コンビニ人間 - みる会図書館


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1. 群像 2016年12月号

ゆくだろう。 「コンビニに居続けるには『店員』になるしかないです その延長線上に『コンビニ人間』はある。 よね。それは簡単なことです、制服を着てマニュアル通 古倉はコンビニの「お買いものごっこ」にも似た研修で りに振る舞うこと。世界が縄文だというなら、縄文の中 習った通りに「本物」の客と接することで、「今、自分が でもそうです。普通の人間という皮をかぶって、そのマ 生まれたと思」う。店員をまねることは店員になること と、ほばイコールだと、世間からは見なされる。そう悟っ ニュアル通りに振る舞えばムラを追い出されることも、 たのであろう。その後はバイト仲間たちを見本に服装や喋 邪魔者扱いされることもない」 り方を吸収し、コンビニの外でも友好的になる。 「つまり、皆の中にある『普通の人間』という架空の生 しかし、恋愛経験のないまま、バイト生活を続け、三十 き物を演じるんです。あのコンビニエンスストアで、全 六歳となり、「この年齢の人間がきちんとした就職も結婚 もしていないのはおかしなことだ」といった、好奇の目に 員が『店員』という架空の生き物を演じているのと同じ ですよ」 さらされる機会が増えるようになる。そこに登場するの が、三十五歳の新入り店員、白羽だ。 地の文には出てこなかった古倉の本音が初めて語られ、 客へのストーカー行為で店を解雇された彼は、古倉に愚 ここから物語は転調する。 痴をこばす。自分が不当な扱いを受けるのは、世界が不完 コンビニの「マニュアルの外ではどうすれば普通の人間 全なせいだ。個人主義だといいながら、現代は縄文時代の になれるのか、やはりさつばりわからないまま」でいた古 ようなムラ社会と変わっていない。三十五歳で就職してお らず恋愛経験もないことを理由に、周囲は自分を異物のよ倉の心境は、もし「普通の人間」のマニュアルがあるなら ば、その通り振る舞うことで「普通の人間」になるのも可亠 うに扱う。と嘆くと同時に、同じ理由で古倉に対し、「バ の イトのま ( 、 能だ、という考えに変化する。注目すべきは「架空の生き ハアになってもう嫁の貰い手もないでしょ て 物」と語られる点だ。古倉は、「普通の人間」になろうと う」などと悪口を垂れる。 必死になっていた一方で、「普通の人間」が本当に存在す槽 古倉は、「どこかで、変化を求めていた」こともあり、 るとは、つゆとも信じていないのだ。 ふと切り出す。「婚姻だけが目的なら私と婚姻届を出すの 「架空の生き物」と知った上で、「普通の人間」を演じよ はどうですか ? 」。 『コンビニ人間』論

2. 群像 2016年12月号

であることを知佳子が選ぶ、ロマンチックな『ハコプネ』 では書き得なかったものだ。 コンビニを辞め、就職活動を余儀なくされた古倉が、見 知らぬコンビニに偶然立ち寄るラストシーン。「コンビニ の『声』」が身体に流れこんできた古倉は、本社の社員を 装う形で、乱れた棚を本能で整理し、「コンビニからの天 啓」を店員に伝達する。そして自分が「人間である以上に コンビニ店員」であり、「細胞全部が、コンビニのために 存在している」と気付く このくだりを、当初私はバッドエンドと読んでいた。 「人間である以上にコンビニ店員」として生きるのは、「普 通」はしんどい。その感は今なお残るが、よく考えれば 「人間である以上に〇〇」なる表現は、『ハコプネ』におい て知佳子に為された、「人である以前に星の欠片である感 覚が強い」という描写と大差がない。重要なのは「人間で ある以上」の感覚で「人間」を見つめ直すことであり、そ れができると信じることだ。「人間である以上に〇〇」 、空白にはきっと、何が入ってもいし 「普通の人間」の面を脱ぎ捨て、「コンビニ店員という動 物」として生きることを決めた古倉は、コンビニの窓ガラ スに映る自分の姿を外から見て、「生まれたばかりの甥っ 子と出会った病院のガラスを思い出」す。ガラスの向こう にいるのは、コンビニとの間に授かる、新たに生まれ直し た「私」であろう。『コンビニ人間』は、面で顔を覆って いた主人公が、人間ならぬ本性を明かして能舞台から去 る、夢幻能なのだ。 そしてコンビニは「水槽」でもあった。かって作者は次 のように述べている。 小説という形式で小説を書いたことはありませ んが、小説自体がある実験室のような、それこそ水槽の ような空間だという感覚はあります。作者としてそれを 外から見つめながら、何か自分でも予想がっかない化学 変化がそこで生まれることを期待していることが多いで す。登場人物同士の摩擦だけでなく、「言葉」の持っカ とか、そ , つい , つものによって何かが起きるとい , つか : 。なので、ラストを決めて書いたことはほとんどあ りません。その化学変化によって思いがけない場所へと 連れていかれたい、言葉や小説の持っ力に従いたいとい う気持ちがあるのだと思います。 ( 松浦理英子との対談 「それぞれの孤独に寄り添って」『新潮』二〇一二年十月号 ) 作者にとっては小説もまた、「水槽のような空間」なの であった。小説のラストの叫びは、「思いがけない場所へ と連れていかれた」小説家・村田沙耶香の、私は人間であ る以上に小説家だ、という宣言にも聞こえる。 ( 了 ) 『コンピニ人間』論 183 水槽としてのコンピニ

3. 群像 2016年12月号

うとする。そういった性格からして、古倉は、『ハコプネ』 くとも、白羽の矢を家に持ち帰る者には神意が宿る、とい の知佳子に近い登場人物に見えてくる。しかし、知佳子に う物語と絡めて読むと、古倉が人智を超えた存在にも思え は人間世界のルールを楽しむ神めいた余裕があったのに比てくる。『ハコプネ』の知佳子が自分を「星の欠片」と認 べ、古倉にはない。提案するのは俗つばい、偽装結婚であ めているのに対し、おそらく古倉は自分が何ものかにまだ る。 気付いていないのだ。 たた、こうも読める。古倉は白羽を家に連れ帰り、ペッ 白羽との疑似的な同棲により、急に周りからちやほやさ トを飼うような同棲を開始するのだが、古倉が皆のまねで れるようになり、古倉は確信する。「普通の人間」のマ なく、誰からの指示でもなく、自分から大きな決断をする ニュアルは、単に書面になっていないだけで、実はとうの のは、十八年前、コンビニのアルバイトに志願して以来の 昔から存在していたのだと。返す刀で、これまで自分がど ことだ。オープン前のコンビニに辿り着くまでの道行は、 れほど「異物」と思われていたかを痛感する。 何かに導かれるかのように描かれていた。翻って、二度目 仮面をかぶって「普通の人間」をもどく、古倉の立ち居 の決断を間接的に促がしたのは、その名から″白羽の矢″ 振る舞いは、「普通」という概念の面妖を、下世話に炙り ま連想される人物である。 出してゆく。古倉が恋人の影を匂わせたとたん、仲間意識 日本古来の伝承で、神が欲する少女の家に立てるのが白 を高め、訳知り顔でアドバイスを浴びせたり、説教をした 羽の矢だ。数ある物語のなかでも、矢立台の作り物を舞台 りする人々の姿からは、人間の途方もない単純さのような に置きながら上演される能の「賀茂」を私は想起する。賀ものが垣間見えてくる。コンビニのマニュアルをそのまま 茂社に参詣した室明神の神職は、リ。 , て水汲みする里女たち生の規範とする " コンビニ人間。は、世間 ( さらには読者 に、祭壇に立てられた白羽の矢の由来を問う。里女が答え たち ) を鏡写しにする。恋愛や結婚、出産、就職などを根 るには、かって秦の氏女が川で白羽の矢を拾い、持ち帰っ拠もなく自明の理としてふるまう者たちもまた、「普通の て庵の軒にさしたところ、懐胎して男子を出産した。後に 人間ーのマニュアルに、いともなく支配される、滑稽な その子と、母と矢が、賀茂三所の神となる、という由来譚 ″「普通の人間」人間″ ! こ過ぎぬではないかと。我が身の滑 だ。後場で里女たちは、神である正体を明かす。 稽さをもって。 むろんそっくり当てはめて読むのは無理があるが、少な その情けなくも軽妙なノリは、人間でなく「星の欠片」 はだうじによ 182

4. 群像 2016年12月号

『コンビニ人間』冒頭では、小銭の音を聞いて条件反射し たり、客の仕草を見て一言葉を選んだりといった、店員テク ・「水槽」としてのコンビニ ニックが披露される。それらもむろんマニュアルに書かれ ていない。本部のマニュアルがあり、店舗ごとの性格に依 コンビニ業務の細部こそリアルだが、古倉という存在に 拠する見えないマニュアルがあり、店員間で受け継がれる焦点をあわせる際は、リアリズムのレートを下げて読む必 空気のようなマニュアルがあり、それらが混在するのがコ要がある。コンビニのマニュアルを、生の規範とまで考え ンビニだ。「今の『私』を形成しているのはほとんど私の る古倉は、非日常的な存在なのだ。 そばにいる人たちだ」と語る古倉が「完璧なマニュアル」 小説の舞台となるコンビニ店もまたしかりである。 と呼ぶのも、そういう類のマニュアルだろう。 これまでも村田沙耶香は、コンビニを作品に幾度か登場 また、明文化できないマニュアルは、こういう行動をと させてきた。『ギンイロノウタ』表題作では、バイトを始 る人は即座にレジに向かう傾向が強い、ここで一歩引けば めた主人公がヘマばかりして苦汁をなめる場として描かれ 〇〇を買う人が多い、といった、客全体のマニュアル的な るし、「コンビニエンスストア様」 ( 共著『ラヴレターズ』所 行動バターンの裏返しでもあり、店員が自動化するのは、 収 ) では、恋人になぞらえて描写される。自分を「人間が 客側が自動化しているからでもある。冒頭の場面で示され できる人間」にしてくれたコンビニへのラブレターである る ( 本作のテーマとも繋がる ) 、コンビニ店員と客 ( 人間 ) 後者は、『コンビニ人間』の直接的な前身だ。 との鏡像関係は、コンビニにはロポット操作のごときマ そんな中、単行本未収録の「水槽」 ( 『群像』一一〇〇五年五 ニュアルがあるという、それこそマニュアル通りの先入観月号 ) という短篇がある。毎日が同じことの繰り返しであ をも相対化しているように見える。 るコンビニ勤務の退屈さに呑みこまれた「彼女」が、レジ ともかく、古倉の姿を、我を捨てて仕事に打ち込む店員 カウンターでダウナーな妄想に耽る、どんより系のコンビ の鑑と讃えるにせよ、マニュアルに安住している店員一般ニ小説だ。「ゴーストタウン」のような「誰もいない街」 と捉えるにせよ、テクストとずれているし、現実ともそぐ の中に佇む「水槽」に似た店。その中で働く「彼女」たち わない。古倉の特殊性も捨象してしまう。何より、古倉と の息苦しさが、澱んだ水中を泳ぐ金魚の震えと重ねられ、 同じ尺度で比較されては、現実のコンビニ店員たちは困惑 幻想的に描かれる。 するのではないかと、私は危惧するのである。 それをふまえて『コンビニ人間』の次のくだりを読んで 178

5. 群像 2016年12月号

は変われずにいた。「完璧なマニュアルがあって、『店員』 ンビニ人間』か、と。 / マニュアル化された事柄だけを になることはできても、マニュアルの外ではどうすれば普 やっているだけでよいという心地良い安心感と、それと裏 通の人間になれるのか、やはりさつばりわからないままな表にある、『個』が存在しない世界の索漠さ。 / 作者は意 のだった」。 識しているのかどうか知らないが、この作品は怖ろしい小 そういった主人公に対し、コンビニの外ではうまく立ち説である」 ( 「日本人へ・百六十二『会社人間』から『コンビ 働けずとも、コンビニ内で業務をてきばきこなせる古倉ニ人間』へ ? 」『文藝春秋』二〇一六年十一月号 ) 。大事なのは は、コンビニ店員の鑑だ、といった具合の感想をネット上「個」であり、「個」を持つがゆえに発揮される「責任感」 でちらほら見かけた。が、古倉の能力がとりたてて称賛さ であると論じ、「無責任社会、の始まりである。私が、親 れるほど高くないことは、彼女が十八年同じコンビニに勤切心からと思っていたコンビニの店員の振舞いは、マニュ 務しながら、バイトリーダーになっていないことから察せ アルどおりであったらしい。言葉は交わしても視線は合わ られる。昼勤のバイトリーダーは、後輩を上手に叱れる泉 ロポットのようだった」と続く。 論 さんで、泉さんの教育のおかげで、菅原さんも真面目な店 のだが、こういった読み方も、的外れに思える。『コン 員になった。「私は泉さんや菅原さんに比べると優秀な店ビニ人間』は、「個ーを持たない店員が「無責任」な仕事間 員ではないが、 無遅刻無欠勤でとにかく毎日来るというこ をする話ではない。 ン とだけは誰にも負けないため、良い部品として扱われてい 右のようなマニュアル店員批判は『コンビニ人間』とい コ た」と、古倉自身も認めている。 う作品が世に出る前から山ほどあった。しかしそもそもコ 主人公は、やる気はさておき、ほどはどの店員として造 ンビニに、それに倣えば安心できるマニュアルが存在する 形されている。すごく優秀なコンビニ店員と見まがうの という見方が幻想だ。いわゆる紙のマニュアルはあるが、 は、多幸感あふれる働きぶりを見せる一人称の眩しさばか多すぎておばえられたものではない ( 三宮貞雄『コンビニ りに目を奪われるためかもしれない。 店長の残酷日記』でもそう語られている ) 。笑い方くらい また、塩野七生によるこういう評もあった。「とても御は研修で指導されるが、たとえば、何百円以上買えばクジ が引けるキャンペーンで、ハズレくじを引かされる多くの 上手な話の運び方なのでスイスイ読んでいったのだが、読 み進むうちに少しずつ気が重くなり、最後には暗澹たる想客に対する、すみませんね風の不本意な表情の作り方な いで読み終えた。 / かっての『会社人間』は、今では『コ ど、マニュアルには載っていない。 177 水槽としてのコンビニ

6. 群像 2016年12月号

一度、女性誌が大量に納品される日は、とりわけ忙しい ・元コンビニ店員が読む『コンビニ人間』 遠くレジを離れれば、納品、検品、品出し。廃棄チェッ クに廃棄処理。フェイスアップ、在庫補充、ウォークイン 私はかって、コンビニエンスストアでアルバイトをして ( 冷蔵庫 ) 作業。雑誌の返本、雑誌並べ。店頭清掃、トイ いた。夜勤で十二年だ。 レ清掃、パフマシンでの床清掃。値付け、発注、棚整理。 コンビニ仕事にも色々あって、レジ周りでは、スキャ 道案内に、コピー機、の操作説明もするし、起きな い酔客がいれば警察を呼ぶ。バックルームでは、新商品の ン、袋詰め、弁当あたため、ポイントカード確認に、金銭 の受け渡し。公共料金の支払い、チケットの発券、宅配便入れ替え、シフトの調整に頭を悩ませ、電話が鳴ればたい ていクレームだ。 にメール便、お中元お歳暮も受け付ける。ホットフードや ソフトクリーム、おでん、肉まんを作っては売り、暇を見 おばえることは多く、雪だるま式に増えた。せめて半年 つけて機器の分解洗浄。一万円札の途中回収、小銭の両働けば、ある程度は慣れるはずなのだが、半年持たす辞め る人が多く、新人研修にも徒労感が漂う。売上があがって 替、レジ点検。新聞の納品と返品、雑誌の付録詰め。月に 評論 水槽としてのコンビニ 『コンビニ人間』論 佐藤康智 『コンビニ人間』論 175 水槽としてのコンビニ

7. 群像 2016年12月号

みよ , つ。 じ幻想的なコンビニを舞台とした、ネガとポジなのだ。 それに加えて、右の引用で興味深いのは、古倉がここに ひと オープンする前、自分がこの店を見つけたときのこと来る前、「能」を観劇していたと語られていることだ。人 は、よく覚えている。大学に入ったばかりの頃、学校の気のない「異世界」のような街の、「偽物じみた光景」の 行事で能を観に行き、友達がいなかった私は一人で帰る 中に現れる「透明の水槽」と喩えられたコンビニは、橋掛 うちに道を間違えたらしく、い つの間にか見覚えのない かりで異界と繋がる能舞台とも二重写しで表象されている オフィス街に迷い込んだのだった。 よ , つに見える。 ふと気が付くと、人の気配がどこにもなかった。白く 物まねを基本芸とする猿楽をルーツに持った、能・狂言 て綺麗なビルだらけの街は、画用紙で作った模型のよう が演じられるのが能舞台だ。能は面をかぶり、神や修羅、 な偽物じみた光景だった。 女や老人を物まねするし、狂言は能を滑稽にもどく側面を まるでゴーストタウンのような、ビルだけの世界。日持つ。その舞台は「人間」の「普通」をまねてゆくことに 曜の昼間、街には私以外誰の気配もなかった。 なる古倉にとって、まさにうってつけの場といえようし、 異世界に紛れ込んでしまったような感覚に襲われ、私 ここに彼女が辿り着いたことも、何かの導きのように思え は早足で地下鉄の駅を探して歩いた。やっと地下鉄の標る。 識を見つけてほっと走り寄った先で、真っ白なオフィス それについては後述するとして、大事なのは、思うまま ビルの一階が透明の水槽のようになっているのを発見し に動けば周りから奇妙がられるので、子どものころから 「皆の真似をするか、誰かの指示に従うか、どちらかにし 「スマイルマート日色町駅前店 O Z ! オープニン て、自ら動くのは一切やめ」ていた、そう語られる古倉 グスタッフ募集 ! 」というポスターが透明のガラスに貼が、珍しく自らの意志でコンビニでのアルバイトを決断し られているほかは、看板も何もなかった。 たという点であろう。 ところで、古倉のように、自分の存在が浮くことを怖れ 前述の短篇と近しい描写が用いられている。「水槽」の て、周囲と同調しようと努める登場人物の姿は、村田作品 中で、酸欠にあえぐ「彼女」。かたや、生き生きと泳ぐこ にちよくちよく出てくる。崖から落ちる同級生を助けよう とになる古倉。短篇「水槽」と『コンビニ人間』とは、同とせず、皆から非難されて以来、「皆が守っているらしい 『コンビニ人間』論 179 水槽としてのコンビニ

8. 群像 2016年12月号

も時給に比例しないのは契約通りなのでいいとして、ドミ覚をきめ細かく再現している。 その上で、後の物語展開に通じる引っかかりを巧妙に配 ナント戦略で隣に同じコンビニができ、客数は減ったが仕 事に余裕が持てるぞと思っていると、売上減少を理由に夜してもいる。 勤が一人減らされる流れには茫然とした。 再びおにぎりを並べに走ろうとした私に、バイトリー 楽しい思い出も少なからずあるが、私にとって十二年の ダーの泉さんが声をかける。 コンビニバイトは、今振り返っても結構どんよりとした印 ふるくら 象だ。 「古倉さん、そっちのレジ、五千円札何枚残ってる それもあってか、これまでコンビニを舞台とした小説を 「あ、二枚しかないです」 いくつか読み、しつくりきたものは、第五十三回群像新人 文学賞受賞作である野水陽介「後悔さきにたたず」 ( 『群 「えーやばいな、なんだか今日、万券多いねー。裏の金 像』二〇一〇年六月号 ) や、中村文則の「嘔吐」 ( 『 < 』所収 ) 庫にもあんまりないし、朝ピークと納品落ち着いたら、 午前中に銀行行ってこようかな」 など、舞台裏の沈んだ雰囲気を描く作品が多かった。一一人 「ありがとうございます ! 」 とも、コンビニバイト経験のある書き手である。中村に関 してはデビュー作『銃』に登場する、脇役に過ぎないコン 店員同士の会話で、しかも「お願いします」くらいが順 ビニ店員の描かれ方もリアルだった。小説ではないが、武 正晴が監督した映画「百円の恋」における、百円ショップ 当な流れで、接客つばい感謝の挨拶をする古倉さん。眩し の倦怠感に満ちたバックルームは、あそこに自分も居たな さの中に微かな不穏をまとい、物語は幕を開ける。 子どものころから世の中の「普通」と相容れずにいた古 あと遠い目になるほどに生々しい 翻って、村田沙耶香『コンビニ人間』の、全身コンビニ倉恵子 ( 「私」 ) は、大学一年の春、オープニングスタッフ 店員たる主人公・古倉の、労働の幸せに満ちた働きつぶり としてコンビニでのバイトを始め、表情や挨拶、レジの打 は、一見、あまりに眩しいのである。 ち方など、一から研修を受け、順応し、実際に働き出すこ 作者はコンビニバイト歴が足かけ十八年だけあって、業とによって初めて「世界の正常な部品」になれたと感じ る。しかし、それから十八年経ったいまも、三十六歳に 務自体の描写はリアル極まりない。冒頭、朝のコンビニに おける、自動化とでもいうべき接客動作は、店員の身体感なった古倉は、同じコンビニでのバイトを続けつつ、本質 176

9. 群像 2016年12月号

ばタイトルの「再起動」も、心の中とのア ナロジーというか、わかりやすく感じさせ るものがありますよね。そういうむしろ平 板な日常と地続きのところをうまく持って きたなという感じです。 読みながら似ていると思ったのは、村田 沙耶香さんの『コンビニ人間』です。どち らも人間の精神性を最低限に切り詰めるこ とで、ある種の救いが生まれているわけで すけど、今そういう発想からいろいろな形 のものが出てきているのかなという気がし てきました。 片岡「僕」とクオーターは、同じ人かな とも思いますね。「僕」がアクションの人 なら、クオーターは陰の人で、陰であるか らこそ先に再起動してしまう。だから、そ れによって全体が、今おっしやったみたい にすっきりするんだと思います。 野崎「僕」とクオーターには確かに、裏 表一体の関係というところがありますね。 片岡ただ、同じ人ですから、途中で 「僕」とクオーターとに分けていくことが、 書き手としては難しくなるのかもしれませ ん。そうすると、読み手としても多少つら左から野崎氏、石田氏、片岡氏 くなるかなという気もします。 野崎最初はそれなりに印象を残すクオー ターですが、中盤になると消えたように存 在感が薄くなります。そのズレがちょっと 気になりました。 片岡そうなんです。「僕」の中にクオー ターが吸収されてしまいかねないんです ね。 野崎「はじめはすべてが冗談だった」と あるように、「僕」のほうは神に実体はな いんだと、あくまでビジネスとして割り 切って宗教法人を作ったように見えるわけ です。でも、やがて「僕」の中のクオータ ー的な部分が出てきて、本気になって修行 に向かうようになります。最初に冗談とい うことを強調するけど、それが現実になっ ていく。 石田架空のことが現実になっていく様子 をていねいに書かれていますね。 野崎再起動したらどうなるのか。難しい 評 ところですよね。再起動者とは一体どうい 作 う存在なんでしよう。 片岡再起動とはどういう現象かという問 題があるし、その前に、再起動に至らなけ

10. 群像 2016年12月号

ヒヒ 連作評論小説の 『トム・ジョウンズ』と僭名の時空 武田将明 安藤礼二 『コンピニ人間』論 佐藤康智 第圓回群像新人評論賞発表 優秀作不幸と丑ハ存 日ロ好美 シモーヌ・ヴェイユ試 新たな「方法序説」へ 宮澤隆義 大江健三郎をめぐって 受賞のことば 選評大澤真幸熊野純彦鷲田清一 予港通過作ロⅧ発表 連載小説九十八歳になった私 ( 4 ) 橋本治 瀬一尸内寂聴 いのち ( 8 ) 鳥獣戯画 ( じ 磯﨑虫思一郎 三浦雅士 連載評論一言衄Ⅲの政治学 ( 5 ) 佐々木敦 新・私小説論 ( 川 ) 〈世界史〉の哲学 ( し 大澤真幸 モンテーニュの書斎 ( ) 保苅瑞穂 現代短歌ノート ( 乃 ) 穂村弘 町の消滅 小林信彦 新しい」 AJ 武田花 鳥と暮らす 稲垣、んみ子 「日本 ()n 映画零年」のために 入江悠 未来のエネルギー 大平貴之 耳以外で聞いた三つの立日の話 関口一子 文学をめぐる励ましのマキシム坂口周 書評『コン一アクスト・オプ・ザ・・デッド』 佐々木敦 羽田圭介 『地鳴き、小鳥みたいな』保坂和志山城むつみ 『籠の鸚鵡』辻原登 ~ 局原到 『日本語のために』池澤夏樹編 富岡幸一郎 創作合評「再起動」岡本学 「弔い」杉本裕孝 片岡義男 x 野崎歓 x 石田千 「囚われの島」谷崎由依 第回群像新人文学賞応募規定目次裏 第回群像新人評論賞応募規定目次裏 連作評論大拙 ( 3 ) 一ロ薹一口 水槽としてのコンビニ 連載 随筆 私の ベスト 3 最終回 執筆者一覧 りけ 0- 円・ー ワヴー 8 り 1 ワ一 4 ー ワ 8 -0 — 1 -8 1 -4 ワ 014 — 8 -4 ワ 8 ワ り・ 1 -8 -4 ワ -8 8