時代 - みる会図書館


検索対象: 群像 2016年11月号
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1. 群像 2016年11月号

うのは、レーダーにひっかかりにくい。だから第二次世界大イ・ポリカルポフという有名な帝政ロシア時代からの航空技 戦中は、ドイツを攻撃するのに使われたんです。こう一一一一口う細師がいました。彼が設計した、—- という戦闘機 かい話が私は好きなんですね ( 笑 ) 。 があります。ノモンハン事件で有名な戦闘機です。ポリカル 高樹シムーン機は、本来、空に溶け込む青に塗られている ポフは一九二九年に逮捕され、刑務所に入れられますが、ま のですが、ジャピーは出発前にあえて真っ赤に塗り替えて飛もなく刑務所内に他のエンジニアも集めて設計局がつくられ んできたのです。彼にとっての飛行機は戦闘とは無縁のも ます。ソ連政府に殺すぞと脅されながら戦闘機をつくるわけ の、そんな宣一言だったのかもしれません。そんなところにも です。結局ポリカルポフは生き残って外に出られたのです 彼の飛行機に対する思いが表れているのではないかと思うの が。フランスでは賞金が懸かっていたけれども、ソ連では文 です。 字どおり命がかかっていたわけです。 当時の記録を見ると、機体の残骸のほとんどを、フランス 日本の航空機開発は、フランスとソ連の間ぐらいの感じで 側は、集めて持って帰ったらしいのです。ただ尾翼の一部だ 行われていたのではないでしようか。この小説にはそんな当 と思いますが、それは日本に残していったんですね。 時の時代の雰囲気がにじんでいますね。 佐藤技術を盗られても危なくない部分だけ残していったん 小説のモチーフとして飛行機とともに興味をそそられるの ですね。それはそうでしようね。シムーン機には、当時のフ は、現在と過去をつなぐ物語の鍵となる懐中時計です。時計 ランス航空技術の最大の秘密が詰まっていたわけですから。 の裏蓋に施された銀の象眼とかニワトリの細工とか。裏蓋の 日本軍は仏印への進駐を考えていましたから、そこでぶつ ーと呼ばれる、数字や文字 内側に入っているウォッチベー 行 かる可能性のあるフランスの飛行機に関する情報は、たぶん が細かく書き込まれた紙とか。 飛 険 欲しかったでしようね。当時のフランス機は、おそらくエン ーというものは、たいていはオーバー 高樹ウォッチベー 冒 ジンがすごく優れていたと思うんです。日本の飛行機は、機ホールの時期や修理箇所、ごくまれにプレゼント相手への詩愛 る 体の技術は結構いい のですが、エンジンの能力がついていっ文などが記されます。懐中時計とはいろいろな謎を埋め込む お ことができるものなのですね。 ていなかった。だいたいはアメリカから持ってきたエンジン 説 をコピーしていたのです。 ところで、佐藤さんは腕時計をされないそうですね。 フランスでは民間を競争させることで航空機の技術が発展佐藤外交官時代にしなくなったんです。ソ連の日本大使館 しますが、ソ連を見ると、また事情は異なります。ニコラ に勤務しているとき懐中時計を持っ習慣がついて、それから

2. 群像 2016年11月号

が我々の役回りだ。わきまえていますよ。あなたも考えるべ しいくらいた」 きだ。あなたが思っている以上に、あなたが作ったものは大 「現代が再起動者を必要としているとでもいうのか ? 」 しし力、もー きなものだということを。国家的規模と言っても、 「格差が、広がっている。しかも自然競争の上での格差だ。 チャンスだけは全員に公平な時代ですよ。逆にいえば、公平れない」 僕は荷物を下ろしにここに来たはずなのに、あらたな別の な機会の結果としてできあがった格差に、言い訳できない時 代が初めて来ている。これまでの人類の歴史では、そんなこ重荷を背中に載せられたような気分になった。柏崎の提示す とはなかった。家柄や身分、人種、性別、さまざまな不公平る世界観を受け止めるだけの余裕なんてまるでなかった。 「ちなみに」弱気になった人がよくそうするように、僕は今 があった。ただ不公平は言い訳にもなる。逃げ道でもあった わけです。 までのすべての会話を冗談にくるみこむように苦笑して最後 に訊いた。「あなたもいっか、自分が再起動したいと願う時 平等を叫べば叫ぶほど、チャンスは広がるが言い訳はでき が来るとお思いですか ? 」 なくなる。今や人類はほば完全に公平な競争下に入った。そ 、つさい外部に責任を押し付けるこ 柏崎は笑って左右の男を見渡すような動作をした。「さあ れは別な観点でみれば、し どうでしよう。そんな時が来ないとは限らない」そこで会談 とができず、すべて自己責任となる時代の到来でもある。 は終わった。最後に柏崎はネクタイを締め上げながらこう 決定的敗者の誕生ですよ。言い訳のできない負け組たち 言った。「みんながそうです 0 あなただってわかりませんよ。 だ。社会環境がそんなものを生み出すほどに変化したのに、 教団が完成したあかっきには」 人間自体がそのままであり続けるというのもおかしな話だ。 僕は足取り重くそのビルを出た。駅へと向かう路地は来る 新環境への適応として、何らかの進化が発生して、あらたな ときとはまるで違って閑散としていた。乗る電車の中もま 人間が生まれる可能性を考えたほうが自然じゃないですか ? 決定的敗者にだって生きる役割が必要なんだ。再起動は究極た、ひとつの時代が終わったかのように寂しくなっていた。 席はいくらでも空いていたが座る気になれなかった。 の役割分担に向けた新機能だと考えればよい」 「もう一度言う。再起動の教義なんて僕の妄想に過ぎない。 翌週には再起動者の送出が始まった。僕がゴーサインを出 全部、嘘だ。その嘘をベースにあなたは随分とたいそうな理 したのだ。柏崎を拒否しても、すぐ次に似たような客が来る 論をお考えだ。それこそ、あなたが教団を引き継げばいい に違いない。僕には選択の余地がなかった。柏崎が寄越した 「まさか」柏崎は笑った。「すべてあなたが作り上げたこと だ。我々はその完成に手を貸そうとしているだけです。それ事務員たちは部屋にこもってリストを作成し、週末になると

3. 群像 2016年11月号

働基準法がありますからね。適材適所というお話です。悪い 「まさかとは思うが、あなたは信者なのか」 話ではないと思います」 「あなたの作り上げたシステムを信じている」柏崎はまだネ 柏崎の魂胆はよく呑み込めた。使い勝手がよく、決して反クタイの結び目を締め直していた。「そういう意味で信者だ」 抗せず、昇進も昇給も望まない低賃金労働者ーーあらゆる意 「会社の代表であるようなあなたが、僕らのくだらない教義 志が枯れ果てた再起動者は、まさにそれにびったりだ。外国を信じるとは思えない」 人労働者よりずっと有用に使えるだろう。いわば奴隷だ。 「仏教を開いたブッダは『悟り』という境地に達した。この 「そちらの手間はとらせませんよ。すべて我々だけでできる 『悟り』が、現代的に言うと、再起動にあたるのだと考える 仕事です。事務員を派遣させていただき、対象者のピック ことはできませんか。悟りを得るために、これまで人類は アップから送出まで、すべてやらせていただきます。再起動様々な手段を試してきた。苦行の多くがそうだ。でもあなた 者との労働契約も、あくまで個人との契約という形で進める はそれを非常に効果的かつ効率的に、そしてシステマティッ つもりです。団体同士の契約となると逆に面倒ですからね。 クにやったーーーそうとらえることもできるわけです。もちろ あとはゴーサインさえいただければ、すぐに開始します」 んまだ実験段階ではあります。ただ、すでに結果は出てい 話が随分と準備してある。僕は爪をかんだ。 る。今は検証の最終段階ともいえます。そのお手伝いを我々 「クオーターにも聞いてみる必要があります。クオーターと は申し出ているわけです」 は共同代表者の名前です。彼の同意が必要です」 「再起動なんて妄想だ。実在なんてしない。い や、たとえ実 僕は逃げ道を準備したつもりだった。この場で結論を出し在したとしても、そう簡単にそんな境地にたどりつくことな たくない。すると柏崎は「その必要はないと思いますがね」 どできるわけがない。あなたが言うとおり仏教がまさにそう と、立ちふさがるような印象でもって、言ってのけた。 だが、誰もがそう簡単に悟れるわけではないことは長い歴史 「教団の実質的な代表者はあなただけだ。いや、代表者なん が証明している」 ていう看板はどうでもいい。教団の理論は、すべてあなたが 「現代という時代が、急に必要とし始めたーーーそう考えるこ 作ったはずだ。教義も運営方法もあなたが決めたことで、 とはできませんか。時代の意志と個人の意思が合致すると新 クオーターさんはこれつばっちも貢献してないはずだ。役割 しいことが起きる。それこそ歴史が証明している理論のひと が違うことは我々も知っていますよ」 つです。これまでは不要だったから難しかった。だが時代が起 柏崎はどこまで知っているのだろう。僕は逆に覚悟を決め 必要とした今、そういう一種の機能が生まれ始めていると考 て、腹を割って話す気になった。 えてみてもいい。環境に合わせた進化のひとつだと言っても

4. 群像 2016年11月号

2016 火火 1111 ロ アメリカ異形の制度空間田中角栄 定価 92 0 円 978 ー 466 ー 288382 ー 5 服部龍ニ 宀疋価 1 、「 / 00 円 97 甲 4 ・ 09258637 ・ 5 西谷修 新東京一極集中の是正、「限定的改憲論」、「日中裏安保」、石油・ アメリカとは単なる地名でもなければ国名でもない ひ - ネルギーをめぐる資源外交、北方領土問題の解決 = ・角栄が 夢見た「日本の未来」とは。最新史料等から読み解く。 キリスト教旧世界が新大陸に作り出した制度空間の名 ろ である。教会・旧秩序からの〈自由〉と〈個人の自立〉の よ 観念を考察し、歴史の本質を見抜く空前の文明論ー る 憲法という希望 知 定価 7 6 0 円 木村草太対談Ⅱ国谷裕子 978 ー 466 ー 288387 ー 0 さ 本当に困っている人たちに、憲法は何ができるのか。気鋭の法 し ノ 1 ベル経済学賞 学者が、社会問題と憲法の関わりを考え、わかりやすく解説し 天才たちから専門家たちへ る た憲法ガイド ! 国谷裕子氏との貴重な対談も収録。 え 宀疋価 1 、 ( O -00 円 978 ・ 4 ・ 09258639 ・ 9 根井雅弘編著 考 受賞を後悔したミュルダ 1 ル、デモ隊に乱入されたフリー マンション格差 ドマン、投機に足をすくわれたマ 1 トンとショ 1 ルズ : 定価 740 円 : 彼らは何を語り、何を見ようとしなかったのか。ノー 978 ー 466 ー 288388 ー 7 ベル経済学賞人の受賞者が紡ぐ侃々諤々の「物語」。 あなたのマンションは「勝ち組」「負け組」 ? 自宅が「廃墟化」 しないために、今からでもできることとは ? マンション「格差」 大竸争時代を勝ち抜くために知っておきたい「真実」。 ~ ニッポンエロ・グロ・ナンセンス、 一 .. 血昭和モダン歌謡の光と影 0 ピアニストは語る 宀疋価 -1 、 8-50 円 97 甲 466 ・ 2586495 毛利眞人 定価円 ヴァレリー・アファナシェフ 978 ー 466 ー 288389 ー 4 関東大震災から日中戦争に至る時代。刹那的な享楽主 0 0 現代新書への待望の書き下ろし。モスクワでの幼年時代、音楽 義が街を覆った。不埒な歌詞と軽佻浮薄なメロディーか 院での修業の日々、亡命、愛する作品と作曲家について、ピア ら、人々の欲望と権力への反発が聞こえてくる。混沌のな ノ演奏について。最後の巨匠が語る人生と音楽の哲学 ! かで花開いた軽音楽の数々に、今ふたたび耳を傾ける。 講談社現代新書 昭和の光と闇

5. 群像 2016年11月号

" △会いたい " 美しい " ひと " たかまつなな 私のベスト 私の、いは、驚くほど″美しい″。急に、こんなことを 2 人目は、江尸時代の医者、緒方洪庵です。とっても 申し上げて、すみません。私は、お嬢様です。曾祖父は優れたお医者さんで、「将軍の医者になれ」と幕府から 言われるほどでした。ですが、それをしばらく断ってい 東京ガスの社長で、小さい頃からお金に困ったことがご ざいません。幼少期は、お父様の書斎にある伝記を読むました。なぜか。塾で、彼はこのように教えてきまし のが好きでした。そこには″美しい″生き方が描かれてた。「医者がこの世で生活してるのは、人のためであっ いるからです。 て自分のためではない。利益を追うな。人を救うことだ ある日、爆笑問題の太田光さんの『憲法九条を世界遺けを考えろ」。かっこ良すぎではありませんか ? 芸人 産に』という本と出逢い、ユニークな政策提言に感銘をと緒方洪庵の姿が重なります。目の前の人を笑わすっ 受「私もお笑いを通して社会問題を発信したい」と、 て、独りよがりでは無理です。相手に寄り添わないとい 芸人を志しました。親の猛反対を押し切り、お嬢様芸人けない。人のためを考え抜いたものがお笑いなのだと思 としてデビューした私には苦労の連続でした。楽屋でいます 3 人目は、芸術家のレオナルド・ダ・ヴィンチです。 は、全く話が噛み合いません。それでも、私が芸人を続 し″から。お客様彼は、画家としてだけではなく、解剖学や数学、科学な けられる理由は一つ。芸人は、″美し、 を楽しませ続け、バイトをしながら夢を追いかける姿ど様々な分野で結果を残し、万能人と呼ばれています。 は、本当にきらきらしている。 「自分の芸術を真に理解できるのは数学者だけである」 ここで私の大好きな″美しい″生き方をしている人をという一言葉を残しています。 「なんで、芸人のくせに、会社作るの ? 大学院行く 紹介します。できることなら、今会いたい 1 人目は、音楽の母、作曲家のヘンデルです。彼の生の ? 政治語るの ? 」と文句を言ってくる庶民に、こう き方に美しさを感じるのは、私と似ているからです。私言いたいものです。「私のお笑いを真に理解できるのは、 は、親に勘当されております。だって、お笑い芸人に政治学者だけである」と。お笑いライプですべった時に なったんですもの。彼も、厳格な家に生まれ、父親が法使ってみます。 律家にさせようとしました。音楽に目を向ける彼に対し 3 人に共通する″美しさ〃は、時代に合わせないこ て、楽器を屋根裏部屋に隠し、それでも楽器を弾くのをと。私は我が儘です。お嬢様ですから。時代なんて関係 見て、しまいには楽器を捨ててしまいます。最終的に、ありません。環境のせいにしないへンデル、人のためを 彼は大好きな音楽の道へと進みました。私も、親にネタ優先する緒方洪庵、分野を横断するダ・ヴィンチ。 3 人 で使う紙芝居の紙を破られて、それでもお笑いを続けての″美しさみを全て手に入れます。欲しいものは全て手 に入れます。お嬢様ですから。 おります。まさに私はお笑い界のヘンデルなのです ! 237 私のベスト 3

6. 群像 2016年11月号

はっきりしないとい , つか : 引き払い店の二階に暮らしている、物事を素直に見られず斜 佐藤でも、これだけのすごい構想力があるじゃないですめから見てしまう初老の男。そういう人も大勢いるんじゃな ムこ長って言えば、構想力が欠如しているからノンフィ しでしょ , つか クションを書いているところがあります。ノンフィクション、高樹一良は、もう僕は現役じゃないからというふうに引い というのは、、わば大きな木を削っていって形をつくるとい ている。でも、それは自分を守っているんですよね。 う作業で、そこにつけ加えることはできないんですよ。 佐藤自分を守っているけれども、一方で、いろいろなこと 高樹私は妄想が妄想を生んで、木がどんどんつながって にちょっかいは出したいわけです。だから、ちょっと助平心 ってしまって、ど , っしょ , つかと。 があるのも何となく見えてくる。そのあたりも面白いです。 佐藤それがすばらしいんですよ。 それから、この小説の大きなテーマは愛だと思うのですけ 高樹小説を読み始めても、自分が続きをつくっていってし れども、二つの愛を感じたんです。 まうから、最後まで読み終えることが難しくて。途中でペー ギリシャ語で一つはエロス、性愛とつながっていく愛。も ジを閉じて、どんどん自分の妄想で続きをつくっていってし う一つの愛は、フィリアといいます。現代に生きるあやめと まうのです。 一良、あるいはヒロイン・久美子とその後輩のツャ子の看護 婦同士のような、年齢も置かれた環境も違ったところで生ま ■愛をよりどころに生きる れる友情です。「友情」という訳語はあまりよくないですね、 佐藤この小説は、それぞれの世代ごとに共感できるところ フィリアもやつばり愛なんです。 がありますよね。 高樹ここにしがみついていれば大丈夫というものがない時 久美子とアンドレの八十年前の恋の謎をたどることになる代に自分を失わないでいるためには、やはり自分の中にある 親戚のあやめは、ややひきこもり気味の若い女性です。自分愛、愛情のようなものに、しがみつかないと立っていられな ができることはケーキを焼くことだけだと思っていて、だか いと思うんです。先のことはどうなるかわからないという戦 ら誰かに食べてもらおうとする。そんな設定に感情移入でき 前の時代に、世間に知られてはならない、どうにもならない る読者も多いと思います。 ジャピーとの恋に生きた久美子、そして、そんな久美子を助 あやめから懐中時計の修理を持ち込まれる時計職人の一良けようとしたツャ子。彼女たちは、その恋が社会に背くよう は、数年前に伴侶を失い、気力をなくして、自宅アバートも なものだったとしても、一生懸命必死で生きたと私は感じて 160

7. 群像 2016年11月号

ていて、野球部以外の友人にもその呼び方を許した。 クオーターが肩を怪我して野球をやめる決断をしたのは大 学三年の春だった。 「プロを目指していたわけでもなかったから、やめること自 体は苦ではなかったんだ。ただその後毎日をどう過ごしたら ししか、さつばりわからないのには困った」 クオーターは大学時代、野球部に所属しショートストップ クオーターは退部後、様々なものに手を出した。野球漬け のポジションでレギュラーだった。その事実はたいていの人だったはずのばっかりと空いた日々を、なんとか埋めようと を驚かしたし、僕自身も相当に驚いた。大学は東京六大学の 必死にもがいた。朝まで酒を飲み、女の子にちょっかいを出 なかでも強豪校で、野球に興味のない僕ですら何度か球場に し、語学や資格の勉強を始め、デバートで梱包のアルバイト 足を運んだことがある。クオーターが試合に出ていた記憶は にいそしんだ。いわゆる大学生らしさを遅まきながら体験し まったくなかった。知り合ってからあらためて図書館で当時たのだった。 のスポーツ新聞の記事を探し出しクオーターが本当に出場選 クオーターは野球推薦で入学したことに大きなコンプレッ 手だったことを確認した時にははなはだ意外に感じた。 クスを抱えていた。周囲から馬鹿にされているのではないか 「クオーター」とは大学時代についた彼のあだ名である。守 という被害妄想に常にとらわれ、いつでもおびえていた。誰 備のうまさを買われて一年の秋から試合に出る機会を得たが の前でも野球部にいたことはロにせず、スポーツマンである ことさえ隠した。だて眼鏡をかけて髪の毛を伸ばし、猫背で バッティングは平凡で、二割五分を大きく下回ることもなけ 長身をごまかしつつ不健康そうに気だるい態度でいるスタイ れば超えることもなかった。だから彼は二割五分ーークオー ルを身につけた。ノ。 ターと呼ばれるようになった。彼自身そのあだ名を気に入っ 彼ことっての精一杯の武装だったのだろ 設計編

8. 群像 2016年11月号

うな文学様式が登場する。時代が下って近代に入り、今度 「以上は、日常言語の話である。文学一一 = ロ語となると、とた は「散文」から「小説」が分化してくる。「ずばり定義す んに世界は変る」と野口は続けている。「文学は文法を無るなら、近代小説とは、ヨーロッパの特定の時期に、市民 視する。いや、はじめは処女のごとく従順に文法を守りな 社会の成立を土台に、作者および読者を産出しつつ勃興 がら、やがて脱兎のごとく疾駆する。その結果、文法の方し、そして現代にいたっている一つの文学ジャンルであ から折り合いをつけなければならないような仕儀になる。 る」。 文学は文法を変える。それはどうやら、文学が日常一言語の 世界に、 ( 略 ) 虚構の人称を持ち込んだかららしいのであ る」。「文学」と「文法」を鋭く対立させる、このようなス タンスが理論的に妥当であるのかどうかは、本論では問わ ない。ここで掲げられた「発生史」の是非も問題にはしな 野口の論を援用しつつ、これから私が考えてみたいの は、簡潔に述べるなら「一人称」の再発見である。 「三人称の発見まで」と言うからには、それ以外に「一人 称」と「二人称」の「発見」もあったわけであり、野口の 言う「文学一一一一口語」において、一でも二でもない「三人称」 の登場が重大な歴史的意味を持ったのだとして、その理路 を辿り直すことによって、むしろ「一人称」の意味を、効 用を、ポテンシャルを、新たに発見出来ないかと思うので ある。 「ソクラテスやプラトンが活躍した古代ギリシアには、散 「こういうことが可能なのはなぜなのだろうか」と野口は 文はなかった。あったのは、劇であるか詩であるか対話か 問い、ポール・リクール『時間と物語』におけるエミー ル・バンヴェニストとケーテ だった。 ( 略 ) 確実にいえるのは、この三つが一人称だっ ・ハンプルガーにかんする言 たことである」。しかしやがて「劇」でも「詩」でも「対及を参照して、現在一一一一口うところの「ナラトロジー ( 本文中 話」でもない、ごく曖昧に「散文」と呼ばれるしかないよ ではナラトロジイ ) Ⅱ物語学」の ( 当時の ) 理論的収穫に それは現実の記述とよく似た、まがいものの記述を導 入した。歴史と虚構とは区別がっかないものになった。 本来は、どっちがどっちでもよかった。しかし、近代小 説は、これは虚構ですとことわることからスタートし た。歴史記述まがいのロ吻で語ることのライセンスがそ れで得られたのである。たとえそういわなくても、一人 称の記述がそもそも真偽あやしいものであった。厄介な のは、小説家が三人称で書き始めたことであった。一人 称の物語は、真偽いずれにせよ語り手の当事者性という 担保がある。ところが三人称は、そうした担保なしに、 かえって信憑性を増すかのように扱われるのである。 ( 同 ) 304

9. 群像 2016年11月号

しているようだった。「他のみんなもそう思っているみたい でも僕は話を続けた。その日だけでは終わらず、クオーター に会うたびに自分の起業計画を話すことになった。クオータ 「いや、どうだろう。みんな誰だって心のどこかでは、ただの ーに語ることで曖昧でもやもやしていたものが、形ある実計 歯車になるなんて絶対ごめんだ、そう思っているんじゃないか」 画に代わっていくのが自分でもよくわかった。不思議な体験 「僕なんかは君に言われて初めてそんな考えもあるのかと感だった。僕はひと月にわたって話し続け、やっと話すべきこ とが底をついたとき僕の起業計画は完成していた。「あとは 心したよ。だってさ」クオーターは柿の種の中のピーナツツ だけを選んでカリカリ食べながら言った。「組織の方が断然やってみるだけなんだ」僕の心はすでに決まっていた。 「僕もやってみてもいい」クオーターが乾杯を促すようにグ 楽だぜ」 「安定感はあるけど楽とは違うよ。組織は組織で人の上に立ラスをあげた時、僕は唖然とした。僕はクオーターを巻き込 むつもりなどなかった。無責任な聞き手として、彼を相手に つまでにはそれなりの面倒がある」 話をしていたに過ぎない。 「僕は別に人の上に立ちたいとは思わない」 「出世しないと賃金だって安いままだし、仕事だって面白み 「参加させてくれ。何かの役には立つよ」クオーターはそう 言ってグラスを突き出した。それが僕らの船出だった。 のない雑用ばかりだぜ」 「給料なんて最低賃金でいいよ。贅沢をしたいとは思わない んだ。仕事も単純作業の繰り返しでいい。生きていければい いさ」 クオーターを否定するつもりは微塵もなかった。今や小学 生ですら「将来の夢は公務員です」と言う時代なのだ。僕ら 仕事は滑り出しから好調だった。僕らの会社は関連に の国は個性と創造性を尊重しているようでいて、大量の事務よくあるべンチャー企業だったが、業務の中心をシステム・ エンジニアリングの請負においた。他社がコンサルタント業 員を製造してきたのだ。 「僕は起業しようと思っている。ばんやりとした案はあるん務を主にしていた一方で、僕らは泥臭い実務に手を出すこと だ。少しは調べてあるし、利用できるサポートにしてもオ にしたのだ。この特徴が僕らを成功させた。 フィスにしても耳にはしている」 折しもバブルが始まった時代で仕事はいくらでもあっ た。中小規模のソフトウェア会社が自社のエンジニアだけで 当初、僕の頭の中に確固たる計画など一切なかった。それ 11 再起動

10. 群像 2016年11月号

の一節を引く。 逆説といい転倒といい 、「かういふほうとした気分を持 「ほうとしても立ち止らず、まだ歩き続けてゐる旅人の目 たない人には、しん底までは納得がいかないであらう」と から見れば、島人の一生などは、もっとど、深いため息に 言い換えても、おそらく許されるだろう。逆説も転倒も一言 値する。かうした知らせたくもあり、覚らせるもいとほし葉の極致、論理の極致であって、ほうとした気分の正反対 いつれみ \ な生活は、まだ / \ 薩摩潟の南、台湾の北に列 ではないかと思われるだろうが、そうではない。逆説や転 る飛び石の様な島々には、くり返されてゐる。でも此が、 倒こそが、むしろ「ほうとした気分」に人を誘い込むの . で 最正しい人間の理法と信じてゐた時代が、曾ては、ほんと ある。それが理解するということなのだ。 うにあったのだ。古事記や日本紀や風土記などの元の形 折ロの歌、大岡の詩のいたるところにこの気分を見出す も、出来たか出来なかったかと言ふ古代は、かういふほう ことができるが、ここでは引かない。ただ、『うたげと孤 とした気分を持たない人には、しん底までは納得がいかな 心』を貫く一本の糸がじつはこの「ほうとした気分」でも いであらう。」 あることは指摘しておきたい。 大岡は藤原公任と和泉式部 人の気を引いておいて、逆に押し返すような文章であ を論じた・ーーむしろこの二人の身になって演じたといった る。詩的にすぎて、かえって分かりにくくなったかもしれ ま , つ、カ _> 。し 第三章「公子と浮かれ女」において、和泉 ない。評論の書き出しは「はうとする程長い白浜の先は、 の歌には「いかなる場合でも、突きつめていけば極度の熱 また、目も届かぬ海が揺れてゐる」である。とりあえず感中または極度の放心に必ず達してしまうひと筋の調べ」が 覚的に「ばうっと気が遠くなる」とでも押さえておけば、 あると述べているが、同じことである。この「放心」を、 いかもしれない。昔は、「ばうっと気が遠くなる」ような紫式部が浮舟の中心に移し入れたことはいうまでもない。 気持ちのままで人は一生を送っていたのだ、祭りはそうい 大岡と折口が似ているのは、この「ほうとした気分」へ うなかから発生したのだ、とでも受け取っておけばいい。 の感受性の強さにあることは疑いな、。だま、 だが、その後によく考えてみると、この「ばうっと気が遠違っているのは、大岡がこの「ほうとした気分」を「笑 くなる」というその状態が、言語を獲得する前後のそのあ い」にも繋げてみせるのに対して、折ロは決して繋げない わいを体験する感覚であることに気づくことになる。歴史ことだ。柳田もそうだが、折ロも笑いを看過しているわけ 的な前後ではない。人間ならば誰をも訪れるそういう瞬間 ではない、柳田に『笑の本願』があるように、折ロの『日 のことだ。哲学者ならば現象学的還元とでもいいだしかね本文学の発生序説』 ( 一九四七 ) にも最終章「笑ふ民族文 ないところだ。 学」がある。他でも「笑ひの意義」を論じている。だが、 言語の政治学 297