236 夢にも思わなかったに違いない。 失敗を恐れ、館全体をの蜥じの法陣で囲っていたことが、外への魔物の流出を 防ぎ、限られた狭い空間における時の驪の価値を高めた。 蜥印を解いたがゆえに一番初めの生けとなった領主は、魔物に食らわれると同時に時の 宝珠を手に入れた。 しょ上ノヂ・き 時の宝珠を受け入れたことと魔物に食らわれた衝撃で、それまでの記憶の大半が欠落し しかしそれでも、領民を、ひとびとを救いたいという強固な意志が、消えきらず残ってい たとしてもおかしくない。 欲深き魔物でありながら、絶対権力者。生命の尊厳を覚えている者。 人魔。 ひととしての彼を支えている時の宝珠を取りだせば。 しようしんしようめ、 領主は正真正鑵のひとに戻る。 ひとに戻った瞬間に、とりいていた魔物に食らわれ、本物の魔物と化す。 野斧のをうけ、滅しようとしている魔物に。 かな ひとみ 哀しい瞳でレイムは魔物を見つめた。 このまま魔物として彼は死ぬ。
232 喪した青い瞳が、ファラ・ ハンを見返す。 命をもかえりみない大胆な行動により、すでにして気勢はそがれていた。 無言で見返すディーノの瞳の中に映っている自分の姿を捕らえ。 ファラ ・ハンは、 0 のように引きしまった体驅を抱きしめていた腕を、ばっと放した。 うつむき、くるりと背を向ける。 とても向かい合ったままではいられなかった。 事切れようとしている領主は、ずるりとくずおれる。 くちびるか その姿を見つめながら、レイムは軽く唇を噛んだ。 いぎよう まもの その異形のものが本物の魔物なのかそうでないのか、わからなかった。 いくら上級の魔物であっても、聖なる斧の放っ聖光の前にはひとたまりもないはずだ。 事実、ほかの魔物たちは皆、消え失せてしまっている。 形を残したまま、存在する魔物などいるはずがない。 魔物とひととを見分けられるシルヴィンは、レイムとは違う観点から同じことを感じ、軽 みめかたち く目をこする。おぞましい見目形をしている魔物そのものであるそれが、なぜだか魔物では ないように思えてならないのだ。
192 意識して目をこらすことによって、それはより明確さを増した。 まもの ひとの姿から変じて魔物に見えてくるものさえ、数しれない。 ぼうだい 種類も数も膨大な魔物。 たる 樽を積みあげたり、洗濯をしたり、下働きのようにして働く魔物たち。 ときどきほんのわずかに、それらの中にひとが混じっている。 どーた しゅうあく 醜悪な姿形をした魔物たちの集まりの中に恐れげもなく混じり、戸端会議でもするよ うに談笑していたりする。 緊張するような、攻撃しかけるような、おぞましさに糶悪するような、複雑な表情でシル ヴィンの顔がんだ。 ほかの誰もは、みにひとのふりをする狡な魔物に気がついていない。 気づかないまま、魔物をそばに招き、我が身を危険にさらしている。 たましい それを見分けられたのは、自然なる生命と間近い位置に存在しているシルヴィンの魂の本 質があったからだった。 門の方向に視線をやったシルヴィンが見たのは。 門番らしい格好をしたひとに伴われ、魔物たちのそばを抜けて歩きくる、一人の詩ん の青年の姿だった。
200 遥かなる高みから、彼らの目指す場所目指して巨大な影が矢のように降下していた。 それよりすこし遅れて、もうひとつの影が舞い降りてきている。 一瞬上を見やったシルヴィンの飛竜が、仲間たちの到着に高らかに一声いた。 まほうじん レイムはシルヴィンに魔法陣を探してくれるように頼んでおいた。 こころよ 快く引き受けて、シルヴィンは飛び立っていったはずだ。 まもの まっさっ どうして彼女が魔物と人間を見分けて、魔物を抹殺するためにここに来ているのか、レイ ムにはわからなかった。 そしてなぜここにだけ、これほどの数の魔物がいるのかも、わからない。 まち 街のほうでも、魔物がひとのふりをして混じっているのだろうか。 思いをめぐらせ、レイムは首を振る。 あの街の寂れ方は、乏しい物資にようやく命をつないでいる、けなげなひとびとのもの 魔物に支配されている街ではない。 ではここは。 ひとのふりをして活動していた魔物は。 いったいなぜそんな茶番を演じる必要があったのか。 はる
ディーノが魔物にのまれた。 ただならぬ飛竜の哭き声に振りかえったシルヴィンが見たのは、その瞬間である。 ぎよっと大きく目を見開いたシルヴィンは、慌てて飛竜の向きを変える。 そしやく みもだ ぐちゅぐちゅとらしい音をたて、巨大な魔物は咀嚼を開始して身悶えた。 毒々しいの色をした液体が、閉じた魔物の開口部から溢れた。液体は、中から現れでた ひまっ 魔物のために突き崩された石畳の上に、汚らしい飛沫を飛ばし、こばれ落ちる。 こうしよう やかた 館からまろび出てきた領主が、ディーノをのみこんだ魔物を見て、哄笑した。 魔物の親方らしい威厳と風格をもつ、立派な衣服までまとったそれに、シルヴィンは驚 爬。めいたそれが、なぜ二本足で立ち、衣類まで身につけているのか、わからない。 見分けられると確信していたシルヴィンの目に。 そのものは、魔物のようにも、ひとのようにも、見えた。 一方。 ・ハンたちは。 平魔通の蜥土たるべき場所の近くに降りたレイムとファラ がれき 瓦礫の山と化したそこが、一見して目指していた場所に間違いないことを確信した。 印を結び、レイムがその中に踏みこむ。
ならば。 くんりん ここで君臨しているひとこそが、それを得た者。 ここの絶対権力者であるとする見方が、まず第一に当てはまる。 「でも : ・ ファラ ・ハンは、思い当たる人物に困した。 「どうしましたか ? 」 . ハンに、レイムが近寄る。 心当たりのありそうなファラ 「あれは、たしかに魔物でしたもの : おぞましい姿にした、領主ツィークフリ 1 ト。 しゅうあく ・ハンはぶるっと身震いし、飛竜を強く抱きしめた。 醜悪なるそれを思い出し、ファラ 「キャウ ? ・ハンにずりする。 くりつと首を上げ、飛竜はファラ ハンを安心させるかのように、レイムは寄り添うように えの色を浮かべ震えたファラ・ 間近く寄り、かすかに首をかしげて見つめた。 きれいみどりいろ 平きらきらと星を浮かべて澄んだ、綺麗な翠色の瞳。 おもも ・ハンは淡く笑んだ。 優しい面持ちでうなずくレイムに、ファラ 簡単に話を聞き、レイムは目を細める。
ハンのな声が呼ばわった男の名が、不思議と気持 なぜだか、ついいましがたファラ・ ちを落ち着かなくさせていた。耳から離れない感じがした。 ファラ・ ハンの顔をまともに見ることがためらわれた。 小作りな白い手を握った手の先が、ひどく熱い。 するどきば ぞろりと鋭い牙を生やしたロを開け、笑い声をあげる領主の眼前で。 勝利に酔い、 巨大な魔が齣敲を発して爆発した。 粉々に砕け散った肉片が、激しい爆風によって勢いよく飛散する。 おだくにくか、 いまわしい汚濁の肉塊の真ん中に。 しようき 瘴気にあてられ、ぐたりと翼を広げる飛竜がいた そして。 右手に銀色に光り輝くを持つ、ディーノがいた。 ぬらりとした魔物の緑色の体液と肉片で、飛竜もディーノも、全身ぐずぐずに汚れてい 話 平汚物と呼べるそれにぞっぷりと濡れそぼち、重くよれている。 それらにも汚されることのないもの。 硎ぎまされた刃物のように鋭い光を放っ青い瞳が。
234 むくろ 形あるままで、骸をさらすはずがない。 みにく 醜い死骸も、自然なる世界に存在していてはならないのだ。 浄化され消える定めである。 疑り深いディーノは仕損じたかと気軽く考えて、もう一度を振り下ろそうとしたのだ が、事態の意味するものは、そんなに簡単なものではなかった。 こぼ 魔物の目から、透明な涙が珠を結び、ほろほろと零れ落ちる。 魔物に滅は存在しない。 たとえ、ひとの姿を借りたり、乗り移ったとしても。 「本物の、ツィークフリートなのか : ひとであるのか。 あったのか。 いずれにせよそれは、信じがたい事実だった。 魔物がひとにとり憑き、あるいはひとを食らうことにより、その姿を得て成り代わること はよくある。 だが、それはあくまでも、魔物でしかない。 ひとの意識を保ちきることはできないのだ。 領民のことを気づかってやるようなことなど、到底できはしない。 まもの たま
死に際に、弱い生き物たちを守ろうとするようなことなど、あるはずがない。 消えようとする生命の灯を懸命につなぎとめ、がくがくと震える顎を動かし言葉を翫ごう とする魔物に、レイムは近寄りひざまずく。 「あなたが時の驪を持っておられたのですね」 慈悲と愍のこもった口調で、静かに話しかけた。 こ 涙を溢れさせる魔物は応えない。 いらえる力はもうない ひとの意識をもったまま、この領主たる男は魔物の力を手に入れていた。 そのような不思議を可能にするのは、時の宝珠の破片という、莫大な力の存在なしには考 えられない。 おそらくは少しばかりの魔道に精通していたがために、この土地にある魔道の蜥土のこと を知ったのだろう。 時の宝珠の迷いこんだそこならば、失ったあらゆる自然の力さえ、元に修復できるだけの こじ 神聖なる力を誇示していたことだろう。 平誰もが藁にもすがりたい気持ちで、物焉をむかえつつある世界に戦いていたのだ。 できうる思いつくかぎりの方法を試したとして、なんの不思議があるだろう。 蜥を解き、そのカのを己が物にすることが、同時に魔物を解き放っことになるとは、 ばくだい
「あれは魔物じゃないわ。ただの虫。ゲルゼルって名前の、血を吸うやつよ。森の中にはよ くいるわ。まだ生き残ってたのね . すべての生き物が死に絶えようとしている世界。 ひとや動物に寄生して生きている生き物のほうが、自然から食物や栄養を得ていたものよ りも幾分か生き残る確率が高いのか。 害虫にほかならないものであったが、それでも一匹でも多くの生物が生き残っていたとい うことが、シルヴィンには豈〕しい。 そうはく ・ハンは、虫の大きさから想像し、蒼白になる。 血を吸うと耳にしたファラ 「あんなのに血を吸われては死んでしまうわ ! 早く助けましよう ! 」 怒るような激しい口調に、シルヴィンはきよとんと目を丸くした。 でもあれが血を吸うっていっても、ちょっと痺れて一時的な貧血を感じるくらい で、吸い口が腫れるとか何もないし : : : 、木の上とか大きな石の上とか、同じ地面の上にい なければ、すぐに見失ってどこかに行っちゃうようなな虫だし : : : 」 袵ようするに、見た目ほど恐ろしい虫ではないのだ。 平当たり前の環境で育ってきた者なら、誰もがゲルゼルを追い払う方法を知っている。 ばか それを知らないのはよほどの馬鹿か、世間知らずだけだ。 森に入るには入るだけの気がまえと常識がいる。 ひんけっ