エンデ - みる会図書館


検索対象: 書斎の窓 2012年11月号
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1. 書斎の窓 2012年11月号

ための手段になってしまうと、手段し統的な宗教性に通じるものを神話的に デーモン的存在が人間たちを騙したと いう筋立てとなっています。彼らはグ手段し手段甚手段し : : : の際限なき連描くファンタジーの場合、こうした転 レーのスーツに身をかためて葉巻を手続が全人生を覆い尽くすことになりま換そのものに宗教的なニュアンスが出 す。だから結局、自分の時間というもてきます。エンデ作品における、いの秘 放さないセールスマンとして人々の前 のを失ってしまう。節約・貯蓄したは儀の強調は、作者に影響を与えている に現れ、自分の時間を節約して銀行に ずの時間が消えてなくなるのは、逆説東洋思想やシュタイナー思想の反映で 預けるように言葉巧みに誘導します。 のように聞こえますが、むしろ当然のあるとも、スピリチュアリティ系文学 かくして社会は一変しました。人々 ことかもしれません。 の元祖ともされるヘルマン・ヘッセ はあらゆる非効率を避けるようになり、 ( 「デミアン」「荒野のおおかみー「ガラ エンデのこの物語では、問題のポイ 文字通り時間に追われて暮らすように ス玉遊戯」 ) の系譜上にある思想であ ントが人間の心に置かれています。私 なります。しかし、時間を貯蓄すれば るとも言えるかもしれません。 たち一人一人の心の中に「時間の花」 得をするはずだったのですが、人々は があり、それが時間の源泉となってい 少しも幸せになりません。時間が持ち クファンタジー体験による救済 ます。作中には時間の分配者である 主のもとに返ってくる見込みはありま 現代のファンタジーは善玉・悪玉の 「時の翁」のようなマイスター・ホラ せん。 という存在が出てきますが、しかし彼ような固定的な一一元的対立を排除しょ こうした事態から人々を救ったのが うというモーメントを持っていますが、 モモだ : : というわけですが、その経は「ナルニア国ものがたり , のアスラ エンデの作品もまたそうです。「モモ ンのような世界の審判者ではありませ 緯については書かないでおきましよう。 の章タイトルは、すべて「大きな都会」 ん。「モモ」は神を中心とする世界で 時間の節約すなわち効率主義が人々 「小さな少女ーのような対の言葉を はなく、心を中心とする世界なのです。 から人生のゆとりと生きがいを奪うと 文学が神を描かず、人間の社会や心含んでいます。これらは中国思想の窓 いうのは、現代社会に生きる多くの者 にとっての実感です。あらゆる時間がを描くというのは、近代文学において陰・陽のように相補性を表すのみで、斎 、伝倫理的善悪の絶対性をもちません。 はほとんど当然の前提です。ただ 「将来の幸福」という観念的な目標の

2. 書斎の窓 2012年11月号

前回取り上げたサンⅡテグジュペリ 近隣住民がモモの世話をしてくれるの ク豊かな時間の消失と奪還 の「星の王子さまーやルⅡグウインの ですが、このモモには聞き上手という 「アースシー」シリーズは、心の深い まず「モモー ( 一九七三年 ) から見特技があって、大人も子供もモモを人 問題を神話的に描いているという意味ていきましよう。この作品は、時間を間関係のとりもち役、あるいは遊び心 で、宗教的なーー伝統から離れている かけて物事を行う、人の話をゆっくりを回復してくれる存在として大事にし ので、むしろ「スピリチュアル」なー と聞く、といった、時間の秘儀に焦点ています。 」ファンタジーの典型をなしていましを置いています。また、時代による意 あるときこうした素朴なユートビア た。このタイプの文学として、今回は識の変化を描いています。つまり、心を破壊するような事態が訪れます。効 ミヒャエル ・エンデの作品を取り上げ と時間の関係がポイントとなっていま率主義が世の中を支配するようになっ たいと思います。「モモ」、「はてしなす。 たのです。人々は人生のあらゆる側面 い物語」、そしていくつかの大人向け イタリアらしき南方の国のある都市を数字に置き換えて考えるようになり の短編です。 の郊外に小さな古代円形劇場跡があり、 ます。これは一人一人の心に起きた変 そこに保護施設から逃げ出して来た孤化なのですが、「モモーはファンタジ 児の少女モモが住み着きます。親切な ーですから、「灰色の男たちーという 〔連載〕児童文学の宗教的ロジック 心の秘儀と迷宮 ミヒャエル・エンデ「モモ」 中 村 圭 第 7 回 書斎の窓 2 2 〃

3. 書斎の窓 2012年11月号

「はてしない物語」 ( 一九七九年 ) は、 これを救うには、外部の誰かがファン ているのは、「ナルニア国ものがたり おさな こうした相補性が物語の筋や章立てに タージェンの君主である「幼ごころの の場合と同じです。また、主人公たち かなり幾何学的に表れている作品です。君。に新たな名前を与えなければなり が過ちを犯し、危機を迎え、やがて救幻 物語の全体が前半と後半にきっちりと ません。名づけ親となるべき者がまさわれて成長を遂げるというバターンも窓 分かれ、冒険の主人公もきれいに入れ に今これを読んでいる自分自身である同じです。しかし、「はてしない物語」斎 替わります。現実世界と架空世界が鏡ことにバスチャンは気づきます。ここ の場合、世界の中心にあるのは絶対者 おさな のように対応します。どちらを書いてまでが物語の前半です。 ではなく心 ( 読者自身の幼ごころ、フ いるかで文字のインクの色まで変わっ 後半では、バスチャンはファンター アンタージェン ) です。バスチャンは ています。 ジェンに救い主として迎え容れられま驕りの罪を犯すのですが、倫理の地平 物語の主人公は、バスチャンという、 す。彼の想像力がファンタージェンの においてではなく心理的地平において 運動も勉強も苦手な少年です。しかも歴史を「創造」していくのですが、彼裁かれるのです。 友達からも先生からもからかわれ、 はーーー賢治の「員の火ーの主人公、手 彡心の迷宮 じめられています。お母さんは亡くな柄をたてて宝珠を戴いた子兎ホモイの エンデの大人向けファンタジー り、お父さんはほとんどかまってくれように ついに増長した君主として ません。 振る舞うようになり、反乱を招き、没 エンデが児童向けに書いた作品では、 そんなバスチャンがひょんなことか落し、そしてこちら側の世界の記憶も 心の解放や魂の成長の中にハッピーエ ら「はてしない物語」という本 ( この ほとんど失うという危機に陥ります。 ンドを迎える構造となっていますがー 本それ自体 ) を手に入れ、学校をさぼ しかしその後、癒しのプロセスを経た ーもちろんそれは若い読者にとって必 って読みふけります。この本の内部の 要なものですーーー、大人向けに書いた のち、バスチャンは心理的に成長した 国、ファンタージェンは、現在、空門 少年として無事こちら側の世界に戻っ 「鏡のなかの鏡ーー迷宮ー ( 一九八四年 ) のあちこちが次々と「無」になってい てきて、お父さんに迎えられます。 や「自由の牢獄」 ( 一九九二年 ) は明 エンデ くという終末的現象に襲われています。 現実世界と架空の世界とがつながっ るい終結をもちません。それだけに、

4. 書斎の窓 2012年11月号

書斎の窓 No. 619 2012 年 1 1 月号 《目次》 ・ : 野家啓一表Ⅱ 東北の地から⑦「リスク社会」を生きる 鉄道と刑法②最初の列車内殺人事件と最新の最高裁判例・ : 和田俊憲 リレー連載・国際法 ・ : 濵本正太郎 われわれは国際法の教科書をいつまで書き続けるのか ・ : 真渕勝 公共政策を考える②時間のなかの公共政策・ 日本の境界 ( 国境 ) 地域から「市民社会」を考える : ・古川浩司 経済史研究の「むかし」「いまー「これから」 ・ : 杉山伸也 ーー社会経済史学会編「社会経済史学の課題と展望」の刊行によせて 不思議の国の社会調査④ 質的調査・量的調査 / 定性的調査・定量的調査 ・ : 佐藤郁哉 アー下 & サイエンスとしての社会調査 中国を歩く、世界をみる⑨お酒の工場には隠し事がある・ : 丸川知雄 ・ : 益田仁 非正規雇用で働く若者たちと希望 : ・ カナダのアラセプンレポート⑤完 : ・ : 関口礼子 ・ : 佐々木憲一 考古学と社会⑨旧石器時代遺跡捏造事件について 児童文学の宗教的ロジック⑦心の秘儀と迷宮 中村圭志 ミヒャエル・エンデ「モモ 【書評】武石彰・青島矢一・軽部大〔著〕 ・ : 金井壽宏 『イノベーションの理由ーーー資源動員の創造的正当化』 【書評】武川正吾〔著〕 ・ : 秋元美世 『政策志向の社会学ーー福祉国家と市民社会』 学会誌紹介・ : 編集室の窓 : 新刊案内 ( 月 ) : ・巻末 〔表紙〕デザイン神田程史 57 52 42 37

5. 書斎の窓 2012年11月号

に表したものと言えるでしよう。もち学においては心の際限なき迷宮性を描たりよったりと言えますが、作家の意 ろん、心の迷宮性は今日のどんな推理 いているという、この二面性です。も識にこうしたジレンマがあるとき、物 ワ 5 小説も前提としているものですし、悪 っとも、作者の現実認識はすでに効率語の深みが断然違ったものになります。 夢空間のトラップはの平行世界に主義の脅威とファンタジーの危機を描これまでこの連載ェッセイで取り上げ窓 おいても珍しいものではありません。 く「モモや「はてしない物語」におてきた諸作品は、みな何らかの意味で、斎 自由の重荷は、はるか昔にドストエフ いても悲観的なものだと言えます。悲凡庸な作品にはない緊張を宿したもの スキーが書いたイワン・カラマーゾフ観的なトーンは宮崎アニメの世界にも ばかりですが、エンデの世界もその例 語るところの「大審問官ーの寓話のテ うかがえます。 のひとつに加えたいと思います。 ーマでもあります。 ( なかむら・けいしⅱ編集、翻訳、著述業 ) 物語はハッピーエンドを要求する。 ここでむしろ興味深いのは、児童向しかし、作家自身の世界展望は決して ファンタジー けの作品において心の解放や乗り越え 、ツピーではない を描いているエンデが、大人向けの文作品というものはある意味でどれも似 近世王権論と「正名」の転回史風俗画のなかの女たち 房郷 ーー朝鮮時代の生活文化 内大川真著 新井白石の思想を「正名」論に着目し、 一 0 五 0 円書 金貞我ⅱ著 案近世後期の名分論・尊王 ( 皇 ) 論への影響を論証 朝鮮時代 ( 一一一一九一一ー一九一 0 ) に描かれた複数の風俗画から 女性の生活文化を読み解く 刊李光洙長篇小説研究 新 ーー植民地における民族の再生と文学 先住民学習とポストコロニアル人類学茶 ~ 一一 和田とも美著 九 0 三 0 円 八一九 0 円中山京子ⅱ著 長篇小説『無情」をはじめ李文学の特質を剔抉する体系的研究集成 博物館や学校での先住民学習を、生徒・教師双方から検証 七九八 0 円

6. 書斎の窓 2012年11月号

るのである。 はそれぞれの国においてロックインさ 手始めに方言の調査を行う。調査と れている。日本において、英語を公用 いっても全国各地を訪ねたわけではな 2 ロックインと既得権益 、。彼の屋敷内では数多くの方言が飛 語にしようとしても簡単にはいかない。 すなわちロックインとは、制度や政日本では日本語がロックインされてい び交っていたので、それらを観察するの ことにしたのである。南郷は長州弁、書 策が過去の諸経緯から容易には「改革。るからであるが、それを経済的な既得 できずに、居座ることを指す。アメリ 権益からだけで説明するわナこま、ゝ ーー ( しカ妻と岳父そして南郷の子供は薩摩弁、 奉公人は山形弁、遠野弁、津軽弁、江 力の政治学者ポール・ピアソンが福祉 国家の存続を説明する際に提案・導入 戸山の手言葉、江戸下町方言、書生は ロックインと誇り 名古屋弁、食客は京一言葉を使うという した概念である。ロックインが生じる ように、南郷家はお国言葉の坩堝であ のは既存の制度や政策に既得権益をも ここでの論点をよく示してくれてい っ一」 0 っている人びとがいるためであると主るのが井上ひさし作の戯曲『國語元年』 である。 南郷は、土台になる方言を決め、そ 張される。ピアソンの福祉国家論では、 れに改良を加えることで「全国統一話 それは福祉サービスの受益者であり、 明治維新直後の一八七四 ( 明治七 ) 公務員を含む福祉サービス業の従業員年、文部省高官の南郷清之輔は「全国言葉」とすることを思いついた。とこ であった。 統一話一一 = ロ葉ーの制定を命じられた。当ろが、屋敷内の者たちは、土台となる 世にあまたいる改革派は、ロックイ初、南郷は「織田信長公や太閤秀吉の方一言として、それぞれ自分たちが親し ンの背後に既得権益を目敏く見つけ、 天下統一とも肩を並べるほどの大事業ーんでいる方言を採用するように、あの それを攻撃することによって改革を唱 と高揚しつつも ( 井上ひさし、一一〇〇手この手で南郷に迫る。 困り果てた南郷は、次に倒幕に貢献 える。だが、ロックインの背後に、経二、七〇頁 ) 、他方で「二、三日もあ した藩の方言 ( 語彙 ) を、その貢献度 済的な既得権益だけを見いだそうとすれば易く出来る」と高をくくっていた に応じた比率で、採用することにする。 ( 一一四七頁 ) 。 るのは一面的である。たとえば、言語 ャス るつぼ

7. 書斎の窓 2012年11月号

社会科学において「時間、のもつ意的な意味を見いだそうとする議論が展する諸概念、すなわちロックイン、非 味や効果を明らかにしようとする研究開されるというのは、奇妙な巡り合わエルゴード性、正のフィードバック、 複数均衡そして潜在的非効率性などと が重ねられている。合い言葉は「経路せではある。むしろ、かって流行した どのような関係にあるのかを明確にし 「制度疲労」がいまなお流行している 依存 (path dependence) 」である。 して用いられることは少ない。 ほうがわかりやすいかもしれない。 経路依存は、一般に、現在ある姿をと 前提および関係概念の整理は別の機 かし、制度疲労が明確に定義された上 っているのは過去にもそうであったか らだと説明するときに用いられる。たで用いられた例はほとんどないことを会に譲るとして、ここでは主に、最も とえば、小学校の新入生への祖父母か思えば、突き詰められることのなかっ頻繁に言及されるロックインについて た一言葉の寿命は短いというだけのこと述べたい。だが、その前に聞き慣れな らの贈り物として、いまなおランドセ いかもしれない非エルゴード性と複数 なのであろう。 ルが選ばれているというのは、一つの 経路依存もまた曖昧なままに使われ均衡について簡単に触れておく。ロッ 例である。 クインの意味を理解するうえで重要だ ることが多い。どのような前提のもと 誰もが坂本龍馬になりたがる改革ば やりのご時世に、過去の拘束力に積極で生じる現象であるのか、これと関係からである。 ( 連載〕公共政策を考える 時間のなかの公共政策 真渕勝 第 2 回 書斎の窓 2 2 月

8. 書斎の窓 2012年11月号

する一連の著書があり、本書もその一 めぐって、社会保障法学の規範的な視味づけである。 ca —は、まだどこにも存在しないと冊を構成している。実はこのシリーズ 点と経済的合理性の視点とが対立する いう意味ではユートピアである。他方に属する本には、共通して「福祉国家 ようなとき、年金社会学はその状況を と市民社会」という副題が付されてい で現実の社会保障に関する改革はピー 読み解くための有益な視点を提供して ルとなりがちである ( あるい る。副題としてそうした表現を使い続 くれるだろう。あるいは、そうした対 けている理由について、著者は、「 ( そ 立を評価しようとするとき、年金社会は、そうならざるを得ない ) 。だが、 れが ) 一九八〇年代半ば以降、現在に 学が提供することになるであろう実証現実の動きがピースミールだからとい って、政策に関する思考もピース いたるまでの私の研究関心をいちばん 的な知見の有する意味は大きいように 思う。 ルであるべきだとい , っことにはならな よく表していると思われるからであ 、 0 0 ルの改革を進めるため るー ( はしがき ) と述べている。 クベーシック・インカム こうした「福祉国家と市民社会」と にこそ、それらを方向づけるためのユ ートピアの思考が必要なのである。っ いうタイトル設定に見られるような視 べーシック・インカム (m—) を論 野の広さは、「ピースミーレとユ じた章では、をめぐって議論されまり、の構想に関する議論が、 ていることが、包括的に、そして適切「社会保障制度の抱える諸問題を照射ピア」の議論に見られる奥行きの深さ ルの改革に対すと相俟って、本書を社会学以外の領域 し、現在のピースミー かっ平易に紹介されている。でど の者にも近づきやすく、また得るとこ る評価の基準を提供するもの」となる のようなことが問題にされているのか ろの多い一書にしている。社会学ばか というのが著者の捉え方なのである。 を、とりあえず知りたいというのであ りではなく、福祉国家と福祉社会にか れば、まず本書のこの章を読むことを構想について検討を行う際、踏ま かわる諸問題に関心を有する様々な領 おすすめする。ただし、評者の個人的えておきたい観点だと思う。 域の人におすすめしたい。 な関心を引いたのはその点ではなく、 クおわりに ( あきもと・みよ東洋大学社会学部教授 ) 窓 ミールとユートヒ 本章の副題 ( ピース の 斎 冒頭で触れておいたように、著者に アの弁証法 ) として示されているよう 書 な、著者によるに関する議論の意は専門的な研究書とは多少系統を異に

9. 書斎の窓 2012年11月号

でもかまわずやって来ては話しかけ、 様式を書いてみよう。 しかし、役所筋などから指示された 「話せばわかるーというのは、彼の自分の目的を果たして行く。部下の時 事は、申請にその情報を出すのが合理 間は、上司である自分が自由に使って 的かどうかなど疑問を持っことなし 口癖の一つであった。特に、彼の悪口 よい時間である、と考えているようで に、その通りに実施しようとする。記を誰かが言っているというようなこと 入漏れなど抜けがないように周囲を動を聞きつけると、たとえば「ここにサあった。場合によっては、それはその書 インするととんでもないことになる人の生活破壊になる、などということ 員して書類を作成しようとした。 は考えてもみないらしい よーと言った人がいると聞きつけて、 事務的な仕事は、どの領域の作業に 自己の意思は貫徹しようとする。そ おいても不可欠である。それにも関わその人物をつかまえて、えんえんと話 の手段として用いるひとつは、例え をしようとする。「多言・冗長」と、 らず、自分が事務的な仕事をするのは 頑として拒否する。これは、他の人物ある報告書にコメントを書かれたのをば、「この書類を作成しなければ、メ 、ノーから外れてもらいますーという の言であるが、「女の子ちょっと貸し見つけて、その人物にも修正を申し入ノヾ ような脅しである。企業では、その人 てくれ、とかけあって、事務職員を一 れた。直接だけでなく、電話をかけて 時的に借りてくる。そうでないと、旅長話をするので、その次には奥さんに物は給与を失うことになるから、この 「いません。ガチャンーとやられたこ脅しは有効であったに違いない。 費の精算ができない」。彼も、コンピ し、ボランティアのサークルの世界で ュータの技術はそこそこ持っているのともあるらしい。「失礼だ」と憤慨し は、辞めても痛くもかゆくもないので、 ていた。 に、事務的書類の作成は自分でしよう 「じゃ辞めますーということになる。 他者の時間は、自分が自由に使って としない。手書きの下書きですら、 実際にそれが起こってサークルが成 よい、と考えているようであった。多 つまでたってもできあがらない。 分、日本の企業では、社員は、二四時立不可能になったとき、次に彼が採っ 職業生活で築かれた行動様式 間社員であることを求められるからでた第二の手段は、その仕事をやらせた いと考える人物の所にやって来て、コ その他の彼の典型的と思われる行動あろう。他者が他の仕事をしている時

10. 書斎の窓 2012年11月号

家主席だった江沢民が工場見学に訪れして発酵することでアルコールを生成ジョレーなどと細かく区分けされてい るのを迎えるために造ったのだという。する、と説明される。だが、実際のと る。同じブドウの品種でも場所によっ 五糧液の工場は国有企業だったが、儲ころ果汁に含まれる糖分だけでは目標てワインの値段が違うとなれば不正が かっているのでいくら金を無駄に使っ とするアルコール濃度に達しないこと起きないか心配になるところだが、フ ても政府に怒られない。 か多いので、糖を加えることが多いよ ランスでは地方自治体の役人が監督し書 ワインの工場の隠し事といえば、ワ うだ。山梨県のワイン工場を見学しこ オているのだという。また、ワイン自体 インを作る際に糖を加えていることでとき、説明を聞きながら歩いていたら、 の性質にも産地証明を可能にする要素 ある。ワイン工場を訪問すると、ワイ地面に六〇入りのブドウ糖の袋が置がある。木からつみ取られたブドウは ンは、酵母がブドウの果汁を栄養素と いてあったが、案内嬢は何も見なかっ籠のなかに積み重ねられていき、一部 たかのようにその横を通り過ぎていっ はつぶれて少し発酵も始まってしまう。 イ ワ だからワインの製造は畑からそれほど さて、ワインに関しては ) フランス遠い場所で行うことはできない ( 写真 3 ) 。これが白酒、ウイスキー、日本 の産地証明 (Appellation d'Origine ュ Contrölée) という素晴らしいシステ酒など穀物を原料とする酒の場合、穀 ュ ムがある。ポジョレー ・ヌヴォーで有物は遠距離運送できるので穀物の産地 ジ 名なジョルジュ・デュブッフの工場証明は成り立ちょうがない。中国四川 ジ ( 写真 2 ) の屋上に上って周りを見渡せ省の白酒も原料は遠く東北部から運ば ば、一面のブドウ畑であるが、緩やかれてくる。ではなぜ四川省が銘酒の産 ラ造 に起伏しながら広がる緑の大地が、て地なのかといえば、曇天が多い風土が よろしいのだという。同様の説明はス っぺんに教会のある丘の一面は特級畑 コットランドでも聞いた。 (Grand cru) 、その周りはその他ボ 」 0