被災した時間」で繰り返し強調している点だが、福島第一原 古川の『馬たちょ、それでも光は無垢で』は、小説家が一一 発におけるメルトダウンの問題は、福島の避難勧告地区以外 万に近い死者・行方不明者の出た現場に赴きそれに向き合い それを渾身のカで描こうとした「無残な」しかし貴重な成果 に暮らす人間の多くを潜在性としての被災者にした。つまり、 である 津波に関して他人事であった地震という出来事を、メルトダ ウン事故は、一挙に自分たちに降りかかった災厄に変えたの ここにおいて、古川の作品と川上や高橋の作品との差異が だ。それによりわれわれもまた、地震の被害の現場にいる当 浮上してくる。古川の作品に現れる引き裂かれた感覚が、 事者になっこ。 上や高橋の作品にはないのだ。 川上や高橋が、震災発生後の早い時期に震災を扱った小説 なぜだろう。それは、川上の『神様 2011 』も高橋の 『恋する原発』も福島第一原発の放射能汚染を主題化したも を発表し得たのは、関東に暮らす者を、潜在的なレベルとは檪 の いえ、被災者とした原発事故を作品のテーマにしたからだ。 のであるからだ。対して、古川の「馬たちょ、それでも光は 無垢で』は、放射能汚染の問題と同時に津波による被害を視津波の直接的被害者でなくとも、原発事故ならば、当事者で タ ありえたからであった。つまり、 川上も高橋も津波の被害に カ 野に収めている。 ついては当事者というには遠いところにあった一方で、原発一 ここに東日本大震災における、もう一つ別の当事者性の問 題が露頭している。 事故による放射能汚染については当事者であったということ ン 8 津波と放射能汚染 他方古川が引き裂かれるのは、福島の沿岸部は、津波で被 災したと同時に原発からの放射能汚染で被災した地でもあっ っ 4 」カ、ら 4g0 地震により関東圏で暮らす者たちもそれなりの被害があっ 合 古川は、作品の中で「被曝せよ」と口にする。実際相馬か 液状化現象で家に住めなくなった者もいたし、崩落事故 向 らさらに南下すれば、当時確実に放射能による被曝の値は上 に巻き込まれ死んだ者もいる。しかし、東北の沿岸部を襲っ がったはずだ。しかしまた、彼は、その地を訪れても津波の た津波の被害に比べれば、関東での被害の多くは、被災した というのも憚られるようなものだった。地震とその後の津波被災者にはなり得ない。当事者でありながら、当事者たり得災 ないという矛盾したあり方が、古川の作品における分裂のも の被害については、関東も含め、東北以外の地に暮らすほと 人 う一つの要因である。 んどの者にとってそれは、敢えて言えば、他人事であった。 ところで、放射能汚染の被災にはもう一つ別の問題がある。 しかし、原発事故は、関東に暮らす者も一挙に被災者にし 先に、関東で暮らす者も原発事故については当事者であり た。というよりも、これは斎藤環が「クフクシマ気あるいは
こりとなったようだ。 ( 「新潮 . 二〇一二年四月号 ) こ , 」で桐野は、大江らと同様に震災により失語状態にあっ たと語っている。しかし、桐野の言葉は、大江らの反応とは 少し異質のものである。桐野は、想像を絶する事態に失語状 態になっただけでなく、「言葉になどしてはいけないのでは ないか、という自制が生まれ」たと語っていた。 言語化へのためらい、言語化することへの忌避感を口にし たのは、彼女だけではなかった。 詩人であり作家である平田俊子は、こう語っている。 震災をテーマに詩を書くことの是非を問われる気がし ました。どこに住んでいるのか、被災地との関わりがど の程度あるかによって、震災を詩にするのか、あるいは 控えるのか。個々人が試されたと思います。私は東北に 住んだことはないし、親類縁者もいない。何か言いた ( けれども、自分が言う立場にあるのか、とも思う。この 事態とどう向き合えばいいのか悩みました。 ( 「鼎談震 災と詩歌ー過去、現在、そして未来と向き合う「言葉』たち」 「文藝」一一〇一五年夏季号 ) 自身も福島のいわき市へと向かう途上津波に遭い被災者と なり、その経験を『暗い夜、星を数えてー 3 ・Ⅱ被災鉄道か らの脱出』にまとめた彩瀬まるもまたその後書きで震災につ いて書くことへの忌避感についてこう記している 震災直後、「被災のルポを」という話を編集さんから 頂き、まず思ったのは「はたして私にそれを書く資格が あるのか」ということでした。私はあくまで通りすぎて く一旅行者としてあの地に留まっていたに過ぎず、現 地の方々の生まれた土地を波にえぐられた悲哀、大切な 人を失った身の凍るような喪失感、それまでの暮らしを 奪われた苦悩を、けして分かち合える立場ではありませ 業 んでした。 の 喪 平田は、東北に縁もゆかりもない自分に震災のことを書く タ いわれがあるのかを問うた。福島を旅行中に被災した彩瀬は、カ 自分には「書く資格」がないのではないかと言う。 コ ン 一一人の疑念は正当なものに思われる。とすれば、東北で暮 らし、震災の被害を受けた者だけがそれについて書く資格が あ一ることになる しかし、もし、そうなら、なぜ震災で家族を失った者たち っ 合 か、その経験を語ることでさらにその心の傷を深めることに なるのか。東北に縁のない平田も東北をたまたま旅行中だっ た彩瀬も書く資格がないと考えた。そして震災で家族を失っ 災 た者たちまで、その喪失感を言葉にすることを躊躇した。 震 ならば、一体誰がその経験を言葉にする資格があるのか 人 それは、震災で最も大きな損失を被った者だろう。最大の 喪失とは、生命の喪失である。本当に震災を語る資格を有す る者がいるとしたなら、それは震災で命を失った者以外にな
それでも、たくさんの人の罹災の話を聞いたけれども、 家族を失った痛手から癒えるには、その経験を言語化する 「なんで俺がこんな目に遭わなければならないのか ? 」 ことが不可欠だろう。しかし、失われた存在が、その人にと という恨みの言葉にはついに出会わなかった。日本人は、 ってかけがえのないものであればあるだけ、その喪失感を言 東北人は、気仙人は、あつばれであると山浦さんは言う。 葉にして痛手から癒やされることそのものが当人には許しが ( 『春を恨んだりはしないー震災をめぐって考えたこと』 ) ナい裏切り行為に感じられるのだ。安の患者であった女性の 「落ち込んでいる方が、娘がそばにいる気がする」という言 自身の体験を過小評価するような言葉は、この老人に限っ 葉は、かけがえのない人を失った者の心の有り様を直截伝え たことではない。 るものである。 宮城県でボランティア活動を行っていたチ 1 ム王冠の伊藤健哉さんが在宅被災者への支援活動を続ける こうした痛切な経験を言語化することへの拒否に、本論の 中で出会った最初の壁は、津波浸水地域のどこに行っても、 冒頭で触れた作家達が震災直後に示した表現することへの疚 「ほかの人を助けてあげて」という言葉だったという ( 岡田 しさの問題を考察する上での示唆が見出せる。 広行『被災弱者』 ) 。つまり自分も被災者だが、家族を失い家 大江健三郎や高橋克彦といった作家たちは、言葉への不信 を流された人に比べれば、その不幸は大したものではないと 感を抱き、作家として危機的状態にあった。それはメランコ いうことだ。そしてこうした言動が現れたのは、東日本大震 リ 1 だとしたのだが、こうした作家たちと同様に言葉への不 く . たけではなかった。 信感を口にした別の作家がいたこの春震災の経験をお涙頂 安克昌は、阪神淡路大震災時、同僚として働いている医師 戴式の安易な美談でなく、極めて批評的な意識を以て書かれ や看護師の中には、自分自身も被災者である者たちがいたか た「バラカ』という作品へと結晶化させた桐野夏生である。 彼らに「「 たいへんでしよう』と声を掛けても、『命が助かっ 桐野夏生は、震災直後に自身が抱いた思いをこう記してい ただけよかったです』、「だいじようぶです』、『地震なんだか ら仕方がないです』、と自分の被害を控えめに話」していた と指摘している ( 安・前掲書 ) 。 激しい肉体的苦痛と、腰を抜かすほどの恐怖の中で死 このように自分の被災経験を過小評価するのは、より大き ぬのは絶対にいやだと思っていたが、 そんな想像など遥 な被害を受けた者がいるからだが、そうした言葉にも、家族 かに超えた災いと無惨な大量死を見た。その時、言葉に を失った人たちが示す癒やされることへの拒絶と同じ心的機 できないもどかしさ、いや、言葉になどしてはいけない 制か働いていると考えられる のではないか、という自制が生まれて、私の中で硬いし る
らには食品の風評被害まで、無意味な騒動を作り出した だけだ。それらの報道に触れるたびに、被災地の人の心 は傷つけられた。 ( 「仙台学」前出 ) この文章の主なト 1 ンは、怒りであり苛立ちであるこう した怒りに満ちた激烈な表現が現れたのは、この文章が書か れた日付に係わっているだろう。この雑誌の発行日が二〇一 一年四月一一六日となっており、校正や印刷の時間を考えると、 この文章は震災発生後一ヶ月程度で書かれたものと推測され る。とすれば、震災の衝撃の大きさがそのまま熊谷の激烈な 言葉遣いに姿を変えたと考えられる。なにより、熊谷のこう した表現を可能にしたのは、彼自身が仙台で被災しさらには、 故郷の気仙沼の惨状を震災発生後の早い時期に実際に目にし た、すなわち熊谷自身、被災の当事者であったからだ。つま り、こうした過激な言葉は、当事者意識がなせるわざだ ( ち なみにここでの熊谷の言葉は、一一〇一三年四月より河北新報等で 新聞小説として連載され一一〇一五年に単行本化された「潮の音、 空の青、海の詩」において登場人物の聡美や聡太の言葉としてほ ばそのまま使われている ) 。 しかしまた、この当事者意識は、視野狭窄にもつながって 熊谷は、原発事故の報道よりも津波で被災した人々の状況 をマスコミは報道すべきだったし、政府も原発事故の問題解 決よりも津波被災地域への人的・物的資源の集中的投下を決 断すべきだったという。しかし、事故後その深刻さが次々と 明らかになった原発事故による放射能汚染は、決して避難勧 告地域だけの問題ではなかった。汚染の危険性は、事故当時 から避難勧告地域以外の福島そして関東一円で懸念されてい たことであった。それは、例えば吉田千亜の「ルポ母子避難 ー消されゆく原発事故被害者』を読めば明らかだ。この本で は、郡山という福島第一原発から八〇キロ離れた都市に住ん でいた、幼い子を抱えた母親の苦難が描かれている。郡山で も後に幼い子の健康被害につながる可能性のある危険な量の 放射能が飛散していた。しかしそうした情報は、マスコミも 政府も流しておらず、幼い子を連れて避難勧告のされていな業 の い地域から子どもをつれて逃げた人々は、ネットの情報や勘 喪 を頼りに行動していた。放射能汚染について十分な情報が提 タ 供されていなかったというのが実情で熊谷の言うように原発 カ の報道を削るどころの騒ぎではなかったのだ。 熊谷が指摘したように、マスコミの報道姿勢により津波で亠 行方不明になったわが子を探す母親に救いの手をさしのべる ことが出来たかもしれない。しかしまた、マスコミか放射能 汚染についてさらなる情報提供をしていれば後に顕在化する かもしれない被曝による幼い子どもたちの健康被害を少しで 合 も未然に防げたかもしれない。緊急性という点で言えば、前 向 者を優先すべきかもしれない。しかし、わが子が後者の立場 にあったなら、津波で行方不明になった子の捜索を、数年先 のわが子の甲状腺癌や白血病のリスクよりも優先するように災 言える親がどれほどいるだろうか。仮に後者を優先すべきと 人 いう親がいたとしてそうした親を人は身勝手と批判できるだ つつ - フカ こう書いたからとて、熊谷を批判したいのではないし、当
あるいはそうあるべきだという信仰告白でもあり、そうした あるいは言葉の、無力さを素朴に表明することで被災者の仲 意識そのものが極めて近代的特権意識の表れであることはす 間に入るのでなく、そうした言説を茶化すことで「作家意 でにピエール・プルデュ ( 「芸術の規則』 ) ゃあるいはポー 識」に批評的距離を置き、安易に当事者性を確保しようとは ル・べニシュ 1 ( 『作家の聖別』 ) の研究を通じて明らかにさ すまいとすることで間接的ながら当事者性を維持しようとい うことであった。 れているカらだ。 『恋する原発』のクライマックスともいえる、原発の前で二 文学の無力さの表明自体、凄惨とも言える震災の現実を前 にした素直な言葉であるのだが、それは悪意を以て解釈すれ 万人でセックスするシーンを撮影するという設定の意味も当 ば、家族を失い家を流された被災者に対して、あなたがたも事者性に距離を置くことでかろうじて当事者性を獲得しよう とす・ることにあると一言えよ - フ 大変でしようが、われわれ作家もまた信じていた文学の無力 さを痛感させられた悲痛な経験をしたのだと告白し、被災の すでに指摘されているようにこの二万人という数は、震災 当事者たらんとする言葉とも取れるのだ の死者・行方不明者の数を示すものである。そうした数での セックスシーンは端的には死者への冒漬ということになる。 仙台に住み震災の被害を直接被りあまっさえ故郷の気仙沼 そうした冒漬的表現が必要とされたのは、震災発生以後に日 の悲惨な状況を震災発生直後に目にし、その経験を元に作家 の中でも最も激烈な言葉を綴った熊谷達也は、一一〇一一年七 本中を覆った死者への追悼と自粛の空気へ抵抗するためであ る 月号の「群像」のエッセイで「三月十一日以後、仙台に住む 私は、中央から発信される言葉の多くに、妙に苛立ち、腹が なぜ抵抗せねばならないのか。それは、追悼を、本当に追 立って仕方のない日々が続いている。腹が立っ言葉を運んで 悼を必要とした者たちの元へ送り返すためだ。 二万人の死者・行方不明者がいるということは、その数倍 くる媒体も様々だが、いつものように送られてきた各出版社 の遺族・関係者がいるということである。仮に十倍いるとし の小説誌 ( 四月発売の五月号 ) には、正直、反吐が出そうに よっこ 0 ナこんなときに、暢気に小説なんか書いている場合 て二〇万人だ。それは膨大な数だが、それ以外の者にはその か ? 書かせているほうも阿呆だが、書いてるほうも輪をか 死は無関係なものである。 けて阿呆だ」と書いている。 現在日本では日々三〇〇〇人前後の人々が病気や事故等で 熊谷の言葉は、被災者の心情を代弁してあまりあるものだ。 亡くなっている。一週間で震災の死者・行方不明者と同等以 上の人が亡くなっていることになる。しかし、われわれは特 作家の表明した痛恨の念など実際に被災した者にはヘの突っ 張りほどの価値もなかったはずだ。 に家族や知人がその中に含まれない限り、何事もないように だから、高橋が『恋する原発』でとった方法は、文学の、 生活を送っている。震災の時のみ、無関係な人間までも追悼 210
ヾ、、 0 得ると述べた。しかしまた原発事故の被災者は、潜在的なも のである。この被害は目に見えないものであるのだ。かろう じて測定器の示すべクレルという聞き慣れない言葉によって しや解ったところで、避 しか、危機の度合いは分からない。、 難指定地区以外のところでは、その被害は数年後に一定のパ ーセンテ 1 ジで現れるかもしれないというレベルだ。だから、 だれが被災者なのかは、判然としない。 この放射能汚染の問題をいち早くツィッターによる短詩と いう形で伝えたのが、和合亮一である。彼はこのツィートに よって名をはせるが同時に反感を呼んだ。このツィートは 種の売名行為として批判されたのだ。こうした彼への反感の 理由の一つは、放射能汚染の被害者の不分明さに由来するだ ろう。原発事故の詳細も分からず、したがって誰が被災者か も不明瞭な段階で「放射能が降っています。静かな夜です。」 といったツィ 1 トによって和合は注目を集めたわけだが、彼 への注目によって、潜在的被災者たちは、自分たちにも注が れるべき注視と同情を奪取され、占有されたように感じたの 避難勧告地域に住み、生まれ育った故郷を捨てねばならな かった明らかな被災者はいるが、原発事故の被災者は誰なの かという問題は、先に取り上げた「ルポ母子避難ー消されゆ く原発事故被害者』で描かれた被災の問題を複雑にする要因 である。避難勧告地域以外の福島に住む者たちの間でも、放 射能汚染の問題に対する反応は一様でなく、同じ家族でも避 難するのかその地に留まるかで対応が異なり、それが離婚や 一家離散の原因にもなっているからだ。 たが、こうした放射能汚染の当時者の問題とは別に、震災 を描こうとする作家が直面せねばならないのは、結局誰が本 当の被災者であり、そしてその被災について誰が書く資格が あるのかという問題である ここで、再度本当の被災者である死者の問題が浮上するこ とになる 9 死者の語り 本当の被災者が死者であるとしたら、それについて誰も書 く資格はないことになる。その問題を最も早くに作品化した のは、高橋源一郎であった。 注目すべきは、一万組のカップル二万の男女が、福島第一 原発の前でセックスを始める場面でウィー・アー・ザ・ワ 1 ルドの歌が流れる場面だ おれの隣でマイケル・ジャクソンが歌っている。その 隣ではジャニス・ジョブリン。それから、ジミ・ヘンド リックス、プライアン・ジョーンズ、ジム・モリソン、 カート・コバーン、坂本九、尾崎豊、忌野清志郎 : 生きてるやつはいないのか : やつらが歌うと、なん だか歌詞がよけい身に沁みる : ・ : ・時々、これが <> で あることを忘れそうになる ふつうのチャリティー じゃないか、これじゃ : : : ダメだ、そんなの : 震災の津波による死者の数を意味する一万組二万人の、セ 24
「助けて」という叫びをあげ手を伸ばした者の手を握ること の出来なかった者がいた年老いた祖母の手を引いて逃げる 時、津波に飲み込まれ思わずその手を離してしまった者がい 親子で倒壊した家屋の下敷きになり、子供の救出を救助 者に依頼しつつも自身しか救助されなかった者がいた。そう して生き残った者たちは、それぞれに自身が助かったことに 罪の意識を抱えねばならなかった。彼らの罪責意識 ( サバイ バーズ・ギルト ) は、死んでいった者の無念さの裏返しであ る。だから、生き残った者がそうした経験を語ることは、死 者の無念さを代弁することになるはずだ。だが、それはまた、 本来ならば、死者が語るべき言葉を詐取することでもある。 作家たちがロにした、自分には書く資格があるのかという 問いは、死者に成り代わって書くことの是非を巡る問いカけ であったのだ 震災の一番の当事者が、震災で死んでいった者たちだとす れば、それについてハナスことの出来る者は、死者のみにな る。もとより死者はハナスことは出来ない。とすれば、震災 について本当にハナスことが出来るものは誰もいないことに なる。 作家が、震災について書くことにためらいを感じたのもそ うしたことであったはずだし、また被災者であった彩瀬です らその資格を問わねばならなかったのも、同じ理由による。 被災者が自身の被害の度合いを過小評価するのも最大の被害 者である死者を意識してのことであろう。 しかしまた、死者以外に本当の当事者がいないとしたら、 誰も震災のことをハナスことは出来なくなる。だからこそ人 はためらいながらも、震災の経験を死者に成り代わって言葉 にするのだ。 そこで問題になるのが、では、震災の経験をいかにして、 言葉にするかだ。 ここで再度ハナシとカタリの差異が浮上することになる。 『恋する原発』ーハナシとカタリ 2 ハナシは即興性、自由性をその特質とし、カタリは規則性 がその本質にあると述べた 震災の経験を言語化する際に求められたのは、何より当事 者性であった。桐野や平田あるいは被災者であった彩瀬まで、 震災の経験の言語化に疚しさを覚えたのは、自分が当事者性 を持ち得ていない、あるいは現場にいたが単なる一旅行者と してそこに居合わせただけで充分に当事者性を持っていない と考えたからだった。 先にハナシとカタリの差異について論じた際にふれた、少 女の作文や「サン・ガル年表』がハナシに近いものであった のは、それらにはカタリの持っ特性である規則性、換言すれ ば、因果性が欠落しているからであった。 少女の作文や『サン・ガル年表』の脈絡のなさが、逆にそ こに記された事件の甚大さを伝えまた現場を知る者の衝撃の 大きさを示していると思われたのだ。裏を返すと、規則性す 6 神様 NO ー
すと、年間の被曝量は、簡易計算で・行ミリシーベルトにな る。これは、原発事故発生前の年間被曝許容量である 1 ミリシ ーベルトはおろか、その後改定されたミリシーベルトもはる かに上回る量である。 * 2 引用に際し、「つなみ被災地のこども人の作文集』を参照 したが、引用した文章は、森健「「つなみ」の子どもたち作 文に書かれなかった物語』に依った。 * 3 野家の『物語の哲学』で引用された箇所は、「そして倭訓栞」 以下の箇所であるが、本論の趣旨を明療にするため、野家の引 用箇所より少し前の部分から引用した。 ー・ライヒとなってし * 4 ラカンの本文では、この分析家は、アニ るか、注にはマーガレット・リトウルの間違いと記されており、 本論においてもその注に従った。 * 5 震災後の文学状況について、田中和生は「震災前後を結ぶー ( 「新潮ー二〇一五年四月号 ) で、ポストモダン的小説の書き方 が無効となる一方で、私小説的小説が求められていると指摘し ている。この私小説をリアリズムと取れば、田中の主張にも賛 同できる。しかし、疑問がある。私小説とポストモダン文学を 両極のように指摘する点。 フランスのメーヴォー ロマンにおいては、フローベールの 『ポヴァリー夫人』がその源流としばしば指摘される。「ポヴァ 丿 1 夫人』はリアリズム文学の嚆矢でもあるが、それがヌ 1 ヴ ・ロマンっまりポストモダン式の物語批判の小説の源流に もなっているのは、その描写の過剰が物語の進行をしばしば破 綻させたりするからだ。作家の日常を描く私小説は、その点で リアリズム文学とも言える ( 自然主義から派生したという文学 史的流れから言ってもリアリズム系統である ) 。かっ私小説は、 話らしい話がない小説として物語批判の小説とも取られること がある。こうした点から私小説とポストモダン小説とを対極に 置くのは、無理がある。むしろ震災後は、私小説を批判した基 準となるような、ヨーロッパの一九世紀的小説、すなわち物語 性を濃密に持った小説こそ、現実離れした小説として受け入れ ・ ) たい状況にあったと言うべきだろう。 * 6 しかし、熊谷の虚構の仙河海市を舞台にした連作、仙河海サ 1 ガのようなものには否定的な見解を持っている。震災直後あれ だけ激烈な言葉で虚構の文学を批判したのだから、ならば、む しろ被災の現実を知る者として、徹底的なリアリズムの作品を 目指すべきではないか。熊谷の連作を読んでも、どこかきれい 事過ぎるようにわれてしまう。たとえば、「歳の語り部』 の高校生たちが記しているように、被災地では、窃盗も発生し ていたし、避難所でも救援物資の奪い合いのようなことが起き ていた。すべての被災地でそうだったわけではないが、震災発 生時でも人々が整然と我慢強く待ち続けたといった礼節を守る 日本人あるいは東北人のイメ 1 ジが喧伝されたが、そうでない 人々も実際にいたのだ。それを批判したいのではなく、少なく とも美談で固めるような書き方には違和感を覚える。その点で 桐野夏生の「バラカ』は、単なる美談で終わらず、人間の一一面 性を描き出している点で震災発生五年後に震災をテーマとして 書かれた小説の中では傑出している ただ、今求められているのは、虚構の物語よりも、大岡昇平 の「レイテ戦記』のような、決してルポルタージュではない、 作家の書いたリアリズム文学ではないかと思っている。
被った人は、メランコリ 1 に留まることかできないだろうか 震災発生時仙台におり、その後故郷の気仙沼まで救援物資 を運んだ熊谷達也は、こう書いている。「大谷海岸の少し先 の、潮吹岩で有名な岩井崎のほうに折れ、瓦礫で埋め尽くさ れた真っ只中で車を停めて降りてみた。 / 潮の香りはしなか った。磯の匂いもなかった。周囲に濃く漂っているのは、土 の匂いだった。 ( 中略 ) しかも、青空の下の海は、人間の営 みや悲劇などに我関せず、と言わんばかりに、あくまでも青 く美しいままだ。あまりにも酷い皮肉に、まったく言葉が出 てこない小説を書くことを生業としているくせに、言葉は 」 ( 「仙台学」前出 ) 完全に無力だった。 故郷の海岸の変わり果てた姿を目にして熊谷は、言葉を失 ったと記している。ここまでは他の多くの作家と同様なメラ ンコリ 1 に熊谷は捕らわれていたとも一言えよう。しかし、こ れ以降熊谷の記す言葉は、他の作家たちとかなり異なる。少 し長くなるが引用する まずは、三月十一日以来、さんざん飛び交っている 「想定外」という言葉に腹が立つ。想定外などという想 像力のかけらもない、責任逃れの言葉を口にするのは、 政治家や学者、識者と呼ばれる偉そうな人種か、訳知り 顔でテレビに出てくるコメンテーターばかりだ。 実際に被災し、家を失い、家族を失った人々は、誰一 人として「想定外」という言葉は使っていない。たとえ ば、たいていの被災者は、「ここまで大きな津波が来る とは思っていなかった」という言い方をしている。ある いは、無言を貫き通すかのどちらかだ。自分がそこまで〆 予想できなかったことを悔いているのであって、誰にも 責任転嫁はしていない目の当たりにしたことを、想定 外などという安易な言葉で片付けることなど、到底でき ないのだ。想定外という死者を侮辱する安つばい言葉に は、責任回避の悪臭がぶんぶん漂っていて、その言葉を 聞くたびに吐き気を催す。 震災直後に、原発事故ばかり取り上げていた、中央発 信のメディアにも胸糞が悪くなる。そのあいだにも、助 けられたかもしれない命が、どれだけの数、瓦礫の下で 失われていったことか。なぜもっと早く、もっと大量に 命の瀬戸際に立たされていた被災地に、救助・救援の人 員と機材、そして燃料を送らなかったのか。やればでき たはずの決断を、なぜそのときしなかったのか。そうい う世論を、メディアはなぜ作ろうとしなかったのか。原 発が瑣末なことだと言っているのではない。 周辺住民の 緊急避難が終わった後は、三十キロ離れた地点からの映 像を見物していても仕方がないではないか、と言いたい のた メディアに政治や行政のチェック機能があるというの なら、原発の報道を削ってでも、孤立した地区を含めて あまねく被災地にカメラを送り込み、そちらに国民の目 を向けさせるべきだったのではないのか。ところが実際 にメディアがしたことといえば、東京での馬鹿騒ぎ、つ まり放射線騒ぎに始まって水やガソリンの買いだめ、さ
政府やマス 時の政府やマスコミを擁護したいわけでもない。 コミの対応のまずさあるいは的確さという評価とは別に、人 は、情報の限定性主観性を逃れることはできないというこ もちろんこうしたことが言えるのは後知恵である。程度の 差こそあれ、被災地域以外の人々も十分な情報を得られず、 また仮に情報が提供されようとその意味を理解できず、右往 左往していたのが実情なのだ。 しかしまた、ならば熊谷の主張を視野狭窄に陥った見解と して退けることかできるか多くの人間にそうすることは困 難だろう。 なぜか それは、熊谷自身が震災の被害を自ら経験し、身近でつぶ さに目撃した当事者であったと判断されるからだ。この当事 者性こそ、熊谷の怒りに満ちた言葉を支える源泉だし、また われわれが彼の言葉をむげにできない理由である。 冒頭に挙げた作家たちのメランコリ 1 は、この当事者でな いという意識が生み出す疚しさにこそ由来するものと考えら れる。 この当事者性と非当事者の抱く疚しさの問題は、フロイト が「喪とメランコリー」で提示した「喪の作業」とメランコ リーの差異にも係わっている。フロイトは、メランコリーと 喪の作業を極めて似たものと捉えている。喪の作業において も、人はメランコリ 1 の時と同様に外界への関心の喪失とい った抑鬱的状態に陥るからだ。 ならば、喪の作業とメランコリーの差異はどこにあるのか それは、その起点にある。喪の作業は、家族や恋人といった 具体的な愛の対象の喪失が原因となり発生する。対して、メ ランコリーは、具体的対象の消失がなくとも生まれる。たと えば、作家としての文学の価値への信奉の喪失といった抽象 的事態によって、場合によってはそうした特定の要因がなく とも起こりうるのだ。 喪の作業は家族などを失った者に起きる事態だが、メラン コリーは、家族などのかけがえのない人の喪失がなくとも生 まれるのだ。すなわち、震災の非当事者にも起きうる事態な のだ。だから、冒頭に取り上げた、震災の非当事者であった 作家たちは、メランコリックな状態に陥ったのだ。 先にメランコリーの状態にあった作家たちは、その非当事 者性故に疚しさを抱えていたと述べた。それは一見分かりや すいように見える。愛する者を亡くしたのでもないのに、悲 嘆に暮れるのは、本当に被災した者たちに対して申し訳ない 気持ちになるからだ。 ならば、愛する家族を失った者が、震災の当事者というこ とになるのだろうか。事はそう単純ではない。 当事者とは誰なのか、また当事者性とは何であるのか 3 当事者性とは何かー年表と歴史 ヘイドン・ホワイトは『物語と歴史』 ( 海老根宏 / 原田大介 訳 ) において、歴史表現には三つの種類があると指摘してい る。その三種類とは、年表と年代記と厳密な意味での歴史で ある。