部屋に置かれたいくつもの燭台の上でかすかに揺らめきながら燃えている、魔道の ひととおり見て取って。 ファラ ・ハンは、これこそがこの世界の縮図であるような気がしていた。 科学と魔道。 混在し、お互いに支えあって成り立っている世界。 ファラ・ ハンの感覚において、本来なら相いれぬ二つのものたち。 部屋に溢れ、はみでそうなほどの知識。 これほどまでに蓄積されたものがありながら、急発展していかぬ、文明世界。 どれほどの時が流れていたのかは、教えられなくても目で見て知ることができる。 こまめに手入れされ、補修と修繕を繰りかえし、何千年何百年という長き時代を耐えてき た建造物がここにある。 一一百年という巍を重ね、生きてきた老魔道師がここにいる。 話この世界を支えていた『時の驪』。 行それはもしかすると。 基本的にとてももろいものであったのかもしれない。 あるいは、ちょっとしたことで〕朋壊してしまうような。
ぼうせいろう 望星楼の最上階。 そこは星空を描いた開閉式の高いを持つ、高い位置に作られた窓から光がさしこ む部屋である。 星を望むという呼び名にふさわしく、星々の運行や天体観測、環境保護や気象観測のため の装置や貴重な模型が数多く置かれている。 ぐるりと部屋の壁を囲んだの中、たくさんの書物が詰めこまれている。 講義資料用の大きな布幕が、巻かれて何本も、書架の角に立てかけられている。 あちらこちらにあるいろいろな形、大きさ、高さの台の上には、研究途中の書物が重ねら 話れ、広げられ、小道具らとともに置かれている。 行老魔道師に連れられて訪れることとなったのは、初めて目にするそれらに目を 丸くした。 大きさを変えて亜にも固定された銀色の金輪を、それぞれに速度を変えて、滑るように 第四章闇扉 やみとびら
146 「部屋を用意できるか ? 少し休めばすぐに出ていく ディーノはわざとらしい仕草で、ばさりと左手で髪をきあげる。 ぶれ、 領主だろうとなんだろうとお構いなしの無福な格好だ。そうしてもそれがみように絵にな る、目を惹いてやまないというのが、憎らしい 格好いいディーノのそれに喜んで、小さなはディーノの腕に再び飛びついた。 丈高な態度に出るディーノをやわらげるために、ファラ ・ハンが口を開く。 いとま 「できるだけ早く、お暇いたしたいと思っております。疲れていたうえに驚くことがありま しゆったっ したもので、このまま出立というのも辛いくらいですの。ご親切に甘えてばかりで、本当 に勝手な申し出なのですけれど : : : 」 はあく 世界がどのようなものなのかを把握しきれていないファラ・ ハン。しかし彼女はそれ以外 でも、ディーノにあらゆる面で頼り、守ってもらっていることを否めない。 もしも彼が肉体的に限界を感じて休息を欲しているとすれば、それはとても重要なこと 領主は、これを快く受け入れた。 従者に命じて、二人をに部屋から送りだす。 完全に立ち去ったのを見送って。 、たけだか こころよ にく
血の色だけ。 血で描かれた魔法陣。 古代文字の記された二重円に囲まれ、天をルージス公女に向ける品を持っ魔法陣。 手品にも見えるそれに、ルージェス公女は目を丸くする。 ベルク公子は魔道士たちにうなずいてみせた。 魔道士たちはうやうやしく一礼すると、血でどろどろに汚れた中庭をそのままにして立ち 去った。 中庭を吹き抜ける風は、生々しい血臭を運び、まわしくあたりにからみついた。 うな テラスのすぐ横、公女の部屋の片隅で寝そべっていた黒犬が、低い声で唸りながら構え、 ゆっくりと身を起こした。 どう・もろ・ 主人以外には絶対になっかないといわれる、獰猛な狩猟犬だ。 しつこくひとみ 底に黄色く煙った炎が浮かぶ狂気の闇のような漆黒の瞳が、床の一点を睨んで暗く光って 話いる。 行小姓の少年ら、この部屋での仕事を言いっかり、働くようになって久しい者たちは、誰も 何があっても動じることはなかった。 何があろうと持ち場を離れず、仕事に絶対を尽くすのが使命なのである。 こしよう ゆか にら
領主ツィークフリートは。 うを耳にして、驚いて顔をあげた。 大慌てで駆けてくる足音を間近く聞き、居ずまいを正す。おぞましい化け物の姿形は悪夢 のように消え失せ、もとの人型、あの穏やかな好紳士のそれに戻った。 貎を遂げた体にひとっ息をついたところで、駆けきた足音が部屋の前で急停止した。 「領主様っー とびら 扉を押し開きながらの悲鳴のような呼びかけに、ツィークフリートはかすかに不快に表情 を崩し、立ちあがる。 焼け焦げるきな臭い空気が、開けられた扉から部屋の中に流れこんだ。 「何事だ、騒々しい ! 」 「飛竜を伴った驟が、館に : 軋事をつとめる老人は、おろおろとしながらロを動かす。よほど慌てていたのだろうか。 襯黒い上着の裾を押しあげて、ぬるりとした光沢を放っ細長いがはみでていた。 平老人の背面でひろひろと蠢くものを、ツィークフリートは険しい目で睨みつける。 視線を受けている場所に気づき、執事は鷦しながらのたうつ尻尾の端を握った。 りを受けることとして、びくびくと上目づかいに領主を見る執事に、領主は目もく こ うごめ にら
たてごと へたくそな竪琴を親切めかして延々と聞かされることに対してである。 下働きや芸人が何人死んだところで、かわりなどいくらでもいる。物のふんだんに溢れた やかた 領主の館で働けるとなれば、喜んで名乗りをあげる人間が腐るほどいる。 ひょっとすると同じ卑の者たちにも、誰かが死ぬことによって自分たちに与えられるも のの割合が増える結果を先読みして、ひそかに喜んでいる者がいるかもしれない。気にくわ おとしい ない者を陥れる機会をうかがっている者だっているはずだ。 いや、時と 彼女らにとってはしもじもの人間の命など、虫けらと同等のものでしかない。 おと 場合によってはそれより遥かに劣ることさえある。 あつら 自分用に誂えさせた勇ましい白い軍服姿の公女は、ほんのりとした甘い桜色のマントをひ るがえし、和な面撥ちでうろうろと部屋の中を行き来した。 にぎ はな ふわふわと揺れる金髪と彼女の衣類にたきしめた香の薫りで、部屋の中が華やかに賑わ まぶしいものでも見るように、公子は妹の姿を見つめながら目を細めた。 話「退屈しているのは皆同じではないか。気をもんでも仕方あるまい 気のこもらぬ声で吐息のように公子は言い、一弦竪琴を鳴らす。 「ですから余計に神経を逆なでされたくありませんのよ ! 」 かつんと固い音をたてて足を止め、公女は声を荒らげた。 かお
第一章公女 の第でるけだるい音楽が、ルい空気に響いていた。 曲そのものに関していうのなら、けっして第を感じさせるものではない。ありふれた恋 の歌、誰もが一度は耳にしたことがあるだろう曲だ。老若男女を問わず、どこで誰が口ずさ んでいても珍しくもない。 楽器にも問題はない。で作られた瀧らかな乳白色の竪琴は、細かな刻印や金滬で華麗 に装飾がほどこされた最上級の楽器だ。張られている九本の銀の弦も、とりかえられたばか りで真新しい。反響板にひろわれた音は、まろやかにふくらんで飛びでる。まっすぐに遠く をめざして、空気を切り裂きすべりゆく。どこまでもどこまでも、澄んで響きわたるはずの 話音。 行 だが奏でられている音楽は、でれでれとだらしなく、怠惰をむさばるように音をつむいで 平 いる。本来聞こえるはずの可な音は、濁りきり重く湿って腐り崩れているかのようだ。 ゆか うっとうしい音は、窓辺から外に出ていくどころか、その重みで部屋の床にこぼれ落ち、
返答は理にかなっていた。 永久機関として動き続ける装置に、小さいは喜んでばたばたと翼を開閉した。 どんなに興味深いものがあっても、すっかり保護者と決めこんでしまったディーノの腕か ら離れる気配はない。見たいなと思うものがあれば、ディ 1 ノをせつつく感じだ。 完全に無視するとうっとうしく引っ張られたり突かれたりするので、ディーノはそこそこ に小さい飛竜の機をとってお茶をにごす。彼としては非常に面倒見がいい ろうまどうし 老魔道師は、部屋の中央に置かれた円卓のそばにレイムを招いた。 おもも レイムは緊張した面持ちで円卓に歩み寄った。 老魔道師は問う。 「これがなんであるか、わかるか ? 」 尋ねられているのは円卓のこと。 それがもっている意味のこと。 みどりいろひとみしつこく レイムは透明な翠色の瞳で漆黒の円卓を見つめ、うなずいた。 わずかに震える声で答える。 とびら 「これは「扉』です , 瀧 らかなる漆黒は、あらゆる闇につながる、影の色。 この世のすべてをあまねく照らした光によってもたらされる、陰の本質をもつもの。 やみ
夢のようにはかない、美しい世界。 「こちらへ、ファラ・ ハン」 涼しい声で、女王が誘った。 はっと我を取りもどし、ファラ ・ハンは呼びかけてきた女王を捜す。 部屋の中央に置かれた円卓。 つややかな漆黒の石を切って作られた、巨大な瀧らかな台。 この上にの魔法陣を描き、ファラ・ ハンを呼びだしたあの儀式を行うこともできる だろう、途方もない大きさだ。 や道、それらに類するなにがしかの力を使い、あの物開閉式のあれから、こ ぼうせいろう の望星楼に運びこんだものだろう。継ぎのないこの形は、狭い階段などを使ってとても運び こめるものではない。 細かな傷一つない、水鏡のような表をもっ円卓を、驚異の目でファラ・ ハンは見た。 見下ろす自分の顔の細部まで、くつきりと見てとれる。 「あまりのぞきこんではいけませんよ」 マリエは人指し指を立て、片目をつぶって、いたずらつばくファラ・ した。 ハンに注意をうなが
彫像のように揺るぎなく雄々しく構えたディーノは、今にも燃えあがりそうな、焔の勢い にあおられる髪にもいっさい動じない。 こ 間もなく身を焦がすかと思える火炎にのまれた部屋の中に、天井を作っていた建材がばき りと大きく砕け落ちてきた。 大穴が穿たれた天井を通って、巨大な影が舞い降りた。 「キュイツー そのものの姿を目にとめた小さな飛竜が歓声をあげる。 「ケシャアアアアッ ! 」 こたえるようにディーノの飛竜がいた。 焔の上に崩れ落ちた天井の瓦を踏み越え、ディーノは飛竜に近づきを握った。 危なげな足取りで、近づきくるファラ ・ハンに向かって手を差しだす。 自分に向け差しだされた手に、おずおずと手を重ねたファラ・ ハンを、ぐいとっかんで ディーノが引き寄せる。 ハンを抱きと まろぶような足取りで、抱いた小さな飛竜ごともつれこんできたファラ・ 平め、細い腰に腕を回したディーノは、略奪するかという勢いで無を言わせず飛竜の鞍に 乗った。 主人たちを乗せたことを感じとった飛竜は、を受けるまでもなく早々に翼を打ち振る