真鶴と塩屋のまちづくり共通点は ? Mutual point 2 音楽・アートイベント 真鶴まちなーれ 町各所に展示されたアート作品を見ながら、真鶴独自の風 景を楽しむ芸術祭。音楽イベント「響けマナツ・ル ! 」も開催。 Mutual point 3 個性豊かな出版物 Mutual point 1 まちのコード ー。一工リさんが から学んだこと。 「美の基準」の、月空階段」という項目に 「青空階段は緑、鉢物の展示場」と書いて あるんですが、本当にそんな場所がたくさ んありまし大を塩屋は海沿いに線路と国道 が接しぞいるので、その利便性ゆえにマン ンがち並んでしまいました。それもあ っそ、物的に海は近いけど心理的には 遠い。そに対し真鶴は一番山側に駅 があるで、まと海がシームレスにつな がっている。それで美しい景観が守られた 部分もるも思いました。 真鶴 小さな動ィ , 事をつ ( る 真鶴出版の 編集物 真鶴出版では「ノスタルジ ック丿ョートジャー —in 真 鶴」「やさしいひもの」を発 行、「小さな町で、仕事をつく る」の制作を担当。 美の基準 1993 年に制定され、翌年か ら施行された、真鶴町のまち づくり条例。強制的な建築 法ではなく、住民が大切にし てきた暮らしかたを綴ったも の。昔ながらの町並みを守る。 やさし 0 、ひもの 塩屋 塩屋百人百景、 塩屋百年百景、 塩屋本 2015 「塩屋百人百景」「塩屋百 年百景」は写真集、「塩屋 本 2015 」はまちを知ることが できる小冊子。アリさんが製 作に携わっている。 塩屋 景観ガイドライン 塩屋まちづくり推進会が作 成中の、塩屋版「美の基 準」。景観はもちろん、歴史 や文化、人などの町のスケ ール感も含む塩屋らしさを 模索している。 景観カイトライン しおや歩き回り音楽会 「しおさい」という塩屋のまちの文化祭のメインイベントとして 開催。まちを歩きながら、塩屋の音楽と出会っていく。 川口さんが 塩屋から学んたこと。 駅前の商店街が生き残っていることがす ばらしいと思いました。塩屋は細い道をみ んな歩いて駅 - に向かったり、家に帰った り。商店街で声をかけ合う光景がたくさん 見られました。一見不便のように思えるけ ど、道が狭く、歩くといつ行為がコミュニテ ィを守っているのかもしれません。真鶴は 車が通る幹線道路があるので、コミュニテ ィが分断されている部分もあります。あと は、住民がすごく自信を持っているように 感じました。みんなすごく堂々としている。 073 SOTOKOTO September 2016
一寉 まちの美しさを保った「美の基準」 その手ざわりを求めて。 奈 まち歩き交流は続き、今度は塩屋 子さんが実行委員長を務める「真鶴 まちな 1 れ」という芸術祭も 3 年前 のアリさんが真鶴町を訪れた。真鶴 から開催されている。まちの空き家 には「美の基準」というまちづくり や蔵などにア 1 ト作品が展示され、 条例がある。これが現在の美しいま ちなみを守ったという一面もある まちを歩きながら鑑賞できる。「歩 景観が似ているまちとして、アリさ き回り音楽会」に似たコンセプトで、 んも気になっていた条例であり、ま ア 1 トや音楽とまちの営みが融合す る仕掛けた。真鶴にも、歩き回れる ちでもあった。「美の基準」は、もと 路地がたくさんある。アリさんか もと住民が持っていた意識を言語化 したものだといわれている。その点 「ステ 1 ジ ( こできそう」と見立てた 場所もたくさんある。もしかしたら、 を受けてアリさんは「もともとの気 次のまちな 1 れでは「歩き回り音楽 立ての良さを感じた」という。 会ⅲ真鶴」というコラボが実現して 「家の周りまでケアしたりと、住み 方がきれい。囲わないという基準は ふたつのまちが交流するきっかけ 住半透明性が保たれて、そうした関係 色、い は、まちの形が似ていたから。最初 が素晴らしいですね。べンチが家の はそんなものでいいのかもしれない。 ロ前に置いてあって、公共の休憩所に だんだんと人の顔が見えてきて、共 なっている。こういうことは、塩屋 0 山や通点や差異もわかってくる。すると でもやりたいです。塩屋にも路面店 3 一 景お互いの強みを交換することができ が結構あります。さらに植え込みや さの アま るたろ , フ 本棚ゃべンチまであり、狭い道幅が 余計に狭くなってたりする ( 笑 ) でもその距離感の近さがコミュニケ 美が 部な ト見 ーションを生み、景色をダイナミッ クにするし、あたたかくて、豊かな ものにしていると思います」 ん 真鶴にも、人を惹き寄せる音楽や ア 1 トがある。『草柳商店』の店主・ しげちゃんこと草柳重成さんが始め た「グリ 1 ンエイド真鶴」は小さな 音楽フェス。主催者が代替わりしな のの がらも今年周年を迎える。さらに、 —タ 1 ン者で、音楽好きなト部美穂 真鶴に移住してきた人 向井研介さん、 - 向井日香さん 2 01 6 年 6 月に移住してきたばかりという真鶴ホヤホ ヤのご夫婦で、伺ったときは、自宅を絶賛リノベーシ ョン中だった。日香さんは造花作家として活動中。 September 2016 SOTOKOTO 072
クルによって、クリエイテイプな人 そんな塩屋とランドスケープが似 、ほとんどが徒歩移動になるとい 種と、人情のある昔ながらの情景が ているという神奈川県・真鶴町から、 うことだ。アリさんか案内してくれ 融合しているのだ。 『真鶴出版』の川口瞬さんがやって たのは、リノベ中の住宅と店舗、古 旧グッゲンハイム邸の長屋の住人きた。「まちの形が似ていると、人 い洋館、風情のある坂道、そしてた はなかば強制的に ( ! ) 、「ペ・ も似てくるのかもしれません」とい くさんの変な階段 ( ! ) 。 グ」というトランペットグループに う川口さんの予想のもと、アリさん 「たしかにまちなみは真鶴にすご 参加することになる。吹ける吹けな とともにまちを米一いてみる。ともに、 く似ていますね」という川口さん。 いにかかわらず、だ。そういった素海があり、坂があり、路地は細く入似ているまち同士、どんな共通点が 人的偶然性や組み合わせの妙といっ り組んでいる。大きな違いは、塩屋あり、どんな問題点があるのかま たものにア 1 トを見いだすアリさん には車が通りやすい大きな道路がな ち歩きしながらの交流が始まった。 の感性は、地域での活動にも活かさ れている。今年の秋で 3 回目を迎え る「歩き回り音楽会」は、塩屋のい たるところがステ 1 ジ。出演者は全 員塩屋の人か、塩屋に緑のある人で、 観客はまちを歩きながら、非常階段 や坂の上や住宅のべランダなどから 鳴らされる音楽に耳を傾けるのだ。 音楽やア 1 トという観点から考える、 上段からではないユニ 1 クな活動が、 まちの魅力にひとつになっている 塩屋に移住してきた人 澤井まリさん一里斐腸子さん 2 年前から夫婦で自らリノベーションをしている澤 井さん。それを手伝っている甲斐さん。自宅とシェア ハウス、そしてカフェにするという。 ⑤旧グッゲンハイム邸長屋のリビング、通称グビング。住人以外にもわらわら人が集まってくる。 6 旧グッゲンハイ ム邸のメインホール。コンサートなどもここで開催。・青空の下で、友人に髪を切ってもらうことも。⑧長屋の住人に よるトランペット部隊、それがペ・ド・グ。メンバーはそのときによるというアメーバ型。 上 / 旧グッゲンハイム邸専用、なんていうと怒られるかも しれないが、それ同然とも思えるコンパクトな踏み切り。下 / すり鉢上の地形と、山と海の近さは真鶴とそっくり。高 低差も似ているそうだ。 071 SOTOKOTO September 2016
を第第響 もアイ で 1. 「胎内市シェアハウス・プロジェクト」のメンバーのみなさん。 どんな想いですか ? 活気ある 胎内市に しましよう ! を工、 をー・はーで事 乙川盟い 上 / まちで出会った久世俊介さんは、乙宝寺門前の『乙まんじゅうや』 の 1 1 代目。「外から来た若い人と話すのは、古いまちに気づきを与える いい機会。旅行者も移住者も大歓迎です」。中 / 乙まんじゅう。皮は女 性、あんこは男性がっくる。下 / キラキラ輝く日本海。海水浴場も完備 ! 員るくそ出向がのてん は頃う揃けりひいなさ 加ずにだって は つも、第らき かけに皆 出アらな生さ いか加回選し るしメの定てウさろれ かたンミ作いスまうて 1 業くづざかい れあもイ入候りな なな増ンっ補が人高、ウ たえグて物実が橋わス ! もてをい件現っさかが い開くがになんつど 軒、別の候補物件もある。西村さ んから場づくりを学ぶ稲森光太郎さ んが見つけた元・旅館で、廃業後は 空き家になっていたそうだ。「プロ ジェクトを大家さんに説明し、許可 もいただきました」と稲森さん。以 前に見学した西村さんは、「居酒屋 スペースが隣接しているので、ゲス トハウス兼バーみたいな空間にでき れば、旅行者やまちの人との交流も 深まりそう」と笑顔で語った。 鴻置之さん 高橋 - 物さん 稲森光太郎さん 松裕夸ん 川晴彦さん 酉村治久夸ん 「カエッ工業』専務取 「胎内市シェアハウス・ 化学工ンジニアとして 「カエッ工業』介護事 「カエッ工業』不動産 『ギルドハウス十日町』 締役。東京暮らしも経 プロジェクト」の発起 の主で、「胎内市シェア 勤めた後、マレーシア 事業部の営業所長。老 業部の営業・企画運営 験しているので、都会 人。多拠点の場を持っ 舗の大家さんから 2 軒 ハウス・プロジェクト」 で起業。現在は場づく 次長。高齢者のふれあ の若者の感性を熟知。 をプロデュース。 ことに興味あり。 りの極意を勉強中。 い交流拠点を構想中。 の物件を託された。 プロジェクトの参加者、 大募集中です ! 僕らと一緒に 素敵な場づくりを ! 訪れる若い人たちに 期待しています ! 一緒に胎内を 盛り上げましよう ! シェアハウスの物件、 探しています ! 移住、のステップを、 朎内て始めよう ! 059 SOTOKOTO September 2016
つかけは、 地元に住むどッ若者。 也域と世代 係性が広がついき まさに昭和。 味わい深い 建物たね。、 ~ ' 昭和 30 年頃に取り壊された旧・中条小学校の壁や柱をリュースして建てられた、 2 階建てメゾネット式のアパート。候補物件の一つ。 地域からもさまざまなことを学 不動産屋さんが見つけた、 んでほしいです」と期待を寄せる。 候補物件をみんなで見学 ! 物件の見学を終えた西村さんは、 商店街のそばにあるこの古民家は、「いきなり移住するのが難しけれ 地元の大家さんが年ほど前まで暮ば、 " 試住。の場としてもいい。数か 月間お試しで住んでみて、シェアハ らしていた築 100 年を超す堂々た ウスの住人や地元の人とふれ合うこ る家。染物屋さんを営んでいたため、 とで、胎内市を知り、気に入っても 1 階には広い土間もあり、 魅力的だ。同じ敷地内には、 昭和年頃に旧・中条町で 初めて建った古いアパート も健在。「『奥村アパ 1 ト と言えは、まちで知らない 人はいないほどでした」と 大家さんは微笑む。西村さ んは、「古民家はシェアハ ウスに、アパ 1 トは手づ りのものを販売するチャレ ンジショップにするのもい いかも」と将来の青写真を 思い描いた。 多くの地方都市と同様、 若者の流出に悩む胎内市だ が、明るいニュ 1 スも舞い 込んでいる。 2 018 年 4 らえればうれしいですね」と話した。 月に『新潟食料農業大学 ( 仮称 ) 』が 開校を予定しているのだ。設置準備高橋さんも、「自分の居場所を 1 か 室の宮﨑真利さんは、「地方の大学所にとどめず、多拠点な暮らしを実 は地域あってのもの。学生さんには践したいです。多くの人に刺激を受 け、自分の可能性を広げたいから」 地域に根付いた暮らしを満喫してほ しいです。本学のモット 1 は、即戦と、プロジェクトの進展と自分の将 力となる人材の育成。学生の起業も来を重ね合わせていた 今回は取材できなかったが、もう 応援したいし、大学の中だけではな ①候補物件の古民家に入れてもらい、見学する高橋さん ( 右 ) 、西村さん ( 中 ) 、稲森さん ( 左 ) 。今は倉庫として使われている。②古民家の格子窓からは通りが見下ろせる。「秋の 中条まつりの山車も目の前で見られるね」と西村さん。 3 古民家を見た感想を述べ合うメ ンバーたち。④古民家の外観。趣のあるシェアハウスが生まれそう。 September 2016 SOTOKOTO 058
物 : をに朝 ルールがない ? にわかに信じがた い言葉だが、 それがいかにして成り立 っているのか、実際に見ていこう 広い玄関を通ってリビングに入ると、 清潔感があり、整理整頓がとてもよく 行き届いていることにすぐに気づく 取材に伺ったのは土曜日のお昼前ち ようど住人たちがバ 1 ベキュ 1 の準備 をしている最中だった。戸谷さんに入 居者数を尋ねると、年齢は四歳から 歳まで、子どものいる世帯やカップル も含めて現在は幻世帯約人が住んで しるという。かなりの大所帯だ。 キッチンにある大きな食器棚とパン トリ 1 には共有棚があり、住人たちが シェアする調理道具や手づくりの発酵 食品などが充実していた。すぐ横に 住人同士が自分のモノを自由に販売し あうマルシェコ 1 ナ 1 。さらにその隣 に置かれていたのは、お金の入った瓶 なんと " フリ 1 お金 ~ だという 「これも、日々の消耗品などを買うた めに住人たちがキフトし合ったもので す。こうやってシェアされたものは、 お金だって自由に使っていい使い途 にも決まりはありません。また、もし 買いたい共用物が高額な場合には、ば くに申請してもらうと次の月の家賃か ら差し引く仕組みもあります。たとえ 理人を務める戸谷浩隆さんは話す。 お互いさまの関係性で お金までフリー ? コミュニケーションが 楽しいね ! 食べ物は よく交換するよね。 モノをシェア プ 0 〇の 。ーイをーい 1 ・ 庭で育てているハープを摘んでハープウォー住人同士で仕込み、完成を心待ちにされていキッチン裏のパントリー。共有棚には食品やきれいに並べられたハープティーの瓶。これた ターに。爽やかな香りが涼しげ。 る梅酒や味噌。今年はどんな味 ? 道具が多く置かれていた。 けの数もシェアハウスならでは。 各国から持ち寄られた、さまざまな種類の紅 茶たち。毎日違うものを試せそう。 ピクルスなどの発酵食品たち。ちょっとしたお かずにしたりと重宝しそう。 日 CI more 大皿から茶碗、小鉢まで揃い、枚数もたくさフリーお金。「ハウスのために誰でも自由に使 えます」との説明書き。 ん。食器類で困ることはなさそう。 ひとつずつバラ売りされていた野菜は、シェア世界各国から集められたミント。廊下で無人 するためにまとめて買ったもの。 販売中。 本棚には本がぎっしり。持ち寄った本によっャカンや鍋といった調理道具。変わり種の鍋 や製麺機といった専門的なものも。 て、その人がどんな人かもわかりそう。 無償でシェアしてもいいし、販売したってい買ったモノの代金を入れておく瓶には各自の 名前が書いてある。 い。そこにも決まりはない。 September 2016 SOTOKOTO 052
ぜひ気軽に てきて 入っ ( ださいね ! す。「コミュニティスペ 1 スだと言理に値段をつけるわけではない。店通行ではなく、小林さんにとっても われることもありますが、僕もやっ舗や会社ではないから、「運営して仕事が生まれたり、人に作業を手伝 かいな人間で ( 笑 ) 、カテゴリーを決 ってもらったりと、よいキプ・アン いる感覚もない」 し」い - フ 0 「一」 , 」に めたくないんですよね。『よくわか来る人を " お客さん】にしたくない ド・ティクが循環している。「いろ んないけど人が集まっているよね んですよ、 " 友達】なんです。彼らに んな人が来てつながりが生まれる場 って思われるような空間でいいんで になったらおもしろいですよね。そ どんな楽しさを残そうか、ちゃんと す」。『シンカイ』は『シンカイ』、と用意するよう心がけています」。か う、公園や公民館のように。あらゆ いうわけだ。カフェではないからメ って挫折を味わった小林さんは、人る楽しさや、おもしろい大人と出会 ニューはないし、ごはん会で材料費 にイえたいものと自らのステ 1 ジを える場にしていきたい。 をワリカンにすることがあっても料 しつかり見つけたのだ。それも一方んなの遊び場です」。 、徐々に人が集ま。てきた ! ー級建築士の野々山修一さんが中心となって、流しそうめんを準 備。「たまたま竹が手に入ったから」という理由で企画したのたそう。 「一人でご飯を食へるよりみんなて食べたほうがおいしい、といつも 考えます」と小林さん。 みんなて食、ると 楽しいねー 流しそうめん、スタート ! 「いくよー ! 」「来た来た ! 」とついにスタート ! そうめんにまきれて、プチトマトや手みやげとして持ち込まれたさ くらんぽも流れてきて、大盛り上がり。この日のために小豆島から取り寄せたそうめんと豊富な具材で、贅沢な 参加者同士、わいわいと楽しみながらも、涼をとるひととき。 ロロー 0 Q u e s t i 0 n 小林隆史さんに とって、 人がつながる家とまちって ? 。突然の訪問者だって / ウェルカム ! 山梨県のローカルフリーマガシン BEEK 」編集長の土屋誠さん ( 写 真左 ) が、最新号を抱えてふらりと やって来た。もともと「 BEEK 』のフ ァンだったという小林さんは、土屋 さんの突然の訪問に大喜ひ ! A S w e r ただ集まるのではなく、流しそ うめんや映画など、人が集ま る " ゴール " があると楽しいし、 つながっていきやすい 訪れた人たちに コーヒータイムをよ 豆を挽くところから、ていねいにコーヒー を淹れる小林さん。「過度なおもてなしは しない」と言い、自らも寛ぐことを大切に しているそうたが、こうした要所では彼の 心配りが光る September 2016 SOTOKOTO 044
と思っているんですけど、僕たちが 受け入れられたのはそれだけが理由 じゃなかったんです」。 それは、『シンカイ金物店』がこの 地で長く愛されてきたという確かな 事実だった。その証拠に、小林さん たちが屋号を決める前から、地域の 人々はここを「シンカイ」と呼び、 そのまま浸透していったのだそう。 こうして自然と新しい名称は『シン カイ』に。「僕たちは、『シンカイボ ーイズ』と呼ばれていました」と小 林さんは笑う。今でも訪れる人から 「 ( 大家である ) 息子さんは元気か い ? 」と聞かれることかあるとか まちの人々にそう支えられたこと は「自由度のある空間につながりま した」と小林さん。「自分たちが好 きなことをやってとことん楽しく住 もう ! 」と、次々に人を呼ひ、巻き 込んでいった。 刺激的な日々が 1 年続いた 201 2 年春、『シンカイ』は転機を迎え る。実は教員になるのが長年の夢だ った小林さんは、大学卒業後、長野 市からの通勤が難しい遠方の中学校 に赴任したのだ。彼は『シンカイ』 を一日一離れ、新天地で暮らし始める ついに夢を実現し、教壇という花 の舞台に立った、はずだった。しか し、小林さんを待ち受けていたのは、 なんと挫折感だったという。「生徒 たちをどうしてあげたいのか、誰に 何を伝えて何を残したいのか、僕の なかに何もないことに気づいてしま ったんです。例えるなら、憧れのス テ 1 ジに立てたのに自分の曲がない ミュージシャン。『俺は空つばご、 かっこわる ! 』とすごく悩みまし た」。このまま学校で教育に携わっ ていくか、もっと違う仕組みで人と の関係性をつくれないものか 1 年後、小林さんは辞表を提出した。 その頃、『シンカイ』に後輩の「ゴ ンちゃん」こと中山雄一朗さんと住 んでいた白石さんは、小林さんに声 をかける。「隆史、戻ってこい」。そ の誘いに応じ、 2013 年 9 月、 で林さんは彼らとの共同生活へ戻った。 小林さんが留守の間、白石さんは 「シンカイクリーンマ 1 ケット」と いうイベントを始め、幅広い年齢層 に足を運んでもらうために活動して それから、 3 年。『シンカイ』は冒 頭で紹介したようなごはん会やイベ ントを月に 2 回ほど開催し、訪れる 人々に愉快な場を提供し続けている。 ちなみに、白石さんと中山さんは 『シンカイ』を卒業し、現在は小林さ んが一人で暮らしている。もちろん 盟友関係は、当時と変わらず今も続 いていて、よく連絡を取り合ってい るとカ 小林さんはこの場所の主として今 意識していることについて、こう話 043 SOTOKOTO September 2016
3 年ぶりの大会となった。 7 月 3 日、スマイルアフリカ プロジェクトの活動の一つである 『ソトコトサファリハーフマラソ ン』が、ケニアの首都・ナイロビ で開催された。昨年、一昨年と、 ケニア国内の治安情勢を考慮し、 大会実施を見送ってきたが、ナイ ロビの風物詩といわれるまでに育 っていたマラソン大会でもあり 今回はこの日のため、 2 年間続け てきたトレーニングの成果を発揮 せんとランナー約 5 5 0 名がエン トリーしてきた。 大会本部が置かれたケニア独立 の聖地であるウフル・ガーデンに は、夜明けと同時にランナーが 続々と集まってきた。スタート予 定の午前 7 時半にはほとんどがウ オーミングアップを終え、スター トの合図を待つ。その中には在ケ ニア日本大使館関係者やナイロビ アフリカの子どもたちへ シューズを贈ろう。 高橋尚子の スマイルプロジェクト ナイロヒで 7 月 3 日に開催。 『ソトコトサファリハーフマラソン』大会。 3 年ぶりのケニア開催に、 待ちわびたランナーが疾走しました。 アフリカの子ともたちに、またまた履ける日本のシュースを贈る「スマイルアフリカプロジェクト」 毎年、ケニアの首都・ナイロビでマラソン大会を開いていましたが、 治安面の関係でこの 2 年間は開催されていませんでした。 3 年ぶりの開催に現地は沸きました。 photog 「 aphs by Masa 「 u Suzuki text by Katsuyuki Kuroi を冫 10K0 ー物 、訂 39 ドー 0 K 0 S ①間①ー① SAFARI 1 / 2 MARATHON ー . 3 ルル施 0 ① me ! ! 0 ー 0k60E0 ′ 0 旧 on 工 0 0 ①② 3 ④高橋尚子さんをはじ め参加者のたくさんの笑顔が あふれた大会となった。 フ・マラソンのスターターを務 ーめるため、マーガレット・ケニア ッタ大統領夫人もおいでに。右 からダグラス・ワキウリ氏、マー ガレット大統領夫人、高橋さ ん、植澤利次在ケニア大使。 前日にキべラでシューズ寄 贈を受けた子どもたちも参加。 ・さまざまな国の方が参加。 日本人学校の児童と保護者。 気合い十分 ! SM 圧 R 冊 的 34 イ「 4 い 4 ざ 待ち望むたくさんの声をいただき開催した、ケニアでのマラソン大会。仲 間のカ走とゴールを見て、応援にも力が入る。 10 物 0 0 0 5 0 第 0 ーれ September 2016 SOTOKOTO 104
」ン一てをイー 町シェノ 内市のとあるカフェで会っときも 拠点づくりの話で盛り上がった 「このカフェをコワーキングスペ 1 スとして活用できませんか ? 」と 持ちかける高橋さんに、「活用でき ませんかって、君が経営しているカ フェじゃないじゃん ( 笑 ) 。自立の拠 点にしたいなら、シェアハウスとい うアプロ 1 チもあるよ」と提案「対 ~ ' 話を重ねるなかで、。高橋さ五の地元 愛が高まり、 2014 年肥月、高橋 さんが発起人となり、「胎内市シェ アハウス「・プロジェクト」の第 1 回 ミ 1 ティングが開かれた。参加者は 十数名。「決起集会みたいなもの」 と西村さんは振り返る 0 " 決起集会。の参加者に、『カエッ 工業』という不動産業も営む地元の 会社もあった。右側の 3 人がその社 員たち。「何かおもしろそうな気が して。胎内にシェアハウスはないで すし、話題の『ギルドハウス十日町』 に暮らし、全国でさまざまな場づく りをプロ、デュ 1 スされている西村さ んにも興味があったので」と参加のこ 理由を話すのは、中条営業所所長の一 川崎晴彦さん。その後、川崎ざんた ちは第 2 回、第 3 回のミーティング にも積極的に参加今回、、とラとう シェアハウスづくりの候補となる物、 件を探し出し、西村さんや高橋さん らを見学に誘った 1 」その物件が、メ ンバ 1 の後ろに立っ古民家ナ あべ衣料 05 み : SOTOKOT& 0 帋 er 加 1 ま・ 始拠人新 ま占が潟 りづ集県 まくま胎 すりる内 よが市 魅力的な 物件が ありますねー IIEN'S CASUAL WORKWEAR 事の鴃適〉を創造する 。、本 , 町、谷 43 ー 5301