ヨーロッパ - みる会図書館


検索対象: 群像 2016年12月号
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1. 群像 2016年12月号

に拠って立つ国々だ。 しまっている。 フランス革命は、カトリックに抗するかたちで生起し、 引用文の冒頭の言葉からも分かるように、ショーニュが進行した。カトリック教会こそ、革命の最大の敵である。 こう書いているのは、一九八〇年代の初頭である。 - 現在の フランス革命は王権を打倒し、共和政を実現した、と言わ はまだ存在せず、また冷戦も終結してはいないが、こ れる。しかし、王と王権は、カトリック教会に比べれば、 こで述べていることは、今でも完全に成り立つ。つまり、 革命にとって大きな敵ではなかった。革命の最中に、王 二〇一六年の地図は、一五六〇年の地図と、ショーニュが が、つまりルイ十六世が殺される。だが、革命がはじめか 述べているような意味でーー「はとんどびたりと重ね合せ ら王殺しを目指していたわけではない。最初に蜂起した者 ることができる」。 たちは、やがて王を殺すことになるとは思っていなかった このように西洋の西洋性、西洋の近代性をほば独占的に はずだ。ルイ十六世の処遇を決定する裁判でも、半数近く 担ったのは、プロテスタンティズムの方である。たとえ が死刑に反対だった。それに対して、カトリック教会は、 ば、資本主義の世界システムにおいて、これまで覇権国に最初から最後まで、革命の主要な闘争目標であり続けた。 なったのはすべて、プロテスタント系の国だった。オラン フランス革命と、他のいわゆる市民革命とを比べたと ダ、イギリス、アメリカと。 き、キリスト教の役割が正確に逆になっていることに、誰 たが、このような図式に収まらない大きな例外がフラン もがすぐに気づくはずだ。イギリス革命 ( ピューリタン革 ス、とりわけフランス革命である。フランス革命が近代へ命と名誉革命 ) やアメリカの独立革命においては、キリス の転換の最も重要なメルクマールのひとつであることは、 ト教は革命の味方である。キリスト教こそが、人々を革命 疑いようがない。 しかも、繰り返し強調してきたように、 に駆り立てたと言ってよい。しかし、フランス革命では、 フランス革命は、全ヨーロッパ的に体験された。つまり、 今述べたように、キリスト教は最大の反革命勢力である。 ヨーロッパ中の知識人が、それを注視しつつ我がことのよ 同じキリスト教でも、前者と後者では種類が違う。イギリ うに共感し、興奮したのである。フランス革命は、これほ スやアメリカで革命を推進したのは、プロテスタンティズ ど西洋的な近代性ということに深く結びついた現象ではあ ム、しかも純粋でラディカルなプロテスタンティズムであ るが、プロテスタンティズムではなくカトリックが圧倒的る。フランス革命において、革命の攻撃対象になったの に優勢な国で起きたのだ。どうしてであろうか。ここで は、カトリックだ。 は、プロテスタンティズムと近代性との結びつきが崩れて いずれにせよ、近代性を集約するような出来事が、カト 253 く世界史〉の哲学

2. 群像 2016年12月号

生まれた知識人は、特に注目すべきである。前回の結末で は、まったく政治的な含みが認められない。が、実は、そ 述べたように、フランス革命は、フランスという一国の革のことこそが異常であると見なくてはならない。というの 命ではなく、全ヨーロッパ的な出来事だ。この点を最初に も、もうひとつの「フィガロ」はーーー二つのフィガロの原 明確に指摘したのはおそらくカントだろう。彼は、『諸学作にあたるポーマルシェの戯曲とともに ーー・明白な政治的 部の争い』の中で、フランス革命に関しては、バ丿 ーの街路なメッセージを担っているからだ。もうひとつのオペラ、 で起きている流血の惨事よりも、革命を共感的なまなざし モーツアルトの「フィガロの結婚」 ( 一七八六年初演 ) は、 で観察しているヨーロッパ中の人々に引き起こした熱狂の その三年後に始まるフランス革命を予感させる解放的モメ 方が重要だ、と書いている。この事実を踏まえた上で、革ントを孕んでいる ( オペラとしてはこちらの方が先に作ら 命後の四半世紀の世代が興味深い。彼らは、親の世代がフ れているが、フィガロの物語としては、「結婚」は「理髪 ランス革命の同時代人になる。したがって、彼ら自身は、 師」の後日談にあたる ) 。たとえば伯爵が、夫人や使用人 フランス革命に遅れて来た世代である。この遅れの感覚たちの策略によって己の不実を暴かれ、彼らに赦しを請う が、彼らの知的活動に、陰に陽に影響を与えている。たと ことになる最も有名なシーンを思うとよい。これは封建制 えば、トクヴィルよりは若いが、マルクスもこの世代に属の身分的秩序への揶揄であり、批判である。 している ( 一八一八年生 ) 。カフカのメシアのように、彼ら フランス革命を挟む、二つの「フィガロ」の著しい違い は肝、いなときに、 一日遅れで到着したのである。 は何を意味しているのか。ロッシーニのオペラの方は、無 フランス革命は、この時代に、つまり革命後四半世紀間 意識のうちに、フランス革命をなかったことにしよう、そ にあたる一九世紀の序盤に、ポノティヴにもネガティヴに の記憶を抑圧しようとしているのである。モーツアルトの も痕跡を残している。このことを実感するには、「フィガ オペラは、フランス革命が始まる前の作品なのに、現在の ロ」が登場する二つの有名なオペラを比較してみるとよ われわれにフランス革命を連想させる。逆に、ロッシーニ スラヴォイ・ジジェクが、そのように提案している。 のオペラは、フランス革命をすでに終えた後の作品なの 二つのオペラは、一連の物語の中の二つの部分である。こ に、そんなことがあったことを忘れさせようとしている。 の時代に属しているのは、ロッシーニの「セビリアの理髪実際、ナポレオンがワーテルローで敗れてから七月革命ま 師」である ( 一八一六年初演 ) 。これは、貴族の遺産と結婚での期間、つまり一八一五年から一八三〇年までのヨー をめぐるドタバタ喜劇 ( オペラ・ブッファ ) だ。これに ロッパは反動の時代である。「セビリアの理髪師」はこの 248

3. 群像 2016年12月号

僕はなんだかいらだってきた。彼らはまるで、自分の国が の顔が大写しになり、僕は思わずソファーを降りて、テレビ なくなったことを自慢しているように聞こえる。国がなく の真ん前にすわった。昔「雨の降らない宇宙」というアニメ なったから、自分たちは、特別な人間だと主張しているみた が流行ったが、主人公の女の子がこんな顔をしていた。彼女 いだ。僕らだって昔のデンマーク王国に暮らしているわけ が生まれ育ったのは、中国大陸とポリネシアの間に浮かぶ列 じゃないんだから、彼らとそれほど違わないんじゃないの 島らしい。一年の予定でヨーロッパに留学し、あと二カ月で か。祖先はグリーンランドを含む雄大な王国で暮らしていた帰国という時に、自分の国が消えてしまって、家に帰ること のに、僕はヨーロッパの端っこにある小さな国の住人になっ ができなくなってしまったそうだ。それ以来、家族にも友達 てしまっている。もちろん僕が生まれてからそうなったわけ にも会っていない。僕はそれを聞いてレモン汁が胸に流れ込 ではないけれど、僕は自分の国を失った第二世代だと言うこ んだようになり、思わずつばをのんだが、本人は淡々と語り とはできないか。 続ける。彼女の顔の表情はまるで白夜の空みたいで、明るい 実際、おふくろのあの妙な病気はデンマークがグリーンラ のに暗い。 僕を何よりひきつけたのは、彼女の話している一 = ロ ンド領を正式に失ったことと関係あるに違いない。それでな 語だった。それは普通に聞いて理解できる言語だが、デンマ ければ、まるで自分の子供の話をするみたいにエスキモーの ーク語ではない。もっと歯切れのいい言葉だ。初めの数秒は 言。かりしているはずがない。おふくろは、会ったこともな ノルウェー語かなと思ったが、それも違う。むしろスウェー いエスキモーの青年の学費を出して医学を勉強させている。 デン語に近いが、スウェーデン語そのものでないことは確か そのくせ実の息子の僕が海外旅行をしてみたいから旅費を援だ。そのままじっと画面に大写しにされた彼女の口元を見つ 助してほしいと頼むと、目をそらして「今、余裕がないの」 めていると、なんだか自分が接吻の機会でも狙っているよう などと言い訳する。 で恥ずかしくなり、一度目をそらしてから、あらためて見る そう言えば今日は、おふくろのところにタ飯を食べに行く と、アイスランド出身のビヨークという歌手の若い頃と少し 約束をしている。雨の中、外に出るのは面倒くさい。風邪を顔が似ている。彼女が話しているのは、もしかしたらアイス 引いたっていうメッセージを送っておこう。電話だと嘘をつ ランドの言葉なのだろうか。出身地は島だと言っていた。ア いていることが声でばれてしまう。 イスランドも島だ。でも位置的にはどうだろう。 いくら地球 そんなことをあれこれ考えていると、急に全く違った種類の温暖化がひどくなって、溶けた氷が大洋に新しい海流をつ

4. 群像 2016年12月号

クハルトに変わるが、神秘主義による仏教とキリスト教の貫して、大拙の思想と、ヨーロッパに生まれアメリカで発 オカルト 比較対象という観点は、大拙の名前を冠した初めての書展した近代的な秘教思想との関連について調査を進めてき 物、ポール・ケーラスの『仏陀の福音』の翻訳 ( 一八九五 た例外的な研究者である。何度かの増補改訂を経て、最新 年 ) から晩年に英語でまとめられた著作、『神秘主義キ の知見を盛り込んだ「大拙とスウェーデンポルグ」が、鈴 リスト教と仏教』 ( 一九五七年 ) まで一貫するものである。 木大拙著『スエデンポルグ』 ( 講談社文芸文庫、二〇一六年 ) 一一一一口葉にすることができない「神秘」の体験を通して、人間 の巻末に参考資料として収録されている。 から超越する「神」 ( あるいは「仏」 ) と人間に内在する 吉永の調査によれば、『天界と地獄』の翻訳刊行以前に、 「心」が一体化する、つまりは「合一」するのである。神大拙とスエデンポルグ思想の接点は三回あったという。第 人合一にして即身成仏の理論である ( 大拙の『大乗仏教概 一回目は、大拙の渡米以前である。大乗非仏説ーー大乗仏 論』は、ヨーロッパの文献学的仏教学者から、あまりにも典は明らかに仏教の始祖ゴータマ・シッダルタ没後相当の ブッダ 密教的な理解である点が批判されていた ) 。もちろん、大月日が経ってから編纂されたものであり、歴史的な覚者 拙は「神秘」に溺れきっていたわけではない。「神秘」は、 シッダルタが直接説いたものではない ( 非仏説 ) 、つまり なによりも実践を通してしか顕現しない。 しかも、定義 は覚者の真意を正確に伝えることのない後代の偽書である 上、言語化を拒絶する「神秘」の体験を、大拙は、なんと に揺れた明治の仏教界で、逆に、そうした大乗仏典で か言語化しようとしていた。大拙は「科学」を最後まで捨あればこその価値を探る僧侶たちや研究者たちの試みが幅 てなかった。大拙にとって、神秘と科学は両立するもの広く、かっ切実に、行われていた。そのなかで、密教的な だった ( それこそ、大拙が、プラグマティズムの哲学が勃即身成仏を基礎づける「如来蔵」思想とスエデンポルグ神 興するアメリカで得た最大の教訓であったはずだ ) 。 学の比較対照は、いわば当時の流行ですらあった ( 状況は それでは、神秘と科学、大乗仏教の如来蔵思想とスエデ新大陸アメリカでも変わらなかった ) 。 ンポルグの霊界思想等々、通常では相容れることない二つ 大拙は、そうした環境のなかで、近代的な仏教研究を志 の教えが、大拙のなかで一つに結び合わされたのは一体、 したのである。ただし、渡米以前に大拙が「如来蔵」思想 「何時」のことだったのか。 とスエデンポルグ神学の共通点を論じた諸論考を読んでい 吉永進一は、多くの研究者が「大拙とスエデンポルグ」 た直接の証拠は存在しないのであるが : : : 。大拙とスエデ や「大拙と神智学」という問題系から目を背けるなか、一 ンポルグ思想の第二回目の接点にして、確実にその痕跡を 161 大拙

5. 群像 2016年12月号

〈世界史〉の哲学大澤真幸 2 の / の命 ク命外革 屮革神 が治ス精 ロ プ ある。「アメリカにあってアメリカ以上のもの」「アメリカ ニつの「フィガロ」 はアメリカによって超えられる」等の表現も用いられてい る。それゆえ、この書物は優れたアメリカ社会論でもある アレクシ・ド・トクヴィルは、名著の誉れ高い『アメリ のだが、トクヴィルは、常に、対照項を念頭においてアメ 力のデモクラシー』で、こう書いている。「アメリカは、 リカ社会の特徴を浮かび上がらせている。対照項とは、も 世界中で最も頻繁に結社 (association) が引っ張り出され ちろん、トクヴィルが所属していたフランス社会、一九世 る国であり、人々はこの強力な行動手段をきわめて多様な 紀前半のフランス社会である。 目的のために応用している」。『アメリカのデモクラシー』 この連載でも、アメリカ社会をいずれ考察の俎上に載せ は、アメリカ社会の観察を媒介にしてデモクラシーの理想 をー・・ー言い換えれば平等社会の理想をーー描こうとした書る。が、われわれの目下の関心の中心は、トクヴィルが暗 物である。トクヴィルは、アメリカ社会を完璧なデモクラ黙のうちに参照しているフランス社会の方にある。トク ヴィルは、一八〇五年に生まれた。この時代に、つまりフ カ彼が、デモクラ シーと同一視しているわけではない。。 : ランス革命が終結してから四半世紀の間に、ヨーロッパに シーの理想をアメリカ性の延長上に見ていることは確かで 連載評論翫 247 く世界史〉の哲学

6. 群像 2016年12月号

書の成れる所以」。 スエデンポルグ自身の言葉を引きながら、その内実をこう 大拙が、聖人としての一つの理想を見出した、スエデン 記しているーーー「人の呼吸には内外の別あり、われら普通 ポルグの生涯とその思想。大拙が格闘の末にようやく構築の呼吸は外的にして五感の世界に適せり、されどわれらも することができた独自の仏教哲学の詳細とともに、あらた し一たび内的呼吸に入る時は、天界の消息此に通じ、人間 めて、その要点をまとめていかなければならない。 ならざる別天地に入るを得べし」 ( 『禅の第一義』、大正三 一九一四年 ) 。 4 スエデンポルグは、聖典の卓越した解釈者だった。「解 釈」の意味を、自らの体験を通して実践的に変革していっ 自らの身体の外部ではなく、身体の内部、つまりは たのだ。その点は、大拙にもあてはまる。「解釈」の実践 「心」のなかに霊界を見出し、その光輝く内宇宙を経め 的な変革者。それゆえ、スエデンポルグと大拙が交わる地 ぐった体験から構築された、スエデンポルグによるキリス 点、すなわち『天界と地獄』をさらに読み解いていくこと から、ヨーロッパではウィリアム・プレイクやオノレ・ ト教神秘神学。しかしながら、スエデンポルグは『聖書』 ・バルザックやシャルル・ポードレールが、あるいはホ という唯一無二の聖なる「書物」を無視したわけではな かった。スエデンポルグにとって、世界が二重 ( 現実界と ルへ・ルイス・ポルへスが、日本では柳宗悦や谷崎潤一郎 霊界 ) に存在していたように、『聖書』も二重の意味 ( 現や三島由紀夫や出口王仁三郎が、それそれ独自の作品世界 実的な意味と霊的な意味 ) をもっていた。『聖書』を表層を構築していったのである。そのことによって、近代の美 的、つまり字義通りにーー現実的にーー読むのではなく、 的表現、散文的表現、詩的表現、そして宗教的表現が、文 深層的、つまり霊的に読み込まなければならない。 字通り「変革」されたのだ。その変革の中心は、「一」な そのためには、この「私」もまた現実世界を離脱し、霊 るものと「多」なるもの、霊界と現実界の「照応」 ( コレ 的世界の直中で、自らのもっ現実的身体を霊的身体に変貌スポンダンス ) にある。 させなければならない。外的 ( 現実的 ) な呼吸法ではな 大拙にとっての仏教も、スエデンポルグにとってのキリ く、内的 ( 霊的 ) な呼吸法にもとづいて、スエデンポルグ スト教も、現実界と霊界、外的な身体と内的な精神、「自 は仮死状態となり、生と死の中間領域を彷徨う。大拙は、 然性と霊性」 ( 大拙自身が使っている言葉である ) という そうしたスエデンポルグの営為を「西洋の禅」と名づけ、 二つの世界が分かれ出でる以前の根源的な場、「一」にし 163 大拙

7. 群像 2016年12月号

ディヴァイン・プロヴィデンス 高くして深きこと、神慮はすべての上に行き 大拙のそうした仏教理解は、ヨーロッパの仏教学者たちか 渉りて細大洩らすことなきこと、世の中には偶然の事物ら激烈な批判を浴びた。「東方仏教」は仏教の正統な教え ひとはこ と云ふもの一点も是れあることなく、筆の一運びにも深を逸脱するものである、と。スエデンポルグのキリスト教 もまた、一般的なキリスト教理解とは大きく異なるもの く神慮の籠れるありて、此処に神智と神愛との発現を認 め得ること、此の如きは何れも、宗教学者、殊に仏教徒だった。スエデンポルグも、自らの体験をもとにして、こ の一方ならぬ興味を惹き起すべきところならん。是れス う説いていたからだ。霊界は自己の外部に存在するのでは エデンポルグの研究すべき第三点なりとす。 なく、自己の内部、「心」のなかに存在する。その霊界こ そが「神」である、と。スエデンポルグのキリスト教も、 注目しなければならないのは、やはり最後の言明であろ キリスト教界から激烈な批判を浴びた。キリスト教の正統 う。スエデンポルグの特異なキリスト教神学は、「仏教」 な教えを逸脱するものである、とーーー『天界と地獄』では の教義と大変よく似ている部分がある、というのだ。しか そうした攻撃への対抗として、カソリック勢力が徹底的に も、大拙がいう「仏教」は、いわゆる仏教一般を指してい 批判されている。 るわけではない。北方仏教 ( インドから中央アジアに広 大拙の仏教もスエデンポルグのキリスト教も、いわゆる がった「大乗仏教」 ) でもなく、南方仏教 ( インドからス正統な教義理解からは、ともに「異端」として位置づけら リランカをはじめとする東南アジア諸国に伝えられた「小 れるものだった。宇宙そのものを産出する超越的な根本原 理が、自らの「心」のうちに内在すると説いていたから 乗仏教」 ) でもなく、その二つの流れを一つに総合するか のように、この列島日本 ( 「極東」 ) でかたちになった、大だ。仏教がたどり着いた極限にして限界 ( 地理的にも「極 拙名づけるところの「東方仏教」の教義の構造と、スエデ東」に位置する ) から仏教を乗り越えていくような教え と、キリスト教がたどり着いた極限にして限界 ( 地理的に ンポルグのキリスト教神秘神学の教義の構造はきわめてよ く似ている、というのである。 も「極北に位置する ) からキリスト教を乗り越えていく 大拙の主張する「東方仏教」は、いわゆる一般の仏教理教えが、大拙の裡で一つに結び合わされたのである。 大拙は、仏教とキリスト教の伝統を脱構築することでか 解とは大きく異なったものだった。「東方仏教」は、自ら たちになったこの二つの極を一つに包み込む概念として の「心」の奥底に存在する「仏」 ( 如来 ) と一体化するこ 「神秘主義」を見出すーー後にスエデンポルグの名はエッ とが可能である、と説く。『大乗仏教概論』で述べられた

8. 群像 2016年12月号

の濃いものではないが、アメリカ時代から晩年に至るま い共感があったこともまたきわめて明白であると思われ る。 で、大拙の諸著作の各所にスエデンポルグの名前、あるい はその思想の痕跡を追うことが可能である。このなかで 帰国した大拙は学習院の英語講師の職に就き、その上で 『天界と地獄』、『神智と神愛』および『神慮論』はきわめ まず世に問うたのが、スエデンポルグの代表作『天界と地 て大部の著作であり ( 逆に『スエデンポルグ』と『新エル 獄』の翻訳だった。それでは、一体なぜスエデンポルグ サレムとその教説』は小篇である ) 、『天界と地獄』が体験だったのか。大拙は、『スエデンポルグ』の「緒言」で三 篇、『神智と神愛』と『神慮論』が理論篇となっている。 つの理由をあげている。おそらく大拙のスエデンポルグ受 大拙による翻訳を通じて、スエデンポルグの実践と理論 容、スエデンポルグ理解は、その三点に尽きている 。 : ほば過不足なく理解できるようになっている。 『天界と地獄』を訳出し、刊行したとき、大拙はすでに四 まづ彼は天界と地獄とを遍歴して、人間死後の状態を 〇歳を迎えようとしていた。しかもその前年、大拙は十年 悉く実地に見たりと云ふが、その云ふところ如何にも真 以上に及ぶアメリカでの生活を切り上げ、ヨーロッパを経 率にして、少許も誇張せるところなく、また之を常識に 由して日本に帰国したばかりであった。その帰国の途中、 考へて見ても、大に真理に称へりと思ふところあり。是 ロンドンに立ち寄った大拙は、かの地に存在するスエデン れスエデンポルグの面白味ある第一点なり。 ポルグ協会から、スエデンポルグの諸著作の日本語訳を依 此世界には、五官にて感する外、別に心霊界なるもの 頼された ( それゆえ、スエデンポルグ神学の実践と理論が あるに似たり、而して或る一種の心理情態に入るとき 十全に紹介されたのである ) この「依頼」による翻訳 は、われらも此世界の消自 5 に接し得るが如し。此別世界 という点に、大拙とスエデンポルグの関わりの消極性、受 の消息は現世界と何等道徳上の交渉なしとするも、科学 動性を考える者たちもいるが、全集で三巻にわけて収録さ 的・哲学的には十分に興味あり。是れス氏研究の第二点 れているその翻訳の分量は、大拙の側からの積極的かっ能 動的な働きがなければ、とうてい不可能であっただろう。 スエデンポルグが神学上の所説は大に仏教に似たり。 プロプリアム また、これほど短期間に一気に翻訳がなされていることを 我を捨てて神性の動くままに進退すべきことを説く 考えれば、それ以前から、大拙のなかにスエデンポルグ神 ところ、真の救済は信と行との融和一致にあること、神 学に関する相当な知識と、スエデンポルグ神学に対する深 性は、智と愛との化現なること、而して愛は智よりも ウイズダムラブ 159 大拙

9. 群像 2016年12月号

すれば戦争状態に和平をもたらせるかについて思考してき するものであるのかと自問してきたらしい」 ( 高田珠樹訳 ) 。 たのであり、彼らが「人間本性」をめぐって作り上げたそ 技術の進歩と人間社会の変化のなさについて述べたこの指 れぞれの思想は、現代の問題を照らし出すためにも意義が 摘は、現代にも容易に当てはめられる。新たに開発された 技術はいっとき脱コード化の流れを生みだすが、やがて改ある。駆け足で整理すれば、ホッブズが「万人の万人に対 する闘争」を前提としつつ、常に欲望し続け動き続けるこ めて社会制度へと再捕獲され、大部分が資本の新たなコー とが人間の「本性」であると措定したのに対して、それを ドとして機能するよう組み込まれてゆく。それらの「イノ べーション」は市場を活性化し、不安定化を引き起こしつ批判する形でロックの定義、すなわち「人間本性ーは第一 に「自己保存ーを目的とするという意義づけが現れたので つも、そこから改めての権力の集中と選択を行い続けてい あり、そこで所有と契約の概念が編み出された。ルソーは るのだ。どのような「新しさ」が開発されてきたとして その定義を逆転して社会以前の無垢なる「自然人」の概念 も、権力の形態や資本の関係のあり方自体が変化している わけではない 0 と社会契約論について語った一方、それらを予め脱構築し て っ ているとも取れるヒュームの「人間本性」論・ーーーすなわ いわゆるグローバリゼーションの枠組みの中では、常に このような「同じものの回帰」が引き起こされていると言 ち、単なる「因果付け」の能力へと還元され、約束と統治 ~ を えよう。二〇世紀後半に領土獲得のための戦争は大義を失を可能とする「本性」とはどのようなものか、についての 郎 、核のリンケージと米ソ二大陣営における冷戦が存在し哲学が現れてきたのである。これらの思想家たちが思考し 健 江 ていた。しかし二一世紀の現在ではいまや、改めて世界的てきた「人間本性」の問題は、「人間」なる種がいかなる 大 回帰する初期条件において絶えざる内戦状態を引き起こ な規模で恒常化した内戦状態が引き起こされている。この へ し、そこにおいていかなる「政治的なもの」が現れてくる ような人間行動の条件として、改めて争いや支配といった 説 ものが「人間本性」にどのように基づいているのかが、逆のかという問題について、大きな役割を果たしてきたので 序 法 ある。 照射される形で浮かび上がってきているのである。 方 この問題系は古くて新しいものだ。特に一九九〇年代以 近年、ホッブズやロック、スピノザにルソー、あるいは ヒュームやカントといった、国民国家登場前後の思想家た降の日本においては、『バトル・ロワイアル』等を筆頭に 新 したサプカルチャーの分野における市場原理主義のメタ ちに改めて脚光が当たってきたことには理由がある。彼ら ファーとしての生死をかけた競争に、ホッブズ的なモチー はヨーロッパにおける絶えざる内戦状態のただ中で、どう

10. 群像 2016年12月号

のである。十分に徹底した宗教改革を経験していれば、革革命自体がなかったのだ。いや、そこまで言ったら、言い 命がもたらした社会的現実を受け入れる精神的な素地が準過ぎかもしれない。少なくとも、ドイツがフランス革命に 備されていたはずだ、と。革命が強迫的な暴力へと転じた匹敵する政治的な改革を実現するのは、ずっと後のことで のは、宗教改革が用意してくれたにちがいない精神的な実ある。たとえば、小さな領邦に分裂していたドイツが、中 体が、フランスにはなかったからだ、というわけである 央集権的な近代国家として統一されるのは、一九世紀も後 これは、広く分け持たれている標準的な理解であり、たと半に入ってからである。「ドイツでは宗教改革が根付いて えば、今回われわれが考察の俎上に載せたトクヴィルに いたから、革命が速やかに進行した」とはとうてい言えな も、同じような問題意識がある。アメリカを見れば、あん い状況だ。 なひどい暴力的な革命を経なくても、しかるべきもの ( デ モクラシー ) を得ることができたのではないか、と。 だが、ドイツは後進国で、当面革命とは無縁だった、と だが、この標準的な見解の妥当性を検証する素材とし事態を記述したとすると、ここからは、明らかに、別の真 て、アメリカは適切ではない。 ヨーロッパの伝統的な共同実が溢れおちる。確力。 、こ、ドイツには、現実的で政治的な 体との結びつきを保証していた根を絶っことが、すでに、 革命はなかった ( あるいは著しく遅れた ) 。しかし、別の 一種の「暴力」になってしまっているからだ。アメリカに 観点から捉えれば、ドイツにもそれに匹敵した革命が、し 渡ったピューリタンたちは、暴力をへずに革命的な成果だ かもフランス革命とほば同時期に いやフランス革命に けを得たのではなく、彼らの新大陸への移住自体がすでに わずかに先立ってーーあったからだ。それは、精神的革命 暴力だったのである。検証のための素材は、フランスの とも呼ぶべきものである。われわれは、今回の考察の最初 もっとすぐ近くにある。ドイツである。ドイツこそ、宗教の節で、モーツアルトのオペラを一瞥した。それは、フラ 改革の故郷、宗教改革がそこから発生した場所である。ド ンス革命に先立っ作品なのに、革命的なメッセージをすで ィッとフランスとを比較してみれば、広く信じられている に宿している、と。モーツアルトという現象が、フランス 見解が成り立つかどうかを知ることができる。 の政治的革命に匹敵する、ドイツの精神的革命の一部だっ ドイツとの対比が含意する結論は、はっきりしている。 たからだ。そして、ドイツの精神的革命の精華は、他でも 標準的な説は成り立たない。ドイツでは、宗教改革の成果ない、カントを中心におくドイツ観念論の哲学である。 が広く深く浸透していたから、暴力を含まない穏やかな革 カントがフランス革命にいかに興奮したかということ 命が実現しただろうか。そうはならなかった。ドイツでは は、すでに繰り返し述べてきたことだ。フランス革命は、 255 く世界史〉の哲学