融資 - みる会図書館


検索対象: 法学セミナー 2016年10月号
22件見つかりました。

1. 法学セミナー 2016年10月号

072 法学セミナー 2016 / 10 / no. 741 うに融資時期や弁済方法といった細部の条件が具体化 用意な言動や過度の肩入れ行為について、 ( 表見代理の してはいないが、主要な点はすでに明らかであり、そ 要件が充されない場合にも ) 使用者責任を追及できる。 の内容の確定度、当事者の言動など認定事実を見る限 そのため、借手側としては幾分有利であり、訴訟戦術 り、単なる交渉過程というより、将来の融資契約締結 としても好んでこのような構成がとられているものと への確定的意思表明を伴う「予約」はあったと評価さ 推察される。さらに、求めるものが金銭債権であるこ れてよいものである。進んで、諾成的消費貸借の成立 とから、不法行為ではあえて履行義務の存在を前提と まで認定できるかとなると微妙であるが、当事者の意 する必要がないわけで、融資契約の成立を推定させる 思解釈として、事業者としては、高額の融資案件につ 有力な書面がない場合にも問題となり、過失相殺を理 由とする中間的解決を比較的導きやすい。結果として、 いては銀行本店での正式の稟議・決済がおりるまでは 金融機関には、融資交渉に向けての誠実な対応が強く なお融資の実行を確実には期待できないものと考える 求められ、一方的に融資約束を破棄する行為に出るに のか取引慣行に適うものであって、これまでの取引関 っき「取引上是認するに足る正当な事由」の存否が厳 係からもそのような手続の存在 ( ひいては留保の存在 ) については互いに了解していたものと考えるべきであ しく問われることになる。 ろうから、融資申込に対する金融機関の確定的承諾を 本件で問題となっている「融資証明書」は融資予 定先との間で融資予約が成立していることを証する内 みてとることは困難である。 では、このような「予約」にいかなる効果を付与す 容のもので、融資予定先がもつばら第三者に提示して べきか。消費貸借の予約は金銭交付のぎりぎりの段階 自己の支払能力を証明するための手段として用いられ ている。融資証明書は、それ自体、当事者間での予約 まで借手の信用状態いかんによって効力を左右される の意味を持っとの理解もあるが、間接的効果でしかな 可能性があり、また、金銭交イ寸 ( またはそれと同等の信 く、それ自体が当事者間の契約関係を証拠だてるとい 用供与 ) のない限り返還債務を発生させることは無意 味であるから、通常の売買予約のように、一方的な予 うよりは、誰に宛てて、何のために提出されたものか 約完結権行使によって本契約を成立させることができ に留意して個別にその効果を判断すべきものである。 るような性格のものと考えることは適当でない。しか 例えば、住宅ローンの借入予定者に対する融資証明、 県などからの払下げを受ける土地の購入代金借入に対 し、予定された時期に合理的理由なしに融資の実行を する融資証明、破産申立を回避するための融資証明で 拒絶することは、やはり違約行為であって、債務不履 行を構成しよう。ちなみに、本件で Y 側は「予約」の はそれぞれに証明の相手方や果たすべき機能が違う。 その意味では、不動産売買における「買付証明書」や 合意解除 ( 融資申込みの撤回 ) があったと主張し、その 「売渡証明書」のような中間的合意文書とも、やや性 後の行動も ( 「つなぎ融資」など ) これを前提とした説 格を異にする。重要なのは、融資証明書の存在そのも 明がなされているが、いずれも一方的な理解にとどま のよりも、それがいかなるコンテクストで発行される るものである。 仮に、銀行と顧客の間に融資契約あるいは融資予約 に至ったのかの背景事情にある。本件における交渉の カ結されるに至らなかった場合にも、両者はすでに 経緯からすると、融資証明書の額面通り、長期融資を 交渉を通じて相手方の利害に重大な影響を及ばしうる 前提に融資証明書が発行された模様であり ( 従って当 密接な関係に立っており ( 従前の取引関係の存在はさら 事者間でも長期融資の予約があったとみられる ) 、この前提 にこの関係を緊密なものにする ) 、互いに相手方の生命・ か変化したと Y は理解したにもかかわらず、そのまま にしていることが問題を複雑化させているわけである。 財産に損害を与えないよう配慮すべき信義則上の注意 義務を負う。融資契約交渉に関しても、かかる特殊な 一方で、顧客が取引関係のあった事業者であったこ 契約関連責任の存在を否定すべき理由はあるまい。 と、高額融資に本部決裁が必要であるとの取引実務慣 契約成立を前提としないこのような問題処理では、 行カ在することが、裁判所による融資契約の成立認 法定利率による遅延利息ではなく実損害による賠償請 定を慎重にさせているのはほば明かである。他方、融 求をなし、融資を申し込んだ法人の代表者個人の精神 資申込から確定的返答までの長時日の経過、融資証明 書発行による内容の確定度の高さ、融資を前提とした 的苦痛を理由とする慰謝料なども織り込むことが容易 であり、また、無権限の支店責任者や融資担当者の不 顧客側の出捐の容認行為や準備活動への協力行為など

2. 法学セミナー 2016年10月号

る同年 12 月 8 日になって、 Y の融資が右工場用地 取得代金支払にあてる予定であることを充分承知 しながら、またメインバンクたる Y の融資拒絶が x 会社の本件工場進出計画に悪影響を及ばすであ ろうことも容易に予測できるのに、正当な理由な く融資を拒絶し、その結果、 X 会社が予定してい た土地代金の支払計画に支障を来させ、別途 3 億 7000 万円の調達に奔走せざるを得ない事態を招来 し、またそれにより X 会社の社長として一手に右 計画の責任を担っていた X に著しい心労を与えた のであるから、 Y の右不当な融資拒絶は、 X らに 対する違法な権利侵害行為とみるのが相当であ る」。しかし、遅くとも 12 月 30 日には当初の計画 どおり X に融資する旨を通知していることなどか ら、 X 主張の損害の多くは相当因果関係がなく、 X 会社につき 99 万円余、代表者 X につき慰謝料と 弁護士費用のみが認容された。 X 、 Y ともに控訴。 控訴審判決 ( 東京高判平成 6 ・ 2 ・ 1 ) も、第一審判 決同様、支店長による融資約束の一方的破棄カ坏法行 為となり、 Y 銀行は使用者責任を負う旨判示したが、 X 会社への賠償額については、因果関係の判断を緩め て 3514 万円余にまで増額認容し、代表者 X 個人の本 訴請求の方は全面的に棄却した。判決理由は、次のと おりである。 「企業とそのメインバンクとして取引を継続し てきた銀行が右企業から新規に計画した事業につ いて、必要資金の融資の申込を受け、当該計画の 具体的内容を了知したうえ、右企業と消費貸借契 約の締結に向けて交渉を重ねている途中であり、 金銭の授受がなく消費貸借契約が成立したとはい えない段階においてであっても、融資金額、弁済 期、借入期間、利率、担保の目的物及び担保権の 種類並びに保証人等の貸出条件について具体的な 合意に達し、銀行が右貸出条件に基づく融資をす る旨を記載した融資証明書を発行して融資する旨 の明確な約東 ( 以下「融資約東」という。 ) をした 場合において、右融資約東が破棄されるときには、 右企業の新規事業計画の実現が不可能となるか若 しくは著しく困難となり、右企業が融資約束を信 じて当該計画を実行するためにとった第三者との 契約若しくはこれと実質的に同視することができ る法律関係等の措置を解消することを余儀なくさ 071 債権法講義 [ 各論 ] 7 れる等し、このため右企業が損害を被ることにな る等の事情があり、しかも当該銀行が、このよう な事情を知り又は知りうべきであるにもかかわら ず、一方的に融資約東を破棄する行為に出たとき には、かかる行為に出るにつき取引上是認するに 足る正当な事由があれば格別、そうでない限り、 当該銀行は、右企業が前示のような損害を被った ときには、民法 709 条、 715 条に基づき、これを賠 償する責任を負うものと解すべきである」。本件 では、取引上是認するに足る正当な事由があると はいえないから、 Y には X が県企業庁および T 建 設との関係の解消を余儀なくされたことにより被 った損害につき損害賠償責任がある。相当因果関 係にある損害としては、本件土地の売り戻し差損 および既払い建設代金の計 1 億 5 開 0 万円余が認め られるが、本件計画規模の過大性や運転資金調達 に対する X の配慮不足、損害拡大抑止の可能性な どから過失相殺をとり ( 前者につき 6 割、後者につ き 9 割 ) 、弁護士費用を含めて、結果的に 3514 万 円余の損害賠償が認められる。 同判決理由中に現れた、融資契約そのものとは異な る「融資約刺とされるものの性格は、曖味である。 「融資する」という約束に諾成的消費貸借としての効 力を認めるなら、 Y には適時に融資すべき義務カ生 し、一方的融資拒絶は直ちに債務不履行となる可育尉生 がある。民法は、 578 条で消費貸借を要物契約とする 一方、 589 条ではその予約にも効力があるものとし、 もともと両規定の整合性には疑問があった ( 改正法案 587 条の 2 では、書面でする消費貸借における要物契約性を否 定し、 589 条を削除している ) 。本件における「融資約東」 について第一審判決は、金銭の授受があるまでは消費 貸借契約は成立しないとの前提で、遅くとも「融資証 明書」を交付した日の時点で、 x 会社の予約完結の意 思表示により所定の内容で融資を実行すべき義務を負 う「融資予約」 ( = 一方の予約 ) があったと考え、控訴 審判決では「金銭の授受がなく消費貸借契約カ城立し たとはいえない段階」ではあるが「貸出条件について 具体的な合意に達し」かつ「融資する旨の明確な約東 をした」との評価を与えている。つまり、両判決とも に、「融資証明書」の交付という事実を重視しながら、 正式の契約締結に向けての交渉の過程ではあるが、少 なくとも将来、一定の条件で融資をすることを引き受 けたものと認定している。なるほど、 Y の主張するよ

3. 法学セミナー 2016年10月号

070 法学セミナー 2016 / 10 / no. 741 にあるとすれば、かかる姿勢は 176 条の「意思表示」 の理解においても示唆的である。しかし、同時に、本 件に見られる双方からの「請書」の存在は、明らかに 当事者の交渉上の信頼関係を強化し、少なくとも相互 に契約締結に向けての努力義務を課しているものと考 えられよう。相手方が、中間的合意文書たる「請書」 の存在を前提に一定の出捐をともなう準備行為を行う ことが当然予見される以上、この努力義務は法的に無 色ではありえず、契約交渉の任意の白紙撤回を許容す るものではあるまい。そこには、 ( たとえ予約とはいえ ないまでも ) ある種の「小文字の合意」に裏付けられ た「債務」を観念できるのではないか。しかも、最終 段階での保証書による所有権移転申請行為は、履行に 必要な前提行為として、 Y ら自身が条件付きながら履 行行為に着手したものと見る余地もあり、一こにもか 金融機関カ噸客と融資契約を締結し、実際に融資を 号 32 頁 = 河上・金法 1399 号 6 頁 ) ( 2 ) 融資契約交渉 ( 東京高判平 6 ・ 2 ・ 1 金法 1390 はない。 なり確定的な当事者の意思を読みとることカ坏可能で なっている。 東京高判平 6 ・ 2 ・ 1 は、次のような事案が問題と 約の成立段階の諸問題」金融法研究 11 号 1 的 4 年 13 頁以下参昭 ) べきである ( より一般的には、河上「銀行取引における契 優位と広範な裁量権にも信義則上の制約があるという 刻なものとなる。今日では、融資交渉における貸手の に、一方的に金融支援を打ち切る行動に出た場合に深 かかわらず、融資先の業績悪イヒや市場環境の悪化を前 協力などによって一定の信頼関係を形成していたにも 場にある金融機関が、それまで継続的な助言・介入・ うした問題は、とりわけいわゆるメインバンク的な立 金融機関の責任はにわかにクローズアップされた。 償請求する事件が相次ぎ、融資契約成立過程における よって契約成立への期待権を侵害されたとして損害賠 下を先行させた事業者が、銀行の一方的な融資拒絶に 崩壊後の融資引締めにより、融資をあてにして資本投 かなる責任を負うようになるのか。いわゆるバブルの 絶カ阿能なのか、また、融資契約成立過程においてい このとき金融機関は、いつまでなら無条件での融資拒 担保徴求など、いくつかの段階とプロセスをたどる。 資料や書類の調製、 ( 支占や本店での ) 稟議、契約書作成、 実行するまでには、融資条件をめぐる交渉、予備調査、 X 会社は、事業拡大のため、県企業庁が事業主 体となって開発中の工業団地の土地分譲を受け、 そこに新エ場を建設することを計画。その際、資 金として 34 億円以上が必要であったため、昭和 63 年 9 月末にメインバンクである Y 銀行の支店に融 資申入れをした。いったん Y から 3 億 7000 万円に ついての融資証明書の交付もあったが、交渉の過 程で Y が融資拒絶したため、計画全体の資金調達 に無理が生じ、 X は計画中止のやむなきに至った。 そこで、 X は、 Y が正当な理由なく融資契約の履 行を拒絶したことは不法行為に当たるとして会社 として 3 億 6 開 0 万円弱、代表者個人として慰謝料 ほか 1169 万円の損害賠償を請求した。 第一審判決 ( 東京地判平成 4 ・ 1 ・ 27 判時 1437 号 113 頁 = て千葉県の分譲委員会の審査を通過した直後であ うすると、「 Y は、 X 会社が工場用地取得につい この点に関する非は専ら Y 支店の側にある」。そ 当然であるような言動をとっていたためであり、 の融資が実行されるものと X において信じるのが 送金する旨確約するなど、当然融資証明書どおり 者に対し、 Y 支店から間違いなく土地分譲代金を 企業庁へも M 副支店長が同行し、同企業庁の担当 資証明書に全く言及せす、これを提出した千葉県 回収するどころか、その後の経過においても右融 を生じた原因は、 Y が既に発行した融資証明書を あった」にしても・・・・・・両当事者に「認識の不一致 に申込の撤回と理解されてもやむを得ない言動が を構成すると解することができる」。なるほど、「 X とは、単なる債務不履行にとどまらず、不法行為 あるいは重大な落度に基づきこれを履行しないこ 正当な事由なく Y の恣意によってこれを破棄し、 程度に具体化しているような状況下にあっては、 用地取得について公的審査も通過し、計画が相当 融資を前提に大規模な工場進出計画が進められ、 べき義務を負うものと解せられ、本件の如くこの 完結の意思表示により所定の内容で融資を実行す 約そのものではないけれども、 Y は X 会社の予約 「 11 月 9 日になされた融資予約契約は、融資契 損害賠償を命じた。 行もしくは不法行為とし、慰謝料など計 154 万円余の したが、次のように述べて、 Y の融資拒絶を債務不履 判タ 793 号 207 印は、融資契約そのものの成立は否定

4. 法学セミナー 2016年10月号

の金融機関の積極的態度、状況の変化にもかかわらす 融資証明書の返却を受けていないことなどは、責任肯 定への積極材料となっている。 ( なお本件では、融資拒絶 に至った顧客側の言動や、事業計画そのものの難点、損害拡 大防止の可能性などはは過失相殺の対象として考慮されてい る。 ) 判決の射程は、おそらく融資証明書が発行され た場合に限られるものではなく、融資交渉や融資予約 一般に及びうる。従って、金融機関としては、金銭交 付前でも、融資金額、借入期間、利率、担保、保証人 など契約の主要な部分がある程度特定していれば、明 示的留保や破産に匹敵するような著しい信用不安等の 合理的理由がない限り、予定された時期における一方 的融資拒絶は債務不履行となり得ること、また、金融 機関による融資への確定的意思表明がない場合でも、 相手方がそうと信じる合理的な理由があり、相手方に よる融資を前提とした出捐や負担の実行を金融機関が 訒識または認識し得べき場合には、正当な理由なく融 ロ心、ロ 資を拒むことは信義則上の注意義務違反 ( または契約 締結上の過失 ) となりうることに留意すべきである。 ( 3 ) 業務提携取引交渉 ( 東京地判平成 1 8 ・ 2 ・ 1 8 判 時 1928 号 3 頁 = 河上・リマークス 34 号 IO 事件 ) 事件の経緯は次の通りである。 本件は、ともに著名な大手金融機関・金融グル ープである XY の間で業務提携等を企図した協働 事業化に関する基本合意が、のちに白紙撤回され、 ついで Y と A の間での経営統合に至ったことで、 M & A の交渉問題が司法判断の対象とされた点で 社会的耳目を集めた事件である。 平成 16 年 5 月 21 日、 X は Y らとの間で事業再編 と両グループの業務提携・協働事業化に関する基 本合意書を作成した。同合意書 8 条 1 項は、「各 当事者は、事業・会計・法務等に関する検討、関 係当局の確認状況又は調査の結果等を踏まえ、誠 実に協議の上、 2004 年 7 月末までを目途に協働事 業化の詳細条件を規定する基本契約書を締結し、 その後実務上可能な限り速やかに、協働事業化に 関する最終契約書を締結する」と定めた。また、 同 12 条は、その前段で、「各当事者は、本基本合 意書に定めのない事項若しくは本基本合意書の条 項について疑義が生じた場合、誠実にこれを協議 するものとする」とし、後段で、「各当事者は、 直接又は間接を問わず、第三者に対し又は第三者 073 債権法講義 [ 各論 ] 7 との間で本基本合意書の目的と抵触しうる取引等 にかかる情報提供・協議を行わないものとする」 と定めていた。ところが、平成 16 年 7 月 13 日、 Y らは、急迫した経営上の窮状を乗り切るためには A と経営統合する以外に採るべき方策はないとの 経営判断をなすにいたり、 X に対し本件協働事業 化の白紙撤回を通告し、その後、 X との間で協働 事業化に向けた交渉を行わなかった。また同月 14 日、 X は、本件対象営業等も統合対象とする経営 統合を A に申入れ、両社は経営統合に関する協議・ 作業を進めた ( Y らと A グループ各社は、それぞれ 平成 17 年 2 月 18 日に統合契約書、同年 4 月 20 日に合併 契約書を締結し、各合併は、いずれも同年 6 月に開催 された各社株主総会で承認された ) 。 本件において、 X は、 Y らが基本合意に基づく 最終契約締結義務又は独占交渉義務及び誠実協議 義務に違反しあるいは一方的に基本合意を破棄し たことを理由に、 Y らに対し、債務不履行又は不 法行為に基づく損害賠償として、履行利益相当の 損害金 2331 億円の一部である 1000 億円及びこれに 対する遅延損害金の支払を求めた。 本案に先立ち、 X は、 Y と A の経営統合に関す る協議を差止めるべく仮処分命令の申立てをな し、一旦はこれが認容されたが ( 東京地決平成 16 ・ 7 ・ 27 、 [ 異議審 ] 東京地決平成 16 ・ 8 ・ 4 ) 、 保全坑告で仮処分決定が取り消され ( 東京高決平 成 16 ・ 8 ・ (l) 、最高裁 [ 第 3 小 ] 平成 16 ・ 8 ・ 30 決定 ( 民集 58 巻 6 号 1763 頁 ) も、保全の必要性を 欠くことを理由に X の抗告を棄却した ( 最高裁決 定については、沖野眞巳・ジュリスト 1291 号 68 頁 ) 。 本件の主たる争点は、①平成 16 年 7 月 13 日当時、 Y らが本件基本合意に基づいて x との協働事業化に関 する最終契約を締結する義務を負っていたか、②法 130 条の適用若しくは類推適用等により、 Y らが本件 協働事業化に関する最終契約を締結する義務を負って いたか乂は同契約が締結されたとみなすことができる か、③ Y らが本件基本合意に基づいて独占交渉義務及 び誠実協議義務を負うか、④ Y らの独占交渉義務及び 誠実協議義務が平成 16 年 7 月 13 日に消滅したか、⑤ Y らの債務不履行又は不法行為と相当因果関係にある 損害の額である。判決は、各争点について、次のよう に述べ、 x の請求を棄却した。各論点についての結論 は次の通りである。

5. 法学セミナー 2016年10月号

020 Ⅱ 事例紹介 1 武富士問題とスラップ訴訟 ーー東京地判平成 17 年 3 月 30 日を勝ち取るために スラップ 訴訟 法学セミナー 2016 / 10 / no. 741 弁護士 新里宏ニ 中心となって、武富士被害対策全国会議を結成した。 はじめに 武富士は、消費者金融業界トップ企業であり、 2002 年度の貸付残高 1 兆 7666 億円、口座数 293 万件、 2003 年 4 月 1 日「武富士の闇を暴く』を出版した。 1 人当りの貸付残高 60 万 1000 円と企業業績を大幅に 編集・発行は武富士被害対策全国会議であり、筆者 伸ばし、日本でのトップ企業に上りつめていた。 が同会議の代表を務めていた。 しかし、武富士では貸付口座数の伸び以上に 1 ロ 同年 4 月 24 日武富士および同社会長武井保雄は東 座当りの融資残高が上昇し、それが全体の融資残高 京地裁に武富士の「違法な取立」「過剰融資」等の の上昇につながっていた。 記載について名誉毀損に当たるとして、 5 , 500 万円 そのような中、武富士による支払義務のない第三 の損害賠償訴訟を提訴した。被告は発表元の出版社 者への請求が多発し、 2002 年 4 月には釧路の事案に と執筆した 3 名の弁護士であった。当時は「スラッ ついて業務停止の申立がなされている。 プ訴訟」との用語も定着していなかった。 内部通報する武富士元支店長も現れ、武富士のノ 他方、被告 4 名は武富士および武井保雄に対し、 ルマ体制・サービス残業・過剰貸付・押しつけ融資・ 書籍記載の重要な点は真実であり、そのことは原告 第三者請求・尊属請求 ( 債務者の親に対する請求で においても十分認識していたものであり、名誉毀損 あり、武富士内では尊属にお願いするのは「第三者 事件において主張された権利は、事実的、法律的根 請求することにあらす」とされてきた ) 等、種々の 拠を欠くものであり、原告はそのことを知りながら、 問題が明らかとなってきた。 あるいは当然知り得るべきであるのに、あえて訴を 業界トップの体質は、業界全体のあり方に直結す 提起したものであり、裁判制度の趣旨目的に著しく ることから、消費者・債務者の権利救済のため、全 反し、相当性を欠き、違法であるとして、 1 人当り 国会議を結成し、本出版を行った。 750 万円の損害賠償を請求する反訴を提起した。 そして、 2005 年 3 月 30 日東京地裁は武富士側の請 名誉毀損の真実が一切決められないこと 求を棄却し、原告については、各自 120 万円の損害 本件においては、 31 の名誉毀損の事実の主張に対 賠償請求を認める判決を行った。同年 10 月 19 日東京 し、「その大部分が事実であると認められ、事実で 高裁も武富士側の控訴を棄却し、確定した。 あるとまでは認められないごく一部についても、そ 2 。武富士問題とは れ自体が原告の社会的評価を低下させるものとは認 められず不法行為を構成しないか、少なくとも事実 筆者は 1983 年仙台弁護士会に弁護士登録をした。 であると信じるについて相当の理由が認められるも 当時「サラ金三悪」 ( 高金利、過剰貸付および過酷 のである。」と東京地裁は判示し、「特に本件書籍は、 な取立 ) が横行している最中に弁護士を開業し、多 その前書き及び後書きの記載から明らかなように原 重債務者の支援を行ってきた。 告の業務のあり方を批判するものであるところ、原 2002 年 10 月 25 日多重債務問題に取り組んできた弁 告はそのうち第三者請求に関する記述を主として問 護士・司法書士・学者および被害者の会のメンバーが

6. 法学セミナー 2016年10月号

079 株式会社法の基礎 でフリーキャッシュフローとは、要するに、企業が [ 2 ] 問題点 事業活動で生み出したキャッシュフロー ( 現金収入 ) 実務上、ネットアセットアプローチは良く用いら を用いて必要な投資をおこない、後に残る分 ( 余剰 れてきた。しかし、ネットアセットアプローチには、 そもそも継続企業の株式を評価するにあたり、残余 資金 ) である。具体的にどのようにフリーキャッシ 財産分配請求権に着目するのは妥当ではないという ュフローを算出すべきかは、なかなか難しい問題で あるが、実務上は、会計上の数値を利用して、各期 難点がある。 ごとの課税後純利益に非現金支出費用 ( 減価償却費 例えば、 A 社と B 社で、純資産の額は同額である など ) を加算したうえで、必要な資本支出額 ( 設備 が、毎年期待される収益の額は A 社の方が B 社より 投資額など ) を控除することで算出することが少な も遥かに高かった場合を考えてみよう。この場合、 隹も B 社株を A 社株と同じ価格で買おうとはしない くない。 であろう。それにもかかわらず、ネットアセットア プローチによれば、 A 社株と B 社株は同じ価格であ [ 2 ] 将来フリーキャッシュフロー等の予測 ると評価されてしまう。仮に A 社・ B 社の解散・清 インカムアプローチでは、将来の配当やフリーキ ャッシュフローの額を予測する必要がある。永遠に 算が予定されているなら、 A 社の株主も B 社の株主 も同額の残余財産の分配を受けられるにすぎないか 将来の額を予測するのは不可能であるから、例えば フリーキャッシュフローの場合 ( DCF 法の場合 ) で ら、同一の評価額にも納得できるかもしれない。し かし、 A 社・ B 社の解散・清算が予定されておらず、 あれば、まずは、直近の額を基礎に、過去の額の推 移や今後の事業計画をも参照しながら、一定期間 ( 5 継続企業として毎年一定の収益を上げることが想定 年間から 10 年間程度 ) の額を予測する。そのうえで、 されている場合には、ネットアセットアプローチだ と、毎年の会社収益の額や株主が受け取る剰余金配 当該一定期間経過後については、 ( a ) 予測期間の最終 期の額をベースに、期待インフレ率などの一定の成 当の額がまったく考慮されないために、株式評価方 長率が継続すると仮定したり、あるいは、 ( b ) 予測期 法として基本的に妥当でないと考えられる。 間の平均額が継続すると仮定したりすることが行わ 3 ーインカムアプローチ ( 収益方式 ) れる。 [ 1 ] 概要 [ 3 ] 現在価値の算定 : リスクがない場合 インカムアプローチでは、①評価対象会社の株主 インカムアプローチでは、予測される将来フリー が将来いくらの剰余金配当を受けられるかを予測し キャッシュフロー等の額を適切な「割引率」で割り て株式の価値を求めたり ( 配当還元法 ) 、あるいは、 引く ( ディスカウントする ) ことも必要になる。と ②会社が将来いくらの利益を上げるかを予測し、そ の予測額に基づいて株式の価値を求める。このうち いうのも、例えば C 社について、 1 年後に 1.1 億円、 2 年後に 1.21 億円のフリーキャッシュフローが確実 ②の方法で、会社の将来の利益を基準とするのは、 に期待できるとしたときでも、そうした 2 年間分の それが株主への配当の原資となるからである。そう フリーキャッシュフローの現在における価値 ( 現在 であれば、最初から①配当還元法に拠ればよさそう 価値 ) は 2.31 億円ではない ( 2.31 億円から割り引いた であるが、現実には、会社の配当政策は合理的であ 価値しか有しない ) からである。 るとは限らない。また、事業再生途上であるという そのことを理解するために、 C 社が現在保有して 理由や税制上の理由により、配当を低く抑えている いる 1 億円を、国債などのデフォルトの危険のない 企業もあるであろう。それらの場合に、過去の実績 ( とみてよいであろう ) 安全な資産に投資するケース をもとに将来の配当額を予測するのは妥当でないと を考えてみよう。仮にそうした安全資産の収益率 ( 安 いう考え方から、②の方法では、株主への配当額で はなく会社の利益の額が基準にされている。 全利子率・リスクフリーレート ) が年 10 % ( 現在にお ②の方法が基準とする会社の利益としては、課税 いては少し非現実的な数字ではあるが ) であるとすれ ば、現在の 1 億円は 2 年後には確実に、 1 億円 x ( 1 後純利益 ( 収益還元法の場合 ) のほか、フリーキャ + 0.1)2 = 1.21 億円となる。これを逆にみれば、 1.21 ッシュフロー ( DCF 法の場合 ) が挙げられる。 一三ロ

7. 法学セミナー 2016年10月号

LAW 062 法学セミナー 2016 / 1 0 / n0741 債権法講義 [ 各論 ] ー 7 第 1 部序論喫約総則 第 2 章契約法序論 [ 第 8 節 ] 「契約締結上の過失」と「契約準備段階の信義則」 東京大学教授 河上正二 こでは、前回に引き続いて、契約の締結過程あるいは形成過程の諸問 題に関連して論じられることの多い「契約締結上の過失」法理と「契約準 備段階の信義則」について検討する。問題は既に民法総則でも登場したが、 主たる舞台は契約法にある。契約が成立するまでの間に、交渉当事者だ置 かれた状況下では、いかなる行為規範が存在するのか、その法的性格は何 か、義務違反にはどのような法的効果が付与されるのかといった諸問題が 問われることになる。具体的には、不動産取引、融資取引、企業間の合併 など、比較的高額で複雑な契約交渉の過程での契約交渉破棄をめぐる問題 が主たる検討対象である。裁判例の紹介では、交渉の経緯についての事実 に目を向ける必要がある。煩瑣ではあるが、やや詳細に事実関係を紹介す る。読者には、事実の経緯を読み取って評価を加えることの重要性を学ん でいただきたい。 る。同様の問題は、わが国では「契約準備段階の信義 則」として語られることも多く、とりわけ、昭和 50 1 契約締結上の過失とは 年代以降には、交渉破棄事例に関して、多くの裁判例 ( 1 ) 意義 が集積されている ( 河上・後掲「契約の成をめぐって ( 1 ・ (a) 契約上の過失王侖の意義 2 完 ) 」、同「わが国裁判例にみる契約準備段階の法的責任」 契約交渉段階に入った当事者は、なんら特別の関係 千葉大学法学論集 4 巻 1 号 [ 1989 年 ] ) 。さらに、既に見た、 情報提供義務や説明義務、相手方の利益顧慮義務、不 のない者同士の出会い頭の関係とは異なり、いわば契 当勧誘行為に対する規制理論など、交渉過程での当事 約成立に向けて協力し合うパートナーとして比較的濃 者の信義則上の諸義務の源泉としても「契約締結過程 密な関係にあり、互いに、相手方に不要な出費や損害 を与えないように配慮すべき信義則上の義務に服し、 の過失」カ語られることもある。 自己の責めに帰すべき事由によって、その義務に違反 契約が既に成立した場合は、できあがった契約規範 の「前倒し」と考えることも不可能ではないが、契約 し、相手方に損害を生じさせた場合には、契約責任類 が成立しないで終わった場合には、その法的性質は「契 似の責任を負う。それは、契約法を支酉ける信義則の 約類似の」特殊な様相を帯びるため、契約責任か、不 契約前段階への時間的拡張といってもよい。この責任 法行為責任か、それとも信義則に支配された第 3 カテ が肯定される理論的根拠として語られるものが、「契 ゴリーの責任かをめぐって争われてきた。しかし、 約締結上の過失 ( 翩加 c 。厩耀ん面 ) 」である。わ の問題は、「契約の成立」を如何なるものと考えるか が国には、契約準備交渉段階での過失ある行為につい ての特別の規定は存在せず、この法理は、 R. v. イエ にも左右される。主たる給付の履行義務の確定的発生 を基軸に「契約の成立」や契約責任の発生を語るとす ーリンクのげ g ) の名とともに、ドイツ法学からわ が国に学説によって導入された法理である。近時、そ れば、法的には、不法行為責任の一種と考えざるを得 の法的性質や評価をめぐっては多くの議論があり、今 ないものであるが、「予約」や「中間的合意」、履行義 日では、むしろ問題となる場面ごとの分析が進んでい 務とは異なる契約成立に向けた誠実交渉義務について CLASS クラス [ ここでの課題 ] 第 8 節「契約締結上の過失」と「契約準備段階の信義則」

8. 法学セミナー 2016年10月号

以上のような経緯の下で、 X は、売買契約を原因と して本件不動産の持分移転登記手続を請求したが、第 一審 ( 福岡地判平 3 ・ 8 ・ 26 ) は、未だ契約は成立して いないとして請求を棄却。 x の控訴理由では、一審で の主張に加え、予備的に、かりに契約が成立していな いとしても Y らには契約準備段階における信義則上の 注意義務違反があると主張した。 [ 判旨 ] 「 X と Y らは、本件各土地についての売 買契約を締結するべく、その仲介業者らを介して 準備を整え、売買物件、売買代金等売買契約のた めの重要な事項についての合意が成立していたと 言うことができるが、結局は、売買物件である本 件各土地の所有権移転登記と代金の支払とを平成 元年 10 月 20 日に一括決済することとしたのである から、この段階では、右の一括決済時に売買契約 が成立し、同時に履行もなされる予定であったと 解される ( ところ ) ・・・・・・結局、 Y らの拒否により、 売買契約の成立には至らなかった」のであり、本 件取引は「合意の形成過程にあったというべきで ある」。したがって、契約成立を前提とする X の 請求には理由がない。 / しかし、①代金及びそ の決済方法など契約の重要な部分についての合意 が成立していたこと、②その過程で、互いに不動 産の売渡に対する請書や買受申込みに対する請書 を作成し、国土利用計画法 23 条による届出をなし、 x において代金支払のために国内信販と融資契約 をして小切手を用意させて決済場所に持参させて いたこと、③何等不利益は被らないと思われるの に、 Y が抵当権設定を断わり署名押印を断わった こと、④保証書による所有権移転登記申請をなし、 法務局から送付される確認申出書の交付と売買代 金支払とを一括決済することとし、その際、土地 上の建物の帰属などについても話し合われたこと ・「このような事実経過からすれば、 X として は、右交渉の結果に沿った契約の成立を期待し、 そのための準備を進めることは当然であり、契約 締結の準備がこのような段階にまで至った場合に は、 Y らとしても X の期待を侵害しないよう誠実 に契約の成立に努めるべき信義則上の注意義務が あ ( り ) ・・・・ Y らが、正当な理由がなく X との契 約締結を拒否した場合には、 X に対する不法行為 が成立する」。本件において、正当な理由を認め るに足る証拠はなく、契約締結拒否によって X に 生じた損害として、ノンバンクに対して支払う融 069 債権法講義 [ 各論 ] 7 資取扱手数料 ( 1987 万円余 ) 、収入印紙代、利息、 及び司法書士登記手数料、の合計 2956 万円余につ き Y には損害賠償義務がある。」 不動産取引に関する裁判例では、概して取引慣行や 交渉の経緯に配慮しながら契約締結に向けての当事者 の最終意思の存否カ驥重に認定される傾向にあり、単 に代金や目的物等の主要な点についての合意による諾 成的契約成立が認められにくくなっている。その際、 契約交渉段階における信義則で語られる注意義務の内 容は、きわめて豊富である。既に交渉のかなり早い段 階から一定の開示義務・情報提供義務・説明義務・調 査解明義務・通知 = 警告義務等の存在が指摘され、相 互の信頼関係に基づいて相手方の人格や財産を害しな いよう配慮すべき義務や、「場合に応じ相互信頼を裏 切らない義務」があるとされてきた。加えて、商談が 煮詰まって本本箚ヒしてくると「契約成立に向けての誠 実交渉義務」カじられ、さらに、本件のように、交 渉が事実上の合意に達して正式の契約を待つばかりの 最終段階にある場合には「契約の成立に努めるべき信 義則上の義務」を負うようになる場合があるとされた。 いうまでもなく、交渉ごとは自己責任・自己危険負担 が原則ではあるが、相互に相手方に対する関係で「損 害拡大抑止義務」があるものとされ、交渉に内包され ていた潜在的挫折要因に対する支配可能性に対する評 価を含めて、過失相殺による調整が行われることも少 なくない。本判決を含め、これらの裁判例で責任の存 否を決するにあたっては、当事者の属性や交渉へのイ ニシアチプ、契約成立へのイ言頼惹起行為、中間的合意 文書、交渉破棄への正当事由など様々な要因が考慮さ れている。 少なくとも、慎重さを要求される不動産売買の特質 や取引慣行からすると、正式契約書の作成が後日に予 定されている場合には、契約を成立させることへの当 事者の最終意思が、その時点まではなお留保されてい ると推定される可育生カ皜い。判旨は、一方で「売買 物件、売買代金等売買契約のための重要な事項につい ての合意が成立していた」と認定しつつ、履行方法と しての所有権移転登記と代金支払の一括決済の約定を もって一括決済時に売買契約を成立させる予定であっ たとの評価を与えるにとどまる。不動産の所有権移転 時期を考えるための指標として、代金支払や移転登記 カ語られて久しく、契約成立に関する当事者の意識も またそこに見いだすことが適当であるとの判断力嘴後

9. 法学セミナー 2016年10月号

068 法学セミナー 2016 / 10 / no. 741 らす利益状態 = 履行利益の確保 ) を、相手方に義務づけら れたが ( 第 23 「契約の交渉段階」 ) 、議論の身呈や賠償範囲、 れることにほかならない。かりに、侵害された「期待 他の制度との関係等が詰め切れず、なお生成途上の法 利益」が「履行利益」に相当する状態にあるとすれば、 理として、結局、法案には至らなかった。 それはまさしく「契約が成立した状態」にほかならす、 2 契約交渉破棄に関する応用問題 契約成立前に契約の成立と同等の法的効果を付与する ことは、契約の成立に関する基本ルールを無視する結 問題の所在を具体化するために、以下では、代表的 な問題状況を裁判例を素材に紹介しておこう。 果となる。なるほど、「契約が有効に成立すると信じ たことによって被った損失」と、「契約カ陏効に成立 したことによってもたらされる利益の喪失」は観念的 ( 1 ) 不動産取引交渉 ( 福岡高判平成 5 ・ 6 ・ 30 判時 1483 号 52 頁 = 河上・私法半捌リマークス 10 号 48 頁 ) な区別であって、損害原因事実を起点として因果関係 によって定められる原状回復の方向の違いを意味する X は、不動産取引および同開発コンサルタント に過ぎず、要は、交渉不当破棄によってもたらされる 業務等を目的とする会社であり、平成元年 8 月頃、 「損害」に関する相当因果関係の判断に帰着する問題 スポーッセンターを建設するため、仲介業者を通 ではある。さしあたって、契約が有効に成立したと信 じて Y らから、本件土地を 39 億 6000 万円で購入す 頼したことによって被った損害を、いわゆる「信頼損 ることとした。同年 9 月 7 日には X が「不動産売 害」と呼ぶとしても、それは履行利益を上限とするも 渡に対する請書」を、 9 月 23 日には仲介業者が「不 のでなければなるまい。 動産買受け申込みに対する請書」を交付、さらに、 (vi) 契約を成立させる義務、あるいは「なし崩し的」 9 月 25 日には市長に対し国土利用計画法 23 条によ 契約成立 ? る届出をなし、 10 月 11 日にはこれについての不勧 外形上合意カ定的に成立していたものが事後に失 告通知書を受領した。かくて XY 間では、売買代 効したような局面では、当該内容の実現可能性・期待 金額も確定し、平成元年 10 月 20 日に所有権移転登 利益取得の蓋然性ないし損害の現実性の程度等が、そ 己と代金支払を一括決済することとなった。しか こでの実質的判断要素となりうる。しかし、取引が未 し、決済日前日に、 Y らは土地の権利証がないこ とに気づき、協議の結果、保証書をもって登記す だ「交渉段階にある」場合、当事者はなお契約不成立 ることにしたが、その際、本件土地に X が抵当権 の可育生を常に覚悟すべきであり、原則として、自己 を設定することを条件として代金先払いするもの のリスクにおいて交渉費用を負担すべきである。契約 とした。決済日に、 X は売買代金額に相当する銀 の成立カ実視されたにもかかわらず相手が正当な理 行振出の小切手を持参して調印に臨んだが、直前 由なく信義則に反して交渉を破棄したような場合に限 になり、売主である Y らの一人が抵当権設定契約 り、それによって無駄になった投下費用が、「通常生 書と委任状に署名押印することは保証人となる可 すべき損害」と観念され、損害賠償の対象となる。さ 能性があるとして契約書作成に難色を示した。そ もなければ、交渉過程に身を置いたとたん、すべから こで、 XY は、保証書による所有権移転登記手続 く当事者は契約締結に向けて何らかの拘東を受けるに の際に、法務局から売主に送付される確認申出書 等しい結果となり、自己に適合的な合意内容の可能性 の交付と代金支払を同時にすることとし、あらた を探って交渉をすればするほど、契約的桎梏から逃れ めて、確認申出書が到着するであろう日の翌日で られなくなるという不合理な結論となる。この場合、 ある 10 月 24 日を決済日と定めた。しかし、 24 日に、 契約の成立の「蓋然性」の程度によって、履行利益の Y らは X に売買を白紙に戻したい旨を伝え、所定 何割かを賠償額とするような見解は、いわば契約の「な 期間内に登記申請の間違いないことの申出もしな し崩し的」成立を語るもので、社会学的にはともかく、 かったため、所有権移転登記申請は却下された。 法律論としては不適切である。 この間、 X は、資金繰りのために国内信販に 44 億 円の融資申込をし、 10 月 20 日には銀行振出の小切 (c) 債務法改正での議論 手を用意させるなどしていたため、手数料等の支 債権法改正では、中間的論点整理までは、契約の不 払を余儀なくされた。 当破棄に関する責任の規定化が問題として取り上げら 一三ロ

10. 法学セミナー 2016年10月号

066 法学セミナー 2016 / 10 / no. 741 ない。むしろ、交渉段階での既成事実の積み重ねが、 し、 Y の意向を確かめないまま、同建物に変電室 を設けるべく建築業者に設計変更を指示した。 2 各当事者の締約自由を不当に奪うことのないよう留意 月 20 日に、 X は、 Y に設計変更の事実を告げたと する必要があることを強調しておきたい。したがって、 ころ、 Y は格別の異議を述べなかったばかりか、 交渉破棄事例などでは、破棄に至った事情に相当の合 3 月頃には、金融機関への融資申込に必要となる 理性があるかが廩重に吟味されねばならない。 「見積書」の作成を X に依頼した。 3 月下旬、 X は、 ( ⅱ ) 具体例から 訴外 A と交渉の末、 2 階の一室を賃貸でなら Y に この点を最判昭和 59 ・ 9 ・ 18 ( 判時 1137 号 51 頁 = 判タ 提供できる旨を Y に告げたところ、 Y は、 1 階が 542 号 2 開頁 ) を例に説明しよう ( 詳細は、河上・民法学入 買取りで 2 階が賃貸では将来に問題が残ること、 門第 5 章参町 毎月の支払額が多額になる等の理由で断わる意向 認定事実によれば、本件交渉は大略次のような経緯 を示し、 3 月末には、資金的に無理であるから買 をたどっている。 うことはできないと取引を断わった。同年 5 月下 旬、 X と訴外 A の話合いによって、 X が 2 階の 1 X は、いわゆる等価交換方式で訴外 A の所有地 室を取得できることになったため、あらためて Y に四階建て分譲マンション建設を計画し、昭和 54 に対して 102 号室と 2 階の 1 室を一括して売って 年 11 月の着工と同時に購入者を募集した。歯科医 もよい旨を申し出たが、 Y は、買取りの意思はな Y は、かねてより好条件の賃借物件を物色中であ いと拒絶した。 X は、変電室を設置するための設 ったところ、不動産業者の紹介で同年 11 月 20 日に 計変更の決定まで工事を中止していたことによる 初めて X と面談した。しかし、 Y は、分譲対象と 鋼材リース代、大工手間賃、設計変更に伴う工事 なった建物 1 階 102 号室の物件の面積が狭いこと、 代金増額分など計 420 万円余につき、損害賠償を 賃借ではなく買取りであることなどから、なお検 請求して本訴に及んだ。 寸したい旨を告げ、歯科医院設備を扱う専門業者 2 社に同建物でのレイアウトと見積りを依頼し 交渉の経緯からもわかるように、契約が成立するま た。同年 12 月 27 日、 X は Y に対して、多数の申込 での過程で、 XY の間には様々なやりとりがある。と があるので態度を早く決めて欲しい旨を要望する りわけ、 Y カ購入を検討するために、 2 階部分の利用 とともに、代金減額の可能性を示唆した。 Y は、 スペースの面で不十分であること、もし 2 階の 1 の可能性、電気容量の拡張の可育生を打診し、見積書 室を使うことができれば広さとしては可能である の作成などを依頼し、 X もまた Y の意向に添うよう一 ことなどを述べたが、 X としては、 2 階部分が等 定の努力をし、独断ながら変電室の設計変更にも踏み 価交換で訴外 A の所有となる予定であるので一存 切っている。しかし最終的には意思表示の合致 ( 契約 ではいかないと断わった。しかし、 Y はなお検討 の締結 ) をみていない。このとき、契約締結に対する したいので結論は待ってもらいたいと述べ、 10 万 X の期待や信頼は法的な保護に値しないのか。保護さ 円を支払った ( この金銭が何を意味するのかは判然 れるべきであるとすれば、それはいかなる法的根拠に としない ) 。昭和 55 年 1 月中旬頃、 Y は 2 階の 1 基づくのか。逆に、 Y の立場からすると、未だ態度を 室が使えなければ歯科医院の移転は無理であると 決めかねていたにもかかわらず、ある段階から、契約 の結論を得たが、なお 2 階部分が使えるかも知れ に拘束されてしまうことになるのは、契約自由の原則 ないと考えて、交渉を断わることをせず、同年 1 に反し、不当な結果とならないかが問われる。 月下旬には、歯科医院では電気を大量に使うが電 第 1 審の東京地裁昭 56 年 12 月 14 日 ( 判タ 470 号 145 頁 ) 気容量はどうなっているかといった点について問 は、次のように述べて X の損害賠償請求を一部認容し い合わせた。 X は、 Y が要求するだけの電気量を まかなうには現状の設備では遥かに不足となるた 0 め ( 隣の 101 号室に入居する中華料理店だけでもかな りの電気容量を必要としていた ) 、別に変電室を設 けねばならず、それだけ余計に費用がかかると述 べた。 X は、その後、改めて電気容量を計算し直 一三ロ 「取引を開始し契約準備段階に入ったものは、 一般市民間における関係とは異り、信義則の支配 する緊密な関係に立つのであるから、のちに契約 が締結されたか否かを問わず、相互に相手方の人