思い - みる会図書館


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1. 小説トリッパー 2014年春季号

にお泊まり・か」 うとしているのですか」 「いえ、それがしがふだんから思ってい 「そこまで大仰なことは考えておりませ 「いえ、居は移します。それがしの居場ることですよ。律儀に暮らしている者に かれつまつりごと は必ず幸せが舞い降りるものだと考えてん。苛烈な政を行ってきた両家に対する 所を探り出そうとする者はあとを絶ちま いるのです。そうでなければ、生きてい 我らのうらみは、ひじように深いものに せん。同じところにいては危ないもので なっています。その政の非道を正せれば すから。命は惜しまないが、まだ死ぬわる甲斐がないでしよう」 けにはいぎません。ー左門どのは今宵「だが、この地にはその生きている甲斐よいと、それがしは考えています。あと は信仰の自由です」 どうされる」 など、どこにも見いだせないのでしよう。 さようですか、と暗澹たる思いを抱い 「まだ決めておりませぬ。どこかに宿をだからこそ、四郎どのたちは一揆を起こ 求めねばなりませぬ」 そうとしている。一揆となれば、死にゆて左門はいった。政道を正すのはともか く、信仰の自由を得るのはこの上なくむ そういえば、と左門はい出した。船 く者が多数、出てきますぞ」 頭の多喜助に有り金すべてを渡したでは 「死ぬのは一見悲しいことに見えますが、ずかしいだろう。公儀は天主教を忌み嫌っ ないか。今は文無しである。ここで四郎それで魂は救われます。ですから、実はている。許すはずがない。 この一揆は行き着くところまでいかね に無心するわけにもいかない。一揆を目喜ばしいことなのです」 おもむ 蔔に、一文でも矢銭が必要なときだろう。 「それは、百姓衆を死地に赴かせるためば終わらぬな、と左門は思った。 「四郎どの、一つお願いがあります。聞 四郎が瞬きのない目で左門を見る。 の方便に過ぎぬのでは。死を恐れぬ兵ほ いていただけますか」 「それがしと会ったことを江戸に知らせど強いものはないといいます」 「なんなりと ますかー 「別にそれがしは皆さまに死を強要して いるわけではありません。こたびの一揆「四郎どの、ここで奇跡を見せていただ 「そのつもりはありませぬ」 きたいのですが においても、今の世をなんとかしたいと はっきりと左門は伝え、続けた。 それを聞いて、四郎のまわりの者たち 「そこに控えている吾郎造と、目にした 思っている者だけが加わっています。そ ことすべてについて他言せぬ、と約東し ういう崇高な目的を持つ者は、決して死に緊張が走った。高西などは、無礼者め がつ、と怒声を放ったくらいだ。 ました。その約東をたがえるつもりは毛を恐れません」 「よろしいですよ」 頭ありませぬ」 「四郎どの、一揆を起こす目的はなんで まっくら 周囲の騒ぎをよそに、うっすらと笑い 「それはよい心がけ。約東を守る者にはすか。松倉家と寺沢家を改易に追い込む ことですか。それとも、この地におけるを浮かべて四郎が快諾する。 必ずや幸運が訪れましよう」 てんしゆきよう 「それは天主教の教えですか」 一揆を端緒に徳川家の世をひっくり返そ「左門どのは、どのような奇跡をご覧に か 381 柳生左門雷獣狩り

2. 小説トリッパー 2014年春季号

いいながら、自分が知らないことに由子 「羽黒のスパイが、ツルギ会にいる、とい役に立てない うのを知ってた ? 」 「二十五年間、捜しつづけて見つからなかつは気づいた。 だがツルギは、フンと鼻を鳴らした。 たんだ。あんたがいなくなっても、そのと ツルギは目を細めた。 「それがどうした。スパイなんてどこにできはそのときさ。だがあんたはあたしとし「そんなもの教えてもらわなくてもわかっ た約東を果たさなきゃならない。それをとてる。みつえが見つかったら、知らせてや もいるものさね」 ばけるっていうなら、こっちにも考えがあるよ」 「見つけたいとは思わないの ? 」 「わかった。全力を尽くす、 る」 「あたしに恩を売ろうってのかいー 由子は答えた。 「やらないなんてひと言もいってない。た 由子は首をふった。 「そうじゃない。気にならないかと思っただ集中できる環境が必要なだけ あらすじ 「面倒ないいかたをするもんだね。ソウ だけよ」 連続殺人犯の捜査中に、何者かに首を絞 ツルギは息を吐いた。 められ気を失った志麻由子は、次に目を覚 「トシ坊もそうだが、スパイなんてのは、 ツルギは声を張りあげた。 ましたとき、過去の異次元にタイムスリッ 、いに弱いものがある人間がやることさね。 「はい、ママ。ここにいます」 プしたことに気づく。そこは「光和年の アジア連邦・日本共和国・示市」とい みつえは、日一那よりも弟がかわいかっただ屏風の向こうから返事があった。 戦後の荒廃した無秩序な都市だった。また、 けだろ、つけど 「みつえを捜しな。手はださなくていい 見つけたら、この警視さまにご注進するん東京市警のエリート警視として由子が以前 「今はわたしを憎んでいる」 から存在していたこと、さらに部下だと名 「ああいう女はね、世の中でうまくいかなだ」 乗る男性が、かって付き合っていたポーイ いことがあると、必ず誰かのせいにするの 「わかりました、ママ フレンド・里貴とそっくりだと知り打ちの さ。その誰かをつけ狙うことで、自分はま ツルギは由子を見た。 めされる。混乱した状態のなかで、由子は ちがってないといいはる」 「あんたに電話番号を教えておく」 「この世界」のエリート警視として捜査に 臨まざるを得なくなり、あるとき、新宿の 目で部屋の隅におかれた電話器を示した。 「みつえの居どころを捜せる ? 闇市に君臨する「ツルギ会」のリーダーに 「さあね。トシ坊とちがって、うちとのつ着物のたもとから紙きれをだし、由子の前 会いにいく。糸井ツルギから「あの約束は においた。ふたっ折りにされたそれには、 きあいが直接あったわけじゃないからね」 いっ守るのだ ? 」と迫られ動揺する由子だ ツルギは横を向き、象牙とおばしいホル六桁の番号が記されている。 が、敵対する「羽黒組」との抗争を激化さ 「ここの電話だ。関のことかわかったら電 ダーに煙草をさしこむと、マッチで火をつ せ、ふたつの組織を壊減させようと画策す 話をしておいで」 る。 「わたしの電話番号は 「わたしがみつえに殺されたら、あなたの こうわ 355 帰去来

3. 小説トリッパー 2014年春季号

となると途端に気持ち悪いと声を上げる。その瞬間からオタク に頷いた。教科書の地図で見て思い描くのとはまるで違う。 呼ばわりだ。だから、あたしはずるい返し方をした。 「海に線なんて引かれていないのに」 麻奈ちゃんはそうなんでしょ ? おばあちゃんの頭の中にも、さすがに教科書ではないだろう えつ、気付いてたんだ。 けど、北方領土と線で囲まれている地図が浮かんでいるのかも しれない。 あっけなく麻奈はそう答えた。それからあたしも、実はあた しもなんだ、と打ち明けた。 もしかして、あたしはおばあちゃんの意図を勘違いしている んじゃないだろうか。 よかったら、お互いの作品を見せ合おうよ。 仲間ができたあたしはつい嬉しくなってそう提案したけど、 フェリ 1 で小に着いてから、特急列車やバスを乗り継いで これに対しては、麻奈は安請け合いしなかった。 向かったのは、あたしがほんの少しだけ調べていたようなとこ わっかない 完成している作品はいくつかあるけど、今書いているの ろではなく、最北の町、稚内だった。途中、サロべッ原生花園 が完成したら、それを読んで欲しいな。 にも寄ったけど、ラベンダ 1 畑ではなかった。黄色や白の高山 そうなると、あたしも今から新しい作品を書いてみようかな、植物のような花が咲き乱れ、その先には海が見えた。市場でイ なんて調子のいいことを答えてしまい、小説を見せ合う件は保クラやウニやホタテがこれでもかというほど乗った海鮮丼を食 留になった。だけど、互いのプロフィールは交換して、「書いて べた後に連れて行かれたのは、宗谷岬だった。 る ? 」「書いてるよ」「ちょっとスランプ気味」といった短いメー 日本最北端の標識が立ち、宗谷岬の歌がエンドレスで流れて ルのやり取りを行うようにはなった。クラスのグル 1 プの子た いた。それに合わせておばあちゃんも一緒に口ずさんでいたの ちとのダラダラ続くやり取りよりも、こっちの方があたしの日 で、そんなにここに来たかったのか、なんて一瞬だけ思ったけ 常にピリッとスパイスを利かせてくれているよ、つで、スマホを ど、周囲からも歌声がちらほら聞こえ、ある一定の年齢以上の 持っててよかったと初めて思えた。 人にとっては有名な歌だということがわかった。 あたしにはどこがいいのか、さつばりわからなかった。 くなしりとう 「萌ちゃん、国後島よ , ただ、そういえば、と思いついたことがある。おじいちゃん おばあちゃんが窓に寄せた顔をほんの少しだけ振り向かせて やおばあちゃんがたまに見ている歌番組では、神戸や長崎といっ 言った。北方領土四島のうちの一つだということは、あたしでた地名が出てくる歌が時々ある。これもきっと、興味がある場 も知っている。 所の画像が簡単に見られるような時代になる前の人たちが、遠 「大きな島だったのね。それに、こんなに近いなんて」 い場所に思いを馳せる役割をはたしていたんじゃないだろうか おばあちゃんが感心しながら声を上げたのに、あたしも素直 おばあちゃんの両親が始めたパン屋の名前も『べ 1 カリ 1 ・ 湊かなえ 172

4. 小説トリッパー 2014年春季号

も海も思いのままだとい、つことを、ここはひとつ、はっ きりとさせておいた方がいいかも知れない 「一度、縄張りの交換、ということをしてみないか、 兄さん」 「縄張りの交換 ? 」 「ああ」 「いやだね」 海幸彦はいかにも意欲に満ちた弟の力が怖かった。 「何を考えているんだ」 「いやだな、疑り深いんだから。毎日毎日代わり映え のしないところで、あきあきしてきたところだったん だ。たまには心機一転、新しい世界で自分を鍛えてみ たいのさ」 三度断ったが、四度目にはさすがに根負けして、一 日だけ、という約東で道具と場所の交換をした。 「ええと、ごめんなさいー と、赤信号で車を停止させた竜子さんは、謝った。 ついこの間ま 「私、これから先、なんだか思い出せない。 ではちゃんと覚えていたのに。こんなことってあるものな のですねー そういって、悲しそうに頭を振った。私はなんとか励ま み、、つと、 「海幸山幸が道具を交換し、お互いに散々な結果になった ので、借りたものを互いに返そうという段になって、山幸 が海幸の釣り針を失くしていたのがわかった、海幸は激怒歩 し、どうしても返せといってきかない。困り果てた山幸は、 梨 先ほどの宙とまったく同じ展開で綿津見の宮へ行く : ・ 普通ならこんなふうに続きますが」 「そうそう、そこがね、少し違うんですよ。綿津見の宮で は宙幸彦は大歓待されるんだけれど、山幸彦は誰からも見 向きもされないの」 青信号になり、車は再び発進した。 うろこ 竹の小舟は宙幸彦を潮流に乗せ、虹色に光る鱗が全 面を覆う、うつくしい綿津見の宮に導いた。宙幸彦は どこから入っていいものかわからない。、つろうろして いると、向こうから誰か来る気配がする。慌てて近く の木の上に上る。やって来たのは今まで宙幸彦が見た こともないきれいな女性だった。宙幸彦が上った木の 下には泉があり、女性は水を汲みにやってきたのだっ こ。ほうっと見とれていると、宙幸彦の身につけてい まがたま た勾玉がひとつ、女性の抱えている甕の中にばとんと 落ちた。その音に気づいた女性が甕の中を覗くと、や がて鎮まった水のおもてに、こちらを見ている男性の 姿があった。女性は知らぬ振りをしてその甕ごと勾玉 を宮の中に運び、豊玉姫にことの次第を報告した。豊 玉姫は海神の娘、女性は豊玉姫の侍女であったのであ とよたまひめ かめ

5. 小説トリッパー 2014年春季号

北海道に行きましよう、とおばあちゃんに言われて、二つ返後ろについて、おばあちゃんと一緒に船を降りた。皆が同じ「魅 事で、うん、と答えたものの、北海道のどこに行きたいとか、 惑の道東・一日ツア 1 」と看板が掛けられたバスへと向かう。 何をしたいといった思いはまったく湧き上がってこなかった。 私たちの席は、おばあちゃんが事前に乗り物酔いをしやすい体 冬ならスノボやスキーができそうだし、雪まつりもあるんだろ質だと自己申告していたため、運転席側ではない列の一番前だ うけど、夏の北海道には何があるんだろう。スマホで検索して 今回の旅行中、行きのフェリ 1 でおばあちゃんはすっと寝込 みると、人気スポットとして富良野のラベンダ 1 畑や旭山動物んでいた。横になっていると何ともないのに、体を起こした途 園が挙がり、写真も添えられていた。 端、振動が縦方向に体に伝わってきて、気分が悪くなるという のだ。 これを生で見たい、と人生の半分以上をネットなしで過ごし てきた人たちなら思うのかもしれない。その場所が遠ければ遠 ハスより大きいから大丈夫だと思ったのに。 いほど、非日常の空間に行くような気分を味わえるのだろう。 あたしを心配させないように笑ってたけど、顔色は真っ青だっ 旅行に出ているあいだは、日常生活の煩わしいことからすべて 解放されるに違いない。 でも、向こうに着いたら大丈夫よ。いい薬ができたおか どこでもいいや、とプランは全部おばあちゃんにまかせるこ げか体質が変わったのか、車や電車はまったく酔わなくなった とにした。おじいちゃんに内緒で計画を進めるために、おばあから。 ちゃんは自宅のパソコンを使わず、そもそもあまり使えないみ その言葉通り、北海道に到着してからはすごく調子がよさそ たいで、町の商店街に一軒だけある旅行代理店に通っていたか うだ。多分、フェリーに対しては初めから少し不安があったの ら、おばあちゃんの希望はまったくわからなかった。けれど、 かもしれないけど、息子の職場を参観日気分で覗いてみたい思 これは、半分はあたしのためであり、半分はおばあちゃんの反 いもあったのだろう。運賃も家族割引が適用されたみたいだし。 乱であるような気がして、まったく詮索しないことにした。お 「皆さん、お揃いですか ? じいちゃんの定年退職後、おばあちゃんはついに反旗を翻し、 ガイドさんが人数を確認している。窓側がおばあちゃんなの おじいちゃんの元から逃げるのだ。 で、通路に立っガイドさんとあたしとの距離は三〇センチくら それなら、東京にすればいいのに。そう提案してみたくなっ いか。知床半島観光の時には、『知床旅情』なる歌をうたい、年 たけど、グッとこらえた。おばあちゃんの昔の日記を見つけた 配の客たちから大喝采を受けたので、また、何かうたい出すか ことが、バレてしま、つじゃないか。 もしれない。 「それではこれから知床峠を越えて根室まで向かいます。途中、 しべっ いやあよかった、と満足そうに話しているおじいさんたちの標津で休憩をとりますが、それまでにもご体調が優れないなど 、」 0 湊かなえ 168

6. 小説トリッパー 2014年春季号

「偽名ではない。以前はちがう名を名乗っ 「おぬし、ここでなにをしている」 目が合い、四郎がにつこりする。 たこともあったが」 「左門どの、そなたはもう一揆が近いこ 「左門どの、では、それがしはこれにて 失礼します」 とを見抜いておるらしいの。わしは、得「どのような名だ」 「よいではないか。昔の話よ」 物や玉薬などを一揆勢に供しているのじゃ 四郎が丁寧に頭を下げた。 問い詰めたところで答えそうにない。 「四郎どの、もう一度おききする。忠長 「金儲けのためか」 左門は矛先を変えた。 とおばしき者がそばにいたこともありま 「ここに松平忠長はおらぬのか」 「金など儲けられるはずがない。壮大な せぬか」 志というところじゃな。それを四郎さま「おらんよ。見ての通りじゃ」 「忠長公とはわかりませぬが、そのよう たちにわかっていただいたゆえ、武具な 「四郎どののそばにいたことはあるのか」 な人を見かけたことはあります , ども入れられる」 「あったかもしれんの」 「いつのことです」 「どんな志か、聞かせてもらってよいか」 「やつは今どこにいる 「ひと月ばかり前でしよう。一目で身分 のある方と拝察いたした。しかし、それ 「残念ながら、今はいえぬの。だが、左「知らんな」 門どのならきっと賛同してもらえそう 「心当たりは」 がしと話をすることなく、ほんのしばら じゃ」 「ない」 く天草に滞在しただけで、どこかに行か 左門は改めて、目の前の老人を見つめ 「嘘をつくな」 れたようです。あれが忠長公だったとし 「嘘ではない。今どこにいるのか、本当ても、あれからどちらに行かれたか、そ こさいや に知らんのじゃ 「おぬし、湖西屋と関わりがあるのか」 れがしに心当たりはありませぬ この年寄りの胸ぐらをつかみ、揺さぶ 「あるといえばあるの。わしも堺の者じゃ 一から忠長捜しをはじめなければなら からな」 りたい衝動に左門は駆られた。息を入れぬということか。徒労が体を包み込む。 「おぬしはいったい何者だ」 てその思いを物み殺す。この年寄りは いや、疲れたなどといっておられぬ。 たるどめ 「わしは樽留屋という店のあるじじゃ」脅してもすかしてもなにもいうまい。い 顔を上げ左門は前を向いた。上さまの憂 「名は」 うくらいなら、さっさと死を選ぶだろう。慮の雲をきれいに取り払うと、誓ったば かりではないか。まだその途上に過ぎぬ。 「菜右衛門」 そんな男だ。 「変わった名だ。誰が名づけた」 左門と菜右衛門とのやりとりを、にこ 気を取り直した左門は穏やかに四郎に たずねた。 「それはどうでもよかろう」 にこして四郎が見ていることに気づき 「偽名ではなかろうな」 左門は顔を向けた。 「四郎どの、今宵はこちらの村名主の家 さいえもん 鈴木英治 380

7. 小説トリッパー 2014年春季号

るのか」 なるほどな、と左門は天草四郎と呼ば 刀に手を置いている。 れる男を見て納得した。後光のようなも「さよう。四郎どののまわりに松平忠長 「吾郎造、その男は」 のに包まれている。人離れした感じの微はおらぬか」 ひときわ背の高い男が足を踏み出し、 「おりませぬー 笑を浮かべていた。どこか異人のようだ。 きいてきた。この男も侍だろう。 あっさりと四郎が答えた。嘘はいって この男の前では、と左門は思った。無 腰を折った吾郎造が、またも左門を丁 いないよ、つに見えた。いや、まちがいな 辜の民はひざまずき、ひれ伏してしまう 重に紹介する。 てづま く四郎は真実を告げている。 だろう。なにも、わざわざ手妻など使う 「柳生左門どの : : : 」 あんたん ということは、と左門は暗澹たる思い 目を険しくし、背の高い男がにらみつ必要はないような気がする。そこにいる けてきた。 だけで、人々の心を強烈に引きつける力を抱いた。本当に天草四郎の周囲に忠長 はいないのだ。 「左門どのは、松平忠長公を捜しているを持っているのは明白だ。この男ならば、 これはど、つい、つことか 民の敬慕を一身に集めても不思議はない。 のだそうだ」 顔にあらわしはしなかったが、左門は それに、ずいぶんと落ち着いた物腰を 揶揄するような口調で高西が告げた。 戸惑うしかない。 「ほう、さようか。つまり柳生どのは死している。一揆が迫っているはずなのに、 俺はまったく見当外れのところに来て んだ者を捜しておるのだな。それはまず切羽詰まった感は一切ない。船頭の多喜 助がいった通り、十五歳くらいに見えるしまったのか 見つかるまいよ」 が、その歳とは思えないほど器量が大き「左門どの、らしくもなくうろえたえて まわりの者から、どっと笑い声が起き いるよ、つじゃの」 いのかもしれない。 背後から聞き覚えのある声がした。さっ よくぞ忠長一派は、このような若者を 「天草四郎どのに会わせてもらえるか」 と振り返ると、一人の年寄りがにこにこ 左門は静かな声音でいった。笑い声が見つけたものだ。 びたりとおさまる。 感嘆めいた思いを抱きつつ、左門は四と柔和な笑みをたたえて立っていた。 「あっ」 郎に歩み寄った。 「いや、もうその必要はないようだ」 左門の口から声が漏れた。 「それがし、柳生左門と申す。どうか、 左門は一人の若者に顔を向けた。 「おぬしは」 皆が笑う中、白い歯を見せることなくお見知り置きを」 さいづちあたま 例の才槌頭の老人である。 天草四郎が頭を下げる。 一人だけ穏やかな眼差しをしている者が 「わしがここにいるのは意外かな」 いたのだ。 「こちらこそよろしくお願いします。 しわがれた声で左門にきいてきた。 左門どのは、松平忠長公を捜しておられ 「そちらのお方が四郎どのであろう」 379 柳生左門雷獣狩り

8. 小説トリッパー 2014年春季号

と、みんな思っているのだろう。確かに菰池くんも、久 樹さんも人が振り向くほどの美少年、美少女だ。でも、菰 池くんは心配症で気が小さくて、頑固で一途だし、久樹さ んは不器用で、我が強くて、とても優しい あたしと同じだ。いろんな素顔を持っている。二人とも のぞ ほとんど無意識に無防備に、素顔を覗かせてくれる。おも しろい。ときに笑えるし、ときに感、いしたりもする。そし て、まついいかなんて気になってしまう。 他人からどう見られても、まついいカ 周りからどんなイメ 1 ジを押し付けられても、まついい そんな風だ。これって、開き直りなのかな。それとも、 あたしがちょっぴりでも強くなれたんだろうか。よく、わ からない 今のあたしには高校三年間の生活設計より、この一時、 まさに今が重要なのだ。 相野さん、ピッコロをやってみない ? 藤原さんに、言われた。藤原さんの手には黒い管のピッ コロが握られている。あたしは俯き、足の指を動かす。 この今が全てだ。 ピッコロ、ピッコロ、ピッコロ、ピッコロ、ピッコロ。 、つ 1 ん、ピッコロか この前の部会でコンク 1 ルに向けての課題曲と自由曲が 決まった。これからは七月の地区大会、都道府県大会に向 けてひたすら練習の日々だ。むろん、そこがゴ 1 ルじゃな い。八月の支部大会、十月の全国大会と続く。桜蘭学園吹 奏楽部の実力でどこまでいけるかは、あたしには見当がっ かない。これまでに二度だけ、支部大会の出場を果たした ことがあるそうだ。全国大会に手が届いたことは一度もな や 数日前、練習後のミ 1 ティングで二年生の男子部員 ( 矢 しろがわ 代川さんというちょっと変わった苗字だった ) が「全国大 会はまあ無理でも支部大会ぐらいは出たい」と発言した。 それに対し「初めから全国を諦めてるみたいな発言、おか しい」「全国、全国って意識しすぎたくない」という一一つの 意見がぶつかって、普段十分程で終わるミ 1 ティングが三 十分以上延びた。あたし自身は何も言えなかったが、先輩 たちが思いをぶつけ本音でしゃべっていると感じるのは心 地よかった。いっか、あのぶつかり合いの中に入っていけ るだろうかと考え、少し気持ちが高ぶった。曲が決まり、 これからみんなで演奏を創っていく。その緊張感と少しの 不安と高揚感がない交ぜになって、どたばたしているよう にも、生き生きしているよ、つにも感じられる。 いいなと思、つ。 前号まで あいのみゆ この春、相野美由は桜蘭学園高校に入学した。中学時代の部活 でフルートに苦い思い出があったが、親しくなった同級の菰池咲 哉や久樹友里香と共に、高校で再び吹奏楽部に入部した。 みようじ 265 アレグロ・ラガッツア

9. 小説トリッパー 2014年春季号

ひとまず拳銃を確保でき、しかも立派なライフルを見つけて、 を下ろした。 多少は安堵できた。玄羽兄弟は魔物じみているが、相棒である 「これは」 黒いライフル銃らしきものが入っていた。再び周囲に目をやっ汐見もまた魔物みたいな野郎だ。その実力を今では認めている。 この男が味方でよかったと、今は思う。 てから、ガンケースから抜き出す。 汐見はライフルの技術もピカイチだ。実戦では目撃していな レミントン 7 0 0 だ。全長約一メ 1 トルのポルトアクショ いものの、榊らがいる邸宅の地下室で、ライフルを試射する汐 ン式のライフルだった。性能のよさと堅牢な造りから、世界各 見の姿を目撃している。 国の警察や法執行機関、それに軍隊まで、幅広く採用されてい 距離が短いとはいえ、吊るした射撃用標的のど真ん中を、い る。狩猟用や竸技用としても用いられ、日本でも厳しい規制が とも簡単に射抜いていた。標的の中央に弾が集中し、五百円玉 あるものの、所持している愛好者は多い。 ほどの穴ができていたものだった。 五十発入りのア 1 モケースと、ミドルレンジタクティカルの 汐見はさらにライフルを撃ち、発射した弾丸を穴のなかへと スコープがついている。狙撃の腕さえあれば、七百メートル先 くぐらせた。楙によれば、汐見の師匠である忍足は、業界でナ の獲物も仕留められるだろう。銃弾は 308Wi 約三十口径 ンバ 11 と呼ばれる狙撃銃の使い手だと言われている。しかし、 の銅弾頭だった。 現役時代の汐見は、師匠を凌駕する射撃能力を持っていたとい 「やけに立派なものが残ってるな」 なま う。五年ものプランクのせいで、腕が鈍ったとはいえ、伊吹か 渡辺が顔をまっ赤にして説明した。 「せ、先代の社長がひそかに持ってたもんだべっす。本人は何ら見れば神業のようなものだ。 そのいかにも立派そうなライフルが、ガラクタのなかから見 年も前に死んじまったけんど、拳銃と違って、みんな使い方が つかった。鬼に金棒という言葉は、こういうためにある。とい わがんねえがらって」 うより、これぐらいのウェポンがなければ、あの兄弟を地獄へ 伊吹は渡辺から手を離した。寒風が熱くなった頭を冷やす。 送るのは不可能といえた。 渡辺のダウンジャケットの埃を払ってやる。 伊吹は銀ダラをんだ。 「悪かったな。ついカッとなっちまって」 おとり 「おれが囮になる。あんたはどっか遠くから、あの兄弟をケネ 渡辺は、迎合するような曖味な笑みを浮かべた。 使い道のない防犯グッズやエアガンが出てきたときは、怒りディの頭みたいにしちまえばいい」 汐見はじっとトランクを睨んでいた。伊吹の意見を否定も肯 を通り越して、腰を抜かしそうになった。 相手は玄羽兄弟だ。実銃を所持した敵でも、いとも簡単にあ定もしようとしない。やがて彼は渡辺に言った。 「まずは案内してくれ。お前の兄貴たちのところへ」 の世へ葬り去るような化物どもだ。しかし、粗悪品とはいえ、 327 ショットガン・ロード

10. 小説トリッパー 2014年春季号

多摩川べりで一人の男の死体が発見された。他殺であることても、理性によっても、無謬性を得ることはできない。だから 人間は、非常な苦心をはらって、抽象作用によって経験から真 犯人は誰か ? 謎の提示です。 がわかる。死体の身元は ? 一匹の大ならば、初手から議論の余地なく犯人がわかります。実を引き出すというかたちで真実をつくりだす、あるいは真実 に到達する。時間をかけて、場合によっては生涯をかけてやる 大は臭跡があれば必ず犯人にたどり着きます。大の嗅覚は、人 しかありません。 間よりも優れていると言われているし、事件の捜査や地震のと 探偵小説の形而上学的な意味はここにあります。まさにそれ きの行方不明者捜索などにも大が使われる。科学的にどれだけ を小説のプロットにする。帰納と演繹、この両方をめまぐるし 大と人間の嗅覚に違いがあるかを調べてみると、言われている く使いながら推理を進め、捜査する。要するに、われわれは感 よりももっとすごい。人間の諸神経の一つの嗅粘膜は二・四平 じられるものから理解できるものを何とか引き出そうとしてい 方センチ、ここに繊毛がいつばいあって、空中に浮遊する臭い の微粒子が繊毛に引っかかって、嗅覚粘膜の粘液に溶けて嗅覚る。感じることはできますが、この感じるものは何なのかとい こ達しない。それを常にやろうとし うことを理解しないと認識 ( 繊毛を刺戟し、その信号が嗅球を経て大脳の嗅覚中枢に伝えら れて臭いを感知する。この大脳の嗅覚中枢の受容細胞が、人間ているのが、われわれ人間です。それは何によってやるかとい うと、言語でやるしかありません。 では五百万個、大はなんと一億から二億個ある。本当かなと思 謎というのは、まず最初は非人間的なものとして目の前に現 いますが、そうらしい。大の細胞を一億個とすると人間の二十 倍ですが、五百万個と一億個で感じる能力というのは二十倍どれます。理解できないものは非人間的なものです。死体、謎と いうのは理解できないもので、非人間的なもの。周りに苦悩の ころではないでしよう。ある専門医は百万倍と言っています。 ということは、大は嗅覚に関しては絶対能力を持っているといっ場を作りだします。 てもいい。死体に犯人の臭跡さえあれば、ただちに大は絶対嗅 覚で犯人にたどり着く。つまり推理する必要も、論理も必要な ・エドガー・アラン・ポー『モルグ街の殺人 、議論する余地はありません。 らんしよう 探偵小説の濫觴、始まりはエドガー・アラン・ポーの短篇と もうひとり ( ? ) すぐに犯人を捕まえる存在がいますね。時 されています。それまで探偵小説というジャンルはなかった : ・ 間と空間の東縛を逃れた一個の知性、つまり全能の直感を持っ た神です。ですから、大と神に胡乱極りない推理や論理は必要『モルグ街の殺人』を例に取り上げてみましよう。 レスパネ 1 嬢の死体が、部屋の暖炉の煙突に押し込められた ない。ただちに犯人を見つけることができる。ただちに謎を解 くことができる、いや、彼らに謎は存在しない。人間とは、ま状態で発見された。母親のレスパネ 1 夫人は裏の中庭で無残に さしく大の嗅覚も神の知性も奪われた存在であり、感覚によっ切りきざまれ、殺されていた。警察の捜査が始まります。部屋 211 東大で文学を学ぶ