シーン - みる会図書館


検索対象: 文學界 2016年11月号
17件見つかりました。

1. 文學界 2016年11月号

宮さんはどこまで行っても軽いんです よ。だから、分の映画で、もちろん の中で乗り替わっているような展開に よ。僕が「徹底的に相手を怒らそうと 絡みもあるんですけれども、シーン数しようとは思っていたんですよね。だ することを楽しんで演じてくたさい がとか菊ぐらいしかないんです。今、 からシーン数は少ないんです。ぐら って言ったら、ほんとに相手を怒らせ 大体 100 分の映画だったら、シーン いしかなかったんじゃないかな。 ているんだけども、自分の側は絶対本は 100 から 120 ぐらいあって、 1 白鳥それでかなあ。あの映画見て 気にならないっていう芝居をすごくう シーンが 1 分ないんです。 いて、私、クマさんの映画を見ている まく演じてくれたんです。それで、選 白鳥えー。ああ、そうなの。 というと言いすぎかもしれないけど、 塩田どうもこの 1 つのシーンかど んでプロフィールを翻したら、石井隆 とっても懐かしい気がしたのね。それ んどん短くなっていっているというこ 監督の『甘い鞭』 ( ) に既に出てい で共感を持ったわけよ。笑いもあるし、 る人だった。芝居は軽く演じていなが とが、映画の弱さになっているという トンチンカンな男の子たちが出てくる ら、どこか一触即発な女の気配を漂わ 感じが前からずっとあったんですよ。 のも面白いし。日本映画で久しぶりに 白鳥まるでテレビみたいじゃない せているのがまた魅力的だったんです 面白い映画を見たなっていう気がした。 よね。 ね。 原点がロマンポルノっていうこともあ 塩田そうなんです。 1 つのシーン 白鳥面白い子だし、なかなかいな るし、だから自分のふるさとに帰った いわよね。久しぶりにドキドキするつ を最低限の情報だけ伝わればいいと ような気がしたのかもしれないわね。 ていうか、次、どうなるか見たいって うと、どんどん短くなっていっちゃう。 当然ロマンポルノの最低限の決ま ここでケンカしました、ということた いう映画を見たっていう気がしたよね。 り事は守っているわけですよね。 け伝わればいいという。でも、ケンカ 塩田川分に 1 度の濡れ場とは言え ■尺は短くても中身は濃い そのものがどれだけ面白く展開するか ないけれども、ヌードシーンか入って をやると、長くなるじゃないですか いるとか。基本、昔のロマンポルノは 塩田ありかとうございます。かな だから、なるべくシ 1 ンを長くして、 分でしたけど、今回は分以内とい り意識して狙った部分がありまして、 シーンの始まりと終わりが全然違った うちょっと緩い時間にして。撮影日数 神代監督のシナリオ集とか読んでいて 景色になっている。 1 つのテ 1 マで終は今回 7 日間ですね。でも初期のロマ わってない。リ も、 1 つのシーンがすごく長いんです 男のテ 1 マに必ずシ 1 ン ンポルノの頃は日とか 2 週間もあっ

2. 文學界 2016年11月号

ではないということが、あのシーンで して描いてみたかった。 いて。覚悟はしていましたが、日本と は勝手が違いました。日本だとわりと、 写真に撮られている以外は、活発 印象的に描写できた気がします。 あのシーンのジャンとマリーの動僕だったらそういうことをしそうだと に動く人物であるとか、そのあたりの きの中には、あの映画のいろんなエッ いう頭でスタッフがいて ことは、演じる彼女と事前にお話しさ れたのでしようか センスが凝縮されていたように思いま備が進むので。 あれが二日目だとすると、撮影初 黒沢事前に周到に話をしていたわ す。マリーが駆け降りていくとジャン けではないんですが、脚本にも少しは が見当たらなくて、少しして奥から荷日はどこをお撮りになったのでしよう。 物を抱えて出てくる。そこでようやく 黒沢これが何と、後半、ステファ 「階段を駆け上がってくる」とか書い ンが温室で幽霊と出会うという、あの てありましたし、彼女も何となくは分向かい合って二人が話をしますが、決 かっていたとは田 5 います。ただ、 いちばん大変なシーンからでした。こ 先ほ 定的に目が合うのは、一度離れた二人 れはきっかったですね。カット数も僕 ど言及してくださった、手紙を読んだ が、遠くからお互いに見つめていると にしては珍しく多くて、その一連を日 彼女が外に出てジャンに初めてまとも分かる瞬間です。次の瞬間、彼女がい が出ているうちに全部撮らなければい に出会って、駆け寄ってキスをすると きなりジャンに駆け寄って口づけをし けなかった。 いうくだりは、撮影の二日目、彼女の て、男を残してふといなくなってしま ですから、初日はステファンとドウ 出番の撮影初日でした。僕もどう演出 う。男女の出会いというものを、心理 的なドラマだけではなくて、アクショ ーニーズのやり取りで、二日目はジャ すべきかかなり迷っていたのですが、 語 を ンとマリーのやり取りを撮ったことに ンとして描かれていて、素晴らしいと 彼女にとっての初日な分、思い切って 田 5 いました。 なります。どちらも重要なシーンでし女 走ってもらおうと、右に行ったり左に プ たから、この二日を乗り切って、三日 行ったり、脚本からは想像できない動 黒沢何でもないといえば何でもな 目からは本当に楽でしたわ。スタッフォ いシーンなのですが、撮影はけっこう きを現場でお願いしました。コンスタ ンス・ルソーは戸惑っているようでし大変でした。スタッフもまだ二日目な たちも俳優も、「あ、監督はこういうゲ たか、とても熱、いにやってくれました。 要求をするんだ」そして「このペース ので、「えつ、このシーンでこんなに で撮影すれば期間内に撮り終えること 結果的に、映画内でマリ 1 がほとんど動くの ? 」という反応で、あわてて移 かできるんだ」ということをわかって 人形のような瞬間もあるが、それだけ 動レールを敷いてバタバタしてやって

3. 文學界 2016年11月号

る主人公が女の子に服を作ってもらう写真を向かい合わせに引き合わせる場が喜んで思わず窓辺に寄ると、作業し ことになり、公園で風が吹いている中面がありますね。あんなことをどこか ているジャンが見える。それまでジャ で体の採寸をするので、二人の体がも ら発想されたのか ? ンのほうが一方的に彼女を見ていたの のすごく接近するという。そのなかで、 黒沢あそこは好きなシ 1 ンですが、 に、あそこで彼女のほうが一方的にジ 採寸される側の哀川翔は動かずにカナ たしかにあれは無茶ですね。なんであ ャンを見つめることになります。ずつ 立っている、という場面です。我なが んなことを思いついたのか、よく覚え と固定されて動きを封じられていたマ ら気に入っていて、今回、あの感じを ていないですが ( 笑 ) 。 リ 1 か、あの瞬間に急に走り出す。彼 出したかったんです。 後のシーンで固定器を外した瞬間女、このシーンではかなり動きますよ あの採寸のシーンは、風でザワザ に、ヒロインか倒れるところはありま ね。 ワ揺れる木々も含めて記憶に残ります。 すが、一瞬、死んでしまったのではな 黒沢あの辺がまさに、十五年前に 黒沢触れ合うけど、それは機械的 いかと妄想が広がりました ( 笑 ) 。死発想してから二転一二転しつつ、今、フ な作業をするためであって、結果的に んでいるのに気づかないで、その死体 ランス映画としてこれを現代という時 目線を交わすより更に接近してしまう。 を生々しい写真として残す。黒沢さん 代で作るのだとなった時に、新しく付 僕の恋愛表現の限界はこのあたりまで らしいと妄想しましたが、気絶しただ け加わっていった部分です。つまり、 なんです。 けでした ( 笑 ) 。 マリーをどんな女性として描こうかと 固定器で体を固定する場面は、生 黒沢さすがにそこまで無茶はしま いうことです。犯罪ものとかホラーも きているはずの人間が逆に人形のよう せんでした ( 笑 ) 。 のとかいった純粋なジャンル映画にす に見えてきますし、そのダゲレオタイ るならば、多分要らないシーンなんで プで撮られたヒロインの写真は、まる ■現代のバリジェンヌを描く す。単なる幽霊だったり、犯罪の片棒 で生きているように生々しいという 転 を担ぐだけの役だったら、それ以外の 倒が生まれます。 三度目に音楽が流れる場面なので彼女の描写、彼女の欲望のようなもの すが : 黒沢ああ、そう見えたとしたら嬉 固定器の場面の直後に、マ は不必要ですが、今回はそこまでジャ しいですね。 に植物園から手紙が届きます。採ンルの規則に縛られず、いくつかの描 写真といえば、母親の写真と娘の 用面接をしたいという文面を見た彼女写で、現代の若い に住む女の子と

4. 文學界 2016年11月号

映画のはずですが、あさま山荘事件を シネマヴェーラ渋谷の特集では、 の事務所によく出入りしてたんだよ。 一度東映にも連れて行って、プロデュ 『脱出』 ( 七 (l) という、東宝でお蔵入連想させるシーンがあるという理由で お蔵入りになったんですよね。 りになった荒木さんの主演作を上映し 1 サーの天尾完次さんに、「こいっ何 よしのり 荒木今見るときっと、悪くないと ます。監督の和田嘉訓は、異色作『自 とかならない ? 」と話もした。彼女は ころもあると田 5- フんだ。ちぐはぐと、 耳にサソリの刺青をしているから天尾動車泥棒』 ( 六四 ) でデビューし、寺 うか、見られるシーンと、これは見ち 山修司の小説『あ、荒野』をもとにシ さんはよく覚えていて、「愛のコリー ゃいられないというシーンかバラ、ハラ ナリオを書いた人です。 ダ』について記事が出たとき、「主演 に出てくるんじゃないかな。現場で強 荒木あれは、全然ダメな監督だね。 の松田英子、あれは市川魔胡だよ。耳 く抵抗して「それじゃ駄目だ」とやっ 現場での指示がめちゃくちゃなんだよ。 にサソリの女、紹介してくれたじゃな たところと、「もういいや」と流しち 他に石橋蓮司、原田大一一郎、ピ 1 トマ い」と言われて、僕は全然知らなかっ やったところかあると思 , フ。 ック・ジュニアが出ていてね。これじ たからビックリしたよ。やらなくて良 たた、その映画を通じてビートとは ゃあダメだってみんなが言うわけ。そ かったなと思った ( 笑 ) 。 すごく仲良くなってね。その後、中島 ういう時、僕はいつもリ 1 タ 1 格にな 荒木さんの音楽の大作「僕は君と さんの『ポルノの女王につばん っちゃうんです。僕が、「どうしよう 一緒にロックランドに居るのだ」は、 >< 旅行』の主題歌を歌ってもらった。 もねえよな」と言うと、蓮司なんかも もともと天井桟敷の芝居のために書か 主役をやって音楽もやるのは嫌なので。 「そうだよな」って賛同するんだけど、 れたそうですが ビ 1 トに歌わせたら、最初、あまりに いざ監督が来ると、蓮司が一番最初に 荒木寺山修司さんから頼まれたん きれいに普通に歌うから、ずつこけた 「はい、わかりました」みたいにオ だ。アレン・ギンズバーグの長篇詩 サルだ ね。「お前、半分は黒人の血を引いて ちゃ - フ。しかも、蓮司はリハー 「吠えるに曲をつけてもらえないか、 いるんだろう。お前にあてて曲を書い とすごい面白いのに、本番では全然面 それを・ < ・シーザー ( 天井桟敷の たのに、なんで歌謡曲風に歌うんだ 白みがなくなっちゃう。その頃は、本 音楽・演出 ) が演るからというので、 よ」と言ったら、歌い方を変えて、ど あの歌を作ったんです。で、渡したん番に弱い役者だった ( 笑 ) 。まあ、そ んどん良くなった。あれは本当におか ういう感じで現場はすごく面白いんだ 、、こけど、そのままになっちゃったから、 しかったよ。 けど、監督には常に抵抗してた。 じゃあ自分でやってみようかと思って、 一九七一、七二年に、荒木さんは レコーディングしたんだ。 西村京太郎の原作ですから、娯楽

5. 文學界 2016年11月号

いうくだりだったのだ。 佐久間宣行 ~ 僕からすると、その前後の週のほうがドキ「どのくらい。」 ドキする内容だった。これはついに CQA*O に 「いやほんのちょっと : : : 一一本くらいです」 呼び出されるのではないだろうか、そんな気話した方も話された方もいたたまれない 持ちだった。 ちょっと頬が赤らんでいる。これを各所でや ポテト : し」田 5- っ . でも大変面白いシーンだったので、悩んでるのだ。その度なんでこれなのか : 放送することを決めた。「いやこれは最後に俺はもっと格好良く戦いたかった。しかし、 カタルシスをえるためにはどうしても必要なその瞬間に田 5 い出した言葉があった。 表現たったんです」と、戦うつもりでさえい 最近制作した番組「ご本、出しときます ね ? ドの最終回、ゲストの西加奈子さんが語 だから怒られるならその週が良かった。そ った人生のルーレ。 のほうかいいからだ。 『誰かは傷つけていると思いながら書く』 「ゴッドタン」というお笑い番組を結構長く なんで、芸人がお尻の穴に入れた指でポテ災害があったから被害の規慎が大きいから とんな表現も やっている。水曜深夜で始まり色々あって土 トフライを食べたくだりで怒られなきゃいけ 表現に気をつけるのではない。、、 曜のさらに深夜に移動して、今年で十年目。 ないんだいやそんな大事ではないんだが、誰かは傷つける可能性があるという覚悟をも 番組内容的に揉めたことや怒られたことは苦情のメ 1 ルが複数来た場合は上司に報告すって書くというのだ。この言葉が発されたス タジオで僕は思わず下を向いた涙が出たか ないのか ? とよく聞かれるが、実は一度もる責任がある。そしてその際にはどんなシー 、ーっヾ ' 、 0 ない。なので取材などでは「視聴者と共犯関ンか説明しなければいけない。 係を結ぶことが必要です」などとしたり顔で「ええとですね : : : わだかまりのある芸人同 そうだ、格好いい悪いではない。とにかく ったものだ。 士が仲直りする企画で : : : お尻の穴の匂いを傷ついた方がいたのだ。笑わせられなかった しかし、先日十年目にして初めて怒られた。 ドッキリでがせるというノリが前の週から時点でこっちの負けではないか。そんな覚悟市 怒られるのはまあいい。問題はその内容だ 盛り上がりまして : : : まあちょっとエスカレならバカな笑いに 挑戦するのはやめればいい。 そのシーンとは、ある芸人がお尻の穴に指 1 トして : : : それで最後にその指で目の前に そう思い僕は報告を続ける。 を入れたその勢いでポテトフライを食べるとあるポテトフライをいきなり食べたんです「食べなきやでした ? 」 Author's Eyes Television

6. 文學界 2016年11月号

そのビル内にいて飛行機の衝突に遭遇するという視点で撮ら れたシーンとビルに近付いてくるジェット機をアップで撮る シーンとのカットバックで「臨場感」のある絵を作るはずだ。 焦点の合わない、あのロングショットの映像が、映画制作者 が作ったものなら、間違いなくボツにされただろう。 映画を評する時にしばしば使われる「迫真の場面」といっ た表現は、本当に現場に居た当事者が見た光景をそのまま再 現したものではなく、事後的に構成されたものに対して使わ れるものである 本当に事件の現場に居て、その事件を直に体験した者の言 葉はむしろ漠然としており、欠落を多く含むものである 大震災直後の一一〇一一年六月に出版され話題を呼んだ本に 「つなみ被災地のこども人の作文集』 ( 「文藝春秋」二〇一 一年八月臨時増刊号 ) がある。題名の通り、津波の被害にあ った子どもたちの書いた作文を掲載したものだ。 その中に仙台市の若林区で被災した小学校一一年の女の子の 作文がある 帰るとちゅうに強いじしんかきまました。つなみかき たからびつくりしました。でもつなみが大きかったので、 びつくりしました。つなみがきて大きくなってはじめて です。そのときは、だれもいませんでした。がんばって 学校の 2 かいで 1 ( ひ ) とりでいたのでさびしかったで す。 友だち 2 ( ふ ) たりがいたのでだいじようぶでした。っ なみのせいで大切なものもながされました。でもこんど 家にあったものをさがしにいきます。まどから見てたら 8 メ 1 トルいじようありました。でもがんばって学校で 一日すごしました。 一読して意味が上手く読み取れない箇所が多数ある。学校 の二階に一人でいたと書いているが、次の段落では友だちが 二人いたとある。だから、友だちは二人いたが、家族がいな かったので寂しかったということなのか大切なものが流さ れたとあり、それは家にあったもののようだが、そのことと 窓から見たら五〇メ 1 トル以上あったものとは関係があるの か、ないのか。また何が五〇メートルなのか。津波の高さに しては高すぎる。が、子どもの目から見るとそれほど巨大に 見えたということか。あるいは五〇メ 1 トル以上の範囲が津 波で浸水したということなのかここも判然としない。 このようにこの少女の作文は意味の不明療な箇所が多い 小学二年生の書いたものだからとも考えられる。しかし、同 書に掲載された、この子と同じ一一年生やより年少の一年生の 書いた作文では、自身の体験したことが時系列にそって整然 と書かれている。この少女の個人的資質の問題かもしれない しかし、そうした形式的に整った作文よりも、この少女のほ とんど支離滅裂なものの方が、むしろ読む者の心に強い印象 を残す。 実は、震災でこの少女はとても苛酷な状況にあった。津波 で母親と幼い弟を亡くしていたのだ。それだけではない。父

7. 文學界 2016年11月号

あるいはそうあるべきだという信仰告白でもあり、そうした あるいは言葉の、無力さを素朴に表明することで被災者の仲 意識そのものが極めて近代的特権意識の表れであることはす 間に入るのでなく、そうした言説を茶化すことで「作家意 でにピエール・プルデュ ( 「芸術の規則』 ) ゃあるいはポー 識」に批評的距離を置き、安易に当事者性を確保しようとは ル・べニシュ 1 ( 『作家の聖別』 ) の研究を通じて明らかにさ すまいとすることで間接的ながら当事者性を維持しようとい うことであった。 れているカらだ。 『恋する原発』のクライマックスともいえる、原発の前で二 文学の無力さの表明自体、凄惨とも言える震災の現実を前 にした素直な言葉であるのだが、それは悪意を以て解釈すれ 万人でセックスするシーンを撮影するという設定の意味も当 ば、家族を失い家を流された被災者に対して、あなたがたも事者性に距離を置くことでかろうじて当事者性を獲得しよう とす・ることにあると一言えよ - フ 大変でしようが、われわれ作家もまた信じていた文学の無力 さを痛感させられた悲痛な経験をしたのだと告白し、被災の すでに指摘されているようにこの二万人という数は、震災 当事者たらんとする言葉とも取れるのだ の死者・行方不明者の数を示すものである。そうした数での セックスシーンは端的には死者への冒漬ということになる。 仙台に住み震災の被害を直接被りあまっさえ故郷の気仙沼 そうした冒漬的表現が必要とされたのは、震災発生以後に日 の悲惨な状況を震災発生直後に目にし、その経験を元に作家 の中でも最も激烈な言葉を綴った熊谷達也は、一一〇一一年七 本中を覆った死者への追悼と自粛の空気へ抵抗するためであ る 月号の「群像」のエッセイで「三月十一日以後、仙台に住む 私は、中央から発信される言葉の多くに、妙に苛立ち、腹が なぜ抵抗せねばならないのか。それは、追悼を、本当に追 立って仕方のない日々が続いている。腹が立っ言葉を運んで 悼を必要とした者たちの元へ送り返すためだ。 二万人の死者・行方不明者がいるということは、その数倍 くる媒体も様々だが、いつものように送られてきた各出版社 の遺族・関係者がいるということである。仮に十倍いるとし の小説誌 ( 四月発売の五月号 ) には、正直、反吐が出そうに よっこ 0 ナこんなときに、暢気に小説なんか書いている場合 て二〇万人だ。それは膨大な数だが、それ以外の者にはその か ? 書かせているほうも阿呆だが、書いてるほうも輪をか 死は無関係なものである。 けて阿呆だ」と書いている。 現在日本では日々三〇〇〇人前後の人々が病気や事故等で 熊谷の言葉は、被災者の心情を代弁してあまりあるものだ。 亡くなっている。一週間で震災の死者・行方不明者と同等以 上の人が亡くなっていることになる。しかし、われわれは特 作家の表明した痛恨の念など実際に被災した者にはヘの突っ 張りほどの価値もなかったはずだ。 に家族や知人がその中に含まれない限り、何事もないように だから、高橋が『恋する原発』でとった方法は、文学の、 生活を送っている。震災の時のみ、無関係な人間までも追悼 210

8. 文學界 2016年11月号

きると思っていたんだ。深作監督だし、 かったと思う。でも、あれを入れたら、 当時、中島監督作で最もびつくり 完全に「モグラ」が主役になっちゃう 当然やりたいと思っていたけど、体調 したのは、『現代やくざ血桜三兄弟』 降りるしかな の問題だから仕方ない。 ( 七一 ) です。やくざ映画のふりをし 代わりに出演した拓ばん ( 川谷拓 荒木さんは中島監督ととても相性 たアンチやくざ映画ですよね。主役が 一一 l) にとっては、よかったよね。その 菅原文太かと思っていたら、後半、荒が良いと思える一方、深作欣一一監督と は結局、接点が見つからなかった印象後結局、深作さんとは一本もやってな ーテンの「モ 木さん演じるさえないバ いから、深作さんはこの事情を知らな を受けます。 グラ」が一挙に話をさらってしまう。 東映側は当然、僕が悪いと言って 荒木ああ、全然そうじゃない。深 荒木そうなんだよね。あれはでも、 いるたろ - フ。それはそ , フい、フものたし、 作さんと僕はすごく合うんだけど、条 台本だと「モグラ」のことがもうちょ しようがないですね 件の問題なんだ。『仁義なき戦い代理 っと書かれているんだよ。だけど、カ 先ほどの「血桜三兄弟』では、共 戦争』 ( 七三 ) を降りたのは、全く自 ットされたんだ。「モグラ」が鉄砲玉 演した渡瀬恒彦さんが、荒木さんとの 分の体の問題でね。最初に東映が条件 の小池朝雄さんを刺しにいくんだけど、 公園のシ 1 ンで演技開眼したという、 くのは を出した時、「広島のロケに行かなく 完成した映画では、刺しにい 有名なエビソードがありますわ。 ていいんだったら出る」と言っていた 「モグラ」がやくざになりたかったか 荒木映画の役の上では僕が渡瀬の んだ。その当時、京都まで行くので体 らという風につなげちゃっている。で 下っ端だけど、実際は自分の方が先輩 も本当はそうじゃなくて、花売り娘調がもうギリギリで、広島まで行くの だからね。「血桜 5 」の時、渡瀬は俺 はちょっと無理だから、それだけは勘 ( 早乙女ゅう ) のために行くんだ。花売 にべッタリくつついていて、俺が出て 弁してくれと。それで向こうも「分か り娘が小池さんにやられちゃって、病 いるシ 1 ンはほとんど全部、横にいて りました」と 院に入院している。「モグラ」が見舞 衣装合わせしている時、深作さんが見ていて、笑って面白がっていた。彼 しに行くと、娘が顔をこんな腫れさせ もそのぐらい気持ちが入っていたから、 いいな」「かっこ、 ちゃって、それを見ているうちに決断横で「かっこ 俺が芝居をつけて。「渡瀬、こうやっ って何回も言う。自分も気持ちが入っ するんだけど、その場面が大幅に切ら て、こうやって」と全部動いてみせて、 ていたそれをいきなり、やつばり広 れちゃったから、お客には分からない 面白いシーンを作っていくんです。脚 島ロケだと言われて、どうにもならな わけだよ。頭にきて抗議したんだけど。 いよね。向こうは、なし崩しで説得で本はすごく優れているけど、渡瀬と自 あのシーンを入れたほうがずっと面白

9. 文學界 2016年11月号

食べ物は好きだが味には興味なし ? ト、くヤマユキコ ェイミー ・べンダーの不思議な昧覚 とでも言いたげ しカどうかには興味かない ェイミー・べンダー「レモンケ 1 キの独特小説の中の食べ物表現は、官能表現に近い ところがある。美味しそうであれば、読者もな作者の態度は、彼女が得意とする短編小説 なさびしさ』は、食べ物からさまざまな情報 を受け取ってしまう超能力少女「ローズ」が食欲を刺激され、快い気分になれるし、不味でも変わらない。『燃えるスカートの少女』 そうであることも、褞の官能、グロテスク所収の「指輪では、泥棒夫婦の妻が、盗み 主人公。ひとロ食べれば、原材料の産地や、 作った人の心情などがわかってしまう。疲れ趣味として受け止められる。でも、本作の食に入った家で砂亞の中からルビーの指輪を 発見する。それは、ひとたび砂糖壺から出さ べ物表現を官能と結びつけることは難しい た農夫に摘み取られた野菜が、せつかちなシ エフによって苛立ち紛れに調理されようもん美味しい / 不味いを超えた、とても微細な情れると、触れるものすべてを真っ赤に染めて しまうという、なんだか変な指輪で、うつか なら、どんなに上手な味付けがされていたと報によって、食べ物が組み立てられているか ら、その情報について考えるのが、どうしてり海に落とせば、「血だ、誰か非常に大きな しても、殺伐としていて食えたもんじゃない。 も先になる。たとえば、ローズが初めて自身人の大量出血だ」と大騒動が巻き起こる。 美味しいものを食べ幸せを感じることが、ロ 1 ズにはとても難しいのだ の能力に气ついたのは、母親が作ったレモン指輪が入っていた砂糖壺の砂檀たけが指輪 食べ物は情報過多の「やかましい」ものにケーキを食べたときだが、「レモンとチョコの影響を受けないと气ついた彼らが、砂糖を レ 1 トはただ、 なめるシーンで作品は幕を閉じる。「特別な 空虚をとりまいているみた 姿を変え、多くの場合、彼女を傷つけたり、 悲しませたりする。逆に、わたしたちが味気い」なのだと感じている。彼女がキャッチす砂糖」は一体どんな味なのか。「これはふつ ないと感じる工場製品の方が、人の感情が入るのは、母親が胸にしまい込んでいる「不在、うの砂糖とまるでおなじ味だよ、と彼は私の り込まない分、食べやすかったりするのだっ飢え、渦、空しさ」といった感情であり、そ耳にささやいた。 / しいーっ、と肩で彼の肩 に触れ、手に砂糖の新しいひと山をすくいと覗 うなってくると、 1 者としても、レモンケ 1 た。も、フすぐ 9 歳になろ - フカとい - フタイミン グで突如覚醒したこの能力に、ローズが戸惑キの美味しさに集中できなくなってくる。でりながら、私もつぶやき返した。秘密よ」 味 ・・え、まさかのふつう味かよ。でも、それ うのは当然だ。大人になってローズはようやも、そんな風に食べ物のシーンを読み進める でこそェイ、、、 1 ・ べンダーだよなあ、という くこの能力と、フま′ . 、付き△ロえるよ - フになるか、体験自体は、とても一囲白い 食べ物を登場させるのは好きだが、美味し納得感があるのもまた事実だ。 そこまでの道のりはかなり長いし、キッい 連載第ニ十回

10. 文學界 2016年11月号

普通の青春映画っていう感覚で見てい たんだけど。 塩田言っちゃえばそうなんですけ どね。特に神代監督の作品は総じて青 春映画ですよね。 白鳥確かにそれはそうだね。 塩田人間が完成することを望んで ない人たちじゃないですか。完成して 1 ー」「 完全な大人になっちゃったら、物事が 動かなくなっていっちゃうじゃないで すか。神代監督の世界はみんな未完成 の人たちが常に緩やかに、あるいは激 しく動いている世界だから、青春映画 ですよね。 ■曾根中生作品の脚本を 白鳥『風に濡れた女』は、あの主 人公の女の子の得体のしれないところ かすごく面白かった。やつばりクマさ ん、中川梨絵からの脈々とした流れを 受け継いでいる女の子だなっていう感しかないということなんですよね。ど じがして。 うも分から分ぐらいの尺と自分は 、という意識があって、 これはオリジナルのシナリオ ? すごく相性かい ( 塩田そうです。そもそも日活ロマ 「どこまでもいこう』 ( 的 ) も分しか ないんですよ。今回の作品の前に『昼 ンポルノを撮るとは思ってもみません でしたから、オファ 1 がなければ考え も夜も』 ( ä) っていうネットドラマ もしなかったストーリーで。僕がロマ を作って、瀬戸康史と吉永淳 ( 阿部純 ンポルノが好きな最大の理由は、間分子 ) っていう二人が出ているんですけ ど、これが、不ット上では川分ごとぐら いのプロックに分けていたのを再編集 して 1 本につないだら分だったんで す。同じ二人で撮った深夜ドラマの 『スパイ特区』 ( 肥 ) も一本化したら祐 分。やつばりこの尺が自分にすごい気 持ちいい尺なんだっていうのがずっと あったので、この話が来た時に、ぜひ やらせてほしいと田 5 って受けたんです。 で、最初に考えたのが、女の人が自転 車で海に突っ込んでズブズプと這い上 す で がっていく登場シーンだったんです。 その女に男が徹底的にいじめられまく不 るという発想で、あとは、その頃ネッ久 トで、最近若いお金のない人たちが、 地方の安い土地を買って自作の掘立小 ン マ 屋を建てて住むのがプームというニュ ースを見て、それを掛け合わせたんで活 す。 白鳥「恋人たちは濡れた」の続編 みたいで、いきなり出だしからほんと 「恋人たちは濡れた」より。中川梨絵。 @nikkatsu