世界 - みる会図書館


検索対象: 書斎の窓 2012年5月号
32件見つかりました。

1. 書斎の窓 2012年5月号

てキケロにまつわる見方の毀誉褒貶は書 ) ) 。 キケロとヴァッテル はなはだしく、彼の再評価が始まるの この一節を通読したとき、筆者は無 先頃、ラテン語の世界に関するある は二〇世紀も半ばを過ぎてからである。意識的にヴァッテル (). de vattel) 「新書」に眼を通していたところ、キ著者は、戦後のある西洋のラテン語学を想起せずにはおれなかった。スイス ケロ (). T. Cicero) のおもしろい評者の評価を紹介する。次のとおりであの国際法学者として知られる彼は、一 価に遭遇した。古代ローマの政治家、 る。「キケロは近代の普遍的文明の創七五八年、著書『国際法すなわち国家 哲学者、弁論家として聞こえの高い 造者の一人であるーものの、「そこに と主権者の行動と事務に適用される自 かの人物である。法律家としてもまま は独創的なもの、深遠なものはひとっ然法の原則』 ( 以下『国際法』と略称 ) 登場する。ちなみに、法律学の書物でとしてない」。彼のローマ政界での栄を引っさげて、さっそうと斯界に登壇 おなじみの "Ubi soci ミ房 . 一 jus" 光は彼の言語的才能へのご褒美にすぎするのである。背景事情はキケロとは ( 社会あるところに法あり ) の格言は なか「たのに、彼はこれにす「かり虚同日の談ではないにもかかわらず彼を窓 彼の手になるものといわれる。 栄心をもってしまったのである、と連想したのは、実は彼の場合も毀誉褒斎 書 さて、この「新書」によれば、かね ( 小林標『ラテン語の世界』 ( 中公新貶がはなはだしく、その再評価が始ま リレー連載・国際法 近代国際法とヴァッテルの評価 杉原高嶺 第回

2. 書斎の窓 2012年5月号

急流の川によってえぐられた谷間に ど斜都だと思う反面、何度も訪れた北 「異人館街」として往事の姿をとどめ 作られた斜都長崎の弱点は豪雨に弱い 九州は余り斜都のイメージはない。私ている。その坂道を上り下りしながら、 ことである ( 高橋和雄『豪雨と斜面都が会議などで訪れた場所はだいたい 埋あらためて欧米人の傾斜地好きを思っ 市ー一九八一一長崎豪雨災害』古今書院、立地だったのだろう。北九州市は、関た。 二〇〇九年 ) 。一九八二年の豪雨によ 門海峡を船が通行できるようにするた 神戸の傾斜地と言えば神戸大学も印 る河川の氾濫や土砂崩れにより、長崎めにたえず海底の土砂を浚渫し続ける象的である。会合などで時々お邪魔す では一一九九人もの死者・行方不明者を必要があり、それをどこかに埋め立てるが、東海道本線の六甲道駅から 出した。この災害の経験を踏まえ、住ることになるので、次第に平地が増えたちまち上り坂になり、山の斜面にキ みやすい斜都作りを目指して長崎市は ていく運命にあるのだという。 ャン。ハスがひな壇のように何段にも積 一九八九年にサンフランシスコ、香港 一方、神戸は斜都のイメージが強い。 み重なっている。神戸大学から大阪湾 など世界一五カ国の斜面都市の代表者源平の戦いのなかで源義経がひょどりを見下ろせば、眼前にポートアイラン を招いて「国際斜面都市会議ーを開催越を馬で駆け下りて平家の陣地の背後 、神戸港、神戸空港などが広がる。 キャン。ハスにイノシシが出没するらし している。世界の斜都が結集した会議を突き、一ノ谷の戦いを勝利に導いた はこの一回だけで終わったようだが、 のもここ神戸市である。山がまっすぐ いし、毎日通勤・通学される方々には 日本国内では一九九一年に全国斜面都海に落ち込むところの、海沿いのわず いろいろと苦労もあるだろうけれど、 市連絡協議会が発足し、小樽、函館、 かな平地と傾斜地を利用して都市が作 たまに訪れる身にとっては、行くたび られ、それが海沿いに果てしなく伸び 横須賀、熱海、尾道、呉、下関、別府、 に広々とした風景を眺めて爽快な気分 長崎、佐世保、北九州、神戸の一一一都 た、というのが神戸という町の成り立に浸れるキャン。ハスである。神戸大学 市が加入しているという。この中で私 ちのように思われる。幕末に神戸が開を訪れた帰り道に、ヾ ノスの待ち時間が窓 が宿泊したことのある都市は六つしか港されると、港を一望できる北野町の長かったのでいっそ駅まで歩いていこ斎 書 ないか、小樽や横須賀、神戸はなるほ 高台に外国人居留地が作られ、いまも , っと大学から坂道を駆け下りていたら、

3. 書斎の窓 2012年5月号

ロとかいう人の書物にまで到達しましやすとは逃れられないのではなかろう 永続的な重要性が保持されなければな た。この人の言語にはほとんどすべてか。 らない」と ( 一八九四年 ) 。しかし、 の人が感嘆しますが、心のほうはさほ 概して厳しい評価であったことは先に 窓 ヴァッテルの再評価 どでもありませんーと ( 山田晶編『ア みたとおりである。その再評価が始まの ウグステイヌス』 ( 『告白』世界の名 本題のヴァッテルに戻ると、彼の場るのは一一〇世紀に入ってからである。書 著 ( 中央公論社 ) ) 。この一節につい 合、旧時代 ( 一九世紀 ) においても高わけても、カーネギーの『古典国際法 て編者は次のように注釈している。 い評価がなかったわけではない。たと ーズ』でバリ大学のラブラデル 「キケロは名文家として感嘆されるが、 えば、ウエストレイク (). Westlake) (). de Lapradelle) がヴァッテルの 哲学者としてはさほどに評価されない は次のようにいう。ヴァッテルの書物業績の綿密な分析を踏まえて、きわめ という意味に解される」と。キケロの はグロテイウスもヴォルフも取り扱っ て積極的な評価を公表 ( 一九一六年 ) 真相のほどはひとまず措くとしても、 ていない諸問題を含む、前例のない包して以降、この傾向が漸次浸透してい ったようにみえる ( その論稿のなかで アウグステイヌスのような権威者に捕括的内容の国際法を提示するものであ ラブラデルが、「グロテイウスは絶対 まったのでは、さしもの雄弁家もやすって、その功績は「国際法学にとって <LO 判六〇九〇円◎ 格 8 価 呈 基本国際法国際法 閣杉原高嶺著 四六判ニ一〇〇円酒井啓亘・寺谷広司・西村弓・濵本正太郎著 目 袵 ( 現代国際法の基本制度をわかりやすく説き明かす入門書 ~ 国際法の生成過程・適用のあり方・実現の方法について、書 の決定版。小枝を切り詰めて全体の枝振りを見通せるよ ~ 過去と現在の諸国・諸組織の判例や実行をつぶさに紹介図 叩うに心掛ける。法学部の講義テキストとしてはもちろん、 ~ しつつ、体系的に解説。各章で練習問題と参考文献情報 はじめて国際法を学ぶ人たちにとっても必携の 1 冊。 ~ を提供し、巻末では文献へのアクセス方法も紹介する。 リ案内 ⅱい一 ーロい いーい

4. 書斎の窓 2012年5月号

前回は私が知る限りでの世界の傾い 沿いの丘陵が往時の横浜の姿だったのある。横浜駅近くの高台である浅間台 た都市について書いたが、今回は日本 だろう。そしてこの連載の前々回でも に住む大企業重役の運転手の子供が重 の「斜都」について書こう。 指摘したように欧米人たちは傾斜地に役の子供と間違われて誘拐される事件 日本の斜都と言えばまず思い浮かぶ住むのを好むようで、尾根道の山手本を描いた映画だが、高台にある瀟洒で のは横浜市である。歌川広重の東海道通りをまたぐ斜面に外国人居留地が作涼しげな住居を、低地の暑苦しい木賃 られた。 五十三次の絵に見る横浜 ( 神奈川 ) は ア。ハートに住む犯人が見上げるなかで、 海沿いの傾斜した土地にへばりつくよ 前回、香港では金持ちになればなる その住居の住人に対する階級的憎悪を うに並んだ宿場町であった。幕末以来ほど標高がより高いところへ移り住む抱いたことが犯行の動機だったとされ の相次ぐ埋立と造成によって平地の部傾向があると述べたが、住む場所の標ている。都市のなかでも標高の高い傾 5 分も拡大してきたとはいえ、関東大震高の高低が階級の高低に対応する状況 いた場所が高級住宅街だとされる傾向 災で生じた瓦礫を埋め立てて作られた は日本でも一部にあるのかもしれない。 が果たして日本でどれほど一般的なの窓 山下公園から南へ数百メートルも行け そのことを横浜を舞台に描いたのが黒か私には判断がっかないが、「〇〇ケ斎 書 ばたちまち山手にさしかかる。この海澤明監督による映画『天国と地獄』で丘ーや「〇〇台」という地名が住宅団 〔連載〕中国を歩く、世界をみる 世界の「斜都、・日本編 丸川知雄 第 4 回

5. 書斎の窓 2012年5月号

もつものでもある。というのは、彼自「ヴァッテルは表向き自然法に言及し は独自の著作をするというよりも、ウ ォルフの国際法をヨーロツ。ハの外交界身は、彼の先達がめざしたような国際ているが、国際法史上、自然法論との に紹介し、普及させた点で功績がある」法の学理的構築というよりは、この法決定的な断絶は彼によって行われたの である」。言い換えれば、彼は国際法 の現実的妥当性の確保をめざして現行 と ) 。その根拠が示されないまま、ど うしてこのような見方が繰り広げられ国際法の実証的解明に最大の心血を注の現実的妥当性を論証すべく、実証的 いだからである。 考察をもってその体系化に挑んだので ていったのか不可解であるが、一つ推 この点はそのまま第二の批判、すなある。しかも、その成果が後世に連な 測されるのは、ヴァッテルの「序文 る体系書の範をなすものであったとす わち独創性の欠如論につながる。まず、 だけをみてすませると、往々にして、 この批判における独創性とは何を意味れば、ここに彼の歴史的独創性を認め この評価に陥るおそれがあるというこ するものか、判然としない。およそ実ないわけにはゆかないのではなかろう とである。 彼がヴォルフの国際法論の核心をな定的法律学の書物において先人の業績か。 本稿の冒頭で筆者はキケロにふれた。 を踏まえない論述とか、一定の客観的 す「世界国家」 (civitas maxima) の構想 ( この世界国家なる組織体にお制度的枠組を度外視する著作などはあ彼に対する永年の冷評の理由について は、遺憾ながら筆者のよく心得るとこ いて個別国家に適用される意思国際法りえないことである。これはヴァッテ ろではない。たまたま個人的に想起す ル然りである。彼の著作の表題は、前 がつくられるとする構図 ) を敢然と斬 るのは、中世キリスト教世界の形成に り捨てたことに象徴されるように、彼述のように、『国際法すなわち : : : 自 の幾多の国際法制度の解説・評釈は、 然法の原則 (Principes de la L0i 絶大な影響力をもったアウグステイヌ 5 naturelle) 』であるかオ 、ゝ、よらば彼は頑ス (). Augustinus) の次の一節であ その内実において彼独自のものがある。 それはヴォルフのみならず、彼以前の迷な自然法論者であったかといえば、 る。「当時まだ青一一才の私は、雄弁で窓 : そし斎 しかと否である。フリードマン (). 人にぬきんでようと熱望し、 どの国際法学者 ( グロテイウス、プー 書 て慣例の学習順序に従い、ついにキケ フェンドルフ等 ) とも異なる独自性を Friedmann) の一一 = ロ葉を借りるならば、

6. 書斎の窓 2012年5月号

の窓 No. 614 2012 年 5 月号 《目次》 東北の地から②災害ュートピア : ・ : 野家啓一表Ⅱ 法律学全集刊行記念⑤ 民法解釈学の発展と複線化 ・ : 淡路剛久 憲法をどう語るか ・ : 安西文雄 『憲法学読本』の刊行によせて 法人税だって法律である ! ・ : 三木義一 民法の初学者に向けて 『はじめて学ぶ民法』を刊行して リレー連載・国際法⑩ ・ : 杉原高嶺 近代国際法とヴァッテルの評価 大きな政治変動に刺激されて ・ : 山尾大 『現代イラクのイスラーム主義運動』刊行によせて 中国を歩く、世界をみる④世界の「斜都」・日本編・ : ・ : 丸川知雄 ソーシャル・ネットワーク、組織と戦略について : ・中野勉 地域を経営するという視点 ・ : 古川一郎 『地域活性化のマーケティング』の発刊に寄せて カナダにおける生殖医療レポート② ・ : 関口礼子 住宅は社会政策の対象たりうるか . ・ : 武川正吾 『居住福祉学』の刊行に寄せて ディシプリンとしての社会福祉学 ? ・ : 平岡公一 『社会福祉学』を上梓して 若狭徹 考古学と社会④考古学からみた古代の馬生産 児童文学の宗教的ロジック② 消えたプルカニロ博士 ・ : 中村圭志 宮沢賢治「銀河鉄道の夜」 ( 一 l) 学会誌紹介 : 編集室の窓 : 尨新刊案内 ( 5 月 ) ・ : 巻末 〔表紙〕デザインⅱ神田程史 16 11 6

7. 書斎の窓 2012年5月号

かっていよ、。 これらの勢力は、一一〇期のホスト国は、一九七九年にイスラ 〇三年以前にどこでどのような活動を ーム革命を成就させた隣国イランであ 動 込 展開し、何を考えてきたのだろうか。 った。亡命直後の一九八一年には、イ 義 税 私が上梓した『現代イラクのイスラ ラン・イラク戦争が始まった。イラン ム 円 ーム主義運動ーー革命運動から政権党に亡命したイラクのイスラーム主義勢 ス 6 への軌跡』は、こうした素朴ともいえ力は、フセイン政権に対抗し、ホスト る問題意識に基づいて進められた研究国イラン側に立って祖国に参戦した。 ] の頁 背に躇ク の成果である。 この過程で、それまで一つにまとまっ イ ていたイスラーム主義運動が分裂し イラクのイスラーム主義運動 尾 。分裂した勢力を再統合したのは、 イスラーム主義運動は、イラク社会イランであった。アンプレラ組織を結 ないことがあった。それは、イラク戦の近代化と世俗化に抗する改革運動と成することでイラクのイスラーム主義 争後に凱旋帰国し、政権に就いたイス して一九五〇年代の後半に誕生し、や運動を再統合したイランは、その後、 ラーム主義勢力についてであった。戦がて弾圧を受けて革命運動へと変化し この組織を通してイスラーム主義運動 後イラクで突如として政権党となったていった。そして、バアス党権威主義に介入を強めた。こうしたホスト国の イスラーム主義勢力が、どのような歴体制の苛烈な弾圧によって国外への亡介入に反発して、一部の勢力がイラン 史をたどってきたのかという問題は、 命を余儀なくされた。ちょうどフセイ国外へと再亡命した。この勢力は、イ 戦後イラクの政治社会を理解するうえ ン政権が成立した翌年の、一九八〇年ランへの反感から祖国イラクの組織で で、决定的に重要になる。にもかかわのことであった。 あることを強調するようになった。こ らず、そのイスラーム主義勢力につい 亡命活動を開始したイラクのイスラ うして一九八〇年代には、ホスト国イ窓 ては、我が国のみならず世界的に見て ーム主義運動は、今度はホスト国との ランとの関係をめぐって、イラクのイ斎 書 も、ほとんど研究蓄積がなく、よく分関係で大きな問題に直面した。亡命初スラーム主義運動が大きく分裂したの 現代イラクの イスラーム主義運動 山大・

8. 書斎の窓 2012年5月号

の選挙が行われ、制度的には民主主義る。国家建設支援の議論では、これま ているという点であった。 また、イスラーム主義運動の活動体制が成立した。民主主義こそが「街で民主化支援や国家の制度構築の支援 で唯一のゲームーであるという認識もをめぐる問題に力点が置かれてきた。 が、既存の国家領域を超え、国際的に 展開したことから、トランスナショナ共有され始めている。だが、二〇〇六紛争を解決し、平和で民主的な国家を いかに再建するのかという問題につい ルな社会運動の物語としても読むこと年から一一〇〇七年には内戦が発生し、 かできるかもしれない。 その後一定の秩序は回復されたもの ては、多数の議論が展開されてきたと 事実、イラク のイスラーム主義運動は、形成当初かの、依然として治安は悪いままであ一一 = ロえるだろう。「人道的介入ーや「保 護する責任」、「移行期正義」などの概 ら、国境を越えた地下活動を展開してる。 戦後イラクで政権運営を行うイスラ 念は、その典型である。これらは、紛 た共産党に、組織形態や動員、戦略 ーム主義政党の連合は、大きな政治変争下にある国家や人権侵害が蔓延して などの点で大きな影響を受けてきたの だから。 動と内戦を経験した後に、新たな国家 いる権威主義体制下の国家を再建する ために、国際社会はどのような政策や 建設をいかに進めようとしているのだ 体制転換とその後の国家建設 ろうか。拙著で扱った反体制活動期の支援を行い得るか、という議論が重ね とい一つ問題 られる過程で導き出された概念に他な 様々な対立や分裂は、彼らの国家建設 らない。 にいかなる影響を与えているのだろう ともあれ、半世紀にも及ぶ反体制運 か。私は現在、以上のような問題意識 だが、戦後イラクの実情を眺めてみ 動の後に、選挙を経て政権党に躍進し に基づいて、「変化が生じた後」の状ると、こうした既存研究の分析視角は たのは、世界でもイラクのイスラーム 主義運動が初めての例である。ところ況、つまり戦後イラクの国家建設につ必ずしも政治のダイナミクスを的確に いて研究を進めている。 把握できる枠組みではないように思わ が、周知のとおり、戦後イラクでは治 政治学や国際関係論などの学問におれる。というのも、戦後イラクでは、窓 安の悪化と政治的 4 安定が続いてい いては、近年、紛争と国家建設支援を米国を中心とする国際社会が民主化支斎 る。政権内部の対立も激しい。 援のために行った制度構築を、イラク むろん、中央と地方を合わせて五回めぐる研究が大きな注目を集めてい

9. 書斎の窓 2012年5月号

輪廻世界においては潜在的にみんな鳥捕りの男につれなくしたり、女の子ような宣教者のキャラクターが、ドグマ とカムバネルラとの語らいを見て嫉妬色をすっかり抜いた四次稿の表層を破 が友だちなのだから、みんなに親切に したりするのですが、そんな自分の狭って露出ーーー岩石の露頭のように すべきだし、逆に一人の親友に執着し 量さを悔やんだりもします。「銀河鉄しているのではないでしようか。 てもいけよい 。銀河鉄道の倫理の 輪廻とは単に「みんな仲良しーのハ 根拠が輪廻にあるというのは、賢治が道の夜ーは、どこまでも、内省的な少 ッピーな思想なのではありません、み 年の心理的ジレンマの物語として読め 「ビヂテリアン大祭」という作品で、 んなが孤独に転生していくというなか 菜食主義 / 動物愛護の根拠をやはり輪ます。 なか厳しい世界観でもあります。そう しかし、輪廻思想を前提にするので 廻に置いていることを思えば、肯われ なければ妙だと思われるシーンもあり考えるとき、この物語のあらゆる細部 ることです ( ちなみに「ビヂテリアン が恐ろしい緊迫感を宿したものとして 大祭」の主人公の演説はかなり攻撃的ます。それは四次稿の最終場面です。 カム。ハネルラのお父さん ( 博士と呼ば立ち現れてきそうです。 でファナティックです ) 。 ( なかむら・けいし編集、翻訳、著述業 ) 「セロ」氏の思想から、あるいは銀れています ) は息子の死を宣言し、ジ ョバンニに彼の父が漁から帰ってくる 河鉄道のヴィジョンから輪廻観を抜い ことを伝え、遊びに来いとまで言って てしまうと、あとに残るのは「一人で います。ふつうだったら息子が死んで はなくみんなを愛せーといった式の公 取り乱しているはずなのに、不自然な 平性や普遍性の倫理のみとなります。 くらい冷静です。もし物語の裏に輪廻 汽車の中でのあれこれのエピソードは、 思想がないとしたら、カム。ハネルラの この倫理をめぐる心理的戦いを描くも 父親は冷血博士ということになってし のだと一言えます。ジョバンニはみんな のための幸福の追求を語りつつ、親友まいそうです。ここには、作者の宗教 と一緒であることにこだわっています。的宇宙観が、そしてプルカニロ博士の 書斎の窓 2 2 5

10. 書斎の窓 2012年5月号

世界 ( 宗教を含む ) との間で揺れ動く う生硬さを通してこそ、人類による環遺されています。法華経への言及のあ る「手紙」と呼ばれる小品については 少年期の主観性を帯びているのだ 境破壊、強者集団の無意識的暴力とい ジプリらしいーー倫理的テーマすでに前回触れました。汽車の中で 話は飛ぶのですが、ジプリのアニメ 窓 「借りぐらしのアリエッティ」の中で、 「あらゆる生物のため」の「無上菩提」の か明確化されていることは間違いない が語られる「氷と後光」という習作も書 一一一歳の少年が妖精のような小人であでしよう。 る少女アリエッティに「君たちは滅び というわけで、私は、「銀河鉄道のあります。カム。ハネルラとの死別の意 ゆく種族だ」「環境の変化に耐えられ夜」を少年の心理的曲折の物語そのも味を考えるとき、賢治が亡くした妺ト ずに美しい種族が滅んできた」などと のとして読むのも、そこに作者自身の シを思って書いた一群の詩 ( 「白い鳥」 語るシーンがあります。本来は気遣い 信仰的パラダイムを読み取るのも、と「噴火湾」「宗谷挽歌」など ) の宗教的 な一一 = ロ葉も無視できません。これらにつ のある子なのに、ずいぶんと無神経な もに可能であるし、この二つの試みは ・ : 別の機会でという 物言いです。彼が心臓病のために悲観連続しているのではないかと考えてい いて論じるのは : ことにしましよう。 ( なお、「銀河鉄道 的になっているということもありますます。それが賢治の脳髄の働きでもあ が、考えてみればこういう絶対的な言 ったであろうし、このーーー普通の意味の夜」と信仰との関係や賢治と法華信 い方をするところにこの年代の少年での文学作品であるかどうかも定かで仰団体の国柱会との関係をめぐるさま ンヨバンニよりは年上でしようが はないーー未完成作品の、最低四種類ざまな論考 ( 小倉豊文、森山一、小野 らしさが現れているのかもしれま はある原稿の間の微妙な揺れにも対応隆祥、竜門寺文蔵、丹治昭義、鎌田東 しているのではないかと。 せん。 二、大角修 : : : ) についても、本稿で はとてもとても触れることができませ と同時に、この断定的な物言いは、 この童話をどう読むにせよ、やはり 少年期の思考ということにとどまらな法華信仰的な背景のことを無視するわん。 ) 、警世的な思想的メッセージにもな けにはいかないでしよう。この作品と っています。大人の言葉づかいとは違信仰世界とを橋渡しするような作品も