ポリュームゾーンのノスタルジーに ″終わりの始まり″でもある。 シリーズ最新作の『スペクター』、 映画『 t--ä三丁目のタ「ロッキー」シリーズの続編である訴えることである。ハリウッドで二 日』のヒットを皮切りに始まった昭『クリードチャンプを継ぐ男』など、十世紀の有名作品の続編やリメイク が次々に作られることと、朝ドラが 和ブームの頃、まだ団塊ジュニア世二十世紀後半の映像産業発展期にヒ 代は、そうしたものに熱くなる上の ットした作品のリバイバル作ばかり明治・大正・昭和の近過去ばかり描 こうとするのは無関係ではない。 世代と世間の風潮を鼻で笑っていた。である。 しかし、その団塊ジュニアたちも現今の現役世代は映像作品を共通体れらは同根の現象であり、先進国が 在の朝ドラブームを笑うことはでき験にもつ人類史上初めての世代だ。揃って高齢化していることを考えれ ば、当然の帰結である。 なかった。高度成長期に思春期をお今や世界最大の共通一一 = ロ語はディズニ ーアニメであり、『スター・ウォー 私は基本的に、良作が続く現在の くった人間だけでなく、実際にその 時代を経験していないはずの若い世ズ』である。二十世紀は「映像の世朝ドラに満足している。しかし、人 代までもが、「あの頃の日本は良か 紀」だったが、私たちはまさに″映間の欲望は果てしないもので、こう なるとまた「あまちゃん」のような った」という感覚を物語に求め始め像の世代″なのだ。映像自体、一一一 たことは、個々の作品の出来や評価〇年程度の歴史しかないものである。冒険心のある意欲作が見たくなって の 映像を共通体験に育った世代がどのくる。近過去のモチーフをこねくり とは別にして不幸なことだ。 解 み だが、これは日本だけでなく世界ようなものを作っていくのか、我々回すだけでなく、今私たちが生きる復 読 気 この時代を描く、若いクリエイター 的な傾向でもある。たとえば、一一〇人類は初めて経験しているのだ。 人 の登場を私は待っているし、そうし 人間は子どもの頃や思春期の頃の 一五年公開のハリウッド映画を見て 朝 餬みると、『スター・ウォーズ / フォ思い出を大切に抱えて生きていく生た人々にこれからのテレビドラマを ースの覚醒』『マッド・マックス怒き物だ。そのため、最も効率よく世支えてほしいと思っている。 ( 談 )C 集 構成◎編集部川 りのデス・ロード』に、「 0 0 7 」 の中の人気を獲得する方法は、人口 特
しかし、ラグナグ人はそうしたガ ていると思いがちだ。しかし、筆者なのだ。しかし、老人が格別に賢明 ーの不死人間への羨望を嗤う。 の尊敬する老弁護士の話では、事務だと考えてはならない。そのことを 所で担当する案件のかなりの部分が、認識するためには高齢者の極限形と実際のストラルドブラグは、一般の 意思能力の衰退・喪失に陥った老人しての「不死人間」を考えることが老人が持っ愚かさや弱点だけではな く、「不死」であることからくるさ が「社会的な弱者」となり、その財有益だろう。不死人間がどのような やから ふてい らに多くの欠点を持っているという 産と公民としての権利を不逞の輩か行動をとりがちになるのかは、ジョ ら奪われる事件 ( 例えばオレオレ詐ナサン・スウイフトが『ガリバー旅のだ。それをスウイフトは次のよう 欺 ) だという。その、目を覆いたく行記』で描くラグナグ王国の不死人に巧みに要約する。 なるほどの悲惨さは十分世間に知れ間、「ストラルドブラグーのケース 頑固で、依怙地で、貪欲で、気 渡っていない。問題の難しさは、判、が参考になる。 しゃべり カ丿ヾーは、はじめのうちはスト 難しやで、自惚れで、お喋舌にな 断力の不十分さや欠如をどの段階で 本人が認識し、成人後見人制度など ラルドブラグを絶賛し、自分が不死るばかりでなく、友人と親しむこ ともできなくなれば、自然の愛情 の利用に踏み切るのかという点にあ人間であれば、まずあらゆる手段を あ る。そうした現実を十分考慮しなけ講じて金儲けをして、幾多の学術的というようなものにも不感症とな命 れ り、それはせ : 、、 れば、「シルバー民主主義ーや年齢な成果をあげて国中で第一の学者に しせし孫以下に及ぶ え 耐 ことはない。ただ嫉妬と無力な欲 別選挙制度についての議論も画餅になれるはずだと夢想する。自由な心 ク 主 ~ 帰することになる。 で思考し、死の不安が醸し出す憂鬱望ばかりが燃えさかる。しかもそデ 民 の嫉妬というものが、もつばら青立 な気分とも無縁だと考えながら、不 ほ、つらっ 高齢者必すしも賢明ならず 老不死、現世の幸福という、人間本年たちの放埒さと、そして老人の贐 世 老人は愚かでも賢明でもない。若性の願望から容易に考えつく問題を死であるらしいのだ。 ( 中野好夫訳 ) 者や中年層と同じように、実に様々うらやまし気に想像するのだ。
れた時、そこには信頼が通いあう和 つかりした美術館が複数あるが、世折し手術をした。経過は良好で、一 やかな空気が生まれる。 界的に有名な画家の画展が開かれる カ月後にリハビリ専門病院に移り、 「優しさ」とは、「人を憂える」と ことはまずない。人口、経済、政治杖なしの歩行訓練までぎつけるこ 書く一方、「優れているーという意 だけではなく、文化も東京に一極集とがでぎた。 中している。 その三カ月半の間、若い看護師の味もある。共に嘆き悲しむ心は人間 の成長を促し、人間の尊厳を高貴に せめて名画展を地方で活発に開催方々の優しい言葉と笑顔に、どれほ する謂でもあろうか。「人間は助け し、文化の分散を図ってほしい。世どの癒やしと安らぎを得たことか。 あって生きる」という優しさが欠落 界的な画家の画展が地方で行われる というのも、私は八十歳まで仕事と している時代だからこそ、他者への だけでも、地方の美術館に人が訪れ家庭の両立のために猪突猛進の人生 励ましや共感、共鳴、共助の精神が ることになって、活性化に繋がると を送ってきたため、他者を思いやる 思う。 心の余裕がなかった。そんな私が看社会構築の礎となり、一人一人の連 帯が平和を紡ぐ強靭な糸となること 護師の方々の優しさに触れることが 怪我の功名で得たもの できて、我が身を省みながらも同時は、東北と熊本の地震からも学んだ。 若井田典子歳 ) 東京都世田谷区・主婦 教育の場でも、昔のように叱って に嬉しかったのだ。 刻苦勉励させる「スパルタ教育」よ 私は一月末、事故で左大腿骨を骨 病院は「生きたい」患者たちと りも、大人と子どもが信頼の絆で結 「生かしたい」スタッフたちの気持 ばれた時こそ、子どもが本来持って ちが交差する場所である。患者に同 公明はる 央戸をにす いる力が湧き出してくるという。思 苦の心で寄り添うスタッフの優しさ れさ中住号者煢関 番載准に一す わだ が、身体の自然治癒力を取り戻す助わぬ怪我がもとで優しさの持っ底知 らる′、内ま話掲否んま 以係電分採せし とすせ 8 円びまた れない強さに触れることができた思 けとなることを実感した。 よしい 容こお いがする。まさに「怪我の功名」で 例えばリハビリの最中、患者の気 内を 項齢はト 年一、はお舮 力の事く の堋見要集・ ある。 持ちを察して、「ちょっと休みまし 誌く意稿編名書稿返固 本広ご投論氏聶図原ごは ようか」という先生の言葉が発せら 265 説苑
ようになってきたのだ。人口の「高変質した背後には、われわれの政治 層が連帯して「反乱」を起こすよう なエネルギーがあれば事態は少し変齢化現象。がなくても、世代間の対社会制度であるデモクラシーの持っ わるかもしれない。しかし社会にと立がはっきりと浮き彫りになってき宿命ともいうべぎ力が働いている。 ってプラスになるような「反乱。がた背景に、家族構造の根本的な変容それは近代デモクラシーの理論家ト クヴィルが「デモクラシーは人をし 起こるためには、強力で優れた若い、があったことは無視できない。 世代の問題を経済学的な視点からて祖先を忘却させるのみならず、子 リーダーが必要であろう。 いずれにせよ日本の場合、老人は論じるとき、世代間の格差に関心が孫をもその目から隠し、同時代人か 「こんな低額の年金だけでどう生活集中する。世代という概念を、年齢ら人を切り離す」と述べたように、 していけばいいのか」と悲観的にな層を区切って水平に並べ、その間で社会の基本構造が本来は垂直的な関 る一方、若い人は「多くの老人を支の比較や有利不利を問題にする。こ係から築かれていたにもかかわらず、 えなければならない」と不満をあらうした比較は、年齢層ごとの経済状水平に置き換えることが当然と思う わにするような「世代間の対立」は況を把握するためには必要であってようになったのだ。加えて、デモク も、各々の世代が独立した世帯を営ラシーが市場経済と相携えつつもた あ 避けがたい。 で か 少子高齢化のもたらす有権者の年むという仮定に立ってデータを見てらした経済的な豊かさの力も大きい。 る 宿 れ 齢構造の変化が、世代間対立としてしまうことになる。世代は水平にで豊かさが人々の独立心を強め、あら え シ 耐 はなく、本来は垂直に、「ちょうどゆる年齢層から連携の精神を衰弱さ 現実味を持ちうるようになったのは、 モ サーカスの曲芸師が人間やぐらをつせたのである。 誓世代間の分断による「家族の変容」 民 立 くるときのように、肩車で上へ上へ が進行したことと無関係ではない。 対 ハイエクの提案 代 高齢者と若者が家族という共同体をと重なっている」 ( ォルテガ ) 状態 世 こうした「水平な世代」観を受け 媒介することなく、相互に無縁の孤だったのである。 ◎ 「世代論」が「世代間対立論」へと入れながらデモクラシーの問題を論 , 立したグルー。フとしてとらえられる
したりしています。 すと < ーの手を人間が試すことがあで進歩しているのが驚異的なところ るようですが、将棋界でも同じようです。 羽生「 < ーの影響大きい」 なことは起きていますか。 井山私は自分の囲碁観をに覆 2 将棋界は一〇年ほど前からプロ羽生ここ一「三年で、ソフトが示されたとは感じていません。でも、 棋士とコンピューターとが対局してした序盤のアイデアがプロの将棋界局面のとらえ方が人間とは違うと思 きました。コンピューターは進化し にも影響を与えるようになっていまうところはあります。具体的に言う 続けていますか。 す。ソフトが見つけた新手みたいな と、中央の空間のとらえ方です。ど ードはほぼ一定に進歩してものも出てきています。 ちらが優れているかは分からないの 羽生 きているので、それに比例して将棋 人間の勝負との関わりをどう考ですが、人間とは違うなと感じるこ の実力も上がってきている。その影えますか。 とはあります。 羽生さんは人間かコンピュータ 響が大きくなっているということも羽生今は幅広い世界でがブー あると思っています。例えばインタ ムになっています。歴史的には ーの手か区別がつくそうですね。 ーネットが普及し、それに伴った勉は何回かブームが来て冬の時代もあ羽生そうですね。 強とか練習が広まってきました。具った。ただ、今度は本物だ、という井山囲碁の場合は、はっきり区別 体的にはデータベースを使うとか、人がかなりいます。—e の時代と同はっきません。私はありえないとい じようにの時代が来る、という ネット上の対局で若い人が練習する うほどの違和感はありませんでした。 とかです。それが形を変えて、ソフ とらえ方です。その意味ではすごく ただ模様を張るというほどではない トの方にも影響が出てきているのがホットなテーマ。驚くのはポーカー ですが、相手に地を少し与えても全 みたいな偶然性が入っているゲーム局的に見ているというか、そう感じ 現状なのかなと思います。 < ーの思考の仕方は人間にも影でも非常に強いができているこる碁が多かった。 響していますか。井山さんのお話でとです。相手の癖などを含んだ部分羽生真ん中を囲い切れるとか、囲
と聞かれれば、その通りだと思いまもしれませんが、仮にコンピュータで新しいものとされるので、ゼロか すーーと。あとは詰みの所は本当に ーが全部正しい解答を示したとして、ら創造的なものを生み出せるのは、 恐ろしいレベルで、二〇手とか三〇その答えだけを教わって本当に強く確率的にはかなり低いのではないか なれるのか。プロセスを知るなり、 手の詰みを一秒で見つけたりする。 と思っています。本当に突き詰めて 0 ただ、詰将棋を解かせるセッティン理解するなり、そうしたことをせず、 いった時に自分のオリジナルがある グだと一秒だけど、実戦対局のセッただ覚えただけで。本当に強くなるかどうかというのは難しい ティングだと解けなかったりする。方法としてソフトと対戦することが ーーー人間は過去から学んで成長しま いいのかは、はっきりしないと思い 本当に不思議です。 す。和歌の世界でもオリジナルを基 井山囲碁でも人間が詰碁の形を作ます。 にした本歌取りが立派な作品として 認められています。一〇〇 % のオリ り、ソフトで間違っていないか確認 羽生「独創的な手、難しい」 するようになっています。スピード ジナリティーにこだわる必要がある こういう時代に、人間の創造力のでしようか。 と正確性はかなわない。 < ー世代というか、若い棋士がの価値をどう考えますか。 羽生この局面でこういう手もある 人間同士ではなくコンピューターで羽生何をもって創造力とするのかのではないかと思ってデータベース 勉強し、自分たちと違う感覚を持っという定義が難しくなっている。将で調べると、三〇年前ぐらいにやっ ていると感じることはありますか。棋で新しい手を思いついたとします。ていたということがある。でも、そ 羽生今の若い世代の棋士はネットそれ自体は間違いなくオリジナルだれはアイデアではなく気分としてや とか携帯を機器として使って人間同ったとしても、過去にあったものをつていただけかもしれない。本当に 士で強くなっている。コンピュータ ヒントにしていることも多い。結局、独創的なものは難しいと思うことは ーとだけ対局して強くなった棋士は この組み合わせではなかったとか、 多い。井山さんは独創的な手をいっ いません。これから先はありうるか この場面ではなかった、ということ はい打たれているから特別なのかも
F 「 0 ョ所 d : 0 「 5 長を離れますが、『中央公 ・ニ〇六〇年には日本の人口の四〇 % の挑戦は続きます。ムもよ か六十五歳以上になるという。自分が 編集後記 8 ろしくお願いします。 ( 安部 ) 生きていれば、年齢だけは畏れ多くも 今の寂聴先生、キーン先生の域に達す るわけだ。獲らぬ狸の何とやら。しか 号 8 ☆「シルバー民主主義」とい☆人工知能に精神力はありま しそこかフはどう見える。 ( 吉田 ) 巻禎 2 座す 0 田 51 接室のソフアで「すまなんだな 5 」 う言葉が人口に膾炙するのは、せん。天王山の一戦を気合で 光池叫替 て 第善 「お伊勢さんお参りに行けなんだ 5 」 0 0 こ れ ここ数年のことです。高齢者乗り切ることも、重圧に負け と「あさが来た」の正吉さんの臨終シー の投票率は高いのに若者は低て自減することもありません。 論禁 ンを熱演する近藤正臣さん。ちょんま げの正吉さんとするよのさんの姿 いため、人口構成以上に高齢そこが、人間との最大の違い 日 が私にははっきり見えました。 ( 宀産 g ) 者の声が政策に反映されやすだと思います。 光子武鬻 ・初夏は芍薬を買う。しばし花弁の見 6 孝・大 9 をの くなり、「年金など高齢者向☆囲碁・頂上対談で、羽事なグラデーシ = ンに見入る。花一 = 葉論年藤区四「◎ 「生まれながらの素質」。仕事柄、類い 公ね社断法 け給付は手厚く、負担は少な生さんは井山七冠の精神力を 理重八千 0 レ会無権 まれな才能に恵まれた方々にお会いし、央代七都告→式の作 くにな 0 ているとされます。「自己管理ができている、「安同じ人間かと驚くこと一い芍薬の中安正軋子刷記 香を吸い込み、妙に第得する。 ( 中酉 体編・島。電印載日 ☆本当にそうなのか。そうだ定している」としていま 本集中社本掲夘 ・学まではドラマの話で盛り上がっ とすれば、これからの民主主す。一方で、数々の鬼手・妙 陬一編 2 氈ジ ていた記憶がある。「あれ見た ? 」とい 部作写公 8 ・ 一ス話が成り立たなくなったのは高校 価安大央釵所製 義はどうあるべきか。若者の手で局面を打開してきた人に 定 . 田中。 :z 刷複 くらいからか。いまやドラマを見てい 号長吉・集印の 声を反映させようと十八歳選して、常識破りの独創的な手 るとい - つだけで珍ノしがられる時代。フ 断 無 挙権となる今夏の参院選を前 は簡単ではない、とも。 アンとしては寂しい限りです。 ( 杉本 ) 年集発話 / ま ・いつも通る平坦な道で転んだ。しか 成一。田 に、特集「シルバー民主主義☆長丁場を勝ち抜く秘訣は、 平 もポケットに手を入れていたので、上 ジ に耐えられるか」で考えます。乾坤一擲の大技ではなく、い から落ちた。しばらくするとじん じん痛みが。「肋骨にヒビが入ってい ☆この二年余。「総合論壇誌つもの力を出し切ることのよ ム るようです」。全治一カ月という診断。 ホ だからできることーを考え続うです。「敵は己の中にあり」 なことで日常は揺らぐ。 ( 池田 ) けて来ました。この号で編集と読みました。 ( 齋藤 ) July 2016 CHUOKORON 266
ウハウをどうやってオフラインに適用 昔は実在の人物をモデルにした映画ということです。「人間は何を美しい するかということに関心が移っている。を作る時、主人公は政治家や芸術家でと思うのか」「どうやったら幸せにな こうした「少し先の未来」が分かってした。それが最近は、スティーブ・ジれるのか」「これから何が必要で、何 いると、いま自分がやるべきことも見ョブズやホーキング博士、フェイスプ が不必要になるのか」といったことに えてきた気がしました。特に人工知能ックを作ったマーク・ザッカーバ ーグついて、同じ山を別々の方向から登っ 研究者の松尾豊さんやメディア・アー を題材に映画が作られています。映画ているだけなんです。 ティストの真鍋大度さんとの対談では、 の主人公というのは、その時の世界の 同時に、理系のほうが頂上に近い所 「人工知能とどう向き合うか」という、主人公でもあると思うんです。それだ にいるとも感じました。例えば、医療 いま最もホットなテーマについてヒン やバイオは直接人間の生き死にに影響 トを得ることができました。 を与えます。当然、彼らのほうが人間 Ⅵ 人工知能が発達するほど、人間にし の幸せについて突き詰めて考える場面 日』 4 ↑一 かできないことは何なのかということ に多く遭遇します。ただ、理系人は自 学 8 を考えなければいけません。世の中が 分たちのコミュニティの中に閉じてし イ体 人工知能に覆われていく世界では、 まう傾向があるので、彼らの発見や知 C 「偶然」の価値が増すと思うんです。 識を世の中に広めて、面白いことを起 人間の心が動く時というのは、思いもけ世の中の関心を集め、価値を認めら こすのが文系の役割だと思いました。 かけないものに出会った時ですから。 れているということですから。という 理系は新しい技術を生み出しますが、 映画も俳優の演技や天気などの偶然ことは、いまの世界の主人公は理系な新技術をどう運用するかについてのス 作り、規範作りには文系の知 性に左右されます。そういう計算不可んだとある時気づいたんです。そこで、トーリー 能な部分が意外に作品の出来に反映さ いままで避けていた理系について勉強恵が必要ですし、理系と文系の知が混 聞 れるんです。 しなければいけないと思いました。 ざることで新たな創造ができます。理報 著 この本の元になる連載を始めたき 一五名の方々と対談をして気づいた系との幸福な結婚が文系の生き残る道 7 / だと思っています。 つかけは何ですか ? のは、理系も文系も目指す頂は同じだ 気 元 村 理系に学ぶ。 をイヤをンド
う弱者を政治的・経済的に不利な状向き合うことなしに「シルバー民主 青年への嫉妬は、自分自身がもは況に追い込むのではないかというこ主義」を云々することはできそうに とへの躊躇や警戒心が生まれるからない ゃあらゆる快楽から締め出されてい 0 るためであり、死にゆく老人への嫉である。 科学技術の進歩と人間の合理的な 妬は、かれらが ( 不死人間には到達 しかし老人は、実は「弱い」とも経済選択が生み出した高齢社会は、 できない ) 「憩いの港」に到着した「強い」とも言い難い。ごく少数の老いと死を念頭におきつつ、社会に ためである。筆者のように正真正銘強い老人が存在する一方、多くの弱おける人間の「つながり」を意識し、 い老人を社会的強者が政治的・経済見つめ直す機会を与えてくれた。 の高齢者には思い当たるところばか りである。 的に自分のビジネス目的に利用しょ 「つながり」や家族の問題をどう考 つまり、高齢者の精神が政治に向うと狙っているのも現実なのだ。老えるかに配慮し、ハイエクの提案す かうとき、その気持ちは必ずしも正人ホームで余生を送る老人の公職選る「年齢別に選出された中高年合議 義と慈愛に満ちたものではないとい挙における投票率が一〇〇 % だとい体ーを実験的に組織するのも決して うことなのだ。 う事実を単純に喜んでいいのだろう馬けた試みとは言えまい。そうし か。医療技術の進歩によって入院生た実験を経た立法府においてはじめ 老人とは誰なのか 活を続けている老人のどれほどの割て、「世代間対立」の内実が明らか 合が、正常な意思能力を持って自分になり、その対立調整の過程におい 「太陽と死はじっと見つめられぬ」 しんげん というラ・ロシュフーコーの箴言がの生命の最終段階に自らの意思で関て各々の世代が抱える問題がより的 ある。死だけではない。老いの問題わることができているのか。こうし確に把握され、解決に必要な世代を も、実際は議論の俎上には載せにく た問題を考えると、正常な意思能力超えた共感 (compassion) が生まれ 年齢差別 (age discrimination) を持つ高齢者をどう定義し、公民とるのではなかろうか。 という言葉が示すように、老人とい してどう保護するのかという問いに
いということではない。むしろ、災 ても、「無理をして」北浜銀行を潰とを回顧して、小林はこう蔭して 難が身に降りかからなければ、福は した罪は免れ得ない。これが北浜銀いる。 なかったのだから、災難を被った自 行事件に対する小林の総括だった。 この岩下の事例に照らして、小林私は実に運がよいと思った。銀行のサ分は運がいいと思うという「逆転の ラリーマンから会社の重役に昇格した、発想」である。 は宝塚ー有馬間の敷設権を放棄した とは言ふものの北銀事件が起らなかった こうした「逆転の発想」は、成功 のは正しかったと感じざるを得なか とせば、私は世間にある普通の重役と同した事業家に共通するもので、松下 った。しかし、小林が「無理をしな い」という決定を下したのは、消極じゃうに、大株主の顔色とその御意見に幸之助も、水難事故にあいながら奇 策では断じてなく、より果敢な積極従はねばならぬ場合であったかもしれな跡的に救出された経験をきっかけに、 、然し設立当初の関係から自分の会社自分は運がいい人間だと思い込むよ 策、つまり灘循環線の特許を譲受し て梅田ー神戸を結ぶ基幹鉄道への飛として考へて居ったとしても、岩下さんうにしたと語っている。実際、小林 と北銀とにはお世話になって来た関係か 躍を図るという目論見のためだった もこう信じることでさらなる幸運を想 発 転 ら、又北銀が大株主である以上は、岩下引き寄せることになるのであるが、 ことを忘れてはならない。限られた 逆 しかし、その前に乗り越えなければ リソースは一カ所に集中投資するしさんと北銀を度外視することは出来ない 義理がある、然るにこれからは誰に遠慮ならないもう一つの大きな障害が彼 カ中 / し しかし、そのためには箕面有馬電も入らない私の会社だと言うても差支へを待ち構えていた。 同じ大阪ー神戸間を走る阪神電気 気軌道のオーナー社長となることがない境遇に進歩したのであるから、私は 実に運がよいと感謝したのである。 鉄道との角逐である。 絶対的な必要条件だったのである。 降 ( 同前 ) 果たして、自分は運がいいと思い だからこそ、北浜銀行の挑戦を受け 込むことで小林は阪神との戦いに て立ったのである。 災 ここで語られているのは、災いを「運よく」勝っことができたのだろ のちに、北浜銀行所有の箕面有馬 電気軌道株の引き受けに成功したこ転じて福となしたのだから自分は偉うか ? 2 ママ