わたしの仕事、法つながり 010 ろ聴講しているこちらが考えさせられてしまうよう こでわかったことは、「法律概念 な講義でした。 ーっとっても、一旦、自分の頭で考えてみていい。」 ということでした。 法律概念は、人が整理のために作ったものですか ら、勿論、物理化学現象のように、実験によって証 明できるような唯一無二の絶対解はありません。そ もそも理屈付けようとする対象の法制度自体が人工 的な ( 揺れ動く ) ものですから、「説明のしやすさ」 「共感の呼びやすさ」などで妥当性を議論していく ことになります。その議論で大事になってくるのは、 制度をどう理解するかです。教授はこれを「ものの 見方」と言っていました。 この「ものの見方」がどう表れているのかに注目 して勉強してみると、無機質に見える学説の世界も、 実は人間味あふれる世界のように感じられ、面白く なっていきました。 弁護士足立龍太 1984 年生。東北大学法学部卒、中央大学法 つまり、議論を所与のものとして覚えるのではな 科大学院修了。福島県弁護士会所属。足立 く、議論を通して「ものの見方」を身につけること ほか「避難地域の医療・福祉にみる復興の 課題」除本ほか編著「原発災害はなぜ不均 が、法律の勉強だったことにやっと気づいたのです。 衡な復興をもたらすのか」 ( 2015 年 ) 。 2 ー街弁の仕事 1 ー法律 ( 学 ) の人間味 私は、これまで説明したような法律 ( 学 ) の人間 法学部に入学したのは、一つのニュースがきっか 味に惹かれて、今の職業を選びました。実務に入る けでした。それは、刑事裁判の判決言い渡し後に、 と、より実感は強くなり、法律を扱っているという 裁判官がさだまさしの「償い」という曲の歌詞 ( ぜ よりも、直接人間の問題を扱っているというような ひ読んでみてください ) を引き合いに出して説諭を し、被告人らに真摯な反省を促したというニュース 感覚です。法律コンサルタント的な面だけでなく、 むしろそれ以上にカウンセラー的な役割も求められ でした。法律というと「こういうときはこうなりま ているようなケースが多いように感じています。 す。」というような、上から目線の堅苦しい世界な 今、私は、ある弁護団に所属していて、福島県内 のかなと思っていたのですが、真面目に人と向き合 のとある山村の人々の損害賠償請求のお手伝いをし おうとするその姿勢に、なんだか人間臭い部分を感 ています。原発事故が発生し放射能が拡散してしま じ興味をもったのです。 ったために、正常な日常生活の維持・継続が長期間 そんな思いで法学部に入学したのですが、いざ入 にわたり著しく阻害されてしまったから、その精神 ってみると理解カ ( というよりも努力 ) 不足で、「こ 的損害を賠償して欲しいというものです。 ういうときはこう。」ということを覚える作業ばか 日常生活の維持・継続が阻害されているのであれ りのように思えて退屈でなりませんでした。 ば、精神的損害に対する賠償は認められるというこ ところが、 3 年次に出会った行政法教授のおかげ とになっています。問題は、どういう場合に日常生 で、その意識が大きく変化します。教授は、「行政 活の維持・継続が阻害されているというべきかです。 行為」などの基礎概念の研究がご専門だったようで、 法律概念をどのように定義するかということについ これまでの事例の積み重ねや和解仲介機関の基準等 で、例えば、長期間避難継続を余儀なくされた場合 て非常に情熱的に講義してくださいました。なぜ教 などの認められてきた類型はいちおうあります。し 授がそこまで「定義」に情熱的になれるのか、むし わたしの仕事、 法つながり ひろがる法律専門家の仕事編 [ 第 17 回 ] 私が考える法律 ( 学 ) 福島の山村での出来事を例にして
LAW 050 0 S ロ 1 ー発端 公共空間を考える ー鼓術者として法を語る [ 第 7 回 ] 放送大学試験問題文削除事件 佐藤康宏 東京大学教授 法学セミナー 2016 / 1 0 / no. 741 私は 2008 年から放送大学客員教授として「日本美 術史」の科目を担当していた。本来なら 2020 年まで 継続するはずだったが、 4 年早く職を辞することを 2015 年に宣言した。私の作成した単位認定試験問題 の一部を大学が勝手に削除して公開した措置に抗議 してのことである。この事件に関しては毎日新聞、 朝日新聞、 T B S の「ニュース 23 」などでも取り上 げられ、私自身も雑誌 TUP 』の 516 号と 518 号にお いて「日本美術史不案内 78 政治的中立」、「日本美 術史不案内 80 放送大学で学ぶ」という題で所感を 述べたが、あらためてその顛末を記し、法学の素材 として提供したい。当該の試験問題は、 2015 年度第 1 学期用の 12 問のうち問 12 である。長いが、やはり 最初に本来の問題文を掲載しておこう。 問題文 : 次の文章の下線部① ~ ⑤のうちには、 別の人名に替えないと正しい内容にならないも のがある。っているものを一つ選べ。 現在の政権は、日本が再び戦争をするための 体制を整えつつある。平和と自国民を守るのが 目的というが、ほとんどの戦争はそういうロ実 で起きる。 1931 年の満州事変に始まる戦争もそ うだった。それ以前から政府が言論や報道に対 する統制を強めていた事実も想起して、昨今の 風潮には警戒しなければならない。表現の自由 を抑圧し情報をコントロールすることは、国民 から批判する力を奪う有効な手段だった。 村山知義とともにマヴォの主要なメンバーで あった①迎瀬正は、後にプロレタリア美術運 動の中心的な活動家となり、多数のポスターや 書物の装丁といったグラフィック・アート、そ して政治や社会を風刺する漫画で活躍を見せ た。しかし、 1930 年代初めには治安維持法違反 で逮捕・起訴された。 1933 年、プロレタリア文 学の作家小林多喜二は当局に検挙され、監獄で 拷問を受け、虐殺された。②津田責楓は、その 獄死をキリストの死になぞらえるような油彩画 を制作した。ラフなタッチが、描かれた男がも う生きた肉体を持たない、ばろ布の塊のような 存在になってしまっていることを伝え、男を暗 い色調で表し、壁と戸外の風景の明るさと対照 させているのも、平穏な世界の中でなされた理 不尽な行為を印象づける。すぐれた描写だが、 彼自身も制作中に連行され、社会主義と洋画を 捨てることになる。 振り返れば、戦時中の日本人は、国家に強制 されて、というよりも、むしろ自ら進んで戦時 体制の維持に協力していたかのように見える。 権力は、そのような雰囲気を形成するための政 策を次々と実行し、国民総動員に成功したので ある。③藤田嗣治が積極的に戦争画を手掛け、 アメリカ軍の攻撃で日本軍が全滅した戦いを描 き出す大作を複数制作したのも、根底には画家 として国家に尽くそうという気持ちがあったた めだろう。死体の積み重なる光景はきわめて凄 惨で、フランスで学んだ西洋絵画の群像構成は、 悲劇的な主題に対して見る者の感情を高揚させ るように、巧みに活用されている。日本画の画 家も戦争画とは無縁でなかった。陸軍省の特派 員として南方に派遣された④山崎隆は、イギリ スの植民地であった香港への日本軍の総攻撃を 描いている。群青を基調とした風景の中、炎上 する軍艦や建物の炎が金泥や金の切箔を用いて 表される。現実に起きている破壊と殺戮とは別
LAW 062 法学セミナー 2016 / 1 0 / n0741 債権法講義 [ 各論 ] ー 7 第 1 部序論喫約総則 第 2 章契約法序論 [ 第 8 節 ] 「契約締結上の過失」と「契約準備段階の信義則」 東京大学教授 河上正二 こでは、前回に引き続いて、契約の締結過程あるいは形成過程の諸問 題に関連して論じられることの多い「契約締結上の過失」法理と「契約準 備段階の信義則」について検討する。問題は既に民法総則でも登場したが、 主たる舞台は契約法にある。契約が成立するまでの間に、交渉当事者だ置 かれた状況下では、いかなる行為規範が存在するのか、その法的性格は何 か、義務違反にはどのような法的効果が付与されるのかといった諸問題が 問われることになる。具体的には、不動産取引、融資取引、企業間の合併 など、比較的高額で複雑な契約交渉の過程での契約交渉破棄をめぐる問題 が主たる検討対象である。裁判例の紹介では、交渉の経緯についての事実 に目を向ける必要がある。煩瑣ではあるが、やや詳細に事実関係を紹介す る。読者には、事実の経緯を読み取って評価を加えることの重要性を学ん でいただきたい。 る。同様の問題は、わが国では「契約準備段階の信義 則」として語られることも多く、とりわけ、昭和 50 1 契約締結上の過失とは 年代以降には、交渉破棄事例に関して、多くの裁判例 ( 1 ) 意義 が集積されている ( 河上・後掲「契約の成をめぐって ( 1 ・ (a) 契約上の過失王侖の意義 2 完 ) 」、同「わが国裁判例にみる契約準備段階の法的責任」 契約交渉段階に入った当事者は、なんら特別の関係 千葉大学法学論集 4 巻 1 号 [ 1989 年 ] ) 。さらに、既に見た、 情報提供義務や説明義務、相手方の利益顧慮義務、不 のない者同士の出会い頭の関係とは異なり、いわば契 当勧誘行為に対する規制理論など、交渉過程での当事 約成立に向けて協力し合うパートナーとして比較的濃 者の信義則上の諸義務の源泉としても「契約締結過程 密な関係にあり、互いに、相手方に不要な出費や損害 を与えないように配慮すべき信義則上の義務に服し、 の過失」カ語られることもある。 自己の責めに帰すべき事由によって、その義務に違反 契約が既に成立した場合は、できあがった契約規範 の「前倒し」と考えることも不可能ではないが、契約 し、相手方に損害を生じさせた場合には、契約責任類 が成立しないで終わった場合には、その法的性質は「契 似の責任を負う。それは、契約法を支酉ける信義則の 約類似の」特殊な様相を帯びるため、契約責任か、不 契約前段階への時間的拡張といってもよい。この責任 法行為責任か、それとも信義則に支配された第 3 カテ が肯定される理論的根拠として語られるものが、「契 ゴリーの責任かをめぐって争われてきた。しかし、 約締結上の過失 ( 翩加 c 。厩耀ん面 ) 」である。わ の問題は、「契約の成立」を如何なるものと考えるか が国には、契約準備交渉段階での過失ある行為につい ての特別の規定は存在せず、この法理は、 R. v. イエ にも左右される。主たる給付の履行義務の確定的発生 を基軸に「契約の成立」や契約責任の発生を語るとす ーリンクのげ g ) の名とともに、ドイツ法学からわ が国に学説によって導入された法理である。近時、そ れば、法的には、不法行為責任の一種と考えざるを得 の法的性質や評価をめぐっては多くの議論があり、今 ないものであるが、「予約」や「中間的合意」、履行義 日では、むしろ問題となる場面ごとの分析が進んでい 務とは異なる契約成立に向けた誠実交渉義務について CLASS クラス [ ここでの課題 ] 第 8 節「契約締結上の過失」と「契約準備段階の信義則」
047 バリーの停止」の例が報告されているが ( 藤田 ) ) このような「証拠収集型」の SLAPP を防止できる 制度は、市民にとっては非常に重要となる 12 ) 。 つまり SLAPP を「威圧訴訟」「恫喝訴訟」「いや がらせ訴訟」と訳すのは射程が狭いと指摘したのは、 その趣旨である。 次に SLAPP の L は、 lawsuit として定義されてい ることから、 lawsuit 、すなわち「訴訟」がその対 象である。しかもこの訴訟は、民事訴訟に限られる というのが、現状の An ⅱ SLAPP 法の特徴である。 もっとも「運動弾圧型」「言動制圧型」「運動予防型」 「証拠収集型」という SLAPP の目的や機能を前提に すると、 SLAPP のターゲットは、決して「民事訴訟」 に限る必要はないと思われる。 たとえば筆者は、たびたび SLAPP とともに、弁 護士会への懲戒請求を受けてきた。この懲戒請求手 続も、請求する側から言えば、民事訴訟以上に費用 はかからず、対象弁護士から、早期に手持ち証拠 ( 弁 護士の言動は、依頼者からの聴取内容を基礎とするの が通常である ) を入手でき、依頼者と代理人弁護士 との信頼関係を分断する可能性を持つ。 この点、重要と考えるので、項を分けて論じたい SLAPP の限界———SDAPP について 懲戒は、英語で、 Disciplinary action ということ から、筆者は、この種の懲戒請求を、 SLAPP と区 別する意味で、国内外で、 SDAPP と呼ぶことにし ている 13 ) つまり SLAPP は、市民の公的参加の妨害排除を 企図する (against public participation) 点に本質が あるというべきである。 この点、本来 lawsuit は民事訴訟に限られない。 刑事訴訟は、 criminal lawsuit と言われることもあ る。つまり Anti SLAPP 法が、現状民事訴訟に限ら れるのは、歴史的経過を反映したものに過ぎないと 考えるべきである。 SLAPP においては、「 public participation 」、つまり「公的参加」概念が重要で あり、「公的参加」を「公的意見表明」 14 ) と訳すと、 対象が狭くなりすぎると思われるのは、 こうした理 由からである。市民の公的参加の排除を企図する (against public participation) ものであれば、将来、 立法事実さえあれば、 SLAPP の適用範囲が拡大し [ 特集引スラップ訴 ていく可能性もあり、 SLAPP は、法的概念である と同時に、動態的・運動的な概念ととらえるべきで あり、あまり定義を厳密にしすぎると、将来の法の 発展の芽をそぐことになりかねない。 実際、 SLAPP と併行する形で、弁護士に対して、 この種の懲戒請求が頻発する原因としては、他士業 ( 公認会計士、司法書士等 ) に比較して、そもそも弁 護士業務は、直接紛争解決を関与する業務であり、 当事者の紛争に巻き込まれやすいという構造があ り、同時に、弁護士は、依頼者の利益を守る最後の 砦であり、弁護士が委縮すれば市民の権利はさらに 委縮するという関係性にある。 すなわち弁護士の弁護活動は、公益性があるもの として、 SLAPP の対象とすべき立法事実は明白に 存在するものと思われる 15 ) 名誉棄損法理の修正 以上を前提に、 SLAPP を抑止・救済するための 法的課題の検討を行うことにする。①不当提訴法理 の修正、②現実の悪意の法理については、既に小園、 イ飛が論じているところである。そこで本稿では、 別の観点からの③名誉棄損法理の修正を論じたい。 裁判所は、メディアの報道を高額な損害賠償に問 う基準を 2001 年に判例タイムズに公表する形で、 機に推し進めた 17 ) 。この前後で裁判所の認める損害 賠償の額は、 100 万円程度の金額から一気に 500 万円 以上と高騰した。問題はこの基準を一般市民にその まま適用すれば、高額な損害賠償請求により、メデ ィア以上に、市民の公的参加は、萎縮させられると いうことである。 言うまでもなく、市民の知る権利が確保されなけ れば、市民は選択権を失う。市民の知る権利が十分 に確保されるためには、市民→社会 ( インターネッ トやマスコミも含む ) →市民という情報の流れが閉 塞することなく、滞留することなく流れることが必 須条件だと思われる。いずれの段階でも萎縮効果が 生ずれば、表現の自由は死滅してしまう。 しかしながら損害賠償額を高額化する形で、表現 の自由を抑止することを選択した裁判所は、他方、 その病理を修正するための名誉棄損法理の修正をい まだにしようとはしない。 らあめん花月事件で問題となったのは、まさに
026 ④回収ノルマが厳しく、怖がって家から出てこな 経済的にも苦しくなった。支援者がはげましてくれ たのは大きな力となった。むろん、弁護団の力も大 い債務者がいるとドアをたたいて「迷惑だ」など きかった。なにより『週刊金曜日』が弁護士費用を となじったという元社員の証言 負担してくれなければ訴訟を続けられたかどうかわ ⑤「払わないと娘さんの名誉が傷つきますよ」と 言って債務者ではない親から回収したという元社 からない。 そうやって裁判をやりながら違和感を覚えた。裁 員の証言 判官の顔色をみながら記事について言い訳をするよ ⑥利息の過払いが発覚した場合はその分が回収の うな審議。結局裁判官のさじ加減次第で判決はいか ノルマに上乗せされたという元社員の証言 ようにもなるということではないか。 ⑦過払いと知りながら回収した顧客が強盗をして 勝訴したのは幸運だった。 捕まったという元社員の証言 ⑧顧客が自殺で死亡すると保険で債務が清算され 一方で、武富士が起こした訴訟は訴訟権を濫用し た不当提訴であるという趣旨の反撃訴訟を起こし、 るので職場がわいたという元社員の証言 こちらも 120 万円の損害賠償を勝ち取った。 ⑨武井保雄会長に宛てたお礼の手紙を茶封筒に入 れたことが原因で、上司に胸倉をつかまれて詰問 訴訟手続きだけをみれば完全勝利である。しかし 名誉棄損訴訟というものが、苦労して勝ったとして されたという元社員の証言 ⑩顧客の債務を社員に負わせる「債務保証書」を もまったくむくわれないことを知った。もういちど 同じような裁判を起こされれば廃業を考えざるを得 書かされたという元社員の証言 なくなる。もはや職業として成立しない。フリ ⑩利息計算書を改ざんして過払いをごまかしたと 者をつぶすのはじつに簡単だ。そう実感した。 いう元社員の証言 じつは、筆者は武富士に訴えられた 2003 年当時、 ⑩「親が払うのが当然だ」と言われて債務者では テレビの制作会社に籍を置き、ドキュメンタリー番 ないのに払ったという女性の証言 組を作っていた。ところが訴えられた直後、辞める ⑩顧客とのやり取りを記録した文書を改ざんした よう突然言い渡された。スポンサーを刺激して仕事 という元社員の証言 を失いたくないと経営者が不安になった可能性がた ⑩成績が悪い社員が集められて罵声を浴びせられ かい。収入はがくんと減った。 たという元社員の証言 こうした「被告」の姿は、新聞など大メディアに これらすべてに対して、武富士は根拠も示さず「ウ 対して絶大な見せしめ効果をもたらしたことだろ う。武富士との裁判が決着したのち、サラ金が大き ソだ」と言い続け、筆者は「ウソではない」と反論 な社会問題になって連日新聞で大きく報じられるよ することを強いられた。労力の大きさもさることな がら、取材対象者に協力を求めざる得ないことが負 うになった。だが大手企業の実名入りで報じること 担になった。匿名で証言してもらった取材対象者の はまれだった。 「なぜ会社名を入れて批判しないのか」 協力なしには「真実性」「真実相当性」の立証がで そう尋ねたところ、ある新聞記者は苦笑しながら きない。しかし、それを求めるのは取材時の約東を っ言ったものだ やぶることになりかねない。 幸い取材協力者は「武富士はウソをついている。 現実問題として、サラ金の企業名を報じたところ 許せない」と協力を申し出てくれた。それが無けれ で訴えてくる可能性はなかった。万が一訴えられた ば敗訴していたであろう。武富士の訴えはつぎつぎ としても彼が失業するわけでもない。おかしなこと に論破された。「ひどい取り立てを受けた」と訴え を言うものだと思った。だが、それが正直な感覚な る元顧客に対し、武富士代理人はとうとう「虚言癖 のだろう。裁判を抱えれば社内で問題になり、立場 がある」とまで言ってのけた。 裁判を起こされて以降、常に裁判のことが頭にあ が悪くなるのはまちがいなかった。彼が特殊なわけ り、精神的に余裕を失った。武富士以外のことは考 ではなく、訴えられたら困るという意識をどの新聞 えられない毎日となった。仕事が手につかなくなり、 己者も多かれ少なかれ持っていた。 「訴えられたら困る。三宅さんのように強くない」 一三ロ
023 い。」、「住民説明会において住民がそのような危惧 を述べるに際して、その危惧する内容に科学的根拠 がなければならないということはない」などと判示 し、 H さんの行為に違法性はないとした。当然の事 実認定と法的判断である。 [ 2 ] 反訴請求についての裁判所の判断 判決は、前記最高裁判決の論理を前提とし、以下 のような判断を重ねたうえで「本件訴えの提起は、 裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠く ものと認められる」と判示した。 「住民説明会において、住民が科学的根拠なくそ の危惧する影響や危険性について意見を述べ又はこ れに基づく質問をすることは一般的なことであり、 通常は、このことを問題視することはないといえる」 「このような住民の反対運動に不当性を見出すこ とはないのが一般的であるといえる」 「少なくとも、通常人であれば、被告の言動を違 法ということができないことを容易に知り得たとい える」 「 A 区画への設置の取り止めは、住民との合意を 目指す中で原告が自ら見直した部分であったにもか かわらず、これを被告の行為により被った損害とし て計上することは不合理であり、これを基にして一 個人に対して多額の請求をしていることに鑑みる と、原告において、真に被害回復を図る目的をもっ て訴えを提起したものとも考えがたいところである」 K 建設は、 H さんに対して損害賠償請求をしなけ れば株主から責任を問われかねないとか、提訴が不 法行為とされれば被害者が損害賠償請求訴訟を提起 するのを萎縮し、その結果憲法で保障された裁判を 受ける権利が侵害されることになるなどと主張し て、反訴請求が容認されることを回避しようとした。 しかし判決は、丁寧に事実を認定して、最高裁判 決の示す狭い要件 ( とくに主観的要件 ) をクリアーし、 H さんの請求する慰謝料 50 万円を容認した。 スラップ訴訟を抑止するために 必要なこと 判決書全文と評釈は、判例時報平成 28 年 6 月 11 日 号 No. 2291 に掲載されている。評釈が「本件は、い わゆる伊那太陽光発電スラップ訴訟についての判決 であり、裁判所が、 K 建設の訴え提起は、裁判制度 [ 特集引スラップ訴訟 の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠くとして、 反訴請求を認めたところに意義が認められる事案で ある」としているのは、そのとおりである。しかし、 問題は残っている。 その一つは、スラップ訴訟が違法として認められ るためには前記最高裁判例の論理にとどまってよい のかということである。本件は、 H さんの行動や発 言内容がきわめて平穏であって、なんら違法性が認 められない事案であったから、最高裁の論理に従っ ても提訴が違法であるとの結論を得られたが、仮に、 H さんの行動や発言内容が、より激しく、平穏を欠 くようなものであった場合は、提訴が違法であると の判決が得られたであろうか。判決でも、又評釈で も指摘しているが「もっとも、その発言が、誹謗中 傷など不適切な内容であったり、平穏でない態様で された場合などには違法性を帯びるとの規範を示し た」ことは見逃せない問題である。 どこまでが違法性を帯び、どこまでが違法性がな いといえるのか、本判決はなんらの具体的基準を示 していない。 力を持った企業、国や地方自治体などの行為の合 法性・相当性とそれに対峙する住民の運動や行為の 合法性・相当性との対比のなかで、スラップ訴訟提 起の合法性・違法性の判断がなされるのであろうが、 その判断基準を設定することはそう容易ではないで あろう。 もうーっの問題は、本件で反訴請求が認められ、 慰謝料として 50 万円が認められたことは確かに大き な意義があったが、慰謝料が 50 万円では、大きな経 済力を持った企業にとってそれほど負担ではなく、 スラップ訴訟の提起を抑止するには、きわめて不十 分ではないかということである。 反訴請求の認容は、それだけでは、経済力をもっ た企業などに対するスラップ訴訟抑止効果をあまり 発揮しないであろう。本件でも、 K 建設は控訴せず、 すぐに慰謝料 50 万円の支払をしてきた。しかし、 K 建設が、本件スラップ訴訟を提起したこと自体を社 会的に反省したとは、その後の経過から見て認めら れない。 スラップ訴訟の提起を抑止するには、反訴請求を 認めさせるという現行民事法の枠組だけでは無理で あろう。新しい法的枠組みが必要であると思われる。 ( きじま・ひでお )
' ! ハ小ル回イヤル 095 務の履行がなされており、加盟店規約に基づき、カ ード会社は加盟店に対する立替払いを拒むことがで きない場合、さらに、会員規約に基づき、カード会 員はカード会社に対する代金相当額の支払いを拒む ことができない場合には、その限りにおいて、 X は、 B 店の店員 C を欺罔することによって、加盟店であ る B 店とカード会社である A 社を介して、名義人 D に財産的損害を負わせたと解することができるので はないだろうか。この点に着目すると、名義人 D を 被害者とする 2 項詐欺罪の成立も認めることができ ると思われる 18 。なお、 X が商品を得たことと、そ の代金支払いを免れたことは、財産侵害の点から表 裏一体の関係にあり、また、加盟店の財産的損害は カード会社による立替払いによって填補される関係 にある。したがって、被害者は別個に存在するが、 先行の 1 項詐欺罪は後行の 2 項詐欺罪に対する不可 罰 ( 共罰 ) 的事前行為として処理するか、両者を ( 混 合的 ) 包括一罪として処理すれば十分と思われる。 規範と事実のブリッジ [ 1 ] 名義人の承諾がある事例 前述したように、他人名義のカードを不正に使用 した場合、名義を偽った点を捉えて加盟店に対する 詐欺罪、あるいは、名義人に対する詐欺罪の成立を 検討することになる。この場合において、名義人が 第三者にカードを渡し、その使用を認め、その使用 に関する代金相当額の支払いを実際に行っていたと して、それにもかかわらずその第三者に詐欺罪の成 立を認めることは妥当であろうか。というのも、 の場合にも加盟店に対する欺罔行為があるようにみ えるが、加盟店はカード会社より立替払いを受け、 カード会社は名義人より代金相当額の支払いを受け る以上、結果的に、通常みられるカードの使用事例 の決済と何ら変わりはないからである。具体的には、 次のような事例が想定される。 【事例 3 】 カードの名義人 D は、自己名義のカードを自 己の配偶者 X に渡して、日常生活に関する支払 いをそのカードで決済させていた。 D は、 X が 過度にそのカードを使用して、自己の支払能力 が超えることがないよう、 X のカード使用を日 常的に管理しており、また、カードの使用限度 額を比較的低く設定していたが、実際にカード 会社 A 社の請求に基づく口座引き落としが滞る ことはなかった。 【事例 4 】 カードの名義人 D は、 X ら友達数人とホーム パーティーを開くことにしたが、 X に自己名義 のカードを渡して、そのパーティーのための買 い出しを X にまかせた。パーティーにかかった 費用総額については D が負担することになって おり、後日、 D は、 X の当該カード使用にかか わるカード会社 A 社の請求について口座引き落 としによって決済した。 【事例 5 】 カードの名義人 D は、日ごろから面倒をみて いる知合いの X に自己名義のカードを渡して、 そのカードを自由に使用することを認めていた が、 X が実際にどのような商品やサービスをカ ードの使用によって得るのかについては関心が なかった。 X は、そのカードを使用して B 店の 店員 C から高額なワインを購入した。カード会 社 A 社は、 X に対して、そのワイン購入に基づ く代金相当額を支払うよう D に請求したが、そ の金額は支払い期日に D の口座から引き落とさ れた。 一般的にカードの会員規約によると、カード会員 は、自己の家族であろうとなかろうと第三者に自己 名義のカードを渡してはならず、カードの加盟店規 約によると、カードの使用者と名義人が異なる場合 は、加盟店はそのカードの使用を拒絶しなければな らない。名義人本人に対する信用の供与がクレジッ トカード制度の基礎にあるのであるから、加盟店、 さらにはカード会社にとって、使用者と名義人の同 一性は重要な関心事項である。したがって、【事例 3 】 などの事例において、 X は、加盟店に対して欺罔行 為を行っていると評価されることになる。しかし、 これらの事例では、いずれの取引も D の口座から引 き落とされることによって最終的に決済がなされて いる点が問題である。これらの事例を検討する上で
公共空間を考える一一技術者として法を語る 051 の次元にあるかのような美しさが、生々しい戦 闘の情景を描く絵画とはまた違った危なさを感 じさせる。 アメリカにいた⑤国吉康雄は、頭と足先を切 り取られた木馬が空に跳び上がる姿勢で立つ、 世界の混乱と喪失感そのものを表象するかのよ うな油彩画を制作した。荒涼たる風景は、欠落 と違和感から成るこのイメージに翳りを加え る。木馬は、理性的な判断を失い断末魔の状態 にある軍国日本を象徴するのだと指摘される。 当時の彼のほかの作品同様、戦時下の憂鬱な心 情を表現した秀作であり、そういう心情は日本 の松本竣介も共有するものだった。しかし、ど れほど魅力的な作品であろうと、画家にこうし た絵画を描かせる時代を二度ともたらしてはな らない。 これに対して受験者のひとりから 7 月 26 日付けで 次のようなメールが放送大学に届き、学生の疑義と して 28 日に私に転送された。 日本美術史の試験問題の最後の問いにおいて現政 権への批判ともとれる文章がありました。別にそ の問題を作成した人物の主義主張は自由ですが多 くの受験者の目に触れる試験問題で現在審議が続 いているものに対する事案に対して思うことはあ ってもこのような事をするのは問題だと思いま す。正に教育者による思想誘導と取られかねない 愚かな行為だと思われます。我々、いや少なくと も私は日本美術史の試験を受けに行ったわけで出 題者の主張を見に行ったわけじゃありません。今 後こういったことのないようにしていただけませ んか ? 今回の件は非常に残念に思います。 大学の単位認定試験係への私の回答は、この抗議 は受け付けないというものだった。問題文の趣旨に 賛同するにせよ反対するにせよ、それによって答に 差が出る問題ではなく、普通に教材を学んでいれば 解答できるし、何ら思想的な誘導には当たらない。 試験問題として不備はないので対応する措置もな い、と答えた。「学生には、戦前・戦中期の美術に ついて考えるのに現在の時点からの批判的な意識を 持ってほしいとは望みますが、そういう意識がなく とも知識があれば答えられる問題です」ともメール には書いている。実際、④の山崎隆が山口蓬春の誤 りであるのに気づくのはごく容易であり、正答率も 高かった。 敷衍するなら、「日本美術史」の第 1 回のテレヴ ィジョン放送授業で私は、美術は本来人間が生きる ことにつきものなのであり、美術史は人が生きるこ との根本に関わる、だれにとっても関係のある問題 を考えるものなのだと述べている。美術を自分たち の生活とは関係のない特別なもの、贅沢品のように 見なしがちな現代人に対して、私たちのだれもがイ メージとともに暮らしている事実を想起させる発言 であった。 同じ趣旨により、単位認定試験問題にはしばしば 時事的な話題を登場させた。興福寺の「阿修羅像」 が東京や福岡の博物館に陳列されて観客が長蛇の列 を作ったことに憂慮を示す発言がある。「アニメば かりが外国で人気を呼び注目されるが、伝統的な日 本美術の魅力ももっと海外にアピールすべきだ」で 始まる文章を提示し、その文章には「日本美術を称 揚しようとするあまり歴史的な事実の誤りが多い」 のでそれを指摘せよとする設問は、軽薄なクールジ ャパン政策への批判が下地にある。尾形光琳の「紅 白梅図」 (MOA 美術館 ) で金地に見えるところは実 は金箔を貼っていないと主張したり、写楽をいつま でも「謎の浮世絵師」と呼んだりするテレビ番組を 揶揄した一方で、 NHK の大河ドラマ「平清盛」を 賞賛しつつ関連する美術品について問うたこともあ った。掲出した問題のひとつ前の問 11 でも、漫画の 「へうげもの』における長谷川等伯や岩佐又兵衛の 描き方を非難している。当該の問題文の導入部は、 いうまでもなく国会で審議中だった安保関連法案や 近年の社会情勢を踏まえて書かれているが、それは これらの例と同様に、学生が身近な事柄に引き寄せ て日本美術史を考えてほしいというメッセージにほ かならない。けっしてここで初めて問われた種類の 唐突な設問ではないことをお断りしておく。 2 ー放送大学執行部の通告 先の回答で単位認定試験係は納得したのだが、そ の後、副学長の宮本みち子氏から 8 月 3 日付けの書 状が届いた。前述の学生からの疑義と私の回答を執
031 集団のあるべき基準を外れた状態になること」とい う通念がきわめて強い。これはほとんど無意識的な もので、私自身、内省してみると、そうした通念を 免れてはいないことに気付く。「元裁判官、現民事 訴訟法・法社会学の研究者、自由主義者、個人主義 者、プラグマティスト」の私でさえそうなのだから、 こうした通念は非常に 平均的な日本人の場合には、 強いはすだ。そして、こうした通念によって、スラ ップ訴訟の被告にされた人の内面は、さいなまれ、 孤立化と疎外が進むことになる。 スラップ訴訟が蔓延すると、内部告発をしようと していた人々は、それをためらうようになる。市民 運動や住民運動もできにくくなる。言論全般が萎縮 し、マスメディアも、大きなところほどそうしたリ スクを避けるようになる。ライターたちは、社会や 政治の批判を行う際には常に名誉毀損の可能性を意 識しなければならなくなるし、編集者も同様である。 「ニッポン」にも記したとおり ( 138 頁 ) 、たとえば、 有名な人物の批判的な評伝を書くことなど、こうし た訴訟のリスクを考えるなら、ほば不可能になって しまう。長い評伝の中には当然対象者の名誉に関わ る事柄が多数入ってくるし、そのすべてについて真 実性や相当性の厳密な立証を行うことなど、実際上 不可能だからである。さらに、裁判官がおおむね「強 いものの味方」であり、「スラップ訴訟の弊害にも 無感覚」であるとすれば、なおさらのことである。 一方、スラップ訴訟を提起した側は、請求原因事 実を整理し、弁護士費用さえ負担すれば、運動制圧、 言論制圧という、経済効果に換算すれば莫大な利益 を得ることができる。前記のとおり、勝訴しなくと も、恫喝目的の達成は十分に可能なのだ。司法のカ を利用しての安上がりな運動制圧、言論制圧の実現 というこうした事態は、まさに「正義と公正」の対 極にあるものであり、だからこそ、アメリカの多く の州 ( スラップ訴訟の弊害が大きい州、つまり人口や 産業集中の程度が高い州については大半といってよい ) では、スラップ規制法が制定されたのだ。 付け加えれば、メディア、ことにマスメディアの あり方にも問題が大きいことも、「ニッポン」に記 したとおりである ( 287 頁以下 ) 。繰り返すことは避 けるが、事なかれ主義、事大主義的傾向が蔓延して いる。私自身、あるメディアから取材を申し入れら [ 特集引スラップ訴訟 れ、「あなたのところでは僕のこういうコメントは 載せられないんじゃないの ? 」と尋ねたのに、「いや、 大丈夫です」というのでそれならと取材に応じたら、 案の定、「デスクに削られました」ということにな ったなどなど、マスメディア不信におちいるような 事態は、かなりの数経験している。 にもかかわらず、一旦ほかの媒体がある対象を叩 き始めると、今度は、先を争って我も我もと追随す る。そして、こうした対象は、「本当に権力をもっ ているわけではない人間」である場合が多い。つま り、「安心して叩ける」というわけだ。「日頃は猛大 の顔色をうかがい、川に落ちてから一斉に叩く」と いう記述が「ニュース」 ( 30 頁〔藤倉善郎〕 ) にあるが、 私のみるところでは、本当の猛大はほとんど批判の 対象にならす、したがって「川に落ちる」ことすら ないというのが、日本の現状ではないだろうか。 メディアと権力の結び付きの進行という事態は、 アメリカのみならす、日本でも確実に進んでいる。 「国境なき記者団」の世界報道自由度ランキングに よれば、日本は、 2010 年には 11 位であったのに 2016 年には、何と 72 位にまで下落している。ちなみ に、 2016 年の順位を見ると、軍産複合体の肥大と政 治支配によりメディアコントロールの進んでいるア メリカでさえ 41 位、近いところの国では、香港が 69 位、韓国が 70 位で日本よりは上、いわゆる先進国で 日本より下位にあるのはイタリアだけ ( 77 位 ) とい う惨状である。 2011 年の福島原発事故後、また、安 倍政権の下で、メディアコントロールがアメリカ以 上に進んでいる可能性については、よくよく意識し ておく必要があるだろう。ヴァラエティー番組など 見て笑っていられる状況ではないのである。 規制法立法の実現可能性 最後に、立法論にふれておきたい。 まず、スラップ訴訟については、アメリカの多く の州同様に、スラップ規制法が必要である。 たとえば、最も有名なカリフォルニア州の立法で は、被告がスラップ訴訟であるとの申立てをすれば、 裁判所が予備審を開き、原告に対して勝訴の見込み が 50 パーセント以上であることの疎明をさせ、疎明 ができなければ訴えは棄却され、弁護士費用はすべ て原告の負担とされる ( 「ニュース」 6 頁〔青木歳男〕 ) 。
刑事訴訟法の思考プロセス 105 相当」とするにとどまります。この問題については、 東京高判昭 44 ・ 6 ・ 20 高刑集 22 巻 3 号 352 頁がよく 挙げられます。本件は、被疑者を、ホテル 5 階の「な かば公開的な待合所」で大麻たばこ所持の被疑事実 で現行犯逮捕したのち、被疑者から、司法警察職員 に対し、自身と知り合いが宿泊している同ホテル 7 階 714 号室の自身の所持品を携行したいとの申し出 があったので、司法警察職員もこれに同行し、 714 号室を捜索し、大麻たばこなどを発見したので差し 押さえたという事例でした。本判決は、「逮捕の現場」 について、「逮捕の場所には、被疑事実と関連する 証拠物が存在する蓋然性が極めて高く、その捜索差 押が適法な逮捕に随伴するものである限り、捜索押 収令状が発付される要件を殆んど充足しているばか りでなく、逮捕者らの身体の安全を図り、証拠の散 逸や破壊を防ぐ急速の必要がある」とのいう理由の 認められる「時間的・場所的且っ合理的な範囲に限 られるものと解するのが相当」であるとしたうえで、 「被疑者の逮捕と同たばこの捜索差押との間には時 間的、場所的な距りがあるといってもそれはさした るものではなく」、「また逮捕後自ら司法警察員らを 引続き自己と被告人の投宿している相部屋の右 714 号室に案内していること」、「検挙が困難で、罪質も よくない大麻取締法違反の事案であること」などの 事情を挙げ、「『逮捕の現場』から時間的・場所的且 っ合理的な範囲を超えた違法なものであると断定し 去ることはできない」としました。 相当説からすると、「逮捕の現場」は、逮捕され た 5 階待合所はホテルの管理権と同一の管理権が及 ぶ範囲 ( ロビーや廊下、洗面所、誰も宿泊していない 部屋など ) となるのに対し、上記 714 号室にはホテ ルの管理権とともに宿泊者の管理権・使用権が及ぶ ところ後者が優位するので「逮捕の現場」に含まれ ず、本件の無令状捜索・差押えは違法と評価される はずです。これに対し、本判決は、同じホテル内で あることやホテルの管理権は及んでいること、逮捕 の被疑事実に関する証拠存在の蓋然性に加え、逮捕 後の被逮捕者の承諾や事案の性質なども考慮し、「逮 捕の現場」を同一の管理権が及ぶ範囲を超えた「合 理的範囲」と理解している可能性があります。しか し、相当説は、「同一の管理権が及ぶ範囲」という 客観的な限界設定によって、捜査機関の恣意的な判 断に基づく無令状捜索・差押え等を防止しようとす る見解といえます。本判決の論理は、「合理的範囲」 の名のもとに、捜査機関の恣意的な判断に基づく捜 索・差押えを認めることになりかねず、憲法 35 条の 趣旨からも疑問です。現在は、本判決について、実 務の立場からも、同一の管理権が及ぶ範囲を超えた 無令状の捜索・差押え等は許容されるべきではない との批判が有力になされています 7 なお、実務では、証拠存在の蓋然性という根拠か ら、逮捕が最終的になされた場所だけでなく、逮捕 着手から完了までの各行為が行われた場所 ( 被疑者 が追跡されている途中に通過したと合理的に見られる 道路や家屋、庭園内、さらには被疑者が証拠物を投げ 込んだと認められる第三者宅など ) も、「逮捕の現場」 に含まれるとされています 8 。これも、相当説から 説明可能なのか慎重な検討が必要です。 無令状捜索・差押え等に対する法的規律その 2 ー緊急処分説 ( 1 ) 判例や裁判例を中心とする実務の論理は、相 当説に近いものといえますが、厳密には相当説に比 べ、 ( 当該現場での必要性・緊急性も考慮して ) 時間的・ 場所的範囲を緩やかに解しているように見えます。 そうすると、相当説以上に問題が多いといえるでし よう。では、無令状捜索・差押え等について、別の 趣旨説明はできないのでしようか。第 2 の趣旨の理 解は、①逮捕の現場には証拠が存在する蓋然性が高 いことを前提としたうえで、当該証拠が逮捕される 者によって隠滅されるという緊急事態を防止するた めに、当該証拠を保全することに加え、②逮捕の際 の逮捕される者による抵抗を抑圧し、逃亡を防止す るとともに、逮捕する者の身体の安全を確保するた めに武器や逃走に役立つ道具を保全する必要がある から、無令状の捜索・差押えは認められているとす るものです ( 緊急処分説 ) 9 ) この見解によれば、無令状捜索・差押えは、令状 により対応する余裕のない例外的な緊急事態 ( 時間 的限界 ) 、証拠隠滅の可能性のある範囲や武器・逃 走に役立つ道具が用いられる可能性が認められる範 囲に限定されることになります ( 場所的限界 ) 。この 見解は、無令状捜索・差押え等を、「逮捕する場合」 の証拠隠滅や逮捕妨害行為という緊急事態に対応す る処分と位置づけているといえます。それゆえ、そ の法的規律としても、純粋な証拠保全・収集とは異 なり、緊急事態への対応として必要な限りでの時間