日本語 - みる会図書館


検索対象: 書斎の窓 2012年11月号
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1. 書斎の窓 2012年11月号

に大いなる制約が課され、したがって研究者として賢明な生き方とは言い難語の資料を基に日本語で議論する環境 が整っていることは、日本の一般の 2 教育の質の観点からは望ましくないと ならば、その現実を変えることはで人々への国際法の普及の決定的な要因 しても、である。 それよりなにより、われわれ国際法きるか。国際法に関する限り、講義でとなっていると考えられる。母語と公 研究者にと「て一層深刻な問題は、教の話し言葉は日本語としても、用いる用語 ( 学問言語 ) とが異なる環境にあ書 科書・判例集・条約集などの教材を日資料は日本関連資料を除き教科書を含る人は世界では珍しくなく、そのよう 本語で作成しなければならないことでめ全て英語 ( 仏語は研究者養成大学院な環境の問題性は以前から指摘され続 けてきている。したがって、せめて、 に限定されよう ) 、という方法もあり ある。国際法に関する原資料に日本語 一般 ( 日常的には国際法に触れていな のものがほとんどないことを考えれば、得る。われわれ研究者はともすれば学 い法曹実務家を含む ) への普及の程度 これに大変なコストがかかることはご力低下を叫んで学生を小馬鹿にする傾 を下げず、学問言語としての日本語の 理解いただけよう。その上、せつかく向にあるが、英語運用能力において、 作った教科書などが日本の外の国際法今の学生はわれわれの世代が学生であ質を維持する程度には、日本語で書き った頃よりも遥かに秀でていることを続けなければならない。 学界から評価されることはあり得ない。 日本語での教科書・条約集・判例集 教科書を英仏語で著せば、その質次第看過してはならない。 等教材の作成は、日本における国際法 したがって、講義を英語化すれば、 では世界各所で参照・引用され、国際 法学や国際法教育の質向上に大きく貢あるいは講義で用いる教科書は英語と研究者の社会貢献活動として位置づけ、 その観点から研究者の責務として評価 献することもあり得る。が、日本語ですれば万事めでたしめでたし : : : とな 書いても、日本の外ではほば誰も見向るかというと、もちろん話はそう簡単する必要がある。少なくとも、私はそ ではない。上記『国際法』の「はしがのようにして自分を納得させた次第で きもしない。そのような作業のために きーにも書いたように、国際法を日本ある。 多大な労力と時間とを費やすことは、

2. 書斎の窓 2012年11月号

話ではあるが、英仏語による業績でな悪い、英仏語で書くことは植民地主義し、私程度の凡人であれば、他者から ければ、事実上、そもそも評価の対象の片棒担ぎに他ならない、と批判するの批判なしに自らの議論の質を高める にしてもらえない、とい , っことである。 ことは、それが正論であるが故に、た ことは容易でない。 他者の批判を仰ぐ たとえば、日本語を解さない任意の国やすい。しかし、国連公用語はもとよ ためには、他者が理解する言語で自ら 際法学者に「田畑茂一一郎を知っている りヒンディー語・べンガル語・ポルト の見解を表明するほかない。 か , と訊いて、「知っている」というガル語など、せめて日本語より使用人 この現実は、われわれ国際法研究者 答が得られることはほぼ皆無である。 ロの多い言語ぐらいならことごとく読 ここでは日本語を母語とするもの 日本語を解する国際法学者が日本の外みこなせる者がそのように一言うのであを想定しているーーーにとって、極めて では僅少であることを考えると、田畑ればともかく、私のように数カ国語し深刻な問題をもたらす。学問共同体か 茂二郎が ( 日本を除く ) 国際法学界に か読まない者がそう言ってみても、た ら超然として過ごすことをよしとしな 対してなした貢献は、彼の業績から学 だの自己矛盾でしかない。 いのであれば、研究業績は英仏語で発 んだ者や彼が整えた教育インフラから 学問は真理の追究であって、真理は表しなければならない。 しかし、日本 利益を得た者がその成果を英仏語で発人間の認識と離れて存在する ( 「それの圧倒的多数の大学では、国際法は日 表する際に間接的な形で現れるに過ぎでも地球は動く」 ) のだから、他者か本語でのみ講じられている。すなわち、 ない。あまりにもったいない話である。 らの評価などという下世話な名誉欲に研究と教育とが渾然一体となるはずの これを、それは欧米帝国主義がシス囚われる必要はなく、媒体はどうあれ大学教育において、一一 = ロ語の壁が立ちは テミックに組み込まれているからであ 自ら真と信ずるところを表明すればそだかるのである。研究者養成大学院は り、学問の本質とは無縁であってけしれで良い、という考えもあろう。聖人別として、学部や法科大学院では、教 窓 からん話だ、日本語でも立派な業績が君子あるいは不世出の天才がそうする材は基本的に日本語のものを選ばざる斎 書 出ているのだからそれを読まない奴がのであれば、誰も何も言うまい。しかを得ない。それにより教材の種類や質

3. 書斎の窓 2012年11月号

し もある。 を埋めるにあたって、欧米以上に「許思われる読者も多いかもしれない。 かしながら、日常生活に潜む小さな嘘 される行為だ」と思ったのではないだ また、西日本の大学でお世話になっ マ ろうか。これについては、サラリー に注意を払うと、嘘が意外と多いこと ていた頃、考古学研究室の別の学生が、 に気づくはずである。そういった日常 他人のミスを私の責任として非難し続ンの知り合いから、「ビジネスの社会 での嘘に慣れてしまい、嘘が蓄積し、 け、困ったこともある。帰国子女の私では嘘はあり得ない。考古学固有の問 の振る舞いがやや日本人と異なるとこ題だ」と言われたこともある。しかし嘘が本当のように感じられるようにな ながら、ニュースを見ていると、金融ると、旧石器時代遺跡捏造事件や、前 ろがあるからだろうか、理由はわから 。反論したらその学生は逆に傷つ商品への投資に関する詐欺など、嘘は田主任検事証拠捏造問題に発展するの ではないかと推測する。旧石器時代遺 日本社会で頻発している。最近一番シ いてしまい、腹いせだろうか、近隣の ョックだったのは、大阪地方検察庁の跡捏造事件を対岸の火事と捉えず、日 研究機関にまで私の悪口を言いに行っ たのには、本当に困った。私が悲しか前田主任検察官が、村木厚子被告 ( 当常生活に潜む嘘を認識する一助と考え ったのは、その学生による事実無根の、時 ) の有罪を「立証ーするために証拠ていただければ幸甚である。 ( ささき・けんいち明治大学文学部教授 ) 私には誹謗中傷にも聞こえる断定的なを捏造したことである。自分の仮説を 発言を、研究室の面々が「日本語の微立証するために遺跡を捏造した藤村と 妙なやりとり」「冗談」、果ては「嘘の同じである。たとえ日本社会で嘘が横 証拠がない」と言って庇い続けたこと行しても、検察は社会の上に立っ存在 である。嘘への寛容さもここまでくるであり、嘘はあり得ないと信じていた ので、私のショックは大きかった。 と異常としか思えなかった。 旧石器時代遺跡捏造事件は、日本考 日本でこういった、本来の趣旨から 外れた嘘が横行するから、藤村が石器古学固有の問題であり、対岸の火事と 書斎の窓 2 似 2. 月

4. 書斎の窓 2012年11月号

小説募集。 書きたい官葉を書く ! テーマ・ジャンルは自由 第 8 回 文学賞 ( H ー YO 0 A 3 N G A K U 5 H 0 編万 、賞 0 予 【募集作品】日本語で書かれた未発表小説 テーマ・ジャンルは不問。千代田区縁の人物 や区内の名所・旧跡、歴史などを題材にした 作品を歓迎します。 ( ただし、このことの有無が 選考の基準とはなりません ) 【応募資格】年齢・住所・職業は問いません 【原稿枚数】 A4 サイズの用紙に 40 字 X40 行 ( 縦書き ) で 印字し、 30 枚以内 【選考委員】作家 : 逢坂剛氏・唯川恵氏・堀江敏幸氏 【お問合せ】〒 102-8688 千代田区九段南 1-2-1 千代田区文化スポーツ課「ちょだ文学賞」係 電話 03-5211-3628 ※詳細は区ホームページ・募集要項でご確認ください 主催 / 千代田区共催 / 読売新聞社後援 / 小学館 協力 / 三省堂書店・東京都書店商業組合千代田支部 神田古書店連盟・東京堂書店・ ( 社 ) 日本書籍出版協会 本の街神保町を元気にする会 応募締切 平成 25 年 4 月 30 日 千代田区 91

5. 書斎の窓 2012年11月号

ない人には、容赦なく、しつこく食い にそこへ来るようになったので、より 人間形成の社会学を専門領域として きた筆者にとって、企業や組織体がど遅く停年になっているが、一年早くそ下がって聞き出そうと試みた。 こに来始めていた。彼はそこで、すで のようなタイプの人物を形成してきた 社会生活での自分との位置関係 窓 の にヌシのような存在になっていた。 かは、興味深い。 学歴が社会のなかで、もっともその書 新しい人物が現れると、すべて彼の 日本の商社に停年まで勤めて、海外 「戸籍調べ」の対象になるらしい。出人物の占める位置を決めると考えてい の日本語補習校の校長になった人も、 るようであった。 学校の生徒や親に接してみて、彼らが入りするすべての人物を知っているよ 彼自身は、社会的に一 いかに多様性に満ちているかに気が付うであった。 「戸籍調べ」の内容は、老若男女マ一 l) 流とみなされる大学の出身であ き、日本の商社というのは、いかに単 ( 若といってその施設は正規には六〇る。一流に近いレベルの大学である 一的な ( 優秀な ) 人物が集まっていた が、完璧にトップというには少し不足 歳以上でないと利用できないが ) を問 かにはじめて気がついたと語ってい 」 0 わず、年齢と、出身大学とどこの企業である、そのようなランクの大学の出 に勤めていたか、ということであっ身であった。大学を出たのは四〇年も 今回は、そうした中で出会った、あ る一人の人物に焦点をあてて書いてみた。その他、は何点か、英前のことである。それにも関わらず、 停年後の社会では、それまでの検をどこまで持っているかといった資出身大学は、彼のコンプレックスにな っているようであった。サークルの中 格、その他、年金の有無とか、家族の 常識では通用しない。 にトップクラスと目される大学の出身 構成はどうなっているか、子どもたち 「戸籍調べ」 はどのような生活をしているかなどで者がいることが分かると、彼は彼自身 が苦労して人集めして発足させようと ある。特に、出身学校と勤務先は、私 彼は、私の出入りするようになった しているサークルの会長の地位を、あ 地域社会の施設に私より少し前に来始のように停年後の社会ではそのような っさり譲り渡そうとした。 事柄は関係ないと考えて明かそうとし めた。企業を停年になってストレート

6. 書斎の窓 2012年11月号

いほどである。私は、嘘をつくのは悪 治大学文学部教授 ) が、捏造の背景と名誉教授 ) は次のように述べる。「明 して次のように述べる。「特定研究者らかに回りの研究者の怠慢と力不足でだという前提があるアメリカ合衆国で、 の固定と〔遺跡発見・発掘、調査成果あるーとしながらも、「〔前・中期旧石一六歳から一一年間、高校、大学、大 学院時代を過ごした。アメリカ合衆国 の公開・公表、研究成果の意義付けと器時代遺跡存在 ( 佐々木注 ) 〕賛同派の で嘘に不寛容であるのはキリスト教の いう ( 佐々木注 ) 〕役割の分担という構目を覚ますことに性急なあまり、文章 影響もあるのだろう。とにかくそうい など公に発信する際に表現が激しすぎ 図をもつ、研究と体制の閉鎖性が生ま う社会で、人格形成に大きな影響のあ たのが逆効果に働いたことも事実と思 れ、内部の研究者相互ばかりか外部か る二〇歳前後を過ごしたため、嘘につ らの批判が阻止されつづけたのではなわれる。そうした場合には、人間は思 いて普通の日本人以上に私が敏感、あ い通りには客観視出来ないばかりか、 いか」。私も賛成である。今後は無理 るいは神経質であるようだ。そのため、 をしてでも、そういった枠組みを超え内容の吟味の前に拒絶反応を起こすこ 日本人が単に「冗談ーと済ますような とさえある」。確かに言葉の表現には 現実はなかな た議論が必要なのだが、 ことも、嘘と咸 ~ じてしま , つ。 気をつけた方がよいことは私も理解で , かて , つい、カオし 嘘に関する日米の文化の違いについ きるが、だからといって違った意見を また、同じ石器研究者のなかにも、 藤村が調査に参加した前期・中期旧石拒絶するのは、それは日本人読者の問ては留学中アメリカ人学生とよく議論 した。日本では、否定的な事実を明ら 器時代遺跡出土の石器は縄文時代の所題ではなかろうか。 かにして、聞き手を悲しませるよりは、 産であることを看破した人がいた 嘘に対する寛容さについて 事実でないことを言って取り繕った方 かしながら、そのような意見は学界で そういった一一 = ロ葉の表現以上に、日本が聞き手を傷つけることが少ないだろ 無視されただけでなく、批判の対象と 窓 なった。このことについて、先の報告社会における嘘に対する寛容さは、帰うと考える。医者が癌患者に「癌では斎 ない」というケースがこれである。こ 書の総括の章で小林達雄 ( 國學院大学国子女の私から見れば異常と言ってよ

7. 書斎の窓 2012年11月号

るのである。 はそれぞれの国においてロックインさ 手始めに方言の調査を行う。調査と れている。日本において、英語を公用 いっても全国各地を訪ねたわけではな 2 ロックインと既得権益 、。彼の屋敷内では数多くの方言が飛 語にしようとしても簡単にはいかない。 すなわちロックインとは、制度や政日本では日本語がロックインされてい び交っていたので、それらを観察するの ことにしたのである。南郷は長州弁、書 策が過去の諸経緯から容易には「改革。るからであるが、それを経済的な既得 できずに、居座ることを指す。アメリ 権益からだけで説明するわナこま、ゝ ーー ( しカ妻と岳父そして南郷の子供は薩摩弁、 奉公人は山形弁、遠野弁、津軽弁、江 力の政治学者ポール・ピアソンが福祉 国家の存続を説明する際に提案・導入 戸山の手言葉、江戸下町方言、書生は ロックインと誇り 名古屋弁、食客は京一言葉を使うという した概念である。ロックインが生じる ように、南郷家はお国言葉の坩堝であ のは既存の制度や政策に既得権益をも ここでの論点をよく示してくれてい っ一」 0 っている人びとがいるためであると主るのが井上ひさし作の戯曲『國語元年』 である。 南郷は、土台になる方言を決め、そ 張される。ピアソンの福祉国家論では、 れに改良を加えることで「全国統一話 それは福祉サービスの受益者であり、 明治維新直後の一八七四 ( 明治七 ) 公務員を含む福祉サービス業の従業員年、文部省高官の南郷清之輔は「全国言葉」とすることを思いついた。とこ であった。 統一話一一 = ロ葉ーの制定を命じられた。当ろが、屋敷内の者たちは、土台となる 世にあまたいる改革派は、ロックイ初、南郷は「織田信長公や太閤秀吉の方一言として、それぞれ自分たちが親し ンの背後に既得権益を目敏く見つけ、 天下統一とも肩を並べるほどの大事業ーんでいる方言を採用するように、あの それを攻撃することによって改革を唱 と高揚しつつも ( 井上ひさし、一一〇〇手この手で南郷に迫る。 困り果てた南郷は、次に倒幕に貢献 える。だが、ロックインの背後に、経二、七〇頁 ) 、他方で「二、三日もあ した藩の方言 ( 語彙 ) を、その貢献度 済的な既得権益だけを見いだそうとすれば易く出来る」と高をくくっていた に応じた比率で、採用することにする。 ( 一一四七頁 ) 。 るのは一面的である。たとえば、言語 ャス るつぼ

8. 書斎の窓 2012年11月号

のような嘘は許されるべきと私は考えを展開するのである。あるいは、アメ に対して免疫ができてしまって気づか る。しかしアメリカ人学生は、とにか リカ人研究者でかって「日本の考古学 ないのかもしれないが、私が一九九〇 く嘘はすべて悪であり、そのような は学問じゃない」と言った人がいたか、年に日本での研究生活を開始してから、 窓 の 「良心からくる嘘ーは絶対ありえない 絶対に嘘はつかないで、ただ、日本考嘘には苦しめられた経験が多い。 斎 という立場であった。したがって、学古学が抱える問題点のみを一生懸命ピ 例えば、翻訳を引き受ける際、翻訳書 生同士の会話で、事実無根の悪口など ックアップし、日本の考古学がこれま料や原稿の長さ、あるいは締切日など、 口にするのは憚られるし、仮に言ったで人文社会科学にしてきた貢献をいっ依頼にあたって提示される条件 ( 建前 ) としたら、「本気か ? ーと断った上でさい隠蔽して、そういう結論を導き出と、翻訳原稿を提出してから判明する 「父の知り合いの弁護士に相談するぞ」したのである。 本当の条件 ( 本音 ) が異なることが多 あるいは「そんなことを言うと訴える そのようなアメリカ合衆国社会から 。「四〇〇字詰原稿用紙五〇枚以上、 ぞ , といった発一言が相手から出る程で帰ってくると、一部の日本人は事実で複数回にはならない」との手紙を頂い ある。裁判や弁護士にすぐ頼る社会は ないことをあまりにもあっけらかんと、 て引き受けたら、原稿用紙六〇 5 一〇 決して健全とは思えないが、これが嘘躊躇することなく口にすることに驚愕〇枚の原稿を五回英訳する破目になっ とい , っ に対する社会的抑止力として機能してする。「聞き手を傷つけない たことがある。あるいは、私の全然知 いる面も否定できない。 「建前と本音」「嘘も方便」の本来の趣らない地域の考古学に関する原稿の英 ではアメリカ人は嘘をつかないかと旨を逆手にとって、自分の都合のため訳を依頼されたとき、その地域の遺跡 いうとそうではない。アメリカ合衆国に嘘をつく傾向があるという強い印象群の見学に招待するという条件にのせ の級裁判映画を見ればわかるのだが、 を私は受ける。あるいは、一部の人をられて、ほばボランティアに近い、格 検察側、弁護側、自分にとって都合の 喜ばせる嘘であれば、日本社会では許安の翻訳料で仕事を引き受けたら、遺 よい事実を適当に取捨選択して、議論 されるようでもある。日本で育っと嘘跡群見学の話は以後一切なかったこと

9. 書斎の窓 2012年11月号

度のことであれば、 ~ 当然ながら、私個科書を読みたいというのはよほど熱心 ビジネスチャンスだ、と思っている。 人でもかなりの部分実行可能である。 な人だろうから、 Goog 一 e 等で検索で発想や技術の独自性がこれまで以上に 実際、少しずつ試みつつあり、もしそきるようにしておけば十分である。 求められるからである。電子教科書の れなりに充実したものができれば公開 このような流れの中で出版社に存在編集コストは格段に高くなるはずで、 することも考えられる。国際法研究者意義が残るとすれば、出版社ならでは それはすなわち出版社の利益が増大す の場合、日本語の教科書刊行で儲けるの企画力と編集力ということになろう。 ることを意味する。他方、印刷・輸 ことはほばあり得ない ( と思う ) ので、 その中には、電子化とは無縁に意義を送・返本コストがゼロになるので、電 無料で公開して構わないし、利用者と持ち続けるものもある。たとえば、放子教科書の価格が紙媒体のそれを上回 しても無料でアクセスできるのであれ っておいたのでは教科書を書きそうに ることはないはずで、読者にも利益と ばそれに越したことはなかろう。執筆ない潜在的執筆者を発掘することや、 なる。逆に、もし対応しないままでい 者がパソコンで作成したものを本にし いつまでも原稿を出さない執筆者を叱れば、これまで電球を作ったことのな て販売するだけであれば、出版社はも咤激励すること、利用者の視点を執筆かった会社がの普及に伴って大 はやいらない。ウエプ上に公開すれば者に伝えることなどである。電子化さ量に電球市場に参入したように、出版 足りるからである。小説や実用書であれる場合には、研究者 ( 教員 ) も学生業界外部から優れた電子教科書が現れ ることになろ , つ。 も思いついていない教科書の新たなあ ればレイアウトに凝る必要もあろうが、 教科書の場合はとりあえず読めれば良り方を提案することや、執筆者には技 ( はまもと・しようたろう 京都大学大学院法学研究科教授 ) 。国際法の教科書の場合、出版社や術的に困難ないし面倒なデジタル処理 書店のマーケティングカも不要である。 ( リンク処理やリンク先データ作成な 対象の学生にはこちらからを示ど ) などがそれに加わるだろう。 せば足りるし、それ以外で国際法の教 私は、出版社にとってこれは巨大な 書斎の窓 2 似 2 〃

10. 書斎の窓 2012年11月号

窓 の 古川浩司 た私の論文の背景を説明する前に、執という中京大学の檜山幸夫先生の進言 はじめに であった。この進言に対し、責任者に 筆に至るまでの経緯を説明したい。 なることは引き受けたが、私自身が国 『市民社会から見たアジア』という 「境界研究」との出会い 際関係研究者として、また限られたプ テーマに対して、「境界研究 (Border もともと国際的リーダーシップの観ロジェクト予算の中で貢献できるとす studies) 」、すなわち、日本の境界地域 で得た知見をいかに市民社会論に反映点から、日本の現代外交を分析してきれば、日本国内の国境地域における国 それが た私にとって、日本の境界は、領土問際交流を分析するしかないと考えた。 させることができるのか。 そこで、韓国との境界に隣接している 『国際政治』一六九号に投稿した動機題が報道される時を除き、研究対象と してはほとんど無縁であった。その私長崎県対馬島に初めて赴いたのが二〇 であった。 かく言う私は、もともと「境界研が「境界研究」を志すき「かけとなっ〇二年九月のことであった。 当時の対馬は、大亜高速海運のシー 究」者ではないし、「境界研究」それたのは、「『東アジア海洋世界』の。ハラ フラワー号の就航により、韓国からの 自体も聞き慣れぬ読者も多いと思われダイムを再考するために、研究プロジ ェクトの責任者をお願いできないか」観光客が急増していた。ただ、島内が る。そこで、『国際政治』に掲載され 日本の境界 ( 国境 ) 地域から「市民社会 , を考える