′ⅵ e Ⅳ 夫婦で、本当に好きなことを仕事にする ! 旅行で魅せられた南アフリカとワイン。 ・一 SOUTH •—ÅFRICA photographs by Masakazu Shibata & af-liquor text by Michiko ZentOh 1 『アフリカー』店長・副店長 小泉俊幸さん & 宙さん 貝′し、 する中で惚れ込んだ 土地、南アフリカ。 その土地への情熱が 高し、勤めていた会社を辞め、 日本をへースに大好きなアフリ 力のワインとブランテーを扱う オンラインショップを設立。夫 婦であり、ヒシネスパートナー 普通なら尻込みしそうな夢を描 いて、少しすっ飄々と実現して しまう小泉俊幸さん・貴恵さん にお話を伺いました。 0 0 アフリカー』設立の経緯について、また、 は数え切れません。そして食事の美味しさ ているという追い風もありますね。 ビジネスの現状について教えてくたさい。 や出会った人びとの優しさ。思い出の中に ご夫婦たからこそできたビジネスでしようか。 は私たちが感じた「アフリカのよさ」がた 俊幸アフリカのお酒、主に南アフリカの 貴恵昔から、自分たちで事業をしたいと ワインとプランデーを販売するオンライン くさん詰まっています。 考えていました。夫婦のうち、私は慎重で ショップを経営しています。新婚旅行中、 帰国後はアフリカ向けの中古車輸出に携 反対するほうなのですが、ワインなら大好 わり、日本製中古車の品質の高さなど「日 きで、すぐに賛同しました。最近は「アフ アフリカの大自然に感銘を受けたのがはじ 本のよさ」をアフリカに伝える仕事でした。 リカ通信」というレターを商品の発送時に まりです。その後 3 年間の準備期間を経て、 しかし一方で、アフリカの魅力を知ってい 同封し、ワイナリーの情報やこれまで行っ ニ人で会社を辞め、 2 年間世界各地を回り ました。アフリカには半年ほど滞在し、ワ た観光地などを写真とともに発信していま る日本人は少ないのではないかと思うよう イナリーやキャンプを堪能しました。 す。反応もよく、電話をした際などにアフ になり、「アフリカのよさ」を日本に広めて、 豊かな山々や断崖、自然のままの滝 もっと多くの人がアフリカに足を運ぶきっ リカについて聞かれることもあります。 アフリカの素朴で雄大な自然のすばらしさ 俊幸ニ人が好きでないと続かないとわか かけをつくりたいという思いが強くなった っていましたので、大好きなものを扱うこ のです。 と。これがそもそも大事でした。分担とし そのきっかけとして、アフリ 力の文化の中でも最高にすば ては経理と商品開発が妻、私が営業を主に やっていく予定でしたが、垣根なくやって らしいワインに特化しようと います。基本的に、夫婦どちらかが常に対 思い、このショップを始めまし 応できるような体制をとっていますので、 た。品揃えの部分では負けませ 問い合わせやメールの返事も迅速に対応で ん。日本有数の南アフリカ産ワ きるのは強みかもしれません。ニ人でイベ インショップだと自負してい ます。飲食店への卸売りも増え、 ントに出店したり、ワイナリーのオーナー が来日された時には、お客様も招待して食 今はおかげさまで販売も伸び 事会を開いたりもしています。 ています。世界的に、南ア産ワ インの評価が少しずつ高まっ 取り扱う商品の開拓、仕入れはとのように 0 0 高級ワイナリー『デトレン」にて。親密さがビジネスに安心感を与える。 101 SOTOKOTO September 2016
一年ほど前に農業関連のセミナーで出会った大川原さん ( 左 ) と宮治さん ( 右 ) 。中小企業診断士の資格を持ち、後継者に事業承継をアドバイスする大川原さんと、農業者の事業承継に関する悩みやポイン トを熟知している宮治さんが、互いのスキルやノウハウを生かしながら、農家のこせがれ向けの「事業承継研修プログラム」を開発中。今年の秋頃には研修をスタートする予定だ。 させるポイントまで、中小企業の多く、参加したからといって明日 から自分の農業が劇的に変わるも 場合と比較しながら、参加したこ せがれや、農業者に向けて講演を のではありません。研修プログラ 行った。さらに、ワ 1 クショップ ムを連続して受講し、仲間と刺激 でも大川原さんがメインファシリ し合いながら実践することで、自 テ 1 タ 1 に、宮治さんがアド、ハイ分らしい農業経営のスタ 1 トを切 ザ 1 となり、事業承継に関する不ってほしいです」と、全国のこせ がれに呼びかける。大川原さんは、 安や悩みを参加者同士が共有し、 解決策を出し合った。 「事業承継を主導するのは後継者。 「こせがれ、新規就農者、ある程自分の強みやスキルを生かした、 宮治さんの言うクかっこいい農業 度事業承継が進んだ農業者など、 を実現できるチャンスととらえて、 レベルの異なる参加者がアドバイ 事業承継を前向きに進めてほしい スや意見を交換するいい場になり です」と、こせがれにエールを送 ました。農業は土地、家、地域と の関わりが深い仕事。すべての悩った。 みに解決策が出せたわけではあり 事業承継は後継者のチャンスで ませんが、次につながる場として あると同時に、日本の農業が変わ 大きな成果が得られたと思いま るチャンスでもある。事業承継研 す」と、大川原さんは手応えをつ修プログラムが全国で実施され、 かんだ様子だ。宮治さんも、「農業日本の農業の底上げにつながるこ とを期待したい。 界のセミナ 1 は 1 回きりのものが lnformation 地球とつながる、カードライフへ。 AXU グリーンセレクション。 セディナカード AXU ( アクシュ ) は、月刊ソトコトの全面協力により誕生 した、環境コラボレーション型のゴールドカード。利用額に応じて、農 家のこせがれネットワーク、ポルネオ保全トラストジャパン、バードライ フ・インターナショナル東京の各団体に寄付金が送られます。ソトコト が制作・運営する会員向けの WEB マガジンも創刊し、環境に関する豊 富な記事、エコツアーやセミナー、グリーンショッピングの案内など、オ リジナルのコンテンツを配信中。詳しくは、下記のサイトをご覧ください。 - 朝 -AXUY い内 0 ↓ 0 ↓ ~ ヨら日 18 ヨ 第・ 00 / 00 二Ⅶ SA - ~ いを 0 は 0 な第 にクレン ) 、第支最第てクレン 7 トをこ村の含よ引を物号学要てを 物さ企社セティナ 0120 -54 - 5353 AXU Web Magazine http://www.axuweb.jp 093 SOTOKOTO September 2016
右 / 林内作業機を巧みに操り、伐採したスギの丸太を運び出す高橋さん。上 / 山の麓に自分で建てた仮設 の家と作業場。薪風呂やトイレも完備。「誰かが家を建てるときは隣組で手伝っていた。だから、家の建て方 はわかっているつもり」。下 / 右の山の木を伐採している空き地に新しい家を建てる。そのすぐ下まで津波が まちづくり活動の情報拠点としても 石巻で人気の喫茶店。 日も休まず、昼寝もせずに木を伐りめにダンプカーが一日中走り回って 続け、つくり上げた仮設の家。「出 いる。市街地は災害危険区域なので 来上がった家で初めて昼寝したよ」誰も住んでいない。「そんながらん と高橋さんは振り返る。新しく建てとした集落にも、お盆には住んでい た人がお墓参りに帰ってきます。私 る家は災害危険区域ではない山の上 、大工さんに頼んで建てるそうだ。 がここに家を建て、明かりを灯すこ とで、その方たちの勇気になればと 山の上に建てる理由は、「少しだ けど海が見えるから」と高橋さん。 いう気持ちもあります」と高橋さん 「このあたりは海が見えなかったか は山の上から集落を見渡した。完成 ら被害が大きかったんだと思います。予定は 2 年後だ。 ・海の匂いがする場所に住みたいね」。 海が好きな高橋さんは、山林地主の 集まりである「雄勝共有会」と若手 メンバ 1 も参加する「雄勝里山プロ ジェクト」の会長を務め、山の手入 れも続けている。「山の養分が海に 流れることで、ホタテやホヤの養殖 業に少しでも貢献できれば」と話す。 今、雄勝町雄勝地区は高台移転の ための宅地造成や防潮堤の建設のた 喫茶去 HaMa 石巻市内にある海蔵庵別院の駐車場の一角 にある「喫茶去Ⅱ aMa 』。マスターの濱畑幹夫さん は石巻市の職員だったが、震災 2 年半後に辞め、 購入したトレーラーハウスで喫茶店を開業した。 コンセプトは、リトル公民館。「そばにビッグバンと いう総合コミュニティ施設があり、避難所として利用 されていました。そこで公民館活動をされている 方々も、こちらに寄っていただいています」と濱畑さ ん。ユニークなのは、「会議セット」。「ケーキセットで すが、会議が 1 時間ほど経っともう 1 杯コーヒーを飲 みたくなります。そのおかわりも無料でお出しするセッ トです」。もちろん、一般のお客さんも多いので、石 巻や雄勝に来たら気軽に立ち寄って ! 右 / マスターの濱畑さん。左上 / 入りやすい雰囲気のトレーラ ーハウス。左下 / 隣接する登米市の有名なコーヒーショップが 自家焙煎した豆を使用。深みを感じつつ、喉越しは爽やか。 上 / 防潮堤の下に広 がる波板の浜。地元 の人たちに愛されて いる。下 / 取材先を 案内してくれた N P 0 「まち・コミュニケーシ ョン」代表理事の宮 定章さん。拠点を置く 兵庫県神戸市から雄 勝町に通う。復興まち づくりの支援を中心 に、一人ひとりの声に 耳を傾けて活動して いる。 Q u e s t i 0 n 青木甚一郎さんに とって , 人がつながる家とまちって ? 「交流センター』にはいつも地 区の誰かがいます。その安心 感が、人とまちをつなげている のだと思います。 A n S w e r 067 SOTOKOTO September 20
ら採択されたのです」。 に使ってもらいたいですから」と、 波板地区の未来をつくる、 青木さんは笑みを浮かべる。 その補助金 5000 万円を使い " 一軒の大きな家。 2014 年 5 月に竣工したのが『波 この日は、「東北大学ボランティ 板地域交流センタ 1 ( 以下、交流セ ア支援室」の学生たちがボランティ 「ナミイタ・ラホ」とい , フ 東北大学 ンタ 1 ) 』 だ。今、介護予防の教室やアに訪れていた。聞けば、震災で河の土岐文乃助教が共同発起人を務め 波板石を使った陶芸教室、クリスマ 北町への転校を余儀なくされた雄勝る、波板地区の住民と東京・仙台の スのケ 1 キづくりなどさまざまな教町出身の子どもたち十数名が、夏に 若手クリエイターたちによるチ 1 ム 室が開かれている。また、会員にな 1 泊 2 日で体験教室に訪れるので、 も、『交流センタ 1 』を拠点に活動し ると宿泊もできるので、ボランティ その際に海で魚釣りを楽しむための ている。改修された波板地区の防潮 アや被災地を調査する研究者も活動竹竿を準備するボランティアに訪れ堤に波板石を貼るプロジェクトも活 拠点として活用している。「雄勝町 たそうだ。「若い人たちと話すと、 動の一つだ。波板石は玄昌石とも呼 や女川町からの道中には公衆トイレ お年寄りの顔が穏やかになります。 ばれ、以前はスレ 1 トの屋根材や すずりいし かありませんから、『トイレ、貸し 自分の孫と話しているようだから」硯石、ビリャード台などの原料とし てくたさい』 という方もよく来られと青木さん。地区の人たちも若者の て盛んに生産・加工されていた ます。それだけでも大歓迎。皆さん訪問を楽しみにしているようだ。 「雄勝町を記憶に残る町にしたいと おながわちょう 0 み ①「交流センター』にある工房。さまざまなワークショップが開催される。②広間は 1 階と 2 階にあり、 度に大勢が利用できる。会員になれば宿泊も可能。 3 釣り竿をつくるための竹を山から取ってきた「東 北大学ボランティア支援室」の学生たち。竹竿づくりを指導するのは、、・竹取名人 " と慕われる鈴木邦 夫さん。「火で炙って真っ直ぐにして、水につけて。私らが子どもの頃につくっていた方法で竿をつくり ます。夏はウミタナゴが釣れるよ」と笑顔。 0 波板石でつくられた硯。「交流センター』で展示。⑤東北 大学の土岐助教。 6 山に埋まっている波板石を掘り起こして加工し直し、改修された防潮堤に一枚 一枚、貼り付ける。裏面に被災地へのメッセージが書き込まれている。 「第 5 回世田谷代田ものこと祭り」に出店 ! 代田八幡神社を中心に開催される商店街再興イベントに「ナミイタ・ラボ」が出店。 波板石の破片とガラスを使って、アクセサリーをつくるワークショップを開催しつ つ、波板石の硯石や地元の海産物も販売する。売り上げは波板地区の運営費に還 元される。さらに、波板石を割る体験や、防潮堤に貼る石にメッセージを書き入れ る体験も行われる。 8 月 21 日 ( 日 ) 10 時 ~ 17 時。 http : / / monocoto ー matsuri.com September 2016 SOTOKOTO 064
アサダワタル あさだ・わたる・ 1979 年さ阪府生まれ。 日常編集家。 . 「表現 x ヨ常」をテー了に 文第 . 、音 . 楽 ~. プロデ = ス、講師な当 - 分て活躍。著書に「住み開きこ ( 筑摩 - 書房 ) 3 表現のたね」て手 . * クシュラ ) 、一 『コミュニティ難民のススさ氣本否 ) な ど CD に『歌景記譜、大和川レコード』 ( 路地と暮らし社 ) など。ユニット SjQ + + ドラム担当。京都精華大学 . 非常勤講師。、 特集 人がつながる家とまち . A 、 0 ⅱ here P き 0 0 ・ 「家」という場でつながるということ。 アサダワタル さんの「住み開き」 2016 年論。 自分の家の一部をオープンスペースとして開放し、交流の場をつくる住み開き その提唱者で、本誌連載中のアサタワタルさんが住み開きをすると聞き、滋賀県大津市の自宅を訪ねました。 「表現の場」として始めた住み開きが、さまざまな領域や目的で活用されるようになった今、 人やまちにどんな影響を与えているのか。住み開きの新たな展開をアサタさんに伺いましたー photog 「 aphs by 工一「 OSh 一 Takaoka text by Kenta 「 0 Matsui てきました。シェアハウスの住人どうし をはじめ、子どもや高齢者の居場所づく りのための住み開き、若者の移住を促進 するため地方の空き家でする住み開き、 あらかじめ共有スペースを盛り込んだ住 宅設計など、全国でいろんな住み開きが 実践されています。 、僕が当初、提唱したのは「表現 の場」としての住み開きです。自作の絵 を展示して観に来てもらったり、畑で育 てた有機野菜を一緒に料理して食べたり、 ゲストを招いてミニライプやト 1 クイベ ントを開催したり。それを自分のアイデ ンティティが丸裸にされる家で行うこと に意味を見出そうとして始めた、個人的 な表現活動なのです。 テ 1 マを設定したほうが開催しやすい し、参加者も来やすいたろうと、僕も初 めはテーマ性のある住み開きを開催して しました。でも、続けているうちに、「も うテ 1 マは要らないかな」と田 5 うように なりました。テ 1 マを設けなくても、場 が自律的に回り始めたからです。友達が 友達を連れてきて、知らない人どうしが 言葉を交わし、親しくなり、「今度一緒 に何かやろうよ」と意気投合する。そん なつながりの萌芽を数多く目にしてきた なかで、テ 1 マが主役なのではなく、集 まる人たちが主役なのだと気づいたので 半になりました。梅雨ですね」です ( 笑 ) 。設けないようにしています。 集まる人たちが主役。 テ 1 マは、あえて設けていません。以前 なぜ、テ 1 マを設けないのか ? それす。誰かと出会えるかもしれないワクワ たから、テーマは不要。 ク感だけで成立するような場を生むこと。 は何かしらのテ 1 マを設けて、それに興は、住み開きが社会に広がってきたから。 味がある人が集まるというかたちで住み 2009 年に住み開きを提唱して以来 7 それが、肥年に出版した『住み開き』 ( 筑 今日、久し振りに住み開きをしました。 年が経ちますが、多様な広がり方を見せ摩書房 ) のサ。フタイトルにある「家から タイトルは、「家を開きます。娘が 2 歳開きを行っていましたが、今は意図的に ら〕 September 2016 SOTOKOTO 038
" コミュピザ " に集まる人々。 0 げたのだ。昨年月、窯のお披露目 ュピザの日。「公にすると人が集ま 大家族のような温かな関係で、 を兼ねたパ 1 ティを開催。住人を招 りすぎるから」と、住人優先の招待 " 同じ窯のピサを食う仲。に。 待すると、これまであまり顔を見せ制をとったものの、 0 歳から歳ま 佐伯さんと笹倉さんが住みはじめ深まったのは、ピザパ 1 テイ「コミ てくれなかった人も、おいしそうな での人ほどが集まった。子どもが てからも、様々な活動や場づくりを ュニテイピザ」がきっかけだった。 香りと笑い声に誘われるように扉を作ったピザを、学生たちが焼き上げ 広げてきた。低層階に住む高齢者も 6 年前から「ピザ窯を造りたい 」と たたいてくれたのだ。「焼きたてのれば、歳のおじいちゃんが「お ( 来やすいようにと、 1 階の一室をコ 言い続けていた武彦さん。ある日、 ピザは絶品 ! 」「若い人がいて、活気しい ! 」と頬張る。その光景はひと ミュニティスペ 1 スに改装し、マ 1 知人から大量の耐火レンガを譲り受 があっていいね」と、笑顔でビサをつの大きな家族のようで、なんだか ケットやイベントを開催。さらに、 け、佐伯さんに早速相談した。佐伯頬張る住人たち。団地に長く住む人懐かしい気持ちにもさせてくれる 来客が気軽に宿泊できるように、 安さんは学生を集め、町内の『中村義 たちが、変化を優しく受け入れてく この団地の " 大家族。はこうして、 価で泊まれるゲストルームも造った。 一建材』の協力のもとでプロジェクれた瞬間だった。 たまにふらりと集まって、 " 同じ窯 住人や地域住民との交流がさらに トが発足。手造りのピザ窯を造り上 取材に訪れたのは、 3 回目のコミ のピザを食う。仲になったのだ 「外部からコミュニティを運営す るのは難しいけれど、住むことで、 さの 絵こと加 しい距離感で交流ができる」と佐伯 萌こ、、参 根とも さん。当事者として住人の声に耳を 傾け、住む人が主役になれるコミュ ニティづくりに励む。住人が " 自分 は室事。だと感じられるきっかけがあれ 立「ち号 ば、こうして多世代がつながること 0 隣ん人 もできるのだ。「普段触れ合うこと のない世代の人が交流できる場所が できて嬉しい」と淑美さん。「昔の 長屋のような団地にしたい。そして いっかここがキーステ 1 ションにな って、播磨って楽しそう ! イメ 1 ジが町全体に広がっていくの が夢」と武彦さんは先を見据える 懐かしい日本の光景が広がる場所 で、多世代でお互いを支え合い め合いながら暮らす、温かな団地 生活の中でゆるやかにつながる、人 の " 暮らしの原点。を見つけた。 たくさんの若い家族も参加。 住人同士の交流の場に。 「住んでる人同士が交流できるのは、賑や かで楽しい」「いつも誘いにきてくれるのが 嬉しいです」と住人のみなさん。 佐伯さんの友人・知人が、家族ぐるみで参 加。「団地でこういう場所が増えていくこと で、町の価値が上がっていくと思う」。 明石工業高等専門学校の 学生のみなさんも。 住人の方がお友達を連れて。 窯を造ったメンバー全員がすっかりビザ焼 きの名人に ! 「ビサ窯をきっかけにたくさ んの人が集まってくれるのが嬉しい ! 」。 こに住んで 10 年以上という久保ヒロさん ( 手前 ) は、職場の友人を誘って訪れるコミ ュビザを、毎回楽しみにしているそう ! お隣さんも気になって・・・ ちょうどいい 距離感の、心地よい コミュ二ティです ! 037 SOTOKOTO September 2016
いノ、。を物 Let's Search For SOCIAL DESIGN!! J-WAVE ptß VISI ON vo L39 世の中をちょっとよくする「ソーシャル・デザイン」がキーワードのラジオ番組『 WONDER VISION 』。 日曜日の朝にいいスタートができるよう、ナビゲーター・平井理央が元気に発信しています ! photographs & text by RiO Hirai using FUJIFILM X-TI 「あれからたくさんの出会いと縁が あって、いただいた多くのご好意に、 感謝していきたい」。これは、先月、 ま 6 . し - ま 6 亠っ 熊本県・益城町の広安西小学校の校 長先生が語ってくださったお言葉で す。震災から 3 か月経った益城町で は、道路の瓦礫などが車道から道の 脇によけられ、車などは通れるよう になっているものの、崩壊した家屋 は保険や国の査定のため、そのまま の状態になっていました。まだまだ ここから、人の手が必要になるのに 1 もかかわらず、ボランティアの数は どんどん減っていき、 4 月に開設さ 、 0 れたボランティアセンターを利用す る人の数は、最近では 1 桁の日もあ ったそうです。 益城町広安西小学校は、震災後、 本に 約 cvoo 人の方たちが避難していて、 私が伺った時も約 150 人の避難者 熊町 がいらっしやる状況でした。そんな 中でも、明るく元気な小学校の先生 や親御さんたち、何よりも子どもた ちの笑顔が輝いていました。 ただ、パイプ椅子、人工芝、スリ ッパなど学校の備品を、避難される 方のためにどんどん使用してもらっ ていたところ、いろいろなものが足 りない状況になっているそうです。 震災直後の支援も非常に大切ですが、 今必要な支援、そして、短距離じゃ なくて長距離の支援も必要となって しきます。「自分にできることはなに か」いつも考えるこの想いを、改め て強く感じています。 左 / 被災したお店が集まっている復興食堂にて、七夕に飾ら れた短冊に書かれた言葉「みんな元気が一番」。右上・右下 / 7 月の週末、梅雨の中休みで痛いほどの日差しの下、平和 な空気が漂う街の中で、瓦礫の山と崩壊した家屋が震災の状 況を物語っていました。一日も早く、大切な日常が、戻ってき ますように 平井理央 ひらい・りお・ 1982 年 11 月 15 日生まれ。慶應義塾大学法学部卒業後、 2005 年にフジテレビ入社。 2 年目から「すぼると ! 」のキャスターを務め、 主にスポーツ報道に携わる。オリンピックなど国際大会の現地中継で も活躍。 13 年よりフリーで活動中。著書に、ニューヨークシティマラソ ン完走までの記録をつづった『楽しく、走る』 ( 新潮社 ) がある。 http://dejaneiro.jp http://twitter.com/dejaneiro sTAFF がキてた のらをず ~ か - 声 . な つりのつ こ辺喜を 起テ歓ち ↓十ー。 し雨ホ尽人す ン 、りナ し 木は のしてしな 組く出で 番つがとと のが虹こう こ気とた : WONDER Ⅵ S ℃ N とは・・・ 毎週日曜日の朝、世の中をちょっとよくする「ソーシャル・デザイン」がテーマのラジ オ番組」一 WAVE81.3FM tWONDER Ⅵ ON 』。工コやローカルなどの問題につい てリスナーと意見交換し、一緒に作り上げる番組です。さまざまな視点からバラエ ティ豊かなトピックをお届けしています。 WO N D E R Ⅵ O N 放送日 : 毎週日曜日朝 6 : 0 0 ~ 9 : 00 WWW. J—wave. CO. jp/original/wondervision 131 SOTOKOTO September 2016
季倉ル 28 ′ィ らェ にしあわくらし 1 年生 岡山県・西粟倉で暮らす 新入社員の日々。 文・諸岡若葉 夏の訪れを教えてくれたのは、 通 、 = 初めての = 「梅しごと」。、でした 西粟倉村で迎えるゞ初めての夏が 。、 ; たを取りながらい = 梅畑で聞いた大家 う声が 0 薄暗くなり始めたタ刻の梅 = やってきました。 6 月までは、まだ さんの話を思い出しました。大家さ畑に響きます。私は目に垂れてくる 肌寒かった西粟倉。あっという間に んの梅畑は、農家をやっていたおじ汗を拭いながら、ただただ、梅を収 季節が巡ったようですが 0 思い返す = いさんが木を植えて育ててきたもの。 = ; 穫しました 0 ・ と数週間の間に少しずつ変化が進んおじいさん亡き後、田畑は息子であ 処理した梅は、氷砂糖と交互に保 でゆきました。自然豊かなこの地で る大家さんが受け継ぎました。大家存瓶に入れ、梅酒はお酒も注ぎます。 : は、 = 道端を彩る花の種類、 = 山から昇 : = ! さん自身も兼業農家として田畑を守 , 【。 ; 梅酒プラシデー梅酒。梅シロップ、 りまた山に沈んでゆく日の長さ、虫り続けてきましたが、 数年前から梅梅酢と、いろんな種類の瓶が並びま の声など、季節の変化は様々な定規の出荷はやめ、今はご親戚が狩りに した。まるで " 梅水族館。のようで す ・、・のー。 = = ! で測ることができます。 るだけであとは熟れて地面に落ち ) -- 。 , 「。、一・。。す尸漬けてしばらくは毎日様子を見 も ーレ まだ朝晩の冷え込みが残るなか、土に還るばかり。今年は田んぽも 2 て、砂糖が溶けやすいようにゆすり : 楽 も 今年の夏のはじまりを教えてくれた 枚諦めたと言います。「米もやるだけ ます。梅酒は 1 年かかりますが、梅 て 見 のは、 ' 梅しごと : でした。 = →料理は作 ~ ー ; 、赤字 ? 梅もよう収穫しきらんでな、 シロップと梅酢は 1 か月で飲めるよ 目 るのも食べるのも大好きな私。「今年何も手えかけよらん。形は悪いかも うになりました。仕事帰りには炭酸 は梅しごとにも挑戦してみよう ! 」分からんが、無農薬じゃあ」。白い 割りで、すかっと一杯。もうこちら ; と思い立っと、 = 【その機会はいとも簡歯を見せて大家さんがガラガラと笑 " 】】」」」 : も、」。 = 季節はすう・かり夏です 梅 単にやってきました。大家さんに 中 の「梅なら毎年採りきれんほどなっと る るわ ? 採り行ぐか ? 」「、】とお誘いをい 変 たたいたのです。さっそく行ってみ ると、 1 時間もかからない - フちに、 背負い籠にい「つばいの梅を収穫でき 日 梅は優しく水洗いし、竹串でヘた 色 琥 - 一、を弾くよテに取ります。気が遠くな るほど地道な作業ですが、ていねい 濃 に取り除かないと味にえぐみが出る 明 透 のだそテ。玄関に腰掛けて黙々どへ」。 ラ月の 肖しゴム はんこ 夏といえば、かき氷。お店で食べるのも好きです が、地元・九州では定番の、袋入りかき氷のいち ご味が一番好きです。 崎県出身。書く、彫る ( はんこ ) 、食へ 名がライフワーク ; 2016 年 4 月から了 AO てエーゼロルに新卒入社。岡山県西 粟倉村で暮らし、働く、社会人も田舎 者も若葉マーク。 1 September 2016 SOTOKOTO 110
人乙目気 N RYN•S KLEI 、 E / 引 ります。 南アのプライドリバー・キャ ニオンの絶景。②イベント出店 南ア産。 ェアトレードワインの約 7 割は めたワインも。 3 実は世界のフ 味。出会ってすぐ直輸入を決 の技術で生まれたすばらしい 南アの最高の土壌とフランス 会を開催。人の輪もつなぐ。 リーのスタッフ来日時、ワイン も大いに楽しむ。 3 現地ワイナ 行いましたか。 を入れたいのは自然保護だという思いもあ かけですから、お酒や文化を広める上でカ たちもアフリカの自然に感動したのがきっ 部を 2 ~ 3 か月おきに寄付しています。自分 俊幸南アフリカや国内の団体に収益の一 自然保護団体に寄付もされているようですね。 くありました。 しをしてくださったり、感激することがよ ったり、日本に負けないくらいのおもてな りを考えずこちらのために尽くしてくださ 高い国だと感じています。自分の採算ばか する中で、実際は非常にホスピタリティが が、ワイナリーを訪問したり取引の交渉を が高いと思われる方も多いかもしれません 貴恵南アフリカとのビジネスはハードル ている商品もあります。 本の卸会社からのものですが、直接取引し インを試飲しました。仕入れの大半は、日 ところへ行ったりして、 200 種類以上のワ からの紹介やワインの評論家が勧めている ナリーを回りました。現地のエージェント れ、数週間かけて、全部で 35 軒ほどのワイ 俊幸立ち上げにあたっては再度現地を訪 南アフリカはワイン産地自体が世界遺産 なんです。農薬、薬品の使用基準が非常に 厳しいですし、ワイナリーの方も、訪問者 に自然保護の講義をしたり、独自に保護団 体に寄付したり。工コな意識の高い生産者 が多いです。せつかく彼らががんばってい るので、われわれ販売者もそういうスタン スでいきたいのです。現在の顧客の大半は、 商品に魅力を感じて購入してくださってい ますが、ワインから自然保護へと興味を広 げていっていただければうれしいです。 将来に向けてのプランはいかがでしようか ? 貴恵今後は実店舗設営の話をしています。 オリーブオイルなどのアフリカ食材も販売 し、アフリカ文化を伝えていきたいです。 俊幸例えば飲食店へ営業に行っても、南 ア産ワインの知名度は日本ではまだまだ低 いと感じています。もっと南ア産ワインの 魅力をわかりやすく伝えていくことが当面 の課題ですね。「ワイン = フランスやイタリ ・・・」ではなくて、その中に南ア フリカが入れるようにしたいと思います。 将来は、どうせならワイナリーを持ち、 リカ 0 叩町 September 2016 SOTOKOTO 100 ら、副店長を務める。 http://af-liquor.com 以上が経つ。現在、ストレッチトレーナーとして働くかたわ カー』を設立。貴恵はスクールなどでワインを学んで IO 年 ーケティングを担当。 2015 年に退職し、同年 9 月に『アフリ 国後、俊幸は中古車販売会社へ就職し、南部アフリカのマ を共に辞め、 40 か国を 2 年間かけてバックパックで歴訪。帰 に魅せられる。 2011 年 sIT 工ンジニア ( 俊幸 ) と会社員 ( 貴恵 ) こいずみ・としゆき & たかえ・ 2008 年、新婚旅行でアフリカ ジする目標も見えてくると思います。 実現可能な夢かどうかがわかり、チャレン とがよく理解できていれば、何ができるか、 人生の夢やプランも同じで、自分たちのこ を決めたんです。タイミングと勢いですね。 実は、私たちは、出会って 3 か月で結婚 ってないからこそやりたいですね。 なかなかハードルの高い夢ですが、人がや 日本人夫婦としての参入は資金も含めて、 自らワイン造りをしたいと思っています。
ーひろしま」を第 約 140 名もの来場者か訪 れた。広島県への関心の 高さがナかがえる。 を 宿 ー 3 : 13 : 和 わくわくすることを、 広島で始めませんか ? 都圏の 5 代の若い世同様、安芸太田町のメンタ 1 を務め 代が、広島県の中山間地る『いなかパイプ』代表理事の佐々 域の魅力を楽しみながら、倉玲於さんは、「地域の魅力を残し、 フ地域の課題を解決することを目指す伝えたいという熱い思いを持 0 た地 プロジェクト「ひろしま里山ウェ 1 元の方が多いことに心を動かされま プ」。 2015 年度に第 1 期が開催した。参加者にはこのプロジェクト ・ワ され、名の受講生が参加。地域と を、自分にとっての幸せや豊かさを 都会をつなぐュニ 1 クなプランを作考えるきっかけとして活用してほし ろ 成し、うち 5 名が広島県に・—タ いです」と述べた。神石高原町のメ ーンした。その「ひろしま里山ウェ ンタ 1 を務める『千道』代表取締役 ー。フ」が年度も実施されることとの加藤せい子さんは、「イノベーショ なり、 7 月 9 日、キックオフィベン ンは枠を超えたところに生まれるも トとなる「広島県 * ソトコトひろの。枠を感じない自由なプログラム しま里山ソーシャルセミナ 1 」が、 なので、自分の目指すことにせひ挑 戦してほしいです」と呼びかけた。 東京・渋谷の『ヒカリエ』 8 コ 1 トで開催された。 また、東京から尾道市に移住し、 広島県知事の湯﨑英彦さんから届『立花テキスタイル研究所』を立ち いたビデオメッセージの後、昨年度上げた代表の新里カオリさんは、「都 に実施された「ひろしま里山ウェー 会の若い人たちは、自分はこうある 。フ」や、若い世代のソーシャルな動べきだと生き方を限定してしまって きをテ 1 マにしたト 1 クセッション いる人が多いような気がします。ひ よんな出会いに流されてみる " しな が、 4 名のゲストを迎えて繰り広げ られた。『東京不動産』代表・デイやかさ。も人生には必要。広島に来 レクタ 1 の吉里裕也さんは昨年度、 て、さまざまな出会いを楽しんでほ 府中市の地域担当メンターとして、 しいです」と、今年度のプロジェク 参加者と一緒に府中市に同行した。 トへの参加を考える来場者へメッセ 1 ジを送った。 「参加者は地域では " よそ者】です。 だからこそ、外からの目線で府中市 東京的てないものこそ豊か の新たな魅力を発見できたと思いま 気づいたらローカルシフトー す。田舎と都会は裏表の関係ではな セミナ 1 では、 1 期生となる年 、両面があって成り立つもの。都 度の参加者によるプレゼンテーショ 会から里山に向かうことで、都会に ンも行われた。世羅町のプログラム ある " 田舎的。な面に気づく視点を 持ち帰ることもできました」と、メ に参加した新井正さんは、「プログラ ンタ 1 としての印象を語った。昨年ム終了後、東京で『世羅のおいしい 2016 年度の「ひろしま里山ウェーブ」が、いよいよスタート ! そのオープンセミナーが、 7 月 9 日、東京・渋谷の『ヒカリエ』で開催。 広島県の中山間地域に興味を持つ若い世代が大勢、集まりました。 photographs by HiroshiTakaoka text by Kentaro Matsui September 2016 SOTOKOTO 094