実味が薄れていった。 は一人適当な人間がいる、とだけ言い、 あとは伏せた。 言ったあとに、能面顔の薄い表情が瞼の裏に浮かび上がる に言わなかったのは、万が一どちらかに何かあったときの ための担保でもあった。言ったときこそそうであったが、こ の町で過ごす時間の長さか、あるいはの存在そのものであ るか、とにかく囮にする、という目的それ以外の理由がある ようにもには思えてきた。に言わなかったのは、やはり 正しかったとは考えた。 は、定時に上がると、と帰路が同じであることもあり、 一緒に帰宅するのが習慣となっていた。いっしか、との会 話以外で東京のことを能動的に思い出したり話したりするこ とはなくなっていた。 「なんで町を出ないの ? 」 がそれとなく水を向けてみた。 はしばらく悩んでから、 「出ようと思えば出られるんでしようけど、 決心がっかなく て。やつばり知っているところと知らないところじゃ、ね」 この町では、熊狩りのことは公然の秘密である。そうであ るが、どこか町民全体が本当は知らないのではないだろうか、 と思うときがある。あるいは、見たいもの以外、見ることな どできないのかもしれない。や課長と話をしていると思う。 翻って、は自身に思いをはせてみた。自分も、立派な町民 ではないにしても、かっていた場所ではそうであったかもし れない、と段々と俯瞰して自身を見られるようになってきて 「まあ、特に理由がなければ出る必要もないしね」 「必要性のないことって、やつばりしちゃいけないんですか 「どうだろうね、よくはないんじゃない、かな」 彼女は実家で暮らしている。の宿舎と庁舎のちょうど中 間ほどにの実家がある。町の最も南端で、すぐ裏手が山間 になっていて、家業は林業であった。とは別れの言葉を 短く交わし、各々の家路へとついた はしばらくすると、 >-«のもとへあまり通わなくなった。 町のことを知れば知るほどに、計画が具体性を増せば増すほ しつでも出られる、というような気がしてきたからだ った。何週か、普段と変わり映えのしない日々を過ごすと、 町に長い冬が訪れた。この地域は、冬場は特に気温が低く、 しかし降雪は少なかった。ただ、 一度降り積もった雪は根雪 となって春まで溶けることはない。がこの町に来てから、 二度降雪があった。町はほとんど雲一つない青空を上空に広 げていたが、一転、雪は硬く、町を包み込んでいた。 再び、あの音楽が流れた。また、夜だった。 はあの時とは違い、今はと二人で静かに食事をしてい た。今や自宅にある物も、自分自身も町も、その全てが自分 のあずかり知るものであり、自分自身であるように田 5 える。 音楽が遠くで流れるのを、ばんやりと聞く。窓の外ではしき りに雪が降っていた。夜降る雪は、昼間見るそれよりも大粒 に見えた。今度は、が訪ねてくることはなかった。は に出る準備をしろ、とだけ言うと引っ立てるようにして彼女 ね」
「助けて」という叫びをあげ手を伸ばした者の手を握ること の出来なかった者がいた年老いた祖母の手を引いて逃げる 時、津波に飲み込まれ思わずその手を離してしまった者がい 親子で倒壊した家屋の下敷きになり、子供の救出を救助 者に依頼しつつも自身しか救助されなかった者がいた。そう して生き残った者たちは、それぞれに自身が助かったことに 罪の意識を抱えねばならなかった。彼らの罪責意識 ( サバイ バーズ・ギルト ) は、死んでいった者の無念さの裏返しであ る。だから、生き残った者がそうした経験を語ることは、死 者の無念さを代弁することになるはずだ。だが、それはまた、 本来ならば、死者が語るべき言葉を詐取することでもある。 作家たちがロにした、自分には書く資格があるのかという 問いは、死者に成り代わって書くことの是非を巡る問いカけ であったのだ 震災の一番の当事者が、震災で死んでいった者たちだとす れば、それについてハナスことの出来る者は、死者のみにな る。もとより死者はハナスことは出来ない。とすれば、震災 について本当にハナスことが出来るものは誰もいないことに なる。 作家が、震災について書くことにためらいを感じたのもそ うしたことであったはずだし、また被災者であった彩瀬です らその資格を問わねばならなかったのも、同じ理由による。 被災者が自身の被害の度合いを過小評価するのも最大の被害 者である死者を意識してのことであろう。 しかしまた、死者以外に本当の当事者がいないとしたら、 誰も震災のことをハナスことは出来なくなる。だからこそ人 はためらいながらも、震災の経験を死者に成り代わって言葉 にするのだ。 そこで問題になるのが、では、震災の経験をいかにして、 言葉にするかだ。 ここで再度ハナシとカタリの差異が浮上することになる。 『恋する原発』ーハナシとカタリ 2 ハナシは即興性、自由性をその特質とし、カタリは規則性 がその本質にあると述べた 震災の経験を言語化する際に求められたのは、何より当事 者性であった。桐野や平田あるいは被災者であった彩瀬まで、 震災の経験の言語化に疚しさを覚えたのは、自分が当事者性 を持ち得ていない、あるいは現場にいたが単なる一旅行者と してそこに居合わせただけで充分に当事者性を持っていない と考えたからだった。 先にハナシとカタリの差異について論じた際にふれた、少 女の作文や「サン・ガル年表』がハナシに近いものであった のは、それらにはカタリの持っ特性である規則性、換言すれ ば、因果性が欠落しているからであった。 少女の作文や『サン・ガル年表』の脈絡のなさが、逆にそ こに記された事件の甚大さを伝えまた現場を知る者の衝撃の 大きさを示していると思われたのだ。裏を返すと、規則性す 6 神様 NO ー
それでも、たくさんの人の罹災の話を聞いたけれども、 家族を失った痛手から癒えるには、その経験を言語化する 「なんで俺がこんな目に遭わなければならないのか ? 」 ことが不可欠だろう。しかし、失われた存在が、その人にと という恨みの言葉にはついに出会わなかった。日本人は、 ってかけがえのないものであればあるだけ、その喪失感を言 東北人は、気仙人は、あつばれであると山浦さんは言う。 葉にして痛手から癒やされることそのものが当人には許しが ( 『春を恨んだりはしないー震災をめぐって考えたこと』 ) ナい裏切り行為に感じられるのだ。安の患者であった女性の 「落ち込んでいる方が、娘がそばにいる気がする」という言 自身の体験を過小評価するような言葉は、この老人に限っ 葉は、かけがえのない人を失った者の心の有り様を直截伝え たことではない。 るものである。 宮城県でボランティア活動を行っていたチ 1 ム王冠の伊藤健哉さんが在宅被災者への支援活動を続ける こうした痛切な経験を言語化することへの拒否に、本論の 中で出会った最初の壁は、津波浸水地域のどこに行っても、 冒頭で触れた作家達が震災直後に示した表現することへの疚 「ほかの人を助けてあげて」という言葉だったという ( 岡田 しさの問題を考察する上での示唆が見出せる。 広行『被災弱者』 ) 。つまり自分も被災者だが、家族を失い家 大江健三郎や高橋克彦といった作家たちは、言葉への不信 を流された人に比べれば、その不幸は大したものではないと 感を抱き、作家として危機的状態にあった。それはメランコ いうことだ。そしてこうした言動が現れたのは、東日本大震 リ 1 だとしたのだが、こうした作家たちと同様に言葉への不 く . たけではなかった。 信感を口にした別の作家がいたこの春震災の経験をお涙頂 安克昌は、阪神淡路大震災時、同僚として働いている医師 戴式の安易な美談でなく、極めて批評的な意識を以て書かれ や看護師の中には、自分自身も被災者である者たちがいたか た「バラカ』という作品へと結晶化させた桐野夏生である。 彼らに「「 たいへんでしよう』と声を掛けても、『命が助かっ 桐野夏生は、震災直後に自身が抱いた思いをこう記してい ただけよかったです』、「だいじようぶです』、『地震なんだか ら仕方がないです』、と自分の被害を控えめに話」していた と指摘している ( 安・前掲書 ) 。 激しい肉体的苦痛と、腰を抜かすほどの恐怖の中で死 このように自分の被災経験を過小評価するのは、より大き ぬのは絶対にいやだと思っていたが、 そんな想像など遥 な被害を受けた者がいるからだが、そうした言葉にも、家族 かに超えた災いと無惨な大量死を見た。その時、言葉に を失った人たちが示す癒やされることへの拒絶と同じ心的機 できないもどかしさ、いや、言葉になどしてはいけない 制か働いていると考えられる のではないか、という自制が生まれて、私の中で硬いし る
疲労がどっとおそってきた。は大きなため息とも深呼吸と もっかない息を腹の底から吐き出すと、サイドプレ 1 キを下 ろして車を出した。 歩けば十分ほどの宿舎まで車で向かうも、置れない運転と 土地ということもあり、結局歩きとほとんど変わらぬ時間が かかってしまった。慣れればもう少し短縮できるだろうか、 と生活に近しいところにまで自身の考えがいきついていたこ とに、は後から気がついた しか住んでいないはずの宿舎であるにもかかわらず、中 央の玄関のドアが開け放たれていた。車を建物の前に乱雑に 止め、降りる。恐る恐る中に入ってみると、案の定の部屋 の前に数人の人だかりができていた 「おい、なにしてる」 呼び止めると、数人が満面の笑みをたたえてを出迎えた。 口々にの栄転を歓迎しており、また家財や家具がいかに自 身の家の歴史とつながっているかを誇示しているのだった。 にしてみればい、 ( 迷惑であったし、そのいずれの家具が誰 のものかも結局わからなかった。あとは自分でやるから、と いっても聞かず、その一団は家具の配置まで決めると、嵐の ように去っていった。簟笥やテレビ台、テープルといったも のか配置され、もはや一人ではどうすることもできないほ どに室内は出来上がってしまっていた。部屋の中央左手に置 かれている、ところどころ焦げ付いたあとのあるこげ茶色の ソフアに腰を下ろす。ばねがばかになっているらしかった。 座るとスプリングが悲鳴をあげた。明日は土曜だ。まだこの 町に来てから二日しか経っていなかったが、ひどく疲れてい るのが自分でも分かった。そしてどこか違う町へ越すのはこ こでなくとも心身ともに磨り減るものなのだろうか、と考え たそれに結論など出るはずもなく、は引きずり込まれる ようにしてそのまま眠りこんでしまった。 寒さで目が覚めた。あらためて部屋を見渡すと、まだどこ か居心地の悪さがあった。遠い親戚の家に取り残されたかの ような気持ちになる。好きに使っていいか、どこまで使って いいのか分からない、借り物の部屋だ。肉体と、東京から着 ているこのスーツだけが自分のよりどころであるように感じ られた。喉が渇いていることを唐突に田 5 い出した。まだ部屋 のどこに何があるかが分からないため、ソフアから起き上が ってもしばらく部屋を徘徊してしまう。冷蔵庫の隣にある食 器棚にいくつかコップが逆さに置かれているのを確認すると、 それを取り出した。 蛇口をひねると、しかしすぐには水が出なかった。咳払い するように蛇口が空気と水を同時に吐き出したかと思うと、 部屋のあちこちに配管が通っていると思わせるような流水音 か響いてくる。しばらくして、思い出したかのように水が出 始める。水はパイプの錆がまじりあっていて土色になってい た。流したままにしていると、それも消えた。は水道水を コップになみなみついで、それをいっきに飲み干した。一筋、 熊 ロ角から喉にかけて水が垂れナ 働いていると、体と精神は乖離していくようにえる。少乃 なくともはそうだった。寝ていたいという欲求はきっと体
しているにちがいない。 阿部和重はすかさず映記を抱きあげ、 キッチンに入る 冷蔵庫を開けると、ポカリスエットは見あたらぬものの、 Z ヤクルトカロリーハ ーフのパックを発見する。ストロ ーを自分で挿さないと怒りだす息子にパックごとヤクルトを あたえて時間を稼ぎ、阿部和重はひきつづきポカリスエット を探しまわる。 幸運にも、クラスだった暴風雨が一気ににまで勢 力を弱めてくれている。ヤクルトの効果はラクトバチルス・ カゼイ・シロタ株にかぎるものではないのだ。戸棚の下段に 大塚製薬発売のペットボトル飲料が三本ならべられているの を見つけた阿部和重は、その全部を持って浴室へもどろうと する。背後で竜巻がふたたび発生し、今度はクラスの勢 ママ帰ってきて、ママ しで「ハハはいやた、ママかい ( 1 」と声かあかるが、聞かなかったことにするしかない。 うしているあいだにも、海の向こうからやってきた血まみれ の中年男は息絶えているのかもしれないのだ 血まみれの中年男が息絶えていなかったことに、阿部和重 はとりあえず安堵する ラリー・タイテルバウムは、さっきのトローチを舌で転が しながら自分自身で外科手術のようなことをおこなっている ところだ。オリーブドラブの色からして軍用品を思わせるが、 所持品のポーチはどうやらメディカルキットらしく、さしあ たっての必需品は間に合っている様子である。ハサミみたい な器具でつまんでいるのは、負傷時に切断されてしまった太 い血管の切り口なのだろう。血の噴出をとめるべく、ラリ 1 はふくらみきったフグみたいな顔になりながら両手の指をこ まやかに動かし、血管の断端部を糸で縛ろうとしているのだ むごたらしい光景だが、死にあらがう人間の姿を直視でき る機会はそうそうないと思い、阿部和重は目をそらさずに待 機した。子どもの頃によく屋我をしていたし、ゾンビ映画を 鑑賞しながらモッ煮込みを食べたりもする自分には、かっさ ばかれたお腹や多量の血を見ることに苦手意識はない。そん な自負を持って現場に臨んではみたが、失敗したら彼は死ぬ のかと考えた途端、阿部和重は胃が縮みあがるのを感じた。 頭のなかでおどろおどろしいナレーションを流し、ゴア・ム 1 ビ 1 の予告篇でも観ているのだと思いこみ、気をまぎらわ せるしかなかった。 「あ、これ、こういうのでもいいですか ? 」 ついに結紮を成功させ、天井をあおいでいるラリー・タイ テルバウムに阿部和重はポカリスエットを差しだした。ロで はぜいぜい息を吐くことしかできないラリーは、必要最小限 の手振りでみずからの意思を伝えてくる。希望の中身をすぐ に察した阿部和重は、気が利かなかったと省みつつべットボ トルの蓋を開け、親鳥をむかえる小鳥みたいなラリーの大口 0 にイオンサプライドリンクを注ぎこんでやる 「まだ、終わりじゃ、ないよ」 ずぶの素人でもそれはわかるが、冷静になるにつれて驚き けっさっ
「どうしました ? 」訊きながらドアを半分だけ開けてみる。 「はい、ちょっと、バスルームを貸してもらえませんか ? 」 玄関口に立っている中年男は、メールで数回やりとりした だけのアメリカ人編集者だ。今夜に会う約東をしていたわけ ではないし、そもそも住所を教えてすらいないなぜうちな のだと阿部和重は内心いぶかるが、白シャツにおおきな赤黒 い染みをつくっていて、両手も血で汚れている。彼自身の血 液なのだとすれば、もう駄目なんじゃないかと思わせるほど の出血だ。ここでドアを閉めたら人でなしの仲間入りだが、 それでも、 ( いかという気もしてしまう。不吉な組み合わせの タロットにでもとりかこまれた気分だからだ。 「ありがとうございます、阿部さん。でも、救急車とかは、 絶対に呼ばないで」 先に言ってくれよと阿部和重はロに出しかける。やばい事 情がひかえているのは間違いなさそうだ。それこそ、重傷者 を門前払いにするのさえためらわずに済むようないわくつき なのかもしれない。 こうなったら理由は聞かずにおくほうか おのれの身のためではある。 「パパきてよ、ハハ 息子の映記がリビングで泣きさけんでいる。あまりにも歯 みがきを拒否するため、躾としてプラックナイト衛星の恐怖 を誇張して教えてやり、画像まで見せてしまったのがまずか ったようだ。字宙人にさらわれてしまうとおびえ、眠れなく なっているのだ 0 、 0 、 、 0 、 0 、 、 0 、 0 、 、 0 、 0 、 古今東西の予言者が警告する通り、厄介事というのは重な る。映記はクラスの絶叫を織りまぜて、父親を呼びよせ ようとしている。数軒の屋根が吹き飛ばされていてもおかし くない勢 いだここが共同住宅ならば即刻隣人に怒鳴りこま れている。そのうえ眼前には、血まみれのアメリカ人。かっ て経験したことのない、たいへんな一夜になりそうだと阿部 和重は覚悟する。人生をハッピーにするための試練だと無理 矢理に思いこみ、経験の幅をひろげてゆくしかない 「おお、失礼、ごめんなさいね」 子どもか泣きさけぶ声を耳にし、死にかけのラリー・タイ テルバウムが恐縮している。表情をひどくゆがめているのは 心の苦しみか体の痛みのせいなのか、あるいはそのどちらも カ 「こっちです、歩ける ? 」 阿部和重は緊急人道支援にとりかかる。状況が有無を言わ さない。 ラリ 1 は律義に靴を脱いでついてきた。床のきしむ 音が倍増する。浴室が玄関からすぐに位置しているのは双方 トアを開け、明かりをつけてやると、ラ にとって幸いした。。 丿ーはかかえていたバックパックに右手を突っこみながら脱皿 衣所を通過し、湯のないバスタブに全身を沈めた。このまま 死んでしまうんじゃないかという悪い予感がよぎる。バスタ 0 プが棺桶に見えたのだ。 阿部和重はいったんリビングへひっこむ。泣きじゃくって
うな振る舞いである。 まれていた右腕はいつのまにか背中で九十度に曲げられてい 「なんのことか分からないか」 る。関節に通電したがごとき痛みが走る。痛みが消えたと思 ようやく首を動かし、視線がと交じり合う。は首を左 った頃には、両手は腰のあたりで鉄のわっかでとめられてい 右に振る。 「きっとこのあとには雪崩だとか動物の侵入だとか言って一 —は何もいわずにの首根っこを擱み、パトカーのほうへ 切峠を通してなどもらえないー と連れて行く 暫時の沈黙ののち、そうなってるんだよ、と—は断定的に 後部座席のドアを開け、を中へと押し込む。—は前に座 るかと思われたが、が入るのを認めると自身もそのまま付け加えた。 トアは閉めなかった。もしかした 「おれが最初に逃げようとしたとき、警部補に言われたん の隣にもぐりこんできた。、、 ら、後部座席は中からドアを開けられない仕組みなのかもし 言い終わると、また視線をそらした。 れなかった。 この町から絶対におれは出る。本 「だけど諦めちゃいない。 こうなってしまっては叫んでもわめいても無駄だと、も 当に出たいんだったら、あんたも協力しろ」 観念をした。二人はしばらくの間口をつぐんでいた —はそれだけ言うとポケットから鍵を取り出し、の手錠 「まだ出るな」 をはずした。 先に口を開いたのは—だった。 「町へ戻れ。おれはあとからいく」 は意味が分からず、今まで助手席のシ 1 トだけ見つめて パトカーを降り、自身の車のほうへと向かう。片方の手で いた視線をに移す。 手首をさすった。体温が、手錠で冷たくなった皮膚に伝播す 「この町からは誰も出られない」 る。自らの車に戻りつつ、何度かパトカーのほうをふりかえ またしても訪れる沈黙。 った。—は再びパトカーの後部座席に身を沈め、のほうを 「あんたも、おれも」 にらみつけるよ , フにしていたもっとも、からわかるのは 思い出したように付け加えられた二人称と一人称。それが あくまでこちらのほうに顔を向けているということだけであ とを意味するのは言うまでもなかった。 、。こご先ほどの状況から 実際その表情まではわからなしカナ 「この先は通行止めになっている。落石のせいだ」は依然 そう判断しただけであった。考えつつ歩みを進めているうち —を見つめている。一転—はふてくされたようにシ 1 トに身 トアを開けると、一瞬生ぬるい空気 に、自分の車まできた。。 体をうずめるだけで、のことなどはじめからいないかのよ
5 話しと放し 話すことは、「放す」ことつまり自己の固有の経験を言語 という共有物にして自己の外部へと放出するということなの 話すことが放すことすなわち放出することに通じるという ことに、少女の作文の持っ迫真性の源泉がある。そしてまた、 少女の作文が断片的で脈絡を欠いたものであることの意味も そこから見通すことが可能となる。 話すことは自己の経験を外部へと言語化し放出することで あるとするならば、自由性をその特質としたハナシにも、形 式性の萌芽が含まれているとも言える 少女の作文が断片的なのは、自身の固有な経験を充分に形 式化出来なかったからだが、それはまたその固有の経験が形 式化されることを拒んでいたからだとも言える 涙を流すことができる。反対に少女の作文には「形式性ーが 欠落しているが故に少女の衝撃の大きさを類推することは出 来るが、追体験は困難なのだ。 ハナシの自由性、即興性とカタリの形式性の差異は、震災 発生後最も早い時期に震災を扱った作品として注目を集めた 一連の小説について考察する上で重要な論点となる。しかし この問題を論じる前に、先に確認せねばならないことがある それは、ハナシの原義が、「放し」にあるということであ る ならば、なぜ経験を言葉にして話すことを拒むのか それは、話すことが放すこと、離すことにつながるからだ。 話すことは、自身の経験を言葉にして、自分の身から引き離 し、他者と共有可能なものにすることである。この他有化を 経験は拒むのだ。なぜなら、それは経験の忘却の始まりにな るからだ。 ラカンの最初期のセミネ 1 ルである『フロイトの技法論』 にこんな逸話が記されている。マーガレット・リトウルの精 神分析を受けている患者が、自分の母親が死んだ後ラジオで 講演することになったという。この患者の心の病において母 親は極めて重要な意味を持っており、患者はその死を大層悲 しんだが、ラジオの講演は見事に果たした。しかし、次のリ トウルとのセッションに者は錯乱に近い混迷状態で現れた その患者に向かい、 リトウルは、その混迷は、彼が持っリト ウルへの嫉妬心が原因だと指摘したという。 ラカンは、この患者に対するリトウルの対処を問題視して いるが、ここで注目したいのは、母の死の後で立派にラジオ での講演を行ったにもかかわらず、患者がその後錯乱に近い 状態になったということである。なぜ、患者はそうなってし まったのかそれは、阪神淡路大震災の際に有名になったビ ヴァリー・ラファエルが『災害の襲うときーカタストロフィ の精神医学』で指摘したサバイバーズ・ギルト ( 生存者の抱 える罪責意識 ) に由来するだろう。 その患者にとって母親は精神失調の原因になるほど大きな 意味を持っ存在であった。だからその死は途方もないほど大
けて、「わたし」は、たったひとりで癌と向き合い、それと 死んでいった者に疚しさを感じても、それはもう届かな いものなのだ。 戦っていた。いや正確に言えば、彼女にも同志はいた。大卒 の同期で同じ職場に入り一緒に停年退職を迎えた八鳥も肺が 多くの者が放射能に法える中、その放射能に自らの生の可 んにかかり別の病院で治療を受けている。それ以外にも同じ 能性を賭けているものがいたこと。それを偽悪的でなく、誠 オンコロジー・センターで治療中の乳がんの行実翔子や膵臓 実に描くこと。村田喜代子のこの『焼野まで』はそれをなし ている。 がんの南らがいる。しかし、彼らがいても、結局それぞれに 自身の癌と向き合うしかないのだ それは、一筋の光明のように思われるのだ。二万人あまり 放射線照射の最終局面に達した時期に、「わたし」は八島 の死者・行方不明者がで、放射能によって広大な大地がけが の死を彼の妻から連絡される。その後、最後の照射を「わた され、そのような悲劇に多くの人々が打ちのめされた。そし し」が受けに行き、放射線照射をうける照射台で「わたし」 て、そうした傷ついた人々に無事だった者は寄り添おうとし の前に八鳥の霊が現れる。「わたし」を死へと誘う八鳥に対 た。それは自然な心の動きだ。しかし、死者は、死んだので し「わたし」はこう告げる。 あり、生き残った者は、生き残ったのだ。そこには超えられ ない断絶がある。喪の作業とは、死者のためのものではなく、 八つちゃん、ごめんなさいあたしはまだ行けないの。 生きていく者のためにある。死者への思いをハナシ、放すこ あなたと一緒に行くことはできないのよ。あたしはまだ と、そしてそれをカタリとして型にはめ込むこと。そのよう 生きているのよ にして、喪の作業はなされ、死は受け入れられていく。死は それがどれほど自分にとって愛おしい人に訪れた事態であっ 同じ時期に癌を患いともに励まし合いながら、癌と闘った たとしても、それは終局的には他者に起きたことと認めるこ 八鳥は死に、「わたし」は治療を終え、不確実ながら生への と。死者を自分から切り離すこと。 一歩を歩み始めようとするところで、この小説は終わる それが喪の作業である。 つないでいた手を放した者がいた。さしのべられた手を握 それはまた、災害や被災者と無縁の場所を認めることでも ある。 れなかった者がいた。そうして死に別れた人に対して、死ん で行った者たちの無念を思い、彼らへの罪責意識に苦しむ者 最後に個人的経験を書かせてもらう。震災から二週間ほど が多くいる。しかし、死者の無念とは、生き残された者の生 経った二〇一一年三月下旬のことである。三重県の実家に帰 への執着の裏返しではないか。死者は死者である以上、無念 った際、高校時代の友人と名古屋の駅ビルでランチをした。 の思いなど抱くことはできない。、、 とのように自身の行為を悔休日ということもあり、駅もビルの中も大勢の人でごった返 220
しており、何より明るかった。当時関東では、原発事故の影状況だ。福島県民のうちいまだ一〇万人に近い人々が避難生 響で電力不足が懸念され、街ではネオンが軒並み消され、駅活を送っている。だから震災経験風化の危機が叫ばれもする。 勿論、震災の経験を忘れてよいわけはない。しかし、それと やデパートも節電のために電灯が半分外されたりしていて、 は別に死者との絆を断ち切り、快活な生を人が再度見出すこ どこもかしこも薄暗かった。だから名古屋の駅やビルの明る いただけでなく、実は正直少しほっと と、それはいわば裏切りなのだが、そのような死者への裏切 さは驚きであった。驚 りを肯定すべきだと思う。容易なことではないとしても。 避難所で悲劇にうち沈む人たちの中にあって、何事もなか なぜあのとき私はほっとしたのか。私自身震災で何かを失 ったように微笑む嬰児の姿は、救いとならなかっただろうか ったわけではないが、津波で家族を亡くし家を流された人に 思いを寄せ、また福島第一原発から放出された放射能に怯え 被災を知らぬ者、それは、やがては死者への思いを切り捨て の 生の方へと歩みを進める自分の姿の、遥か遠い兆しのように つつ関東で暮らした私にとって、そうした震災とは無縁に見 喪 える人々 ( 実際はそうでもなかったかもしれないが ) 、そうした 思われないだろうか タ カ 他者の存在が救いのように感じられたのだ。 村田の小説は、自身の癌とひたすら向き合おうとする者の 姿を描くことで、そうした被災とは切り離された生のあり方一 フロイトの言う喪の作業の規定をもう一度思い起こそう。 を描いてみせた。それは、被災者が、やがては被災から切り 愛する者を失った者たちは、しばしばその死に責任を感じ、 離された生を歩むことのできる予兆ではないか。 死者と運命を共にすべきと感じたりする。しかし、やがて人 は本当に死者と運命をともにすべきか決断を強いられ、つい 『焼野まで』の「わたし」を貫く放射線の光の東は、鎮魂の には亡くなった者との絆を断ち切ることを甘んじて決断する 物語とは別の救済の光を、そのような形での、堪え難い悲し みからの癒やしの可能性を指し示しているのではないか。 に至る。こうしたフロイトの指摘は、結局死を他者に起きた 合 事柄として引き受けるということを示唆している 向 なぜ、震災と無縁に見える人々の存在が救いになるのか それは、愛する者を失った喪の悲しみがいずれは癒やされる 災 こと、つまり愛する者の死を他者の死として引き受けること 震 が、そのように震災とは無縁と見える他者の存在によって予 人 兆のように示されていると感じるからだ。他者の死は他者の 死でしかないと認めること、それが生の始まりなのだ。 震災後五年以上の歳月が過ぎても、復興したとは言い難い 註 * 1 この母親が二〇一一年に一時帰省した際に、郡山市の自宅周辺 の放射線量を計測すると雨樋の下では毎時 4 マイクロシーベル トの値が出たという。この放射線量のところで毎日 4 時間過ご