リカ合衆国ミシガン大学で学んだこと は社会論や方法論といった理論研究か ミシガン大学の考古学 を開陳したい。そういった方法論の差ら始めることであろう。卒論作成につ 土器や石器、あるいは遺跡に基づい 違はお国柄の違いに起因するもので、 いても、我が明治大学ではまず報告書 て、遠い過去の社会構造に迫ることは大変興味深い。特にミシガン大学人類を繙くように指導するのに対し、ミシ 簡単ではない。 しかしながら、それを学博物館は考古学の教授八名を擁し、 ガン大学では考古学的に検証できる仮 しないことには考古学は歴史学として 一九六〇年代、七〇年代のアメリカ合説を構築して、初めて遺物を触らせて 評価してもらえない。そのため我々は衆国考古学の学問的枠組み、方法論の もらった。つまり、日本では考古学研 色々努力しているわけだが、その努力革新に大きな役割を果たした研究機関究は帰納的に実践されるのに対し、ミ の仕方、方法論がアメリカ合衆国と大であり、検討に値する。 シガン大学に限らず、アメリカ合衆国 きな違いがある。日本での研究は拙著 学部の考古学教育において、日本の の考古学界では演繹的に実践されるの似 「社会をよむ」 ( 有斐閣『はじめて学ぶ大学とミシガン大学の大きな違いは、 である。これは数多くの英語論文でも窓 考古学』第 5 章 ) でも詳述したので、 日本の大学ではまず土器や石器の見方顕著である。ひとつには、演繹的思考斎 書 本稿では私が一九八〇年代前半にアメ から始めるのに対し、ミシガン大学で法こそが、考古学が科学たりうる一条 〔連載〕考古学と社会 考古学的に過去の社会に迫る 佐々木憲 第 3 回 48
ろう。 地面にどのような痕跡を残すのか、認 のかも知れないが、それは資料的限界 またこういった社会のモデルは民族識が非常に難しい。また、文化進化論 としてご勘弁願うしかない。 学的知見に基づくものが主流である。 で頻出する「血縁関係」も、考古学的 アメリカ合衆国の場合、学界での競 それは構わないのだが、こういったモ に認識できるようになったのは、人骨争が日本の想像を絶するくらい激しい デルの大部分が考古学的に検証・追認 の歯型の分析から血縁関係に迫れるこ 側面がある。そのおかげで、時間のか が困難なのである。社会は様々な側面とがわかったここ二〇年間のことで、 かる考古資料の整理分析を十分に行わ から成り立ち、それら諸側面は相互に 私がミシガン大学で講義を受けているず、一般にアピールするような仮説を 関連しあっているという考え方は社会頃は、日本考古学ではなかなか検討課数多く発表することがしばしばある。 科学では当然であろう。しかし、日本題として扱えなかった。 考古学が現代社会的で認知されるには 考古学の現場では、当時の生活に迫る 考古学が人文社会科学に貢献するに避けられない一面ではある。同時に日 手がかりとなる土器だけでも、一年間 は、やはり土器、石器、金属器、集落本人考古学研究者も、その成果を社会 の発掘調査で数トン出土したりする。 遺跡、埋葬遺跡といった考古学でしか に理解してもらえるような発表の仕方 第二講で言及される「環境から取り入扱えない資料に依拠するのが大切と考を工夫する責任があることも事実であ れるエネルギー」は、食した動植物の える。考古学者が民族学的な社会モデ る。それでも、その成果が内容的に 遺存体から把握できるであろうが、 ルを発表しても、研究対象とする人々 「つまらない」ものであっても、発見 「情報」は、楔形文字を記した粘土板にインタビューできる文化人類学者が された考古資料をまず公表することが が大量に出土するメソボタミア地域は提示できる複雑かっ現実的なモデルに考古学を社会に還元させる第一歩であイ 別として、地面に痕跡を残さない。社 はかなわない。土中に残される考古資り、また考古学から過去の社会に迫る 会の多くの側面に考古学的に迫るのは料が限られるので、いきおい考古学者第一歩でもあることをご理解いただき窓 の 容易ではない上に、ましてや社会の諸が提示する社会モデルは単純にならざ 斎 書 側面の相互関係が考古学的証拠として ( ささき・けんいち日明治大学文学部教授 ) るをえず、なかなか市民権を得にくい
件と一九六〇年代の若手考古学研究者集まりではなく、すべてはほかのすべ男性が戦士ということは、別の社会に たちが考えたからであり、さらにその てに関係しているのである。システム対する防衛という側面も絡まってくる。ル 社会は別の社会と関係し合っている 背景には、アメリカ文化における科学は部分とそういった部分の一連の体系 窓 至上主義もあるだろう。 的関係から成り立っている。これらのと同時に、その社会を取りまく自然環の 部分と部分同士の関係は、同一システ境とも関係しあう。この自然環境との書 アメリカ考古学のシステム論 ム内でも違う場合がある。さらに違う関係については、抽象的な三つの属性 さて、一九八一一年秋学期のミシガン からモデル化できる。社会は環境から システムは違うあり方で機能する。そ 大学の学部の「先史考古学概論」の担ういった様々なシステムのなかで、文エネルギー、もの matter 、情報を取 ート日ウェロン 当者は、理論派のロバ 化システムも数多くの特性から構成さ り入れ、また環境に戻すのである。社 Robert Whallon 教授で、ヨーロッ れているが、社会組織、経済、技術が会システムはエネルギー、もの、情報 ハ後期旧石器時代が専門である。第一主なものである。ではこれらがどのよを環境に適応・対応するために活用す 講は「考古学の目的」がテーマで、こ うに相互に関連しあっているのか。 る。そして、エネルギー、もの、情報 れは日本の大学の「考古学概論」と変 例えば、民族学的に知られる農耕社をいかに効果的に大量に取り入れるか が、社会システムが他の社会システム わらない。日本と全然違うのは第一一講会を例にとってみよう。その社会には のテーマで、「システムとしての社会」年齢階梯制度があって、どの年齢階梯と競争していく上で鍵となる。エネル であった。内容は次の通りである ( 講に属するかによって、どの農地を耕すギー、もの、情報をより効果的に取り 義はノートを必死でとったが、当時は かが決まっている。その社会は父系優入れる方法が開発されれば、社会シス テムはより発展する。もちろん、そう 英語力が十分ではなく、自宅ですべて先である。そして、男性には戦士とし いった発展の潜在的可能性はどこにで テープ起こしして聞き漏らした部分をての役割が期待されている。つまり、 補った ) 。 年齢階梯制度という社会組織が農地と も存在する。 システムとは、様々な特徴の単なる いう経済的側面と関係しており、また
詮索して行くには、まず国際経済法を、士論文を書き上げたばかりの私には義する選択をする。 「国際経済の法ー (the Law of 「経済の国際法ーアプローチへの躊躇 国際「経済」法と国際「行政」法 かあった。 一九九〇年代半ば安倍フェ lnternational Economy) ではなく、 窓 の相違 の 「経済の国際法」 (the lnternational ローシップで在外研究へ出かけた際に、 斎 ミシガン大学のジャクソン教授でなく、 もう一つ国際経済行政法へ舵を切れ書 Law of Economy) と捉える必要が ある。周知のように、前者は規律の ード大学のバーツ教授のところ なかった理由は、国際行政法アプロー 「対象ーに着眼するアプローチであるを選んだのも、まだ山本先生のご助一言 チが国際経済法分野にそのままは当て が、後者は規範の「出所」に着眼してが頭にあったからであった。実際バ はまらないのではないかと思ったから 国際経済法を捉えるアプローチである。 ッ先生は「ジャクソンは国際法をよく であった。もともと山本先生の国際行 もちろん私的経済に対する国家の介入わかっていないのではないかーとおっ政法の概念は、相互依存関係の進展に についての「国際基準ー作りを目指すしやって憚らなかったが、どういうわより多数国間に関係する「利益共同関 国際経済行政法アプローチは「経済のけか「経済の国際法」に対する私の躊係 (a community of interest) 」の 国際法」を前提にする。「経済の経済躇は徐々に疑念に変わって行った。ど出現に応じて、専門的な利害関係・行 法ーは、国際法の一分野であり、経済こかで国際経済法を、国際法の一分野政事項ごとに、多数国間条約に基づい に関する諸々の国際法を拾い上げ体系でなく、独自の学問分野として考えら て機能的に分化した国際制度 ( 国際組 化して行く、 いわば国際法という単一 れないか、そのためには何が必要なの織・定期的外交会議 ) が設立され、多 の法体系の中での作業であるために、 かを考えていた。そして、二〇〇三年数国間の連携・協力が進められるよう 一貫性のある整理が可能になる。しか『法学教室』基礎法・特別法講義のシ になった現代国際法の断面を理論化し し、国際通商分野における各国、特に ーズで「国際経済法」について四回ようとしたものである。このように へゲモニー国の国内平面と国際平面が連載する機会に恵まれた時に、とうと個々の加盟国の利益に還元できない国 相互に交錯し連関することに着目し博う国際経済法を「国際経済の法ーと定際社会の公共利益 ( 注【奥脇直也教授
も様々な問題が存在する。第二講の によって維持される。考古学的には、 アメリカ考古学の課題 「社会をシステムとして捉えるーとい 特別な副葬品を有する子供の埋葬や集 うのは、どの社会もシステムとして捉 落の階層分化 ( 拠点集落と小集落 ) な 以上が第三講の概要である。聞いた 窓 えうるので、学問的に問題はないだろの 当時はまだ一〇代で、知識もなかった どに基づき把握できる、とされる。 書 うが、第三講の所謂「文化進化論」が 国家は階級社会であり、専業の支配ので大いに感銘を受けた。確かに、例 一九六〇年代、七〇年代当時は地域、 階級による、大変強力な、往々にして えば弥生時代は首長制段階と演繹的に 中央集権的であり、成文法によって裏考えたとき、再分配の証拠をどのよう文化を超えて通用すると考えられてい たのは、大きな問題である。これにつ に検出できるのか、あるいは首長が生 付けられた政府を伴う。社会の紐帯は いては、こういう考え方が当時のアメ 地縁関係に基づき、高度に階層化が進前活動していた集落は、一般集落から リカ合衆国帝国主義の影響という九州 どのように区別されるのか、といった む。居住形態も血縁や婚姻関係よりも、 問題意識をもった調査が出来る点は評大学溝ロ孝司教授の意見があり、賛同 職業的専門化に基づく場合が多い。国 家は徴兵、徴税し、貢納品を取り立て価できると思う。特に、土器や遺跡したい。つまり、アメリカ合衆国の考 ることができる。経済構造は、互酬制 ( 墓地や集落など ) といった考古資料え方がどの地域でも通用するはず、と いう暗黙の前提があったのである。も と再分配の両方、さらに往々にして市は当時の社会の極一部の側面しか語っ てくれないから、集落の階層分化を把ちろん、日本の古墳時代と中国の龍山 場の存在で特徴づけられる。戦略的な 品物やサービスを優先的に入手できる握した時点で、経済構造も再分配のメ文化を国家形成期と捉え、比較研究を エリート カニズムで機能していたはず、と先行試みるのは有効であろう。しかし、メ ( 一般的に世襲の ) が、その してモデル化できるのは学問的に有効ソボタミアの国家形成過程を説明する 経済の大半をコントロールしている。 モデルで、マヤ地域やあるいは中国、 そしてそのエリートが、高官に採用さ だと思う。 しかしながら、三〇年前ミシガン大日本列島における国家形成を理解でき れる階層を形成する。 ると考える日本人研究者はいないであ 学で主流であったこのような考え方に
野家啓一 ( 東北大学大学院教授 ) と文系の知を融合させることが何よりも必要だからである。 昨年三月十一日に起こった東日本大震災とそれに引き続く福島原 そんな中で、この一年間ほど私の専門である「哲学」に何ができ 発事故から早や一年が過ぎ去った。震災では津波の災禍こそ免れた るかを考えさせられたことはなかった。もとより哲学は、医学やエ ヘーゲルが「ミネルヴァの ものの、仙台市内にある私の自宅も勤務先の大学も地震による損壊学のように直ちに役立っ学問ではない。 を被り、私自身も「罹災証明書」を交付される身となった。それで 梟は、黄昏がやってくると初めて飛びはじめる」 ( 『法の哲学』序 も、津波によって壊滅状態となった沿岸部に比べれば、同じ被災と文 ) と述べたように、哲学は一つの出来事が終わろうとするときに、 いっても雲泥の差と言ってよい。実際、仙台市では防潮堤の役目を それを総括すべく登場する学問である。だとすれば、哲学が必要と 果たした東部道路という高速道を境にして、その西側に位置する市されるのは、震災後一年を経たこれからということになろう。事実、 街地が現在ほぼ平常に戻りつつあるのに対し、その東側の沿岸地域今回の大震災と原発事故は、われわれがこれまで自明のものとして はいまだ復旧の目途さえ立っていない。 この「復興格差」には、近安住してきた自然観、人間観、文明観、価値観などを大きく揺さぶ 隣地域に住む者として心が痛むばかりである。 り、それを根底から考え直すことを要求しているのである。 そうした状況のもとで、私が所属する東北大学では、昨年四月に すでに寺田寅彦は昭和九年 ( 一九三四 ) に書かれた「天災と国防」 いち早く「災害復興新生研究機構」を立ち上げ、被災地域の中核大の中で、「文明が進めば進むほど天然の暴威による災害がその劇烈 学としての責任を果たすべく、東日本の復興・地域再生の諸課題に の度を増すという事実」に注意を促し、「いやが上にも災害を大き 取り組んでいる。すでに柱となる七つのプロジェクトが動き始めて くするように努力しているものは誰あろう文明人そのものなのであ いるが、その特徴は総合大学としての利点を生かした「文理連携」 る」と警告を発していた。今日の科学技術文明が「利便性」と「経 の体制にある。 済効率」を至上の価値として追求してきたことは言うをまたない。 震災直後から大学病院を中心に被災地への医師派遣や医療物資の われわれもまた、それを当然のこととして疑わず、その自明性の上 提供を行い、 理工系の教員が放射線量を測定して地域住民に情報提 に胡坐をかいてきたのである。しかし、大震災と原発事故が突きっ 供を行ったことはもちろんだが、人文社会系の学部や教員もまた、 けたのは、まさにその「自明性」の脆さであり危うさであった。 それぞれの専門を生かして被災者の支援に立ち上がった。たとえば、 もちろん、放射能の除染をはじめ、復旧・復興に当たって科学的 日本史の教員による被災した文化財や古文書の修復・保存、宗教学知識は不可欠である。だが、「知識」だけでは足りない。復興を真 の教員による「心の相談室」の開設、心理学の教員による被時の の意味でわれわれの生き方と結びつけるためには、これまで受け容 行動や助け合いに関する調査などである。そうした活動を集約し、 れてきた価値の「自明性」を問い直し、それを転換する「知恵」が この四月からは文理連携型の「災害科学国際研究所」の創設が一丁定必要となる。遅れたとはいえ、 ミネルヴァの梟の出番であろう。 されている。防災や減災を実効的なものにするためには、理系の知 ( のえ・けいいちⅡ科学哲学専攻 ) 東北の地から①哲学に何ができるか
クレプス、マイヤーソン、オズボーン また、一九八七年から一年間、ゼル 1 『ゲーム理論』出版の経緯 / ルービンシュタインたちによって テンがビーレフェルト大学 ( ドイツ ) この度、『ゲーム理論』の初版から次々と出版されるようになりました。 の学際研究所 ( Z 一 F ) で実施した国際研 一五年を経て初めて内容を増補改訂し わが国では、長らく鈴木光男先生に 究プロジェクト「行動科学におけるゲ 新版を出版しました。現在、国内外で よる名著『ゲーム理論』 ( 勁草書房、 ーム理論」に参加し、海外の研究者と 入門から上級レベルまで多くのゲーム 一九五九年 ) と『ゲーム理論入門』 共同研究を行う機会に恵まれました。 理論のテキストが出版されています。 ( 共立出版、一九八一年 ) がゲーム理そのころから、鈴木先生の本を土台と して、ナッシュ、、 ーサニとゼルテン 初版が出版された一九九六年当時を振論の勉学を志す者の必読書でした。私 り返ると、海外では長らくルース / ラ は、東京工業大学で鈴木先生の指導の ( 一九九四年ノーベル経済学賞を共同 ・ 4 イフアのテキストがゲーム理論の名著下でゲーム理論を専攻し、一九八一一年受賞 ) によって確立され、現代のゲー として広く読まれ続けていました。一 から六年間、先生の助手としてこれら ム理論の基礎である非協力ゲーム理論 九九〇年代に人ると、ゲーム理論の新の二つのテキストを使って先生の授業の新しい展開に基づいた本格的な教科窓 しい展開に基づく上級テキストが、ビ の演習を担当するという幸運に恵まれ書を書きたいと思っていました。有斐斎 ました。 ンモア、フーデンバーグ / チロール、 閣から執筆の話を戴いた時、入門的な 総合科学をめざすゲーム理論 『ゲーム理論〔新版〕』を出版して 岡田
る。どの教科でも教員のレクチャー能である。 ース集で、上記の四冊がそれにあた る。そして、今回出版した『企業家に力の向上は必須の条件であるが、とく ( うだがわ・まさる。法政大学経営学部教授 ) 学ぶ日本経営史』は、これらの三種に経営史の場合はそのハードルが高 窓 、 0 の レクチャー能力の向上には多くの 類の教科書に基づいて、一二年前の経 斎 書 営史学全国大会で議論した経営史授業経験と努力が必要不可欠であるが、と くにそれは教育への情熱と不断の研究 ( 日本経営史に限っているが ) に必要 とされた三視点の統合化を企図したも活動が相まって涵養・鍛錬される。経 のである。 営史教育が試練の時を迎えている今こ ただし、良い教科書やビデオ、 そ、私たちは、「良い教師は良い研究 、プレゼンテーション用ソフト、イ者であり、その逆もまた真であるーと ンターネット教材等の補助教育器具が いう言葉を真摯に受け止めるべきであ あっても、学生の興味を引き出し、理る。 解力を高める経営史担当教員のレクチ 最後に企業家史研究会について蛇足 ャー能力の向上がなければ、それらはを加えれば、一一〇一〇年度から「企業 「宝の持ち腐れーである。経営史学は家活動でたどる日本の産業史」を統一 テーマとする連続公開講座を開講して 経営学の一分野であるが、その研究に は経済学・社会学等の学識が不可欠でおり、二〇一二年三月、その成果の第 あり、極めて学際的性格をもっ学問で 一作として『企業家活動でたどる日本 ある。また、経営史教育には隣接領域の自動車産業史』 ( 白桃書房 ) を発刊 の経済史、産業史はもとより、政治した。さらに今年度中に企業経営者に 史、社会史等の幅広い知見が求められついての第五ケース集を出版する予定 窈 e ルル ,
ど博士課程へ進学し、現在専修大学の 現東大教養学部教授と柳原正治現九州 東大法研での研究生活 大学教授の一一人がそれぞれ助手及び博森川幸一教授が助手一一年目になるとい う、わりとこぢんまりとした人的構成 私が一九八〇年四月文部省奨学生と士課程を修了し職を見つけて出て行か して来日し、一年間の東大教養学部国れ、ちょうど助手論文を書き終え就職であった。 当時の国際法研究の中心的な存在は 際関係論研究生を経て東大法学部研究待ちをしていた岩沢雄司現東大教授が 室 ( 以下、法研 ) に入ったのは翌年四秋から大阪へ行ってしまったので、残「国際法基礎理論研究会」で、英訳さ 念ながら現在日本国際法学会の中核的れた国際法古典を順番に読んでいく遠 月のことである。当時本郷には寺沢 一、内田久教授と米国留学から帰っ存在である三人の先輩たちと法研の中大な計画だったらしく、私が入った時 にはちょうどグロチウスの『戦争と平 て来たばかりの大沼保昭助教授がおら で触れ合う機会は与えられなかった。 現役としては苑原俊明現大東文化大和の法』を読み終えて、プーベンドル れ、教養学部から筒井若水教授が大学 院教育に関わるという国際法陣容であ学教授がちょうど旧ユーゴ留学から帰フの『自然法と国際法 ( 諸国民の法 ) 』 った。 に入って間もない頃だった。研究会の ってきて博士課程に在籍しておられ、 私が法研に入った時には、小寺彰現在東大社研の中川淳司教授がちょ , つ中心は故田中忠大東文化大学教授と リレー連載・国際法 国際法ーー山本国際法学との出会いと国際経済法研究 柳赫秀 第回 書斎の窓 2 似 2 4
意匠法の新しいスタンダードテキスト ちゃえんしげき 茶園成樹編 大阪大学教授 匠 法三 1 ( 4 月上旬発売予定 ) A 5 判並製カバー付 予価 3 , 150 円 978 ー 4-641 ー 14431 ー 6 意匠法のスタンダードな考え方を学ぶことができるテキスト。各項目の要点を示した POINT 欄や具体的な事例を提示する CASE 欄など , 意匠法の学習に効果的な工夫を多数盛り込んだ。 さらに , 意匠法の条文とその関連判例を重要度別に分類した一覧表を付録として収録。 な 目 次 第 1 章 第 2 章 第 3 章 第 4 章 第 5 章 第 6 章 第 7 章 第 8 章 第 9 章 第 10 章 第 1 1 章 意匠保護制度 意匠の概念 保護主体 意匠登録要件 意匠の類似 意匠登録出願手続 特別な意匠登録制度 審判及び審決取消訴訟 意匠権 意匠権侵害 意匠権の利用 別冊ジュリスト 209 号 なかやまのぶひろおおぶちてつや こいすみなおき たむらよしゆき 特許判例百選第 4 版 明治大学特任教授・東京大学教授・慶應義塾大学教授・北海道大学教授 中山信弘・大渕哲也・小泉直樹・田村善之編 B 5 判並製 220 頁 予価 2 , 730 円 978 ー 4-641 ー 1 1509-5 ( 4 月上旬発売予定 ) 斯界を代表する研究者・裁判官・弁護士等が特許分野の最重要判例 104 件を紹介。うち 42 件 が今版で初収録の判例であることは , この分野の動きの激しさを物語っている。 4 月施行の 特許法改正にかかわる判例についてはその影響も解説した最新の内容。 主 目 1 発明 ( 7 件 ) 2 特許要件 1 産業上の利用可能性 ( 2 件 ) 2 新規性・進歩性 ( 10 件 ) 3 公序良俗 1 件 4 開示要件 2 件 3 発明者の権利 ( 5 件 ) 4 発明者および職務発明 1 発明者 ( 2 件 ) 2 職務発明 6 件 5 出願・審査 4 件 6 審判・判定 1 審判 ( 7 件 ) 2 判定 ( 1 件 ) 7 審決等取消訴訟 ( 8 件 ) 8 特許権の効力 ( 4 件 ) 9 特許権の侵害等 1 クレーム解釈 ( 6 件 ) 2 均等論・間接侵害 ( 8 件 ) 3 抗弁等 ( 6 件 ) 10 侵害に対する救済 ( 12 件 ) 11 特許権の利用 ( 6 件 ) 12 渉外関係 ( 4 件 ) 13 実用新案法関係 ( 3 件 ) 74