が、ま、忘れることだな」 す。杉田が稲垣先生にどれほど感謝してい「杉田、それを言うのは相当先のことだ。 「はい」 るか聞き及んでおります」 十二月の二学期の終業式まで二か月以上も 「小岩へ行ったら、またここへ来たらいい 「恐れ入ります」 ある。相変らず、せつかちでそそっかしい な」 職員室の片隅で、亮平は起立して稲垣先なあ」 保は手紙を封筒に戻して亮平に返し、中生に盛大に頭を下げた。 「ふふつ」と笑ってから、稲垣先生が続け 腰になった。 高橋先生が煙草を口に銜えた時、亮平はた。 のけ反った。 「杉田君がせつかちなことは分かります 「僕、高橋先生を称える作文に書きましが、そそっかしいとは思いません」 た。高橋先生はお酒も飲まないし、喫煙も「そうかも知れませんが、わたしは小学生 亮平が小岩行きの決断を伝えると、稲垣しないって」 時代の杉田しか知りませんので。中学生に 先生の落胆は小さくなかったが、「伯父さ「お酒はもともと嗜むが、煙草を始めたのなって、落着いたのかも知れませんね」 まは間違っていません。弟さんの気持ちをは最近なんだ。先生も人の子だから、あん「一年一組の級長ですし、先頃の弁論大会 大切に考える所はさすがです」と、にこやまり美化されても困るぞ」 で一年生でたった一人出場し、三位に人賞 かに言ってくれた。 高橋先生は真顔で返し、稲垣先生はくすしたのですから褒めてあげてください。実 高橋先生が十月下旬の土曜日の午後、一一 くす笑った。亮平は肩を竦めて、舌を出しに冷静で堂々たるものでした」 宮中学校に転校手続などで現れた時も稲垣た。 亮平が口を出した。 先生は笑顔で応対してくれた。 「十二月中に転校手続は完了しますね。な「高橋先生、その話はあとでします。稲垣 「杉田君から高橋先生の素晴らしさを幾度にからなにまで高橋先生にお世話になって先生の指導力のお陰なのです」 も聞かされています。作文で″我が師のしまい、心苦しく思っています」 亮平はあわて気味に話題を変えた。 みやもとまさお 恩〃を読まされてもいます。実は杉田君を「稲垣先生が受け人れてくださったお陰で「先生、宮本雅夫君の家が寄留先というこ園 失うことは、わたくし共一一宮中にとりましす」 とですが、時々宮本の家に泊まらなければ て辛いのですが、杉田君は市川一中のほう亮平は起立して、高橋先生と稲垣先生にいけないのですか」 が相応しいと思い、諦めました」 向かって頭を下げた。 「そんなことはあり得ない。以前も話した 「稲垣先生のお陰で杉田は成長したので「両先生のご恩は一生忘れませんー が名目上のことだ。市川一中には宮本家の四
亮平は初めて練習に参加した日に「おまえはわたしのような立 場のある者に指導を受けられることを有り難いと思いなさい」と 居丈高に言われて、いっぺんに青木正之が嫌いになった。 もっともさすがにプロで、指導力はかっての小節子先生の比 めぐみ園コ 1 ラス部は、内房線木更津駅先の大貫駅から大貫海ではなかった。 岸の宿泊先まで、バスで移動した。 亮平は夕食を急いで切り上げ、独りになって、ほれぼれするほ すぎたりようへい いながきとみこ 杉田亮平は夕食後の午後七時半頃、姉の弘子から稲垣富子の手 ど奇麗な字の手紙を貪るように読んだ。 紙を手渡された。 「就寝前に心して読みなさい。さっき稲垣先生から託されたの」 亮ちゃんお元気ですか。今日の正午過ぎまで亮ちゃんと話 「さっきって何時だ」 していたのですから元気に決まっていますね。亮ちゃん宛に初 「わたしが先生にお会いしたのは午後二時過ぎ。きっとおまえと めて書く手紙なので、先生は少なからず緊張し、高揚してもい 別れてから書いたんじゃないの。早く仕舞いなさいよ」 ます。 亮平は部厚い封書をズボンのポケットに入れるのに難儀した。 亮ちゃんは本当に小岩へ行ってしまうのでしようか。お父さ 海風が心地よかった。ここは大貫海岸の″海の家〃だ。当地の んと約束し、児童相談所の所長さんにもお父さんの新しい家族 しゅうじ 養護施設が店仕舞い直前の海の家の一棟を、めぐみ園コ 1 ラス部 と修二君共々一緒に暮すと誓ったのですから、先生があなたに を迎える為に貸し切ってくれたのだ。海の家に一泊して、あす二 手紙を書いたところでなにも変化は起こらないのかも知れませ ん。 十三日日曜日の午前中にコーラス部が慰問し、コーラスを披露す ることになっていた。 でも、先生の気持ちや考えをもう一度整理して亮ちゃんに手 おばまひとし あおきまさゆき 引率者は″お父さん〃の小濱仁理事長、指揮者は青木正之。青 紙を書くことが無意味だとは思いません。 木は四十一、二の音楽学校出身の本格派だった。 先生は亮ちゃんを心より愛し、慈しんでいます。亮ちゃんは夏 園 亮平の罹病中に、コーラス部は月に二度、青木の指導を受けて 先生のこの気持ちを理解してくださいますか。 み いた。 それとも、うっとうしいと思っているのでしようか。そうだめ そうきち 亮平は薬円台小学校の意地悪教師だった青木荘吉と同姓である としたら、この手紙を破いて捨ててください。 ことに、先ず反感を覚えた。目付きの悪さも両者は共通してい こんなことを書きながら、心優しい亮ちゃんのことだから必 ず返事をくださると祈る思いでもいるのです。 第七章我が師の恩 ( 承前 ) ひろこ 2
ゆくてをしめして にしたいと思います」 たえずみちびきませ 「それではこれで解散とします」 また会う日まで 折笠先生が締めくくった。 また会う日まで 亮平は弘子が合唱前に退出したことが気平成十八 ( 二〇〇六 ) 年二月十六日のタ 神のまもり になっていたが、姉の気持ちも分かった。 刻、平綿すみ子が杉田亮平を訪ねてきた。 せんばきんぞう 汝が身を離れざれ 弘子は身の振り方を決めかねていた。 百枝は三歳で、千波金藏、にわ子夫妻の 二日前には父の三郎から、亮平宛に小包養子となり、千波すみ子に改名、長じて平 御門に人る日まで が届いた。中身は詰め襟の学生服と修二に綿孝之と結婚した。 いつくしみひろき は黒っぽい上着とズボンだった。 すみ子を一目見て、亮平は「母に良く似 のぞみ 御翼のかげに 二人は″望の部屋〃で着替えた。二人共 てる」と呟いていた。 ももこ たえずはぐくみませ 少し大きめでダブダブ感は否めなかった だが百子と違って、心の優しい女性であ また会う日まで が、亮平はめぐみ園を卒業して行く立場にったことが嬉しくてならなかった。亮平は また会う日まで 思いを致して、しんみりした。詰め襟を着「氏より育ちか : : : 」と思わず呟いた。 神のまもり て初めて中学生になったような気分にもな すみ子の帰宅後、亮平は妻にしみじみと った。 汝が身を離れざれ 語りかけた。 アーメン 折笠先生がやってきた。 「人間至る処に青山あり。兄弟、姉妺の中 「挨拶は済んでますから、そっと静かに出で百枝が最も幸せな人生を送っているとい 松尾先生が拍手したので、全員がそれにて行くのが良いでしよう。手荷物は教科書うことかなあ」 続いた。 と身の回りの物だけにしなさい。残りはチ 「すみ子さんの義母の写真を見て、笑顔の 「亮ちゃん修ちゃん、これからも元気で頑ッキで小岩に送るようにします」 素晴らしさに感動したわ。すみ子さんを明 張ってください。めぐみ園での生活は二人「先生、長い間お世話になりました。ほんるく、心豊かに育ててくださったのが良く のためになったと思います」 とうにありがとうございました」 分かりました」 「僕たちもそう思っています。住む場所も亮平は丁寧に挨拶し、お辞儀をした。そ妻が声を詰まらせたので、亮平も目頭が 学校も替わりますが、めぐみ園のことを忘してぼさっとしている修二の頭を押さえっ熱くなった。 れることはありません。時々訪問するようけた。 ( 了 ) たかし ひらわた 294
「小岩で暮らしてみなければ分からな さんいることが僕の強みだと言いました いないことに気付きました。小濱理事長 い」と亮ちゃんは言いましたが、結果的が、意地悪な生徒が必ずいます。それと と小濱園長とも、いろいろ話さなければ に悲惨なことになっても、亮ちゃんなら市川一中のレベルは比較的高いので、二 なりません。″お母さん〃が授業参観日 耐えられる、少なくとも耐えようとする宮中の亮ちゃんみたいにお山の大将でい に一度も来ないことを四の五の言えた義 られるとは限りません。 かも知れませんね。 理ではありませんね。二宮中に教師の家 小岩での生活は想像もっかないほどの 言うまでも無くいちばん尊重されて然庭訪問の習慣はまだ無いとはいえ、事柄 困難が待ち受けている、亮ちゃんは楽観るべきは、亮ちゃんの意思なのです。高の性質上、先生はやるべきこと、なすべ 的であり過ぎる、と未だに先生は思わず橋先生は、先生などは足許にも及ばない きことをしていなかったことを反省して にはいられません。 ほど素晴らしい教師だと思いますが、亮います。 先生は今でも亮ちゃんが先生たちと暮ちゃんに対する愛情の深さにおいて、先 これでは高橋先生の。ハワーに圧倒され らしてみることを勧めたいし、願ってい 生は負けていません。高橋先生が小岩の て当然です。 ます。それが精神的に苦痛であれば引き家庭の実情をどれほど御存じなのか先生 繰り返しますが、亮ちゃんの気持ちが 返せばよろしいのです。小岩へ行ってし は知る由もありませんが、亮ちゃんが了最優先されて然るべきは言うまでもあり まえば、引き返すことは困難です。 承してくださったら、先生は小岩へ行っ ません。ただ、亮ちゃんが許してくださ 一年生の三学期から市川第一中学校に てご両親 ( 三郎さんと福子さん ) や福子 ったら、先生は直ちに行動致す所存で 転校すると聞きましたが、せめて三学期さんのお子さまたちにお目にかかり、先す。 は助走期間として津田沼で生活し、二宮生の意見なり、思いをお話ししたいとも 亮ちゃん、大貫海岸の海の家は今何時 ですか。夕食を終えて八時か九時頃でし 中学校へ通学する、どうしても馴染めな考えています。高橋先生は小岩の家庭の かったら、二年生から小岩へ行く、とい 実情、実態を確認したのかどうか、先生 はるお うシナリオを先生は考えました。帰する は気になっています。 先生は、この手紙を書くために治雄さ 所、亮ちゃん次第なのですが、承諾して 一年ほど前、めぐみ園に三歳の妹 ( 百んにも手伝ってもらいました。下書きが たかはし もらえたら先生は高橋先生とも話します枝 ) さんがおられたことを弘子さんから 一杯あります。時々、涙ぐんだりしなが し、市川の児童相談所の所長さんにも面聞きました。その時の亮ちゃんの気持ち ら心を込めて清書しています。今、九月 会したいと思います。 を先生は美しい心、優しい心だと思いま 二十一日金曜日午後十一時十三分です。 亮ちゃ・んは、市川一中には友達がたく した。そして、めぐみ園に一度も伺って治雄さんはお酒を飲んで眠ってしまいま さぶろう ふくこ もも 286
した。 にしています。 「手紙を書くように勧めた奴に見せるバカ 先生はビールを一杯飲んだだけで顔が がいるとしたら、誰かさんだろう 火照りますが、今ペンを置いて、頬を触亮平は海の家の簡易便所で肩をふるわせ亮平の右手が再び伸びた。 ってみたら火照りが消えていました。でながら、稲垣先生の心に染み人る手紙を反「おまえ、泣いたんじゃないの ? 心の籠 も、手の感触は温かいので、高ぶってい芻した。 もった手紙だったと思うけど」 た気持ちが静かになったのだと思いま 心が揺さぶられるのは仕方が無いが、稲「稲垣先生は僕の気持ち次第だって繰り返 す。 垣先生の温容に、ツンとした弘子の顔が重し言っているし、書いている。きめ細かい 亮ちゃん、あしたの午後、先生はこのなった刹那、涙が止まり、冷静になってい点は女性なるが故だと思うが、やつばり高 手紙を弘子さんに託します。先生に亮ちた。 橋先生の。ハワーには勝てつこ無いんじゃな ゃん宛てに手紙を書くことを勧めてくだ姉が稲垣先生を焚き付けたのだ。稲垣先いのか」 さったのは弘子さんです。 生が自発的に手紙を書いた訳では無い。 亮平はそう言いながら胸がじんじんして 「亮平君が懊悩するだけのことで結果は亮平は便所から海の家へ戻って、弘子にいた。 変らんだろう」と治雄さんは言っていま詰問した。 「亮平、小岩なんかへ行ったら二度と引き したが、先生は「わたしの思いを表白す「お姉ちゃんが稲垣先生に手紙を書くこと返せないからね」 るまでです」と言い返しました。 を勧めたんだってな」 「へえー、稲垣先生と全く同じ台詞だ。笑 先生の胸の中は行ったり来たりしてい 「あら。そんなことまで書いてあるの。信わせるぜ」 ますが、大貫海岸は静かですか。それとじられない。稲垣先生、どうかしてる」 強がりだと分かっていても、亮平はここ は引いてはならないと田 5 った。 も大波、小波の音が聞こえるのでしよう「どうかしてるのはそっちだ」 か。多分、聞こえるのでしようね。波音亮平は姉の澄まし顔に、右手の人差し指 を子守歌と思っておやすみなさい。そしを突きつけた。 亮平は翌朝の礼拝のあとで、 " お父さん〃夏 園 て、あしたはコーラスを楽しんでくださ「見せなさい。稲垣先生からの手紙を」 と立ち話をした。 み 「冗談じや無い。手紙の内容は知ってるん「お願いがあります。来週の日曜日に目黒が 先生は今にも眼がくつつきそうです。 だろう ? 」 へ行くことを許可してください。伯父の意 亮ちゃん、二十四日の朝、元気な顔を「まさか。おまえバカだね。呆れ返っても見を聞いてから、今後の方針を決めるべき 見せてください。コーラスの話も楽しみのが言えない」 だと思うからです」
類いは抜きん出ていたからなあ。長続きする。可哀想だ。わたしは一二郎と兄弟の縁は固反対で、邪魔しようとばかりしていま るといいが : 切ったつもりだが、憎しみ合っている訳です。稲垣先生にこの手紙を書かせたのも姉 なんです」 「伯父さん、相談があります。この手紙をは無いー 「いちばん悪いのは母の姉の早苗伯母さん「弘子には弘子の立場なり、気持ちがある 読んでください」 んだろう。福子という女性とは水と油だろ 亮平は脇に置いておいた風呂敷包みの中です : : : 」 から、稲垣先生の手紙を取り出し、封筒ご亮平は、早苗が保からせしめた金額の事うなあ。ところで高橋先生とは市川小学校 実関係について口を衝いて出そうになった時代の担任教師だな」 と保に手渡した。 「今年の五月五日にめぐみ園に旧友を六人 が、ぐっと喉元で押し戻した。 保は手紙をきちっと読んでくれた。 「治雄という人が稲垣先生の亭主であるこ「済んだことだ。忘れなさい。ちょっと訊も連れて来てくれました。父や母にも会っ てます。稲垣先生は高橋先生の足許にも及 くが、福子さんを知っているのか」 とは察しがつくが、二人とも二宮中の教師 なのかね」 「はい。昔、小岩駅の北ロで小さな飲み屋ばないと思います」 「いいえ、治雄先生は津田沼の中学の国語をやってました。実は父に何度か連れて行「手紙にも書いてあったな」 の先生です。稲垣先生は音楽の先生ですかれ、連れ子の子供たちにも会っています」亮平はきまり悪そうに下を向いた。稲垣 「おまえなら仲良くやれるだろう。三郎か先生に失礼だと思わざるを得ない。 が、僕のクラスの担任です。二人ともすご く良い先生で、子供がいないので僕と暮らら聞いているが、福子さんの元亭主は株屋「亮平は稲垣先生にも感謝せなあいかん。 したいと言ってくれました。年齢は二人共さんで遣り手だったらしいな。女を作ったおまえにとってめぐみ園の生活は決して悪 くなかったと思わなければな」 のは株屋さんのほうが先だとも聞いた。三 三十四、五歳です」 「手紙を読んで良き教師であることは間違郎は同情心からひょんなことになったと話亮平は憮然として反発した。 いないと思うし、こんな優しい教師がおるしてたが、おまえが三郎を捨てるのは勘弁「早苗伯母さんにも感謝しなければいけな とはなあ。おまえが迷いに迷っていることしてもらいたいというのが正直なわたしのいのですか」 保もむすっとした顔になった。亮平は二 も分かる」 気持ちだ。わたしと三郎の仲がどうあれ、 重瞼の眼に強く見返された。 わたしと亮平は伯父と甥だ。修二も然り。 保は緑茶を飲みながら思案顔になった。 「おまえの父親がだらしないから、乗じら 「正に亮平次第だが、長男のおまえまでが弘子とは伯父と姪の関係だ」 養子に行ってしまうのは、三郎が哀れ過ぎ「姉は、僕と修二が小岩へ行くことには断れたんだ。わたしもあの人は好きになれん
九月に訪問した時、おやつの茹でたとうれません。ご恩は忘れませんはこれで二度あらかじめ打ち合わせをしていたとみ まつお たけやま もろこしをがつがっ食べ始めた亮平に「美目です」 え、松尾先生、竹山先生、相澤先生たちも 味しそうに食べてますねえ。確かに旨い稲垣先生はくすっとして、きれいな笑顔合唱に参加した。 が、アメリカでは主に家畜の餌として用いになった。 松尾先生が「一、 二の三」と言って歌い られている。日本は貧しい国だからほとん「握手しましよう」 出し、時ならぬ合唱になった。 どは食糧なんでしようね」と話した時の高「はい。嬉しく思います」 遠日通マンの笑顔は印象的だった。 生徒たちは全員、亮平が転校することを 神ともにいまして 承知している。シーンとしていた教室が明 ゆく道をまもり るくなり、私語も交わされ出した。 あめの御糧もて 亮平は席に戻って、通信簿をそっと開い ちからをあたえませ 十二月一一十五日の終業式後、亮平は稲垣た。オール 5 だった。家庭科、図画・工作 また会う日まで 富子先生から通信簿を手渡された。 の 5 はあり得ない。贔屓に決まっている。 また会う日まで 「杉田亮平君とはきようがお別れの日にな気恥ずかしく誰にも見せられない、と亮平 神のまもり りますね。市川一中で頑張って、二宮中のは思った。 汝が身を離れざれ 学力が決して劣ってないことを示してくだ めぐみ園では昼食後、折笠先生が頃合い さい。あなたのことは生涯忘れません。わを見て、「ちょっと静かにしてください」 折笠先生が亮平と修二に近づき、「二人 ずか一年生の一、二学期を共にしただけでと園児たちを食堂に押しとどめた。 も一緒に歌いましよう」と耳打ちしてくれ すが、先生にとっては密度の濃いものでし「 " お父さん〃からの伝言があります。朝た。 たし、楽しい日々でした」 の礼拝で、杉田亮平君と修一一君がきよう、 「はい。歌います」 の 稲垣先生の声はくぐもり、目尻に涙が滲めぐみ園を去って行くのをうつかり忘れて 二番目から亮平も修二も声を張りあげ園 んでいた。 しまい、送別の賛美歌を歌わなかったのた。 め 亮平は胸が熱くなったが、懸命に声を押で、昼食後食堂で皆で歌ってください、と し出した。 のことです。亮ちゃんと修ちゃんは後ろに 「僕も先生のことは忘れません。ご恩は忘下がって、皆さんは前に集まってください」 荒れ野をゆくときも あらし吹くときも
選択する、ということは、選択した以外の選択肢をすべ て捨て去る、ということ。つまり、選択肢が多ければ多い ほど、後悔も大きくなるというわけだ。しかし、選択肢を 誰かに選んでもらえば、この後悔を自ら負わすに、選択し た誰かのせいにすることができる。 すべての選択肢が正解、といわれると、この先、結果と して現れてくる事象のすべてが、私の選択と行動の責任で ある、といわれているような気がしてしまう。あなたの選 択が結果的に、地獄へ通じる道だったとしても、それもあ り得る解なんですよ、どんなに苦しくともそれも正解、あ なたの選んだ選択肢なのだから自業自得ですよ、というこ 不定という解の、この居心地の悪さに、いつも、どこま で耐えられるだろう、と思っている。できれば、こんなこ とには思いをめぐらせず、楽観的に物事を見、直感的に行 動し、すべてを忘れ、都合が悪いことは誰かのせいにして 生きるのが、居心地よく人生を過ごすために適した方略だ ということはわかるのだけれど。 ずいぶん前のことになるが、人生に意味はない、という 宮台真司先生の言葉に呼応して自殺者が現れた、と話題に なったことがあった。人生に意味はない、という含みのあ る表現は、生きていても仕方がない、と解釈することも可 能なので、あたかも彼が死を勧めているかのように受け取 られてしまいがちだが、本当は、これは人生の意味は不 定、ということのやや斜に構えた表現と捉えるべきだろ う。人生を意味づけるのは自分自身であり、どんな風に意 味づけても正解である、という。 しかし、そうであればなおさら、生きていることそのも のの重さがリアルな量感をもって迫って来る。一瞬一瞬の 意思と行動すべてが、取り返しのつかない選択であり、そ の帰結は自分で負わなければならない。この居心地の悪さ に、どこまで耐えられるか。 自由を回避しながら、自由を求めている 自由である、ということは、先にも書いたように、一般 的には良いことだとされているらしい。 誰からも制約を受けず、自分の意思で選択し、何かを決 めて、自分で責任を取る。理想的な響きだ。が、実は、自 由である、ということは、私が勝手に負担がっているばか りでなく、人間の脳にとって本質的に結構な負担なのだ。 学術的には「認知負荷」と呼ばれる。 脳に負担がかかる、という事象は、感覚としては「しん どい」「面倒くさい」と知覚される。選択の自由を礼賛し ていながら、本当は、他者に意思決定してもらう方がいい と感じているわけだ。
朝子の恋愛ストーリイだった。当人たちは、まさか薄い壁一 っ隔てたところで、自分らがそんな腐った妄想の生け贄にさ れているとは夢にも思うまい。 そして、かく言う私自身が夢にも思っていなかったこと に、なんと角田先生は私が寮の食堂にある学校所有の。ハソコ ンで密かに書きためてきた日記 ( 多分に妄想が加味されたも の ) を、どうやらすべて読んでいるらしいのだ。 「 : : : 最初はって : : : 全部読んでるの ? なんで ? なん で ? 誰にも : : : 親にも内緒だったのに」 もはや敬語を遣う余裕もなく、私はなじるように言った。 ほんとに、なんで、としか言いようがない。なんで親バレ通 り越して、いきなり大学の理事長バレなのよ。そんなのつ て、悲惨すぎる。 恥ずかしい、恥ずかしい、恥ずかしい : 。今すぐサス。へ ンスドラマに出てくる崖から飛び降りたい。 そもそも私は夜毎に書いた文章を、私物のメモリに 記録して、 ードディスクのデータはちゃんとその都度消去 していたのだ。それはもう、念人りに。 そう考えて、はっとする。まさかこの先生、夜毎私の背後 にピタリと張りついて、のぞき見していたわけ ? 今、まさ にそうしてたように。 何それ。どんなおんぶお化けだよ。妖怪子泣きジジイか よ。 戦慄しつつ、かくなる上は、秘密を知った先生を今ここで ひと思いに殺害し、その後私も自ら命を絶って : : : なんて物 騒な妄想すらちらっく。だけどはたと現実に立ち帰る。私の 脳裏によぎったのは、先生に申し訳ないとか親が泣くとかで はなく、それをやったら、この禿げてまん丸い先生と無理心 中ってことになってしまう、それは嫌、美しくないにも程が ある : : という身も蓋もないものであった。 「 : : : 眼はロほどにものを言うと申しますが」どこかおかし そうに、先生は言い出した。「あなたの表情は実にくるくる と変わって、心の裡を物語っていますねえ : : : 実に素直な人 です」 いえ私、決して素直じゃないです。 という想いまで見抜いたかどうか、先生はにこにこ笑って 話し出す。 「あなた方は私らの世代から見たら、未来世界の住人です よ。物心ついたときには携帯ゲーム機なんて、とんでもなく すごい物を、まるで当たり前のように与えられて。そして今 や、スマホだとかタブレットだとかいう、魔法の板を使いこ なして、何でもやってしまう。その仕組みも、内部の構造 も、何ひとっ知らないままにね。知らないと言えば、携帯端 末があまりに万能になったせいか、。ハソコンの基本的なこと を意外と知らない若者が多いように思います。ひとついいこ とを教えて上げましようか。。ハソコンのデータを捨てるゴミ 箱からは、簡単に消去したデータが取り出せるんですよ。間 違って大事なデータを消したときのためにね」 128
思いの外優しく、理事長は言う。 「もう嫌です。頭が割れそうに痛いです。吐き気も酷いで す。もう家に帰ります」 涙をぼろぼろこぼしながら、私は理事長に訴える。これは 許可を求めているんじゃない。単なる決定事項を告げている のだ。 ゅもと 「わかりました。まずは、医務室で、湯本先生に診ていただ きましよう」 ああそうだ、と思う。この寮には元校医の湯本先生が常駐 されているのだった。医務室で、痛み止めをもらえばいい。 この頭痛さえ治まれば、家に帰れる。 私はよろよろと立ち上がった。 痛み止めさえ出してもらえれば即座に終わる話なのに、湯 本先生はやたらと丁寧な問診や診察を一通り行った。それか らカーテンの向こうに待機していた理事長を呼び、「やはり ですねえ」と言った。 「ああ、やはりですか」と訳知り顔に理事長もうなずく。 「はい、これはリダッショウジョウでしよう」 え、何それ。怖い病気なの ? おののきつつ、二人の老人の顔を交互に見やる。アインシ ュタインみたいな白髪頭に、つるつるのハゲ頭が、同時にこ くりとうなずいた。 湯本先生がゆっくり立ち上がり、薬品棚から取りだしたの は、思いがけない物だった。 ゾン CQ ショック。通称ショク。 ああ、これこそが夢に出て来たコンビニで、私が買おうと していた品だ。 湯本先生はポトルのキャップを開け、目盛りのついた透明 なコップに慎重にドリンクを注ぎ、私に差し出した。 「さあ、お薬ですよ。ゆっくりお飲みなさい」 はあ ? と思ったが、とにかく受け取り、ゆっくり飲み干 す。最後の一滴まで飲み終えて、思わず深いため息が漏れ 「美味しいですか ? 」 傍らの角田先生に聞かれ、素直にはいとうなずく。湯本先 生が、コホコホと空咳をしてからロを開いた。 「こうしたエナジードリンクには、カフェインが多量に含ま れているのはご存じですか ? 」 「ええ、まあ : : : 」 元々、夜に小説を書くときの、眠気覚ましとして飲んでい たのだから、それくらいは百も承知だ。 「これは国産のものとしては、かなりカフェインの含有量が 多いですね。これ一本で、成人が一日に摂取できるカフェイ 工 ン量の半分ほどになります。あなたこれ、一日にどのくら の 遠 い、飲んでいました ? 」 永 : 多いときで、三本くらい : 「明らかに過剰摂取ですね。あなた、カフ = イン中毒になっ