聞い - みる会図書館


検索対象: 文藝 2015年 spring
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1. 文藝 2015年 spring

「乗るか ? 」 持っていた。そしていつの間にかなくした。なくしたことも忘れ 男の人がいった。おばあちゃんは黙っていた橋のあるところていた。忘れている。だけど神永にもらったことは忘れていない からずいぶん歩いて来てしまっていた。河原に黄色い花がたくさ「まさし、しばいたってん」 ま ん咲いていた。菜の花だ ( くかいった。神永か笑った。 「乗らへんねんやったらおっちゃん行くでー 「鼻折ったった」 男の人がいった。男の人には河原の菜の花の中に立つ小さな女「兄貴生きとん」 の子が見えていた。船と一緒に男の人が小さくなって行った。 「生きてる」 長田がすぐ にいびきをかきはじめた。三上が笑った。 「ふうん」 からすが鳴いた。突然おばあちゃんは心細くなって来た。 「やくざやめたらしいで」 電気を消した部屋の中でばくは目をあけていた。神永はまだ寝「やめさせられたんやろ」 ていないのがばくにはわかっていた。よその家のにおいがしてい 神永は笑った。 た。どこかでかいだことのあるにおいだった。だけどばくにはそ「俺、たぶん転校するわ」 れがどこだったか思い出せない。神永の家だ。ばくが神永になり神永がいった。 あの家にいたときにかいだにおいだ。 「ほんま」 つ、」 0 「起きてる ? 」 神永がいった。 長田がからだを起こした。ばくと神永はそれを見ていた。長田 「うん」 は立ち上がり、部屋を出て行った。 ま ーくがいった。神永はからだを起こして、ガサガサと音をたて「何や」 た。そして 神永がいった。ばくと神永はあいた戸から顔を出して音を聞い 「これ」 ていた。何も聞こえなかったけど、少しすると、玄関の戸があく とばくに小さな紙袋を渡してきた。中には細く短い棒のようなのが聞こえた。ばくと神永は顔を見合わせた。 ものが四本入っていた 「出て行ったんかな」 「えんびつ。もうすぐ誕生日やろ」 「何で」 神永がいった。 「見て来るわ」 「ありがとう」 神永がいい、部屋を出て行った。 ばくは小声でいった。ばくは長い間、そのえんびつを使わずに 長田は自分の家の下 ( こいた。しかし廊下はいつも見るものよ 鳥の会議

2. 文藝 2015年 spring

神永はその山を見ていた 「ケン、とかがええよな」 「えらいときに産気づいてもて。飛行機はそこら中に爆弾落とし 「長田ケン ? 」 はるし、わたし忘れへん」 三上がいった。 木の枝に小さな鳥が止まって鳴いていた 「うん」 「まさるさんとこは、奥さん元気 ? 」 「地名やん」 おばあちゃんがばくにいった。長田が目を丸くしてばくを見た。 「住所どこですか、長田ケンです」 ま ばくはまさるじゃない。 ーく力いった。 「きれいな奥さんやもんねえ 「長田ケンてどこ」 おばあちゃんがいった。 「知らん」 「まだピアノやってはんの ? 」 「そんな県ないやん」 おばあちゃんがばくの顔をのぞきこんだ。長田と三上がばくを 「ない ? 」 見た。神永は庭の木を見ていた。 三上がいった。 「転校するん ? 」 ばくはとても小さな声でいった。 長田がいった。 「そらよろしいわ。また聞かせてほしいわあ」 「わからん」 おばあちゃんはいっこ。 神永がいった。 おばあちゃんが入ってきた。 「泊まって行けや」 「庭の木にみかんがなってるわ」 駅前のそば屋で神永にカレーをおごってもらっているとき、神 僕たちは見に行った。庭には何本もの木があったけど、どこに 永がいった。 もみかんなんかなかった。 「うん」 「まだ青いけどな、ここのみかんは甘いからな、みんなで食べ」 まくよすぐこ、つこ。 ばくらは何もいわなかった。 「やった」 「あんたはそこで生まれたんや」 おばあちゃんが神永にいった。おばあちゃんが指さした場所は長田がいった。 「何か寝巻きある ? 四本の木に囲まれた、少し盛り上がった、小さな山だった。 三上がいった。 「その下の防空壕でな」 鳥の会議

3. 文藝 2015年 spring

ですが、ばくは孔子たちのそんな力を「論語力ーとでも呼びたい気 持ちです。 そういうわけで「論語」を読んでいると、わからない。正確にし うと、なんでそんなしょ 1 もないことをいうのかわからないそれ「論語力」は、まったり、ゆったり、波の間に間に揺らいでいるよ が中国の偉大な古典で、日本でも昔から延々と伝えられてきたってうな、いわば「癒し系」の思考です。そう思って、読んでいけば、 のが、またわからない。 頭にも来ないでしよう。ほら、お爺さんがなんかいってますよ。茶 いったい、それはなぜなのか の間に行って、ほうじ茶でも飲みながら、ちょっと付き合ってあげ その問題について、ばくはいろいろ考えてみました。 てください。聞いてるだけで、功徳があるはずですから。 まず、孔子やその弟子が生きていた時代がものすごく昔だという ことです。紀元前五世紀。でもキリストが生まれた頃とはそんなに 変わらない。 また、それも不思議ですね。キリストやその弟子たち レッスン① の話はドラマチックで感動的でけっこう面白いのに「論語」の連中 ときたら、ポ 1 ッとしていて、反応に乏しい。孔子の話を聞いてい さて、論語は全部で一一十の。、 ノ 1 トでできています。中身もいろい ると、なんだか、ポケた老人の話を聞いているみたいです。 ろで、た ( たいか孔子のおしゃべりですが、中にはお弟子さんたち いや、もしかしたら、この「ポケ」具合こそが、孔子の真骨頂なのおしゃべりもまじっています。お弟子さんたちは時に不安になっ のではないでしようか。キリストとその弟子たちには、、 しまでいうて、孔子に疑問を呈したりしますか、孔子がすごいことをいうので 「近代ーの気分がすでに生まれています。その部分が、ばくたちに 感動してノックアウトされたりします。が、なぜそんなに感動した は「ドラマチック」であったり、 「感動的」であったりするように りするのか実のところ読んでいてもさつばりわからないので困りま 見える。けれども、孔子とその弟子たちには「近代」はありません。す。まあ、そんなことをいっても仕方ないので、とりあえず、本文 「近代ー以前の中世とか古代という時代の人たちが、ほんとうになを読んでいきましよう。 にを考えたり、感じたりしていたのか、い まの我々にはわからない 今回は全二十パートの最初「学而第一」というやつを読んでみま ちょうど「ポケ」た老人がどんなことを考えたり感じたりしている しよう。その中に十六の文章がはいっています。わかりやすいよう のかわからないように。 に①から ( ⑩まで番号をうっておくことにします。 しかし、「ポケ」た老人は時に、鋭いことを、我々には田 5 いもっ かぬことを、不可解なことをいったりもします。なぜなら、「ポケた」—①子日く、学んで時にたを習う。亦た悦ばしからずや。朋あり、 いきど 老人は、我々の頭にしがみついた「近代ーとかいう面倒くさいもの速方より来る。亦た楽しからずや。人知らずして慍おらず。亦た君 を脱いじゃっているからです。 子ならずや。 そんな「老人」の力を「老人力」と名づけたのは赤瀬川原平さん よろこ くん 474

4. 文藝 2015年 spring

猿が口をとがらせた。ばくたちもその真似をした。猿が牙を見 育 ~ 力いて、ライオンかいて、トラかいて、ゴリラかいる せた。ぼくたちには牙がない。 何かが遠くで鳴いた。 ばくたちは熊を素通りして、ライオンの檻の蔔 ばくが猿の檻のいちばん端にある檻の前で神永にいった。 ライオンは中にいるのかばくたちには見えなかった。それでもそ 「こうやろ」 こにライオンかいたという空気があった。神永は鼻を檻に近づけ て とばくがい ( 、檻の裏に回った。神永はばんやり檻の前にした 何かが遠くでまた鳴いた。檻の中にばくがあらわれた。ばくか檻 「これライオンのにおいかな」 といった。だけど厳密にはライオンだけのにおいじゃないかもの中にいた。 しれない。右隣にトラの檻がある。トラもいないけど、そこから「わあ」 のにおいもばくにはしていたふたつのにおいは似ている。肉食神永がいった。 「えへへ」 やからな。左隣のゴリラのにおいは違う。ゴリラのにおいはもっ ばくは笑い、 神永に と草のにおいがする。果物食べるからかな。でも熊のも違う。熊 、、こ、る「そこの看板見て」 は肉食やのに、何でかな。ハチミッ食べるからか向力し ( し と檻の前の小さな看板を指差した。神永がそこを見た。 ビュ 1 マのにおいはライオンやトラに似てる。ゴリラの檻の向こ うには象がいる。今は獣舎の中にいるけど、大きな窓があるから 外から見えた。象は二頭いて、じっとしていた。暗い中でも象の人間 黒い目はわかる。まっ毛が長い。象のにおいがしてる。象はにお と書かれていた。 いも大きい。 「おいで」 「象は一日に百キロ食べます」 まくよ、つこ。 「百キロ」 「うん」 「て、どれぐらい ? 」 ばくは猿の檻の並ぶところへ神永を連れて行った。猿たちは昼神永が檻の中へ入ってきた。 間のように動いていたたけど暗くてよく見えない。中に一匹、 ばくたちをじっと見てるのがいた。そこにだけうまく遠くからの神永が檻の中を見回しなからいった。 「すごいな」 光を受けてばんやり浮かび上がっていた ばくたちは檻の中にいた 「見てる」 「ここ」 鳥の会議

5. 文藝 2015年 spring

やがって」 「関係ないわい」 それまで黙っていた神永がいった。 「何」 「足がどうとか関係ないわい」 「あるやろがい ! 」 男の人は怒鳴った。 ナ / ( し 神永はまたいった。竹内が神永を見ていた 「何がないねん ! あるやろがい " 【」 「ないんじゃ ! 」 男の人は少しびつくりした顔で神永を見ていた。 「何やこいつ」 「おっさん」 竹内がいった。 「ええわ。どいて」 「あ ? 男の人がいった。 「ワレが神永か」 要」、つ , 」 0 「ああ」 神永がいった。 「お前、殺したるからな」 「お前名前何いうねん」 「竹内や」 「いつでも来いや」 神永がいった。 「お前らなんかバラバラにしたるからなリ」 竹内がいった。長田には竹内は少し喜んでいるように見えた。 「ええ加減にせえー 男の人がいった。 「うっさい ! 」 竹内がいった。神永が少し笑った。 ばくはその話を一一日後にきいた。教えてくれたのは三上だ。昼 休み、一号校舎の裏にばくたちはいた。ばくは左の目に眼帯をし ていた。 三上がばくの左目を見ていった。聞いたのは三回目だ。 ばくがそういったのも三回目だ。 三上は桜の木にもたれていた。入学式の日、ばくはこの木を見 た。三上も見ていた神永も見ていた。長田は見ていない長田 しや、木のあること は今でもここに木があることさえ知らない。、 は知っている。だけどそれが桜の木だとは知らない長田はだけ どこの桜の裏にあるコンクリ 1 トの壁の割れ目からときどき猫が 出てくるのを知っている。それは黒いやつだったり白いやつだっ たり三毛だったりした。夏になれば子猫だって出てきた。そのこ とはばくも三上も知らない。 神永はここらにときどき猫があらわ れるのを知っている。だけどそれが壁の割れ目から出て来ていた のだとは知らない。 鳥の会議

6. 文藝 2015年 spring

を切った。たいした傷ではなかったけど。きよしの父親は、神永長田がいった。 は、去年死んだ。下の子のこうじはまだ小さかった。三人で死の「あれいうたらあれやんけ」 うか、とおばあちゃんは田 5 ったりもしたことがあった。だけどで「あれでわかるかい」 きなかった。よくそんな話を聞くけど、あんなことはなかなかで「うっさいポケ」 きることじゃない。子供とはいえ二人を引き連れて海なり線路な「何こら」 りに飛び込むのは簡単じゃない。それに海は無理だ。三人とも泳ぼくたちは疲れていた。 h1J カ - フ土 一家心中なんてひどい話だ。死ぬなら自 分一人が死ねばいい。だけど一人なのなら死ぬ気はおばあちゃん男の人がおばあちゃんを連れてばくたちの後ろにいた。 はなかった。それだと意味が違う。 ばくたちはびつくりして立ち上がった。疲れて下に座っていた 男の人は何度もおばあちゃんに呼びかけていたしかしおばあのだ ちゃんは遠くを見ているだけで返事をしない。 「神永やろ」 男の人はいった。神永は男の人をじっと見ていた ばくたちは突堤の先まで来ていた。それが岬なのかどうなのか 「おばあちゃん」 はよくわからなかった。大きな船がそう遠くない場所にいた 外おばあちゃんはばくたちの誰とも目を合わさず、遠くを見てい 国の船だ 神永がおばあちゃんの手をそっと取った。 男の人はばくたちをじっと見ていたそして 「何でわかるん」 そういわれれば自信はない。 「お前ら、顔色悪いぞ」 といったたぶん寝てないからだ。 「ポリにいうた方がええんちゃうん」 長田がいった。そうかもしれない。 これだけ探して見つけられ「帰って寝え」 ないなら警察に行ってお願いするしかもう方法を思いっかない。 「痛い痛い」 しかしばくたちは警察が大嫌いカ と神永が声を上げた。ばくたちが見ると、おばあちゃんは、神 昼はすぎていた。お腹もすいていた。寝てないから眠たかった。永の手をきつくにぎって、海の方へ歩いて行こうとしていた 「これ一回戻ってあれした方がええで」 「我慢しい ! 」 おばあちゃんがいった。 三上がいった。 「あんたと一緒にわたしも死ぬから ! 」 「あれて何ー 鳥の会議

7. 文藝 2015年 spring

といった。そのときの神永はとても小さな子供に見えた。 ばくはコップに水をくんで渡した。お父さんはそれを一気に飲 ばくたちはそのとき浜にいこ。 釣りをしていた。なぜか急に父んで、コップを投げた。それは割れた。これよりばくの父はまだ 「あいっ誘たれや、神永ー 「何が」 ま といったのだ。だからばくは神永を誘ったのだ神永はとても ~ くかいった。くは驚いた。まくは何もいおうとはしていな 嬉しそうにしていたばくは父と行く釣りはあまり好きじゃなか かったのに、勝手に口から声が出た った、というか、まったく好きじゃなかった。父は釣れないと不「何が、くそ ? 何が、なめやがって ? 」 機嫌になり、ばくに当たる ばくの声じゃなかった。ばくから出ていたのは神永の声だった。 ばくは神永だった。 大きな音をたてて戸があいた 「何でコップ投げんねん」 「ちっー 「あ ? 」 舌打ちするのが聞こえた。神永のお父さんがいたお父さんは「何が、くそで、何が、なめやがって ? 何でコップ投げるん ? 」 酔ってしナ 、こ。ばくは流しに立っていた。お父さんが近づいてきた。 お父さんがばくらを斜めに見上げた。ばくは震えていた神永 そしてばくを突き飛ばし、冷蔵庫をあけて、中を見て が震えていた。 「何にもないんか」 「なあ」 ( しノタン、としめ、ドスンと床にあぐらを力しナ 「あ」 の腰の前にお父さんの頭があった。ばくはそれを見下ろしていた。 「何でコップとか投げるんじゃ ! 」 お父さんはば くかばくだということに気かついていない。 ばくから、神永から、大きな声が出ていた 「くそ」 「誰にものぬかしとんねん」 お父さんがいった。 お父さんがいった。 「なめやがって」 「お前じゃ」 「ああ ? 」 床につばをはいた。お父さんのからだが揺れていた。揺れて小 刻みに震えていた汗もかいていたそしてくさい 「お前にいうとんねんリ」 「水や」 お父さんがものすごい速さで左腕をばくらに投げた。手の甲が お父さんがいった。 ばくらの腹のあたりに当たった。お父さんはそのままばくらを捕 「水くれ」 まえて、冷蔵庫のある場所へ突き飛ばした。ばくらのからだの左 ・カ

8. 文藝 2015年 spring

なんで動かないんだよ。さっさと行けばいいのに。 しばらくその場にじっとしていると、だんだん目が慣れてきた。 プシュ。空気の漏れるような音を立ててバスが揺れた。僅かに後真っ暗だと思っていた窓の外から、ばんやりと白い光が差し込んで ろへ下がって一度止まったあと、溜めていた力を放すように急に前いる。誰かが外を走っていく気配がした。 へ進み始める。泳ぐのに似ているんだな。サオはそう思った。 突然、消えていた電気がついた。眩しい。サオは目を細めた。 「じゃあまた明日」もう一度大きく手を振った。女の子がサオを見「ああ、びつくりした」母が長い息を吐いた て口を動かしたが、何と言ったのかはわからなかった。 「焦ったよ」そう言いながら父が居間に入ってくる。風呂から上が ったばかりで、まだ髪が濡れていた。 夏とはいえ、八時近くにもなれば辺りはずいぶんと暗くなる。ハ 電話が鳴った。そのまま父が近づいて受話器を取る。 スが排気口から黒い塊を吐き出しながらゆっくり視界から消えると、「本当ですか」父が声を上げた。「こっちは全然何も」 サオは祖母の家まで走って帰った。 「なんで電気が消えたの ? 」サオは聞いた。 「ただいま。お腹すいた」サオは居間を抜けて台所へ入ると、流し「停電。昔はよくあったのよ」 台に近づいて蛇口をひねった。出始めの水は生温いので、しばらく 「おい、テレビ」父が受話器を持ったまま、テレビを指差しながら 待ってからコップに溜め、一息に飲む。遠くのほうからプンという 大きな声を出す。 低い音が聞こえていた。 サオはリモコンのボタンを押した。すぐにテレビはついたが、真 「なんの音だろう」船の汽笛とは違う。 っ暗な画面はテロップだらけで、ところどころに赤い光が揺れてい サオはコップを流し台に置き、居間に戻った。低い音は次第に大るだけだった。アナウンサーが早ロで同じことを何度も繰り返して きくなっている。車のエンジンがかかっている時のような振動がサ オの体へ伝わって来た 「えらいことになった」父は電話のボタンを押し続けていた 「何これ」 「カイメッって何 ? 」サオは聞いたが、祖母は画面に向かって両手 「何が ? , 母が首を傾ける。 を合わせたまま、じっと正座をしている。何かとんでもなく恐ろし 居間の壁にかかっている古い時計の針はちょうど八時を指すとこ いことが起きたらしい。それだけはサオにもわかった。 ろだった。長針がカチリという音を立てて真上を指すと、急に振動「ダメだ」電話を置いた。「つながらない」 か消えた。 父はリモコンを手に取って、食卓の椅子を電話の近くへ引き寄せ 「わ」窓の外で何かが光ったような気がした。 ながらテレビの音量を上げた。 「どうしたの ? 」サオが母に答えようとした瞬間、いきなり電気が 「みんなこっちにいて良かった」母が声を震わせた。「もし家にい たら . そう言って床に座り込んだ 消えた。窓の外も真っ暗になる 「停電か , 父の声が響いた。「危ないから動くな」 466

9. 文藝 2015年 spring

いう。家賃はほとんどただ同然だった。 前に人が死んだのは一一十年ぐらい前だったから、墓のなかで二十 うるま病院の職員寮から引っ越すことにした。まず電気をひかね 年も寝かせていたのだという。だれかが死ぬと、遺骨と一緒に泡盛 の甕も墓に入れる。そして次の死者が出たとき、新しい甕を入れて、ばならなかった。水道は、軒下の鉄のふたをあけて元栓をひねるだ けでよかった。町のリサイクル・ショップで小さな冷蔵庫を買った。 古い甕を取りだして飲むのだという。 たがカスをひくことはできなかった。。 カス管がきていないのだ。鍋 澄みきって、とろりと熟成した酒だった。霧山が言った通り、天 料理などに使う卓上ガスコンロや、小さなポンべを買った。風呂も 使の羽で喉をなでられるようにすうっと消えていく。 墓の入口はひらいていた。腰をかがめて潜り込めそうな穴だった。ついていない。水シャワーを浴びることができるだけだが、それで 奥はひろびろとして六畳間ぐらいの空洞になっている。そこに一族十分だった。食事は病院ですませることができる。ただ窓ガラスが の骨があるのだろう。島唄と踊りが延々とつづいた。なんとゆたか何枚か割れていて、風が吹きぬけてい な弔いだろう。死が祝祭に思えてくる。生まれて初めて、死を恐ろ 三部屋だけの小さな家だった。一間には畳がついているが、もう 一間は床板がむきだしになって、花柄のビニ 1 ル・シートが敷いて しくないと感じた。この島には不思議な豊かさがある。ここで死に あるだけだ。 墓地と接する床の間にはべニヤ板が打ちつけてあった。 たいと思わせる懐かしさがある。この島に骨を埋めるつもりらしい 台所の窓から亀甲墓や大赤木が見える。途方もない巨木だった。 霧山や田島の気持ちが、初めてわかるような気がした。 数人が手をつないでも囲めないぐらい太い幹だ。枝はゆったりと青 「樹の下に空家がありますね。あの家を借りたいのですが、 空をおおうほどひろがり、根方には人がうずくまって眠れるぐらい 「でも、お兄さんに住めるかねえ」 なにか、いわくのある家のようだった。おばあは無言で見つめての洞があった。 戦争のとき砲火にさらされ、草が燃え、木々が燃え、ここらの岬 くる。悪い霊たちが暴れているが、お前はだいじようぶかねと、こ は白々と石灰岩が露出していたという。大赤木も燃えあがり、枝と ちらの心の強度をじっと見定めてくるようだ。 ( オカカやがて芽吹いてきて、このような大樹 い、フ枝か里 ~ こ、アこよっこゞ、 「だいじようぶですよ」 になったのだという 「では、あたしから頼んであげようか」 家主をよく知っているのだという。でも、ここらの森にはハプが夜、さわさわと揺れる大赤木に耳を澄ませながらパソコンをひら 1 つきのビニール袋に包んで、降りし 熱帯アジアではジッパ いるから気をつけなさいねと、おばあはつけ加えた。 きる雨から守り、砂漠でもなんとか砂から守りぬいてきた旅の道づ 家主さんは歯科医だった。息子夫婦を住まわせたいと思っているれだった。 メ 1 ルをひらいてみた。スバムがなだれ込んでいるばかりで、ジ が、あの家ではなぜか仲たがいばかり起こる。べつに自殺者がでた とか、そういう家じゃないんだがね。だから一時、だれかに住んでムからの便りは届いていなかった。がっかりした。以前、パレスチ もらってワンクッション置いたほうかいし 、と思っているところだとナの難民キャンプで受信したジムからのメールを読み返しながら、 うろ 328

10. 文藝 2015年 spring

有の文化があって、その文化そのものが治癒力をもっケースもある」 りふれた平屋造りだった。縁側の沓ぬぎ石に立った。なぜかこの石 「ああ、それはわかります」 が好きだった。大きなサンゴの塊りが白く風化して、縄文土器そっ 「この島では、女性のほうに霊的な力があると信じられている。祭 くりの模様がうねっている。 司の中心にいるのも女性たちだ。霧山さんもわたしも、神経症の女霧山は、電動式べッドの背を起こして書きものをしていた。全学 性をときどき乙姫さまのところに預けている。おおっぴらには言い連や、安保闘争、連合赤軍、そして南島の精神医療について、遺一言 にくいか、まあ、相互扶助のようなものかな」 のように書いているらしいと田島が言っていた。べッドのまわりも、 「と一言 - フと ? 壁も、書物だらけだった。小さなシャコ貝から煙草のけむりがたち 「あの乙姫さまは、自分の力がどういうものかよくわかっている。昇っている。肝臓ガンを病んで、さすがに酒は断ったけれど、禁煙 能力の限界も知っている。いわゆる宗教病など、心因性の病ならひする気はまったくないようだ。 き受ける。だが統合失調症は手におえないから、こちらの病院を紹顔をあげた。ノ 1 ト・パソコンから手を離して、白髪をかきあげ 介してくれる」 頬がこけているが、眼にはまだ精気があった。 「不思議な人ですね」 ん、なにか用事かね ? と問いかけてきた。 「霧山さんの恋人だよ。同志的なプラトニック・ラプだと思うけど「乙姫さまのことですが 「ああ、光主のことか」 田島は慈しむように笑った。 教団ではそう呼ばれているのだという。 「そのユタ教団はどこにあるんですか 「そのユタ教団って何ですか」 「霧山さんに聞いてごらん」 「田島に聞けばわかるよ」 田島はゆるりと答えた。かっての鋭さは影をひそめていた。 「田島は、霧山さんに聞きなさいと言ってました」 院長室の窓から中庭が見えた。赤花や、カンナ、ゆうなの花々が 「そうか」 咲く美しい庭だ真ん中にガジュマルの大樹が生え、その木陰が喫まあ、あがれよと手招きした。散乱する書物をかき分けて、べッ 煙所になっていて、いつも患者さんたちが憩っている。 ドの下に坐った。 「光主は、島でいちばん有名なユタだ。神高くて霊力があるという 評判だった。信者がたくさんいて、波照間宮という社殿を建てた。 みんな龍宮城と呼んでいるがね」 中庭の花々をかきわけ、近道へ降りていった。岬の中腹にさしか 「だから乙姫さまか」 かると一軒の家が見えてくる。赤瓦の屋根いつばいにブーゲンビリ 「精神病院を回って、カミダ 1 リイしている娘さんたちをひき取っ アの花が咲き乱れ、火事のように燃えている。家は小さく、ごくあてはユタに育ててきた。もう田島から聞いたと思うが」 ね」 , 」・フしゅ かんたか 3 23 永遠の道は曲りくねる