過去は業であり祝福だ、祝福であることが業であると気づくなら、哲学に特化した人であるらしいことは「折ロ信きではじめてわか 持たないことは欠如でない、 猫は業を持たないなら祝福を持たない、 った、私はそれをまわりの人に言うと井筒俊彦と神秘哲学の結びつ 持たないことは充足だ、ある時はある、ない時はない、 「ある」は きをきちんと知っている人はほとんどいなかった。 余韻がない。 自我・私は有限である、有限な自我・私が消滅する、消滅したそ の場所に世界が流れ込み一つになる、いわく〈すべては一〉〈一が 安藤礼一一の「折ロ信夫』で言及された井筒俊彦の最初の本は「神すべて〉。プロティノスの光の哲学はどういうことか知らないが華 秘哲学』であり井筒俊彦はネオプラトニズムのプロティノスの光の厳経は噂に聞いた程度に知っている、天上界の花が咲き誇り馥郁た 哲学が思想の完成だとか究極の思想だと書いたと安藤礼一一は「折ロる香に満ちた世界が展開する、華厳経が他の仏典と違うのは他の仏 信きに書いている、井筒俊彦は華厳経を仏典の中で究極の教えだ典が悟り以前のことを書いているが華厳経は悟りの世界そのものを 書いている。 と言ったと書いてあるのを読んだのもたしかこの本の中だった。 私は「折ロ信き以前、井筒俊彦が偉大な学者であるとされてい るのは知っていた、井筒俊彦の「ロシア的人間』はおもしろかった、 「有限の自我・私が消滅した / その場所に世界が流れ込み一つにな 思想を研究する人でこれほど文学に精通し文学を読める人は「思想る」 を研究する人」という枠を取り払ってもいないと感心した記憶があ / で切った前半だけ、自我の消滅だけではいけないのか。自我が る、ただし文学を読めるというのが一面においてとかある種の文学消滅すればそこに世界が流れ込むのかもしれない、それが一つにな をという限定がつくことは言うまでもない、 これでは小島信夫は読るのかもしれない、しかしその先に光がある必要があるだろうか、 めない、べケットもきっと外枠しか読めない、その井筒俊彦が神秘プロティノスを何年も前に読みかじったとき私は薄つ。へらく物足り その恐怖を踊れー 時は近未来、韓国を舞台にした サイキックパンク 言語戦争が始まったーーーネット 限定販売で四〇〇〇部完売の話 題の長編に、書き下ろしを追加 したク一般版ク単行本。 親愛なる と , フせい一」 , フ 2 親愛なる 谷語 房 書区。 とうせいこ一つ 京 、 / 東 ・本体 1600 円十税 ISBN 978 ー 4 ー 38 ー 02 夐 1 占
河出書房新社 マルグリット・ ッ デュラス ルュ愛人 3 , 清水徹訳〔訳〕 マデ ヒロシマ・モナムール 工藤庸子〔訳〕 名画「二十四時間の情事」の母胎となっ たテクストを四十四年ぶりに新訳。「フ クシマ」後のいま、五十数年前のデュラ スの「ヒロシマ」、ひと夜の愛の物語が、 新たな意味をもって迫ってくる。 ・本体 1800 円十税 ISBN 978 ・ 4 ・ 38 ・ 2g62 ・ 2 一九八七年のインタビュー集。デュラス 私はなせ書くの力率直に語り、作家。作家自身による解説 レオポルディーナ・パッロッタ・デッラ・トツレ〔聞き手〕書ともいえる貴重な一冊。創作秘話や交 友関係のエピソ 1 ドなど満載。 北代美和子〔訳〕 ・本体 2200 円十税 ISBN 978 ・ 4 ・ 309 ・ 288 占 マルグリット・デュラス生誕一〇〇年記 念特集。未邦訳小説、エッセイ、対談の ほか、金原ひとみによる新訳「モデラ 1 ト・カンタ 1 ビレ ( 第七章 ) ーなど。世界 的作家としてのデュラスをいま問い直す。 ・本体 2100 円十税 ISBN 978 ト 309 ・ 2g59 ・ 2 。あの青年 絽歳でわたしは年老いた と出会ったのは、靄にけむる暑い光のな か、メコン河の渡し船のうえだった。仏領 インドシナを舞台に、金持の中国人青年 との最初の性愛経験を語った自伝的作品 : ( 河出文庫・本体 750 円十税 ISBN 978 ・よ 8 ・ 468 よ
( 一九〇九年 ) の「スパルー一一月号から、彼女は寄稿しはじめる。 月号 ) 、「お鯉さんー ( 「三越」第二巻第一一号、一二年一〇月 ) と書き、 ただし、それは、佐藤春夫が言うような「「あだ花』一冊分ーにと ここでびたっと終わっている。明らかになっている限りで、作品は どまるものではない。 計一四本。わずか三年という期間のことだった。 ただし、年譜上で見ても、この期間は、家庭婦人としての彼女に 私がまず驚かされるのは、しげの執筆ぶりに見られる律儀なまで の勤勉さだ。「写真 [ ( 「スパル」一九〇九年一一月号 ) に始まって、以時間のゆとりがあった時期とは言えない。次女・杏奴の出産 ( 一九 後は毎月、「友達の結婚、パックの大臣、流産 . ( 同一〇年五月号 ) ま〇九年五月 ) 、三男・類の出産 ( 一一年一一月、ただし長男・於菟は先妻の子 ) で、「スパルーに七本の短篇小説の寄稿が毎月続き、単行本の森しと続いて、子育てにも多忙な時期である。 外によって原稿に加えられた朱筆というのは、どう考えておく げ著「あだ花』 ( 弘学館書店、一〇年六月 ) 刊行にあたっては、そこか ら「宵闇」 ( 「スパル [ 一〇年四月号 ) が外されて、代わりに「産ー ( 「女べきか ? 当時、若年作家の小説が、師匠格の作家の朱筆を受けた 子文壇」第六年第六号、一〇年五月 ) が加えられるかたちで、やはり計上で発表されるのは、珍しくなかったはずである。外の長男・於 菟でさえ、しげの「あだ花」について、「文章はもとより父が手を 七本の作品が収録されている。 これからのちも、さらに彼女の「スパル」への寄稿は続く。同じ入れているが、それは多く冗長の部を削り取ったもので、他の人の 短篇でも、原稿分量はそれ以前のものよりさらに短く、四百字詰め文章を添削する時に父は大概これを原文の一一分の一以下に切りつめ たのである」 ( 「鵐外と女性」、「父親としての森鵐外』 ) と述べている。 原稿用紙で二〇枚内外のものが中心になっていくのだが、こと短篇 いずれにせよ、鵐外は、この一九〇九年春先の「半日」で、初め 小説の場合、それは創作意欲の減退というより、むしろ、習熟の現 一方、朱筆を受けるべきしげの小説は、 て口語体の小説を書いた われと見るべきものだろう。 「間引菜ー ( 「スパル」一〇年七月号 ) から「記念」 ( 同一一年一一月号 ) ま最初からすべて口語体だった。 で、途中、一一年一月号に寄稿を休んではいるが、さらに七本の短単行本「あだ花』に収録された作品の配列は、初出発表の順序か 篇小説の掲載が同誌上で続く。そうするうちに、「中央公論」「東亜ら大きく組み替えられて、玄人はだしの巧みなものとなっている。 之光 [ 「三越ー「新小説ー「読売新聞」閨秀号、そして、「青鞜」創刊あるいは、ここにも、鵐外の判断が加わっていたのかもしれない。 号 ( 一一年九月 ) にも、小説の寄稿が求められるようになっていく。 単行本「あだ花』の目次の配列に、初出誌の年月を添えてみる。 こうした事実の推移がありながら、ただちに佐藤春夫が言う「先 生は欣然と夫人の文に朱を入れておられた」という出所不明の伝説 ・あだ花 ( 「スパル」一九一〇年一月 ) ・波瀾 ( 「スパル」一九〇九年一二月 ) ( ? ) に基づいて、森しげの作品を十把一絡げに鵐外執筆の付属物 ( ( ーし力ないのではないか。と、私は田 5 う の - フに扱 - フわナ・こよ、 ) ・産 ( 「女子文壇」一九一〇年五月 ) ともあれ、このあとは、森しげの執筆はやや間を置いて、一九一 ・友達の結婚、パックの大臣、流産 ( 「スパル」一九一〇年五月 ) ・写真 ( 「スパル」一九〇九年一一月 ) 一一年に入ってから、随筆風の消息文「りう子様に」 ( 「青鞜」一一一年六 255 女の言いぶん
とい - フことはど - フなるのでしょ - フか」 がに兄弟だけあって兄貴も神速やのお、と驚き呆れつつ、また、半 「拾った人のものですよ。ところで、あなた独り言とか言う癖あり死半生になった部下たちを運搬しながら、言われたところへ行くと、 ません ? 今頃は足柄山を越えて伊豆の国府であるところの三島に向かってい 「はあ ? 」 るでしょ - フ、と一言 , フ。 「だからあ、自分でも気がっかないうちに独り言とかいう癖ないで もうあかんのとちゃうか、と弱気になる、いに鞭打って、また、死 すか ? って尋ねてるんですよ。どうですか。もしないのだったら腰んだように横たわって動かない側近どもにも鞭打って、足柄山を越 の痛いの我慢して金の粒と銀の粒、拾おうかなあ」 え、箱根坂を下って伊豆の国府であるところの三島に行けば、頼朝 「あああ、あります、あります。あ 1 あ。兵衛佐様は、蜂起の報にさんはそこにも居らず、「昨日、ここを出て駿河の国の千本松原の 接して平家方が差し向けた軍勢を待ち受けるために諸方と緊密に連海岸近く、浮島が原に向かいましたよ」と言われた。 絡を取りつつ、また、周辺の武士に帰順せぬ者があれば殺しつつ、 伊豆の国府から浮島が原なら近い。やっと会える。そう思いなが 富士川のあたりに向かっておられるのだよなあ。とりあえずのチェら、「待ってください、置いていかないでください」と追いすがる ックポイントは府中の六所明神なのだよなあ。花というものは美し部下を蹴り倒して単身、馬を走らせた。 いものだなあ。メイタガレイというのはちっともうまくないよなあ やっと会える。やっと兄に会える。 そろそろ鼻毛伸びてきたなあ、あっ、うつかりしてまた独り言を言 そんな気持ちで私はいまの国道一号線の三島あたりから沼津方面 っちゃった」 に向かって駆けに駆けていた。そしてその姿は誰にも見えなかった はず。 「おおきに憚りさん。おー 、みんな、出発するぞ」 「えええええええええ ? もう、出発 ? ぜんぜん休んでねえじゃ ( つづく ) ん」 という訳で板橋を発し、府中の六所明神、いまでいう東京都府中 市に急いだのだけれども、兵隊が不平不満を言いまくるばかりか、 弁慶や佐藤三郎らまでが、不平不満を言い出したので、道中がはか どらず、ようやっとたどり着いて、そこらへんに立って左右にゆら ゆら揺れていた奴に問うたところ、一昨日に発った、という。しょ うがないので、また、落とし物と独り言作戦で、相模の国の平塚、 と行き先を聞き出し、文句を言う部下を、これ以上、文句を言った らこの場で斬り殺す、と脅しながら、平塚に着いたらまた居らず、 こんだ、足柄郡酒匂村の網一色あたりとちゃいまっかと言う。さす 402
コレット著弓削三男訳 2 7 0 0 円 ( 税込 ) 映画とは何か映画学講義 「これからある女性の生涯でただ一度の恋の話をしようと思 3 2 4 0 円 ( 税込 ) 加藤幹郎著 うーー」晩年の傑作短篇を四篇収録。ェッセイ・白石かずこ 『サイコ』の精妙な分析に始まり、黒人専用劇場映画の知られ アンナ・カヴァン著 ざる軌跡まで、・・グリフィスなどの古典ハリウッド映画や 説あなたは誰 ? 佐田千織訳初期映画を主な素材としながら〈映画とは何か〉を明晰に読み 2700 円 ( 税込 ) 解く。吉田秀和賞受賞の名著に新章を書き下ろし、全面改訂。 月望まない結婚をした娘が、「白人の墓場」で見た、熱帯の幻と 憂鬱。カヴァンの自伝的小説、待望の本邦初訳 罪の深さよ 曽根中生自伝人は名のみの 外 4 212 円 ( 税込 ) アルクトウールスへの旅 曽根中生著 海 ディヴィッド・リンセイ著中村保男・中村正明訳 惜しくも急逝した、間年代以降の日本映画を代表する映画 3 5 6 4 円 ( 税込 ) -0 1 亠 の「ぼくは無だ ! 」マスカルは恒星アルクトウールス〈の旅で監督が、監督全作品の製作秘話から、突然の失踪、発明家へ の転身までを告白した、衝撃の半生記。映画ファン必読 " " 此岸と彼岸、真実と虚偽、光と闇を超克する。リンゼイの 上第一作にして最高の長篇小説 ! 改訂新版 「曽根中生を見ずに昭和など語れるはずもない ヴァージニア・ウルフ著大澤實訳 そう確信していた者たちは、彼の自伝を読ま蓮實重彦 都坦 遊歳月 3564 円 ( 税込 ) すに昭和から平成への移行など語りえないと 京行 ( 映画評論家 ) 東上 いう苛酷な現実に、粛然と襟を糺す。必読ー ある英国中流家庭の生活を、半世紀という長い歳月にわたり 文悠然と描く晩年の重要作。解説・野島秀勝 1 ⅱ 朝日新聞、 ジョルジュ・ペレック著 毎日新聞、 物の時代 弓削三男訳 東京新聞、ネ 3 0 2 4 円 ( 税込 ) 小さなパイク 産経新聞・ = ・・遊 ルノドー賞を受賞した長篇第一作『物の時代』、徴兵拒否を 各紙絶讃リ文 ファルスとして描いた第二作『小さなバイク』を併録。
奈備」の最後、さらには「九夏後夜 . の全体を通して、 文字通り実現されようとしている事態である。 しわくら 三輪山の頂点、方舟の残骸のように散在する「磐座」 に顕現する「無」の場所を、「ここは、なにかあるので もない、なにもないのでもない」と思考しなければなら 十ノー、 何かが「有る」のでも、何ものも「無い」のでも 有ることと無いことの中間に、何かか、あるいは 何ものかが生まれ出てくる過程 ( プロセス ) をこそ見て、 社殿をもたず、聖なる山自体を神体として崇める最古【書評】 表現しなければならないのだ。過程 ( プロセス ) は時間 の神社、三輪山。その頂点に登り、また降りてくる。し とともに、すなわち「反復とともに可能になる。 安藤礼一一 かも二度。一度目は悲劇として、一一度目は喜劇として。 反復は差異を生み出し、差異によって反復が可能にな Text: Ando Reiji 名前をもたない主人公を聖なる山に導くのは二人の対 る。だから、美由と彩のどちらかを否定するのではなく、 照的な女性、美由と彩である。美由は神話の「神秘 , 美由とともに彩を、彩とともに美由を肯定しなければな 溺れ、彩は神話の「神秘」を笑い飛ばす。「反復」のなかで破壊される 。「震災後さ、あたしの友達のいじわるな編集者が、酒場で言う のは「純粋な起源」の探究という物語である。 のよ。これからはスピ系とかオカルトが流行るって。一儲けのしどころ 物語が終盤にさしかかった頃、神話の破壊者である彩はこう宣言する。 だって。美由ちゃんも、そういうのなんだよね」。そう非難される美由を、 「古代から連綿とつづく日本固有の民俗信仰」たる神道など、この列島ナナ こご否定し去るだけでは、誰も救われない。 に存在したためしはないのだ。神道とは「外、から来たもの、「普遍宗美由は彩の先駆けであり、分身にして鏡像である。決して「私 , と名 教である仏教ーに対するリアクションに過ぎない、 。「外ーの諸力が乗ることのない物語の主人公にとって、神話の盲目的な擁護者である美 入り混じり、「純粋な起源」が捏造される。それでは、「純粋な起源」を由も、神話の無慈悲な破壊者である彩も、それぞれがかけがえのない経 解体し、「外」の諸力を解放したとき、一体どのような情景が広がるのか。験をもたらしてくれる。美由によって一つの風景がひらかれ、彩によっ もはや神話も物語も成立しない。語る言葉と書く言葉が、古語と現代てもう一つの風景がひらかれる。現実の場所の上にさまざまな風景が重 語が、雅語と俗語が一つに混じり合い、主語も述語もない、あなたも私 なり合う。フィクションとリアルの境界が撤廃される。文学表現におけ もいない「雑ーなる世界が、ただ剥き出しのまま存在するだけであろう。 る豊饒さとは、もしくは「永劫回帰ーの感覚とは、間違いなくそのよう 日本語で考え日本語で表現するとは、あるいは言語を用いて言語で表現なものであろう。三輪山はシルスマリアなのだ。 するとは、そのような「雑 , なる世界を生き抜くことに他ならない。「神 佐々木中著 河出書房新社
いて、「私」の閉ざされた世界だけど、そ 統的な季語を置いて。それをぬけぬけと言前戦中の「われ」や「われわれーが崩壊し た。だからこそ人類という「われわれ」やこから未来を見ようとしているということ うのが俳句なんだと思うし、一方でこうい が分かった気がします。 うふうにしどろもどろになってみせるのが女という「われわれ」が名乗りを上げた。 新しい「われわれ」を誕生させたのが前衛川野「私」というのはいかにも孤独で閉 短歌なんだなと思って興味深かった。 ざされた感じですが、短歌の「私ーはイコ 川野「秋の暮」という季語があれば、ど短歌たったと思います。 ール「われわれ」のことなんですよ。その こかで逃げることができるけれど、短歌は原発事故が起きて、放射性物質の半減期 という途方もない時間を突き付けられたと「われわれーの質が問題なんです。 最後の一句まで自分で引き受けるしかない き、それを最も切実に考えたのが子どもとーー津波関連の短歌も見てみましよう。 ので、ポロポロになりかねない。 川野梶原さい子さんの歌集『リアス / いう未来を抱えた母だった。「未来を抱え 平田震災後に母親の立場で詠まれた歌は、 椿』を挙げたいと思います。梶原さんは宮 たわれわれ , という新しい主語の誕生だと 痛ましさがひしひしと伝わってきます。自 城県大崎市在住で、実家が気仙沼市にある。 分の意見や思いをストレートに主張できる思いたいのです。 平田子どもという言葉に未来の時間、未〈半身を水に漬かりて斜めなるべッドの上 のが短歌なんでしようか。 のつつがなき祖母〉という歌。これは水の 川野主張はしないんですけど、内部に引来への思いが含まれているわけですね。 でも、未来のことを考える人中に祖母がいたというすさまじい状況で、 き込む。ある事象をどこまで深く見つめ、 それをいかなる深さで自分の内部に引き込は社会的な立場は弱くならざるをえない時でも「つつがなき」と詠んでいる。〈受け 代です。今すぐに利益にならないからです。取ることの上手ではなき人々があらゆるも めるかということだと思います。 のをいただく苦しみ〉〈ありがたいことだ 平田それは詩も同じかなと思うんですけだから、その問題を自分で抱えなくてはい ど、でも何かが違うんですよね。詩の場合、けない。個人で。その痛みを、短歌の中でと言へりふるさとの浜に遺体のあがりしこ 重しをのせて個人的なナマの感情を水切り「私」というものに集約する形で突き付けとを〉といった歌の中の「いただく」「あ りがたい」という言葉の意味の深まり。普 ているのがこの三人ですよね。 しているのかもしれません。 今回歌集を読ませていただいて、す通に使ってきた言葉の意味を、さらにえぐ 川野私がこの震災で一番に思ったのが戦 るような形で深めています。 後の短歌運動です。戦後日本が焼け野原にごく。フライベートなところで詠んでいるな それから仙台市に住む佐藤通雅さんの歌 なってもう一度立ち上がるとき、今まで共という印象があった。そんなに「私」に閉 むがすこ 有していた「われ」や「われわれ」が通じし籠ってしまっていいのかなという気がし集『昔話』の〈生き残りしものの簡素よさ ないというので、前衛短歌が起こった。戦ながら読んでいたんです。でも話を聞いてまざまな器抱へて給水を待っ〉〈思ひっき 108
なんとなれば、こんな奴らに付き合っていたら、いつ出発できる に参加したいから兵、付けて出してくれ、とか言ってきてるんだけ ど、私はどうかと思うな。とりあえずここにいて情勢見極めて背後かわからなかったからである。出会った頃はまだまともだったのだ が、暫くしてそんな感じになった。或いは、最初のうちは遠慮をし から関東を牽制するポジションをとるのが一番、おいしいとこだと 思うんだよね。その際、源氏の御曹司としてうちにいてくれた方がていたのだけれども、そのうちに狎れて地金が出てきたのだろうか とにかく、話をするのは時間の無駄、と思われた たすかるかな 1 、って、ね」 それでも三百騎ほどは付けて貰った。といっても、上が上だけに 「うん、でも本人、すっげえ、焦っちゃってるんですよ。行きたく て行きたくてたまらない、みたいな」 下もばんくら揃いで、信用できるのは私の直属の部下、すなわち、 「あ、そうなんだ。ってことは行かしてあげた方がいいのかな。っ比叡山西塔出身の武蔵坊弁慶。園城寺出身の常陸坊荒尊、伊勢三郎 よ、行った方がいいよ。義盛、佐藤三郎継信、その弟の四郎忠信らのみであった。 か、ぜってー、行った方がいいのかな。いい これらプラス三百騎で進発、全速力で頼朝さんのいらっしやると いや、むしろ行くべきだよ」 「ですか。ですね。絶対、行った方がいい いう武州の板橋を目指した。 「あったりまえじゃん。比目魚じゃん。比目魚関係ねえじゃん。 私としては早業を使いたかった。しかしそうすると誰ひとりつい てこられない。そこで半早業で駆けたところ、落伍者が続出した。 つまでもぐずぐずしてんじゃねえよ。誰か泉の冠者、呼べよ」 秀衡はそう言って泉の冠者、すなわち、泰衡の弟の忠衡を呼ぶよ弁慶が半泣きで言った。 うに言った。なにを言うのか気になったのでなお成り行きを見てい 「大将軍、ちょっと待ってください」 ると、暫くして忠衡がやってきた。忠衡はもの凄い勢いで部屋に入「なんぞいや」 ってきて、そして言った。 「なんぞいや、じゃありませんよ。なんですか、この気ちがいじみ たスピ 1 ドは」 「父上っ、キノコ類の美味しい季節になりましたあっ」 「ばかつ。キノコ類、どうでもいいんだわ。あのね、義経のクソ馬「加減したんだけどまだ速いかな」 鹿が頼朝軍に合流したいつってんだわ」 「速いどころではありません。こんな速度で駆けたら板橋に着く前 に全員、死にます」 「マジですか。ジマですか。かすでジマ」 「こいつ、殺したいなあ。いやいや、我慢、我慢。なので、おまえ、 「ええ、マジい ? でも、それを防止するために秀衡さんに、それ だけはお願いして、名馬中の名馬を集めてもらったんだが、それで 陸奥出羽両国から兵隊集めろや。最低でも一万騎、いや、八万騎、 も駄目ですか」 いや、十九万騎くらい集めろや。それを義経に付けてやろう」 「駄目ですね。大将に追いっこうとしてあまりにも激しく走らせた 「リョ 1 カーイ」 といったようなやり取りがあって、私は出国を認められたが、兵ため、多くの馬の腹筋が切れ、脚の骨が折れてます」 隊のことについては丁重にお断りした。 「なるほど。まあ、ひとっ怪我をしないように各々、充分に気をつ ギケイキ 399
豚がバカじゃないことを湯浅湾のアルバム「港』に収録された湯何日も前からごはんにマ 1 ちゃんも来ていることに気づく 浅学作詞作曲の「豚は悪くない』で、こうして歌われなかったら豚「この柄は絶対マーちゃんだよな。こんな柄でマ 1 ちゃん以外にい はどうだったのか、ジャワ島の住民に言われなかったり、それをル ないよな。」 ゴ 1 ネスか書いたりしなかったら猿はどうだったのか、何年か前ま死んだはずのマーちゃんがいる理由はわからないか、とにかくう でだったら、言われなかったり書かれなかったりしていたら「それれしいと思う。何しろもう一一度と見られないと思っていたマ 1 ちゃ んがまたいることがうれしい はない」と考えていたように思うか今はそうではない、 言われたり書かれたりした途端にそれはずっと前からそうだった。 行為が起こった瞬間にずっと前からそうだった。 じんとなった、夢でなくリアルの方の世界でこのような再会が起 オセロの黒は一手先には白になる、というよりオセロの黒は白でこったメモのように感じた、こんな素晴らしい夢をどうして私は忘 もある、その変化、というより生成は瞬時にして徹底している。 れていたのか、忘れるには忘れるなりの理由がある、という理屈が それにしてもなぜ政府はたった一人の人間の命をあれほどまでに本当に成り立つのだとしたらその理由は何なのか 大事にしてくれるのか ? それはほとんどの人にとって形だけとい あるいは私はいま外の二匹のことで毎日、時間と心を使っている、 う印象を与えたし、後藤さんでない、 , 湯日さんに対してはずっと無関私はこのポストイットのメモを見つけるために、「フーコーのあの 心な印象を与えた、そこはとても不徹底だったが、ともかくもたっ本を開いてみよう」と思ったのかもしれない、 という考えは面白い た一人の人間が人質に捕えられるだけで政府は一所懸命になる、 が、妻が好きで見ているうちに私も見るのが習慣づいた、そのため 「それが国際社会の常識だから」とか、「すべての国家がそうする にイマジカまで契約した、本は一冊も読んだことがない、ド から」という消極的な理由以上の理由を日本の政府の関係者に正しマの『名探偵ボワロ』の考えに寄りすぎている。 く説明できる人がいないとしても、現代の政府というのはそうする、 ・で放送している『ミス・マープル』もそうだ、アガ ミシェル・フーコー講義集成の「生政治の誕生』の巻を前に読んだ サ・クリスティは心理学を因果関係の基盤に置く、「ボワロ』と「ミ のはその理由を知りたかったというより、広く、なぜ政府は国民のス・マープル』を見ていると、べケットが私は一度も不条理と思っ たこし」はない、、、こ、、 命を守るのか ? を知りたかったからだったんだと思う。 ということかわかってないが、べケ ナ ( ( ち不条理 この本は二〇〇八年八月初版だが持っているのは一〇年五月の一一 ットが不条理とされた理由がよくわかる。テレビは後半三分の一か 刷だ、それに対する答えのようなものはそこには書かれていなかっ四分の一の事件解明のところは点けていれば勝手に流れてゆく、本 たというのが記憶だが、それでも何かヒントはあるんじゃないか、 で読んでいたらそこから先はもう読まないなとだいたい毎回思う。 三島由紀夫の『金閣寺』の放火にいたるラスト一一十ペ 1 ジが退屈 本棚から捜し出し開くと、ポストイットのメモが貼ってあった、 で退屈でどうしようもなかったことを思い出す、それでも殺人の動 452
埼玉とか秩父の辺の地域連合からは、丹治比党の奴ら、横山武士んな大量の輜重、糧秣を抱え込んだ大軍が渡るなんて先ず無理だ 団の人たち、猪俣グル 1 プのお仲間やなんかが歌いながら進軍してと思われた。そこで、「待てば海路の日和ありける。まあ、取りあ きた。畠山重忠、稲毛三郎重成はまだ来ていなかった。なぜなら、 えず待とやおまへんか」ということになって、笛を吹いたり博奕を 党のトップである畠山重能、小山田有重が京都で番役をさせられてしたりして五日待ったのだけれども、上流でムチャクチャに雨が降 したからである。 ったのか、或いは、、 しまだに降り続けているのか、水はちっとも減 あの頃、業界では、こういうとき、すぐ来るかどうかが後々にからず、しようかない、、、 とっかに渡河できるポイントはないものか、 なり響い と頼朝さん、近臣を伴って視察していたところ、墨田の渡し、とい 上総国からは、本間右馬允義忠、渋谷重国たちが驚きながらびびうところの対岸に、櫓を築いて、これに馬を繋ぎ、源氏軍を待ち受 ける武士団がいた りながら集合してきた。大庭三郎景親、その弟の俣野五郎景久、山 内経俊とかは割とマジで来なかった。 頼朝さんは近臣に言った。 そんなことで多くの武士が頼朝軍に参加して、相変わらず、在庁「あれ、たれ ? 」 官人を脅し、言うことを聞かない奴は殺したりしながら、さあそろ近臣は答えた。 そろ根拠地を構えよう、どこかいい ? やつばし累代の根拠地であ「江戸太郎重長だと思われます」 しようかないか る鎌倉がよいでしよう、ということになって鎌倉に向かい、治承四「なるほど。私を殺しにきたわけだな。こわい 年九月十一日、千葉県松戸市付近、市川というところにいたる頃に ら加藤次景廉君、八百人くらいだったら舟で渉れるでしよ。行って は総勢十九万騎という途轍もない大軍になっていた。先月の二十八殺してきて。こわいから」 日、小舟で逃げてきた数名の頼朝軍が、二週間かそこらに一一十万近「あのお」 くに膨れあがったのである。なんちゅう源氏の勢威だろうか。時の「なに」 勢い、流れ、というのは昔も今もおそろしいものである。 「違うと思うんですけど」 さあ、それはよいのだけれども、ここに来て問題が生じた。 「なにが違うの」 というのは大河に行く手を阻まれたのである。 「見た感じ、バツの悪そうな感じといし 申し訳なさそうにこっち そう、遠く群馬県利根郡水上町あたりの水源から関東平野を横切をチラチラみてる感じといし 殺しにきた、ってい , フよりは謝りに って海に注ぐ関東一の大河、利根川である。 きた、っていう感じですけどねえ」 「なにを謝るんだよ」 その利根川の上流の方で大雨が降り、かつまた間ンの悪いことに 満潮で海の方から潮が上がってきて、川が氾濫して、あたりはびし「だからあ、あの人、秩父系だけど、 石橋山で大庭景親に言われて やびしやで川に近づくこともままならない。 また、よしんばかりに向こう側に付いちゃったじゃないですかあ。でも、あれは咄嗟のこ 近づくことかできたとしても、そんなことで流れかいみじくて、こ とだったし、いまは、やつば、こっちに付きたいと。でも、あなた 394