体の震えが止まりませんでした。 のです。そのころ、吉乃様はまだ、十二、三歳で子供らしさが 吉乃様を妻に迎えることができる、それだけで、わたしの幸 残っておられ、他家の男であるわたしにも気兼ねなく話しかけせは約東されたも同然だと思ったのです。しかし、そんなころ、 られたのだと思います。 わたしは伊勢勘十郎が素戔鳴神社で吉乃様に無体を仕掛けてい わたしは若い女人と話すなど初めてでしたから戸惑い、顔を るところに行き会いました。 赤くしたと思いますが、吉乃様はそれがおかしいと言って笑っ あのおり、ひどくおびえられていた吉乃様を見て、わたしは てくださったのです。 いすれ妻になるひとなのだ、という思いもあって、吉乃様をお 吉乃様の笑い声を聞くだけで、わたしの頑なな気持はほぐれ守りいたします、このことは生涯かけて変わりません、と申し ました。なにより、わたしは杉坂屋敷の中庭に面した縁側でほ上げました。 ころび始めた梅の花を見ながら、吉乃様とたわいもない話をし そして御前試合の日、勘十郎を完膚無きまでに叩き伏せたの です。 ているおりに、いままでにない幸せな思いを抱いたのです。 けんもっ おかげで吉乃様の父上である杉坂監物様ともかしこまらずに わたしはあの日、勘十郎が吉乃様にしたことが許せませんで 話をすることができました。ですが、それはいずれ終わる時が した、その思いから勘十郎に怪我を負わせてしまいました。 来るのはわかっておりました。 そのことで、わたしと吉乃様の縁組はなくなり、三年間の江 父が寄寓先の親戚の家で亡くなり、わたしは杉坂様のお屋敷戸詰めの後、国許に戻ると吉乃様は菅様に嫁がれることが決まっ ておられました。 を出て一家を構えなくてはならなかったからです。 ほほえ 葉室麟 88

7. 小説トリッパー 2014年春季号

う天草の中心地を攻め、寺沢家の役人や いや、この地には天主教が深く根づい る家でございます。鼻はまちがいなく利 きましよう。この村の場所を知られてしている。天国といったほうがよいのだろ兵を殺し、追い出した。さらに十一月十 四日には、千五百といわれる寺沢勢と大 ま、つと、我らがこの村からどこへと向かっ 規模な合戦に及んだ。 たか、嗅ぎつけるやもしれませぬ」 この戦いで天草四郎勢は、寺沢家の天 その言葉を受けて、にこやかに四郎が 五 とみおか みやけとう 草支配の拠点である富岡城城代の三宅藤 笑った。 兵衛を討ち取るほどの大勝利を挙げた。 寛永十四年十月一一十五日。 「左門どのはそのような真似はいたしま このときの戦いは、戦場近くの山口川が ついに一揆が暴発した。 せんよ。ね、左門どのー しまばら 天草とは海を挟んだ地である島原の百死骸で埋まり、流れが堰き止められたと 「もちろん誰にもいいませぬ」 ありま 「公儀の手の者の言葉を信じるわけには姓衆が、有馬村にある松倉家の代官所をいわれるほどの激戦だった。 逃げる寺沢勢を追うのはたやすいこと 襲ったのである。一揆勢は代官の林兵左 いきませぬ」 衛門を血祭りに上げて、海沿いの街道をだっただろうが、天草四郎勢も本渡の戦 「ー高西どのー いではかなりの犠牲を払っていた。数日 北へ向かった。 ゃんわりと菜右衛門が呼びかける。 松倉家は、鎮圧のためにすぐに軍勢をのときをかけて陣容をととのえ、天草四 「左門どのの人柄は手前が請け合います。 ふかえ 繰り出した。有馬村の北に位置する深江郎勢は十九日、富岡城を囲んだ。 左門どのがいわぬとおっしやるのなら、 天然の要害に築かれた富岡城は堅固だっ それは動かしがたい真実でございます」 村で一揆勢を迎え撃ったものの、すぐに たが、死を恐れぬ者たちばかりの天草四 その一言で左門は目隠しをされること打ち破られ、敗走した。 勢いに乗った一揆勢は、松倉家の居城郎勢の勢いはすさまじく、あっという間 なく、村をあとにすることができた。両 である島原城に一気に迫った。城下に火に二の丸を落としてみせた。 刀も返された。 だが、本渡で討ち死にした三宅藤兵衛 遠ざかってゆく左門を、四郎はいつまを放った上で城を攻めはじめたが、籠も はらだ の代わりに籠城戦の指揮を執った原田伊 でも見送っていた。気配からそうと知れる松倉勢も、落とされまじ、とさすがに 懸命の守りを見せた。城兵の頑強な抵抗予以下城兵たちの奮戦ぶりもすさまじく、 の前に、一揆勢は城を落とすことをあき特に鉄砲を中心とした火力はとてつもな その夜は結局、吾郎造の家に泊まった。 門 左 い威力を発揮した。ばたばたと倒された らめ、島原城下から兵を引いた 筵の上だったが、存外に寝心地はよかっ その数日後、天草において天草四郎率天草四郎勢は二の丸で釘づけになり、本柳 た。野宿することに比べれば、極楽といっ 丸まで進むことができなかった。 てよい いる一揆勢が動き出した。ます本渡とい むしろ ほんど ペえ

8. 小説トリッパー 2014年春季号

人のいないソフアで向かいあった。 して関圭次と新兵器が、研究所から消え、 いわれてみればその通りだ。 「では、用件を聞こうか」 いまだに見つかっていないようです」 「でも、その新兵器が何であったかも、わ ″父 / は葉巻を、とバ 1 テンダ 1 に告げ、 「関圭次の階級は ? 」 からないのです」 火をつけさせて受けとった。 「不明です。当時三十三歳で、関は戦争中、「君が知りたいのは、その新兵器のことか 「めったに吸わないのだが、今日は特別な情報部に所属していました。開発が始まつね ? 日だ」 たのも戦争中だったため、関の本名と階級由子は首をふった。 微笑んで、由子に告げた。自分との会話は秘密にされていたそうですー 「いえ。菊池少佐を殺害した、関圭次の行 が、 " 父 ~ の重荷を少しでも軽くしたのだと「情報部の人間が、開発部に出向していた方です。もしかしたら軍は、とっくに新兵 すればよかった、と由子は微笑み返した。 とい、つことかな」 器をとり戻し、関を抹殺しているのではな 「二十五年前に、陸軍の兵器開発部で起き「おそらくそうだと思います」 いかという者もいるのですが : た殺人事件について知りたいのです」 「殺人が研究所でおこったのであれば、捜「可能性はないとはいえない。が、今の話 「二十五年前。それはまたかなり古い話だ査は憲兵隊の管轄になるな」 を聞いていて奇妙に思ったのは、情報部の な」 「はい 人間が開発部にいた、ということだ。しか 濃い煙を吐き、掌であたためたグラスか " 父〃は横を向いた。 も偽名を使っていた」 らプランデーを〃父″はすすった。 「二十五年前、か。関が敵国のスパイで、 「それは素人ですが、わたしも思いました」 「菊池英夫という少佐が、関圭次という部新兵器を盗むために、菊池少佐を殺害した「おそらく、関という人物が、その兵器の 下と二人で、研究所で新兵器の開発をおこのだとしても、今となってはガラクタ同然開発に不可欠な人材だったのだろうな。あ なっていました。新兵器は完成まぢかで、 だろう」 るいは、別の国からその兵器に関する秘密 菊池少佐はそれを妻に告げています。とこ 「ガラクタ ? を盗みだし、それをもとに開発が進められ ろがある晩、少佐は帰宅せず、翌日出勤し「二十五年前の新兵器など、現在では古くていた可能性もある」 た部下が、少佐の死体を発見しました。そて使いものにならない」 ′父″はいった。 ( 第十五回了 ) てのひら 大沢在昌 360

9. 小説トリッパー 2014年春季号

門は刀を迅八郎に向けて振った。 せつかくここまで来たのにやられてし戻すのがわずかに遅れた。 自らの命を捨てる気持ちでいたら、迅まうのか そこを左門は狙った。上段からの振り けさが 八郎は家光を殺すことができていた。だ 刀が袈裟懸けに振られる。それをよけ下ろしはかわされたが、迅八郎はすでに が、迅八郎は家光の命を奪うことよりも、 た左門の足ががれきを踏み、体がよろめ体勢を崩していた。左門は刀を横に薙い 自分が生きることのほうを選んだ。刀の 腹で左門の刀を受け、受け流したのだ。 「死ねっー これをよけるすべは迅八郎にはなかっ 、」 0 やられる。 膝立ちの姿勢から、迅八郎が刀を横に 払ってきた。 迅八郎が再び袈裟懸けを見舞ってきた。 なんの手応えもなかった。 横に動いてそれをよけ、左門は刀を真っ その斬撃は、左門から見ても、体を斜 迅八郎自身、まだやられていないと思っ 向から振り下ろした。だが疲れからか、 めに両断するに十分な威力を秘めていた。 たらしい。刀を振り上げようとした。 技に切れがない。 実際に刃が体に入ってゆくのを左門は目 だが、その動きで胴が微妙にずれた。 それを察したか、わずかに動いただけの当たりにした。 うつ、と迅八郎が声を発した。 で迅八郎がかわした。ふつ、と馬鹿にし だが、実際には空を斬っていた。 ずず、と胴が横に滑り、あっ、と迅八 たような笑いを見せる。 左門は我知らす斬撃をやり過ごしたの郎のロが動いた。すばりと切れ、下半身 「一日六十里か。確かにすごいとしかい だ。風を受けた柳のように体がふらりと から離れた胴が、信じられぬ、という表 いようがないが、そのあとでこの俺と戦揺れ、刀はぎりぎりを過ぎていったのだ。情を浮かべた迅八郎の顔をのせて、地面 おうというのは、無謀でしかない 自分でも、まさかこんな動きができる に横倒しになった。二つの切り口から音 迅八郎が一気に攻勢に出た。 とは知らなかった。これはおそらく、とを立てて血が飛んだ。 上段から刀を落としてきたと思ったら、左門は考えた。疲れ切っていたせいなの そこまでなっても迅八郎はしばらく生 すぐに下段から振り上げてくる。胴も狙っ だろう。疲れすぎたせいで、頭も働かな きていた。刀を握ったまま身もだえし、 てくる。 かった。そのために逆に無、いになれた。 血まみれになった顔で左門を憎々しげに ことごとく避けてみせたが、左門は腕心が無になると、体というのは思いもし見つめていたのだ。 に力が入らない。こちらから攻撃に出よ ない動きを見せることがあるものだ。 息絶えるのを待たず、左門は忠長に向 うとしても、思い通りに体が動かないの 思いもしなかったのは、必殺の斬撃をき直った。 かわされた迅八郎も同じだったようだ。 だが、そこにはすでに兄の十兵衛がい まずいぞ。 完全に殺したと思っただけに、刀を引き、て忠長に刀を向けていた。忠長は正座を よ」 0 」 0 鈴木英治 3

10. 小説トリッパー 2014年春季号

いに皮をむいた斗カンを由子に押しやった。 ら軍は、新兵器の開発を亭主に急がせてい 「あたしはね、人の面倒をみるのが嫌いじやたんだ」 ( 承前 ) さとき 由子は里貴の話を思いだした。二十六年 ないんだ。亭主を亡くした後も周りにいる 前まで日本を含むアジア連邦と太平洋連合 「そうじゃないけど、いろんなことがつづ人間が頼ってきたら、知らん顔はできなかっ けて起こったから _J た。そうこうしているうちに、こんなになっとのあいだで戦争があり、アジア連邦は勝っ ゅうこ たが経済が疲弊した。むしろ敗北した太平 由子はいった。ツルギは目をそらそうとたってわけさ。お食べ , しない 「ありがとう」 洋連合のほうが今は復興し、繁栄している。 が、やがてコタッの上のミカンをひとっ 由子はふたつめとなるミカンに手をのば太平洋連合というのは、オ 1 ストラリア した。 手にとった。 を中心とした国々で、アメリカはメキシコ との戦争に敗れ、吸収され、メキシコ合衆 「嘘をついてる顔じゃない。それに 「おさらいをしよ、つか」 ミカンの皮をむきながら言葉をつづけた。 むいた皮をまとめ、指先をこすりあわせ国の一部になったという。 「あんたは思ったより人のことを考えてやたツルギはいった。 「あたしはただの研究者の女房だった。だ れる人間のようだ」 が生きていくために、闇市で店を始めた」 「亭主を殺したのは、軍隊にいた部下で、 せきけいじ 「何の話 ? 」 関圭次という男だ。亭主と関は、兵器開発「それがツルギマーケットの前身というわ 「さっきだ。みつえを追いかけるより、自部に属し、新兵器の研究をしていた。戦争け ? 」 分の手下を助けるのを優先したろう。あた中からずっとだよ。あの晩、亭主は研究所「そうさー 「四谷区長と仲がよかったって聞いたけ しはあんたが手下のことなどこれつほっちに関と遅くまでいた。もうすぐ新兵器が完 もかまわない女だと思ってた。手下が何人成しそうだと、あたしは亭主から聞いてい 死のうがい手柄をあげられればそれでいい。 た。亭主は結局帰ってこなくて、翌朝出勤里貴の話では、ツルギは、新宿を含む四 そんな女だと。でもちがったね。あんたにした開発部員が、死んでいる亭主を見つけ谷区の区長、町村の元愛人だった。 も血が通ってるってことだ」 た。関はどこにもおらず、新兵器も設計図「大昔の話さね」 ツルギは頬をゆがめた。 由子はツルギを見直した。おさまっていも消えていた」 た涙がまたこばれそうになった。が、まど 「マーケットの敷地をもっと増やしてくれ、 ( オ「何年前 ? されてはいけないと自分にいい聞かせる。 ツルギは静かに息を吸いこんだ。 と商店会の代表であたしが陳情にいったこ 「光栄ね。ツルギ会のポスにほめられると「二十五年前だ。戦争は終わってたけれど、とがあってね。そのときに「どうだ』と誘来 帰 今度はメキシコ合衆国がアジア連邦に戦争われた。否応はなかったよ。あたしが首を あえて冷ややかにいった。ツルギはきれをしかけてくると、皆が思っていた。だかタテに振らなけりや、マーケットは潰され