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検索対象: 書斎の窓 2012年12月号
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1. 書斎の窓 2012年12月号

ことが不可欠だからだ。以上が筆者の 応用することで解決すべき問題に見え はじめに るか、もしれない。 しかし実際には、具考えであり、初学者向けの本書を編ん だ理由でもある。 我々はリスク社会に生きている。そ体的問題のなかにも社会科学者が積極 社会科学による政策への貢献という んな我々に対し、二〇一一年東日本大的にかかわるべきものが多くある。 と、支配者による管理を推進するため 一般的に社会科学者がリスクについ 震災は解決策を要求する多くの問題を て論じるという場合、社会における科の大衆操作が連想されるために、研究 突き付けてきた。具体的にいえば、今 後も発生するであろう地震・津波など学技術のありようを議論することが多者は及び腰になりやすい。私自身もそ 、。もちろん、それはそれで興味深い の一人ではある。しかし、このような 自然災害への対応や、福島第一原発事 のだが、その一方で、リスクを抑える都合の良い言い訳を用いて、東日本大 故による低線量被ばくの問題、さら に、これからのわが国のエネルギー供 ための具体的な政策にも社会科学が貢震災による甚大な被害を目の当たりに 給の問題などである。個々の問題が具献できることはある。なぜなら、リス しながらなお社会との関わりを避けよ窓 うとするのは、震災後を生きる専門家斎 体的であるが故に、これらは工学、医クを抑えるにはリスクに向き合うとき 書 として不誠実ではないだろうか。 の人のこころと社会の性質を理解する 学、環境科学などの専門知を技術的に リスク社会への社会科学者・行動科学者の関わり方 『リスクの社会心理学』刊行によせて 中谷内一也

2. 書斎の窓 2012年12月号

ントニオ・カルロス・ジョビンはポサ姿は成田空港が目指す方向とも一致し ついては書かないということであった。 ている。 ノヴァの名曲を数多く作った作曲家で、 といっても、専門以外となると、さし 代表曲の一つがプラジルのヴァリグ航 て語るに足るような体験もないのだが、幻 空の 0 ソングとして作った「ジェッ 仕事柄旅行する機会が多いので、旅の ト機のサンバ (Samba do av 0 ) 」 さて、今回でこの連載は最終回であ中で拾った話を取り上げていくことに書 である。この曲の主人公はリオデジャ る。ここでひょっとしたら少なからぬした。とはいえ旅行記を一〇回も書け ネイロに向かっている飛行機で、曲は読者が感じているかもしれない疑問、 るほどの旅行のプロでもないので、毎 ( しオ回関連の書籍を読んで旅行の印象や体 「リオデジャネイロが見えてきて僕のすなわち「この連載のテーマま、つこ 験を補った。驚いたことにどんな分野 翼は歌い出す」と始まり、ガレオン空 い何なの ? ーという疑問に答えたい。 港も名前も織り込まれている。リオへ 『書斎の窓』の読者はたぶん大半が文にでも先達がいるものである。連載の の旅情を誘う最高のソングで、こ 系の大学教員であろう。読書のプロと 、何人もの方々から励ましをいただ の曲を作った功績でジョビンの名が死もいうべきオーディエンスを前にポロ き、そのおかげでどうにか最後まで書 後に空港に冠されたのではないかと思を出さないようにするには自分の専門 き継ぐことができた。読者の皆さんに うほどである。空港に愛称を付けるの分野について書くのが無難だが、本誌 謹んで感謝申し上げたい。 ( まるかわ・ともお はこれぐらい軽いノリでやらなくては は専門書を読むのに疲れた大学教師が 東京大学社会科学研究所教授 ) 、よ , ら、よ、 0 成田空港ならば「空港ーをふと書斎の窓をみやって目を休めるが ヒットさせた功績で成田テレサテン空 ごとく頭を休めるためのものであると 港とかどうだろう。台湾と中国で大受すると、自分の専門について書いても そ けするのは間違いなく、アジアからの誰も読んでくれないかも知れない。 利用客が増えるかもしれない。日本と こで連載を引き受けるにあたって最初 アジアをまたにかけて活躍した彼女の に決めたルールは、自分の専門分野に

3. 書斎の窓 2012年12月号

トルを待っている間に歩いて行った方ではなかろうか。私の限られた経験に か速いぐらいなのに、シャトルを待た よれば官界で出世して関係団体の役員 ねばならないのである。スキポール空 に天下りした人は、自分が官僚として 港ではこれよりはるかに長い距離を移一流であるのみならず、デザイナーと 動する必要があるが、シャトルなどは しても一流だと誤解している。成田の 存在せず、単に廊下でつながっている シャトルも自分の能力を過信した偉い だけである。歩くのが大変ならば動く 人が周りの諫言を聞かずに独断で採用 歩道もあるし、電動力ートで移動するを決めたのだろう。 ことも可能である。成田空港第一一ター 最近では高知龍馬空港とか徳島阿波 ミナルにはそういう選択の余地がない。 おどり空港というように愛称のついた 第二ターミナルができた当初、空港が日本でも増えてきた。海外では ニューヨークのジョン・・ケネディ »-a と < Z < は真っ先に第二ターミナル く機械の機嫌が直り、出発できた。 に移った。日系航空会社の利用客は圧空港、。ハリのシャルル・ドゴール空港 その後、浮力が増強されたとみえて倒的に日本人が多い。海外から帰って ( 写真 2 ) など人名を冠した空港が少な フランス 満員で出発できないということはなく きた日本人客は早く家に帰りたいので ・リョンの空港は なったが、それにしても第二ターミナ とても足早に空港内を歩いていく。と「星の王子様ーの作者サンテグジュペ ルの本館とサテライトの間は見た感じ ころがシャトルのところまで来ると必 リの名を冠している。人名を冠した空 一一〇〇メートルぐらいしか離れていなずそこで足止めされる。客が集中する港といえば、なんと言ってもプラジ硼 レ いのにシャトルに乗らないと移動でき時間には次のシャトルを待たなければ リオデジャネイロのアントニオ・窓 ならないこともある。こんなシャトル ないのでいつも苛立たしい思いをさせ カルロス・ジョビン空港である。この斎 書 られる。この程度の距離であればシャ なかりせばと思う旅客は少なくないの 空港は元はガレオン空港と言った。ア 写真 2 シャルル・ドゴール空港に駐機する A380

4. 書斎の窓 2012年12月号

に礼拝室も設けられているのである。 を疾走してようやく入国管理や航空会 うだ。こんな変な乗り物はこの空港以 最近の巨大空港では飛行機が駐機す社の窓口のあるターミナル本体まで行外では見たことがない。 空港内の乗り物と言えば、成田空港 る建物からターミナルの本体まで乗り き着く。一一〇年前は北京空港の規模は 物に乗って移動することも多い。オリ まだ小さくて、空港と市内は片道一車第一一ターミナルの本館とサテライトを ンビックを機に増設された北京空港の線の道路で結ばれているだけだったが、結ぶ「連絡シャトルーはとんだ失敗作書 第三ターミナルでは、飛行機から降り いまや三つのターミナルがあり、何車である。無人運転で、タイヤや車輪を てしばらく歩いていくと地下鉄のよう線もある高速道路が一一本直結する巨大使わずに空気で浮上して走るそうで、 なものに誘導される ( 写真 1 ) 。この地空港になった。まさに中国経済の拡大第二ターミナルが完成した一九九二年 には自慢のハイテク装備だったらしい。 と一緒に成長した空港である。 下鉄がまさしく地下鉄ひと駅分ぐらい ワシントン・ダレス空港に飛行機でところが、このシャトルが使われるよ る うになった当初は浮力が不足していて、 到着し、案内表示に従って歩いてい 走 を と、乗客たちが何やら部屋のようなも当時私が成田第一一ターミナルに到着し な の のに入って、 ( く。その部屋の中は電車てこのシャトルに乗ったところ、自動 ナ のように椅子が両側にあってそこに座で「乗客の数が多すぎて出発できませ ん。入口付近の人は降りてください」 っていると、部屋全体が動き出した。 タ という趣旨のアナウンスが流れた。そ 実はこの「部屋ーは一種のバスだった 第 こで満員電車並みに乗り込んでいた乗 のである。この不思議な部屋から出て、 鉄 客の一部が降りたが、再び同じ音声が 京下外からその全体を眺めてみると、短い 廊下の下にトラックを付けたような何流れた。さらに何人か降りたが、それ 真 とも奇妙な形をしている。その名もでも同じ音声が流れ続ける。結局、乗 写 「モヾイル・ラウンジ」というのだそ客の三分の一ぐらいが降りて、ようや

5. 書斎の窓 2012年12月号

空港のしくみを理解しようと思った に荷物を預けるのと何もかわらないの航空会社の窓口まで慌てて戻って、荷 ら小さな空港の方がいい 。あれは一九 だ、と妙に納得した。 物を取り戻したいと言った。すると窓 八〇年代のことだったと思うが、中 飛行機の預け荷物と言えばこんな失ロの人は、コンべアベルトの上を歩い 国・広州市の白雲空港で飛行機を降り敗をしたことがある。中国では国内線て行って自分で倉庫を探してごらん、 て、荷物が運ばれてくるのを待ってい であっても、飛行機に乗る前に手荷物といって私を中に通してくれたのであ たら、車で運ばれてきた荷物が待合室検査を受けるとともに身分証明書を提る。暗い倉庫に入ると運良く自分の鞄 のコンクリートむき出しの床に並べら 一小しなければな , らよい。 外国人なら。ハ かすぐに見つかり、。ハスポートを回収 れた。それまで飛行機の預け荷物とい 1 のあとはこ スポートが必要である。ところが、私 して事なきを得た。 9 ・ うものは、チェックインするとコンべ は大連から国内線に乗るときに、余りんな融通もきかなくなったかも知れな 、 0 アベルトに乗ってどこかへ消え、飛行深く考えもせずにバスポートを鞄にし 機を降りるとどこからともなくコンべ まって預けてしまった。いざ検査場に 一一〇〇六年に冲合に移転する前の北 アベルトに乗って現れるものだと思っ入ろうとしたときバスポートが手元に九州空港も小さかった。小さな飛行機 ていたが、実は長距離バスに乗るとき ないことに気づき、チェックインした に乗って到着したら飛行機からステッ 〔連載〕中国を歩く、世界をみる 空港のしくみ 丸川知雄 第加回 ( 最終回 ) 書斎の窓 2072. 72

6. 書斎の窓 2012年12月号

対する新しい物の見方や世界のとらえ みそれ自体の是非ーなどというもので適正量に近いレベルにまで減らしてい く上でも、重要な作業になるに違いな方 ( 必ずしも調査される側にとって心 は决してない。むしろ重要なのは、 、 0 地よいタイプのものだけとは限らない ( 遠隔操作型の調査を含めて ) 調査と ワンダーランド のだが ) を提供することも可能性とし いうものが「調べるー調べられるーと 「招かれざる客」が不思議の国への ては十分にありうる。それが、ひいて いうもの以外にもさまざまな関係性 案内人になる時 は、その人々を思いもよらなかった不 ( 支配ー被支配、友好ー敵対、協力ー いざな 思議の国へと誘っていくことだってあ ここで、もう一つ改めて考えてみた 非協力、関心ー無関心等 ) を必然的に るだろう。 いことがある。それは、調査しないこ 含む社会的行為であるという事実につ 社会調査という営みとその成果が、 と ( 見ないようにすること ) 、無関心 いて、どの程度明確な自覚を持ってい のままでいることが、時にはきわめて狭い範囲のアカデミズムの世界を超え るか、という点なのである。また、前 て、より広い範囲の人々を、そのよう 敵対的で搾取的な行為になりかねない、 回述べた質的調査と量的調査とのあい な「ワンダーランド」へと招待してい という点である。 だのヨリ生産的な関係性という点をも くうえでの一つの重要な契機になるこ いかなる種類の社会調査であったと 含めて、調査活動それ自体の「アート」 しても、他者との関わりを抜きにしてとを期待して、本連載の幕を下ろした および「サイエンス」としての質をど 、 0 のように保証していくか、という問題は考えられない。また、他者との積極 的な関わりというものには、本来、何 ( さとう なのである。 らかの意味での「お世話」や「お節介ー それらの問題に真剣に取り組んでい くことは、それこそまさに「調査公害」がっきものでもある。そして、当初は を思わせるほどの頻度でおこなわれて招かれざる客であった調査者が、結果 いるアンケート調査や意識調査の数を的には、調査対象者に対して、社会に 一橋大学大学院商学研究科教授 ) 書斎の窓 2 2 72

7. 書斎の窓 2012年12月号

いては、調べる側と調べられる側の関一面があると言える。その意味で、多しては、社会調査と同様にさまざまな 係か見えにくいたけに、ゝ カえって問題 くの社会調査は、右に述べた、余計な 問題を含むものではあるが、報道とい が深刻になる場合も少なくない。 お世話ないし余計なお節介としての性うものが現代社会において持ってきた 窓 の 格を持っているのかも知れない。 実際、 一定の機能との類推で考えてみれば、 報道被害と「調査公害」 「報道被害」と相通ずる意味合いを持おのずから明らかであろう。また、国書 現場の人々自身からの要請にもとづ つ「調査公害」という言葉は、そのよ家や特定機関・組織等による強権的な く調査やそれらの人々との共同調査の うな事情を示しているのだと言えよう。統制から相対的に自由な立場でおこな 例などを除けば、ほとんどあらゆるタ 一言うまでもなく、これは、决してわれる報道や社会調査が皆無に近い社 イプの社会調査における調査者には、 「あらゆる社会調査は搾取的な行為で 会を思い浮かべてみても、それは自明 言わば、招待されているわけでもない あり、また、調査公害を生み出しかね であるに違いない。 いつの間にかテープルの席につ ない営みであるなどというようなこ ここで改めて指摘する必要も無い いている、「招かれざる客」のような とを言いたいわけではない。 それに関ろうが、問題は、「社会調査という営 捧げられる生命 現代に生きる安藤昌益 ーー沖縄の動物供犠 内 石渡博明・児島博紀・添田善雄編ーニ六ニ五円 書 原田信男・前城直子・宮平盛晃ⅱ著・ー・ニ九四 0 円安藤昌益没後二五〇年、発見者・狩野亨吉没後七〇年記念出版 案原田信男著「なせ生命は捧げられるかーー日本の動物供犠』の姉妹編 中国人口問題の年譜と統計の 刊家と村の社会学 【 19 4 9 ー 2 012 年 茶東刮。 新 ーー東北水稲作地方の事例研究ーー 若林敬子・海松ⅱ編著 八八ニ 0 円御 細谷昂 = 著 三二年間に亘って継続してきた日中間の研究データからみた 農村社会を歴史的展望のなかに位置づける大著 ク一人っ子政策をの歴史的総括″ 一三六五 0 円

8. 書斎の窓 2012年12月号

も、それが結果として相手との信頼関 tin's Press)0 えば、右の一一種類の搾取に、研究者Ⅱ 係を裏切る、いわば搾取的なものにな 商業的搾取は、若者のサプカルチャ調査者たちによる「学術的搾取 (aca ・ ってしまう可能性は十分にある。関係 ーが、しばしば独特のファッション・ demic exploitation) ーとい , つものを が近い分だけ、かえって問題が深刻な アイテムやグッズを販売する「商売人ー付け加えることができるかも知れない。 場合も多いだろう。そして、それは、 や企業によって商業的に利用されるこ つまり、若者たちについて調査して得 報道関係者やジャーナリストがおこな とを指す。 た知見や結論をもつばらアカデミック う「取材ーの場合も同様である。 一方、イデオロギー的搾取というの な世界や「論壇ジャーナリズム」など は、政治家や思想家あるいはジャーナ と呼ばれる世界での地位獲得や栄達の 商業的搾取・イデオロギー的搾取・ リストたちが、若者のサプカルチャー ために利用してしまうような傾向であ 学術的搾取 る。 を「社会 ( 時代 ) の鏡」などと称して、 この点に関して示唆的なのは、「商自分たち自身の思想的立場を主張する 言うまでもなく、この三種類の搾取、 業的搾取ーおよび「イデオロギー的搾際の方便として利用してしまう傾向をすなわち、商業的搾取・イデオロギー 取ーという概念である。これらの概念 指している。結果的にイデオロギー的的搾取・学術的搾取は、若者のサプカ は、イギリスの社会学者スタンレー 搾取をおこなってしまうことになる大ルチャーを対象にした調査だけでなく、 コーエンが提案したものであり、大人人たちは、しばしば「若者の味方」で ほとんどあらゆるタイプの社会調査に たちが、若者の逸脱的サプカルチャー あることを標榜する。しかし、当の若ついて生じうる。また、これらの傾向 を自分たち自身の利害に沿ってどのよ者たち自身にとって、そんな主張は、 は、フィールドワークのような、相手 うに利用するかという点について着目「余計なお世話」であり、また「お節との関係が密な現場調査の場合に最も 窓 している (StanleyCohen 1972F0 ぶ介ーであることも多いだろう。 顕著に感じ取られるものである。しか斎 書 Devils d ミミ Panics St. Mar- 本稿で述べてきたこととの関連で一言 し、実は、遠隔操作型の社会調査につ

9. 書斎の窓 2012年12月号

よって頻繁に実施されており、また質 い場合も多い からすれば当然のことではある。 問紙の冒頭にタイトルとして印字され 実際、現地でインタビューしている 右に述べたような、調査する側とさ 2 ていることも多い ( たとえば、「〇〇つもりが、いつの間にか相手の質問にれる側の役割関係の逆転は、俗に言う についての意識調査のお願い」 ) 。しか こたえて、自分が抱えている事情や悩 アンケート調査、特に質問紙を郵便やé し、意識調査というと、どこか「思想みについて告白調や愚痴まじりに聞い ファックスで送りつけたり、あるいは書 調査」を連想させる言葉であるように てもらったりすることもある。つまり、 ウエプ上でおこなわれたりする調査の 思えてならない。 聞く側と聞かれる側が入れ替わること ような、「遠隔操作型ーとも呼ばれる がよくあるのである ( また、当初の企 アンケート調査の場合には、滅多に起 調べる側と調べられる側 画段階から、あるいは最終的に結果と こらない。その意味では、その種のア 少し前に述べたように、調査という して、現地の人々との共同調査になる ンケート調査は、まさに「調査ーと呼 一一一口葉について、何となく感じてきた違場合が皆無というわけでもない ) 。 ぶのがふさわしい方法であるのかも知 和感は、恐らくわたし自身が主として 同じように、現地の活動に参加しなれない。 おこなってきたのが、相手との距離が か , らフィールドワークをしていると、 ただし、当然のことではあるが、調 近いところでおこなうフィールドワー 自分が現地の人々を観察している以上査現場における役割関係の逆転の有無 クであることから来ているのだと思わに、現地の人々がこちらの挙動を観察と、「最終的に公表される調査報告書 れる。そのようなタイプの現地調査に していることに否応なく気づかされるや論文が調査する側と調査される側と おいては、現地の人々との接触が密で ことがある。つまり、見る側と見られの間にどのような関係を形成すること あるだけでなく、調査現場における る側の関係が、調査という一言葉から受 になるのか」という点とは、全く 「調べる側対調べられる側」という ける印象とは逆転してしまうわけであ題である。どんなに相手と近い場所で 役割関係もそれほど明確なものではな る。これは、「見る目ーの相対的な数おこなわれる現場調査の場合であって

10. 書斎の窓 2012年12月号

およびその方法をいう」 ( 有斐閣『社 いう一一一一口葉を使ったりしている。また、 research とい , つよ . り - は investigation ( 捜査、取り調べ、検査 ) などに近い 単に調査というよりは「現地調査ーあ会学小辞典』一九七七 ) 。たしかに、 るいは「現場調査」というほうが少し専門的な辞書で扱うものとしては、そ語感である。実際、ある問題について のような定義が適切なのだろう。また、 調べようと思っている時に、現場の は気が楽になるところがある。もっと も、それでも居心地の悪さは残ってしわたし自身がおこなってきたのも、社人々に対して、「あなたたちの事につ ま , っ いて調査させてください」などと言っ 会調査の一種であることは紛れもない。 しかし「社会調査ーというと、「一 たとしたら、大ていの場合はかなりの これはわたしの個人的な感情やコダ ワリだけの問題なのだろうか。それと般的な傾向を、どこか高いところから反発を呼ぶに違いない。その種の言い も、調査ないし社会調査という一一 = ロ葉に見下ろして一望のもとに俯瞰する」と方には、どうしても「内情を取り調べ うような印象がありはしないだろう る」という印象がっきまとうからであ は、もともと、どこかしら奇妙で不思 る。これは、「身辺調査」や「身元調 か。そのような社会調査のイメージは、 議なところがあるのだろうか。 わたしがこれまで主としておこなって査」という一言葉がどのようなイメージ きた、一人ひとりの顔が見えるようなを喚起するか、という点について考え てみれば明らかであろう。 辞典や事典を見ると、社会調査につところでおこなう種類のフィールドワー そのような観点から改めて眺めてみ いては、次のような定義が載っている クの実感からは、ほど遠いものがある。 この、調査という言葉に対するわた ことか多一い 「社会調査 (social ると、「意識調査ーというのは、かな〃 り奇妙で、またオソロシゲなところの research) 一定の社会または社会集しの違和感は、一般的な国語辞典など ある一一 = ロ葉であるようにも見えてくる。 団における社会現象に関して、科学的にもあげられている「取り調べーとい 窓 に、現地調査により直接的に、データ う意味内容からも来ているように思わ意識調査自体は、行政機関や企業ある斎 書 いは大学などさまざまな組織や団体に れる。つまり、英語で言えば、 social を収集し、記述 ( かっ分析 ) する過程、 「調査」の語感