ねえ、と言いながらおもむろに立ち上がり、少し思い出すよ起こっとる、と話題を転じた。去年は、わたしが一人助けた うにしてから、消防団に入ってはおらなんだけど、うちは詰 んや、あの橋の下のところで。今年はね、大学生の孫が助け め所になっとったもんで、いまは壊れてもうないんやけど、 たんよ。その日は鮎の解禁日やったもんで川には大勢釣り人 あの橋のあたりに家があって、とさっき彼が渡ってきた河岐がおるわね、一人が足を滑らせてここのちょっと下から流さ 橋を遠く見遣って、事故の時には、そこが消防団の本部に れたもんで、孫が追い駆けて行って、流れがゆるやかになる なって、転落現場から誘導されて歩いてくる者があったりし やつばりあの橋の下んところで助けた。そやけど、助けられ て大騒動になってな、と語り出した。 たその人はどういうことか知らんけど、二十日ばかり前に、 後で裁判でも問題になったんやけど、あんときは白川口の 今度は馬瀬川で死んでしまった。ともかくここは合流地点や 駅の近くの飛泉橋で飛騨川の水位を警戒してた消防団員が、 から、いろんなことがあるな。 五号車やったかな、の運転手を呼び止めて、この先は土砂崩 その話に驚かされながら、もともと川のそばには川の専門 れの危険があるからと運転見合わせを勧告したんやけど、ま家が住んでいたものだ、とも語った関川村の古老の言葉が思 だ通行規制は敷かれておらんかったし、一号車から三号車ま い出された。昔は家の中で囲炉裏で火を焚いていたので、薪 では先に橋を渡っとったもんやから、後を追って、六号車と拾い、流木集めがあって、洪水のときには子供もみんなで流 七号車も続いた。そして、少し遅れて走ってきた八号車以降木を集めにいく。竹の竿を川に出して、流れてくる木にひっ のバスは、消防団の警告にしたがって駅前の広場で待機した かけて引き寄せる。流れがまだ強いときは、子供が流され んで、間一髪難を逃れたんや。だから、何で消防団の警告を る、ということもあった。流木は、水に浮かんでくるだけな 無視したんやろうってな。 ので、かえってよく燃える。川で流木を拾うのは、川木拾 あの夜は、このあたりも水害に遭って大変で、水がこのあ 、と言って自分の拾った木には石をのせて目印にしたりも たりまで来てね、と一階の天井あたりを指差すのに、地元民した : も十四名が犠牲となったと聞いている彼は深く頷いた。 目の前の七十年配の囮店の主人も、さしずめ川の専門家に テレビの映像見てて、津波も大変やと思ったけど、土砂崩ちがいなかった。話を聞かせてもらった礼を言って役場のほ れは一瞬やからね、これはこれで怖いやね、と言ってから、 うへと戻りながら、釣り人が溺れかけたというのはこの辺り それからここは水難事故もあるやろ、今年に入ってもう二件だろうか、と急な流れに目を遣り、ここで命拾いをしたもの
いつの間にか日が短くなっていて、あたりにたそがれがひ奥は私の家だけです、ときつい声で言って、塀の中へ入った ろがってきた。私たちは交番で教えられた小田夫人の里の家のよ。あなた、どうしてたのよ」 をようやく探しあてた。歩道から横の細い小路に入った突き 河野多惠子は珍しく興奮して、声も高く、震えていた。 当りの奥に、その家というより大きな邸があった。高い塀に 「ごめん、ごめん、中へ入って二階めがけて石投げてやった 囲まれ、塀の出入口にいくつかの表札が並び、その中に小田 のよ、当らなかった」 仁二郎の表札もあった。私はす早く入口の戸を押し中へすべ 話す間にも、あたりの空気は暗さを増してきた。 りこんだ。二階建の予想よりはるかに大きなどっしりした邸 宅だった。あたりはもうすっかり昏くなり、早々とその家の 河野多惠子はその後、何年経っても、電話の中でその時の 二階の雨戸は閉められ、内の灯が戸のすき間から洩れている ことを繰り返した。黄色いコートの女性は、私たちの間では いつの間にかキンカンと名づけられていた。多惠子はキンカ のが侘しかった。何となく気持が荒々しくなり、私は足許か ら小石を拾い集め、二階の洩れる灯に向って次々投げつけて ン女史の詰問の真似が、すっかりうまくなっていた。 みた。小石は頼りなく宙に飛び、ひょろひょろとすぐ地に落 よほど、その日のことが印象深かったのか、電話でその日 ちた。塀の入口から鮮やかな黄色いコートを着た女が入って のことを繰り返す度、キンカンの真似がうまくなっていた。 きて、真直邸の玄関の方へ足早に歩いて行った。私は彼女に 「新宿に帰りついて、南ロのラーメン屋に駆けこんだよね。 見つからないよう息をひそめ、板塀にしがみついていたが、 おなかがすいてへとへとで。喫茶店でコーヒー呑んだだけだ ものね。あなたが、 彼女が玄関の内へ消えるのと同時に、す早く入口から外へ出 客のいないラーメン屋の、れんたんスト ープにしがみつくようにして、 『ああ、寒い 河野多惠子が、飛びついてきて、甲高い声で、 今夜はなんて寒いんだろう』って言った 「どこへ行ってたのよ ! 今、奥さんの妺らしい人につか ら、肥った女主人が、 まって、冷汗かいたよ。いきなり道路にあらわれて、私を 『いや、今日は一日暖かかったですよ、お客さん、よほどお きっと睨みつけ、怖い目で″何をしてらっしやるのですなかが空いてるから寒いんですかね』と言って大笑いし ちゃったじゃないの」 か ? ″って詰問するのよ。家を探してると言ったら、何とい うお宅ですかとたたみかける。原田宋一さんのお宅ですって 何度でも飽きもせず繰り返される話は、二人の間では秘密 でたらめ言ったら、そんなお宅この辺りにありません。この のまじないのようになっていた。そのうち二人の記憶が次第
方通行ではあるが伝わっているではないか。 こいつはなになのだろうか。 そう思うとき、「違うよ」という声が頭の中に響いた。犬 食えるだろうか。 のうちのどなたかが仰ったようだった。私は慌てて犬たちに こんな奴が入ってきたということは、こいつの仲間も来向かって、「いま、違うよ、と仰ったのはどなたでしようか」 と問うた。しかし犬は黙りこくっているか、或いは、さっき 邪魔だから早く処分した方がよい。 のごとき私に対する間違った認識に基づいた間違った想念を そこで死んでいる奴は何度か見たことがある。 垂れ流すばかりだった。幻聴 ? いやそんなことはないはす こいつ。どこから来たのだろう。 だ。私はなおも懸命に語りかけた。 こいつは外敵なのだろうか。 「いま、違うよ、と言ったのはどなたでしようか。なにが違 こいつは外敵だ。 うのでしようか」 こいつは汚らしい。食用にならない。 「だーから。君は忘れたのか。君が犬と会話するときに、変 食用になるかも知れないが、肉にしてみないとわからな換アダブターとして必ず僕がいたことを忘れたのか。僕です よ」 あそこに捨ててある肉はまずいのだろう。なぜなら捨て てあるからだ。 そう言いながら、チワワとグレートデーンの間から顔を出 つまり犬たちは私に対して好ましい気持ちをひとつも持っ した犬を見て私は思わず知らす、「あっ」と声をあげてし ておらず、断りも挨拶もなく自分たちの生活圏に入ってきた 嫌な奴と認識しているようだった。 懐かしい私の犬だった。 けれども私は希望を抱いた。少なくとも向こうの考えはわ 「うわーん。どこいってたんだよー。寂しかったよー」 かるようになった。ならば懸命に語りかけ続ければこちらの とそんなことを言い、私は泣きながら犬の首に抱きつい 考えもわかって貰えるようになるのではないか。いずれにし た。懐かしい、大の匂いがした。その様子を見て他犬たちは ても大事なのは伝えたいという気持ち、一所懸命という気持なにを思ったのか、急にやる気を失い、腹ン這いになってく ちが大事だ。チューニングを合わせようという気持ち、相手つろいだり、仲間の耳を舐めたり、のそのそ歩き回ったり、 の心そのものに耳を傾けようという気持ちだ。それさえあれ立ち去る者もあって、それまでの緊迫した感じが急速に失わ ば必ずや気持ちが相手に伝わる。それが証拠にこうやって一 れ、犬の思潮も聞こえなくなった。 る。 ( 或いは考えていた ) 。 117 ホサナ
父親は憂鬱そうにテレビの画像に目をやりながら答え、ふ 「いや、南に入るときに何が起ろうと、それは自分なりに覚 ソンドンギュ と宋東奎とのやり取りを思い浮べていた。一九六六年の秋ご悟しているつもりだ。ただ、はたして未来がわれわれが思っ ろ、民族新聞社をやめるかどうかでひとしきり悩んでいたと てるように変るか、となれば、ばくは疑問だ。はたして自生 きのことだ。それはすなわち、維新体制下の韓国入りという的社会主義思想で韓国を変えられるのか : : : 。子供の将来の 危険な行動を意味していた。 ことにしても、むやみに楽天的にはなれないってことだ」 「子供たちのことはどうなる ? 」 そんな重苦しい遣り取りを交してからはや何年経つだろ 「子供とは ? 」 う。二十年かそこらになる。 「いや、お互いの子供を民族学校に通わせる可能性が消えて 「炫。よく考えてくれないか。在日同胞が民族教育を受ける しま , つってことじゃよ、、。 オし力もし、このばくが子供たちを総のは、、 しずれは自分を生かす道具を手にする道につながる。 連系の学校にやっていると分れば、韓国の情報部はいったい あくまでも学校のカリキュラムがどう変化していくかが先決 それをどう見るだろう。コレ、頭隠して尻隠さず、になりか だろうが。よしんば、今の教育システムに問題があるにして ねないじゃないの」 も、自分たちのカでその問題点を批判しながら民衆の国語と 「なあに、彼らの未来は彼らが解決する時がいずれやってく 歴史を見る目を身につけていけば、将来は生きる上できっと るんだ。あんた、われわれの子供の世代には時代が変ってい 役に立つはずなんだ : ・ それは親を助けることにもなる。 る可能性が大きいんだ。祖国統一の方向でね。彼らは自分た親は民族教育を受けられなかった。そのために、大学に入っ ちで新しいその時代の空気を吸って生きていくさ。その基礎てから留学生運動に飛び込んだけれど、国語で喋ることがで づくりを危険をおかしてもわれわれがしようとしたんだ」 きないために自分の考え方を伝えられず、舞台のピエロみた 「そうかな。トンムは相変らず豪放な言い方をするが、ばく いに四苦八苦したものだ。日本語で喋るとなぜか上手く聞き の質問に答えていない。ばくには未来はそうはっきりとは見手に自分の思ってることがうまく伝わらないのさ。焦ったも えてない」 んだ。これはなにか不思議なものだったが。 国語で喋ると、 そう一一一一口葉を返したとき愚哲は、この人は祖国統一の日が早ひとがよく耳を澄まして聞いてくれる。じっさい、そうだっ いと楽観視しているのを訝かしく感じた。彼は「先革命後統 た。そんな気がした。だから留学生運動をしてよかったとア 一論」に立っているからこう言うのだ。 ポジは今でも思っている。むろん、英語も大切だ。この国際 「じゃあ、韓国入りの件、尻尾を巻くのか ? あんたはそん 語をよく喋れぬためにアポジは国際的なシンポジウムの場で な弱い人間じゃないと信じてるが」 赤っ恥をかいたことがある。まあ、大学時代は労働青年とし 230
ある。実際、後白河も先達に対して同じことをしていたの 大岡はこれに続けて「けれども、ほんとうは、こちらの ではないか、ほとんど三顧の礼をもって迎えたに等しい正 方にこそ、後白河法皇の実像があるのではなかろうか」と 統今様の保持者・乙前からロ移しに今様の大曲、秘曲を 述べているが、読者の実感として肯わざるを得ない。 「偉大なる白痴ぶり」と「宗教的感情」、さらには「価ナ習ってゆく後白河のその習得の現場こそ、「うたげ」の場 ではなかったのか、と思えてくる。大岡は、正統に固執し とした気分」には、何かしら通じ合うところがあるのでは 、よ、、 0 十 / . し、刀 その伝授に情熱を燃やす後白河に古典主義者の姿を見てい るが、その情熱はむしろロマン主義者を思わせる。 後白河を評するために「芸術のための芸術」という語を 第五章の終りに、乙前の死を語る後白河の言葉が引かれ 提示したのは加藤周一だが ( 『梁塵秘抄』一九八六 ) 、しかし それは今様の名手となった後白河を評するためでも、『梁ている。 塵秘抄』を編集し、『ロ伝集』を執筆した後白河を評する かみ あひだ 此の乙前に、十余年が間に習ひ取りてき。その昔此れ ためでも、『年中行事絵巻』『伴大納言絵巻』制作を下命し 彼れを聴き取りて謡ひ集めたりし歌どもをも、一筋を通 た後白河を評するためでもない。目的もなければ一貫した ゃうたが さむために、皆此の様に違ひたるをば習ひ直して、遺る 方法もない、政治的にはニヒリストというほかない無節操 しゃびやう 事なく写瓶〔一つの瓶の中味を別の瓶に全部移しかえるこ な機会主義者・後白河の「政治的曲芸」を評するためなの ′一ろか と。つまり、奥義皆伝〕し畢はりにき。年来斯ばかり嗜み た。たが、『うたげと孤心』を読み進むものには、今様に 習ひたる事を、誰れにても伝へて、其の流れなども〔あ 狂った法皇・後白河のほうこそ「芸術のための芸術」と呼 のち れは後白河の流だなどとも〕後には言はればやと思へど ぶにふさわしいと思えてくる。遊女や傀儡女を宮廷に呼 ともがら も、習ふ輩あれど、これを継ぎ続ぐべき弟子の無きこ び、局を与える後白河、周囲に今様狂いを集める後白河 あひぐ そ、遺恨の事にてあれ。殿上人下臈に至るまで、相具し の、乱脈としか思えない生き方のほうこそその名に値する ともがら て謡ふ輩は多かれど、これを同じ心に . 〔自分と同じ気持 と思えてくるのである。 ひとり で〕習ふ者は、一人無し。 ( 注釈は大岡 ) 『うたげと孤心』は名著である。昂揚した大岡の感情がじ かに伝わってくるからだ。そして、古典を読むこと、古典 この述懐を引用した後に、大岡は次のような感想をしる の作者に身を重ねることこそ、「うたげ」の本来的なあり している。 ようなのではないか、つまり、大岡のこのありようこそ 「おおかたは坦々と語られてきた今様修業をめぐる自伝 「うたげ」そのものなのではないか、と思えてくるからで っ っ 言語の政治学
ジャピー協会は何のためにあやめさんと一 その日記や手紙自体はほとんど表に出てこ切りたいということですね。 ない。だから、あやめさんがどこまで真実片岡久美子さんのかっての同僚だった島良さんを招待したのかが、よくわからない を握っているのか、我々はわからないんで地さんという女性がいますね。彼女は認知んです。おばあさんになったフローランス すね。そこは曖昧になっているので、少し症で、しゃべれない状態にあります。言葉は、何を求めていたんでしよう。 歯がゆい気持ちになることはあるかもしれを発しません。それにつながる部分を探す片岡フローランスが、時計を見たかった ません。 と、久美子さんの娘フローランスもほとんのです。それと、あやめさんに会っておき たかった。一一一一一口、二言、話をしておきた それと、これは単に僕がこだわり過ぎなどしゃべらないですね。 かった。久美子さんにはもう会えないので のかもしれないんですけれども、久美子さ野崎確かにそうですね。 んはアンドレと二人で、病室という狭い空片岡そうすると、久美子さんの物足りなすから。 間をずっと共有していたわけです。そこでさが余計に増幅されるような感じがするん野崎やつばり時計がつないでいるという 一番楽しみにしていたのは、どうやっておですよ。これは誰の物語ですかね。いまひことですね。片岡さんがおっしやるとお 互いの言葉を教えるんだろうということでとつわからない。あやめさんではないようり、フランス側の人間も求めていた。会い たいという気持ちをずっと持っていた。時 な気がします。 した。言葉の発生がたどられるんじゃない かと思ったんです。ルソーは、人間の言語野崎後半の第章で、「このまま物語を計があれば会える。そういうことなんで は恋のパッションから生まれるという『一一 = ロ閉じれば、戦前のある時期、一人の野心にしようね。読者としても、久美子さんのは 語起源論』を書いていますが、まさにそう満ちたフランス人冒険飛行家が起こした墜うにもっと会いたいわけです。だから、ど いう状況です。ところがその後、日本語を落事故と、その看護に関わった日本人女性こまで行っても会えないもどかしさが、読 仕込んできたアンドレに対して、久美子さとの、反社会的な秘めたる恋、それも謎多み終わったときに残ります。 んが「やめて」と一一一一口う。ここはせつないとき悲恋として終わることになる」とあっ片岡時計の話は面白いですね。 ころなんですけども、ちょっとわからないて、この後の物語を我々はどういうふうに野崎中に文字や数字が記されたウォッチ 受けとめるのが面白いのか、だと思うんでペ 気もしたんですね。 ーバーが入っている。時計の紙というの ~ ロ 作 は、喚起力がありますね。 石田久美子さんは、期待が生まれてしますね。 僕は、この後に展開されるフランス篇で石田「フリーメイソン」なんて言葉も出 うのをおそれたんでしようか。 野崎もともと期待のない恋として、割り少し腑に落ちないところがありまして、てきたり。
に通知していたものの、できるだけ友人や知人には語らぬこ供心にも父親を負かしつづけるのはカワイソウだと気配りし とにしていたのでこの報復はやはり胸にこたえた。 たのだろうか。形勢我にあらず。それがはっきりしてくる 「きついなア」 と、ちょっとあせってたものだ。おつ、やるな。しかし、こ おもわず顔をしかめたものだが、そのとき彼女はたぶん絶 のままだと親の沽券に関わるそ。父親は目を皿にして碁盤を 望的になっていたのだろう。 睨みつけ、妙手を探った。けれど、敵手の思わぬ指手によっ きついと言えば、息子どもも似たような振る舞いに出てい てとどめを刺されてしまうのがオチだった。 た。とくに次男の、炫。そもそもこやつは父親が家を出ると すると、倡は、「アポジ ( バッティング・センターにつれ 決った八四年春の直後から反抗的な態度をとるようになって てって」とさり気なくせがんできた。 、こ。ばく愚哲は聖蹟桜ケ止のアバートからたまには調布の 「おお、そうか。そうだったな」 家にのこのこおもむいていくときがあった。父親を玄関で見 どういうのか、わが子は三人ともスポーツが苦手であっ かけるなり炫はさっと中二階にあがってしまう。「何しに来 た。わけても三男坊は草野球がからきし下手なのだ。地区の たんだ。自分のやっていることを考えろ、と言って置いて 少年野球チームに入っていたが、ほかの地区のチームとの対 よ」と母親に捨てゼリフを吐きながら。 抗試合のときはいつもべンチできんきら声を張りあげて応援 中二階にこもった炫は父親が家から出ていくまで滅多に姿している。そんな控え選手でしかなくても、スパイク・シュ を見せようとしなかった。 ーズのひもをきっちり結んで、グロープのへこんだところを 父親がくると、ばっとファミリー ・コンピュータを放っ バンバン叩きながら玄関から飛び出していくときの姿には チャン ばっといて抱きついてくるのが三男の倡であった。「アポジ、 いつばしの気合いと明るさがあった。 来てくれたの ! 」と無邪気にはしゃぎながら。 夜になって近くのバッティング・センターにつれていく やがて、二人はいつもの定番どおり居間の床に坐りこんで と、倡は初級コースのバッターポックスで愛用のバットをプ 囲碁をはじめた。といっても、五並べ、にすぎない。最初は ンプン振った。みんな空振り。何しろ、バッティング・マシ 打ち方も知らなかった三男が三カ月かそこらで今ではこの親ンのスピードが速くて、バットに掠りもしないのだ。球速八 とほば互角に渡り合うほどに上達したのはうれしいことで十キロメートルの直球は、、、だけわが子をほんろうしてい あった。一年も経たずに、形勢は逆転のきざしをみせてい た。父親は、もっとペースに近づき腕をたたんで打てとかタ た。すると、ふしぎなことが起った。三男が、父親と五並べ イミング、そのタイミングとさかんにコーチした。その揚句 をするのを避けるようになったのである。なぜだろう ? 子の末には、「どれどれ」と自分みずからが中級用のバッター ヒョン 212
アンスギ 婚に賛成するケースが社会現象となっていると安淑伊がなん に出る。父親が家に寄ったときの露骨な態度である。そのデ どか漏らしていた。彼女は気を遣って遠慮気味にのべていた モンストレーションには明らかに別居した父親にたいする不 が。けれども愚哲はじくじく考えつづけずにはいられないの信と敵意がみとめられた。敵は本能寺にありということなの いちがいにアジア人の古い観念のせいとは思いたく か。いざという場合、木刀を振りかざしてこっちに飛びか かってくるつもりなのか。 ない。あくまでもこの家の事情によるものでしかない。かり に三人の息子たちが昔の例にならい、この父親に反抗して家 中二階の子供部屋に入ってみた。長男が父の向うを張って を出ていこうとすれば、それは趙家における歴史の不幸な反家を出てしまったあとは、次男と三男の巣になっている。 復行為になる。まさか、そんなことが因習として起るはすが ドアを開けると、タバコの吸殻のしけった臭いがした。そ しかし趙家という一家はなんという泥沼いや、人間 ればかりか、男特有の生くさい臭みが鼻孔をついてきた。父 の陥穽にはまってしまっているのだろう。底沼なのか ? 親は窓を開け、空気をそっくり入れかえた。 バッチ 次男の炫の動向がいちばん気懸りだった。末弟にたいして 二段べッドの横に机が二つ並んでいる。大きい方が炫のも は猫可愛がりなほど兄貴としての愛情をしめしているけれ ので、少し小さいのが倡のものだ℃板間の床はわりと整理さ ど、その逆に長兄の健にたいしては被害者意識と反撥心を露れている。ルービック・キュープが転っているのがふと目に 骨にあらわしている。兄貴が急に手をあげるときがあった。 止った。次男と三男は、このルービックで、どっちが早くゲ すると殴られた弟は口惜まぎれに思いっきり毒づいて外に飛 ームを完成するかを競い合ったりしたのだろうか。二人の生 び出していく。 五歳も離れていると腕力では敵わないので、 の声が湧いてきて、父親はしぜんと微笑ましい気持に誘われ 悪態をついて逃げるというゲリラ戦法に徹するしかないの だ。そんな光景が何回か重なっていた。あとで母親に聞く 次男の机の中央の引出しがだらしなく少しばかり開いてい と、自宅に入らず、一晩中車のシートで寝たり、近くの中学た。きちんと締めていないのはいい加減な私生活をしている 校のプールに忍び込んで泳ぎ、プール・サイドで寝込んだり からだ。引き出しを開いてみて、父親はおもわず首を左右に していたという。そのせいで鼻風邪をひき、家に戻ってきた ふった。灰皿に吸い殻がたまっている。机全部を点検しにか者 活 その日は欠席してしまったとか。この二人は家の中でかたく かった。机の右側の袖長になった戸棚をあけてみた。おや ? 生 なに口を利かない。それにしても、どういうものか、健の様プラスチック製の中型。ハックが日くあり気だった。手にして地 子にちょっと異常なものがあらわれはじめているように映っ みると、けっこう重い。フタを開けてみた。ルアだった。無 た。家の廊下をわざと木刀を突いて歩き回るというふるまい 数のあざやかな彩りを放っている大小のルアがきちんと整理
聞いて私は不思議に思った。延喜が犬一百頭を養うに足る食もはやなっかしい、ケダマがおり、マツマンがおり、兵庫が いた。ルポシカもいた 糧を廃棄しているはずがないからである。けれども話を聞く 君たちだったのか ! うちに疑問が解けた。彼が廃棄していたのはひょっとこの肉 と心を喜びに刻んでスダチをかけ、話しかけてみた。けれ であった。ああ言いながら延喜は実は殺虫剤・防虫剤の大量 ども彼らは腹這いに寝そべって知らぬ顔だった。私を忘れた 生産を試みており、その原材料としてひょっとこを使い、そ のだ。私は悲しんだ。その私に私の犬は以下のようにも言っ のための秘密ひょっとこ牧場をお持ちだったというのだ。そ た。この犬たちがいたイベント会場はちょうどこの真裏にあ の際、使用するのは一部の臟器のみなので残った肉は一部は たる。あそこにいまも誰かいるとすれば私たちと足の裏を接 蕈や草を混ぜてひょっとこの餌にし、それでも残った部分は 弁天池の裏手に捨てていた。そして意外に信心深いところのするように立っている。そこをいまはこちら側で安定して屹 立するか水平移動している光柱がそのときは激しいピストン ある延喜はひょっとこといえど命あるものには違いはないの 運動をしていた光柱に吸収されこちらに吐き出された。まっ だからと、残骸を運んできた後は、その後生を願って長い たくもって光柱の神秘ときたらそらおそろしいものがある。 間、手を合わせて祈っていたという。 そしてそのひょっとこの肉に目をつけたのが私の大で、延私の犬は続けて言った。 そしてここに運ばれてきた犬はあそこからだけではなかっ 喜が祈る様を目撃した私の大は、これをあの草原で餓えてい た。いろんなところから来ていて多くの犬がいた。未去勢の る犬の食事にすればちょうどよいのでは、という考えが閃い 犬も多くいたので勝手な繁殖を繰り返して、また食料品もあ て、それを実行したのだと。 まりなかったので男が来たときは随分と悲惨な状態だった。 と聞いてまたわからない点が出てくる。というのは。 まずそもそもなんで犬が奥森にいるのか。これについて私肋が浮き出た犬が半ば狂った状態で殺し合いながら生きてい た。生きることと殺すことと生まれることがひとつのことと の犬は、犬たちは初め光柱のピストン運動によって抽送され なって汚れて溶けて流れていたのだ。 たのだ、と語った。私の犬は言った。よく御覧。知った犬が しかしよかったのは虫がこの圏域には入ってこないという いるよ、と。それで見て驚愕した。犬なんてものは所詮は 犬、とまでは職掌柄さすがに思わないけれども、こんな没分ところで、もちろんこの場所にそんなものがある訳がなく、 光柱による地平の撓みや歪みによって現出したのだろうけれ 暁漢なんて自分とは遠い存在だと思っていたがよくみると、 なんということか、そこには、ああああっ、いまとなっては ども、ここは元ゴルフ場で、一時間に千ミリリットルの雨が 119 ホサナ
を行う主体は誰かってことだよ。それはもちろん俺ではな 「俺の通ってきた駐車場」 おまえでもない。おまえはただの伝書鳩の奴隷だ。じゃ 「そう。それは一種の国土軸の歪みでね、君は車でスロープ あ大輪なのか。それとも、もしかして日本くるぶし ? 」 を降りていって地下三階に至り、それから階段で地上に上 「それは、まあ俺のような伝書鳩の奴隷にはわからないし、 がってきたわけだが、その地上の様子はどうだったね。前と わかる必要もないことがわかる僕とそんなことすらわからな 同じだったかね」 いどうしようもない君との決定的な動物としての品格の差だ 「いいや、一変していた」 とは思うが、それを言ってしまえば光柱なんじゃないの」 「ルフフ。一変上人てえくらいのものだったよね。というこ 「はあ ? 光柱こそがなにかの意思の表れと教わってますけ とは論理的に考えましてふたつのことが考えられる。ひとっ ど」 はそれだけ町の景色が一変するくらいに長い時間が経過した と言って私は不思議に思った。そんなことを誰かに教わっ ということ。そしていまひとつは君が別の場所に出た、とい うこと。なんだけど、これはどちらも」 た覚えがなかったからだ。しかしここで動揺していることを 悟られたら議論に負けるのでむしろ昂然とした感じで、 「あり得ないね」 「光柱が現象である以上、その原因が必ずある訳でしよう。 「つていうのはそりやそうだ。君はスロープを非常に長く感 それが普遍的価値のようなものに反したから、つまり、誤解じたらしいが普通に考えればそんな深く地下を掘ればおそら を恐れずに言えば一種の天譴とまでは言わないにしても天譴 くは岩盤に突き当たる。莫大な資金と高度な技術を投じてそ に喩えられるような現象である、と普遍論者のあんたらは れを掘る意味はどこにもない。おそらく君たちが感じた長さ 言ってるんでしよ、違うのかなあ」 というのは観念的な、或いは文学的な長さだろう。事実、同 と畳みかけた。 じ長さの階段を上がってきた際は、ひょっとこに阻まれたと はいえ、そんなにはかからなかったのだし」 ところが男はちっとも動じず、 LOHAS が田植えをして脱 「言われてみればそうだな」 に入っているような表情と口調で微笑を浮かべて言った。 「それは興味深い議論ですね。光柱のことを現象と考えるの 「ならば別の場所に出た、つまり地下で水平移動したのかと い , っとこれも」 はもっともよく知られた理論だけど、それでは説明のつかな いことがいくつも起きている。その好例が、例の地下駐車場 「違う。公園やら高架橋やらビルやら景色に見覚えがある。 第一、こんなでかい奥森がふたっとあるか」 102