きると思っていたんだ。深作監督だし、 かったと思う。でも、あれを入れたら、 当時、中島監督作で最もびつくり 完全に「モグラ」が主役になっちゃう 当然やりたいと思っていたけど、体調 したのは、『現代やくざ血桜三兄弟』 降りるしかな の問題だから仕方ない。 ( 七一 ) です。やくざ映画のふりをし 代わりに出演した拓ばん ( 川谷拓 荒木さんは中島監督ととても相性 たアンチやくざ映画ですよね。主役が 一一 l) にとっては、よかったよね。その 菅原文太かと思っていたら、後半、荒が良いと思える一方、深作欣一一監督と は結局、接点が見つからなかった印象後結局、深作さんとは一本もやってな ーテンの「モ 木さん演じるさえないバ いから、深作さんはこの事情を知らな を受けます。 グラ」が一挙に話をさらってしまう。 東映側は当然、僕が悪いと言って 荒木ああ、全然そうじゃない。深 荒木そうなんだよね。あれはでも、 いるたろ - フ。それはそ , フい、フものたし、 作さんと僕はすごく合うんだけど、条 台本だと「モグラ」のことがもうちょ しようがないですね 件の問題なんだ。『仁義なき戦い代理 っと書かれているんだよ。だけど、カ 先ほどの「血桜三兄弟』では、共 戦争』 ( 七三 ) を降りたのは、全く自 ットされたんだ。「モグラ」が鉄砲玉 演した渡瀬恒彦さんが、荒木さんとの 分の体の問題でね。最初に東映が条件 の小池朝雄さんを刺しにいくんだけど、 公園のシ 1 ンで演技開眼したという、 くのは を出した時、「広島のロケに行かなく 完成した映画では、刺しにい 有名なエビソードがありますわ。 ていいんだったら出る」と言っていた 「モグラ」がやくざになりたかったか 荒木映画の役の上では僕が渡瀬の んだ。その当時、京都まで行くので体 らという風につなげちゃっている。で 下っ端だけど、実際は自分の方が先輩 も本当はそうじゃなくて、花売り娘調がもうギリギリで、広島まで行くの だからね。「血桜 5 」の時、渡瀬は俺 はちょっと無理だから、それだけは勘 ( 早乙女ゅう ) のために行くんだ。花売 にべッタリくつついていて、俺が出て 弁してくれと。それで向こうも「分か り娘が小池さんにやられちゃって、病 いるシ 1 ンはほとんど全部、横にいて りました」と 院に入院している。「モグラ」が見舞 衣装合わせしている時、深作さんが見ていて、笑って面白がっていた。彼 しに行くと、娘が顔をこんな腫れさせ もそのぐらい気持ちが入っていたから、 いいな」「かっこ、 ちゃって、それを見ているうちに決断横で「かっこ 俺が芝居をつけて。「渡瀬、こうやっ って何回も言う。自分も気持ちが入っ するんだけど、その場面が大幅に切ら て、こうやって」と全部動いてみせて、 ていたそれをいきなり、やつばり広 れちゃったから、お客には分からない 面白いシーンを作っていくんです。脚 島ロケだと言われて、どうにもならな わけだよ。頭にきて抗議したんだけど。 いよね。向こうは、なし崩しで説得で本はすごく優れているけど、渡瀬と自 あのシーンを入れたほうがずっと面白
語辞典第 7 版新版」岩波書店 201 「ちょっと黙ってて ! 今集中して考 やった」と告白すると、「何やってん えているんだから」 の ! と叱られて下手に言い訳などす 1 年 ) などと解釈すると、相手の気分、 さっき考えろって言ったじゃないか、 ひいては人格の問題になる。「機嫌を ると分余り口論となり、ふたりとも と私は憤ったのだか、これもタイミン その日の予定が狂う。ひとっズレると うかがう」「機嫌を取る」というのも グの問題である。さっき考えていなか ドミノ倒しのようにズレていき、お互 相手の気分次第ということになり、 ったのが悪いのであって、今考えて 「機嫌が悪くなる」わけだが、何 ずれにしても相手の問題。無意識のう ももう遅い。あの時はあの時でこの か悪いのかというとタイミンクか悪、 ちに相手に責任を負わせているわけで、 時はこの時なのである。すべてはタ タイミングが悪いことが原因で気分も 結局は悪口に展開するだけではないだ ろ - フかしかしこれをタイミンクとし イミング。かって道元もこう説いて 悪くなっているわけで、原因と結果を て考えれば、たまたま会った時のタイ取り違えてはいけないのである。先日、 ミングが悪かったことになり、それは花屋に出かけた時もそうだった。妻が 有はみな時なり。丈六金身これ時な 双方の問題である。機嫌が悪いのはお真剣な表情で花を選び、アレンジしな 互い様。機嫌を直してまた会えばよい から何度も私に「どうう ? ーと訊し ( 『全訳正法眼蔵巻こ中村宗一 た。訊かれるたびに「いいんじゃな と前向きになれるのである。 訳誠信書房昭和年 ) 「いいと思う」と答えていると、 あらためて内省してみるに、私も 彼女は「本当に考えているの ? ー「自 「機嫌が悪い」と思う時は、すべての 存在はすべて時。時を究めて仏とな タイミングがズレているような気がす分の意見はないのか ! 」と私を問い詰 るのだ。確かにすべてをタイミングだ めた。正直言えば何も考えていなかっ る。出かける時に何かを忘れ、「忘れ と考えれば、人を恨むこともなくなり、 たので、私は私なりにアレンジを考え た」と気がついた瞬間に、何かをし損 てみることにした。しばらく悩んだ末、気も楽になる。「機嫌はまことに有人 ねる。銀行の <E--> で汗を拭こうとし り難い教えといえるのだが、大抵はタ悩 てハンカチがボタンに触れそうになり、 彼女に「この花にこの花を合わせたら イミングがわからなくて不機嫌になる どうかな」と提案すると、彼女はこう 慌てて別のボタンにタッチしてしまい のである。 制した。 すぐに妻に電話して「さっき間違えち
「どうしました ? 」訊きながらドアを半分だけ開けてみる。 「はい、ちょっと、バスルームを貸してもらえませんか ? 」 玄関口に立っている中年男は、メールで数回やりとりした だけのアメリカ人編集者だ。今夜に会う約東をしていたわけ ではないし、そもそも住所を教えてすらいないなぜうちな のだと阿部和重は内心いぶかるが、白シャツにおおきな赤黒 い染みをつくっていて、両手も血で汚れている。彼自身の血 液なのだとすれば、もう駄目なんじゃないかと思わせるほど の出血だ。ここでドアを閉めたら人でなしの仲間入りだが、 それでも、 ( いかという気もしてしまう。不吉な組み合わせの タロットにでもとりかこまれた気分だからだ。 「ありがとうございます、阿部さん。でも、救急車とかは、 絶対に呼ばないで」 先に言ってくれよと阿部和重はロに出しかける。やばい事 情がひかえているのは間違いなさそうだ。それこそ、重傷者 を門前払いにするのさえためらわずに済むようないわくつき なのかもしれない。 こうなったら理由は聞かずにおくほうか おのれの身のためではある。 「パパきてよ、ハハ 息子の映記がリビングで泣きさけんでいる。あまりにも歯 みがきを拒否するため、躾としてプラックナイト衛星の恐怖 を誇張して教えてやり、画像まで見せてしまったのがまずか ったようだ。字宙人にさらわれてしまうとおびえ、眠れなく なっているのだ 0 、 0 、 、 0 、 0 、 、 0 、 0 、 、 0 、 0 、 古今東西の予言者が警告する通り、厄介事というのは重な る。映記はクラスの絶叫を織りまぜて、父親を呼びよせ ようとしている。数軒の屋根が吹き飛ばされていてもおかし くない勢 いだここが共同住宅ならば即刻隣人に怒鳴りこま れている。そのうえ眼前には、血まみれのアメリカ人。かっ て経験したことのない、たいへんな一夜になりそうだと阿部 和重は覚悟する。人生をハッピーにするための試練だと無理 矢理に思いこみ、経験の幅をひろげてゆくしかない 「おお、失礼、ごめんなさいね」 子どもか泣きさけぶ声を耳にし、死にかけのラリー・タイ テルバウムが恐縮している。表情をひどくゆがめているのは 心の苦しみか体の痛みのせいなのか、あるいはそのどちらも カ 「こっちです、歩ける ? 」 阿部和重は緊急人道支援にとりかかる。状況が有無を言わ さない。 ラリ 1 は律義に靴を脱いでついてきた。床のきしむ 音が倍増する。浴室が玄関からすぐに位置しているのは双方 トアを開け、明かりをつけてやると、ラ にとって幸いした。。 丿ーはかかえていたバックパックに右手を突っこみながら脱皿 衣所を通過し、湯のないバスタブに全身を沈めた。このまま 死んでしまうんじゃないかという悪い予感がよぎる。バスタ 0 プが棺桶に見えたのだ。 阿部和重はいったんリビングへひっこむ。泣きじゃくって
履き替えようと思い玄関に踏み込んだ。部屋は暗く、到底人 かいるとは思えなかった。の疑念はいっしか確信へと変わ っていく。靴を履き替えながら、いるか、と声をかける。 返事は、案の定なかった。—はもういないが、当初の計画通 りが囮となったのだ。は心臓が確実に早く鼓動を打つの が分かった。強く伸縮するたびに、のど元まで心臓がせりあ かってくるかのようだった。 ドアを後ろ手で閉め、一目散に車へと駆け出す。ダッシュ ポ 1 ドにある懐中電灯と、—の拳銃をわずかな時間眺めた。 あの雪山の中でこれを手に入れてから、当然今まで一度も 撃っことはなかった。ただ 幾度となく構え、引き金に指をか けた。この時も、何故か拳銃を手に取り、右手で銃を構える。 前側はハンドルが邪魔で指向できなかったため、助手席側に 腕を伸ばした。鉄が体温を奪う。腕の先に手が、親指の付け 根が、銃身がある。その先にある照星が息遣いに合わせて揺 れた。窓ガラスの向こう側には見慣れた宿舎のガラス戸があ った。構えつつ、動くものを狙うのは自分が誰かに狙われた ときだけだ、と自分に言い聞かせる。そうしなければ、いよ いよ自分が自分でなくなるように思えたからだ。はそれを ズボンの後ろに乱暴に差し込み、エンジンをかける。 峠への道のりを頭の中でなぞるも、体は全く違う方向へと 向かっていた。の実家の前まで来ると、家の電気が全て消 えていることを認めた。どこかで、熊になったのがでなけ ればいいと田 5 っていた。しかしの家にも、実家にもはい なかった。このことが示す事実はさほど多くはない。は当 初の予定通り峠へと向かった。 峠に降り立っと、案の定意気揚々とした様子の町民たちが いた。今までと同じく、みな鎌や猟銃を手にしている。 小太りの男がを認めると小走りに近寄ってきた。 「君、遅いわ。もう一陣は出ちゃったよ」 たった。いっかの時と同じく、黄緑色のベストに上下 二連の猟銃を肩にかけていた 「どっちの方向にいきました ? 」 「峠のほうさ。すぐに見つかっちゃうだろうなあ」 課長の声音は、やはりどこか残念そうであった。があい まいに返事をすると、課長は峠のほうへと足取り軽く向かっ ていった。はそれを見送り、別の方向へと向かおうとした が、唐突にのあの平坦な顔が脳裏をよぎった。 右手を腰に回して銃を取り出した。銃把を握りしめ、撃鉄 を起こす。自分でも一切わからなかった。この町にいっしか すべて溶け込んでしまったのかもしれない。やはりこの町は ( し力もー ) 生き物だ。そしてこれは免疫だ。反射といっても、 れない。そんな反応に善悪などないし、それについて言う言 、 0 ヾ とこにいてもそれは同じだ。 葉を持ち合わせてもいなし つい先ほどまで町を出ようとしていた自分が嘘のように えた。下腹部のあたりがいやに熱くなる。興奮していた。町 に閉じ込められていたのではなく、体に考えが閉じ込められ ていたのだ。自分の内と外がびったりとくつついたように田 5 えた。思うか早いか、は当初行こうとっていた道とは全 く違う方向へと歩みを進めていた。おれが町そのものだ。守 らなければならない。 はそう確信すると、峠へと駆け出した。 〈了〉
妻の一周忌以来顔を合わせていない娘にいまの暮らしぶり を仔細に説明しても心配されるだけだろうと思う。 「そう、よかった。それじゃあ、そろそろ」 会話を収東させようとする娘の気配を感じながら、三朗は いっかの宿題をふと思い出した。 「えっと、あのな、母さんのことなんだけれど」 「うん」 「母さんって何が生きがいだったんだろうか」 「生きがい」 いっかの妻に似た娘の声が、三朗の言葉を繰り返す。 「いやな、母さんはお前とは違って仕事をしていなかっただ ろう。お父さんが仕事で家にいない間、母さんは家で一体何 をしていたのかなとふとってね」 「園芸が好きだったよね、お母さん」 「えんげい」 即答する娘についていけず、三朗は聞き返す。 「お庭のこと。よくいじってたよね。お花とか、野菜とか」 「ああ、そうだったな」 そうだった。妻は庭が好きだった。三朗は自分に言い聞か せるように相槌を打つ。 「ごめん、そろそろ仕事に戻らないと」 「お盆にはこっちに帰ってこられないのか」 「どうかな、いま色々と忙しくて。ちょっとまだ判らない こういう時、大抵はだめなのだと三朗はう。 「そうか。体には気を付けてな。忙しいところ、すまなかっ たね。じゃあまた」 「うん、じゃあ」 娘が電話を切るのを確かめてから、三朗は電話を置いた 娘に会いたいでも、会えない。、 しま抑えようもなく体 ( たぎ 滾るこの狂おしさが、会えない不満なのか、それとも、会い い欲求なのか、三朗には定かでな ( とのみち会ったとこ ろで、何を話したものか判らず、ただ黙っているだけなのだ ろうことは目に見えている。三朗は自嘲とも自慰ともとれる 苦笑いを浮かべながら、いつの間にか指の間で短くなってい る煙草を灰皿に落とす。 あの中に娘はいるだろうか。三朗は、屋上の柵越しに遠く の高層ビル群をばんやりと眺める。三朗の住む世界とはまる で切り離されたように、遥か彼方の地上にゆらゆらと浮かん でみえる。かざした手の中におとなしく収まってしまうそれ は、しかし、どうやってしても掴めない。触れることさえ叶 わない。それを嘲笑うように、白い入道雲が蜃気楼の向こう、 真っ青な空高くに眩然と聳えている。 娘に会うのはきっと二月後だろう。ときめきと諦めとを同 時に抱きながら、三朗は重い腰をゆっくりと上げる。 「お疲れ様です」 三朗は乾いた布で鏡面を磨きながら、小さく頭を下げる。 開いた扉から乗り込んできた男は、三朗の発した声に気付 いてさえいないように、三朗の目の前で体の向きを返し、天 、 0 ヾ 105 弔い
数年後、埼玉で大学生活を送っていたあるを切った。その直條たった。「ピン、ポン」と、 日、母から電話があった。「はあちゃん、もう、部屋の呼び鈴が鳴った。その妙にスローな ずっと眠っていて意識が戻らん。一週間もた 「ピン、ポン」が僕の中に侵入してきて、直 感で、ばあちゃんが来た、と思った。こんな んと田 5 う。」僕はすぐに宀呂崎に戻った。 祖母は昏睡状態だった。一方的に話しかけ、 どしゃ降りの深夜に誰も訪ねてくる訳はなか その顔を目に焼き付けた。帰り際、痩せた手つた。立ち上がりかけた彼女の手をとっさに に触れた。すると、驚いた事に、ふいに祖母掴み「開けないで」と言ってしまった。馬鹿 が目を開けた。そして本当にかすかな声で何げているかもしれないが、その時の僕は本当 祖母が会いに来てくれた愛しさと、死者 かを発した。悔いなきようにやれ、とかそう いうことだったと思う。そこが曖味なのは、 が会いに来てしまった恐怖で、が硬直し 人間が死ぬ間際に最後の力を振り絞っているてしまったのだ。そう思った自分にどこかで 失望したのを覚えている。まるで祖母を裏切 気迫のようなものに圧倒されていたからだ。 これまでずつ った気持ちだった。しばらくして静かにドア その相手が自分だったことに、 祖母は、鹿児島県の種子島に住んでいた。 と変わらず愛されていた事を全肯定しても良を開けたが、コンクリートの軒先は大雨にも そこで過ごす夏の何週間かが、僕は一年で かかわらず誰の足跡もなく、乾いていた いような気持ちになり、自分が破裂しそうに 最も好きだった。祖母は、この世の優しさをなった。 数日後、祖母は、母の夢枕に立った。 すべて集めて凝縮したような喋り方をした。 その翌日、祖母は亡くなった。僕がそれを祖母は、母が生まれ育ったあの種子島の家 忘れがたい笑い方は僕と弟に受け継がれた 知ったのは、飛行機で埼玉に戻り、アパートの屋根の上にいる。同じく亡くなっている 高校生になる頃、足が悪かった祖母はいよに帰りつき、心配して様子を見にきた彼女と いしでらの叔母はんッと、その旦那と、三 いよ独り暮らしが難しくなり、母が説得し、話していた時だった。母から電話があり、た人で屋根に上り、あの夏の台風にやられた瓦 僕達の住む宮崎に移ってきた。永年暮らしてったいま亡くなったという。 2004 年月を修繕しているのだ。悪かったはずの足でひ よこひょこと歩き回り、嬉々として大工仕事 来た祖父亡き後たった独りで守ってきた % 日深夜。 家を離れる祖母の寂しさはいかほどだったろ部屋の外は激しい雨だったが、頭の中は静をしている。母はそれを見上げて、思わず叫ぶ。 う。しかしその夏の終わり、種子島を猛烈な寂で満たされていた。「ばあちゃん、たった 「母ちゃん、生きてたのどうしよう、み 台風が襲い、裏山が土砂崩れを起こし、祖母いま逝ってしまった。」母は泣きじゃくってんなに葬式代を返さないと の家をめためたになぎ倒してしまった。 いた「そうか。明日帰るわ。」と伝え、電話祖母は笑っていた Author's Eyes Deathbed 井手健介 十三回忌一
に都合良く経済的なこともない。それに店の舞台裏ともいえ る厨房で、すべてが仕組まれた茶番である証拠を見つけてし まった際の心構えが、自分にはまだない しかし、水しか置かれていないテ 1 プルで、何食わぬ表情 で落ち着いて座っていられるような度胸もなかった。 「佐枝子さん」 一人で黙っていても、携帯もいじらず、読書に勤しむこと もせず、「退屈だ」と欠伸やため息を出さずにいられる彼女 の目を見て、わたしは話しかけた。 「何ですか ? 」 ごく真っ当な返答だった。 「この店はどう思いますか ? 」 自分でもどうかと思うほど、ざっくりした質問だ。わたし はそう言い終えると、馬とインディアンの絵柄が足首までを 覆うビーズで飾られた袋状の靴のつま先を見つめた。他に視 線を向ける場所が思いっかなかっただけだ。モカシンの靴な ど、そもそもこの店の雰囲気にあっているのか定かではない が、特に問題はないだろう。調度品の中にトーテムボ 1 ルの 一つでもあれば、なお安心。だが、必死になって店内を見回 したが、多分ない。 しかし、得体の知れない不気味なパワーによって、店全体 が奥に出現した異次元のトンネルに吸い込まれていく感覚は、 より進行するばかりで、彼女はその不穏な動きに一切気づい ていないのであろうか。わたしにとっては、かなりの緊張を 強いられる。胃が一層痛くなってくるのだ 「どうもなにも平均点の、これってどこの町にでもよくある 喫茶店のひとつに過ぎないんじゃないのかしら」 やはりそれが万人が即座に返す、模範解答というやつなん であろう。 「ふむ、平均点ね : : : やはりコーヒーを一杯頼んだだけじゃ、 自分が店を評価する基準を語るにまで至ってないわけね」 無様なまでの意見する資格のなさ。というか、わたしの意 見など誰も訊いていないし、そんなものは誰の役にも立たな 「ここを出ませんか、一緒に」 すでに店ごと異次元に吸い込まれ、完全なる崩壊の危険の 一歩手前 : : : なのか二歩手前、あるいは三歩手前なのか、も うよくわからなくなってきたし、もうどうでもよくなった。 役者志望のウェイタ 1 も、すでに違う次元の波に飲み込まれ てしまったのだろうと思う。この世界で二度と会うことはあ るい ォルフェ気分で後ろを振り返らずに、店を出る。会計は済 カナの闇たけカ ませたか不安。私と佐枝子が去った後には、こご 残ったはず。 ビル街を女とすり抜ける。吹いてきた向かい風が、ビル群 によって発生するビル風なのか、ただ普通の風なのかどうで もよく、われわれは突進してくる野獣じみた風に立ち向かっ て歩いた 途中、コンビニに寄りたい衝動に駆られたが、結局寄らな かった。商品棚を見る前に、特に何も買いたいものが思い浮 、 0
「まあとにかく、母さんのこともこうして落ち着いたわけで あるし」 : うん」 三朗の言葉に少し間を置いて頷いた美花は、もう冷めてい るだろうおしばりに手を伸ばし、手を拭うでもなく、両手の 指でその白い布を弄んでいる まあ、悩みは色々あるだろう。まずはこうして父親の気持 ちを伝えられただけで上出来ではないかと三朗は思う。 「お父さんな」 三朗は話題を変えることにした。 「最近、庭をいじるのが楽しくってな」 「へえ」 美花が少し顔を上げて、また三朗の方に目を向ける。 その顔は少し疲れてみえる。店内の煌々とした照明のせい かもしれないと三朗は思う。 「庭はな、愛情をかけた分、ちゃんと応えてくれるんだ。芽 実がなったり。そ が出たり、葉が繁ったり、花が咲いたり、 ういう具体的な手応えっていうのか、そういうものがな、た まらなくうれしいんた」 「ふうん」 「今朝なんてな、金木犀が一斉に咲いて、それはもう見事な ものだったよ。お前も知っているだろう。門扉の傍にある、 大きな木だよ」 「金木犀、お母さん好きだったよね」 美花は手元に目を落としてそう呟く。 その円顔のやわらかな輪郭は若い頃の妻と瓜二つだと三朗 は田 5 - フ . 「もっと早く庭の魅力に気付いていたらな、母さんと庭いじ 一緒にできたんだけどな」 三朗は、この二年という月日を思う。気の遠くなりそうな ほどに長かったような、それでいて、瞬く間に過ぎ去ってい ったような気もする 「そうかもしれないね」 美花はそうやってまた相槌を打つ。 その鼻に少しかかったような声もいっかの妻にそっくりた と三朗は思う。 「これからは母さんの分まで、父さんが庭を世話していこう と思う。そうしたら、母さん、きっと喜んでくれるよな」 帰りの列車の中で何度も練った脚本通りに会話は進んでい く。しかし、ここにきて想定外に三朗は感極まって、何かか 込み上げそうになる 「ねえ、お父さん」 テープル越しにこちらに向けられるその声、その顔のすべ てか、三朗にはいま妻のものにえてしまう 「ああ、なんだ」 その声は微かに震えている 「お父さんに言おうかどうか、ずっと迷っていたんだけど」 顔を上げて三朗の目を見つめる美花を、三朗は見つめ返す。 「私、お父さんの退職金の額も、貯金残高も、生命保険の額 も、実家の査定額も、それから、年金の支給額も、知ってい シナリオ 3 弔い
どに、まさしくは町民然としてくるようで、決して認めた の掌底部についたランヤードが取れなかったからだ。—はた だそれを、どこか他人事のように眺めているたけである。 くはないと思うも、拠り所を見つけることが出来てどこか安 堵している自分をも発見したのであった。は、町からも、 は拳銃を取り終えると、それを腰のベルトに挟んだ。手袋を つけなおすと、それはすっかり冷たくなっていた そしてからも自らが乖離していることを察したようで、日 に日に二人の会話は減っていった。といると、は自分が 「行くよ」 が言うと、—は自嘲気味に笑う 自分でないことを日々問い詰められているように思えて苦痛 「町を出るのか」 いっしか、はよりも先に出勤し、遅く帰宅するのが習 問われてもなお、はしばらくを見つめた。まだ分から なかった。は、ついに何も言わずに踵を返すと、すすり泣慣になっていた。帰り際、課長に呼び止められた。 くを引っ立てるようにして峠を下って行った。 「君、きみもようやく町になじんできたみたいだね」 「どうですかね、私よりも周りの人のほうがよくわかってい るのではないでしようか」 それからまた何事もなかったような日常に戻った。 は狩りを目撃したあとも尚、の家に居ついていた。— 課長は満面の笑みで、そうかもしれないね、と言い残し、 が目の前で狩られるのを見て、なんとも思わない自分に驚き、 帰っていった。雪はもう溶けきっていたか、まだまだ底冷え がした。は庁舎前に止めてある自らの車に乗り込み、エン のすすり泣く声に、自分がまさしくこの町の人間なのだと ジンをかける。車が暖かくなるまでしばらくもみ手をしなが 宣言されたように思え、また驚いた。かって自分が—に対し てなした叱責が唐突に彷彿とされた。 ら冷えないようにした。ほどよく車内に暖気かいきわたった この町に生まれ、育ったと外から来た自分はやはり違う ところで、は車を宿舎へと走らせる。この町に来たときか ようであった。の持っ町への信頼は、狩りを目の当たりに らこの宿舎に、の部屋に居候しているを除いて誰一人新 この軽トラックも、本来であればどこに することで不信に、の町への不信感は、狩りをきっかけに たな入居者はない。 いっしかその目的の理解へと変貌していた 理解こそすれ、 駐車しようが構わないはずであったが、いつの間にか定位置 か出来上かり、そこに止めるようになっていた もちろん肯定などできなかった。一転、は町を守るという 一瞬にして町に来 目的を理解すらできていないようであった。 家の前まで来た時、音楽が鳴り響い は、はたとが自らに関わってきたのは、同情や矯正の てからの数か月が走馬灯のように駆け巡った。同時に、これ が最後の機会であるような気がした。はそう思うが早いか、 ためなどではなく、自らと最も遠いところにある遺伝子を求 める生物学的な理由からかもしれない、 と思った。老プえるほ 車に引き返そうとするも、万全を期すためにやはりプーツに
のほうでも驚いてしまい、あわてて両手を振って言葉を つなぐ 「すみません。前任者も今はいないようですし、一通り見て 回りましたが、 やはり今回の異動については延期してもらう よう今一度上司とかけ合うことにさせていたたきます。とに かく、今はもう一刻も早く < 市までの足を確保していただけ ませんか」 それを聞くと、 Z も秘書もとたんに表情をほころばせた。 「あ、それでしたら心配には及びません。わたしたちの町で はこれといって新規に始めようという事業はいまのところあ りませんので、基本的には前年度からの引継ぎで十一一分に対 応できるものであります」 質問に対して当初企図していた回答を得られないことにも、 相手の言っている言葉の意味がさつばりわからなかったこと にも無性に腹が立ってきた。たとえ仕事の内容が前年度と大 差ないものであったとて、行政であればその成果や改善事項 が必然的に持ちあがるはずであり、それを評価して来年度な いし来期にそれを反映するのが当然の手続きというものであ ろう。それが前例通りで大丈夫というのはちょっと理解しが たかった。とはいえ、今は可及的速やかにこの場所から遠く へ行きたかった。 「そうですか、よくわかりませんがいっ車を用意していた 、んけ・土す・か ? ・」 z は目つきが変わり、見下すような冷たい視線を秘書に投 げかけた。秘書はあわててスーツのポケットを、なかば自分 を殴打するかのようにしてまさぐりはじめ、ようやくズボン の左ポケットに手を突っ込んだところで、それをに見せび らかすかのようにして目の前に差し出してきた。何かの鍵で あった。車であろうか がそれをばんやりと眺めていると、秘書は取られるとで も思ったのか、唐突にそれを引っ込める。むっとしてがさ らに近づくと、男はすっかり町長の後ろに隠れて、あたかも 人見知りをする三歳児のような体勢になった。 「あの、ふざけているんですか」 今度は、意図して高圧的にものを言った。 町長は自分のわき腹のあたりから顔を出す秘書の頭をこぶ しでぶった。にぶい音かにも聞こえてくる 「申し訳ありません。ですが本当にご、い配には及びません。 お上のほうでされております仕事も、当方らはじゅうぶん把 握しておりますので、さんはゆっくりこの町での生活の基 盤でもととのえてもらって、また後日こちらに来られる、と い , フこし」でいカかでー ) よ , フ」 Z はなだめるように言う それに、と付け加え、「せつかく移住してくださるのにな んのおもてなしもできないのは : : : 」 まだ何かもどかしそうにもの言いたーであったが、 Z は頭 を左右にふり、もったいぶった様子を見せる。しばらくそう 狩 していたかと思うと、また思い出したように口を開き始めた。熊 「いや、身内の恥をさらすようでたいへん恥ずかしいのです が、わが町の財政は非常に苦しくてですね、わたしがここの