声を出す体勢を整え、声を出しかけた矢先の、絶妙の間合いだった。 くちる 思わず、ディーノはからこばれかけた自分の声をのみこんだ。 老魔道師は群れつどった一同を見回し、語りかける。 「これより聖戦士たる若き魔道士レイムに、導きの魔道を教授する。王宮、望星楼への道を 開かれよ」 低く腹の底まで響く。迷信深い者ならば、それだけで拠怖し、ひれ伏してしまいかね ない声だ。 だけになった無残な礼拝堂を取り囲んでいたひとびとは、一瞬水を打ったように静ま り、老魔道師の声に従い整然とすみやかに場所を開けた。 望星楼は魔道や不思議の宝庫たる、神秘を集めた建物だ。 魔道宮での修行を完全に終えたひと握りの優秀な魔道士や、厳正な審査による資格をもっ た学者のみが出入りを許されているという特別の場所である。 おとめ 翼ある乙女の世界救済伝説を記した書物なども、この望星楼の書庫にあったと聞く。 話それを必要とすることがなくなり、溶けるようにディーノの手の内から静かに消え失せ 行た、伝説の聖なるレプラ・ザンなども、望星楼の拯既に大切にしまいこまれていたも のだ。 レプラ・ザンは関心を失われれば、勝手にディーノの内に戻る。必要とされるまで、眠っ
ここち ひどく懐かしい、耳に心地よい歌。 歌を学び練習を積んだ子供の声に。 いっしか大人たちの声も混じっていた。 歌いながら。 自らが世界を委ねた者たちを見送った。 望楼は王宮の中央に位置する、な白亜の塔である。星を望むという名のとおり、 もっとも天に近くそびえたっているのだが、王宮の外からは、王宮の塔や他の建物に隔て られて、なかなかその姿を見ることはできない。 しろまどうし まか 望星楼の管理を任されているのは、マリエと同等の実力をもっ女性宮廷白魔道士数名の み。 優秀な高級魔道士の資格をもち、第電として王宮に仕える女性から選ばれた者が、望星楼 を守っているのだ。 話彼女らは命にかえてもこの建物だけは死守するという、強固な使命を帯びている。 行またそうまでされるべき、重要な建物ではある。 しようぞく 輝いてさえ見える純白の魔道士装束に身を包んだ二人の美しい女官が、望星楼に近づく とびら 老魔道師一行の姿を見つけ、しずしずと扉の前に控えた。 ゆだ
やや細かく敷き詰められた矼物かすかに色の違う敷を混ぜて星を囲む形に描か ろうまどうし まほうじん れた複雑な魔法陣を踏み越えながら、老魔道師は彼女らにうなずいてみせた。 魔道士を伴わなければ絶対に侵入かなわない、難解な魔法陣。注意して見なければ、魔法 陣がそこに描かれていることを見抜くことすら困難である。 目の前に望星楼を置きながら、発見できず、そこにたどり着けない侵入者は多い。 少年の頃何度も王都に忍びこみ、警備の厳しい王宮ですら自分の庭のように隅々まで勝手 知ったるさすがのディーノも、これを間近で拝むのは初めてだ。 特殊なこの魔法陣には高級魔道士一人につき魔道資格をもたない者を一人しか侵入させる ことはできないのだが、老魔道師エル・コレンティに関しては同行者の人数に不可能はな フードを深くかぶって人相こそはっきりしなかったが、痩せて老いた今もなお巨大な骨格 をもっ体格や、引き連れきた人数で、彼が本物のエル・コレンティであることは証明され しようぞく た。深緑色の見習い魔道士の装束をまとったレイムは、むろん連れの人数に数えられてい 従いきた三頭の大きなは、望星楼のそば、王宮のの上に舞い降り、主人たちの行 動を見守った。 とびら 老魔道師に指示され、二人の白魔道士は、彫刻を施された望星楼の扉をゆっくりと開
ぼうせいろう 望星楼の最上階。 そこは星空を描いた開閉式の高いを持つ、高い位置に作られた窓から光がさしこ む部屋である。 星を望むという呼び名にふさわしく、星々の運行や天体観測、環境保護や気象観測のため の装置や貴重な模型が数多く置かれている。 ぐるりと部屋の壁を囲んだの中、たくさんの書物が詰めこまれている。 講義資料用の大きな布幕が、巻かれて何本も、書架の角に立てかけられている。 あちらこちらにあるいろいろな形、大きさ、高さの台の上には、研究途中の書物が重ねら 話れ、広げられ、小道具らとともに置かれている。 行老魔道師に連れられて訪れることとなったのは、初めて目にするそれらに目を 丸くした。 大きさを変えて亜にも固定された銀色の金輪を、それぞれに速度を変えて、滑るように 第四章闇扉 やみとびら
目次 登場人物紹介 第一章公女 第二章異法 ぼうせいろう 第三章望星楼 : ・ やみとびら 第四章闇扉 : ・ 第五章導球 85 65 42 27
第三章望星楼 下にも置かない大歓迎のまえには、とうてい引っこみなどっくはずもなかった。 救世主、聖戦士の肩書きを受け、名を叫ばれる彼らは、ひときわ高いその場所から身動き かなわないまま、期待と歓喜の声を浴びせかけられ続けるしかなかった。 ひとびとの手のひらを返した態度に面食らい、したのは、ディーノである。 しゆらおう 勝手気ままのやりたい放題に生き、孤高の修羅王を名乗る彼には、ひとから誹られこそす れ、歓迎されるいわれはない。 初めこそ、ファラ ・ハンが自分に向かって艶やかに饐笑んだことや、なりゆきにあっけに とられて立ちつくしていたディーノだったが、冷静に思考をめぐらせ我を取りもどすにつれ て、倍加した怒りがこみあげた。 こんな茶番につきあわされるのはまっぴらだー 口を開いたディーノより一瞬早く ろうまどうし 立ちあがった老魔道師エル・コレンティの声が響いた。 まうせいろう
涙を流すことすら忘れ、シルヴィンは固ざみしめて、するよりなお速く、 降下させていた。 世界救済という名目もある。 あるが。 それ以上にシルヴィンはファラ・ ハンそのものに惹かれていた。 女性として鳩れ、無がれていた。 望星楼でシルヴィンのに優しく触れた、ファラ・ ハンの白く細い指。 かくて、ひどく懐かしい、甘い匂いがした。 見つめていた青い空の色の瞳 たおやかでで、はかなく、それでいて何よりも確かな雰気をもったひと。 し ここち すがすが 全身からほのかに沁みだし、溢れくる、清々しく心地よい光輝。 かぐわ びき 香しき美姫。 にら やか 領主の館数多くの建物があるその場所を睨みすえたシルヴィンの目に。 うごめ しゅうあく まもの 平あちこちでひとのように蠢いている醜悪な魔物の姿が映った。 ひくっとの端を引きつらせ、シルヴィンはそれらを凝視する。 ではない。 ひと ひ
夢のようにはかない、美しい世界。 「こちらへ、ファラ・ ハン」 涼しい声で、女王が誘った。 はっと我を取りもどし、ファラ ・ハンは呼びかけてきた女王を捜す。 部屋の中央に置かれた円卓。 つややかな漆黒の石を切って作られた、巨大な瀧らかな台。 この上にの魔法陣を描き、ファラ・ ハンを呼びだしたあの儀式を行うこともできる だろう、途方もない大きさだ。 や道、それらに類するなにがしかの力を使い、あの物開閉式のあれから、こ ぼうせいろう の望星楼に運びこんだものだろう。継ぎのないこの形は、狭い階段などを使ってとても運び こめるものではない。 細かな傷一つない、水鏡のような表をもっ円卓を、驚異の目でファラ・ ハンは見た。 見下ろす自分の顔の細部まで、くつきりと見てとれる。 「あまりのぞきこんではいけませんよ」 マリエは人指し指を立て、片目をつぶって、いたずらつばくファラ・ した。 ハンに注意をうなが
きつばりと一一一一口い切った。 力もないくせに自分に楯こうとする不埒な男に、ぎりつとディーノは眉をつり上げた。 いまにも背負った長剣に手を掛けかねない。 ろうまどうし そのわずかな間に先んじて、老魔道師が口を開いた。 「お前が守ればよい とうとっ 断言された唐突な提案に、ディーノはびくりとする。 たた さらにレイムが畳みかけた。 ハンを守る義務がありま 「この世であなたが一番強いのであれば、あなたにこそファラ・ す。あなたは、そのために選ばれ、聖なる斧に認められた。一のひとです」 「俺は、知らぬー ディ 1 ノは何にも従わない。 ディーノをつなぎとめられる鎖はない。 「僕たちが眠っていたあいだ、すでに伝令は送られ、世界のすみずみにまで僕らの噂は広 まっています。ひとびとに名を知られていたあなたが、聖戦士となったことも、皆の知る事 ぼうせいろう 実です。王都に集まったひとびとは、僕らがこの望星楼に上ったことを知っています。僕ら はここから旅立っために来たのです。僕らがこの塔を下りることはありません。それでも」 レイムは説き、ディーノに問いかけた。 うわさ
そんなに数多くはいない。 まどうし だからこそ、この方法を指示され、予想どおりの結果を得ることのできた大勢の魔道士た ちは、何も疑問に思わなかった。 ルージス公女に天を向けた星。 ルージェス公女を天として見た場合、確かに彼女を示した聖なる魔法陣としかならないそ れは。 だとう しかし、そう見ることが妥当ではなかった。 なぜなら。 超古代文字は、魔法陣のとるべき正しき方向を定めていたからである。 超古代文字を正確に読み取ることのできる形から、この魔法陣を見た場合。 描かれたそれは。 逆さ星。 せい 天を墜とした牙星の魔法陣だった。 おぞましく醗な血の儀式をもって描かれた、闇の魔法陣だった。 聖戦士たる者を祝福するための聖なる光の魔法陣でないことを知るのは、この老いた魔道 士一人しかいない。 まほうじん