場の催促を無視できない。 株式市場は好感し、日経ダウの終値は一万六〇〇〇円に回復 与党の勝利で証券市場は「次は景気対策」と囃し、東証株した。翌日の産経新聞一面に「ヘリコプターマネー検討」の 見出しが躍った。「首相周辺で、日銀が国債を買い切って財政 価は大型補正を織り込んで上昇している。中途半端な対策で は「失望売り」を招きかねない。「一〇兆円」で株価は値を資金を提供する『ヘリコプターマネー』政策の導入が検討課 世上げたが、貪欲な市場はこれで満足せず、次は二〇兆円を期題に浮上してきた」と書かれていた。首相のプレーンである 待する。安倍人気は株価で支えられる。株価に頼り、株価に 本田悦朗駐スイス大使が「今がヘリマネーのチャンス」と首 配慮し、株価に引きずられる政策運営になってしまった。 相に進言したことや、浜田宏一エール大名誉教授が「一度限 株価を上げるには年金資金まで犠牲にする。それだけでは りという条件ならへリマネーを検討してもよい」と語ったこ 足らず、メディアを使ったマュッパ政策を喧伝したりもする。 となどが明らかにされている。「ヘリマネー」を政策課題に載 その象徴が「ヘリコプターマネー」だ。デフレを克服するた せようという意図か、株式市場の期待を煽るためのリークか。 めにはヘリコプターからカネをばら撒くような政策が効果的、首相周辺と気脈を通じてこの話題を盛り上げる記事である。 という理屈だ。デフレでは金融が目詰まりを起こし、おカネ 「日銀が国債を買い切って財政資金を提供する政策」が国 が企業や家計など末端に届かない。ならばヘリコプターから 民経済を破滅させることは歴史が示している。やってはいけ 撒く、というのはたとえ話で、同等の効果が期待できるのが ない政策が、「政策総動員」という掛け声に乗って安倍政権 「政府が無利子・無償還の国債を発行して中央銀行が引き受 で出番をうかがつ、ている。 ける」という政策だ。学者の間で議論はされても、現実の政 異次元の金融緩和もマイナス金利も、これまでの常識では 策として行なわれた例はない。そんな危なっかしい政策なの 「あり得ないこと」だった。一時的な劇薬として処方された に、「アベノミクスを加速するなら次はヘリコプターマネー 政策が、効果が出ないまま常態化した。非常識なことをこれ か」という観測が株式市場にも広がっている。 ほどやっても、まだデフレから出られない。ならばもっと非 憶測を煽るかのように選挙の二日後、べン・ ーナンキ前 常識なことをやってみよう、という暴走政策のお先棒を、メ 議長が官邸を訪れた。同氏は「ヘリコプターベン」と ディアが担ぐ。いっか来た道に似ていないか。そんな危うい 呼ばれ、この政策の第一人者とされている。安倍首相との会状況が生まれつつある。 談は冒頭を報道陣に公開し、二人は並んでカメラに収まった。
験は技術が政策選択を制約するのでなく、政策選択が技術を促進するようなメカニズムを利用することである」とし、そ 制約するという考え方を支持するものである」と、今日の環 のための「新しいタイプの環境政策となる要素は、おそらく 境政策の在り方を示す重要な評価をしている。この健康優先 公衆参加のための組織であろう」と環境行政への住民参加を の思想による公害防止政策の経済的負担は、他国よりも高く 提唱して結んでいる。 ついた。「しかしーーーそしてここが重要な点であるが このの評価は日本の環境政策の評価としては最も うした追加費用が日本経済に与えた影響は、大きかったとは よく実態を調べ、客観的である。しかし当時「公害との戦闘 思われない」。レビューはこの原因が公害防止産業の発展に に勝利した」という結論が取り上げられ、公害は終わったと あるのかどうか影響を把握できぬとしているが、重要な結論 して、当時の世界不況による環境政策の後退を合理化するこ とにも使われた。レビューが指摘した環境の質アメニティ である。このように公害対策の評価を述べたのち、レビュー は次のように指摘している。「日本の状態はいわば、病気の の確立は七〇年代前半から小樽運河保全のような街並み保全 主な原因が除去されたにもかかわらず、病気が治らないよう や、琵琶湖の自然浄化のような水郷水都再生などの住民運動 なものである。このことは環境に対する不満の本質の原因が、 として始まった。またアメニティ研究会など ZA*O も生まれ 汚染の増大にではなく、環境の質の悪化にあったこと、そし た。しかし行政の姿勢は次第に調和論に戻り、都市環境・景 て現在もそうであることを示しているようである」 観や自然環境保全が困難な状況は続き、地域開発計画への住 しかし、公害対策が環境に対する不満を除去することに成民参加が実現せず、アセスメントの制度を一九九七年まで遅 功しなかったというのは誤りで、公害対策は環境の質あるい らせ、制定後も骨抜きとなっている。環境の質の確立の課題 はアメニティを確立する一歩だったのである。健康と生存は は今もなお成功していない。 人権の基本であって、これが確立して生活の豊かさや快適さ ◆環境政策の市場化と四大環境問題 が要求されるのである。とはいえ、レビューがもう一歩進ん 一九七五年石油ショックを契機に世界不況が始まり、環境 政策は一進一退することになった。さらに八〇年代に入り、 で環境の質を確保するために自然的文化的遺産の保全や一般 の 的な福祉の増進に取り組むべきであるといったことは重要で、 日本は革新自治体が東京都、大阪府、京都府などの知事選挙 史 害 環境の質の維持が次の課題であることはあきらかであった。 で敗れ退潮した。一九八一年大阪空港公害訴訟 ( 後述 ) 最高 公 日レビューは「必要なのは、慎重な包括的な計画であり、環境裁判決は、原告完全勝訴の大阪高裁の判決を覆して、人格権 戦を損なうような開発を阻止し、環境にとって望ましい開発を による賠償は認めたが、環境権による差し止めは認めなかっ
政府と経済界はこの状況の下で経済成長を続けるためにも 手人はわからなかったが、大変な悪人である。一時間値一日 公害対策が必要として、世界最初の公害対策基本法を制定し平均〇・〇五は同一年平均〇・〇一七胆であるから三倍緩め た。これは公害の範囲を大気・水汚染など七種に決め、規制 たことになる。当時同一年平均〇・〇五の地域は東京都新 大久保地区、北九州市戸畑区であった。これでは法ができて の対象を汚染地域から全国に広げた。これまでの汚染源ごと も環境が改善されるのでなく、全国が東京都、北九州市並みに の排出基準で規制するのでなく、環境基準を設定するなど、 従来のザル法と言われた規制法の改革がされた。しかし放射汚染されてよいことになる。 この調和論に真っ向から反対したのが東京都である。都公 能被害については公害と認めるが、これは原子力基本法など かいのうみちたか に譲るとして、規制官庁から外した。この規制よりも促進と害研究所長戒能通孝らによって作られたといわれる一九六九 年東京都公害防止条例は調和論を捨て、環境権の確立と生活 いう原子力政策は福島原発事故の処理まで続くのである。こ 環境保全を目的とし、企業の最大限公害防止義務をうたい、 の法の最も大きな問題は、経済界の圧力で法の目的を生活環 S02 の環境基準を同一日平均〇・〇五胆とし、国の未定の 境の保全と経済成長の調和を図るとしたことである。公害は N02 の環境基準を提示した。政府はこれを法律違反として 環境の質の変化Ⅱアメニティの破壊から始まり、生活環境の 改正を求め、都職員の比較的高い給与水準に干渉し、公債の 質の悪化が累積して公害を生み出す。公害防止と環境の保全 発行を止めるなどの嫌がらせをしたといわれる。しかし、全 は連続しているのである。調和論はこの環境学の基本を認め 国的に公害が広がり、メディアの世論調査でも経済成長より ないで、当面の病気だけを公害と認め、経済成長企業の利 は公害防止を求める声が圧倒的に大きくなった。行政学者も 潤確保の範囲内で、環境を維持すればよいというのである。 別な見方をすれば、企業は費用便益分析によって、利潤の範東京都の措置は憲法から見て適法とした。国際的にも欧米諸 囲で公害の防止費用を決め、裁判は比較衡量により、公共性国で環境保全の政策が制定され、一九七〇年四月の「アース の受忍限度の範囲内で判定すればよいということになる。 ディ」では = N 。 M 。「 e まぞ气という日本の公害政策反対の声 訓 が高まった。 この調和論による失敗は、法の基本である環境基準の設定 教 の ◆公害国会と初期の環境庁 に表れた。当初 S02 の環境基準は専門家の諮問では一時間 害 政府はこの状況の下で東京都に譲歩して急遽転換を図り、 値一日平均〇・〇五とされていた。ところが政令で決めら 一九七〇年末、「公害国会」という異例の名で呼ばれる国会 日れたのは同一年平均〇・〇五胆であった。この時期の研究者 で環境一四法を制定した。ここでは公害対策基本法をはじめ、 戦の中心にいた鈴木武夫に聞いてもこのわざとらしい改編の下 しゅにん
興』、明石書店参照 ) 。ここでは、こうした だ。被害は現にあるのだ。避難者は自立要がある。 帰還政策がなぜ否定されないのか、そのしていないなどというが、原発事故が本◆避難者は分断されているか Ⅷ構造を探り、そこから抜け出る道を考え来できていた自立を損ねたのである。そなかなか声が上がらない理由としては ることにしたい。 れを賠償や支援がもたらしているかのよ他に、避難者の間で分断が起きている、 世◆帰還政策はなぜ否定されないのか うに論じているのだとしたら、それこそ帰る人 / 帰らない人など多様な被害者が なぜ原発避難者対策として帰還政策が責任逃れである。 いる、このうちの帰る人に合わせた政策 推進されるのか。もっとも、その答えは、 だが、帰還政策が否定されないのには、が帰還政策であるなどと、しばしばその 少なくともこれを政府や東電の側から見もっと別の理由がある。政府や東電の責ようにも理解されてきた。しかし、事故 る限り、簡単なようでもある。帰還政策任逃れのためだけにこのような政策がま発生から丸五年経ってそれは本当なのか。 だけが進行するのは、それが政府や電力かり通っているのだとすれば、被害を受しつかりと問うてみる必要がありそうだ。 事業者にとって都合がよいからである。 けた当事者たちがはっきりと「そうは言多様な被害者の多様な生き方を尊重せ 原発事故には賠償があり、その責任がっても帰れないよ」と言えばよいのであよーー被害者支援はしばしばそういう哲 追及される。この事故に責任があるものる。だが、帰還政策が否定されないのは、学で語られる。 の側からすれば、その責任、その負債を実は当の避難者自身においても同じなのしかし、避難者は多様なのか。実は避 早期に終了させたいがために、「帰還でであった。これはいったいなぜなのか。難者たちの本意は一つに集約されるので きる」イコール「もう被害はない」状態帰還政策だけが進行する構造の根源ははないか。 を作りたいというのはよく分かる話だ。 どうもこういうことである。それは誰も今すぐ帰るのではなく、時間をかけて その際、最近は次のような意見がメデこの政策を否定しないからである。「帰通い、現地の安全を確かめ、確保し、じ ィアにも登場するようになってきたので還ありき」では復興できないことが分かっくりと復興していく。事故から丸五年 注意しよう。「いつまでも賠償をつづけっていながら、現地においても帰還政策を過ぎて、ようやくこの「通いながらの るのは、被害者の自立を損なうものだ」は明確に否定されずにここまで来てしま長期復興」 ( 第三の道。『世界』二〇一五年四 と。 った。一体なぜこの政策を否定する声が月号参照 ) という道筋が語られるように だが、これもこう言うべきことのはず上がらないのか、その理由を追及する必なってきた。おそらく三〇年以上はかか
亠じた供給サイドの競争力強化を訴え、構造改革と新自由主義 以下では近年のドイツの経済学者たちの論争を紹介し、上記 的政策を要求した。後者は完全雇用や社会保障を通じた需要 二組の対立軸がそもそもどのような関係に立っているのかを サイドの購買力強化を訴え、社会民主主義的政策を要求した。考えてみたい。 この基本構図が崩れ始めたのは、イギリス労働党のプレア 界 ニつの対立軸と四つの選択肢 ( その 1 ) 世首相やドイツ社民党のシュレーダー首相が第三の道を提唱し 「新自由主義派」対「社会民主主義派」 た九〇年代末のことだった。その背景には、資本主義が本格 的なグロ ーバル化と金融化の時代を迎え、各国政府が国内の 今かりに、経済政策上の伝統的対立を縦軸に、統合へ 再分配原資を確保するためにも超国家的な自由市場への参入 の賛否を横軸に取ってみると、そこには合計四つの組み合わ を余儀なくされたという事情がある。かくして国内の経済的 せができる。これにドイツの代表的経済学者を当てはめてみ 資源配分をめぐる伝統的対立軸のかたわらに、国民国家と超 ると表のようになる。 国家組織との政治的権限配分をめぐる対立軸が加わった尸今 まずは縦軸の対立 (<) (ca) の違いを再確認しておこう。 回の国民投票が白日の下に晒したのは、この二組の対立軸が これは今もって経済政策における基本的な対立軸をなしてい る。 もはや単純な対応関係を保てなくなったという事実だ。いわ ば反ロンドン感情と反プリュッセル感情は内部にねじれを保 (<) の立場をとる経済学者はおよそ次のように主張する。 ちながら同居している。このねじれの本質についての議論が 先進国の高賃金と硬直的雇用制度は生産コストを上昇させ、 深まらなかったことが、今回の国民投票の後味の悪さだった。 グローバルな競争力を低下させる。競争力のある企業は低賃 そこには既成政党そのものの分裂再編の予兆もかいまみえる。 金を求めて海外に拠点を移す一方、国内には高賃金で生産性 イギリスのドラマはまだ予告編の段階で、これからどのよ の低い産業分野や肥大化した公的セクターが残り、産業の空 うな本編が展開するのか、今の時点ではまったく予測がっか 洞化を招く。収益が落ちた企業は雇用を抑制し、失業者が増 ない。離脱申請が延々と引き延ばされ、国民投票自体がうや え、失業手当をはじめとする社会保障費が増大し、放置して むやになるシナリオさえ完全には否定できない。しかし、ド おけば財政赤字とインフレを招く。こうした負の連鎖を防ぐ ィッではすでに長い間、統合を巡ってこの二組の対立軸ための対策は賃金抑制と技術革新、および成長産業への労働 が激しくぶつかりあってきた。今後の展開に備えるためにも、 カ移動だ。そのためには解雇規制の緩和、労働組合の賃金規 ( 4 ) 特集 2 ( 5 )
での税と社会保障の政策は生煮えだった、あるいは奥行きが 足りなかったことをふまえて、人間の尊厳を大事にした生活 保障、財源論を正面切って打ち出すということだと思います。 井手私がずっと引っかかっているのは、昨年、共産党と 界 世の選挙協力について懸念しておっしやった「シロアリ」発言 です。この発言を踏まえてもなお、政策的に合意が可能であ るかぎり、野党共闘はあってしかるべきだとお考えですか。 前原政策がないまま枠組み論になることのリスクを伝え たくて、あのような発言をしました。過激ではありましたが、 政策を置き去りにした枠組み論は不毛です。政策に主体性を もち、有権者の信頼を勝ち取ることが私たちの最重要課題で す。枠組み論ありきでは議論が逆立ちしてしまう。政策論議 を深め、共闘のフェイズをさらに進化させる。政策論議のす えの共闘努力こそ、私たちの責任だと思います。 自社さ ( 自民党・社会党・新党さきがけ ) 政権を振り返っても、 同じことが言えるはずです。安倍首相も、今回の参院選では 「民共批判」をずっとやっていましたが、一九九四年の代表 選では「村山富市」と書いて、一票を投じています。そうし て自社さ政権が誕生した。その後、社民党へと変わりました が、自衛隊を認め、日米安保を認めて、その結果として、今 回の参院選では獲得議席一という政党になったわけです。 私は政治思想的にセンターライトだと言われますけれども、 センターライトからセンターレフト、そしてリべラル層まで 特集 1 、 : 包容していく懐の広さ、深さが求められていると感じていま す。私は民進党を大事にしていきたいし、野党第一党として 一一度と同じ失敗をしない責任がある。多様な意見をいかしつ つ、できるだけ党内部にミシン目を入れない、社会の分断だ けでなく、党の分断を避けなければいけな、。 井手私としては、すべてを包み込むセンターの思想のな かに、右や左の線を引かないでほしい ( 笑 ) 。 右・左の垣根を超えて、そこにヒューマンという視点を入 れていくことによってセンターへの道をこじあけることは歴 史的な課題でもあります。社会保障や教育には、右も左もあ りません。そこにあるのは人間の未来だけです。 前原そのとおりですね。私は友人に、「我われが目指す 内政の基本的な考え方は社会民主主義だ」と言っていました。 でも、その社会民主主義が今日、さらに日本の状況にそくし たものへとプラッシュアップされた気がします。 井手私も、分断を生まない社会、希望も不安も分かち合 う社会は、結局は政治への信頼を回復しないかぎり、実現し ないと思います。 そのためにこそ、腰を据えて骨太な政策を打ち出す。そこ に社会像や国家像をちゃんと重ねていく。今日前原さんがお っしやったことが実現するのなら、「真ん中への道」が切り 拓かれるのではないかと思います。 ・・・・・・・・・・本日はどうもありがとうございました。 ( 構成・編集部堀由貴子 )
実際に安倍首相は国会閉会後の記者会見で、参院選後に「ア 分に影響するかを判断するには、自分以外の経済状況を手が べノミクス三本の矢をもう一度、カ一杯放っ」と公言したが、 かりとするしかない。経済政策について限ってみれば、有権 その通りに再度の経済対策が打ち上げられることになった。 者は「社会性向的」な判断基準でもって投票先を決めるので つまりは、アベノミクスは三本の矢を矢継ぎ早に放つもの ある。その場合、株価上昇や雇用の増加、他業界の賃上げは、 界 世の、それはリポルバー拳銃のように回転し続けるものである将来に訪れるであろう「明るい話題」として認識されること になる。 限り終わりはみえず、だから検証に晒されることもない。ア ・ヘノミクスが成功しないのは、アベノミクスが不足している この楽観的な期待をさらに加速させようとしたのは、年末 からだという「リポルビング・アベノミクス」の論法がとら に首相自らが公表した「名目を六〇〇兆円」「希望出 れることになる。首相自ら「アベノミクスは道半ば」と主張生率一・八の実現」「介護離職ゼロ」という、「新三本の矢」 するが、それは永遠に道半ばであることを使命としている。 だった。これは「 ( 旧 ) 三本の矢」のような「目標を欠いた なぜなら「道半ば」である限り、とりわけ景気上向きの実政策手段」ではなく、「手段を欠いた政策目標」である。そ 感が薄いとされる地方に「いっかは」アベノミクスの波及が してこの「新三本の矢」は、二〇二〇年の実現を目処にする 及ぶはず、という期待の操作ができるからだ。そして、その 政策であるゆえ、来る時間の中でその手段を状況に応じて編 期待値は、政権持続と政策支持となって現れる。三期連続の み出し、支持を再び集めることを可能にすることだろう。 マイナス成長、実質賃金の低下、消費水準指数の落ち込みと そう考えた時、アベノミクスを批判する野党が、景気回復 いったマイナスの実感があってこそ、それらは期待値へと転 への国民の「実感のなさ」を特ち出しても、その「実感」が 換されるのである。 待たれているものである以上、説得力を欠くのは当然である。 有権者は投票に際して、自分自身の経済状況以上に、国全 確かに、民進党が参院選で掲げた「人への投資」や「働き方 体の景気を判断基準とすると一般的には指摘される、革命」など、分配に重点を置く経済政策の方向性は間違って (). Kinde 「 &D. R. Kiewiet, S 。、「。 c 、ミ ? 1981 ) 。有権亠頃は、確実な 。しないかもしれない。しかし、これらはマクロ経済政策で 将来を見通せない場合、政権の進める政策と自分の置かれた はなく、個人への所得や分配を基礎に据えるものであるゆえ 環境や条件がどう関連しているのか、まずは社会の変化を通 に、アベノミクスほどの訴求力を持たないという構造的な限 じて確認しようとする。普通の生活者が、経済政策がどう自界を抱えているのである。 特集 1 ー
六三 5 四年の静岡県三島・沼津・清水二市一町の石油コンビナ 守層を含め「オール住民」が、非暴力で学習会とデモを繰り ト誘致反対闘争である。この地域は政府が新産業都市・エ 返して、足元の自治体の政策を変えるという環境学習と地方 業整備特別地域のモデル地域として、四日市コンビナートよ 自治の勝利であった。この「三島・沼津型」の市民運動は全 りも規模の大きな地域開発を計画した。これに対して美しい 国に広がっていった。それはこれまでの生産の場における社 世環境、豊かな資源と地場産業を守ろうとして、「ノー・モア四 会運動としての労働運動と異なる、生活の場における社会運 日市」をスローガンに反対運動がおこった。ここでは地元の国動である。この公害反対の世論と運動は大きな圧力となり、 立遺伝研究所の研究者や沼津工業高校の教師たちが日本で初 公害対策基本法の一九六七年制定へ向けて政府は動き出した。 めて独創的な環境影響事前調査 ( アセスメント ) をし、四日市を他方この住民の世論と運動は二つの道で公害対策を進めた。 はじめ主な石油コンビナートの現地調査をして、「公害の恐れ ◆革新自治体への道 がある」という中間発表をした。これらに基づいて、住民は三 第一は自治体を改革して、自民党中央政府の企業経済の高 〇〇回以上の学習会を開いて反対の意思を固め、非暴力のデ 度成長のための地域政策を、公害防止・環境保全や市民福祉 モを繰り返した。この地域の開発が反対されると全国の高度 の政策へ転換させようとしたのである。京都府・大阪府のよ 成長政策の阻止へつながることを恐れた政府は、地元の調査 うに『憲法を暮らしの中に生かす』という政策理念や東京都 に対抗して初めてアセスメントのために、当時四日市を調査 のように『シヴィル・ミニマム』という政策目標がかかげら していた大気汚染の専門家を集めた黒川調査団を現地に派遣 れ、政府に代わって福祉国家を代置する政治をした。革新自 した。この政府調査団は自衛隊機を飛ばし、風洞実験をする 治体と称せられたが、公害反対や都市問題の解決を求める市 などして、「公害の恐れはない」という結論の報告書を出した。 民運動を背景に、社共両党 ( 初期は公明党も支持 ) と総評など この報告書に疑問を持った地元の調査団は、両調査団の討 の労働団体を母体に首長を革新系にかえたのである。革新自 論会を申し入れ、通産省で対決した。この討論会の結果、政 治体の定義は人によって違うが、六〇年代の中ごろから八〇 府調査団の調査に欠陥があることがあきらかとなった。住民 年代初期にかけて、大都市圏を中心に府県や主要都市の約三 はこの論争の結果をみて地元調査団の報告書を信頼し、闘争分の一を革新首長が占めた。これは日本の政治・行政史上初 を強化し、ついに地一兀の市町村の首長・議会及び静岡県の企 めての重要な意義を持っている。自治体が憲法の地方自治の 業誘致を断念させた。戦後初めて資本の経済論理を市民の環本旨に基づいて、行政体であるだけでなく、中央政府をチェ 境論理がねじ伏せ、地方自治の力を示したといってよい。保 ックする政治体になったのである。
。安倍内閣の態度は憲法の地方自治の本旨にもとるだけで 四大環境問題は辺野古問題を除いて裁判が進行中である。 なく、日本の環境政策の基本にかかわる問題である。辺野古 原発公害では、被害の救済の裁判と原発再開差し止め裁判が と周辺の海域と後背地はジュゴンなど絶滅可能性のある貴重 同時並行的に進んでいて、まだ結論は出ていない。被害救済 な種が多く、沖縄にとって第一級の環境を持っている。この の裁判では財産権や人格権の侵害については賠償がされるで 世代替不可能な環境について、沖縄防衛局の行ったアセスメン あろうが、コミュ一一ティの喪失や地域再生という環境権ある トには大きな欠陥があり、公有水面理立法による承認はでき いはアメニティ権の侵害の賠償と回復については、新しい法 ないのではないか。 理がいるであろう。私はコミュニティの回復や地域再生は金 ◆憲法体制の擁護とニつの道 銭賠償だけで可能になるのではなく、それと共同する住民参 戦後公害史のもっとも重要な教訓は、これまで見てきたよ 加による自治体の事業がなければならないと考えている。自 うに、憲法一三条、一一五条に基づいて市民が基本的人権を守 治体とくに福島県に対する市民の地域再生の運動がカギを握 り幸福追求権を主張して行動を起こし、第八章の地方自治の っているのではないか。福島県はこれまで巨大なエネルギー 本旨に基づいて公害防止・環境保全を優先し、住民福祉を実 と食料の移出県であった。今回の災害の復興は容易でないが、 現する独創的な行政を実現する革新自治体を作り、さらに三 この豊富な資源による内発的発展が会津地域などで試行され 権分立によって司法の自立に期待し、公害裁判を起こし、人 ている。裁判と並行して、地方自治体の改革が必要であろう。 格権や環境権という権利を主張して、勝利したことである。 原発の再開差し止め裁判は、すでに福井地裁や大津地裁で 四大環境問題の解決の道も、原則はこの教訓の示す道を進む 差し止めに関する明快な判決が出ている。福井地裁の判決で 以外にない。しかし今回の参院選挙に明らかなように、主体 は人格権が最高の法理として、営業権のような経済的利益は 的な力は大きく変わっている。労働組合や社会民主主義政党 下位にあるとして、被害を予防する住民の要求が認められて の力は著しく減退している。政党の連帯は革新ではなく護憲、 いる。これは公害裁判の成果が継承されている。また大津地 特に九条擁護である。地域の住民運動に代わって個人の自主裁の判決で、福島の事故が究明されておらず基本的な対策が 的な参加による市民運動が安保法制反対・立憲主義で大きな できていないのに再開するのは許せないという市民の判断が 力を発揮した。この変化した反自民の主体が過去の革新自治採用されているのは、司法が市民の良識に立っことを示した 体の時代に匹敵する平和・環境・自治の地方政治を作りうる 画期的なことであろう。 」つ , っカ 原発などエネルギー政策は国の専権事項とされているが、
57 ーメディア批評 もっと大事なのは、「必要な事業か」を明らかにすることで に会食する「お友達」だ。二人の間で何が話し合われたのか。 . しカ リニアには環境破壊や採算など難問が山積し、工事が順調に 今回の参院選における経済対策の目玉は、リニアモーター 進むか未知数な部分が多い。国がカネを出しナショナル・プ カーの「大阪延伸工事の前倒し」だった。 i---•x 東海は東京ー ロジェクトにしていいのだろうか。そちらを先に論ずるのが 名古屋間を二〇二七年に開業、名古屋ー大阪は二〇三五年か メディアの仕事ではないのか。仮に八年前倒し、となっても ら工事にかかる計画だった。その大阪までの工事を八年前倒 二〇二七年からの工事だ。一〇年先の事業にカネをつけるこ しするため政府は三兆円の資金を供与する。なぜ政府が民間 とが景気対策になるのか。緊急性が重視される補正予算の対 事業にカネを出すのか。東海は、政府のロ出しで経営の 象とは思えない、「寄せ集め」の目玉である。 自由が制約された国鉄時代の経験から「資金は自前で調達す 景気対策には日本学生支援機構を通じた奨学金の増額が盛 る」という方針だった。名古屋まで開業し、実績を固めたう り込まれた。学生の貧困は参議院選挙でも議論され、与野党 えで大阪までの延伸工事にかかる手筈だった。取り残される とも政策課題に挙げた。安倍首相も「返済の必要のない給付 ことを恐れる関西財界が「大阪開業を早く」と陳情し、国会 型奨学金の創設」を街頭で約東した。ところが大型補正に盛 に議員連盟ができて工事の前倒しを求め、政府のカネで工事り込まれたのは「有償型」っまり返済しなければいけない奨 を早める話は、経済対策と無関係に水面下で進んでいた。そ学金だ。財政投融資が財源だから、返済が必要になる。 れを対策に取り込んで事業規模を膨らます。いかにも役人が 規模に中身が追い付かない。大型補正は見かけだけで、看 考えそうなことである。 板の書き換えや、無駄な事業の焼き直しが沢山ありそうだ。 財政のひっ迫で、年度初めからの当初予算は徹底した緊縮 一一〇兆円という数字に漂う「ウソくささ」の実相を解き明か 型だ。ところが景気や震災対策を口実に編成される補正予算 すのがメディアの役割ではないだろうか。 は、規模が先に決まり、後から案件を探す。口実さえつけば 「新しい劇薬」にとびつくメディア「アベノミクスを加速 なんでもという政治主導の編成だ。自前で資金を調達す する」とは、経済対策の数字を膨らますことのようだ。司令 ると言っていた東海に、政府が国債を発行して三兆円も 塔になっている首相の側近・今井尚哉政務秘書官も、こんな 用立てる理由はどこにあるのだろう。 ことで景気が浮揚するとは考えていないだろう。だが、目い 東海の葛西敬之代表取締役名誉会長は安倍首相と頻繁 つばいの大型補正を編成せざるをえない事情がある。株式市