「ちょっと話したかったからー 「まあ」 みゆきもバス停の狭いべンチに山本から少し間をあけて座る。 「気にしている ? 」 「今日、ありがとう」 「何 ? 」 「あ」 「震災の後、俺がみゆきにこんな時に呑気にデートなんてしてい 「来ると思わなかったよ」 ていいのかなって言ったこと。みゆきはどうしてって聞いたろう」 「来ると思わないのにメールしたの ? 」 「まあ、アドレス変えているかと思った」 「俺、どうかしていたんだこうやって少し時間がたって落ち着 「アドレス変えると昔の知り合いとかと連絡取れなくなるし、取いて見ると、好きな人とデートしているほうが大事なんだって思 れなくなった人もいるから」 ってさ」 「あ、そうか」 山本はちらりとみゆきの顔をうかかうと静かに言った。 「あん時はほんとどうかしていたんだ。自分のことしか考えらん 「親以外で昇進したこと話せる人いなかったから」 なかった。みゆきの気持ちも他の人たちの気持ちも考えられなか 「それ、やばい」 った。自分がどうしていいのかわかんなかった。自分が生き残っ 「そうだよね」 たことに驚いて死んでいった人たちになんだか申し訳なくて」 みゆきはそう言って山本の親友が震災で亡くなったことや友人「 : の多くがこの町から出て行ったのを思い出した。山本やみゆきの「なあ、俺たちもう終わった ? 俺はどうしてもそうは思えない 年だと結婚していればまだ小さな子供がいるのが普通だったし、 んだ」 子供の健康を考えると出て行くのが普通だと思うし自分もそうし「 : 4 」要」田 5 , フ . 「都合いいかもしんないけど」 「元気だった ? 「考えておく」 「そっちは ? 」 みゆきはそう答えるのか精一杯だった。 「まあ、まあかな」 「また、会える ? 」 改めて見る山本は少し痩せて見えた。 「うん」 「海外でメイクの勉強したかったんだよね」 「ほんと」 「また、英会話始めた」 「うん」 「じゃあ : ・ 「それで忙しいの ? 」 彼女の人生は間違いじゃない
「何でそんなことがわかるのか、って言おうとしたんでしよ」 湯北さんは目だけを霧生のほうへ動かすと、「霧生にそんなこ 「プミ 1 タを放り出そうとなんか、していないー霧生は言質を取と言われたら、死にたくなるな。私も鍼灸院、やめたくなるな」 られなさそうなセリフを、かろうじて口にした。 とつぶやいた 「してます。トルタを作るか作らないかまで含めて最後は自分で霧生は罪悪感に押しつぶされそうになり、「すみません、心に 決める、なんて、今までの霧生だったら絶対言わないね」 もないこと言いました」と謝った。 しまったと青ざめかけたが、霧生は平静を装って、「これまで「聞かなかったことにしよう。私も霧生にしんどいこと要求して だって、もうダメですみたいなネガテイプなこと、何度も湯北さるからね。もうわかるよね、あんたはこれからとてつもない逆風 んにはこばしてきたじゃないですか」と言った。 に逆らいなから、トルタを作ることになる」 湯北さんは笑って、「何自慢してるんだ」と言った。「それはす霧生はうなずこうとしたが、体がこわばってうなずけない。 時 べてお金の面で追いつめられてたからでしよ。自分からけじめを計は「 13 】 11 」と表示されている。間に合わない。今すぐこの車 つけるみたいな言い方は、霧生はしたことないよ。煮え切らなく を降りて、タクシ 1 で最寄りの駅まで行って、うまいタイミング て、基本的に決断力を欠いていて、往生際の悪い霧生は、自分ので電車が来れば、ぎりぎりで間に合うかどうか 根幹を支えているものをそういうふうに切って捨てることはあり 車を飛び出すかどうか 得ないし、できない。そんなこと、自分が一番わかってるでしよ」 ためらいの中、緊張の極限で全身が震え始めている霧生の右腕 霧生は心臓に杭を突き立てられたような痛みを覚え、思わず身に、 湯北さんの左手が伸びてくる。二の腕に、湯北さんの左掌が を折った。 軽く添えられる。霧生の体がびくんと痙攣する。湯北さん特有の、 「さっきの答え、まだ聞いてないんだけど。諦めないことの具体茹でた指のような熱の感触が、接触面から染みとおってくる。 「残るかどうか決めるのは、他の誰でもなく自分だよ。でも私は し」い」土ってほしい 「わからないです」息が苦しい と、湯北さんは静かに言った。 「わかってるよ、霧生は。さっきもう、言ってたもん。ヒント。 霧生は敗北感に打ちのめされた。ぎりぎりで間に合うタイミン プミ 1 タを松保で続けていくことは、私が鍼灸院を松保で続けてグは、動けずにいる霧生を尻目に、去っていった。逝きこばれた。 い′、ことと同じ」 クズの道さえまっとうできない自分の無力さに、ただただ酸味の 湯北さんの言わんとしていることが、霧の向こうからばんやり強い悲しみがつのる と姿を現す。それを拒みたくて、「同じなんかじゃないですよ、 「何で知ってるんです」霧生は抑揚なく聞いた。 湯北さんとこが繁盛してるのは図領とグルだったからなんじゃな「老田っていたでしよ」 いんですか」と放言してしまった。 「湯北さんのスパイだったんですか。見かけない顔だとは思った
と亜 5 くなるよす・ぐに。、 しまのガキなんてさあ、まるでボタン押すこ 希が呼ぶ治子の名が変わった。坊ではなく「タマ」へ。おそらく玉 の輿を意味するそれへと、呼び名の末尾が変化した。 とだけを教えられたサル同然なんだから。そんなふうにしてボタン 押してるだけのことを、今日では「仕事』って言うんだってさー 治子が瑞希に声をかける。 に若い男がひどいね。マザコンばかり。四十歳以下は男じゃな 「煙草、わたしにも一本頂戴」 しかし瑞希はそれを制して、 ああ、瑞希のいまのポーイフレンドは四十代なんだな、と治子は 「喫うんだったら、こっちのほうかいし 理解する。治子の知るかぎりにおいて、瑞希の人生に男の切れ目は と、手で巻かれた細長いものをポケットから一本取り出す。 「ちょっと、それはまずいんじゃない。 ここで」 切れるどころか、複数重なっていることすらよくあった。男 そんざいに、好きなことを好き 「あ ? だいじよぶだいじよぶ。日本のいいところはね、この臭いは彼女のことを放ってはおけない。。 がなんだかわかんない人が多いってこと。もし気にする奴がいても、 なように言っているようでいて、誘蛾灯のように男を呼び込んでし ま , フ、ちょっとしたフアム・ファタール。それか治子がむかしから 『お香だよ』。これでいいんだから、楽。 よく知る、グッド・オールド「しげる」だった。 「本当かなあ」 最後にふたりはまたいっしょに歌う。セックス・ピストルズの「ア 「ま、ぐっといきなよ、ぐっと」 。ポトルがナ 1 キ 1 ・イン・ザ・」。映画『ロスト・イン・トランスレ 1 そのままふたりは存分に杯を重ね、灰を増やしていく ション』の一シ 1 ンのように、窓の外できらめいているネオンを背 残りすくなくなったころ、治子がばつりと言う。 にして歌う。そしてカラオケ館をあとにする。瑞希はこれからいち 「仕事に戻ろうかな、と思うときがある」 おう会社に戻ると言う。治子の眼を正面から見据え、惜しいよな、 「へえ 1 うちの会社に ? 」 とつぶやく 「うん。そう考えることかあるんたけど、どうたろう ? 「あたしがレズビアンだったら、貰ってやるのに」 「ちょっと現実的じゃないね。難しいんじゃないかなあー 「お断りだよ」 「やつばり。プランクがあるものね」 口元だけで薄く笑いながら治子が応える。 「いや、そういうことじゃなくって。もっとひどい話。うちの会社、 もうだめだから。まともな人に、まともにやらせるような仕事すら、 なくなっているのかもしれないどうにもこうにも、安請け合いの 安づくり仕事を、安く雇った見習い同然の若造に投げ与えてるって いうかなあ」 何件かの留守番電話メッセ 1 ジがあることを携帯のスクリーンか ら治子は知る。山手線で移動しながら、ひとっふたっ、新しいもの 「不景気のせいで」 から順に聞いてみる 「不景気にしているんだよね。みんなでよってたかって。でももっ 322
かな。常連は場所を決めているかく出くわす」って言うから、「おんに言わせれば、この内容こそが 子どもと猫と病気のはなし らね。僕はだいたい午前中に行く前すうすうしいから、本渡しちや高度なことなんだと。 けど、小澤さんは午後ですね。 えよ」って言ったんです。そした こうして三人で会うのは初めて 横尾磯﨑さんとは近所に住んで 磯﨑僕は小説家としてデビュー ら、本当に渡した。 だったかな。 いるのに、最近はまた会わなくなする前から「あ、横尾忠則がいる」磯﨑会ったら渡そうと思って、 保坂駅前の喫茶店で最初に会っ りましたね。 って見ていました。 受賞作の掲載誌を鞄に入れたんでたのが三人でしたよね。 二ヶ月ぐらい前橫尾ちらほら僕を見かけていたすが、なんといぎなりその最初の磯﨑その半年後くらいに、柴崎 でしたか、僕が大の散歩をしていと言ってたね。でも僕は磯﨑さん日にお会いした。 友香さんも一緒に、世田谷美術館 た時にお会いしましたよ。 を知らなかったから気がっかない。 横尾 そうだったの。初めて聞きの横尾忠則展に伺いました。でも、 横尾それでも、もうだいぶ経つなんで横のお兄ちゃんがキョロキました。 三人でというのはそれ以来かもし よ。以前はもっと間隔が短かった。 ョロしているのかわからない。 それで今日はどんなことを話すれません。 こないだ駅前の蕎麦屋さんで「磯磯﨑 それはそうですよ ( 笑 ) 。んですか。こないだ保坂さんと「新橫尾彼女は先日芥川賞をとりま 﨑さんがいらっしやった」と言わ僕のデビ = ー作が載っている「文潮」でやった対談は全然難しくなしたよね。 れてね。僕はいつも決まって日曜藝」を渡しながら話しかけたのがい対談でね。文芸誌は難しいこと保坂はい。 比日バタバタととっち 日に行くんですけど、磯﨑さんは最初でした。 ばかり書いてあるけど、あんな対やって ( 笑 ) 。 イレギュラーだから。 横尾しかも本屋さんで。 談は初めてじゃないですか。 橫尾保坂さんのところに来る人 磯﨑そうですね。子どもが出か保坂横尾さんに渡せって焚きっ保坂そんなことはないと思いまはみんなそうだね。僕もそのうち けてたりすると家で昼食を作らなけたんです ( 笑 ) 。 すよ。文学者が語る文学の話のほ芥川賞とれるかな ( 笑 ) 。 いので、その時だけ行くんです。 横尾そうなの ? うがもっとくだらないですから。 磯﨑たしかにバタバタという感 ( 蕎麦屋の ) 増田屋の常連さんは皆、磯﨑なにかきっかけがあれば話橫尾遠藤周作さんの本を読んでじはありますが、あれからもう七 行く時間帯が決まっていますよね。しかけられるんじゃないかと保坂いたら、作家が集まると、いつも年近く経っているんですよ。 議 小澤征爾さんとお嬢さんの小澤征さんから言われたんです。 馬鹿な話ばっかりしていたって書横尾生活も変化したでしよう ? 会 工 良さんも、山田洋次さんもいらし 横尾だけど、僕はまだその時点いてありました。ある時、彼ら作磯﨑そうですね。子どもが大き てる。横尾さんも増田屋に通い始では、保坂さんにお会いしてない家たちの座談会に編集者が出席しくなっちゃいましたね。文藝賞のア めて長いんですか ? よね ? て、あまりの程度の低さに二度と贈呈式の頃はまだ小さかったから 橫尾十年、もっとかな。二十年保坂ええ。彼が「横尾さんとよ顔を出さなかったと。でも遠藤さ会場を走り回っていたのに、今で 331
「事務局長も商店街活性化のためにいろいろ革新的なアイデア打す。この会議の前に一応目を通しておかれたほうがいい と思って、 ち出してるけどさ、肝心の自分の店が足引っ張っちゃ、笑えない急いで印字してきました」 よね」そう言って宮門は大声で笑った。 舘沢は息をするような小声で、宮リ たけに聞こえるよ - フに一言っ 「いや、もう、まったく副理事長のおっしやるとおりで、面目な た。店ではあんなによく響く大声なのに、どうやってこんな技を いです」 身につけたのか、宮門はいつも不思議に思う。 「派手に人目を引いてお客さんに来てもらおうって発想ももちろ「若たっちゃんはどうやって知ったのよ ? 」 ん大事だけど、地道さも忘れちゃいかんでしよう。ばくら古い連宮門にとっては引退した二代目舘沢が「たっちゃん」なので、 中はそうやってきたわけだし」 息子をこう呼んでいる。 「ごもっともです」 「例のエ 1 ジェント経由で」と舘沢は笑いながら言った。舘沢は、 「ま、しばらくは変なやつらを刺激しないように、おとなしくね」図領の妻である旧姓阪辺秋奈と、区立の松保小、松保中で同級生 みすみゆうこ 「重々、承知しております」 であり、舘沢の妻の旧姓三住結子は秋奈の親友なのだ。 今度ばかりはそうとう懲りただろう、と確認できて宮門も上機「結子ちゃんのほうが若たっちゃんよりできかいいや」と宮門も 嫌になり、同情の念が湧いたので、お勧めのワインを奮発して注笑い、手渡されたプログのプリントに目を落としたとたん、怒髪 文してあげた。 天を衝きそうになった。 それなのに、図領はあっさりと宮門の忠告を無視した。まあ、 〈 4 月日 ( 日 ) 最初から聞く気もなかったのだろう。宮門とて、図領がそんなし「タ飯のとれる居酒屋はたけ」は、暴力居酒屋でも詐欺まが おらしいタマだとはっていなかったが、やはりこうも堂々と裏いでもありません。 切られると、愚弄されたという怒りで体が震えてくる 翌日曜日の定例理事会は、午前十時始まりだった。宮門が十分私は浜急春夏線、松保駅の松保商店街に店を構える、居酒屋「麦 たてざわひろむ 前に集会室に入ると、すでに来ていた鮮魚「魚舘、の舘沢弘務が、ばたけ」の主人、図領 ( ずりよう ) と申します。この名前でピン 宮門にプリントアウトした紙を見せてきた。舘沢の三代目でまだとくる方は、おそらく「ディスラー総統」氏がインターネット上 三十代の弘務は、パソコンとか—e に強いため、宮門や滝鼻さんで公開している、「麦ばたけ」批判の文章をすでにお読みのこと の情報担当として何かと使えるのだ。 でしよう ( ↓コチラ ) 。 「今朝、事務局長が新しく開設したてのプログです。図領さん個私としては、ディスラー総統氏の文章には「批判ーという言葉 人のプログで、商店組合とは一応は無関係ということになってまは当てはまらず、「誹謗中傷」と呼びたい気持ちです。氏の文章
「あっちですよ」 動した。 「あっちがこっちっていうことがあるんですか。そのとき、そっち いよいよ父親の敵を討っときがきた、と奮い立った。胸が熱くな はどっちですか」 って涙がこばれた。 「あああ、もう。話が前へ進まない。あのね、そんなことどうでも そして焦った。 しいんですよ。とにかくね、私の兄が挙兵したんですよ。それでね、 なぜなら私は平泉にいて、その戦いに彡加できないからで、私は 私も参加したいんです。それも一刻も早く。けど、世話になってる いろんな情勢から考えて、頼朝さんの挙兵はないと読んでいた。け れども京都のことも含めて事情が一気に変わって頼朝さんは挙兵しあなたのお父さんの許可なしに勝手に行けないでしよ。なので、あ なたちょっと行って話して貰えませんかねえ」 なので行こうと思って、何度か秀衡さんに、行かせてくれ、と言「なるほど」 「わかってもらえましたか」 いに行って貰った。けれどもはっきりしないというか、戻ってきた 秀衡さんが言っ 「そっちもこっちなんですね」 者に、「どうだった ? 」と尋ねても要領を得ない。 「だからあ : : : 」 たとおりに言ってみろ、と言うと、 と、散々に苦労をしてようやっと話をして貰った。勿論、私は早 しいと思いますことはないのかなあ、 「いやー、もうそれは行ったら、 業を用いてこの会話を聞いた なんて思わないのかも知れず思うのかも知れず横雲の空」 とか言ってもうなにを言っているのかまったくわからず、そこで「父上」 おそらく秀衡氏に強い影響力を持っていると思われる、次男の泰衡「なんだ。泰衡ではないか。比目魚というのはうまいものじゃのう」 「比目魚、いいですよね。今度、みんなで比目魚パーティーやりま を呼んだ しよう。じゃあ、さようなら、父上 「忙しいとこ悪いですね」 「さようなら。泰衡また、あう日まで」 「いえ、別に大丈夫じゃないってわけじゃないんで」 「ああ、そう。じゃあ、あの単刀直入に言いますね。私の兄の兵衛そう言って、泰衡は本当に部屋を出て行って、私は早業を使いな がら愕然とし、泰衡に依頼したことを激しく後悔し、また、そもそ 佐殿が挙兵したことはご存知ですよねえ」 も身を寄せる場所を間違ったのではないか、と悔い 「僕が知らないってことがあることがあなたによって思われていた ひとしきり後悔していると泰衡がまた戻ってきた。 のが意外すぎます」 「いや、そうじゃないんです。比目魚、どうでもいいんです」 「ああ、こいつら親子揃って面倒くせ。これって遺伝 ? 「どうでも、 しいよ。比目魚なんて。比目魚、死わや」 「なんですか。なにが遺伝なんですか ? 「賛成。比目魚、最低。僕、九郎ちゃんのことで来たんです」 「ああいや、それはこっちの話です」 「おお、あの可愛い九郎ちゃん。なんか、こないだうちから頼朝軍 「こっちでどっちですか」 398
ると、一度めは記事が大きいのに二度め三度めはありません、って まずはフラットにすることね。劇場を出るまでは、楽屋でも通路ことになりかちだし。もちろん、どの作品にも著名人は出すから、 しかも老いてしまった著名人というのは起用するから、そこで宣伝 でも、どこでも、フラットに。何かか美味しいかどうかは、わたし 表に出ればいいわけ。勝的にはひねりか効いちゃうのね。興行はいつもハッピーとかとても が「美味しい」って思い込んだ時に ハッピ 1 とかに終わってるわけだけれど 手に引き出されると、困るわけ。 あらあら、なんだかプロデュ 1 サ 1 の発言になっちゃった。 だからね、ここのね、ポットに用意されたコ 1 ヒ 1 はね、味がな 今日は役者としてのわたしに、会いに来ているのよね ? それから、あの女を知っているわたしに。古い知人とかっていっ ありかとう。感心してくれて。 た、らいいのかし、ら。 あら ? そこの鏡の前に置いてある時計草、閉じてるわね。花が ああ、そこの卒塔婆を取ってもらえる ? 小道具の。そう。それ それね、時計草なのよ。閉じているとわからないだろうけれど。別 にしても、これは趣味の悪い演出ですよ。あの演出家を呼んできた 名パッションフラワ 1 。きれいで、わたし好きで、だから差し入れ てもらえたんだけれど、だめね、開いていなかったら時計の文字盤のもわたしだけれど、最高に悪い趣味、最高のけれん味、だから最 高ね。 には見えないもの 公演期間がこんなふうに長い時には、百日草 ? ああいうのかい 卒塔婆工房があった時代の、日本の高度経済成長期だなんて。 いわね。 そんな大嘘。最高ね。 ずっと咲いているから。 女たちがそこで働いている。老女たちが あなた、知ってる ? 百日草はメキシコ原産なのよ。 卒塔婆って、でも妙よね。誰だって見れば「それだ」ってわかる まあ、あなたみたいな男のひとは花になんて興味はないでしよう けれど。 のに、言葉を聞いただけだと、わからない人がいて。説明しないと ならないじゃない ? ほら、お墓に立っている板だって。細長い木 でも公演にはちゃんと興味がありそうで、ほっとしたわ。じゃな ーんじ の板だって。先のほうに刻みが入っていて、読めない梵字が書かれ かったら、こんな取材、わたしは「騙された」って思うわよ。 半分はそうなんでしよう ? インタビュ 1 に来て、でも、半分はているやつだって。その梵字も、説明しないとならなかったりね。 だから、わたしは思うのね。ほら、お能の、『卒塔婆小町』、あな 調査っていうの ? そうか捜査ね、そうなんでしよう ? たわかる ? あの演目って、卒塔婆がわからないと一から十まで無 ( いのよ。ぜんぜん構わないんですよ。パプリシティがあるのな らば、それはもう、善。わたし、ゼンって言ったんですよ ? 善悪理になる。 のゼン。ここの売りは、ほら、わたしはそうは言わないけれど老人あなたは、そうなの、卒塔婆はご存じなの。 じゃあ、あとは説明してあげる。内容よ。その『卒塔婆小町』の。 劇団だってことなんだし、そういう、 色物 ? その手の扱いを受け 168
「何でそんなことまでわかってるのに、湯北さんは自分が苦しむな状態でい続けたら、誰かを痛め続けるか、自分を終わらせるし ような真似するんですか。ばくはそこまでわかんないですよ。わかなくなる。そんな苦しみに比べたら、今の逆風はまだ耐えられ かってたらなんにもできないし、したくないですよ」 る」 この世に渦巻いて膨れあがる殺意の総量をイメ 1 ジして、霧生 霧生はあえぎながら言った。楽になりたいと田 5 った。単独でも しいから自決したい。 は自分が生きているのを不思議に田 5 った。そして、それが自分の 「こうしなかったら、私はもっと苦しくなるから。霧生だってそ中にも存在して成長しようとしていたことも、リアルな非現実感 体がそうだと知ってるから、より自分が普通に生きられるとでも呼ぶほかないような感覚とともに納得した。 ほうを選択してるんでしよう」 「その衝動に支配されたら、いわば呪われたようなもので、自分 「じゃあ、自決する人や、そういうふうに追い込んでく栗木田やの力だけではどうにもできない。止めようはないの。だから、ま 図領は、このままのほうが苦しくないんですか ? それとも、体わりの人の力が必要。でも、そのまわりの人も全員衝動に支配さ かそうだってわからないバカどもってことですか ! たくさん死れていたら、どうなる ? 止められる人は誰もいないってことに ねば死ぬほど、この世はまともになると思い込んでる気狂いってなるよね。それが今の松保であり、世の中。それどころか、衝動 に支配される人が無限に広がってる」 ことですか ! 」 自分だってそうだったのだ、湯北さんの答えはばくを殺し得る、「ばくもそこに引き込まれていった」 湯北さんはうなずいた と思いながら、答えを待っ 「今が苦しすぎて、目の前の楽さを選んじゃうんじゃない ? 私「自ら呪われたがってる街ってこと」 だって、人を殺しかけた人間だからね、その安易さが単純なもの「誰にも止めようがないんなら、滅亡するしかないってことです よね」 じゃないことぐらい、わかってる」 「でもね、根拠はないんだけどね、私はいっかは自然に止まると 「誰かに本気で殺意を抱いたことあるんですか ? 」 「鍼を学んだ動機がね、完全殺人をするためだった。まさに北斗思ってるの。すっかり滅亡する前に、呪いが自家中毒を起こすっ の拳を真に受けたみたいで、笑っちゃうよね。ま、この話はもうていうのかな、勢いが袞えてやがて止まる。スクランプル交差点 私には死ぬまで生々しすぎることだから。霧生も忘れてよ」で、千人がいっせいに渡ろうとしたら衝突しまくるけど、三人だ 文 湯北さんは淡々と語っているが、珍しく呼吸が速くなっている。ったら衝突もほとんど起こらないし、しそうになっても避けられ こんな湯北さんは初めて見た。 る、みたいな」 「わかったでしょ ? このことに触れるだけで、私は自分を破壊「この呪いは単なる人減らしだってことですか」 したくなる。そんな状態で生き続けることなんかできない。そん「そんなこと言ってない。呪いがどこから生じるかは別の理由だ
なかったらしいです。っていうか、もうそれが戦争かどうかもわか は怒ってるかも知れないし、でも、謝って許して貰いたいし、どう でしようか ? 怒ってます ? やつば、みたいな感じになっちゃってらなかった、ただ、もう行ったら射ち合いになっていて、っていう か、なんでわからなかったかというと、こんなこと言うと怒られる るんですよ。ほらほら、見てご覧なさい」 と、近臣の指さす方を見るなれば言わんこっちゃない、江戸太郎かも知れませんけど、はっきり言って、あのときガンジャ決まって は、けっして手向かいーいたしません、高いところから矢を射かけて、いい感じになっちゃってたらしいんですよ。なんでってほら、 るというようなことは絶対にしません、ということだろう、櫓の柱あいつ、相模じゃないですかあ。あ、まあ、相模あんまり関係ない を切って倒し、少ない人数で船に乗って市川の岸に漕ぎ寄せて、そですけどね。けどまあ、そんなことで決まってましたから、石橋山 に行くには行きましたが、一本の矢も射ってないそうです。これは こいらの者に声を掛けた。 ゲラゲラ笑ってて、後で大庭景親にポロカ ほんとの話です。ただ、 「あの、すみません」 スに言われたそうです。そんなことなんで、どうか許してやってく 「なんでしようか。どなたでしようか 「あの、私は江戸太郎重長と申す者ですが、この部隊のなかに葛西ださい」 なんて弁疏したのだけれども、なにをどう思ったのか、その内心 兵衛清重という人間はいないでしようか」 にどういう計算か働いていたのか、頼朝さんは、「いやー、どうか 「ああ、いらっしゃいますが。どういうご関係で」 なあ , とか言ってなかなか許してくれない。それでしようがないか 「親戚なんです」 らもう一度、頼みに行ったがやはり許して貰えない、それどころか、 「ああ、身内の方ですか。そういうことでしたらご案内しましよう。 「そうやって恭順すると見せかけて油断させておいて殺そうと思っ けど、どうかなあ」 ていな ( という証拠がないんだよな 1 」と、独り言のように言い 「どうかなあ、と申しますと 「石橋山で敵方に付いたのを、葛西兵衛さんに間に入ってもらってそれから、加藤次景廉に 「加藤次君、こっちに渡ってきてるっていうから、ま、念のためだ 許してもらおうと思ってるんでしよ」 けれども殺してきてくれる ? 「なにもかも知っとったんかい。だったら早く案内しろ」 と命令を発した。 「こちらへどうぞ」 これを横で聞いていた葛西清重は殺されては可哀想、というので という具合で、兵団のなかでもかなりの有力者、はっきり言って 幹部クラスの葛西清重に間に入って貰って仲間に入れて貰えるよう慌てて自分の幕舎に戻った。 「江戸太郎さん、いま戻りました」 に頼んで貰った。 「どうでした ? 許して貰えましたか」 そこで葛西清重は江戸太郎重長とは仲がよく、また、実際の話、 「駄目でした。間もなく加藤次があなたを殺しにきます」 江戸太郎は非常にいい奴だったので、 「あのときは急に大庭景親から呼び出されて、なにがなにかわから「マジですか。なんとかしてください」 ギケイキ 395
と、「ユキちゃん ! 」と声をかけられた。この後みんなで飲み会「全然だよ、まだまだ食えないしさ。この公演が終わったらまた だけど、どう ? と三浦は誘ってきた。人懐っこい笑顔を見ていた 運転手」 「あそこの」 ら、芝居の高揚感からか、みゆきは思わずうなずいてしまった。 ハスを一本遅らせればいい、。 「いや、あそこは今回いきなり辞めて少しトラブったから、時間 がちゃんとしているとこに移るかも」 下北沢の大型居酒屋のチェ 1 ン店での打ち上げはざっと四十人「そうなんですか」 ー ( る力とい - フ規模っこ。 だカ三浦の周りにはファンと思われる女三浦は携帯を気にしながら、 たちが群がっていて、三浦は事務所で見せるような笑みで女たち「それで、ちょっと、用事があってもうそろそろ出なきゃいけな の相手をしていたたまに端っこで小さくなっていたみゆきと目いんだけどどうする ? 」 と言うので、 が合った。 みゆきには今まで会ったことがない人たちだったし、話す内容「もちろん、出ます」 も新鮮に感じられた。芝居の話や舞台で流れていた音楽や衣装な と立ち上がった。 ど、それぞれが思い思いの話をしている。 適当に相槌を打ちながらもみゆきは場違いな思いをしていた 東京駅のほうに用事があるというので三浦と一緒にタクシーに みゆきの素性を聞いてくる人はいなかった。しばらくすると三浦乗る。みゆきは初めて見た舞台の感想をとりあえず話した。い がやってきて、 もの三浦とは違うオ 1 ラのことや改めて聞く声のこと、そして事 「どう ? 楽しんでる ? 」 務所では演じていたのかなど、思いつくままに話した。 と隣に座った。 三浦はどこか上の空だった。なんだかつまんない話をしてしま 「うん」 ったとみゆきは後悔した。 みゆきは素直に微笑んだ 三浦の携帯が震えメ 1 ルを確認すると、 「俺のこと怒っているでしよう」 「悪い、先に僕が降りても、 ( いかな」 「もう、会えないんだってっていたから」 と三浦はロ早に言った。 やつばりつまんないこと言って怒らせたなと思った。三浦の勢 「でもびつくりだな」 「私も。事務所で見る三浦さんとは全然だし」 いに押されてうなずく。女のコたちのなかで影の存在のように振 「そりや、役者なんで」 る舞う事務所とでは違う三浦がいた。タクシ 1 がとある建物の玄 関に止まると三浦は、運転手にお金を渡しながら、 「すごいですね」 2 ー 2