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1. 法学セミナー 2016年10月号

刑事訴訟法の思考プロセス 105 相当」とするにとどまります。この問題については、 東京高判昭 44 ・ 6 ・ 20 高刑集 22 巻 3 号 352 頁がよく 挙げられます。本件は、被疑者を、ホテル 5 階の「な かば公開的な待合所」で大麻たばこ所持の被疑事実 で現行犯逮捕したのち、被疑者から、司法警察職員 に対し、自身と知り合いが宿泊している同ホテル 7 階 714 号室の自身の所持品を携行したいとの申し出 があったので、司法警察職員もこれに同行し、 714 号室を捜索し、大麻たばこなどを発見したので差し 押さえたという事例でした。本判決は、「逮捕の現場」 について、「逮捕の場所には、被疑事実と関連する 証拠物が存在する蓋然性が極めて高く、その捜索差 押が適法な逮捕に随伴するものである限り、捜索押 収令状が発付される要件を殆んど充足しているばか りでなく、逮捕者らの身体の安全を図り、証拠の散 逸や破壊を防ぐ急速の必要がある」とのいう理由の 認められる「時間的・場所的且っ合理的な範囲に限 られるものと解するのが相当」であるとしたうえで、 「被疑者の逮捕と同たばこの捜索差押との間には時 間的、場所的な距りがあるといってもそれはさした るものではなく」、「また逮捕後自ら司法警察員らを 引続き自己と被告人の投宿している相部屋の右 714 号室に案内していること」、「検挙が困難で、罪質も よくない大麻取締法違反の事案であること」などの 事情を挙げ、「『逮捕の現場』から時間的・場所的且 っ合理的な範囲を超えた違法なものであると断定し 去ることはできない」としました。 相当説からすると、「逮捕の現場」は、逮捕され た 5 階待合所はホテルの管理権と同一の管理権が及 ぶ範囲 ( ロビーや廊下、洗面所、誰も宿泊していない 部屋など ) となるのに対し、上記 714 号室にはホテ ルの管理権とともに宿泊者の管理権・使用権が及ぶ ところ後者が優位するので「逮捕の現場」に含まれ ず、本件の無令状捜索・差押えは違法と評価される はずです。これに対し、本判決は、同じホテル内で あることやホテルの管理権は及んでいること、逮捕 の被疑事実に関する証拠存在の蓋然性に加え、逮捕 後の被逮捕者の承諾や事案の性質なども考慮し、「逮 捕の現場」を同一の管理権が及ぶ範囲を超えた「合 理的範囲」と理解している可能性があります。しか し、相当説は、「同一の管理権が及ぶ範囲」という 客観的な限界設定によって、捜査機関の恣意的な判 断に基づく無令状捜索・差押え等を防止しようとす る見解といえます。本判決の論理は、「合理的範囲」 の名のもとに、捜査機関の恣意的な判断に基づく捜 索・差押えを認めることになりかねず、憲法 35 条の 趣旨からも疑問です。現在は、本判決について、実 務の立場からも、同一の管理権が及ぶ範囲を超えた 無令状の捜索・差押え等は許容されるべきではない との批判が有力になされています 7 なお、実務では、証拠存在の蓋然性という根拠か ら、逮捕が最終的になされた場所だけでなく、逮捕 着手から完了までの各行為が行われた場所 ( 被疑者 が追跡されている途中に通過したと合理的に見られる 道路や家屋、庭園内、さらには被疑者が証拠物を投げ 込んだと認められる第三者宅など ) も、「逮捕の現場」 に含まれるとされています 8 。これも、相当説から 説明可能なのか慎重な検討が必要です。 無令状捜索・差押え等に対する法的規律その 2 ー緊急処分説 ( 1 ) 判例や裁判例を中心とする実務の論理は、相 当説に近いものといえますが、厳密には相当説に比 べ、 ( 当該現場での必要性・緊急性も考慮して ) 時間的・ 場所的範囲を緩やかに解しているように見えます。 そうすると、相当説以上に問題が多いといえるでし よう。では、無令状捜索・差押え等について、別の 趣旨説明はできないのでしようか。第 2 の趣旨の理 解は、①逮捕の現場には証拠が存在する蓋然性が高 いことを前提としたうえで、当該証拠が逮捕される 者によって隠滅されるという緊急事態を防止するた めに、当該証拠を保全することに加え、②逮捕の際 の逮捕される者による抵抗を抑圧し、逃亡を防止す るとともに、逮捕する者の身体の安全を確保するた めに武器や逃走に役立つ道具を保全する必要がある から、無令状の捜索・差押えは認められているとす るものです ( 緊急処分説 ) 9 ) この見解によれば、無令状捜索・差押えは、令状 により対応する余裕のない例外的な緊急事態 ( 時間 的限界 ) 、証拠隠滅の可能性のある範囲や武器・逃 走に役立つ道具が用いられる可能性が認められる範 囲に限定されることになります ( 場所的限界 ) 。この 見解は、無令状捜索・差押え等を、「逮捕する場合」 の証拠隠滅や逮捕妨害行為という緊急事態に対応す る処分と位置づけているといえます。それゆえ、そ の法的規律としても、純粋な証拠保全・収集とは異 なり、緊急事態への対応として必要な限りでの時間

2. 法学セミナー 2016年10月号

041 この観点から、表現行為を対象とする訴えの提起 の違法性を判断するための要素として、当該表現行 為の公共性・公益性の高さを組み込むべきである。 具体的には、次のような要件設定が考えられよう。 第一案 : 本最判が提示した主観的違法要素から「容 易に」を削る。この場合、反訴を提起する被告は以 下の要件を主張立証すべきこととなる。 ①提訴対象が表現行為であること ②当該表現行為が公共性・公益性の高いもの であること ③提訴者の主張した権利等が事実的、法律的 根拠を欠くものであること ④提訴者が③を知り又は知りえたのにあえて 訴えを提起したものであること 第二案 : 訴えの対象とされた表現行為が公共性・ 公益性の高いものである場合には、本最判が提示し た「訴えの提起が裁判制度の趣旨目的に照らして著 しく相当性を欠く」という規範的要件の充足が推定 されると解する。この場合、反訴を提起する被告が 主張立証すべき要件は以下のとおりとなる。 ①提訴対象が表現行為であること ②当該表現行為が公共性・公益性の高いもの であること ③提訴者の主張した権利等が事実的、法律的 根拠を欠くものであること 第一案は、提訴対象が公共性・公益性の高い表現 行為である場合に、本最判が提示した主観的違法要 素の立証の程度を緩和するものである。 第二案は、提訴対象が公共性・公益性の高い表現 行為である場合に、規範的要件の実質的な立証責任 を原告側に転換するものである。 いずれも原告側の裁判を受ける権利と被告側の表 現の自由との利益調整を図ったものであるが、表現 の自由の重要性に鑑みれば、第二案が採用されるこ とがより望ましいと思われる。 上述した新要件を原告の側からみても、被告の表 現行為が公益性・公共性の高いものであることは比 較的容易に認識可能だと考えられるので、提訴に際 [ 特集引スラップ訴訟 して原告に事実的、法律的根拠につき高度の調査、 検討を要請することになるものではない。 また、そもそも客観的違法要素を満たしていない 場合には反訴は棄却されるので、正当な名誉棄損訴 訟の提起が妨げられることにはならない。 取後に 以上、スラップ訴訟に対する反訴が認容されるた めの要件について検討してきた。しかし、反訴が認 容されても、それだけで直ちにスラップ訴訟に対す る抑止・救済が実現されるわけではない。 第一に、反訴の認容額が低いという現実がある。 本誌でも紹介されている武富士事件では 2 名に対 して各 120 万円、伊那太陽光発電事件では 50 万円で あった。応訴に要した時間や労力や費用、精神的負 担、さらには社会的立場のある人物や大企業などか ら訴えられたことによる社会的評価の低下などを考 えると、認容額が被告の負担に見合うものであると は言い難いのではないだろうか。また、スラップ訴 訟を提起する側にとっても、反訴が認容されても大 した負担にならないのでは、スラップ訴訟の提起を 回避しようとする動機とはならないだろう。 名誉毀損の認容額が高額化している現状からも、 少なくとも原告の請求額に応じた弁護士費用 4 以上 の金額が被告の損害として認められるべきである。 第二に、スラップ訴訟によって応訴の負担を課さ れた被告が、さらに自ら反訴を提起しなければ救済 されない、という制度そのものが、そもそも矛盾を はらんでいる。 問題を根本的に解決するためには、やはりわが国 においても反スラップ法の制定が必要である。 1 ) 加藤新太郎「訴訟上の権利濫用 ( 5 ) ーー訴え提起と不 法行為」別冊ジュリ 145 号 24 頁。 2 ) 最ー小判昭 41 ・ 6 ・ 23 民集 20 巻 5 号 1118 頁。 3 ) 最二小判昭 62 ・ 4 ・ 24 民集 41 巻 3 号 490 頁、最ー小判 平元・ 12 ・ 21 民集 43 巻 12 号 2252 頁、最三小判平 9 ・ 9 ・ 9 民集 51 巻 8 号 3804 頁。 4 ) 原告の設定した請求額によって被告の弁護士費用が 決まるのであるから、原告の請求額を基準として弁護士 会の旧報酬会規により算出される金額 ( 例として、請求 額が 208 万円なら 327 万円 + 税 ) を、被告の損害と認定 するべきである。 ( こぞの・けいすけ )

3. 法学セミナー 2016年10月号

039 スラップ はじめに [ 特集引スラップ訴 昭和 63 年判例 ( 最三小判昭 63 ・ 1 ・ 26 民集 42 巻 1 号 1 頁 ) の再検討 ーー抑止・救済のための法的課題の検討 1 弁護士 小園恵介 スラップ訴訟では、批判的言論に対する抑圧の効 力は、提訴時にすでに生じている。言い換えれば、 スラップ訴訟による被害は、訴訟の結果とは無関係 に発生する。そのため、被告がスラップ訴訟に勝訴 することは、被告の被害を救済するための手段とし ては不十分であり、また、原告側のスラップ訴訟提 起に対する抑止ともならない。 そこで、スラップ訴訟に対する抑止・救済の手段 として考えられるのが、原告の提訴が不法行為に当 たるとして、被告から原告に対して損害賠償を求め る反訴 ( または別訴 ) を提起することである。 本稿では、「訴えの提起が不法行為に当たる場合」 に関するリーディングケースとされる最三小判昭 63 ・ 1 ・ 26 民集 42 巻 1 号 1 頁 ( 以下「本最判」という ) について、スラップ訴訟に対する抑止・救済の観点 から検討を行う。 本最判の要旨 本最判は、土地売買に際して測量を行った X の測 量結果に誤りがあったため損害を被ったとして損害 賠償請求の前訴を提起し敗訴した Y に対して、 X が、 Y の訴訟提起が不法行為に当たるとして損害賠償を 求める別訴を提起した、という事案である。 最高裁は、概ね次のとおり判示して、 X の請求を 否定した。 「民事訴訟を提起した者が敗訴の確定判決を受け た場合において、右訴えの提起が相手方に対する違 法な行為といえるのは、 ( ① ) 当該訴訟において提 訴者の主張した権利又は法律関係 ( 以下「権利等」 という。 ) が事実的、法律的根拠を欠くものである 法学セミナー 2016 / 1 0 / no. 741 名誉棄損による損害賠償請求の請求原因は、ほとん させる内容が含まれているであろう。そうすると、 おり、かっ、その言論には原告の社会的評価を低下 この場合、被告による批判的言論は現に行われて 訴訟を提起する、という事例を考えてみる。 原告に対する批判的言論について、原告が名誉棄損 スラップ訴訟の典型的事例として、被告が行った と、どうなるだろうか。 では、本最判の判旨をスラップ訴訟に当てはめる れてよいものと考える。 当たる場合を狭く解した判旨は、一般的には支持さ 調整を図ったものである。訴えの提起が不法行為に の保障と、被告側の不当な応訴負担の回避との利益 本最判は、原告側の裁判を受ける権利 ( 憲法 32 条 ) 0 本最判のスラップ訴訟への当てはめ うことになる 1 ) 。 法要素、②の主観的違法要素を主張立証すべきとい る具体的事実 ( 評価根拠事実 ) として①の客観的違 あるので、反訴を提起する被告は、これを基礎付け 的に照らして著しく相当性を欠く」は規範的要件で 上記判旨にいう「訴えの提起が裁判制度の趣旨目 れる結果となり妥当でないからである。」 するならば、裁判制度の自由な利用が著しく阻害さ 拠につき、高度の調査、検討が要請されるものと解 自己の主張しようとする権利等の事実的、法律的根 る。けだし、訴えを提起する際に、提訴者において、 められるときに限られるものと解するのが相当であ 制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠くと認 のにあえて訴えを提起したなど、訴えの提起が裁判 通常人であれば容易にそのことを知りえたといえる うえ、 ( ② ) 提訴者が、そのことを知りながら又は

4. 法学セミナー 2016年10月号

' ! トル国イヤル 099 を x の損害の内容とすることが考えられる では、 2 項詐欺罪の成立が認められることにな る。しかし、このように考えると、 X における現 実的な財産的損害は、その債務負担に基づく代金相 当額の支払いの時点で発生するのであるから、詐欺 罪の既遂はこの時点に求めるべきであろう。 X が A に対して代金相当額の支払いをなすことにより、 Y は A に対して立替金の返還をなすことを事実上免れ る点に着目して 2 項詐欺罪の成立を認めるべきであ る。これに対して、既遂時期が遅いとの批判も考え られるが、そもそも x にその債務負担に対する支払 意思・能力がない場合には、 A だけが一方的に被害 者の地位にあるのであって、 X を詐欺罪の被害者と することはできない。 X に支払意思・能力がある場 合には、遅くともその債務負担時に詐欺罪の未遂を 認めることができよう。ただし、クレジット契約を 結ぶ時点で X に支払意思・能力があっても、 A に財 産的損害が発生する危険がないと解することはでき ない。【事例 8 】においては架空の取引によってク レジット契約が結ばれている以上、 A は X から支払 いを拒絶されるリスクがあるからである 37 ) この観 点からは、 A において、立替払いをすること自体に 財産的損害の発生を認めることができると思われ 以上から、【事例 8 】においては、 X と Y の共犯 関係に基づき、まず A に対する関係において 1 項詐 欺罪の成立を検討し、それに遅れて、 Y について、 x に対する関係において 2 項詐欺罪の成立を検討す るという処理になろう。これらの詐欺罪において被 害者は別個に存在することから、併合罪として処理 されるようにみえる。しかし、 Y が A から立替金の 支払いを受けることと、 Y が A に対する立替金の返 還を免れることは表裏一体の財産侵害を構成するこ とから、これらの詐欺罪を ( 混合的 ) 包括一罪とし て処理すること默ないしは後行の 2 項詐欺罪は先 行の 1 項詐欺罪との関係において不可罰 ( 共罰 ) 的 事後行為として処理することも検討されるべきであ る。 Y からみると、手元に現金のない X から釜焚き の料金を受け取ることはできず、その関心は専ら A からいかに立替払いを受けるかにあったように思わ れる。こうしてみると、以上のような帰結は、【事 例 8 】の実態にむしろ即したものといえよう。 事実を処理するメソッド 替金の返還を免れた場合には、名義人に対する関係 代金相当額の支払いを現実に負担させ、加盟店が立 義人にカードを使用させることによって、名義人に の処理を踏まえると、加盟店が名義人を欺罔し、名 に 1 項詐欺罪の共犯が成立する。さらに、【事例 8 】 替払いを不当に受けた点に基づき、加盟店と名義人 ード会社に対する関係において、カード会社から立 加盟店がカードの不正使用に加担する場合には、カ なお、【事例 7 】や【事例 8 】の処理を踏まえると、 されないおそれがある点を問題にするべきである。 ことを隠蔽し、カード使用に基づく取引の決済がな 名義を偽ることで、名義人の支払意思・能力がない 義の偽りだけで欺罔性を肯定することはできない。 ある。また、他人名義のカード使用については、名 財産的損害を十分に評価することができず、不当で 見解は、カード取引のそれぞれの当事者に発生する 欺罪だけ、あるいは後行の 2 項詐欺罪だけを認める 他方で、カードの不正使用について、先行の 1 項詐 ド使用は欺罔性を基礎づけないというべきである。 もその具体的危険がないのであって、第三者のカー 財産的損害が発生する具体的危険がなく、加盟店に の決済が現実的に見込まれる場合は、カード会社に 諾に基づき第三者がカードを使用するが、その取引 罰 ) 的事前行為とすれば足りる。なお、名義人の承 包括一罪とするか、先行の 1 項詐欺罪を不可罰 ( 共 財産侵害が表裏一体の関係にある以上、 ( 混合的 ) 後行の 2 項詐欺罪の罪数処理については、それらの また、 2 項詐欺罪を構成する。先行の 1 項詐欺罪と 的損害については、三角詐欺の類型に当てはまり、 いによって財産的損害が発生する。この 2 つの財産 使用においては、名義人における代金相当額の支払 おける立替払いによって、他人名義のカードの不正 名義のカードの不正使用においては、カード会社に については、 1 項詐欺罪を構成する。さらに、自己 ては商品の提供によって発生する。この財産的損害 この欺罔行為に基づく財産的損害は、加盟店におい 対する関係で欺罔行為があると解するべきである。 引の決済がなされないおそれがある点に、加盟店に 人に支払意思・能力がなく、カード使用に基づく取 ード使用か他人名義のカード使用かを問わず、名義 カードの不正使用事例については、自己名義のカ

5. 法学セミナー 2016年10月号

056 プラスアルフアについて考える 基本民法 [ 第 19 回 ] 賃貸借における法律関係・その 1 ーー当事者の交代 慶應義塾大学教授 武川幸嗣 法学セミナー 2016 / 10 / no. 741 CLASS 人に対抗することができずかっ、賃貸借の解除事由 〔今回のテーマ〕 とされている ( 612 条 2 項 ) 。賃貸借は信頼関係を基 不動産賃貸借のような物の長期的利用を目 礎とする継続的契約であり、賃借物を誰がどのよう 的とする契約においては、中途で当事者が交 に使用収益するかは賃貸人にとって重要な要素であ 代することがしばしばあり、これに起因して るから、同人に無断で使用収益主体を変更する賃借 さまざまな問題が生じる。これについては、 人の行為は、原則として賃貸借関係を維持し難い程 賃貸人・賃借人どちらの側の交代なのかによ の背信行為にあたると解されるためである。 り、問題状況が大きく異なるが、その検討に 判例はこのような理解を前提としつつ、個別具体 際しては、理論的な基礎づけと利益衡量の両 的に賃借人の無断譲渡・転貸が賃貸借関係を維持し 面に亘る多角的な分析を要する点に十分留意 難い程の背信行為と認めるに足りない特段の事情が されたい。今回はこれらに関する主要な問題 存在する場合、 612 条 2 項の適用を否定する 1 。し を総合的に取り上げる。とくに最後の「賃貸 たがって、解除の可否は無断譲渡・転貸の有無によ 人の地位の留保」は、両者が入り組んだ応用 って形式的に決まるのではなく、それが信頼関係を 問題である。 破壊する程度のものか否かに関する実質的な評価に 委ねられる。 大切なのは、信頼関係の破壊すなわち、背信行為 1 賃借権の無断譲渡 にあたらないと認められる特段の事情として、賃借 ( 1 ) 賃借権の無断譲渡と信頼関係破壊の法理 人が何を主張・立証すべきか 2 ) に関する事実評価で あり、「信頼関係破壊の法理」という用語のみから 〔事例で考えよう Pa .1 〕 機械的に解答が導かれるわけではない。判例は、① A は自己所有の甲建物を B に賃貸し似下、 使用収益主体間における実質的同一性または一体性 「本件賃貸借」という。 ) 、 B は自己が経営する の有無 3 ) 、②使用収益の態様における実質的変更の 有無 4 ) 、③譲渡・転貸の場所的範囲 5 などを考慮し フランス料理店 C の店舗として甲を利用して いたが、 A に無断で C の子会社であるイタリ ている (b) 設例へのあてはめ ア料理店 D に甲の賃借権を譲渡し、 D が若干 の改装を施して甲に店舗を開業した。後にこ 事例 Part. 1 では、 D は C の子会社であり、かっ用 の事実を知った A は、本件賃貸借を解除する 法においても大きな変更がされていないため、 A に 無断で軽微な改装が行われたことを加味しても、特 とともに D に対して甲からの明渡しを求める 段の事情を認めてよいであろう。なお、判例は、無 ことができるか。 断譲渡による解除が認められない場合、譲受人は賃 (a) 信頼関係破壊の法理とは ? 貸人に対して占有権原を対抗することができ 7 ) 、以 賃借権の無断譲渡および賃借物の無断転貸は賃貸 後は譲受人のみが適法な賃借人となると解してい

6. 法学セミナー 2016年10月号

064 法学セミナー 2016 / 10 / no. 741 から、もはや契約上の責任を論ずる余地なく、契約関 係に由来するいかなる損害賠償も否定されていた。し かし、イエーリンクは、「 ( 契約カ鯑誤無効になったとき ) 錯誤者は、相手方に対して、彼の落ち度で相手に発生 させた損害について責任を負わなくていいのか」、も し責任を負わないとすれば「それは、無辜の者が他人 の過失 ( 翩ゆのの犠牲になるということではないか ] という直感的な疑問を出発点とした。彼は、関連しそ うなローマ法の断片を御底的に吟味し、背後にある「共 通原理」を汲み上げ、実践的目的のために理論を再構 成するという形で、この法理を抽出した ( 詳しくは、 河上・歴史の中の民法 [ 日本評論社、 2001 年 ] 287 頁以下参照 ) 。 イエーリンクは、その結果、吟味すべき次の 4 つの要 件基準を抽出し、その後の学説をリードしてきている。 第 1 に、契約が、外形上、当事者によって締結され ていること、第 2 に、契約が、何らかの理由 ( 目的物 不存在や取引不適合など ) で無効であること、第 3 に、 契約を無意味にした瑕疵が、売主側のミス・リードに よること、第 4 に、売主の側で、その瑕疵について、 知らなかった ( 善意であった ) こと、である。そして、 その法律効果は、契約が有効であると信じたことによ って生じた費用などのいわゆる「信頼利益」の損害賠 償であり、これは契約上の訴権朝朝 ) によって基礎 づけられる。 イエーリンクが、その検討を通じて、ローマ法源か ら更に引き出したのは、「契約上の注意 ( 市 / 洳浦の を尽くせという要請は、既に出来上がった契約関係に ついてと同様、出来つつある契約関係についても妥当 し、その違反は、後者においても、前者におけると同 様に、損害賠償を求める契約上の訴権を基礎づけるも のである。これが、彼がローマ法によって理論的に基 礎づけようとした原理であった。彼は、その必要性と 理由を次のように述べた。すなわち、 「契約をする者は、契約外の関係での純粋な消 極的義務領域を出て、積極的な契約領域へと立ち 入る、つまり単なる作為上の過失朝加 硴〃面 ) から不作為における過失 ( ゆ 4 加〃 翫〃 ) 、積極的な注意深さ ( 市 / 洳〃 ) が問題 となるのであって、それによって当事者が引き受 ける第一の、最も一般的義務は、既に契約締結す るに際して必要な注意を払うということである。 単に、既存の契約関係のみならず、生じつつある 契約関係が、過失についてのルールの保護下にお かれるべきであって、もし、契約的交渉関係が、 このように処理されないならば、各契約当事者は、 他人の不注意の犠牲になる危険に、身をさらされ ることになる。」 ( 2 ) 理論的展開 (a) ドイツ法の議論 ( i ) ドイツ法で論じられてきた「契約締結上の過失」 は、主として「信義則に基礎づけられた特殊な契約類 似の法定責任」であり、とりわけ、契約成立「前」の 段階にある当事者の社会的諸関係にまで「契約 ( 類似の ) 責任」を拡張し、そこでの当事者に契約に準じた注意 義務や責任 ( 通常は「信頼利益」の賠償 ) を導こうとす るものであった。その核心には、取引的関係に入った ものは、 ( 契約の成否に関わらず ) 相互に契約類似の信頼 関係に置かれ、互いに相手の利益を不当に害さないよ う配慮すべき義務を負うという基本原理への共感であ ーこには、いくつかの問題類型が含まれている。 る。 ( ⅱ ) メディクス (Medicus D. ) による『債務法改正 鑑定意見書』は、問題群を「契約外の法益に関する義 務」と「締結される契約自体に関する義務」に分けて、 次のように整理している。 @凜約「外」の法益に関する義務については、契約 の成否に関わらず、とくに一方の契約当事者の支配空 間内において生じた他方の生命・身体・所有権の侵害 が問題となる。具体的には、スーパーの食品売り場で バナナの皮や野菜の葉にすべって客か転倒・負傷した ような場合や、購入予定の自動車の試運転中に客カ 故を起こして怪我をしたような場合、売場の壁にたて かけてあった絨毯が倒れて客が負傷した場合、購入し た家具を家の中に設置する際に配達人のミスで近くに あった花瓶を壊してしまったような場合等が含まれる ( 最後のケースは、契約が成立しているので契約上の付随的注 意義務違反として「積極的債権侵害」と呼ばれる ) 。 齎結される契約自体に関する義務については、と くに契約交渉の中途挫折の場合が注目されるが、これ には、朝 ) 当事者の一方が、正当な理由なく一方的 に交渉を打ち切ったことにより契約カ坏成立となり、 そのため、他方カその成立を確実なものと信頼して支 出した費用などの損害を被ったような場合と、 ( 契約が、合意によって特定の形式上の要件 ( 官庁の認 可申請や公正証書の作成など ) を備えるべき場合に、

7. 法学セミナー 2016年10月号

032 このように、スラップ規制法の目的は、「被告を早 場合がそれほど多くはないとしても、少なくとも、 期に訴訟の重い負担から解放し、また、一切の金銭 現在のような「スラップ訴訟野放しに近い状況」は 的負担を負わせない」ということにある。 改善されるし、良心的な裁判官にとっては、こっし た規制法は、心強い支えになるだろう。私の経験か ただ、アメリカでは、表現の自由尊重の観点から 名誉毀損一般がきわめて認められにくいからこれで らしても、「こんな訴訟から被告を早く解放してあ よいのだが、日本の場合、前記のとおり、その逆に げるべきだ」と感じたスラップ訴訟的事案は、いく なっているので、「原告に対して勝訴の見込みが 50 つかあった。法の根本にある正義と公正の観念、そ パーセント以上であることの疎明をさせ」という部 して、各当事者の人権に対する適切な配慮と目配り が裁判官と弁護士にあれば、スラップ規制法がその 分は変更しないと、スラップ規制がザルになってし まう。したがって、「訴訟の目的」から判断するこ 目的を逸脱して悪用されるような事態は避けられる とにするほかないであろう。被告がスラップ訴訟の と思う。 申立てをすれば、原告が、「被告の公共的・社会的 なお、不当訴訟一般に関する最高裁判例 ( 最三小 判昭 63 ・ 1 ・ 26 民集 42 巻 1 号 1 頁 ) の要旨は「訴えの 活動を制圧し、これに打撃を与える ( 恫喝を図る ) ことを主たる目的とした民事訴訟ではない」旨を疎 提起は、提訴者が当該訴訟において主張した権利又 明する、ということである。なお、請求が認容され は法律関係が事実的、法律的根拠を欠くものである うる可能性がある場合でも、予想される認容額に比 上、同人がそのことを知りながら又は通常人であれ ば容易にそのことを知りえたのにあえて提起したな べて請求額が著しく過大である場合には、請求額を 常識的な範囲まで減額しない限りスラップ訴訟の該 ど、裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を 欠く場合に限り、相手方に対する違法な行為となる」 当性を認めてよいと考える。 さらに、スラップ訴訟該当として原告の請求が棄 というものだが、この要件はきわめて厳しく、スラ 却された場合に、被告の側から提起される損害賠償 ップ訴訟規制の枠組みにはおよそなりえない。私は 請求については、原告の過失が事実上推定されてよ 不当訴訟には厳しい裁判官だったが、それでも、 33 年間でこれを認めた例は 3 件だけであり、うち 1 件 く、また、損害賠償額 ( 弁護士費用はすでに支払われ ているから、慰謝料、場合により応訴負担のために被 は、高裁でくつがえされている。また、先の最高裁 った逸失利益がその対象となろう ) については、一定 判例の枠組みでは、「被告を早期に訴訟の重い負担 の懲罰的要素を加味して、相当程度高額のものが認 から解放し、また、一切の金銭的負担を負わせない」 という目的もおよそ達成できない。請求棄却判決や 容されてよいと思われる。 スラップ訴訟については、定義があいまいだとの 訴え取下げによりやっとスラップ訴訟から解放され た人間は、疲労困憊しており、新たに、認められる 批判があるが、そんなことをいえば、定義のあいま いな条項 ( 裁判官に大きな裁量を与える条項 ) など、 見込みの乏しい損害賠償請求を行う余力など、まず 日本の法律にはいくらでもある ( むしろ、それは、 残っていない。スラップ訴訟に対する反訴にしても、 同様に、認められる可能性は高くないし、弁護士費 日本の法律の大きな特徴の一つだと思う ) 。また、離 婚訴訟における双方当事者の有責性の比較なども、 用や応訴負担に伴う精神的・経済的負担をまかなう ような認容額はおよそ望めない。 ポーダーラインは限りなくあいまいだ。しかし、現 実に起こってくる事案をみれば、先のような意味で また、より根本的には、先にもふれたが、名誉毀 のスラップ訴訟該当性については、まともな裁判官 損の成立要件の一部について被告に証明責任を転換 している感のある刑法の規定、それをそのまま民事 なら、ますは判断がっくものだ ( この点も、離婚訴 訴訟にも転用している判例法理のあり方自体に、大 訟における双方当事者の有責性の比較等と変わりはな いと思う ) 。不当訴訟の定義のあいまいさをいう意 きな問題があるのではないだろうか。具体的には、 ため 見は、為にするものか、弁護士の過剰反応 ( 日本の 「記事の真実性」については、原告に、「真実ではな 弁護士にはこれがやや目立っ ) である場合が多いよう いこと」の証明責任を負わせるべきではないかと考 に感じられる。 える。一般的には、ある事実がないことの証明は困 実際には、スラップ訴訟に該当すると判断される 難だが、私の経験からしても、記事の真実性につい

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の種々の合意 ( 「小文字の合意」とでも呼ばう ) を語る場 合には、契約責任に近づく問題でもある ( 横山美夏「不 動産売買契約の成立過程と成立前の合意の効力」私法 54 号 193 頁 [ 1992 年 ] も示唆的である ) 。英米法では「約束的 禁反言」の適用問題として論じられていることも示唆 的である ( 円谷峻・後掲書第 3 章以下など ) 。要は、交渉 による契約の成熟度や当事者の言動を勘案し、信義に 反し不用意に相手方に惹起した信頼を合理的理由なく 裏切るに至った点をとらえて、交渉当事者 ( 締約代理 人を含む ) の「契約関連責任」の一部として、この問 題を視野に収めておけば足りるということかもしれな * 【契約の成立時期】契約の成立については後 に学ぶが、契約の成立時期・成立過程の構造をど のように考えるかは、理論的には難しい問題の一 つである。売買のような「諾成契約」の場合、主 たる給付に関する申込と承諾の意思表示の合致の みによって契約が成立するタテマエであり、極端 な表現をすれば「合意がなった瞬間」に契約が成 立して効力 ( 権利・義務の発生 ) を生じ、あえて「契 約書」を作成するまでもないことになるが、この ことは、実際の契約当事者の意識とは相当にずれ る。その意味では、「最終的契約締結意思」を措 定することが有益であろう。「契約の成立」をめ ぐる問題の一端については、河上「「契約の成立』 をめぐって ( 1 ・ 2 完 ) 」判タ 655 号 11 頁、 657 号 14 頁 ( 1988 年 ) 参照。また、近時の包括的な研究と して、滝沢昌彦・契約成立プロセスの研究 ( 有斐閣、 2003 年 ) 、さらに「予約」という観点からの総合 的研究として、椿寿夫編・予約法の総合的研究 ( 日 本評論社、 2004 年 ) 、有賀恵美子「契約交渉破棄の 責任と予約」法律論叢 78 巻 4 = 5 号 1 頁 ( 2 開 6 年 ) など参昭 * 【参考文献】契約準備段階の信義則をめぐっ ては、さしあたり、河上・前掲「「契約の成立」 をめぐって」のほか、河上「契約準備段階での信 義則に基づく注意義務違反と賠償責任」リマーク ス 1995 ( 上 ) 48 頁、同「銀行取引における契約成 立段階の諸問題」金融法研究 11 号 3 頁以下 ( 1 的 5 年 ) 、同「融資契約成立過程における金融機関の 責任」金法 1339 号 6 頁 ( 1994 年 ) 、同・金法 2 開 1 号 71 頁 ( 2014 年 ) の判例解説など参照。さらに、 今西康人「契約準備段階における責任」石田 = 西 063 債権法講義 [ 各論 ] 7 原 = 高木還暦・不動産法の課題と展望 ( 上 ) 所収 ( 日 本評論社、 1990 年 ) およびそこに掲げられた諸文献。 近時の包括的な研究として、潮見佳男「契約締結 上の過失」新版注釈民法囮 84 頁以下 ( 有斐閣、 1996 年 ) 、池田清治・契約交渉破棄とその責任 ( 有 斐閣、 1997 年 ) 、本田純一・契約規範の成立と範囲 ( 一粒社、 1999 年 ) 、円谷峻・新・契約の成立と責 任 ( 成文堂、 2004 年 ) など、がある。約東的禁反 言との関係では、久保宏之「契約締結交渉破棄責 任と約東的禁反言の法理」産大法学 30 巻 3 = 4 号 841 頁 ( 1997 年 ) 、有賀恵美子「契約交渉破棄事例 における約東的禁反言の適用 ( 1 ) ~ ( 3 ・完 ) 」法律 論叢 75 巻 2 = 3 号 117 頁、 75 巻 4 号 41 頁、 5 = 6 号 83 頁 ( 2002 年 ~ 2003 年 ) の研究があり、債権法改正論議 との関係では、有賀恵美子「契約交渉破棄の責任 ーその関連条文の明確化の必要性一」円谷峻・社 会の変容と民法典 ( 成文堂、 2010 年 ) 293 頁、同「契 約交渉段階」円谷峻・民法改正案の検討く第 2 巻〉 ( 成文堂、 2013 年 ) 169 頁、大島理沙・北大法学論 集 61 巻 4 号 1346 頁 ( 2010 年 ) 、 * 【約束的禁反言】「禁反言・エストッペル (est 叩 pel) は、英米法に由来する原則で、 A が B のなした表示を信じ、それに基づいて自己の地位 を変更したときには、 B は後になって自己の表示 が真実に反していたことを理由に、それを翻すこ とが許されないとする。自ら作出した外観に対す る相手方の信頼保護の要請に応えるもので、機能 的には、大陸法における「外観主義」と同様の作 用を営むことが多い。これが約東の世界で問題と なる場合、「約東的禁反言 (promissory est 叩 (e) 」 と呼ばれる。先行する自己の振る舞いに矛盾する 権利や法的地位を主張すことを禁ずる点では、「行 為に矛盾する異議 ( 確砺 c 。厩川 ) の 禁止」に近い。 (b) イエーリンクの「契約締結上の過失」王侖 契約締結上の過失責任の基本的枠組みは、関連する ローマ法源の分析を通して、これを手がかりに、イエ ーリンクによってら編み出されたものである。 1860 年に発表された有名な彼の論文「契約締結上の過失、 または、契約無効ないし未完成の場合の損害賠償」の 問題設定は、「錯誤無効の効果」をめぐる素朴な疑問 から始まっている。当時の支配的見解によれば、錯誤 で契約が無効になれば、契約としては完全に無である

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013 LAW FORUM [ ローワォーラ 立法の話題 義規定を置いた。すなわち、本邦の域外にある国・ 制定の背景 地域の出身であることを理由として、本邦外出身者 近年、わが国において、いわゆるヘイトスピーチ を地域社会から排除することを煽動する不当な差別 の存在が社会的な関心を集めている。ヘイトスピー 的言動をいうこととしており、その典型例として、 チの概念について、確立したものはないようである 差別的意識を助長・誘発する目的で公然と本邦外出 が、特定の民族や国籍の人々を排斥する差別的言動 身者の生命等に危害を加える旨を告知しまたは本邦 がこれに該当すると考えられている。 外出身者を著しく侮蔑することを挙げている。 本年 3 月には、法務省によって、こうしたヘイト 基本理念として、国民の努力義務の形で、本邦外 スピーチに関する実態調査が公表され、ヘイトスピ 出身者に対する不当な差別的言動のない社会の実現 ーチを行う諸団体のデモや街宣活動は、一時期より への寄与等について規定した。 は減少する傾向にはあるものの、鎮静化していない 本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に との報告がなされた。 向けた取組に関する施策の実施について国・地方公 このような状況の下、国会において、野党から人 共団体の責務規定を設けた。また、基本的施策とし 種差別撤廃施策推進法案が提出されるなどして、ヘ て、国による相談体制の整備、教育の充実、啓発活 イトスピーチへの対応に関して議論が行われた。 動等の実施について規定した。地方公共団体は、国 れらの議論等を通じて、ヘイトスピーチの解消に向 との適切な役割分担を踏まえて、当該地域の実情に けた取組が必須であるとの認識が深まり、与党の自 応じ、これらの実施に努めることとされた。 民党・公明党により「本邦外出身者に対する不当な 制定後の動向等 差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律 案」が本年 4 月 8 日に参議院に提出された。本法律 本法律の制定後、川崎市において、在日韓国・朝 案は、参議院における修正を経て、 5 月 24 日、衆議 鮮人排除のデモの起点となる公園の使用申請に対 院において可決、成立した。本法律は、 6 月 3 日に し、市長がこれを不許可にする処分を行った。さら 公布され、同日から施行されている。 に、横浜地裁川崎支部は、デモの主催団体の男性に 対し、一定の地域内でのデモを禁止する仮処分の決 本法律の概要 定を下した。また、大阪市では、ヘイトスピーチへ 前文を置き、本法律の提案の趣旨について規定す の対処に関する条例が制定・施行されるなど、ヘイ るほか、本邦の域外にある国・地域の出身である者 トスピーチに対し、踏み込んだ対応がとられるよう またはその子孫であって適法に居住するもの、すな になってきている。 わち「本邦外出身者」に対する不当な差別的言動は なお、本法律の対象は「本邦外出身者」に限定さ 許されないことを宣言した。 れているが、これに該当しない者に対する不当な差 本法律は、前文でこうした不当な差別的言動は許 別的言動が許されることになるわけではない。この されないと宣言したが、これを禁止したり違法とし ような考え方が、衆参の法務委員会における質疑や たりする規定を設けていない。この点について、法 附帯決議において確認されている。 案発議者は、表現内容を規制することは、表現行為 2020 年の東京オリンピック・パラリンピックの開 の萎縮効果をもたらすおそれがあることから、いわ 催が近づき、外国人の来訪者数の増加が予想される。 ゆる理念法という形を取ったと説明している。 ヘイトスピーチのない社会の実現に向けた取組が、 「本邦外出身者に対する不当な差別的言動」の定 着実に実施されることを期待したい。 ( S ) 本邦外出身者に対する不当な 差別的言動は許されないと宣言 ヘイトスピーチ解消法の制定 法学セミナー 2016 / 10 / no. 741

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104 LAW CLASS 押え対象となります ( 例えば、傷害事件に用いられた 武器など ) 。もっとも、この法 220 条 1 項 2 号による 差押えが正当化されないものであっても、逮捕の効 力として ( 捜索・差押えではなく ) 「探索・保管」を 可能とする論理もあり得ます。近年の有力な見解は、 円滑な逮捕の執行のために、逮捕に対する妨害やそ の危険の排除措置として、明文規定がなくとも、逮 捕の効力により逮捕執行を妨げる物を「探索・保管」 し、被疑者を制圧する措置が許されるとします ( 同 様の理解に基づく捜索・差押えに対する妨害排除措置 については第 6 回 ) 。この措置は、法 220 条 1 項によ るものではなく、逮捕の効力として本来的に許され るものと理解されます ( 法 222 条 1 項により準用され る 111 条 1 項は確認規定に過ぎない ) ので、「逮捕の現 場」で行われる必要はありません。また、この探索 や保管は、逮捕の執行を妨げる危険が具体的状況に 照らして認められる場合に、逮捕完遂に必要な限り で認められることになります 4 ( 5 ) 合理的な時間的限界において令状による捜 索・差押え等と同程度の場所的限界という規律を及 ばすべきとする相当説は、法 222 条 1 項により証拠 物の収集に関する規律である法 99 条以下が準用され るという刑訴法の条文構造と親和性があるといえる かもしれません。もっとも、相当説には、学説を中 心に批判が示されています 5 。まず、上記① ( 証拠 存在の蓋然性 ) は、事前の令状審査を不要とする根 拠として十分なのかという批判です。たとえば、第 三者の住居等や身体・所持品については、「逮捕の 現場」であっても、一般的・類型的に証拠物の存在 の蓋然性が認められるとはいえないでしよう。そし て、憲法 35 条 1 項の「正当な理由」としての捜索・ 差押え等の必要性・相当性、さらには捜索場所や差 押え目的物の特定・限定に関する事前審査が欠けて いること ( 第 5 ・ 6 回も参照 ) からすれば、捜査機 関による恣意的な判断に基づく捜索・差押え等の危 険はやはり残るのではないかとの批判もあり得ます。 実務と相当説 ( 1 ) このように、相当説はその理論的根拠を十分 に説明しきれていないといえます。もっとも、一般 的に、判例や実務は、無令状の捜索・差押え等が許 される場所的・時間的限界を比較的緩く理解する傾 向にあり、相当説に立っていると解されています。 ( 2 ) 判例による「逮捕する場合」の解釈として挙 げられるのが、上記昭和 36 年判決です。最高裁は、 捜査官が被疑者を緊急逮捕するために被疑者宅に向 かったところ、被疑者が不在であったため、被疑者 が帰宅次第、逮捕する態勢を整えたうえで、被疑者 の娘の承諾を得て住居に立ち入り捜索を実施したと ころ、麻薬を発見してこれを差し押さえ、捜索がほ とんど終わったころに被疑者が帰宅したため、緊急 逮捕したという事例について、「逮捕する場合」は「単 なる時点よりも幅のある逮捕する際をいう」として、 「逮捕との時間的接着を必要とするけれども、逮捕 着手時の前後関係は、これは問わないものと解すべ きであって、このことは同条 1 項 1 号の規定の趣旨 からも窺うことができるのである」としたうえで、 被疑者が「帰宅次第緊急逮捕する態勢の下に捜索、 差押がなされ、且つ、これと時間的に接着して逮捕 がなされる限り、その捜索、差押は、なお、緊急逮 捕する場合でその現場でなされたとするのを妨げる ものではない」としました。 昭和 36 年判決は、法 220 条 1 項 1 号の趣旨を、「逮 捕する場合」の解釈の理由として挙げています。法 220 条 1 項 1 号は、当然に逮捕着手前の被疑者の捜 索も予定しています。本判決は、法 220 条 1 項本文 の要件である以上、「逮捕する場合」は 1 号及び 2 号ともに同様に解釈すべきとしたのでしよう 6 ) 。さ らに、本判決は、被逮捕者が逮捕現場にいなくとも、 被疑者宅に証拠存在の蓋然性に変化はないことも根 拠としているのかもしれません。 しかし、本判決には、 6 名の判事による補足意見・ 意見・反対意見が付されています。たとえば、横田 判事の意見は、被疑者不在で逮捕ができない場合は 「逮捕する場合」、さらには「逮捕の現場」とはいえ ないとし、被疑者の帰宅という偶然の事情次第で捜 索の適法性が左右されるのは解釈方法として適正と いえず、また、このような判断方法の採用は見込み 捜索を誘発する危険があると批判しています。これ らの意見がいうように、相当説の立場では、「逮捕 する場合」は、少なくとも、被疑者が現場に存在し、 かっ少なくとも逮捕の直前・直後であると理解すべ きでしよう。昭和 36 年判決を判例の確固たる論理あ るいは相当説と見てよいかには疑問が残ります。 ( 3 ) 「逮捕の現場」について、昭和 36 年判決は、「場 所的同一性を意味するにとどまるものと解するのが