店長 - みる会図書館


検索対象: 小説新潮 2017年1月号
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1. 小説新潮 2017年1月号

れも事故の影響なのだろうか。半年ほど前、化学工場の壁に 大きな穴があいた。なにかにられたのだ。大きなネズミた ちの仕業ではないかといううわさもあったが、ほんとうのと ころははっきりとしない。工場からなにが流れ出したのかも いまだにわからない。大量の発泡スチロールが霧深い早朝の 湖面をおおっているのを住民たちが目撃していなければ、そ のままだれも知らずにいたかもしれない。店長は目玉が九つ ある魚がピザの上でこちらをにらみかえしているさまを想像 した。 「ふつうのやつでいいよ」 力なくこたえる。言い値が高いのなら自分で捕まえたほう がいいのではないかとおもった。そのことにおもいあたると 店長は急にあかるい顔になった。 「アンラクギョを捕るのはなかなかむずかしいんだろうね。 だから値段も高いんだろう ? 」 「いいえ、簡単です」 女の返事に、店長はこぼれ落ちそうになる笑みをこらえ た。頬が不自然に引きつり、むしろ苦痛に耐えているように 見えるくらいだった。 「そんなに簡単なのかい ? 」 「呼をたたくだけです」 女は無表情にこたえた。 「手 ? 」 店長は首をかしげて目を細める。すると女は手を打ち鳴ら した。手から爆竹みたいな音がした。静まりかえった湖面に 魚が不格好に跳ねた。アンラクギョだ。店長は目をまるくし た。女の手が爆竹みたいな音がするということにも驚いた し、その音に反応してアンラクギョが跳ねることにも驚い ( 0 「ほら、簡単でしよう」 「なるほど、簡単だ」 店長もためしに手をたたいてみたが、うまく鳴らない。湖 はひっそりとしたままだ。女がまた爆竹みたいに手を鳴ら す。魚が跳ねる。店長が手をたたく。何度も連続で手をたた く。いっこうに爆竹みたいな破裂音は鳴らないし、魚が跳ね る気配もない。どういったこつがあるのか。手のひらをまる めてみたり、反りかえらせてみたり、全力で打ちつけたりし てみたが駄目だ。工夫を凝らせば凝らすほど、ろくな音がし ない。手のひらがびりびりと痺れてきた。 「本物の爆竹を鳴らしたほうが早いんじゃないのかね : : : 」 店長が情けないため息をもらす。 「それはやめておいたほうがよいでしよう。あまり音が大き いと、かれらは怒りますから。ああ見えても肉食です。今年 の夏、湖畔で花火をして遊んでいた男が両手の指をひとっ残 ギ らず食いちぎられました」 淡々とした口調で女に説明され、店長は眉間にしわを寄せン た。もう一度だけ手をたたいてみたが、粘土と粘土をぶつけ あわせたような音しかしなかった。女がふりむき、

2. 小説新潮 2017年1月号

からね。冷めたピザほど冒漬的なものはないよ。いにしえの ピザの王が怒髪天をついてよみがえり、この町に天変地異を もたらすにちがいない。そうなれば町は壊滅。きみはもう二 度とピザを食べられないし、アンラクギョだってこの世から 絶滅してしまうだろうね」 「ああ。それはいやだなあ」 ネコビトはうろたえ、目に涙をためた。大きな体をふるわ せている。こんな話に騙されるなんて子どもみたいだと店長 はおもった。 「だが、きみは運がいい。さいわいなことに、わたしはピザ の専門家だ。頭のてつべんから爪先までピザでできているよ うなものだ。チェダーとゴーダとモッツアレラ、それに。ハル ミジャーノにカマンべールの御加護がある。もちろんゴルゴ ンゾーラもさ。安心なさい。きみに最高のアンラクギョピザ を届けよう」 「あんた、なにをいってるんだ ? 」 と訝る助役に、 「キッチンを貸してください。このピザをおいしく調理し直 してきます」 といって店長は目で合図を送った。助役はその意味に気づ いたらしい。 「うむ。それもそうだな。キッチンは一階のいちばん奥にあ る。ここからいちばん遠い場所だ。そこまで行くにはたくさ んの部屋を通りすぎなければならん。いろんな部屋があるだ ろう。部屋にはいろんな物が置いてある。キッチンへ行け ば、そこにだっていろんな器具がおかれている。調理をする にも調理以外のことをするにも事欠かんだろう。わしのいっ てる意味がわかるな。くれぐれもよろしく頼むぞ」 「まかせてください」 店長がピザを抱えてバルコニーから部屋に引き返そうとす ると、、不コビトがいった。 「電話を置いていくんだなあ」 ネコビトはもううろたえてはいなかったし、にやにやして もいなかった。猟銃の先端が店長の背中を追いかけてきてい ( 0 「ああ。もちろんだ。そうしようじゃないか。調理に電話は 必要ないからね」 といって店長は平静をよそおい、ポケットから取りだした 携帯電話をテープルのうえに置いた。財布も置いていくよう にいわれたのでおとなしくいうことをきいた。最終的にはポ ケットにある物を全部テープルにならべていた。 「服を脱ぐんだなあ」 ネコビトはいった。 「裸は勘弁してくれよ」 店長は眉をハの字にした。 「こっちはなにも着ていないんだなあ」 たしかにそのとおりだった。ネコビトたちはみな、なにも 着ていない。いわれてみれば、かれらは裸で夜の郊外をうろ つきまわっているのだ。それでなんの違和感もなかった。そ れが自然なことにおもえた。店長がためらっていると、

3. 小説新潮 2017年1月号

た。ものはためしにいってみた。 「じゃあ、きみ。お金払ってくれるかな ? 」 「知らないなあ」、 そんな無責任な。店長はネコビトが猟銃を持っていること も忘れて抗議した。 「一枚二十三万もするんだぞ。払ってもらわないと困るよ」 「お金は持ち歩かないからなあ」 「なら、家にならあるのかい ? 」 ネコビトというのがどこに住んでいるのかは知らないが、 金があるならそれでかまわないような気がしてきた。 「おい、あんた。さっきからなにをやっているんだ ? 」 助役がいらだった声をあげた。 「仕事ですが」 「それより先にやることがあるだろ。なんとかして、こいっ を追っ払え」 「そういわれても、いったいどうすればいいのか」 「わしを助けたら倍の金を出してやる。いくらだ」 「二枚で四十六万ですのでーー」 「九十二万か」 「あ、深夜料金で五割増しになるのを忘れるところでした」 「いや、九十一一万だ。じゅうぶんだろ」 「ええ。まあ」 もらえる額を想像して、店長は自然と笑みがこぼれた。 「だが、もし助けることができなければ、アンラクギョ法で あんたの店を破滅に追いこんでやるからな」 助役にいわれて笑みが消えた。助からなければ、それもで きないだろうに。店長は言葉をのみこみ、ロをへの字にし こ 0 「早くピザを置いてくれないかなあ」 ふと見るとネコビトの銃口が自分の顔に向いているのに気 づき、店長はぞっとすくみあがった。ネコビトの感覚では、 いつどんなタイミングで発砲するかわかったものではない。 店長は小さなうめき声をもらす。 。ヒザの箱をテープルに置くべきだという気がした。しかし それでは九十二万が手に人らない。それともアンラクギョさ え食べれば、ネコビトは満足して去っていくだろうか。そう すれば助役も自分も助かるわけだが、はっきりいって保証が ない。ネコビトのことだ。。 ヒザの味に興奮して有頂天、いき おいあまって発砲する確率のほうがはるかに高そうだ。なら ば選択の余地はない。ここはひとっ勝負に出よう。店長の身 内に代々受け継がれてきたケチャップ色の血が熱く駆けめぐ るのをかんじた。 「あいにくこのまま渡すわけにはいかないんだ」 店長はっとめて落ち着きはらった調子でネコビトにいっ ギ 「早く食べたいなあ」 ア 「気持ちはわかるさ。だがね。プロとしてこんなピザをお客 様に差しあげるわけにはいかない。すっかり冷めてしまった

4. 小説新潮 2017年1月号

った。死んだ助役のことなどそっちのけでピザの箱を開けよ うとしていた。 そのとき、ゆっくりと地面を揺るがすような音が遠くから 響いてきた。船が海流に呑みこまれる音のようにもきこえ た。音は空をおおいつくして、どちらの方角からきこえてく るのか定かではない。店長は顔をあげた。森に囲まれた湖と 対岸の工場の灯り。ふいに平衡感覚がおかしくなった。転が った観葉植物の鉢が小刻みにふるえてぶつかりあう。腰のう えでねじれていた助役の腕が床に落ち、手のひらがあおむけ になる。逃げたほうがいいのではないかという予感に襲われ たが、どちらへ足を踏み出したものか見当がっかない。ネコ ビトたちはアンラクギョのピザを両手に持ちながら耳をふ せ、まるまると見ひらかれた瞳孔を夜の向こうに投げかけ る。店長もつられてそちらを見た。 さっきまで暗い夜空を鏡のように反射させていた湖面が、 すり鉢状に渦を巻いて泡立っていた。その渦のまんなかから 首長竜のようなものが顔をつきだした。首長竜はいっぺんに 首をのばし、雲と煙に物みつかんばかりに空に立ちのぼっ た。すぐに頭は向きを変え、ホームランポールのような放物 線を描いてバルコニーに近づいてくる。店長にはそれが近づ いているのか遠ざかっているのか判別がっかなかった。自分 たちとは大きさのスケールがちがいすぎていて遠近感が把握 できない。あっけにとられて立ちつくしているうちに、頭は みるみる大きくなった。口がばっかりとひらかれる。泥のに おいがあたりに放散した。バルコニーの照明を浴び、その表 情が浮かびあがる。波打っ牙。濁った目。涙のような縦筋模 様。頭の両脇にある不格好な鰭は翼のように広げられてい た。店長は気づいた。毎日毎日よく見ている顔。アンラクギ ョだ。長いのは首ではなくて尻尾なのだ。 巨大アン一フクギョは店長の目の前でネコビトたちを丸呑み した。ネコビトたちは声をあげる間もなかった。それから頭 の両脇に生えた翼でバルコニーの床を強打し、後ろ向きに跳 ねた。そうして身をひるがえすようにして湖に帰っていった。 店長は一歩もうごけなかった。詰まった便器のような音が おさまると、あたりは静けさを取りもどした。森も湖ももと のままだ。ただ自分の立っているバルコニーだけが、そっく りそのまま下の階にめりこんでいるのに気づいた。 店長はあおむけになって死んでいる助役のそばに腰をおろ す。猟銃を肩にのせ、ひっそりとした湖をながめた。森や庭 で虫たちの鳴いている声がきこえていた。湖面が工場の灯り をきらきらと映し出している。夜風が肌寒かった。この巨大 なアンラクギョも事故以来発生した突然変異なのだろうか。 それとも湖底に潜んでいたかれらの親玉か。きっと猟銃の音 に反応したのだ。助役の死体に家族たちの死体。金も人ら ず店も破産だ。もうどうすればいいのかさつばりわからな 「おしまいだ : : : 」 店長の口からため息がもれた。湖には霧がかかりはじめて いた。店長は座ったまま立ちあがることができなかった。 ( 了 ) 156

5. 小説新潮 2017年1月号

の下の灰色のロ髭が元気なくしおれている。簡素な白い丸テ ープルの中央には携帯電話が置いてあった。店長にはそれが 助役のものだとわかった。ひんやりとした夜風がかすかに観 葉植物の葉を鳴らす。 「おや。まあ。遅かったなあ」 ネコビトがにやにやしていった。店長は状況が飲み込めず あたふたするばかり。なんとこたえていいのかわからなかっ た。大声をあげれば家族が察知してくれるのではないかとも 考えたが、そのまえに助役が撃たれてしまいそうだ。そした ら次はきっと自分だ。助けが来るまえに二人とも死んでしま 「あんた、一人で来たのか ? 」 かすれた声で助役がいった。 「ええ、そうですが」 「なんてまぬけだ」助役は鼻にしわをよせる。「用心しろと いっただろう」 「もちろん用心してきました。トッピングのことはだれにも 怪しまれていません」 「そうじゃない。そんなことはあたりまえだ。そのためにわ ざわざいったとおもうか ? 」 「いえ、はい。ええと、そうですね」 「見てのとおりだ。警察に通報するくらいの知恵はなかった のか。まったく」 店長は助役とネコビトに交互に視線をうっす。 「なにがあったんです ? 」 「ああ。いいにおいだなあ」 銃をかまえたネコビトがうれしそうな声をもらす。見覚え のある猟銃だった。助役のものだ。壁に飾られているのを見 たことがある。もちろん本物。弾も出る。弾だって本物だ。 助役は野生の動物を狩るのが趣味で、しとめた獲物をよく自 慢していた。 「その銃って助役さんの銃ですよね ? 」 「それがどうした」 めんどうそうに助役はこたえた。 「いえ、べつに。ピザの代金いただけます ? 」 そういう状況でもなさそうだが、いうだけいってみた。助 役はあからさまに眉をひそめて店長をにらみつける。 「やるわけないだろ。わしは頼んでおらん」 「でも、電話で注文したじゃないですか」 「こいつに脅されて電話したんだ。そんなこともわからんの 「えっと。きみが注文したのかい ? 」 店長はネコビトにきいた。 「うん。うまそうだなあ。ここに置いてくれないかなあ」 いつどこでかはわからないが、このネコビトは助役がアン ラクギョのピザを食べているのを嗅ぎつけたのだろう。棄て てあった食べ残しでもみつけたのかもしれない。それでアン ラクギョの味にとりつかれてしまったのだなと店長はおもっ か」 150

6. 小説新潮 2017年1月号

店長はなにかの気配をかんじてペダルを踏む足を止めた。 からからいう車輪とチェーンの音がゆっくりと停止した。街 灯が路面に黄色い濃淡を描いている。道の前後に視線を走ら せる。木立の暗がりにじっと目を凝らす。かすかにプ一フスチ ックの溶けるようなにおいがしたが、すぐに消えてしまっ た。湿った空気が体にまつわりつく。虫たちの声がいつのま にか止んでいた。風が葉をゆらす音以外なにもきこえない。 「気のせいか : : : 」 坂道はまだ続いている。気を取りなおして。へダルに足をか けた。そろそろと漕ぎだされる自転車。ハンドルも安定しな いうちにタイヤが。ハンクして、空気がいきおいよく抜ける音 がした。 「もう少し左手を傾けるのです」 といって手をかまえて見せた。そうしてふたりであれこれ やっているうちに、たがいにゆらゆらさせていた手と手がぶ つかった。その瞬間、ざわりとした感触が店長の背筋を走っ た。体の芯がぐらりとなって空と湖がさかさまになるような 錯覚がした。そのとき店長はさとった。女の得体の知れない 石像のような手でなければ、こんな音は出るわけがないのだ と。そうしておとなしく言い値で魚を買って店に帰ることに したのだった。 「なんだこれは ? 」 よろけるように地面に足をつく。サドルから降りて確かめ てみると、前も後ろも。ハンクしていた。路面のあちこちに妙 なものが散らばり、街灯の光を鈍く反射させていた。きわめ て鋭角に尖った三角錐ーー撒菱だ。いったいだれがこんない たずらをしたのか。店長は顔をゆがめてあごに手をあてた。 人気のない山道でパンクした自転車をひいて歩くのはさびし い。暗い夜ならなおさらだ。こんなことなら無理にでもバイ トに配達させればよかったと後悔した。 助役からの電話を受けたのは店長だった。店番と電話番は 店長、調理をするのはバイト、そしてそれを配達するのは店 長の役目。そういう役割分担になっていた。 電話口から助役のかすれるような声がもれきこえた。言葉 の焦点がはっきりとしない。典型的な禁断症状にちがいなか った。アンラクギョは一度食べれば病みつきになる。死ぬほ どうまい。店長自身、何度その誘惑にかられただろう。配達 の途中で足を止め、建物と建物のあいだの谷間でピザを見つ めて、脂汗をかきながら逡巡することもしばしばあった。は っとわれにかえり、底なし沼からやっとのおもいで首を出し たかのように、その誘惑から逃れるのだった。 電話に出たとき、こんな遅い時間に注文が来るのもめずら まきびし 142

7. 小説新潮 2017年1月号

「なにをもめてるんですかね」 「アンラクギョを独り占めにしたいらしい。気持ちはわから なくもないがな」 体格が大きいうえに猟銃をもっている強盗ネコビトのほう があきらかに有利におもえたが、実際はそうでもないらし い。小柄なネコビトのほうは銃のあるなしなどまったく意に 介していないようすだった。器用な身のこなしでくねくねと ふところに人りこんでくるので、強盗ネコビトはおもうよう に銃口を向けられないでいた。そうして、あはは。あはは。 あははははと笑っているのか泣いているのかわからない声で 威嚇してくるので、大柄なほうは半分泣き顔になっていた。 なんだかしまりのない戦いだ。大ネコビトがほとんどやぶれ 、不コビト かぶれになって銃の台尻で殴りつけようとする。 はするりとすりぬけ車の窓でもふくような手つきで両手を回 転させる。ピザを作らせたら上手そうな手つきだと店長はお もった。うちに雇い入れようか。いやだめだ。だれがネコビ トの作った料理など食べたがるものか。 「警察には連絡したんだろうな ? 」 助役がたずねた。 「いえ。それができませんでした」 店長は手短に状況を説明した。動揺させたくなかったので 家族のことはいわないでおいた。 「服ぐらい着てくればよかったろうに」 「勝手に借りていいのかわからなかったものでー ほんとうは動転していて気が回らなかったのだ。トランク ス姿で温かいピザの箱をもっているのが急に恥ずかしくかん じられた。 「おい、いつまでわしを椅子に縛りつけておくつもりだ ? 」 といわれ、助役を解放する好機だということにおもいあた った。店長はピザの箱をテープルに置き、手こずりながら包 丁で縄を切った。助役は解かれた手足をさすり、ほっとため 息をもらす。助けてあげたからには約束の金がほしいと店長 はおもった。 「逃げるまえに代金をいただけます ? 」 「もちろんだ。わしはぜったいに約束を守る男だからな」 店長の顔がにわかにあかるくなった。その直後、猟銃の発 砲音が鳴った。銃声は夜のしじまに響き渡った。まちかでき いたせいか、店長は耳がほわんとした。助役があおむけにひ つくりかえる。音のせいではない。腹のまんなかを撃たれた のだ。 驚いた顔のネコビトが猟銃を抱えたまま走り寄ってきた。 もう一匹の小柄なネコビトもついてくる。そしてピザの箱に 気づくと、たまらないような笑顔を見せた。大きいほうのネ コビトは、ピザと銃を交互に見くらべると、 「弾切れだなあ」 といってその銃を店長に渡した。あたりまえのように差し 出されたのでふつうに受けとってしまった。猟銃は火薬のにク おいがした。助役はたおれたままおきあがらない。うめき声ン もない。息もしていない。口から血を吐いている。ネコビト たちはもうアンラクギョのピザのことしか頭にないようすだ

8. 小説新潮 2017年1月号

店長はトランクス姿で邸宅の廊下をうろうろしていた。手 にはピザの箱を大事そうに抱えている。助役の家族にみつか ったら、なんて言い訳をすればいいのか。うつかり出くわさ ないよう祈るばかりだ。店長はこそ泥みたいに忍び足になっ ( 0 ようやくのことで一階のキッチンにたどりついた。たしか に助役のいうとおり 、バルコニーからいちばん遠い場所だっ た。ほっとため息をつく。人り口の壁に背をもたれ、しばら く呼吸を落ちつかせた。家族とすれちがわなくてよかった。 さっそく調理をはじめるかと気を取りなおす。が、すぐに 額をたたいた。べつにあのネコビトに極上のピザをふるまっ てやるためにここへ来たのではない。武器を取りにきたの 「じゃなきや不公平だなあ」 と追い打ちをかけるようにネコビトはにらんだ。不公平と いうのとはどうもちがうような気がしたのだが、うまく反論 できなかった。しぶしぶ服を脱いでトランクス一枚になる。 ネコビトはしばらくトランクスをじっと見つめていたが、 それ以上は要求しなかった。ピザを持ったまま逃げること を心配していたのだろう。こんなかっこうで夜道を歩いて いる人間がいないのは、かれらだって経験的に知っていた にちがいない。意外と抜け目のないやつだと店長はおもっ こ 0 だ。ネコビトに立ち向かうために。具体的には刃渡りの長い 包丁だ。逃げるつもりなどさらさらなかった。逃げれば金は 手に人らない。それに万が一あとから逃げたことが助役に知 れたら、店はおしまいだ。あの性格の悪さだ。自分がこれま でさんざんアンラクギョを食べてきたことなど棚にあげて、 どんな汚い手段を使ってでもべロシテイピザを閉店に追いこ もうとするにちがいなかった。 だが店長にはためらいがあった。いくらなんでも包丁とい うのは考えものだ。たとえ相手が人間でなくても、鋭い刃物 を突きたてるということに抵抗があった。ネコビトが人間の 形をしているからではない。大きさが人間ほどあるからでも ない。相手がネコビトではなくて、ふつうの猫であっても同 じだ。刺すのは抵抗がある。想像しただけで足がふるえる。 刺したら血が出るのだ。真っ赤な血が。返り血なんて浴びた ら気絶してしまいそうだった。 そこでおもいついたのがフライ。ハンだった。それなら鈍器 的なかんじがして、いくらか穏健だ。全力でたたきつけて も、せいぜい気を失うだけ。死にやしないだろう。気絶した ところをロープで縛りあげてやればいい。われながらいいア イデアだと満足して店長はキッチンの奥へと足をはこんだ。 キッチンに人るなり、店長は叫び声をあげた。助役の家族 たちの死体が転がっていたのだ。刺されたのか殴られたのかク ラ は知らないが、みんな白いシャツを血まみれにして死んでいン た。店長が知ってるかぎり家族全員だ。奥さんはもちろん、 まだ若かったり幼かったりする息子や娘たちまで。静かに目

9. 小説新潮 2017年1月号

しかたがないが。ネコビトの目はあいかわらずピザの箱にそ そがれたまま一秒もそらそうとはしない。鼻をしきりにひく ひくさせている。どう考えてもピザを狙っているとしかおも えなかった。 そうだ、アンラクギョだと店長はおもった。ふつうのピザ ならネコビトをこんなふうに引き寄せることもなかった。ア ンラクギョはきっと猫にとっても絶品なのだ。 「これはあげられないんだ」 先手を打ってはっきりとさせた。 「いえ。いえ。わたしは友達になりたいだけです。友達にな って獲物をわかちあいたい」 やつばりだ。 「この魚はだめなんだよ」 「いえ。この魚がいい」 「だめだといっているだろう。なにしろ特別な魚だからね」 「ええ。特別。すごく特別です」 「すまんが仕事なんだ。あっちへいってくれないかな」 「いえ。わたしはもうあなたの友達です」 「猫なら魚ぐらい自分で捕まえればいいじゃないか」 「だめ。だめです。この魚は捕れない。湖には悪い怪獣がい る。わたし、食べられてしまう。とても近づけない」 首長竜のことだなと店長はおもった。いや、あれはただの うわさ話だ。ネコビトやチワワゾウやナガナガヘビみたいに みんなが目撃しているわけではない。このところいろんな生 き物が増えたものだから、そんな怪物がいてもおかしくはな いような気がするだけのことだ。なにかの見まちがいに尾鰭 がついたのだろう。町の人びとはあれこれ憶測している。オ オイモムシのように、オタマジャクシが巨大化したものだろ うという人もいる。だがオタマジャクシに首はない。ナガナ ガヘビが太くなってナガナガフトウミヘビに変化したのだと いう説もある。長さと太さが増したぶんだけ体も重くなり、 地上では生活しづらくなったため、水に人ったというのだ。 あるいは白鳥か黒鳥の見まちがいだろうという話もある。こ のあたりには白鳥も黒鳥も飛来してこないが、そっちのほう がまだ信憑性があった。 「きみはあんな根も葉もないうわさ話を信じているのか ね ? 」 店長はネコビトの顔をのぞきこんだ。かれらにも恐怖感と いうものがあるとわかると、それほど怖くはないような気が してきた。ネコビトはそんな店長にはかまわず、黙ってピザ の箱に両手をかけた。 「おい、やめろ」 とっさに店長はネコビトを突き飛ばした。ネコビトが向き なおり威嚇的な表情を見せる。瞬時に目の瞳孔が縦に細くな るのをまのあたりにして、店長はぞっとした。むきだしの牙 が想像以上に鋭かった。だがすぐにネコビトの顔はもとにも ど・り一 「いえ。あなたは友達です」

10. 小説新潮 2017年1月号

念のために警察に連絡しておこうとおもった。ネコビトと いうのはまったく迷惑な存在だ。いつまたどこから飛びだし てくるかわかったものではない。油断は禁物だ。店長は早足 をやめて立ち止まった。あたりに怪しい気配がないことを確 認すると携帯電話を取りだした。が、すぐにおもいなおし ( 0 といってまたピザの箱に視線を落とす。店長はため息をも らした。 「そうだな。そう。きみは友達だよ。だが今はちょっと時間 がないんだ。ピザならあとでご馳走してやる。それまで少し 待っていてくれ。そう長くはかからないから。いいかい。友 達ならわかってくれるだろう ? 」 「ええ。ええ。わかります。わかります」 箱を見つめたままネコビトはこたえた。 「ならよかった。きっともどってくるよ。最高のピザを持っ てな。この仕事をかたづけたらすぐにだ。じゃあ、頼んだ よ」 店長は早口にまくしたて、返事も待たずにその場を立ち去 った。ふりかえりもしなかったが、ネコビトが追いかけてく る気配はなかった。なんとかうまくやりすごすことができ ( 0 「だめだ。こんな違法のピザを持って、どうして警察が呼べ るものか。調べられたら一巻の終わりだ。なんて説明すれば いいっていうんだ」 木立の向こうに見える工場の灯りをぼんやりとながめ、難 しい顔をする。ソラトビダンゴムシが数匹、額をかすめてい ったがべつにどうということはない。店長はおもいたって電 話をかけた。 『なんなんですか、こんな夜中に』 十回ほどかけなおしてようやくつながった。 「もしかして寝ていたのかい」 と店長がたずねると、店でそういったじゃないですかと 。ハイトに電話をしたのだ。 刺々しい声がかえってくる。 『なにか用ですか ? 』 「いや。まあ。そう。そうだな。きみとわたしは上司と部下 ではあるが、それと同時に友達のようなものでもあるだろ しばらく間があってから、 『いいえ』 「うん。まあ。友達みたいなものだよ」 なんだかネコビトの口調がのりうつってしまったようなか んじがして自分でも落ち着かなかった。 『眠いので用件をいってもらえます ? 』 「ああ。うん。いや。ちょっと大変なことがおきていてね」 なんなんですかとじれったい声。 147 アンラクギョ