日本 - みる会図書館


検索対象: 世界 2016年9月号
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1. 世界 2016年9月号

ルシュヴァリエもちろん、それは無理でした。明らかに 私の本の目的は日本経済の危機を説明することではなく、私 一九八〇年代の日本経済は問題を抱えていました。キャッチ の関心は危機の背景、そして日本の資本主義の変化にありま アップが終わり、一九七〇年代から成長も鈍化していました。 す。もちろん私の議論が正しければ、危機の説明にも応用で しかし日本はそれまでもニグソン・ショックや石油危機など きるはずですが、本のなかで、私はその問題に立ち入ること に対応して調整を行ってきたのであり、そしてかなりよい成 はしていません。 果をあげていたのですから、私はそのような方向性のなかで ところで私は労働経済学を専攻し、統計学、エコノメトリ 一九八〇年代も再調整が可能だったのではないかと思います。 クスを駆使し、経済的停滞と危機を分析しようとしていまし 年代的に追跡していくと、規制緩和をしなければならなかっ たが、そのうちにそこに何かが欠けていると思うようになり た経済的に合理的な理由を見出すことはまったくできません。 ました。膨大なデータを強力なコンピュータを用いて分析し しかし新自由主義者はそうは考えませんでした。かれらの ても、解析できない次元の問題が残りました。それは政治で 議論には間違った前提がありました。それは経済でキャッチ す。それは、標準的な経済学の方法やモデルでは分析するこ アップした後に、日本は制度的キャッチアップへと移行しな とができませんでした。そこで私は歴史的制度論や政治経済 ければならないというものです。決定的にアメリカにキャッ 学の重要性に気が付いたのです。 チアップするためには、日本経済を現代化しなければならな 質問に戻りましよう。危機、スタグネーションそのものが、 いと考えたのです。現代化とは、自由市場とより少ない規制 様々な要因の複合的効果です。もちろん金融危機は重要な要 ( 規制緩和 ) であり、はたしてそれが本当に現代化といえるか 因ですし、それに対する対応の遅れといった内生的問題もあ どうかは疑問ですが。 ります。なぜ金融危機が生じたのかといえば、それは規制緩 和のせいです。 「新自由主義」という転換点 一九九〇年以前に始まっていた規制緩和の過程が金融バブ 新川日本における新自由主義政策という場合、一九八〇 ルの発生と崩壊を促したことは否定できません。それは日本 換 年代と九〇年代のそれには大きな違いがあるように思います。 モデルを不安定化させました。構造改革や規制緩和を語ると 転 大 社会的保護という観点からみると、一九八〇年代の日本では きは、このことを忘れるべきではありません。 の まだ日本型福祉社会論という考え ( 自助、家族福祉、企業福祉の 経新川しかし日本が旧来のモデルを維持することは可能で 役割を強調する ) が強く、それは市場指向の新自由主義アプロ 日したか。

2. 世界 2016年9月号

139 モスクワから見た 1 日ロ交渉 洋頭倍統月 ) 〔一『・冒安大 5 同 " ソチからウラジオストクへ、 談交一チ 脳手相 ( ' 「未来志向アプローチ」の行方 首握首領 6 ン大統領にとって重要なのは、アメリカとの関係 ( 米ロ ) であ プーチン大統領がやってくるという。本当だろうか。 り、中国との関係 ( 中ロ ) であって、日本との関係 ( 日ロ ) で 五月中旬、モスクワを訪問した。ホテルのロビーで知人と はない。日本は「経済で利用できる国」というぐらいには考 話していて、はたと気づかされたことがある。私たちは、ロ えているのだろうが。だからこそ彼は、ポールは日本側にあ シアの人たちも日本の方を向いて話してくれていると思い込 ると言って憚らない。ロシアとの平和条約交渉に向き合う際、 んでいる。しかしモスクワから見ると、日本はウラル山脈や 私たちにはそのような冷静な認識が必要ではないかと思う。 シ・ヘリア平原を越えた、はるか東の彼方の海に浮かぶ小さな 他方、五月六日、黒海沿岸のソチで、安倍総理はプーチン大 島国である。そして日ロ交渉は、ヨーロッパやアメリカより も遠い、ロシア極東と日本のあいだの「ローカルな問題」で統領に「八項目の経済協力プラン」を提示した。たしかに貿 易や投資など民間ビジネスの交流を進めることは、ロシア国 しかないように思える。そのロシア極東は人口六七〇万足ら 民のあいだに日本への期待と信頼を高めるための一助にはな ずの過疎地である。ロシアの主要都市の多くはウラルから西 るだろう。しかし、経済交流の促進はロシアを交渉のテープ の中央部に集中し、人口一億四六五〇万の大半もそこに住ん ルに着かせるための誘い水であって、それ以上ではない。ま でいる。 してや日本の協力に見合うだけの見返りがあるとは限らない。 ロシアにとり、日本は核心的なイシューではない。プーチ 西谷公明 にしたに・ともあき一九五三年愛知 県生まれ。 ( 株 ) 長銀総合研究所、ロシア トヨタ社長、 ( 株 ) 国際経済研究所取締 役・理事を経て、現在同研究所シニアフェ ロー。一九九ニ年、ウクライナ最高会議 経済改革管理委員会に調査派遣、九六 九九年、ウクライナ日本大使館付専門調 査員としてキエフに滞在。著書に「通貨 誕生ーーウクライナ、独立をかけた戦い」。 世界 SEKAI 2 0 16.9

3. 世界 2016年9月号

研究に加担していくことが予想される。事実、二〇一五年の べるべきであり、せめて多くの研究者の意見を聞くためのシ 公募結果では、大学・公的研究機関・企業それぞれのセクタ ンポジウムや意見交換会を持つべきである」との手紙を書い ーから一〇九件もの応募があり、九件が採択された ( 表 2 参 た。これへの会長からの返事の大要は、「二回の決議は遵守 するが、日本の情勢が変化して防衛のための軍備は許される 照 ) 。内訳は、大学【採択四件 / 応募五八件、公的研究機関 世 】三件 / 一三件、企業【二件 / 一一九件である。注目されるの ようになったことから、自衛のための軍事研究は許容され はこのうちの四件は国内技術協力に参加している ( していた ) る」との矛盾したものであった。 機関、、理研、東エ大 ) であり、これら その後、大西会長はテレビでのインタビュー、新聞で記者 の機関では組織・研究者とも軍事協力に対する忌避感が薄い からのインタビューや自ら投稿した文章において、同趣旨の のだろうか。豊橋技術科学大学の学長は日本学術会議の大西意見を繰り返し述べている。あたかも、日本学術会議の総意 隆会長であり、なぜ採択されたのか察しがっこうというもの を代表しての意見表明であるかのようであった。しかし、私 である。表 1 の技術協力の内容と表 2 の採択課題で重なって は知らなかったのだが、日本学術会議では二〇一五年の秋の いるテーマがあり、二つの軍事協力事業には密接な関係があ 総会および二〇一六年春の総会において、会長の意見への賛 ることがわかる。 否を含む多くの議論が会員より出され、結局五月一一〇日に会 今年の採択結果は、近日中に発表されることになっている長提案の「安全保障と学術に関する検討委員会」が発足する が、さてどのような選択となっているだろうか。 ことになった。これを報じたマスコミは、日本学術会議がこ れまで二度にわたって出してきた軍事研究を否定する決議が 日本学術会議はどう決断するのだろうか 見直されるとの論調で、「軍事研究否定見直し検討」と一面 実は、安倍内閣の軍学共同路線が露骨に見えるようになっ で報じる始末であった。というのも、会長が、「戦争を目的 た二〇一四年八月に、私は日本学術会議の大西隆会長宛てに、 とした科学研究を行なうべきでないとの考え方は堅持すべき 「軍学共同が急進展する情勢にあり、これまで一九五〇年と だが、自衛のための研究まで否定されないと思う。周辺環境 一九六七年の二度にわたって日本学術会議として『戦争を目 が変わっており、長年議論もないことはおかしい。科学者は 的とする科学の研究には絶対従わない決意を表明する』決議何をやってよくて何をやってはいけないのか、議論を深める を挙げてきたのだから、この情勢に対して何らかの意見を述時期に来ている」と述べてきたためである。 ロ

4. 世界 2016年9月号

1 インタビュー 金融危機を理解するために 印本経済の大転換 新川今日は昨年一二月に岩波書店から『日本資本主義の 中曽根行革からアベノミクスまで大転換』を出版したセバスチャン・ルシ = ヴ , リエ氏に、同 書の監訳者である私が、本の内容だけでなく、今日の日本の 政治経済状況についても伺っていきたいと思います。 セバスチャン・ルシュヴァリエ このたびは教授昇任おめでとうございます ( 笑 ) ( 出版時の 紹介では准教授ーー新川注 ) 。早速ですが、あなたの本の中心的 議論について、かいつまんで教えていただけますか。 ルシュヴァリエ日本は変化していないという日本硬化症 という議論に対して、過去三〇年間日本経済は、大きく深く 変わったというのが私の基本的主張です。 新川ルシュヴァリエさんは計量的な分析から出発して、 それを歴史的、あるいは制度的分析を結びつけるという独創 的な研究スタイルをとっておられるわけですが、そこから注 目される議論を導き出しておられる。 ・経京 授長日革し 教会ゴ変と。 家書 ン日 それは、日本における新自由主義的改革が危機への対応で ラ ( 大 究長国訳な 研会。祉監 ) 学副事福店 はなく、むしろある意味ではその原因にさえなっているとい 「書 、房波 院事会 うものです。 . 肥学究大任学理学書 引済研京歴大会ダ変ヴ 経等東を学学ナとし換 9 員大治カ展丿転 この議論はとても魅力的で、説得力もあると思うのですが、 他方では、それでは危機の原因は何かという問題に私たちを 引き戻します。難しい問題ですが、これについて、どのよう む生る仏どわ生。任レ資 ~ 3 に日か年判歴祉」本、 Lu にお考えでしよう。 7 リ大ん治路日 1 ノ済都し四政 ( な本のて一 ( 、界 ルシュヴァリエ新川さんの疑問は当然だと思いますが、 聞き手・ 新川敏光

5. 世界 2016年9月号

岩波書店 / 既刊 チェリ 1 ・イングラム 日本の桜を救 0 たイギリス人一一ツ一 大英帝国末期、桜の魅力にとりつかれたイギリス 阿部菜穂子人園芸家が遠路訪れた日本で目にしたものは何だ ったのか。日本の桜の恩人の希有な生涯をたどる。 》◎戦後日本の骨格はどのように形成されたか ス賞 セ賞 。戦後政治の証言者たち ップ ーオーラル・ヒストリーを往くー 政治学にオ 1 ラル・ヒストリ 1 の手法を初めて導 本ク 日原彬久入した著者が、岸信介、藤山愛一郎などの証言資を 料を駆使して描く、戦後政治史の相貌。 ス ガ賞 仕事を創る 地域に希望あり : ャ 地方創生のかけ声より早く、地域の力を再発見・ 1 ソ 業大江正 = 早発揮している地道なチャレンジの現在をルポ。カ 【岩波新書】 ギは地元愛とビジネスマインドだ。 第 64 回 日本工ッセイスト クラブ賞受賞 ングラ チェリー・ 新書判新赤版 1547 本体 800 円 978 ー 4Pb431547 モ C0236 17 面 頁 の断 2 史る 3 一製 0 田 戦証一 体 四本引 特米を . 。 0 気になるだらう亠 発見すること , 、、物 四六判・上製カバー・ 232 頁 本体 2300 円 978-4POP23888 ー 5 C0023

6. 世界 2016年9月号

界はこれ以上の公害裁判には耐えられないとし、また被害者 て「公害関連疾病のもっとも重要な、あるいは少なくともよ の中にも、裁判は時間とお金がかかるという批判があり、両 く知られている原因は、日本ではほとんど除去された」。し 者の妥協の産物であるが、民事的救済を行政が行うという公 かしすべての有害物質が改善されたのではなく「大成功を収 害健康被害補償法が制定された。これは緊急に作ったための めたのは緊急措置がたてられ、実施された分野のみである」 世欠陥があったが、世界最初の公害の救済法であり、これによ 公害防止の性格については公害税のような市場メカニズム って、被圭暑の救済が軌道に乗った。 を修正する制度を取らず、「市場メカニズムを拒絶し、計画 このように一九七〇年代の半ばには企業の公害防止投資も 化を導入する」方法を取り、これがうまく機能したとしてい 世界一となり、自治体の公害対策は飛躍的にすすみ、厳しい る。特に中央政府でなく地方自治体が行政指導と三万件に及 環境基準が採用され、世界最初の総量規制が試行され、汚染ぶ企業との公害防止協定を締結したことが有効であった。地 物規制のネットワークや市民への情報の公開がすすんだ。 方自治体が国よりも厳しい規制基準を定め、事業所ごとの排 S02 など目に見える汚染は急激に減少し、水銀、カドミウ 出基準などの協定を結ぶ。法や条例で行政目標を定めるが、 ム、など病気の原因となった物質の汚染も一九八五年 それを刑罰として規制するのでなく、違反者を公表して世論 までには規制基準を達成した 7 の規制に従わせた。また費用便益分析に基づいた経済的基準 ではなく強い道徳的な色彩が含まれていたとレビューは指摘 この教訓を原発公害など環境問題にどう生かすか している。 0 O の公害対策の原理の ( 汚染者負担原 ◆ Owoa の日本環境政策レビュー 則 ) は国際貿易のイコール・フッティングの原則で、公害防 は一九七六 5 七七年に日本の環境政策のレビュー 止投資をコストに参入することであったが、日本のは を行った。この報告書はバリ ( ヴァル・ド・マルヌ ) 大学の公 さらに被害者の救済費を企業に負担させ、土壌汚染のような 共経済学レミ・プリュドム教授が作成し、都留重人、宇沢弘 ストック公害の除去費用を原因者に負担させた。この日本的 ド大学教授 ) 、・ 文、森嶌昭夫、・ライシャワー ( ハ は経済原則から外れているかもしれないが効果を上げ ミルズ ( プリンストン大学教授 ) などの意見を容れて発表された。 たので、違反ではないとした。 この報告書は次の有名な結論を述べている。 技術についても同様な考え方があり、 ZO 、などの自動車 「日本は数多くの公害防除の戦闘を勝ち取ったが、環境の 排ガス規制を世界に先駆けて成功させたのも、経済的な検討 質を高めるための戦争ではまだ勝利を収めていない」。そし よりも健康を優先した政策によるものであった。「日本の経 2

7. 世界 2016年9月号

ーチとはかなり異なります。社会的保護という観点から見る 常に気に入ったということです。公共支出にまったく影響が と、日本はなお伝統的な考えを維持していたわけです。また ないのですから。 中曽根政権における規制緩和という点についていえば、まだ 新川ルシュヴァリエさんはレギュラシオン理論を学んだ 金融規制緩和は進んでおらず、その中心は公共企業体の民営 わけですが、レギュラシオン学派では労使関係を重視すると 界 世 化だったわけですね。その意味では、中曽根改革はその後に 思うのですが、あなたの本ではそれは主要なトピックにはな やってくる本格的な新自由主義改革の下準備であったという っていませんね。その結果、ピーター・ホールやソスキスの 面もありますね。 「資本主義の多様性」論と同じように、経営側偏重に陥って ルシュヴァリエおっしやるとおりです。私は中曽根個人 いるということはありませんか。 を、新自由主義者と考えているわけではありません。民営化 ルシュヴァリエ私は賃金ー労働ネクサスというレギュラ は組合対策、総評や政府に批判的な組合をつぶすという政治 シオン学派の考えに大いに啓発されていますが、それはあま 的な意図に基づいたものでした。このような点は、経済学者りに同質的なものと考えられている嫌いがあります。私がエ である私は、かなり後になってから気が付いたのですが。 コノメトリクス研究で発見したのは、企業間の異質性の増大 新川日本型福祉社会論が期待する家族福祉や企業福祉を です。このことが、一般的な賃金ー労働ネクサスの分析を非 一九九〇年代になると維持することが出来なくなったわけで 常に難しくしています。そこで私は、経済成長や経済格差拡 すが、日本ではそれへの対応が遅れました。一九八〇年代、 大にとって企業間の異質性の増大がもっ含意を明らかにしょ 日本は「増税なき財政再建」という方針に縛られて、新たな うとしたのです。 政策展開ができなかったわけです。八六年前川レポートでも このようなアプローチを、私は韓国やフランスのような文 福祉はほとんど無視されています。 脈で採用しているわけではありません。日本では、労働組合 したがって、政府は、早晩問題が生じることにたとえ気が がほとんど経営側への対抗勢力として機能していません。連 付いていたとしても、動こうとしなかったともいえます。っ 合は、あまりに妥協的に思えました。ですから、なぜ私が労 まるところ、新自由主義にいきつくしかなかったといえるか 働組合を無視したかといえば、それは存在しないといってい もしれません。これはちょっと極論ですが ( 笑 ) 。 いからです。 ルシュヴァリエ一九八〇年代の日本型福祉社会論につい 新川労組の弱体化は、それ自体政治的選択の結果といえ て、興味深いのは、イギリスの新自由主義者がその考えを非ますね。ご指摘のように、公共企業体の民営化は、自民党政

8. 世界 2016年9月号

えれば、などの思想にアクセスし、早く事件を非難する声明を出した。インイスラム武装主義勢力の日本への反発も その主張に同調する人びとも確実に増加ドのモデイ首相も電話会談で、ともにテ高まることが予想されるが、平和を望む する。 ロ対策に臨む姿勢を強調していることか多くのムスリムを支援しているという姿 には今後、テロとの戦いを強化しらも、今回の事件が同国におけるさらな勢を明確にすることで、ムスリム社会と 界 世つつ、イスラム主義層の反発を抑えるとるテロを誘発し、また周辺国へ波及する良好な関係を築くことが重要である。 いう非常に困難な舵取りが求められる。 ことへの危機意識の高さがうかがえる。 事件後、親日国のバングラデシュでな 一方のは、との共闘を解く ハングラデシュが不安定化すれば、世ぜ、という報道が多くのメディアでなさ のかの選択を迫られている。武装主義勢界第三位のムスリム人口を抱える隣国イれた。実際にバングラデシュは親日派が 力との繋がりが公然の秘密となっているンド、そのインドと国境線問題を抱える多い。しかし、日本の側はどうであろう と関係を続ける限り、今後もテロと ハキスタン、ロヒンギャをはじめとするか。バングラデシュにおいてイスラム教 の関連性が疑われ、国民および国際社会民族紛争の火種を抱えるミャンマーなどが多数派であるということすら知らない からの支持も得られなくなる。 の周辺国に、武装主義勢力のネットワー人も多かったのではないか。 歴史的に穏健派も含めたイスラム主義クを通じてテロの連鎖が飛び火しかねな 日本の文化や風土、国民性を好意的に 層を票田としてきたが、今回のテ 受け止めてくれる人々を増やしていくこ 口にどう向き合うのかが問われていると今回の事件を機に、バングラデシュがとも大切だが、われわれの側も他国の文 いえる。 南アジア地域の安定にとっていかに重要化を学び、そこに住む人々の考えを受け ハングラデシュの地政学的重要性や経であるのか、国際社会は気づかされるこ止める努力が必要である。 済発展に世界の注目が集まる中で起きたととなった。 片思いの関係はいっか終わりが来る。 ・問われる日本との関係 今回の事件は、穏健なイスラム国家とし 日本とバングラデシュの双方向の友好関 てのバングラデシュのイメージを一八〇日本は、、 しままで以上にバングラデシ係を築くことこそ、長期的には国家間、 度変えたという意味で、そのインバクトユとの協力関係を強化していく必要があ宗教間の緊張を和らげるだろう。 る。 は極めて大きい ( くさかべ・なおのり東外語大特任講師 ) オバマ大統領は七月二日の段階でいち現政権への関与を続ければ、国内外の

9. 世界 2016年9月号

世界 SEKAI 2 0 1 6 . 9 ー 54 の確認シートによるリスクの見える化です。 : : : 最終的に番由とされるが、果たしてそれだけだろうか。天皇の生前退位 組ができあがった放送前の段階で、すべてのリスクがきちん は皇室典範の定めによりできないことになっている。その理 と回避されているかどうか点検します」。対象は、ジャーナ 由は、①歴史上見られたように、退位後、上皇として権勢を ルな内容に関するものだという。 ふるうおそれ、②政治的に退位をせまられるおそれ、③自ら リスク管理に名を借りた事前検閲を受けた放送に、権力の 恣意的に退位するおそれ。この規定は則も戦後も変わって 監視など誰が期待できようか。呆れついでに書いておく。六 いない。天皇は元首であれ象徴天皇であれ、他に例を見ない 月に経営委員長に就任した九州相談役の石原進氏が安倍特異な政治権力である。この世襲による無責任制度は、護憲 政権と密接な関係にある極右団体「日本会議福岡」の名誉顧派にとっても改憲派にとっても難問なのである。 問と、原発推進派の「原子力国民会議」の共同代表を務めて 一九九〇年一月二三日、今上天皇は即位の礼で「常に国民 しることが分かった。これこそが、安倍政権がしばしば口に の幸福を願いつつ、日本国憲法を遵守し、日本国及び日本国 民統合の象徴としてのっとめを果たすことを誓」った。これ する「放送法違反」ではないのか。 参院選後最初の「報道特集」 ( 七月一六日 ) でキャス を護憲の意思とみなせば、この象徴としての地位は、日本国 ターの金平氏は、沖縄での取材に基づいて、「現職の閣僚憲法第一条の「主権の存する日本国民の総意に基く」ことに ( 島尻安伊子氏 ) が落選した翌朝、すぐに高江の米軍ヘリ なる。だが、国民にその自覚は乏しい。他方、二〇一三年四 ド基地 ( の工事 ) に着工し、その後に、辺野古の工事の再開 月に起草された「自民党憲法草案」は、第一条に「天皇は、 を国が示したのを見ると、民意がどのように示されようが聞 日本国の元首」と明記している。国家元首は英語で "Head of く耳を持たないことに、沖縄の人は非常に怒っている」と語 state" である。これはが "Symbol of the S 臼【 % と書きか 気を荒らげ、「私たちメディアが事前の争点を提示するとい える前の地位である。いまの天皇が即位に際して「憲法を遵 う機能に対して十分だったかということも反省してみる必要守する」と誓ったのは、現行憲法第九九条で憲法尊重擁護の がある。私個人としても思います」と結んだ。 義務を負う「天皇又は摂政」としてであった。しかし、それ 天皇の生前退位について与党が圧勝した三日後、いよい に該当する自民党憲法草案一〇二条には、そもそも「天皇又 は摂政ーの文字がない。天皇は憲法を守る主体ではなくなっ よ憲法改正論議が始まろうとした矢先、天皇が生前退位を周 ているのである。これまで、戦後の天皇の役割は、一方で曖 囲にはのめかしたというニュースが流れた。高齢と病気が理

10. 世界 2016年9月号

117 で「環境破壊」に関する最初の社会科学の学際的国際シンポ ジウムを開いた。この会議では ( 国民総生産 ) は福祉の 指標にはならず、これまで社会的費用Ⅱ外部不経済として対 噐髯彎諟象にしなかった公害・環境問題を評価して経済に内部イする のヘ ことなどを決め、さらに最後の東京決議で、基本的人権とし て環境権を提唱した。その後公害研究委員会は、一九七一年 全生 みやもと・けんいち一九三〇年生まれ。大阪市立 大学名誉教授、滋賀大学名誉教授。財政学・環境経済 9 には『公害研究』 ( のちに『環境と公害』、岩波書店刊 ) という最 学専攻。「戦後日本公害史論」 ( 岩波書店 ) で第一〇六 保再 初の学際的環境総合誌を機関誌として発刊した。一九七九年、 回日本学士院賞受賞。ほかに「恐るべき公害』 ( 共著、 岩波新書 ) 、「環境経済学新版」「維持可能な社会に向 かって」「日本社会の 境域 環境政策の後退を阻止し国際・国内的な環境問題の前進を図 可能性』 ( 以上、岩波一、ろうとして、公害研究委員会は日弁連公害対策委員会などと 書店 ) など著書多数。 界 《環地宮本憲一 相談して日本環境会議を結成した。これが今日国内外で活動 し、環境 ZCO の理論的支柱となっている。この初代の理事 公害問題は、足尾鉱毒事件をはじめ戦前から深刻な事件を 長は都留重人 ( 現在寺西俊一 ) 、事務局長は私 ( 同大島堅一 ) で あった。 引き起こしている。この悲劇の足尾の二の舞はしたくないと して、戦前公害防止対策も進んでいたのである。ところが、 第一〇六回日本学士院賞を受賞した拙著『戦後日本公害史 戦争によって公害・環境問題の研究は断絶した。戦後の国語 論』は、『恐るべき公害』出版後五〇年の研究の成果である。 の辞書には公害という一言葉はなく、一九六四年京都大学衛生 それはこの公害研究委員会の共同研究に負うところが多い。 工学の庄司光と私が執筆した『恐るべき公害』 ( 岩波新書 ) が環境経済・政策学会は植田和弘や寺西俊一らによって一一一年 最初の公害問題の学際的啓蒙書である。これと前後して、都前に結成された。まだ若い学会であるが、地球環境問題が国 留重人を委員長として、日本最初の学際的な公害研究委員会際政治経済の重大問題になったことの反映で、研究者が増え、 が設立されたが、 集まった研究者は七人しかおらず、うち経会員は一四〇〇人を数える。半世紀前には公害に関心を持っ 済学者は三人であった。世界社会科学評議会は都留重人を中 経済学者が三人しかいなかったことを思えば、この分野がい 心に公害研究委員会を事務局にして、一九七〇年にレオンチ かに急激に重要な研究対象になったかを示している。研究は エフ、カップ、サックスなど内外一流の研究者を集め、東京 広がり、国立大学で環境経済学関連の講義は行われているが、