そうか、と左門はいった。 そうか、と左門はいった。 もし左門を四郎に会わせれば、一揆が 「吾郎造、松平忠長がいるかどうかは別 「もともと柳生は忍び仕事を得手として近いことを確実に覚ることも恐れている にして、天草四郎どのに会わせてくれぬ いる。その中でも闇討ちは得意中の得意のかもしれない。左門から計画がよそに か。是非ともお願いしたいし だ」 漏れることへの恐れもあるにちがいない。 しんし 左門が真摯な口調で頼み込むと、吾郎「得意中の得意にございますか」 「吾郎造、一揆はもう近いのだな」 造の目がきらりと光を帯びた。 吾郎造が、人のよさげな笑みを頬に浮 吾郎造を見据えて、左門はいった。 かべてみせた。 しえ : : : そのよ、つなことは : 「柳生さま、念のためにうかがっておき 「えつ。 ますが、まさか、四郎さまを害するため その笑顔を見る限り、わずかながらで 「そのような微妙な時期に、四郎どのの に会おうとなされているのではありませも左門に気を許したのではないかと見え手をわずらわせたくないという気持ちは んねー たが、四郎に会わせるべきかどうか、吾よくわかる。だが、どうしても会わせて 郎造はまだ迷っているようだ。 ふつ、と左門は小さく笑った。 ほしいのだ」 「もし俺が四郎どのを亡き者にするつも 左門に圭ロ意がないことは、も、つはっき うなるような顔つきで、吾郎造が左門 りなら、わざわざおぬしに話を持ちかけ りと感じ取っているにもかかわらず、たをじっと見ている。 はせぬ。おのれのカで四郎どのを捜し出めらいがあるとはどういうことなのか 「わかりました」 し、ひそかに始末することになろう」 もしや、と左門は気づいた。理由は一 ついに吾郎造がいった。 始末、という容赦のない言葉に吾郎造っなのではないか。おそらく暴発が近い 「手前が柳生さまを、四郎さまのもとに が顔をゆがめる。だがすぐに、なるほど、 のだろう。一揆が間近に迫っているのだ。 お連れいたしますー とい、つよ、つに、つなず . いた。 今日は、寛永十四年十月一一十三日であ「ありがたし」 る。吾郎造の様子からして、まさか明日 「失礼ないい方をいたしますが、柳生さ 左門は素直に謝意をあらわした。 まご一門は、闇討ちというような仕事は とい、つことはないよ、つな気がするが、一一、 「ただし柳生さま、目隠しをさせていた お手のものとうかがっております」 三日のちにはキリシタンを中心とした百だきます。その上で、両刀も預からせて ほ、つを」 「よく知っているな。その通りだ」 姓衆が蜂起するのではないだろうか。 いただきます。よろしゅうございますか」 気を悪くすることもなく、左門はあっ 今その支度に、四郎は忙殺されている 「そのくらいのことは、はなから心得て さりと肯定した。 のだろう。だから、できれば関係のない いる」 「ええ、こんな田舎でも噂だけはよく入っ者を会わせたくないという気持ちが、吾 「それと、柳生さまが目にされたことは、 てまいります 郎造にはあるのだ。 すべて他言無用に願いますー 鈴木英治 376
中に立っていた。西側が崖になっており、 でございます」 「それについては案じる必要はない その向こう側に海が広がっているのだろ 「ありがとうございます , 「同じ村の者か . う、潮の香りがひときわ強いものになっ 「いえ、ちがいます。元はお武家だった ごそごそとやって、吾郎造が腰の手ぬ ている。潮が強く香るのは満ち潮になり ぐいを手にした。 お方でございますー つつあるためか。暮れ六つまで、あと一 「四郎どののまわりをかためている者の 「まことに恐縮なのですが、目隠しはこ 刻もないだろう。あたりに人けはない。 れでさせていただきます。よろしゅうご 一人か」 「ここはどこだ」 ざいますか。 「あのときはちがうと思いましたが、い 手ぬぐいを返して左門は吾郎造にたず 吾郎造が手にしているのは、土の汚れま思うとそうだったのかもしれません」 のしみついた使い古しの手ぬぐいである。 それから四半刻ばかり歩いただろうか。ねた。 「とある村としか、申し上げられません」 これでも貧しい百姓衆にとっては、貴重潮の香りが一段と強くなったところで、 なものなのだろう。 村といっても、まだその入口に過ぎな 左門は吾郎造に止まるようにいわれた。 緑濃い道の先のほうに、四軒ばかり 「かまわぬ。やってくれ」 ここまで平坦な道がほとんどだったが、 最後は上り坂が続いていた。その上り坂の狭い家がかたまって見えている。その 静かにいって、左門は目を閉じた。 で、樹間にひそむ何人かの目を左門は感先は木々にさえぎられているが、奥のほ うに十軒近い家が建っているのが感じ取 道行きは、まっすぐな陽射しを受けてじた。多分、四郎を守る者たちが放った れる。 警戒の目であろう。 いるかのような草のにおいを感じた。 「この村に天草四郎どのがおられるのか」 途中、目隠しをされたまま左門は前を「どうぞ、目隠しをお取りになってくだ 目を吾郎造に戻して、左門はたすねた。 さい」 行く吾郎造にたずねた。 「いらっしやるからこそ、柳生さまをお 手を後ろに回して目隠しを取り、左門 「吾郎造は四郎どのの奇跡を目の当たり は目をゆっくりと開けた。まぶしさが視連れしました。それにしてもー」 にしたことはあるのか」 ほればれしたような目で、吾郎造が左 野の中にあふれるようなことはない。す 「いえ、ありません」 門を見る。 でに太陽がだいぶ傾いていることもある 「目にした者に会ったことは」 「柳生さまは、やはり大したものでござ 「あります」 か、目がくらんでなにも見えないという いますなあ」 「ほう、そうか。その者はどのようなこ ことがないよ、つ、左門は常に鍛錬を欠か さずにいる。 「なんのことかな」 とをいっていた」 うっそう 「すごい、すばらしい。ただ、それだけ 鬱蒼とした木々がまわりを取り囲む山「上山村を出てからのことでございます 377 柳生左門雷獣狩り
しやっているのだろう、という表情になっ知らない方は何人かいらっしゃいますが 「ええつ」 、」 0 松平忠長さまと名乗られている方 吾郎造が驚愕の色を顔に刻む。 はおられません」 「松平忠長を知らぬか , 「あそこの崖は、三十間は優にあります。 「やつは偽名を使っておろう」 「駿河大納言さまでございますね。むろ 柳生さま、大丈夫なのですか」 「はあ、そういうことでございますか ん存じております。しかし寛永十年でし 「なに、へっちゃらだ。この通りよ」 たか、今から四年ばかり前に亡くなったあの、松平忠長さまというのは、どのよ にこりとして左門は胸を張った。 うなお方でございますか」 とうかかいましたが」 「はあ、さようでございますか」 らいらく 「歳は三十二。磊落な性格をしていると 吾郎造は、毒気に当てられたような顔「やつは生きている」 聞いている。気字がその体を覆い、見た 厳しい顔つきで左門は断言した。 をしている。あの、と声を低めていった。 目より大きく見える男のはずだ。そのよ 「えつ、まことでございますか」 「ご用件というのは、先ほどおっしやっ うな男が四郎どのの周囲におらぬか 驚きの顔で吾郎造がきき返す。 たことでございますねー あまくさしろう おぬしたちは、寺沢家「気宇壮大なお方ですか : : : 」 「さよう。天草四郎どのにお目にかかり「まことだ。 一所懸命に思い出そうとしているが、 に対し一揆を起こそうとしているのであ たい」 吾郎造の脳裏には、そのような男は引っ 「四郎さまにお会いになって、柳生さまろう。それも相当、大規模なものだ」 かからなかったよ、つだ。 はどうするおつもりですか」 ずばりいった左門は、うろたえ気味に 「相済みません、わかりません。おられ なった吾郎造を見つめてすぐに続けた。 「目当ては四郎どのではない。四郎どの ないように存ずるのですが」 「なに、そのことについて答える必要は のまわりに俺が捜している者がいるかど ない。吾郎造、天草四郎どのの周囲に謎 うか、確かめたいのだ」 の人物はおらぬか」 「捜し人がいるのでございますか。どな その者に天草四郎どのをはじめ、おぬ たでございますか」 しらは操られているのではないか、とい ここは正直にいわぬと、と左門は思っ た。天草四郎に会わせてもらえぬな。すう言葉はのみ込んだ。 「はて : : : 」 ぐさまその名を告げた。 まつだいらただなが 目を上げて宙を凝視し、吾郎造が大き 「松平忠長だ」 あえて左門は呼び捨てにした。それをく首をひねる。 「四郎さまの周囲には確かに手前どもの 聞いて吾郎造は、柳生さまはなにをおっ かんえい 寛永十四年七月。柳生左門のもとに、 将軍・徳川家光からの手紙が届けられた。 そこには、家光自身が四年前に自害させ た弟・忠長の生死を確認し、万一の時に は、斬るようにとの命令だった。まずは 西に向かった左門だが、大きな手がかり を元に九州に足を踏み入れる。 375 柳生左門雷獣狩り
よ。手前が手を引きますというのを断ら 丁寧に辞儀をして吾郎造が左門を紹介 吾郎造が、つと腰をかがめた。 たかにし れたにもかかわらず、柳生さまはまったする。 「高西さま、柳生さまを四郎さまのもと く当たり前の足取りでここまでいらっしゃ 「柳生左門だと。何用だ」 にお連れしてもよろしいですか」 いました。手前はほとほと感心いたしま 侍がぎらっきを帯びた目を左門に注ぐ。 「ここまでわざわざやってきた者を追い したよ。柳生さま、まさか見えていたと いつでも刀を引き抜けるように腰を落と返すのは、わしの本意ではない。丸腰の しやく い、つようなことはございませんね」 す。 者を恐れていると思われるのも癪だ」 「うむ、まったく見えていなかった」 「柳生家といえば、公儀の大といってよ 「ありがとうございます。では柳生さま、 「さようでございましような。そのためい家ではないか」 こちらにどうぞ、いらしてください にわざと汚れた手ぬぐいで目隠しをさせ 「公儀の大か。まさしくその通りだ。俺 吾郎造にいざなわれ、ついに天草四郎 ていただいたのですから。まるですべては上さまの命で松平忠長を捜しに来た」 に会える、と左門の心は躍った。天草四 の景色が見えているかのような足取りは、 気負うことなく単刀直入に左門は述べ 郎とは、いったいどのような男なのだろ あかし 日頃の鍛錬の証でございましようね」 「なに、大したことはしておらぬ。俺は 「松平忠長 : : : 。彼の者はとうに死んだ 高西と呼ばれた侍や吾郎造とともに村 まだ生きていたい。それだけのことだ。 はずだが」 の奥へと歩くにつれ、胸を圧すようなも そのために神経を針のようにとがらせて 「こちらにおらぬか。天草四郎どのの周のが一杯に立ちこめていることに、左門 歩いていたのだ。さすれば、まわりの様囲にだが」 は気づいた。 子がどんなものか、わかってくるものだ」 「そのような者はおらぬ」 これは、と考えた。ここの村人たちの 「神経を針のように、でございますか 「確かめさせてもらってもよいか」 張り詰めた気のようなものではないだろ さよ、つにございましよ、つなあ 「かまわぬが、おぬし、四郎どのに害意うか。やはり一揆はもう間近に迫ってい るのだ。 足音がし、数人の屈強そうな男が村のを持つ者ではなかろうな」 ほうからやってきた。 「もしそのような者ならば、吾郎造がこ 村のいちばん奥まった位置に建つ、や 「吾郎造、一緒にいるのは何者だ」 こまで連れてくるはすがない。それに、 や大きな家の前に左門はやってきた。こ なぬし 目が細い男が鋭い声を発した。身なり見ての通り、俺は丸腰だ」 の家は村名主のものだろう。 は百姓そのものだが、物腰からしてどう ちらりと見やると、吾郎造が左門の両 柱だけが立っ門を入ると、敷地内には こにし やら侍のようだ。元小西家の者かもしれ刀を掲げてみせた。 十数人の男がいた。いずれも殺気立った ない。手には刀を提げている。 「なるほど」 目で、左門を見つめている。誰もが腰の 鈴木英治 378
を受けた横目付はどんな考えを抱くものばかりに左門をじっと見ている。 おそらく、と左門は思った。男の子の とどろ か。天下にその名が轟く柳生家の者だと「あの、柳生さま」 歳からして女房は、まだ三十に達してい そこつもの いっても、この程度の粗忽者でしかない 低い声で吾郎造が呼びかけてきた。 ないのではあるまいか くちのつ のか、くらいは考えてくれるのではない 「もう一度、ロ之津から舟に乗せた船頭 目の前に立っ吾郎造も一見、五十過ぎ の名を聞かせていただけますか」 に見えるが、実は四十にもなっていない 甘すぎるだろ、つか。とにかく、こ 厳しい眼差しは、なおも左門を提えてのではないだろうか れで、しばらくのあいだは監視の目がっ離さない。 為政者に搾り取られるだけの貧しい百 くことはあるまい うむ、と左門は小さくうなずいた。 姓たちは、滋養が体に行き届かないため おにいけ . 横目付の手の者を撒くだけなら、ここ 「俺を口之津から鬼池まで乗せてくれた に、多くの者は実際の年齢よりずっと早 おおげさ たきすけ まで大袈裟なことをする必要はなかった。船頭は、多喜助という。その多喜助がおく歳を取るという。 監視者の目をくらますなど、たやすいこぬしのことを俺に教えてくれたのだ」 以前、兄の十兵衛から聞いたことがあ となのだ。 さようですか、といって吾郎造がちら るが、信州のとある宿場で会った七十過 だが、もし左門が尾行者の視野をあっ りと後ろを振り返る。 ぎと思えた老婆が、実はまだ三十半ばで さり逃れたとなると、横目付たちは逆に 古ばけて隙間だらけの戸の向こうに、 しかなかったこともあったらしい ちまなこ ござ 血眼になってこちらの行方を捜すだろう。 吾郎造の妻子とおばしき者が蓙の上に座 吾郎造が目を左門に戻した。 死んだか大怪我を負ったと思わせるほう り込み、こちらを見つめている。家に床「柳生さま、つけられてはいませんねー が、これからの動きが楽になるのは疑い は設けられておらず、叩きかためられた 「むろんー よ、つ力ない 土間だけが広がっている。細い四本の柱 微笑とともに左門は答えた。 さて、行くか だけで、この小さな家は建っているよう 「寺沢家の者が二人、後ろについていた かみやまそん 目当ての上山村まで、もはや大した距に見えた。 が、なんの心配もいらぬ 離は残っていないはずだ。 背の曲がった女房はずいぶん老けて見「どのようにして撒かれたのですか」 上流に向かって、左門は川沿いを足早えるが、その横腹にしがみつくように座っ 「この途中、切り立った崖があろう。そ に歩きはじめた。 ている男の子は四、五歳と思える。食べ こから足を滑らせて落ちたように見せか 物をろくに与えられていないのか、男のけた」 百姓にしては眼光が鋭い 子はやせ細っており、腕は枯れ木のよう 「見せかけたとおっしゃいますと」 ごろぞう その目で吾郎造は、正体を見抜かんと 「なに、実際に落ちてみせたのだ」 とら じゅうべえ 鈴木英治 374
投げると、どこからあらわれたのか、鳩 さようか、と心なしか寂しそうに四郎 なりたいですか」 がそれをくわえて飛び去った。 がつぶやいた。 「すぐに見せていただけるものなら、な んでもかまいませぬ」 正直なところ、左門には四郎の手妻が「そなたのようなお方を味方にできたら、 見破れなかった。それほどの鮮やかさだ。 どれほど心強かったであろう」 「では、こちらをご覧に入れよう」 後光が弱まり、四郎はどこか心細げに なにも一揆など起こさずとも、江戸に 唐突な感じで四郎が懐に手を入れた。 手を外に出したときには、羽をたたんだ出てくればいくらでも稼げるのに。これ見えた。途方に暮れているようにすら見 える。そこにいるのは、まだ成長しきっ 鳩が手のひらにいた。おとなしくじっと だけの手妻師は、江戸にもそうはいない している。 のではないか。 ていない、ただの十五歳の男に過ぎない。 これだけのものを見せられたら、神の その姿を見つめていると、味方をして 「今からこの鳩は卵を産みますー 四郎がそういったときには、手のひら使いだと百姓衆が思ってもなんら不思議やりたいという思いに左門は駆られた。 はない。こぞって天主教の宗徒となった たか、ここで家光を裏切るわけにはい、 から鳩が消え失せ、代わりに小さな卵が ことだろ、つ。 のっていた。まわりの者から、うおつ、 ない。家光とのあいだには断ち切ること その頃には日が落ちかけていた。森に のできない強い絆がある。 と驚きの声が上がった。 左門は黙って見続けた。 囲まれた村は暗くなりつつあり、あたり「では、それがしは帰ります」 は墨がにじんだようになっている。 振り切るように四郎に告げて、左門は っとしやがみ込み、四郎が手にしてい る卵をかたわらの石にぶつけた。卵が割「左門どの、一揆が起きたらそなたはど吾郎造を見た。手ぬぐいを手に吾郎造が れ、中身がどろりと出てきた。 うされますか」 うなずき、近づいてきた。 不意に四郎がきいてきた。 「吾郎造どの、やめておきなさい。その おおつ、とまたまわりの者から声が発 せられた。どろりとした中に、小さな巻「それは、それがしが四郎どのの敵にな必要はありません」 るか、味方となるか、問われているので 四郎が穏やかに制した。 物があったのである。 「この村の場所を漏らすようなことは、 巻物を指でつまんで、四郎は静かに開すか」 左門どのはされません。それにどのみち、 いてみせた。なにか小さな文字が一杯に 「その通り」 書かれている。 「それがしは上さまの命を受けて動いてそれがしたちはここから移動します」 いる身です。上さまが一揆の鎮圧を命じ「しかし四郎さま」 「これは天主教の経文です」 ちゅうちょ やや不満げな色を見せて高西がいう。 左門に向かって静かにいい、四郎が微るのであれば、一瞬たりとも躊躇するこ となく、四郎どのの敵に回りますー 「柳生家といえば、公儀の御用をつとめ 笑する。経文の巻物を上に向かって放り 鈴木英治 382
なってしまうのか 一成の命にすべて服従しているらしい。 「芦刈どのもー げんき 黒田一成は生まれが元亀二年 ( 一五七治 「我らは湿地を踏み越えて、あの城を攻「左門どの、明日は必ず手柄を立てましょ 一 ) というから、まさに戦国のまっただ めるということになりますね」 じよすい 鈴 中である。一成は高名な黒田如水の養子 「もちろん」 左門がきくと、駿兵衛が深くうなずい 強く顎を引いてみせたものの、左門の に迎えられた男で、黒田長政の弟も同然 に育てられたという 「そういうことでしよう。あの城の攻め心は少し重かった。天草四郎だけでなく、 そんな戦国からの生き残りが、自陣に ロは西側しかありませぬ。そこを我らも上山村の吾郎造もあの城の中にいるのだ いるのである。その男の下知通りに動く 他勢と同様、攻めることに相なりましよろう。船頭の多喜助も籠城軍の一員かも しれない。 のが、家臣としては、自然で当たり前の 吾郎造たちとは、できることなら、戦ことなのであろう。 「黒田家は、大江口を受け持つのですね」 いたくない ということは、黒田兵を城攻めに出さ 大江口とは原城にいくつかある門のう ないようにしているのは、黒田一成とい ち、最も南側に位置している門のことだ。 、つことか 朝日が昇る前に、城攻めは開始された。 左門の正面に見えている。距離は五町ば ちくごくるめ カり・ だが、今回も総攻撃とは名ばかりで、 攻城軍の先手は、筑後久留米で二十一 万石を領する有馬家である。八千を超え 「そういうことになりましような。早く黒田家の出番はなかった。 明日がこぬものか それを知って左門はほっとしたが、駿る人数が三の丸の堀際にまで、雷のごと せっしやくわん き喊声を上げて一気に押し寄せていった 大きく息をついて、駿兵衛が左門を見兵衛は文字通り切歯扼腕した。 なにゆえ黒田勢は一万八千もの兵を擁が、籠城軍の鉄砲や矢などにやられて、 つめてきた。 あっという間に死傷者が続出した。退き 「左門どの、鎧兜の着け心地はいかがでしているのに、原城攻めに出ていかない のか。いや、単に出ていけないのかもし太鼓が叩かれ、有馬勢はあえなく撤退し ございますか」 「それがしも戦に加わるのは初めてのこれない。 キリシタンの乱ごときで大事な家臣を 鉄砲の筒先から吐き出された煙がもう とゆえ、こうして鎧兜を着用するのは初 ただゆき かす めてのことですが、なにかこう、しつく失いたくはない、と当主の黒田忠之は考もうと漂い、城は霞んで見えにくくなっ ている。 えているのではないのか りくるというか、悪くないものだな、と もっとも、黒田家の家中は暗愚との評 寄せるのなら今のうちなのに、と左門 思っていますー がある忠之に心服せす、家老である黒田は思ったが、板倉内膳の采配は振られな 「とてもお似合いですぞー かずなり かんせい ながまさ
るのか」 なるほどな、と左門は天草四郎と呼ば 刀に手を置いている。 れる男を見て納得した。後光のようなも「さよう。四郎どののまわりに松平忠長 「吾郎造、その男は」 のに包まれている。人離れした感じの微はおらぬか」 ひときわ背の高い男が足を踏み出し、 「おりませぬー 笑を浮かべていた。どこか異人のようだ。 きいてきた。この男も侍だろう。 あっさりと四郎が答えた。嘘はいって この男の前では、と左門は思った。無 腰を折った吾郎造が、またも左門を丁 いないよ、つに見えた。いや、まちがいな 辜の民はひざまずき、ひれ伏してしまう 重に紹介する。 てづま く四郎は真実を告げている。 だろう。なにも、わざわざ手妻など使う 「柳生左門どの : : : 」 あんたん ということは、と左門は暗澹たる思い 目を険しくし、背の高い男がにらみつ必要はないような気がする。そこにいる けてきた。 だけで、人々の心を強烈に引きつける力を抱いた。本当に天草四郎の周囲に忠長 はいないのだ。 「左門どのは、松平忠長公を捜しているを持っているのは明白だ。この男ならば、 これはど、つい、つことか 民の敬慕を一身に集めても不思議はない。 のだそうだ」 顔にあらわしはしなかったが、左門は それに、ずいぶんと落ち着いた物腰を 揶揄するような口調で高西が告げた。 戸惑うしかない。 「ほう、さようか。つまり柳生どのは死している。一揆が迫っているはずなのに、 俺はまったく見当外れのところに来て んだ者を捜しておるのだな。それはまず切羽詰まった感は一切ない。船頭の多喜 助がいった通り、十五歳くらいに見えるしまったのか 見つかるまいよ」 が、その歳とは思えないほど器量が大き「左門どの、らしくもなくうろえたえて まわりの者から、どっと笑い声が起き いるよ、つじゃの」 いのかもしれない。 背後から聞き覚えのある声がした。さっ よくぞ忠長一派は、このような若者を 「天草四郎どのに会わせてもらえるか」 と振り返ると、一人の年寄りがにこにこ 左門は静かな声音でいった。笑い声が見つけたものだ。 びたりとおさまる。 感嘆めいた思いを抱きつつ、左門は四と柔和な笑みをたたえて立っていた。 「あっ」 郎に歩み寄った。 「いや、もうその必要はないようだ」 左門の口から声が漏れた。 「それがし、柳生左門と申す。どうか、 左門は一人の若者に顔を向けた。 「おぬしは」 皆が笑う中、白い歯を見せることなくお見知り置きを」 さいづちあたま 例の才槌頭の老人である。 天草四郎が頭を下げる。 一人だけ穏やかな眼差しをしている者が 「わしがここにいるのは意外かな」 いたのだ。 「こちらこそよろしくお願いします。 しわがれた声で左門にきいてきた。 左門どのは、松平忠長公を捜しておられ 「そちらのお方が四郎どのであろう」 379 柳生左門雷獣狩り
にお泊まり・か」 うとしているのですか」 「いえ、それがしがふだんから思ってい 「そこまで大仰なことは考えておりませ 「いえ、居は移します。それがしの居場ることですよ。律儀に暮らしている者に かれつまつりごと は必ず幸せが舞い降りるものだと考えてん。苛烈な政を行ってきた両家に対する 所を探り出そうとする者はあとを絶ちま いるのです。そうでなければ、生きてい 我らのうらみは、ひじように深いものに せん。同じところにいては危ないもので なっています。その政の非道を正せれば すから。命は惜しまないが、まだ死ぬわる甲斐がないでしよう」 けにはいぎません。ー左門どのは今宵「だが、この地にはその生きている甲斐よいと、それがしは考えています。あと は信仰の自由です」 どうされる」 など、どこにも見いだせないのでしよう。 さようですか、と暗澹たる思いを抱い 「まだ決めておりませぬ。どこかに宿をだからこそ、四郎どのたちは一揆を起こ 求めねばなりませぬ」 そうとしている。一揆となれば、死にゆて左門はいった。政道を正すのはともか く、信仰の自由を得るのはこの上なくむ そういえば、と左門はい出した。船 く者が多数、出てきますぞ」 頭の多喜助に有り金すべてを渡したでは 「死ぬのは一見悲しいことに見えますが、ずかしいだろう。公儀は天主教を忌み嫌っ ないか。今は文無しである。ここで四郎それで魂は救われます。ですから、実はている。許すはずがない。 この一揆は行き着くところまでいかね に無心するわけにもいかない。一揆を目喜ばしいことなのです」 おもむ 蔔に、一文でも矢銭が必要なときだろう。 「それは、百姓衆を死地に赴かせるためば終わらぬな、と左門は思った。 「四郎どの、一つお願いがあります。聞 四郎が瞬きのない目で左門を見る。 の方便に過ぎぬのでは。死を恐れぬ兵ほ いていただけますか」 「それがしと会ったことを江戸に知らせど強いものはないといいます」 「なんなりと ますかー 「別にそれがしは皆さまに死を強要して いるわけではありません。こたびの一揆「四郎どの、ここで奇跡を見せていただ 「そのつもりはありませぬ」 きたいのですが においても、今の世をなんとかしたいと はっきりと左門は伝え、続けた。 それを聞いて、四郎のまわりの者たち 「そこに控えている吾郎造と、目にした 思っている者だけが加わっています。そ ことすべてについて他言せぬ、と約東し ういう崇高な目的を持つ者は、決して死に緊張が走った。高西などは、無礼者め がつ、と怒声を放ったくらいだ。 ました。その約東をたがえるつもりは毛を恐れません」 「よろしいですよ」 頭ありませぬ」 「四郎どの、一揆を起こす目的はなんで まっくら 周囲の騒ぎをよそに、うっすらと笑い 「それはよい心がけ。約東を守る者にはすか。松倉家と寺沢家を改易に追い込む ことですか。それとも、この地におけるを浮かべて四郎が快諾する。 必ずや幸運が訪れましよう」 てんしゆきよう 「それは天主教の教えですか」 一揆を端緒に徳川家の世をひっくり返そ「左門どのは、どのような奇跡をご覧に か 381 柳生左門雷獣狩り
う天草の中心地を攻め、寺沢家の役人や いや、この地には天主教が深く根づい る家でございます。鼻はまちがいなく利 きましよう。この村の場所を知られてしている。天国といったほうがよいのだろ兵を殺し、追い出した。さらに十一月十 四日には、千五百といわれる寺沢勢と大 ま、つと、我らがこの村からどこへと向かっ 規模な合戦に及んだ。 たか、嗅ぎつけるやもしれませぬ」 この戦いで天草四郎勢は、寺沢家の天 その言葉を受けて、にこやかに四郎が 五 とみおか みやけとう 草支配の拠点である富岡城城代の三宅藤 笑った。 兵衛を討ち取るほどの大勝利を挙げた。 寛永十四年十月一一十五日。 「左門どのはそのような真似はいたしま このときの戦いは、戦場近くの山口川が ついに一揆が暴発した。 せんよ。ね、左門どのー しまばら 天草とは海を挟んだ地である島原の百死骸で埋まり、流れが堰き止められたと 「もちろん誰にもいいませぬ」 ありま 「公儀の手の者の言葉を信じるわけには姓衆が、有馬村にある松倉家の代官所をいわれるほどの激戦だった。 逃げる寺沢勢を追うのはたやすいこと 襲ったのである。一揆勢は代官の林兵左 いきませぬ」 衛門を血祭りに上げて、海沿いの街道をだっただろうが、天草四郎勢も本渡の戦 「ー高西どのー いではかなりの犠牲を払っていた。数日 北へ向かった。 ゃんわりと菜右衛門が呼びかける。 松倉家は、鎮圧のためにすぐに軍勢をのときをかけて陣容をととのえ、天草四 「左門どのの人柄は手前が請け合います。 ふかえ 繰り出した。有馬村の北に位置する深江郎勢は十九日、富岡城を囲んだ。 左門どのがいわぬとおっしやるのなら、 天然の要害に築かれた富岡城は堅固だっ それは動かしがたい真実でございます」 村で一揆勢を迎え撃ったものの、すぐに たが、死を恐れぬ者たちばかりの天草四 その一言で左門は目隠しをされること打ち破られ、敗走した。 勢いに乗った一揆勢は、松倉家の居城郎勢の勢いはすさまじく、あっという間 なく、村をあとにすることができた。両 である島原城に一気に迫った。城下に火に二の丸を落としてみせた。 刀も返された。 だが、本渡で討ち死にした三宅藤兵衛 遠ざかってゆく左門を、四郎はいつまを放った上で城を攻めはじめたが、籠も はらだ の代わりに籠城戦の指揮を執った原田伊 でも見送っていた。気配からそうと知れる松倉勢も、落とされまじ、とさすがに 懸命の守りを見せた。城兵の頑強な抵抗予以下城兵たちの奮戦ぶりもすさまじく、 の前に、一揆勢は城を落とすことをあき特に鉄砲を中心とした火力はとてつもな その夜は結局、吾郎造の家に泊まった。 門 左 い威力を発揮した。ばたばたと倒された らめ、島原城下から兵を引いた 筵の上だったが、存外に寝心地はよかっ その数日後、天草において天草四郎率天草四郎勢は二の丸で釘づけになり、本柳 た。野宿することに比べれば、極楽といっ 丸まで進むことができなかった。 てよい いる一揆勢が動き出した。ます本渡とい むしろ ほんど ペえ