津島佑子 - みる会図書館


検索対象: 文學界 2016年10月号
34件見つかりました。

1. 文學界 2016年10月号

死を受けとめた津島佑子の作品は、中上健次の作品とは違っ た意味で、孤児、私生児たちのテ 1 マを物語に抱え込むこと になる。しかし決定的な違いがもちろんあります。中上作品 の私生児たちには「路地」という、疑似母系的な受け皿、彼 らを庇護してくれる共同体があり、オリュウノオバのような 、、、、こ。しかし津島佑子の主人公たちには、その 代理の慈母力しオ ような共同体は与えられていません。ですから物語構造的に くくシビア 津島さんの小説は中上健次よりもさらに読みに なものがある。中上的な地縁・血縁とは別のネットワークを 発見しなければならなかったからです。 柄谷中上も「路地」の消滅後の世界を描いていました。 それは結局、外国に行くことになる。最後の『異族』がそう ですね。中上の死後、津島さんはその路線でもっと徹底的に やるようになったと思う。中上は、「路地」は外国にあると 思うようになった。同様に、津島さんは「路地」のような共 同体をあちこちに見いだしたと思う。現実に彼女は、アイメ、 インド、台湾、中国、その他の少数民族と交流していますが、 小説としては、死後に出た『ジャッカ・ドフニ海の記憶の 物語』にそれが出てきますね。たとえば、アイヌや各国にあ った隠れキリシタンの共同体や、混血の孤児たちの助け合い このタイトルは、北海道の網走にあった、北方少数民族資料 館の名前に由来するんですね。 高澤北方少数民族ウイルタの言葉で「大切なものを収め る家ーという意味だそうです。 柄谷「ジャッカ・ドフニ』はアイヌ人の母をもつ日本人 の少女を主人公にしている。 高澤チカップ ( チカ ) というこの少女が、北海道、東北、 長崎からさらにマカオ、最後にインドネシアのバタビアまで 行き着く。流浪する孤児の物語です。津島さんの小説のなか で特に本質的なものは、中上さんの死後に書かれていると思 います。津島佑子がどのぐらいのスケールの作家になったか、 中上健次は知らずに死んだ。影響を受けたフォ 1 クナ 1 につ いても、およそ違うアプローチになっています。 津島さんが亡くなってから、彼女の『寵の英訳者でも あるジェラルディン・ コートか、『ジャッカ・ドフニ』 ヾ、レ を高く評価する文章を書いています ( 「作品世界をグロー 化させなかった作家津島佑子 . 「すばる」二〇一六年六月号 ) 。 いま柄谷さんが言われたアイヌ文化への津島さんのコミット メントなどに言及したうえで、マイノリティ言語で書かれた 作品の欧米での絶望的な翻訳状況に対し、いまベストセラー になっているのは「「国際化」にふさわしい国籍不明の作品」 だという津島さんの発言を引用し、それらか p 「 e-translate すなわち前もって翻訳しやすい文体で書かれている・ーー名前 子 は出されていませんがこれは村上春樹のことと考えていいで 佑 しようーのに対し、津島佑子の小説はまったく違う。以前津 「シャッカ・ドフニ』はそのスタン次 の作ロより英訳しにく、 スを見事に証明する作品であると。つまり、津島佑子は反グ上 ロ 1 、ハリズムの作家だというのです。 柄谷先ほどいったように、「ジャッカ・ドフニ』には隠 れキリシタンのことが書かれています。津島さんは、カトリ

2. 文學界 2016年10月号

知らないのではないかと思うので、それについて少し説明し ます。僕は文学批評から退いて長くなります。まさに二〇〇 〇年以後は、文学批評を書いていません。外国は別として、 熊野大学での幾つかの講演が例外でした。もう一つ例外があ って、それは数年前に津島佑子の新刊書を読んで、朝日新聞 に書評を書いたことです。僕は十数年書評委員をしています か、小説を取り上げたことがない ところが、なせか津島佑 子の小説を取り上げたのです。 高澤津島さんの『黄金の夢の歌』三〇一〇 ) について 書かれた書評ですね。 柄谷その書評を読んだ記者に頼まれて、今年一一月に津島 さんが亡くなった時には、朝日新聞に追悼文を書くことにな った。さらに、津島さんの葬儀の際、今夏熊野大学への参加 を依頼されたので、中上健次と津島佑子というような主題で あればやっても、 ( いかな、と思ったのです。とはいえ、僕は 津島さんの小説を全て読んでいるわけでもないし、深く読み こんでもいない。ただ、高澤さんとの対談というかたちなら 何とかなるだろうと思ったのです。高澤さんはずっと文芸批 評家として活動しているし、最近は津島佑子論の準備もして いたので。 高澤では、よろしくお願いします。まず、津島さんとの 出会い以前に、柄谷さんと中上健次との出会いからお話しい たたけますか 柄谷僕が中上に最初に会ったのは、一九六八年の六月ご ろだったと思います。当時、慶應大学がやっている雑誌「三 田文学」の編集長を小説家の遠藤周作が引き受けた。彼が編 集長になってまず考えたのは、新人を発掘しよう、そのため に手つ取り早いのは群像新人賞に落ちた作品を拾ってくるこ 高澤最終選考まで残ったけれど、最後に落とされた作品 の書き手を、新人としてスカウトしようということですわ。 柄谷遠藤さんは自分でいろいろ読んだらしい。それで、 僕と中上を見つけた ( 群像新人文学賞応募作の柄谷氏「〈批評〉 の死」と中上氏「日本語について」 ) 。「三田文学」の編集室は 当時、新宿の紀伊國屋ビルの五階にあって、そこに僕ら二人 が呼ばれた。そのとき初めて中上に会いました。で、遠藤さ んから「これを載せたい と言われたのですが、僕は即座に 断りました。隣に座った中上も断わった。遠藤さんとはそれ 以上ほとんど話さなかった。そこを出たあと、二人で同じ紀伊 國屋ビルの二階の喫茶店に入って話をしました。中上は当時 参加していた同人誌「文藝首都」の話もして、その時に、津島 佑子のことを聞いたと記憶しています。津島佑子という名で はなかったと思うけど。中上が「同人に太宰の娘がいるんだ よ」と、ちょっと自慢気に話していたのを覚えていますから。 高澤その出会いから始まって、柄谷さんが内外のいろい ろな文学作品を中上さんに勧めるようになり、それを中上さ んが貪欲に吸収していったわけですね。 柄谷僕は別に中上を指導したわけではないですよ。中上 と話していて思ったのは、彼の経験してきたことは、僕にと っては、実際にありそうもない、 神話とか物語に類するもの

3. 文學界 2016年10月号

狩りの時代 あのことばだけは 津島佑子 消え去らない。 その痛みだけは 忘れられなかった。の グウン症だった兄との思い出。 ヒトラー・ユーゲントの来日。 本老核物理学者の見果てぬ夢・ この国の未来を照射する物語。 藝 文 津島佑子 絶筆 私は夢中で作品を読んだ。 読み進めるうちに母が話していたことが次々とよみがえる。 ダウン症だ。た兄とあ思い出。大家族の空気。人々 ? 視線。記憶をたどる手触り。 こうしてひとつの作品に編み上げられて、初めてその意味が理解できる。 第それは、出会ったこのない差別の話だった。ー津島香以 ( 長女 ) ・ 168 円① ・表示した価格は本体価格です。これに所定の税がかかりま ・②マークの本は、電子書籍もあります。

4. 文學界 2016年10月号

佑子と中上健次には深い類縁性があるということです。ある 意味で、津島さんは、中上の死後、彼が最後にやりかけてい たことを引き継いで、さらに発展させることができた作家で す。そしてそれはこの作家の根底に、中上と同じような特殊 な条件があったからだと気づいた 高澤それはどういう条件でしようか 柄谷たとえば父親についていうと、彼女には父親の記憶 がないと思うんです。彼女が一歳のとき、太宰は死んでいる し、すでに家を出ていた 一番近い異性というのは、お兄さ んです。あるいは、兄が父親であった。しかし、そのお兄さ んはダウン症だったんですね。 高澤補足しますと、ご存知の方もいると思いますが、中 上健次が十二歳の時に一回り上のお兄さんを自殺で失ったよ うに、津島さんも肉親を亡くす体験をしています。まず父で ある太宰治が、津島さんが一歳の時に自殺している。その次 、三歳上でダウン症だったお兄さんが肺炎によって十五歳 で亡くなっている。津島佑子が十三歳の年です。そして、三人 目の死者は津島さん自身の息子さんで、八歳の時に呼吸発作 で亡くなっている。だから中上健次どころではなく、津島佑子 は三つの肉親の死に遭遇し、それを作品化した作家なのです。 柄谷ダウン症のお兄さんに関連することですが、僕は高 澤さんに教えられるまで、津島佑子が中上健次と同じ頃に、 フォ 1 クナーから影響を受けていたことを知らなかった。 高澤亡くなられてから自筆年譜を読んで驚いたのですが、 一九六六年、十九歳の頃に「フォークナーからは知恵遅れの 人間の内面意識や、愛欲や暴力の形で導き出される本能的な 生命力の描写に触発を受け」と書かれています。また同じ年 『嵐が丘』を原書で読めるようになったとも書かれてい る ここで言及されているフォークナ 1 の作品は『響きと怒 り』のことですね。タイトルはシェ 1 クスピア「マクベス」 にもとづいている。『響きと怒り』の第一部は、重い知的障 害をもったべンジャミンという男性の視点 ( イディオット・ アイ ) から描かれ、非常に錯綜した、一読してこれは何だと 思うような歪みを孕んだ、読みつらいテクストになっていま す。『響きと怒り』は日付のある小説なのですが、時間の跳 躍も多く、すんなり流れていく単線的な小説ではなく、ノイ ズに満ちている 中上健次が最も衝撃を受けたのは、先ほど柄谷さんがいわ れた『アプサロム、アプサロム ! 』で、そこに出てくる家長 トマス・サトペンが、紀州サ 1 ガの浜村龍造に化けたわけで こいうと。それと同様に、『響きと怒り』に出て すね。単純 ( くる「白痴のべンジャミン」と津島さんのお兄さんのイメ 1 子 ジが当然重なります。津島さんの『寵児』をあらためて読む 佑 と、このダウン症のお兄さんに対する津島さんのポジション鸛 は非常にユニ 1 クだということがわかる。二十代半ばで初め次 上 て読んだ時にはそれに全く気づきませんでした。 中 『寵児』は想像妊娠をするヒロインの話です。そしてヒロイ ンの幼い頃の記憶として、ダウン症ー小説中では「先天性 の知恵遅れ」と書かれていますーーの兄が出てくる。興味深

5. 文學界 2016年10月号

く違うけれども、人を縛る力であることに違いはよい。 先ほどの庇護する知的障害を持った兄について、「先に逝っ そう考えると、僕が中上に「アプサロム、アプサロム ! 』 た兄が私の子どもの旅立ちに付き添い、子どもを守ってくれ を勧めたことはまちがいで、もう一冊の本、マリノフスキー る様子を、確かに見届けることができた」と書かれている。 の『未開人の性生活』のほうが正解であったといえます。た 「私の子どもとはつまり、亡くなった息子のことです。 だ、当時は「母系制ーということを考えていたけど、今は違 柄谷『夜の光に追われて』の文章は主に作者、というか います。根本的には「双系制」なのです。双系制は母系制だ 「私」から菅原孝標女への手紙なんです。時空間を超えて書 と誤認されやすい。たとえば、徳川時代、大坂でも江戸でも かれた手紙。最近の小説、特に「ジャッカ・ドフニ海の記 商家は母系的でした。しかし、それは父系制ではないが、母憶の物語』三〇一六 ) でも、最終章は手紙ですね。 系制でもない。たんにイエの存続のために養子をとったので 高澤しかも、『ジャッカ・ドフニ』では、字を書けない す。それは父系でも母系でもない、双系制が根底にあったか 女性主人公が、「兄」と慕う男への届くあてのない手紙を代 らです。日本の社会の根底には、双系制がある。 筆してもらったりするんですね。 僕は、中上と津島の根底にあるのは、父系でも母系でもな 柄谷津島文学では、手紙が多用されていて、すでに死ん 、「双系制」なのだ、と思います。中上と津島は、その点 でいる人に宛てて手紙を書いたり、死んでいる人が書いてき で共通した課題をもっていた。その意味で、彼らは兄妹のよ たりといった自在な方法がふんだんに出てくる。そういう技 うに似ている。でも、彼ら同士はそのことに気がついていな 法を前衛的だと思う人もいるかもしれませんが、子供の頃か ら身近な者の死を経験し続けてきた彼女にとって、それは自 然だし必然なんです。 高澤中上健次と津島佑子の作品上の接点でいうと、中上 さんが『鳳仙花』を発表した後、二人は一度だけ対談してい て ( 「物語の源泉」、八一 ) 、そこで中上は唐突にこう発言して ■「トカトントン」と「トット、トット、タン、ト」 います。「津島佑子は、『更級日記』の菅原孝標女に似ている と思うんだよ」と。津島さんはこの言葉を忘れなかったよう 柄谷津島佑子における父娘問題について続けると、昔は で、後に『夜の光に追われて』を書く。この小説は菅原孝標 あまり見えなかったんだけど、二〇〇〇年代以降から、小説 女に同定される作者が何百年も前に書いた平安後期の物語 に反・父親の傾向がはっきりしてくる。いわば反・太宰だね。 ねざめ 「夜の寝覚ーと、息子を亡くした現代の女性の語りが折り重 高澤とくに中上さんが亡くなった後の津島佑子の小説は、 なるように紡ぎ出される画期的なテクストです。そこでは、 すべて太宰治批判であり、かつ中上健次へのアンサーソング 、 0 ご 1 ロ 巧 0

6. 文學界 2016年10月号

■「文學界」定期購読のおすすめ 1 年 12 冊 11 , 640 円 ( 税込 ) 送料と特別定価の差額は小社負担です。 書店で入手困難な号も確実に、毎号定価でお読みいただけます。 申し込み方法 ①文藝春秋定期購読センター フリーダイヤル 0120 ー 622 ー 808 ( 受付時間平日 10 時 ~ 17 時 ) ②文藝春秋ホームページ h叩:/ん駱解 . bunshun. co. jp 雑誌のページから定期購読案内をご覧ください インターネットでお申し込みの場合、クレジット決済がご利用になれます。 ご注意 : バックナンバーからの定期購読はお受けできません。 ■バックナンバーのお申し込み 最寄の書店でご注文いただくか、ブックサービス ( 株 ) までお申し込みください。 ブックサービス ( 株 ) フリーダイヤル 0120 ー 29 ー 9625 ( 9 時 ~ 18 時土日祝日も可 ) 送料などに関してはブックサービスに直接お問い合わせください 0 0 特集「東北から文学を考える」熊谷達也・ 特集「民主主義の教科書」柄谷行人・東浩紀・ 若松英輔・辺見庸・玄侑宗久・和合亮一 内田樹・島田雅彦ほか / 神木隆之介 x 宮 ほか / 追悼・津島佑子 / 創作・最果タヒ 藤官九郎 / 創作・保坂和志・吉田修一ほか 文優を 文第春教 東日本 ⑩民主主義の教科 号 【宿のが , を写そまこ一口写 界文学を , 東紀いとう健いこう 月 月 内田樹事野常覧尾ま高 医替子・田物第 4 7 辺見物あの第ーで・ ~ ズ第 ! 玄依家久 年 、国中鋼弊田物一鋼・・第子生・ 資・真山に及本第一第 : 和合亮一」」 4 6 6 を保坂和志「彎れた文ま一 吉田修一「愛住町の当 物美第イエアメガエル響を 擢名贓第樹当 鼾療文学責発表 7 , 神木第之介 X ・当ンー「人第を , ー要」一 宮藤官九郎長宿ま 「文學界新人賞発表」砂川文次「市街戦」 津島佑子絶筆「狩りの時代」 ( 抄 ) / 異色短編 渡辺勝也「人生のアルバム」 / グラビア・ 特集「怪」松浦寿輝・藤野可織・西村賢太・ 荒木常 x 二階堂ふみ / 新連載・村田喜代子 小山田浩子ほか / , 創作・石原慎太郎・天里 二文學界新人発表 」」 1 津島佑子 砂川文次「市街戦」、 : 号 ーテあー ~ 月 渡辺腸人。アルバ穹、 ( 「 . 5 「いっ死なせますを 8 石原慣太郎 イエアメガエル謇ム 物美里 一學 ・・・村田喜「飛第第 6 6 の 西村賢太小山田子 木村紅美複永像 大物子を : 。立「怪」い 文 . 。荒木経惟 : 「中村支則論・強の { テイプレご を二階堂ふみ 創作・中村文則・津村記久子・村田沙耶香・ 「新芥川賞作家」村田沙耶香受賞ェッセイ・対 佐藤友哉 / 評論・伊藤氏貴 / 紀行・与那 談・中村文則 / 特集「大学で『文学』は学べる 原恵 / 連載・宮本輝・金井美恵子ほか か」蓮實 ) ・滝ロ悠生 / 創作・椎名誠ほか 中村文則 月 月 津村記久子 、・ - 「浮避プラジル」 6 9 一一村田邸書 年 年 、「ンビニ人間」 ( 0 6 を佐藤及 ー学第氏責 与都原を ””出番 ム文第物状 、第中村文第 碁色第 アすを」第。津島佑子、 12 ー

7. 文學界 2016年10月号

ずっとこのシンポジウムをやってこられた。しかし、僕は二 〇〇〇年の段階でやめたのです。さっき、たまたま来場者か ・四年ぶりの「熊野大学」に来て らサインを求められて、『中上健次と熊野』三〇〇〇 ) とい う本を見たのですが、その本の序文で僕は、その間の経緯を 高澤今年は中上健次の生誕七十年にあたります。柄谷さ 詳しく書いていました。ほとんど忘れていたのですが んにとって久しぶりの「熊野大学ーで、何を話していただこ 僕は一九八〇年代から文学批評をやめようと思っていたの うか考えていたところ、今年の二月に六十八歳で亡くなられ ですが、九二年に中上が死んだとき、これでもう自分を文学 た津島佑子さんについて話すのがいいたろうという提案を柄 の現場に引っ張る霊がいなくなった、だからやめられる、と 谷さんからいただきました。中上健次と一歳年下の津島佑子 考えた。でも、最後に何かしておかないと、この霊は祟って は、同人雑誌「文藝首都」時代からの盟友でした。そこで今 くるからね ( 笑 ) 。いわばその祟りを祓うためにやったことが、 日は、「中上健次と津島佑子」というテーマでの対談になり ます。 中上全集を出すことであり、熊野大学だった。だけど、それ も一段落ついた、これ以上続けていると、また文学に吸い込 この二人は文芸同人誌仲間というだけでなく、その作品群 まれてしまうので、やめる。もう僕は来ない、今後は、君ら がズレながらもさまざまな共通性を持っということが、津島 というようなことを書いたのか か好きなようにやればよい。 さんが亡くなってからあらためてわかってきた。たとえば物 しろんな 二〇〇〇年なのです。が、簡単にはやめられない。、 語の中心に掲げた大きなテ 1 マとしての孤児、私生児。ウィ 理由がついて、何度も来るはめになった。これが最後だ、と リアム・フォ 1 クナーという接点。それから差別をめぐる問 何度言ったか分からない。四年前にも「これが最後だ」と言 題。そういうことも追ってお話しできればと思います。 った。そうしたら、今年は生誕七十年とか言うので : 柄谷僕が熊野大学に来るのは四年ぶりだと思います。驚 子 高澤ちなみに、来年は没後一一十五年です ( 笑 ) 。 いたのは、参加者に若い人か多いということと、女性が多い 佑 柄谷生誕七十一年でもいいわけでしよう ( 笑 ) 。とにかく、津 ことです。以前はこうではなかった。 四年ぶりに来てみたら、参加者がずいぶん変わっていたので凝 この熊野大学は、中上健次が、亡くなる二年前の一九九〇 驚きました。皆さん何をしに来ているのかなと不思議に思っ上 年に作ったものです。中上が死んだ時、僕は、中上全集の刊 行を企画するとともに、その宣伝のために、中上がそれまで 若い皆さんは、ここに来る以上中上健次について知ってい 地域的活動としてやっていた熊野大学を、全国的なシンポジ るはずですが、津島佑子のことを、あるいは僕のこともよく ウムの場として毎年開くことにしました。高澤さんは以来、

8. 文學界 2016年10月号

身のタッヤにこう言う。「ところが、ここに来て、弾機が切 れた。弾性限界が来て、ゴムが切れてしまった。何故だと思 う。ここに天皇がいないから。ここが天皇の統治する国の境 を越えた向うの、一日にテロと爆弾で何人も死ぬフィリピン 、。いや、日本 のダバオだからさ。お前はもう右翼になれなし 人になれない」。満州国再興の野望を持っ老フィクサーの夢 を、ここで打ち砕くわけです。作家の死後になりますが、こ の一節を読んで救われた気持ちがしました。 柄谷湾岸戦争を機に変わったのは、津島さんもそうです ね。そこから彼女は政治的な活動に積極的に関わるようにな っていった。また、中上は死ぬ前に日韓作家会議を計画して いたんですが、これも彼の死によって頓挫しかけたので、し ようがなく僕が手伝うことにした。それに津島さんも加わっ て、一九九〇年代に日本や韓国で日韓の作家によるシンポジ ウムをやった。 高澤戦争反対署名の前後から、津島さんとも中上健次と も、柄谷さんは海外で一緒になることがたびたびあったので はないですか 柄谷そうです。むしろ、海外でしか会う機会がなかった ですね。 高澤津島さんについて、社会運動家のイメージを持って おられない人も多いと思いますが、じつは湾岸戦争以来一貫 してアクティヴだった。 3 ・Ⅱ後の反原発デモでも、柄谷さ んや私は何度も国会周辺で津島さんに会っています。津島さ んの反原発への思いは強く、後ほど話す最後の長篇『狩りの 時代』三〇一六 ) では主要人物に核物理学者を登場させて もいます。 ともかく、一九九〇年代までには「文藝首都」時代以来の 中上健次と津島佑子の関係も若干変質していて、海外で一一人 の小説の翻訳が盛んに出るようになった。中上についていう と、ガルシアⅡマルケスの版権を持っていたフランスのファ イヤ 1 ル社から何冊か翻訳が出ています。 柄谷ファイヤールからは中上の全集が出ることがほば決 まっていたんです。彼の死によってその話はなくなってしま いましたが。 高澤そうして海外に目を向けざるをえなくなったのも、 二人の作家が政治的活動にコミットしたことの契機の一つで しょ - フ、ね 柄谷そうですね。津島さんは一九九一年にパリ大学でア イヌの文化について講義をしたこともあった。 ・障害を持っ兄を書く 高澤このあたりで、具体的な津島さんの作品論に入りま 柄谷僕は一九八〇年代ぐらいまでは、津島佑子が中上健 次のような、普通の社会にめったにないような特殊な構造的 条件を背負った人だと思っていなかった。太宰治の娘だとい うことは確かに特殊だけれど、せいぜいそれだけです。しか し、今世紀になってからだんだんとわかってきたのは、津島 46

9. 文學界 2016年10月号

中上健次と 津島佑子 高澤秀次 柄谷行人 たかざわ・しゅうじ・一九五二年生まれ。 文芸評論家。早稲田大学第一文学部卒業。 「吉本隆明 1945 ー 2007 」「文学者た ちの大逆事件と韓国併合』「戦後思想の「巨 人」たち』など著書多数。 中上健次と今年一一月に亡くなった津島佑子は友人だっただけでなく、 作品に数々の共通点があった。孤児のテーマ、フォークナーという接点、差別 兄と妹のように切磋琢磨した一一人の文学の可能性の中心とは 中上の故郷・新宮で行われた白熱の対談を完全収録 70 生 年誕 か、らたに ・こうじん・一九四一年生まれ。 哲学者。東京大学経済学部卒業、同大学大 学院英文学修士課程修了。「定本柄谷行人 集ニ世界史の構造ニ遊動論ニ帝国の構造」 「憲法の無意識』など著書多数。

10. 文學界 2016年10月号

いのは、この知的障害をもった兄は、妹の庇護者なのです。 ピアノの練習が嫌いなヒロインが「ピアノなんか大嫌しナ めちゃくちゃにこわれちゃえばいいんだ」と言うと、兄が実 際にものすごい勢いでピアノを引き倒そうとする。そのよう 兄は何かと妹を守ろうとする。ヒロインには、津島さん が実際にそうだったように姉もいるのですが、その姉と障害 を持っ兄との関係は非常に淡い。それに対し、ヒロインと兄 との関係は濃密に描かれている。 「寵児』のヒロインの周りには、妊娠の相手と目される男性 も含め三人の男性がいる。そして最後に想像妊娠だったこと が分かった時点で、妊娠の相手と目されていた男性からあら ためてプロポーズを受けると、ヒロインは決然とそれを拒否 するのです。 それはなぜなのかこれは作品にはっきり書かれているわ けじゃありませんが、ヒロインの想像妊娠の「本当の相手ー は、知的障害をもった兄なのではないか。女性にとって最初 の異性はふつうは父親ですが、物心がつく前に父を失った津 島佑子という作家にとって、最初の異性はお兄さんだったの だと思います。『寵児』は、そういう兄妹の対幻想を、想像 妊娠というかたちで完結させたヒロインの話だと読むことが できます。 ■ニ人の根底にある双系制 柄谷ダウン症の兄のことでいうと、太宰治は晩年に家を 出ていったでしよう。 高澤『寵児』では、もちろん太宰とは書いていませんが、 「父は高子 ( 主人公 ) の生まれる前から別の家に住んでいた」 とあります。若い女と一緒に 柄谷家出をした太宰と愛人とのあいだに生まれたのが太 田治子 ( 作家 ) です。それは津島佑子が生まれて一年ぐらい の間のことだけれども。この異母姉妹の問題を、初期の津島 さんはかなり書いていたと思います。あるいは、姉妹が同一 の男を愛してしまうという主題。『火の河のほとりで』 ( 八三 ) も、『夜の光に追われて』 ( 八六 ) もそうですね。ところで、 太宰はダウン症の長男について書いているんですか 高澤短篇「桜桃に少し書いていますが、他にはほとん どないと思います。 柄谷しかし何とも思っていないはずはない。太宰はその ために外に逃げたとも考えられる。そして、太宰はそれをい いたくなかったのではないか。いずれにせよ、父親がいない から、津島さんにとっては、お兄さんが父親がわりだったの でしよう。それはあまりありそうもないけど、考えられるケ 1 スです。しかし、もっとありそうもないのは、そのお兄さ んが十五歳で病死したことです。のみならず、その後に、今 度は彼女自身の息子が死んだ。私の記憶では、津島さんが決 定的に変わったのは、その後からですね。 くりかえすと、肉親に三人死んだ人がいて、全部男です。 父・太宰治、障害者の兄、そして息子。彼らは当然それぞれ に違う人物ですが、作品中ではほとんど同一人物だといって 148