思想 - みる会図書館


検索対象: 群像 2016年12月号
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1. 群像 2016年12月号

にしつかりと括りつけられてしまっているということ。折個の物語として捉え、それを歴史と称し、時間と称してい ロは天才だと思わせる理由である。 るだけなのではないか。 おそらく十代の始めに身に着けてしまったに違いない折 これこそ人間的時間の真実といいたい気がするが、この ロのこの流儀は、熟考に値する。時間と空間の秘密にじか考古学ーー空間と化した時間の研究 にも似た着眼が、 にかかわっているからである。ニーチェを思わせる逆説の柳田、折ロの日本民俗学の底流をなすことは指摘するまで 頻出もここに起因するといっていし もない。物や出来事の並べ方にさえ歴史ーーーっまり歴史の オーウエルが、一九三〇年代半ば、スペイン市民戦争に 歴史・ーーがあるのである。 身を投じて『カタロニア讃歌』を書いたことはよく知られ 小林秀雄が「上手に思ひ出す事は非常に難かしい。だ ているが、そこに、戦場となったスペインの片田舎の小屋 が、それが、過去から未来に向って飴の様に延びた時間と で石製の鍬を発見し驚いた体験が記されている。オーウェ いふ蒼ざめた思想 ( 僕にはそれは現代に於ける最大の妄想 ルは、石器時代に一挙に引き戻された気分に陥って、一瞬と思はれるが ) から逃れる唯一の本当に有効なやり方の様 眩暈を覚えたのである。むろん、同じ頃、レヴィ日ストロ に思へる」と「無常といふ事」に書きつけたのは一九四二 ースはプラジルで教職に就き、後に『悲しき熱帯』にまと年だが、「上手に思ひ出す」例として、たとえば一九三一 められることになる人類学的調査 , ーー未開の研究ーーを年に刊行された柳田国男の『明治大正史世相篇』があっ 行っていたのだから奇異とするに足りないかもしれない たであろうことは疑いを入れない。当時流行のただなかに が、オーウエルにしてみればしかし、南米ではない、現代あったヘーゲル、マルクスに由来する歴史観を痛烈に批判 ヨーロツ。ハのただなかに石器時代を見出したわけだ。驚 くするとき、小林の脳裏にはつねに柳田の民俗学的時間が流 のも無理はな、。 れていたと思われる。小林が柳田に傾倒し、創元社の編集 同種のことは、しかし、 いくらでもある。要は、原始も責任者として柳田の家をしばしば訪ねた理由である。 古代も中世も現代も、折り重なるように堆積し、現代のた ちなみに指摘すれば、その小林をさらに乗り越えるよう だなかに存在しているということなのだ。人はただ、空間 に晩年になって時間論を展開したのが吉田健一だが、『英 に散乱し共存している物や出来事を、たとえば見てくれの国の文学』 ( 一九四九 ) のあの、英国の春の情景を描き出し 単純から複雑へと並べてそこにひとつの発展を見出し、一 て徐々に文学史の叙述へと移ってゆくその手法が、和辻哲 あを 222

2. 群像 2016年12月号

跡づけることができるのは、一九〇三年夏、「仏教家」を だいたことに感謝したいと思います。スウェーデンポルグ 名乗るとともにスエデンポルグ主義者、さらには「心霊のおかげで、私は、霊に属す非常に多くの美しく高貴な物 学」などにも関心を抱いていたアルバート・ジョゼフ・工事に対して目を開かれたのです。私の次の任務は、高めら ドマンズを通じて、である ( 大拙による回想がエドマンズ れた悟性によって意志を浄化し、彼のすばらしいメッセー の日記によって裏付けられた ) 。大拙が英語を用いて「如ジを霊的に理解することでしよう」 ( 吉永訳による ) 。 来蔵」思想を中核に据えた『大乗仏教概論』を書きあげる スエデンポルグ思想に対するほとんど手放しの称賛であ 数年前のことである。 る。スエデンポルグ協会での講演であることを差し引いて そして第三回目の接点が、『天界と地獄』にはじまり も、ここに述べられていることカ 、ほとんど生の大拙の肉 『神智と神愛』および『神慮論』でひとまずは完結する、 声であることに相違はないであろう。大拙は、自らの信じ 大拙によるスエデンポルグの諸著作の翻訳を可能にした、 る大乗仏教思想の核心と重なり合うスエデンポルグ思想を ロンドンのスエデンポルグ協会への紹介と、協会からの翻軸に、「霊性的日本」を建て直そうと意図していたのであ 訳の委嘱である。吉永は、ロンドンのスエデンポルグ協会 る。そういった意味でも、明治末からはじまる大拙による 年報に収められた大拙の貴重なスピーチを紹介してくれて スエデンポルグ紹介は、世界大戦の最中、日本がまさに滅 いる ( それが、評伝『スエデンポルグ』のーーー大拙の筆に 亡に直面した際に、『浄土系思想論』や『日本的霊性』を なる部分の 一つの原型になっている ) 。大拙は、その著すことで、「霊性」による日本の再建を志した大拙の思 スピーチの末尾を、こう締め括っているーー・「私たちは皆 想の原型としてある。このスピーチを一つの源泉として評 歴史的です。歴史的な背景から育ってきたのです。新日本伝『スエデンポルグ』が刊行された際、大拙が、その も旧日本から連続的に成長してきたものでなければなりま 「序」に簡潔に記したメッセージに嘘偽りはなかったはず せん。そして、いまでも存在する無数の寺院、僧院、神社 であるーー「神学界の革命家、天界・地獄の遍歴者、霊界 などから分かるように、旧日本は宗教的で霊的でした。ス の偉人、神秘界の大王、古今独歩の千里眼、精力無比の学 ウェーデンポルグにも来て貰って、新日本が再び者、明敏透徹の科学者、出俗脱塵の高士、之を一身に集め スビリチュアリティ 霊性の確固たる立脚点に置かれるよう、援助しても たるをスエデンポルグとなす。吾国今や、宗教思想界の風 らわねばなりません。この講演を締めくくるに当たって、 雲、漸くまさに急ならんとす。精神を養はんとするもの、 スウェーデンポルグをすっかり精読する機会を与えていた時世を憂ふるもの、必す此人を知らざるべからず。これ此 162

3. 群像 2016年12月号

はむしろ未来の「人間」、諸君の裡で成長し、諸君の裡な疑い」を持っていたが、大江は自身が年齢を重ねるに 従って、弾圧されたセルヴェやカステリョンよりも、むし で形成される「人間」のことであります。》 ろ迫害者であったカルヴァンやロヨラの方に惹かれるもの 人間というものは、単なる過去からのつながりである を感じてきたと語るのである。 のではなくて、僕たちが人間の一般概念という、ある一 つの理念を考える上では、現在僕たちが生きている、そ それが僕には不思議な読書の経験でした。若い時には ういう存在としての人間を考えなければならない。ある 自分にも過激なところがあって、僕が過激というと笑う いは若い人に対して、あなたたちが未来に実現する人 間、ということとして考えてもらわなければならない。 人がいるかと思いますけれども、ともかく、じつはミ ( 『日本現代のユマニスト渡辺一夫を読む』 ) シェル・セルヴェというような人間に魅きつけられると ころがあり、そしてしだいに、セバスチャン・カステリ ョンのような人間に魅きつけられてゆくというのが、自 渡辺が述べた「ルネサンス全体の構造」は、大江にとっ 分としての思想的な年の取り方なのじゃないかと思って てはその終わりなき内戦と切り離せない形で、「ルネサン いたのです。それがむしろ逆で、セバスチャン・カステ ス全体の人間と思想の、構造とでもいうものをとらえるこ リョンの立場に対して、状況あるいは時代のなかの人間 とだった」と説明している。「ルネサンスという時代のさ としては確かにあなたは正しいが、しかし、という気持 まざまな人間の生き方をそれぞれに理解して、お互いを関 といいますか、実際に事にあたらねば、前もってはっき 係づけ合いもしながら、統合し、乗りこえて、自分の人間 りとは態度を決定できない、という気持が強くなってい というのが先生の態度だと 観をつくりあげてもらいたい、 る。それに自分で気がついて、不安なような思いをいだ 思うのです」。しかしながらこの著作の中で、大江が渡辺 きもしました。 ( 傍点引用者 ) とは異なった態度を打ち出している箇所は興味深いもの だ。それは、元々『三つの道』として独立に刊行されてい レイト・スタイル この一節は後の「晩年様式」と呼ぶことになるテーマを た部分についての意見であり、ミシェル・セルヴェとジャ ここで ン・カルヴァン、イグナチウス・デ・ロヨラとセバスチャ先取りしているが、ひとまずそのことは措きたい。 ン・カステリョンという、宗派のリーダーと彼に背いた人大江が指摘しているのは、「状況あるいは時代のなかの人 間としては」正しい生き方が、必ずしも正しいとは一一一一口えな たちに言及している部分に顕著だ。渡辺はカルヴァンやロ いということである。渡辺が『フランスルネサンス断 ョラのような「一種のファナティスム」に対する「根本的 89 新たな「方法序説」 ~ 一 - 大江健三郎をめぐって

4. 群像 2016年12月号

らこそ、世界の方でも、大拙を求めたのである。大拙は、 の一つの源泉、谷崎潤一郎や三島由紀夫の文学の一つの源 宗教学者ルドルフ・オットーや深層心理学者カール・グス泉、そして出口王仁三郎が『霊界物語』を書き上げる際の タフ・ユングらが創設に関わったエラノス会議に招かれ 一つの重要な源泉になっていったと推定される。近代日本 る。日本人として、エラノス会議に、公式な講演者として 思想史、近代日本文学史の隠された一つの起源である。し 招かれたのは大拙がはじめてである。その際、他の参加者かしながら、これまでほとんど大拙のスエデンポルグは正 とスエデンポルグ思想について実りの多い対話を交わすこ面から論じられることはなかった。一時の気の迷い、ある とができたと、大拙自身が回想している。エラノス会議で いは大拙思想の本道からは外れるものとするのが一般的な は、イランの地で深化したイスラーム神秘主義思想の専門 見解であった。しかし、そのような理解は、明らかに誤り 家であるアンリ・コルバンがスエデンポルグについての発である。大拙にとってのスエデンポルグは、その思想形成 表を行っている。大拙とコルバンが、スエデンポルグ思想 において決定的な役割を果たした。 について語り合ったという直接の証拠はない。 ーしかー ) 、禅 大拙によるスエデンポルグ、その軌跡をまとめてみれ の世界への紹介者・大拙とイスラーム神秘主義思想の世界ば、次のようになる への紹介者・コルバンが、スエデンポルグを介して、エラ ノス会議で思想的な遭遇を遂げるということは偶然でな 『天界と地獄』 ( 明治四三一九一〇年 ) 翻訳 く、必然でもあったはずである。大拙からバトンを受け継 『スエデンポルグ』 ( 大正二Ⅱ一九一三年 ) 大拙による評 ぐようにして、日本人として二番目にエラノス会議の正式 伝ではあるが、そのほとんどがアメリカのスエデンポル な講、 演者として招かれたのが、遺著として『大乗起信論』 グ教会信者にして研究者であるバレット (). F. Barrett) の可能性を論じた井筒俊彦であったことも、また。 の著作に拠ったものであるという ( 新版大拙全集二十四巻 の巻末に付された「後記」より ) 。 『新エルサレムとその教説』 ( 大正三 = 一九一四年 ) 翻訳 人生のある時期、大拙は間違いなくスエデンポルグとと 『神智と神愛』 ( 大正三一九一四年 ) 翻訳 もにあった。 『神慮論』 ( 大正四一九一五年 ) 翻訳 しかも、大拙のスエデンポルグは、大拙思想の完成に とって必要不可欠であっただけでなく、柳宗悦の民藝運動 先述したように、その他にも、この一時期のように密度 158

5. 群像 2016年12月号

て勝利とされるのか、途方に暮れたにちがいない。 一九三四年、すでに労働者階級の過激な代弁者として知 いくつかの工場で身 こういうズレの存在について、たんなる狂信のせいにし られていたヴェイユは、教職を辞し、 て片付けてしまうべきではないだろう。むしろこう思う。 分を隠して働いた。知人に宛てた手紙のなかで、工場労働 当時、人びとに見えていたものと、ヴェイユに見えていた の経験に含まれている「重要なこと」を表現するためには と思われます」と言い淀んでい ものとが、そもそも食い違っていたのではないか。根本的「別の言語が必要らしい る。およそ八カ月のあいだ女工として働いたヴェイユは、 な齟齬があったために、ヴェイユは状況からズレていかざ るをえなかったのではないか。また現在においてもヴェイ その経験の持つ重要な意味について考えながら、「本質的 ュの思想がわかりづらいとすれば、それは、そのような齟なものを表現できない」不全感に悩まされていたのだ。手 齬がいまだに存在し続けているからではないのか。そうい 紙の続きにはこうある。 う根本的な食い違いにヴェイユ自身が気づいていたかはわ からないが、気づいていたとしてもそれを優に超えるだけ 私にとって、この経験は、私の考えのしかじかのものを の切迫感があったことはたしかだろう。同じく晩年に書か 変えたというわけではなく ( 反対に、多くのものが強め られました ) 、それどころか、ものごとについて私の抱 れた主著『根をもっこと』のなかで、あらゆる理想はいま ここで実現されなければならない、そのための改革にいま いている見とおしの一切を、人生について私の抱いてい すぐ着手しなければならない、と連呼しているのも、その る感情そのものを、変えてしまいました。私はなおこの 先もよろこびを知ることでしようが、そのなかにある一 ような切迫感のあらわれだろう。 では、ヴェイユをして「聖なるもの」と「人格」の差異 種の心の軽やかさは、相変わらずありえぬものであるだ ろう、と思われます。でも、こんなことはもうたくさ に固執させ、非戦論者を不可解な主戦論者に転向させたも のとよ、、 。しったいなんだったのか。ヴェイユと状況とのあ ん。表現できないものを表現しようとすれば、それを いだにズレを生じさせていたものとは、いったいなんだっ 損ってしまいます。 たのか。 そもそも工場労働の直接の目的は、直前に書き上げてい た『自由と社会的抑圧』について実地に試験することに 2 あいだとカ あった。その意味での成果なら十分にあった。一方では、 ( 4 ) 67 不幸と共存ーーーシモーヌ・ヴェイユ試論

6. 群像 2016年12月号

て、「いっから疼きましたか ? 」と言うので、「昨日の夕方で ことばっかりなんだろう ? 別に病気がちの人間でもなかっ す」と言ったら、医者は「十五分で手術は終わりますよ」と たのに。それでも、たかだか盲腸の手術で、俺は三週間も入 言って、私はそのまま入院した。十五分で終わるはずの手術院していた ) は四十五分もかかって、「腹膜炎の一歩手前でした」と言わ 隣の病室に後から中学生の男の子が盲腸の手術で入院し れた。まだ青春の時間帯だったので、病院は木造の二階建て て、それが一週間もしないで退院してしまった。巨漢の看護 で、手術室は一階にあった。もちろん、エレベーターなんか婦に「隣の中学生はもう退院しましたよ」と言われた時、 「あんたはバカだからまだいるのね」と言われてるように はない。手術が終わって、まだ麻酔で体の半分がしびれたま ま手術台に横たわっている私に向かって、巨漢の看護婦は背思った。 中を向けると、「つかまって下さい」と言った。本当に巨漢 ( よく分かったけど、私は自分の遭遇した大地震になんか、 の看護婦だったのだが、背だけは私の方が少し高かったの ちっとも関心はないんだな。だって、何百万人だかもっとが で、私はその看護婦の背中にぶら下がったまま足だけを引き被害に遭ってんだから、その顛末なんかそっちの方に聞きや ずって、二階の病室へ運ばれて行ったのだ。歩道橋の上で兄 いいんだもん。今更だけど、私的には「あ、そうなんだ」で ちゃんに「つかまって下さい」と言われた時に、そのことを しかないんだね ) 思い出した。 ( 年取ると、自分の外側のちょっと離れたことにはほとんど ( どうして俺の思い出すことは、絶対安静の病気とか病院の関心がなくなるんだね。思考の範囲が狭まって、見える範囲 ◎記憶とともに甦る、いまは亡き人たち 世界をわからないものに店ぐ 書田 育てることー文学・思想論集 示 ここで起こ 0 ていることに驚き、立表 刊加藤典洋 四六判・本体 2000 円、、′ . ま ち止まる。 言葉の降る日 岩京 加藤典洋 哭判・本体 28 。円二日の尢む国力らー政治・社会論集 親しくその謦咳に接した吉本隆明、鶴見俊輔の在りし日の姿。太 私たちがいま、直視すべき日本社会 加藤典洋 四六判・本体 2000 円 宰や安吾、三島の実像と思想の核心にふれ、生と死の諸相に迫る。 の実相。 191 九十八歳になった私

7. 群像 2016年12月号

すれば戦争状態に和平をもたらせるかについて思考してき するものであるのかと自問してきたらしい」 ( 高田珠樹訳 ) 。 たのであり、彼らが「人間本性」をめぐって作り上げたそ 技術の進歩と人間社会の変化のなさについて述べたこの指 れぞれの思想は、現代の問題を照らし出すためにも意義が 摘は、現代にも容易に当てはめられる。新たに開発された 技術はいっとき脱コード化の流れを生みだすが、やがて改ある。駆け足で整理すれば、ホッブズが「万人の万人に対 する闘争」を前提としつつ、常に欲望し続け動き続けるこ めて社会制度へと再捕獲され、大部分が資本の新たなコー とが人間の「本性」であると措定したのに対して、それを ドとして機能するよう組み込まれてゆく。それらの「イノ べーション」は市場を活性化し、不安定化を引き起こしつ批判する形でロックの定義、すなわち「人間本性ーは第一 に「自己保存ーを目的とするという意義づけが現れたので つも、そこから改めての権力の集中と選択を行い続けてい あり、そこで所有と契約の概念が編み出された。ルソーは るのだ。どのような「新しさ」が開発されてきたとして その定義を逆転して社会以前の無垢なる「自然人」の概念 も、権力の形態や資本の関係のあり方自体が変化している わけではない 0 と社会契約論について語った一方、それらを予め脱構築し て っ ているとも取れるヒュームの「人間本性」論・ーーーすなわ いわゆるグローバリゼーションの枠組みの中では、常に このような「同じものの回帰」が引き起こされていると言 ち、単なる「因果付け」の能力へと還元され、約束と統治 ~ を えよう。二〇世紀後半に領土獲得のための戦争は大義を失を可能とする「本性」とはどのようなものか、についての 郎 、核のリンケージと米ソ二大陣営における冷戦が存在し哲学が現れてきたのである。これらの思想家たちが思考し 健 江 ていた。しかし二一世紀の現在ではいまや、改めて世界的てきた「人間本性」の問題は、「人間」なる種がいかなる 大 回帰する初期条件において絶えざる内戦状態を引き起こ な規模で恒常化した内戦状態が引き起こされている。この へ し、そこにおいていかなる「政治的なもの」が現れてくる ような人間行動の条件として、改めて争いや支配といった 説 ものが「人間本性」にどのように基づいているのかが、逆のかという問題について、大きな役割を果たしてきたので 序 法 ある。 照射される形で浮かび上がってきているのである。 方 この問題系は古くて新しいものだ。特に一九九〇年代以 近年、ホッブズやロック、スピノザにルソー、あるいは ヒュームやカントといった、国民国家登場前後の思想家た降の日本においては、『バトル・ロワイアル』等を筆頭に 新 したサプカルチャーの分野における市場原理主義のメタ ちに改めて脚光が当たってきたことには理由がある。彼ら ファーとしての生死をかけた競争に、ホッブズ的なモチー はヨーロッパにおける絶えざる内戦状態のただ中で、どう

8. 群像 2016年12月号

よび『神智と神愛』である。 模型となっている。そこに記された教義をもとにスエデン しかしながら、秘教的な解釈学を完全に無視していたわ ポルグ主義者たちは、自らの新たな教会、「新教会」を設 けではない。大拙が翻訳した『新エルサレムとその教説』 立し、その教えを世界の各地へと伝道していったのであ の冒頭部分は、大拙が結局最後まで、直接正面から取り上る。アメリカの「新教会」に参加した父たちから生まれた げることのなかったスエデンポルグによる聖典 ( 新旧両聖息子たち、ウィリアム・ジェイムズやチャールズ・サンダ 書 ) の霊的解釈学の要点を集約したものになっているから ースらが、意識の発生と宇宙の発生を同時に、し だ。スエデンポルグが、大博物学者から大霊能力者へと変 かも実践的に思考するアメリカの新たな哲学プラグマティ 身していく重要な契機となったのが、旧約聖書のはじまり ズムを築きあげ、その教えが大拙を経由するかたちで西田 に位置する「創世記」と「出エジプト記」を逐語的に解釈幾多郎の『善の研究』の基盤となったことは、決して偶然 し直した『天道密意』 ( ゝ rca き C 。ミ e ミ 4 ーー現在は一般ではなかったはずだ。 に『天界の秘義』と訳されている ) である。この膨大な著 極東の列島に生まれたわれわれがなさなければならない 作は、スエデンポルグが実際に体験した「霊界」での見聞のは、大拙が、スエデンポルグの「体験」 ( 『天界と地獄』 ) をもとに、「創世記」と「出エジプト記」に残された聖な と「哲学」 ( 『神智と神愛』 ) のうちに見出した「霊界」に集 る言葉を、一字一句、表層的かつ自然的な意味だけではな約されるキリスト教神秘主義思想と、『大乗仏教概論』に ィースタン・ブッディズム 、深層的かっ霊的な意味から読み解いていったものであ 結実した「東方仏教」との比較対象である。「東方仏 る。スエデンポルグの解釈学は、古代へとさかのばる霊的教」は、大拙が生涯をかけて探究する主題そのものとなっ な文献学を、現在の自身の霊的な体験にもとづいて再構築ていったからだ。その作業の前提として、まずは大拙が提 するというかたちでなされている。『天界と地獄』をはじ 唱した「東方仏教」の基本構造をまとめておきたい。「東 めとする後の著作の源泉であるとはいえ、その独特の解釈方仏教」の体系を構築する際、大拙が大きく依拠したの 学は複雑であり、錯綜をきわめている。大拙も、前述した が、一九〇〇年に自ら英語に翻訳して刊行した、「如来蔵」 書簡で、西田には薦めていない。 思想を中心に据えた『大乗起信論』である。大拙の時代に 『新エルサレムとその教説』の冒頭部分も読みにくく 、決は、大乗仏教思想の起源として考えられていた「如来蔵」 して分かりやすいものではない。 しかし、大拙が主体的に 思想であるが、現在では大乗仏教思想の終末、ヒンドウー 紹介しなかったスエデンポルグ解釈学の、文字通り、縮約・教の「不二一元論」 ( 内在する純粋な霊魂アートマンと 165 大拙

9. 群像 2016年12月号

思想を、関係をそれ自体としては肯定的に捉えるポジティ 一文無しの飢えた人が街を歩くとき ( ヴェイユは実際に プなものに転じることができたということになる。「自己」 このような飢えを経験していた ) 、通り沿いに並ぶ食堂は や「他者」は形成されるべきではないが、にもかかわら その「実在」のすべてをあげてなにかを訴え、その人のな かに飛び込んでくる。それとちょうど同じように、「正義ず、人は他の「いかなる人間存在」からも「実在の衝撃を うけとることができる」し、それを欲するべきである。そ に飢え乾く人びと」には、「あらゆる人間存在」がその れが「正義ーであるということだ、と。先回りすれば、こ 「実在」のすべてをあげて自分になにかを訴え、自分のな こでヴェイユは関係に徹底して対称性を求めながら、同時 かに飛び込んでくるように思える。どんな状況でもそう にそれを非対称的にも捉えている。矛盾のようだが、たぶ だ。彼らはその経験からあますところなく「実在の衝撃を ん晩年のヴェイユはこの非対称性から、積極的で倫理的な 。このことと、前章で確認し うけとることができる」 なにかを攫もうとしていたのだ。 たこととは、連続しているが、確実に食い違ってもいる。 「自己」についての否定的な態度に変化はない。「自己」は 放棄されなければならず、「他者」も同じである。ここは 連続している。だがそれにもかかわらず、ヴェイユは、人 時としてヴェイユは「不幸」というものを、常識的なイ は「正義」であるかぎりにおいて他の「存在から実在の衝 メージからはるかに逸脱した、グロテスクとしか言いよう 撃をうけとることができる」と述べている。つまりここで のない筆致で描き出している。おそらくそのような「不 は、関係そのものは肯定されているのである。 ヴェイユの思想が関係そのものの放棄という極端にネガ幸」の在り様は、「実在の衝撃」と深いところでつながっ ている。 テイプなかたちをとったのは、「カ」にかんして、それが ありとあらゆる関係から意想外に生起してしまうものだと 不幸の中にあって、生存本能は、すべての執着がはが いう鋭い直覚があったからだ。救いのない思想だとしても された後も生き残る。それは、植物の蔓が何にでも巻き 彼女がそれをどこまでも押して行けたのは、その直覚がた つくように、支えとなるものならどんなものにでも盲目 しかな真実だと思われたからなのだろう。このことが引用 的にすがりつく。 ( 中略 ) このような面から見た不幸は、 文にも当てはまるなら、関係についての肯定的な姿勢は、 むきだしにされた生がつねにそうであるように、醜悪を あまりのネガテイプさに倦んだすえの小手先の転回ではな きわめている。たとえば、切り落された手足の残欠や昆 いはずだ。自分の直覚を裏切らずに、「共存」についての

10. 群像 2016年12月号

発性を論じる手ぎわにも目を開かされた。 く。テクストはテクストについてのテクスについてのテクスト」に依存している。 ふたたびたとえば、漱石の作品を批評す思想史理解の一部がかなり紋切り型である トをも生産するわけである。 ことは気になるし、そもそも手もちの札を 研究や批評そのものは、したがって二次るとは、見のがされてきた細部をそのなか 的なテクストであり、原テクストに依存すに見いだし、織りこまれた襞を開いてみせさまざまに入れかえて、読者を幻惑させる るテクストである。たとえばプラトンを研ることである。あるいはまた気づかれすとような論述のスタイルには引っかかりを感 ことって 究して論文を執筆することは、プラトンのおり過ぎられてきた脈絡を繋ぎなおし、テじるが ( そうした手つづきが批評 テクストが存在しないかぎり不可能だ。そクストをめぐって未知の風景を拓いてみせ本質的なものとは思わない ) 、ご本人には の意味でプラトン研究は、あきらかにプラることである。テクストを批評するテクスすぐにでも一線で活躍する力量があると思 トがそのことで、原テクストとたがいに深う。 トンの原テクストに依存している。プラト ーロさんのシモーヌ・ヴェイユ論には、 ン研究者は自身ついにプラトンとはなりえ度と強度とを測りあうほどの文体を獲得 いくつかの意味で宮澤さんの大江論と対照 これもまた、ほば自明とみなされるし、ひろがりとしなやかさとを比べあうほ ことがらだろう。そうだろうか。あるいはどの思考を展開しえたとき、テクストをめ的なところがある。ヴェイユのテクストの カくてそれじし「わかりづらさ」という問いを手ばなさず、 ぐる二次的なテクストは、、 それだけなのだろうか。 テクストは読みとかれることで、不断にん「作品」となるだろう。二次的なテクス「わかりづらさ」そのものに手さぐりで迫 ろうとする姿勢には爽やかさを感じるし、 あらたな意味を発生させる。あるいは内的トと見えたものが、かくてまたそれじたい 世上ときに見うけられるたんなる共感型の な文脈があきらかにされ、あるいはまた外一次的なテクストともなることだろう。 的な脈絡が更新される。コンテクストの変宮澤さんの文章は、すでに書きなれたひヴェイユ研究、シモーヌの特異な生と思考 容から帰結するのは、テクスト自身の変貌とのものだと感じた。大江健三郎氏の作品をただなぞりなおそうとするだけのヴェイ である。かくてテクストはたえず再生し、の、初発から現在にいたるまでを貫く思考ュ論をあたまひとっ超えたものであると思 コンテクストからは不断にあらたな意味がの糸を手繰りよせ、「新しい人」という理われた。ただ木村敏氏やレインの所論を援 こみえたもの、孤独な理念に用する手つきはやや不器用なものに見え、 生成してゆく。プラトンが書きのこした文解不能な仮説し 書群は、このような読解を介してはじめてみえたものを、それなりにいわば触知可能あるいは安易な逃げ道をつくってしまった ノノタようにも感じられる。また最後まで、ヴェ なものとしたことの功績は大きい。、、 テクストとなる。ある意味で原テクスト は、じぶんについてのテクストにその意味グとのすれ違いの分析はみごとであり、メイユの「わかりづらさ」を「わかる」必要 を負い、プラトンのテクストは「プラトンイヤスーとガプリエルの交錯をふまえて偶があるのかという疑問を禁じえなかったけ 112