ロシア - みる会図書館


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1. 世界 2016年9月号

これは、中国がもはやロシアを重会社が主催する投資フォーラムに出席してみると、ホテルの 頓挫したまま進展がない。 視していないことを意味している。そして、プーチン大統領大ホールが満席になるほどの盛況ぶりであった。出席した投 資家たちによれば、ロシア経済はゆっくりと上向きはじめて 自身もそこはよく分かっているはずである。 おり、株価には上昇の気配があるという。たしかに経常収支 それでもロシアにとって中国は「争ってはならない国」で は黒字に転じ、ループル相場も安定し、外貨準備も増加に転 ある。まず外交面で、中国はアメリカに対抗する上で最重要 じてはいる。 な政治的。ハートナーである。また経済面では、両国の しかし、私がこの訪問で得た印象はちがっていた。原油価 は一九九〇年にはほば同等であったが、二〇一五年にはロシ 格の低迷が長期化するなかで、政府による産業支援、社会開 アは中国の九分の一以下になり ( 米ドル換算 ) 、その差はもは 発のための資金不足がはっきりと現れはじめている。ロシア や競いようがないほど大きく開いている。しかも、中国はロ には、原油価格が高騰した時期に税収の余剰を蓄えた「予備 シア経済の屋台骨を支える石油と天然ガスの重要な買い手で 基金」がある。政府はこの「予備基金」を取り崩して原油価 もある。 他方、ロシア極東は中国と四三〇〇キロの長い国境で接し格の下落による歳入不足を補ってきたのだが、その残高がこ こへきて俄かに心細くなってきている三〇一四年末時点の八八 ている上、中国東北地方からの強烈な人口圧力 ( 六七〇万人対 〇億ドルから一一〇一六年末には一一〇〇億ドルを下回る水準まで減少する 一億九〇〇万人 ) にさらされてもいる。ロシアは核弾頭の数と 見込み ) 。 戦闘機の性能では優っていても、中国は経済の規模と勢いが その上、金融制裁が効いて大手銀行の経営が悪化している。 ちがう。ロシアにとって中国は脅威の対象ですらある。中国 ロシアは中国とちがって貯蓄率が低い。お金は不動産や高級 はそのようなロシアの足もとを見透かして、相手が弱ってい 車に換えて持つのが市民の知恵である。そのため、信用力の 渉く様子を冷ややかに眺めている。まるで巨象が深手を負った ある銀行は欧米の資本市場から資金を調達して貸出の原資に ロタイガの熊を見下ろすように。ロシアは中国に袖にされても してきたのだが、制裁によって過去の債務の借り換えができ た忍従し、良好で親密な関係を装うほかない。 なくなり、バンク、ガスプロムバンク、ロシア農業銀 か 金融制裁が効いている 行など制裁対象の大手銀行は軒並み経営が悪化している ( 業 ス モ ロシアは資念に窮している。モスクワ滞在中、欧州の証券績を維持できているのは最大手のズベルバンクのみ ) 。 ロ

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てシリア危機対処の主導権を握ることになり、他方オバマ大 いる。同時に、過去二五年間失っていた中東における地歩を 統領は面目を失う形になった。 見事に挽回している。これをアメリカが主導する Z e 0 ロシアの矛先はその後、ウクライナ政変に乗じたクリミア ( 北大西洋条約機構 ) が拱手傍観するはずがない。 Z<+O はポ 編入と、それにつづく東部ウクライナ内戦へと向かう。そし ーランドやルーマニアなど東欧への網 ( ミサイル防衛シス て、ロシアの関心が再びシリアへ戻るのは、それから二年後、 テム ) 配備を実行に移し、ロシアに対する封じ込め策を強化 している。 欧州へ中東難民が押し寄せた頃のことである。二〇一五年九 月末、プーチン大統領は戦後七〇周年を記念する国連演説で 一方、欧州には変化も生じている。六月末の首脳会議 でま、リ 東部ウクライナ内戦の終結とシリアでの対攻撃の必要性 市裁は二〇一七年一月末まで半年間延長されることに を訴えると直ちに帰国し、翌日には議会の承認を取り付けて、決まったが、フランスとイタリアはそれに疑義を呈している。 アサド政権を援護してシリアでの空爆を開始したのであった。 今後、制裁が段階的に緩和されていく可能性もある。 その日、私は偶然にもモスクワにいた。空爆の様子は、ロ しかし、制裁緩和がミンスク合意 ( 二〇一五年一一月 ) の進捗 シア軍機から次々と放たれる爆弾が ()5 0 Z ( ロシア 次第となると、先行きはそう簡単ではない。東部ウクライナ が運用する衛星測位システム ) によって標的に命中する映像とと のドンバスでは親ロシア派武装勢力とウクライナ政府軍との もに、 OZZ ニュースさながらにテレビでライプ放送されて あいだで散発的な戦闘がつづいている。延べ五〇〇キロにも いた。シリア爆撃は、ロシア軍がソ連崩壊後はじめて外国に およぶ非武装地帯に配置されているのが、わずか八〇〇人足 乗り出した出来事である。傍にいた知人は「ロシア軍の戦闘 らずの OØ O ( 欧州安全保障協力機構 ) 停戦監視団というので 機がやっているなんて信じられない」と、いかにも感慨深げ はいかにも心もとない。また、ロシアと東部ウクライナを隔 渉に興奮してテレビに見入っていた。 てる国境がどう管理されているかも定かではない。 交 シリアにはじまってウクライナへ、そしてウクライナから 他方、ウクライナのポロシェンコ政権に、ミンスク合意を た再びシリアへ。国際紛争の調停に果たすアメリカの役割が低実行に移せるだけの指導力があるかという問題もある。ドン 下する中で、欧米はこの三年間、プーチンが放っ地政学リス バス以外の地域では、反ロシアと強い欧米指向で社会全体が か ククに翻弄されてきた。そして気がついてみれば、ロシアはこ 固まる中で、キエフの政治は混迷をきわめている。政治家と モの間にユーラシアの本格的な軍事勢力として復帰を果たして 富豪たちの癒着が復活し、政府の汚職や賄賂が復活し、欧米

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今年はじめ、国有の開発銀行の経営陣がすげ替えら との和解と制裁の解除を望んでいるはずである。 れた。欧州の資本市場で債務の借り換えができないなかで、 制裁は解除されるか ソチ冬季オリンピック関連の融資が焦げ付いたことが背景に あると言われる。が、事実上の経営破たんと言ってよい。国 果たして制裁は解除されるだろうか。私は、国際政治はリ 世有開発銀行と言えば、誰もが知る「クレムリンの金 ーダー個人の資質や指向で決まるところが大きいのではない 庫」である。投資フォーラムでロシア中銀の知人に質したと かと思っている。それは、オバマとプーチンのふたりの大統 ころ、さすがに「破たん」であることは否定していたが、ま領のあいだの因縁にも当てはまる。 さにプーチン大統領の懐寒しという事態であろう。 習近平とプーチンが同志的な連帯をアピールした同じ一一〇 他方、市民もいまでは経済の悪化を肌で感じ、不安を口に 一三年の夏、オバマ大統領は、プーチン大統領のことを「ク しはじめている。実質所得はマイナス成長と物価上昇のため ラスの中でひとり孤立した生徒のようだ」と記者団の前でこ に、二〇一五年に前年比で九・五 % も減少し、今年の第 1 四 き下ろし、ロシアとの「リセット外交」にピリオドを打って 半期にはそこからさらに三・九 % 減少している。年金は実質休暇に入った。アメリカはこうしてプーチンのロシアに見切 的にカットされ ( 支給額の伸び率は物価の上昇率に比べて半分以下 ) 、 りをつけた。 公務員の年金受給年齢も引き上げられることになった ( 六〇 振り返るとこの三年間、ロシアとアメリカの対立は、シリ 歳から六五歳へ ) 。 アにはじまってシリアへ戻ったように思う。その夏、アメリ 国民はすでに二年間も我慢を強いられている。その上、欧 力は中ロの拒否権に遮られて国連決議に基づいたシリアのア 米に包囲されていることへの気づまりとやり場のない苛立ち サド政権への軍事制裁ができないなかで、国連決議なしでの もある。ロシア駐在時代の元部下たちと、数年ぶりの旧交を シリア攻撃に踏み切るかどうか検討していた。ところが、九 温める機会があった。皆口々に、私と苦楽を共にした二〇〇 月はじめにロシアのサンクトペテルプルグで開催された 〇年代半ばの「オイルロケット」時代を懐かしがる傍らで、 では慎重論が支配した。ホスト国のロシアは、アメリカの指 いまではヨーロッパよりもロシアの地方都市へ出張する方が 導力の脆さを見越したうえで、シリアが保有する化学兵器を 楽しいと語っていた。明るい気持ちになれないとこばしても 国際管理に委ねることをアメリカに提案し、同時にシリアを いた。プーチン大統領は経済の困難に直面しつつあり、欧米説き伏せてみせた。ロシアはこれにより、アメリカに代わっ ロ

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139 モスクワから見た 1 日ロ交渉 洋頭倍統月 ) 〔一『・冒安大 5 同 " ソチからウラジオストクへ、 談交一チ 脳手相 ( ' 「未来志向アプローチ」の行方 首握首領 6 ン大統領にとって重要なのは、アメリカとの関係 ( 米ロ ) であ プーチン大統領がやってくるという。本当だろうか。 り、中国との関係 ( 中ロ ) であって、日本との関係 ( 日ロ ) で 五月中旬、モスクワを訪問した。ホテルのロビーで知人と はない。日本は「経済で利用できる国」というぐらいには考 話していて、はたと気づかされたことがある。私たちは、ロ えているのだろうが。だからこそ彼は、ポールは日本側にあ シアの人たちも日本の方を向いて話してくれていると思い込 ると言って憚らない。ロシアとの平和条約交渉に向き合う際、 んでいる。しかしモスクワから見ると、日本はウラル山脈や 私たちにはそのような冷静な認識が必要ではないかと思う。 シ・ヘリア平原を越えた、はるか東の彼方の海に浮かぶ小さな 他方、五月六日、黒海沿岸のソチで、安倍総理はプーチン大 島国である。そして日ロ交渉は、ヨーロッパやアメリカより も遠い、ロシア極東と日本のあいだの「ローカルな問題」で統領に「八項目の経済協力プラン」を提示した。たしかに貿 易や投資など民間ビジネスの交流を進めることは、ロシア国 しかないように思える。そのロシア極東は人口六七〇万足ら 民のあいだに日本への期待と信頼を高めるための一助にはな ずの過疎地である。ロシアの主要都市の多くはウラルから西 るだろう。しかし、経済交流の促進はロシアを交渉のテープ の中央部に集中し、人口一億四六五〇万の大半もそこに住ん ルに着かせるための誘い水であって、それ以上ではない。ま でいる。 してや日本の協力に見合うだけの見返りがあるとは限らない。 ロシアにとり、日本は核心的なイシューではない。プーチ 西谷公明 にしたに・ともあき一九五三年愛知 県生まれ。 ( 株 ) 長銀総合研究所、ロシア トヨタ社長、 ( 株 ) 国際経済研究所取締 役・理事を経て、現在同研究所シニアフェ ロー。一九九ニ年、ウクライナ最高会議 経済改革管理委員会に調査派遣、九六 九九年、ウクライナ日本大使館付専門調 査員としてキエフに滞在。著書に「通貨 誕生ーーウクライナ、独立をかけた戦い」。 世界 SEKAI 2 0 16.9

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217 健康診断を続けてきた。事故の健康影響に関して、三〇年間 0 一口シアはどこまで のデータの蓄積がある。広い地域の住民を被災者と認め、全 、被災者を対象とした定期的な健康診断が始まるのは、一九九 一年に「チェルノブイリ法」が成立してからのことである。 健康被害を認めたカ 界 世 チェルノブイリ原発事故の健康影響に関しては、議論が続 いている。調査機関や研究者によって評価は大きく異なる。 イ そうしたなかで、今年、事故三〇年を記念して二〇一六年版 よ ノ 『ロシア政府報告書』が発表された。 ~ 告 今年の報告書では、チェルノブイリの健康被害について、 一 - = = = これまでの『ロシア政府報告書』とは異なる見解が示されて いる。五年前に刊行された二〇一一年版 ( 本誌三月号で一部紹 〔版 介 ) と比較しても、いくつか大きな変化が見える。 年 0 結論から言えば、収束作業員の「血液循環器系疾患」、「甲 状腺がん」にセシウムの汚染が影響している可能性、被災二 故 世への遺伝的影響が、認められた。これらの健康被害につい て、これまでの『ロシア政府報告書』では「考えにくい」と されるか、または一言及すらされていない。ロシアが、三〇年 間の健康調査を踏まえて、どのようにチェルノブイリ事故に よる健康被害を認めたのか。以下、要点を伝えたい。 ニ 0 一六年版『ロシア政府報告書』はなぜ重要なのか この報告書の正式名は『チェルノブイリ事故三〇年ーーーロ おまっ・りようロシア研究者。著書に「 3 ・ⅱとチェ ルノブイリ法・・・ー再建への知恵を受け継ぐ」「原発事故国 家はどう責任を負ったかーーウ クライナとチェルノブイリ法」 尾松亮 ( ともに東洋書店新社 ) ほか。 今年四月二六日で、チェルノブイリ原発事故 ( 一九八六年 ) から三〇年が経過した。主要被災国 ( ロシア、ウクライナ、ペラ ルーシ ) では、事故三〇年を記念したシンポジウムが開かれ、 新しい報告書や論文が発表されている。 これらの国では、チェルノブイリ原発事故被災者に対する 1 ン第 4

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から政治の質を厳しく問われつづけている。 食会をキャンセルして早々と帰国し、以来ふたりの関係は冷 ウクライナの安定はウクライナの人たち次第であるにもか 却した。 かわらず、政治の漂流がはじまっている。「ウクライナは一 欧米は、ウクライナが経済面であれ、ロシアとの関係を再 〇年ごとに革命を繰り返す」と、二年前にキエフの知人が自構築することを喜ばないだろう。それはプーチンが目論む 世嘲気味に語っていたことを思い出す。穏やかな日々は戻って 「影響圏」の復活につながる。制裁は米欧が主導する国際社 も、経済の立て直しはなおざりにされたままである。「待て 会の合意である。一旦発動された制裁は、容易には解除され ば海路の日和あり」の言葉どおり、プーチン大統領はウクラ ない可能性もある。 イナの自壊を待てばよい。 ロシアとの経済面のつながりも政 当面のゴールはニ 0 一八年 変前のように回復している。 ロ しかし、欧米が問題にしたのは、プーチン大統領がとらわ 頼りにしていた中国からは袖にされ、欧米による制裁も容 れている「影響圏思考」であった。メルケルとプーチンのふ 易には解除されない中で、ロシアは政治の季節を迎えようと たりの関係には旧東独でつながる微妙な因縁がある ( ふたり している。五月下旬、ロシア政府は欧州市場での総額三〇億 の会談はふつうロシア語でなされ、プーチンがドイツ語で切り返すこと ドルのユーロ債の発行を表明し、初回分として一七億五〇〇 もあるという ) 。 〇万ドルを起債した。誰が引き受けに応じたかは別にして、 二〇一四年一一月、プリスペンでのの夜、メルケル首 その半端な額からロシアの苦しい財政事情がうかがえよう。 相はホテルでプーチン大統領とふたりだけで三時間以上にわ 日ロ交渉はそういう局面の中での綱渡りになる。 たって会談した。側近を外して赤ワインを飲みながら。しか ソチで「シンゾー」と「ウラジミール」のふたりは、北方 しそれでもふたりの溝は埋まらなかった。そして翌日、メル領土問題を含む両国間の懸案を「ふたりのあいだで解決しょ ケルは首脳に向けて危機に対する強い憤りを込めたメッ う」と約束したという。ロシアでは二〇一八年三月に次期大 セージを発する。「我々は突如として我々の価値の核心に対統領選挙があり、安倍総理の自民党総裁任期は同年九月に満 する挑戦に直面している。『影響圏』という『国際法』を踏了する ( 党規約を改正すれば延長は可能だが ) 。察するにふたりは、 みにじる古い思考を許してはならない」と ( ウォールストリー 自分たちの関与を約束し合い、互いの任期を念頭において、 ト・ジャーナル、二〇一四年一二月一九ー一二日付 ) 。プーチンは昼 二〇一八年を当面のゴールとして期限を区切ったということ

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8 1 2 ア 9 シアにおける事故被害克服の総括と展望一九八六ー二〇一 この二〇一一年版 故件 六』。序文、本文六章、結論部、参考文献情報を含めて全一一 科 『ウクライナ政府報告 フ 発活 成ト 書』に比べれば、ロシ 〇二頁。 = 一〇年間におよぶ事故被害対策の総括、健康調査デ 構 リ常 ータの評価、今後の政策課題などについてまとめられている。 ア政府報告書のスタン のオ組 界 』フの量プと 世二〇一一年版『ロシア政府報告書』に五年間の蓄積を加え、 スはずっと保守的であ 書び策曝ノ化 告よ施被 三〇年の総括として提示されたのが今回の報告書だ。 報おたの = 況り、健康被害に関する 報告書の作成には、保健省、農業省、放射線衛生基準を管府臣け員チ状考記述も乏しい。個別の 政大拶向業るの参 ア態挨に響作響けン 轄する「連邦消費者権利保護・福祉監督局」や放射線医学の 学者による論文であれ シ事の化影束影お一論 ロ常裁小線収的に組ゾ結ば、ロシアでもウクラ 研究拠点であるロシア保健省管轄「国立医学放射線研究セン 非総最射び学邦取染 ター」、科学アカデミー附属「原子力安全発展問題研究所」 イナでも、より積極的 版フ一害放よ医連の汚 年コミ被のおのア服能行 など、政府機関の専門家が参加している。 に「がん以外」の健康 チデ故故民故シ克射移 プカ事事住事ロ害放の 監修を務めた「非常事態省」は、災害復旧、動乱・軍事行 被害を指摘するものも ある。 動による被害からの住民防護を担当する防衛機関である。チ 文章章章章章章 序 1 一つム 3 4 5 エルノブイリ事故被害に関する問題も同省の管轄である。 それではなぜこの 核武装国ロシアの国防機関である以上、非常事態省が原子 『ロシア政府報告書』を今、取り上げる必要があるのか。理 力の維持・推進に不利になるような、原子力被害情報を積極由は、これがロシア政府としての公式見解を示したものだか 的に出すとは思えない。実際、この二〇一六年版『ロシア政らである。 府報告書』も、健康被害の認定に積極的とは言えない。 個別の学者チームの意見ではなく、政府機関の見解を一小し 同じチェルノブイリ被災国のウクライナは、二〇一一年版 たものとして読むことができる。この報告書に書かれたこと 『政府報告書』で「がん以外」の多種の疾病にチェルノブイリ を、非主流派の異端学説として退けることはできない。 原発事故の影響を認めている ( ウクライナ緊急事態省『チェルノブ 日本で福島第一原発事故の健康影響を否定する立場をとる ィリ事故から二五年【将来へ向けた安全性ーー二〇一一年ウクライナ国 医師たちは、これまで『ロシア政府報告書』やロシア国立医 家報告』今中哲一一監修・京都大学原子炉実験所発行 ) 。 療機関の専門家の論文を引用してきた。この二〇一六年版だ

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とのコメントを紹介している。ペラルーシで昨年の時点でも 一七歳以下の甲状腺がんが「他国より明らかに多い」という 事実を前にして、コノブリヤ副院長は首をかしげる。「半減 期が三〇年の放射性セシウムなどによる低線量被曝がどう影 響するかもわかっていない」という。ストリナャ氏が指摘す るのと同じ状況が、・ヘラルーシにもあるようだ。 これらは、現場の医師たちの長年の診断に基づく経験論で ある。ロシアではいまのところ「セシウムの影響による甲状 腺がん発症」を、政府として認めたわけではない。 二〇一六年版『ロシア政府報告書』では、「未成年として ョウ素被曝した人々」のうち、「セシウムの汚染度が高い地 域に一定期間住んでいる」層に、甲状腺がんが特に多いと指 摘する。セシウムの汚染だけで甲状腺がんが生じると認めて いるわけではない。 このことには注意が必要だ。 また同報告書は被災地住民対象の健診を行なっていること が原因で、一定のスクリーニング効果が生じている、との見 ら解を示してもいる。 か プ ( 3 ) 「放射線の影響による遺伝的疾患」 ル 直接事故を体験していない、被災二世以降の世代への健康 チ 影響は、最も評価が難しい問題の一つである。 年 実は、チェルノブイリ被災者保護制度は、放射線の遺伝的 事影響がありうることを前提に組み立てられている。具体的に はチェルノブイリ法二五条が、一定の条件付きで、被災二世 にも社会的支援を認めている。 このチェルノブイリ法二五条に即して、ロシア保健省の研 究機関 ( 連邦国家機関「モスクワ小児科・小児外科研究所」 ) は「児 童の疾病・障害と放射線要因の影響との因果関係確定技術」 ( 二〇一〇 ) というマニュアルを発行している。同マニュアル には次のように述べられている。 ロシア連邦において、「チェルノブイリ原発大災害の結果 放射線影響を受けた市民の社会的保護」法 ( 訳注】チェルノ プイリ法 ) に示された被災者カテゴリーに該当する児童に、 放射線起因の疾病の増加が記録されている。先天性形成不 全、常染色体優性遺伝型の希少遺伝症候群 ( 第一七番染色体 に関連する症候群、ハジュ・チーニー症候群、ヨハンソン・プリザー ド症候群等 ) も含む遺伝子・染色体異常、悪性を含む新生物、 神経・精神疾患などが、ロシア全体の指標を著しく上回っ ている しかしなどの国際機関や国連科学委員会の報告書 は、被曝が原因で遺伝的疾患が生じる可能性を認めていない。 二〇一一年版『ロシア政府報告書』でも、被災一一世への遺伝 的影響についての記述はない。ロシアでは被災者保護制度上 は、遺伝的影響があることを前提としながら、政府の公式見

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しては、「ほかの要因が影響していることもありうる」とも 人々は多い。また、汚染地域住民の間でも同様である。二〇 指摘する。「被曝だけの影響ではない」という含みを残した 一一年版『ロシア政府報告書』によればロシアの主要被災四 認め方だ。三〇年のデータ蓄積に基づいて、「否定できない 州における住民の疾病のうち、最も多いのが、やはり血液循 部分だけしぶしぶ認めた」という印象がぬぐえない。 環器系疾患である ( 全体の一七・八 % ) 。 チェルノブイリの収東作業員たちは、仲間で心血管症に苦 これら住民の疾患と被曝の関係をどの程度認めるのか、そ しむ人々が増えたことを実感している。筆者が本年四月に取れとも「別の要因」で説明するのか、その問題に二〇一六年 材したロシアの収東作業員の数名は、「心血管症は被曝によ版報告書は答えを出していない。 るもの」という確信をもって語っていた。「被曝による心血 管症」は、彼らにとっては当たり前の経験的事実である。実 ( 2 ) 甲状腺がんの要因としてのセシウムの影響 ? 際に、それらの多くの循環器系疾患が「チェルノブイリ原発 「甲状腺がん」は、チェルノブイリ原発事故の影響で増加 事故被害」と認定され、補償されてきた。 したことをやも認める数少ない健康被害の一 また長年チェルノブイリ被災者の健康調査を行なってきた つである。ロシア政府も、自国のチェルノブイリ被災地で、 専門家も、「心血管症が被曝の影響であることは決着済み」 被曝の影響で甲状腺がんが増加したことを認めている。 との見解を示す。たとえば、非常事態省附属ニキフォロフ記 しかし「被曝の影響で甲状腺がんが増えた」というとき、 念緊急・放射線医療全ロシアセンターのアレクサニン教授は、 これまでの『ロシア政府報告書』では幾つかの条件づけがあ 本年四月筆者に対して、「血液循環器系疾患が放射線被曝に った。二〇一一年版では「これらの地域 ( 訳注【被災四州 ) で らより引き起こされることはすでに決着のついた議論。どの程 は、住民の間に甲状腺がん発症の頻度が増加した」と明確に 度が被曝の影響で、どの程度が他の要因と複合作用している 認めている。しかし、甲状腺がん発症リスクのあるグループ と認めるのは、事故当時〇 5 一七歳の子どもだけである。こ のか。それが現在の議論だ」と述べている。 二〇一六年版『ロシア政府報告書』が健康被害と認める血 れは、一八歳未満の未成年が放射性ョウ素を甲状腺に取り込 チ 液循環器系疾患は、上述の「ハイリスクグループ」作業員の んだ場合のみ「甲状腺がん」の原因になりうる、という前提 年 場合だけである。 で評価しているからだ。 故 事 しかし、それ以外の作業員でも、血液循環器系疾患を患う 事故の翌年以降に生まれた子どもたちには、被曝による甲

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前回、五年前に刊行された二〇一一年版『ロシア政府報告 けは認めない、ということはできないはずだ。 日本の首相官邸の公式サイトでは、二〇一四年一月一四日書』でも、「血液循環器系疾患」や被災二世への遺伝的影響 は認定していない。住民の健康被害として唯一認めた「甲状 付のロシア保健省管轄「国立医学放射線研究センター」副所 腺がん」についても、事故時未成年でヨウ素被曝した人々の 長イワノフ教授のメッセージ「福島県民の皆様へ」を掲載し、 みの問題としている。 同教授の福島県における甲状腺がんについての見解 ( 原発事 5 ( 3 ) について二〇一六年版『ロシア 以下、上記 ( 1 ) 故の影響は考えにくい ) を紹介している。 政府報告書』がどう記述しているか、二〇一一年版および国 そのロシア政府が、今回の報告書で原発事故による「がん 際機関による報告書と対比しながら分析する。 以外」の健康被害を認めた。ここに一小された見解は、日本に おいてチェルノブイリの知見を参照する際に、最低限、考慮 ( 1 ) 収束作業員の「血液循環器系疾患」 すべき前提となる。 二〇一一年版『ロシア政府報告書』では、先立っ数年にお ニ 0 一六年版の健康被害に関する見解 いて、チェルノブイリ収東作業員の新規疾病および障害認定 原因のうち、血液循環器系疾患が多いことを指摘している 冒頭で述べた通り、この二〇一六年版『ロシア政府報告 ( 新規疾患全体の一八・六 % 、障害認定全体の四八・七 % ) 。しかし同報 書』の転換点は、 ( 1 ) 収東作業員の「血液循環器系疾患」、 ( 2 ) 「甲状腺がん」にセシウムの汚染が影響している可能性、告書では、これら血液循環器系疾患が「被曝を原因とする」 とは認めていない。 ( 3 ) 作業員や被災住民の子どもの世代への遺伝的影響、を の また二〇〇八年の報告書は、収束作業員に 限定的ながら認めたことである。 ( 国際原子力機関 ) か や ( 世界保健機関 ) など国際機関は、チェルノブイリ原血液循環器系疾患が多いというデータがあることを指摘しな イ がらも、原発事故の影響とは認めていない。以下、該当部分 発事故の健康被害として、上記のような被害を認めていない。 ル を引用する。 「チェルノブイリフォーラム報告書」三〇〇六 ) や Z O チ ( 原子放射線の影響に関する国連科学委員会 ) 一一〇〇八年報 年 ロシア連邦の復旧作業者の一つの研究により、放射線量は 告書では、上述の健康被害について「別の要因によるもの」 心血管疾患の死亡率と脳血管系疾患の罹患率の両方と統計 事と説明するか、または言及すらしていない。