「うたげ」は集団に対応し「孤心」は個人に対応すると考 えるのは自然である。とりわけ近代においては自然だ。黙 読が文学享受の大きな部分を占めるようになったのは日本 においても近代以降、それもほとんど二十世紀に入ってか 大岡信の「うたげ」と「孤心」という対概念が、思いが らといっていいが、この新しい伝統は文学享受の中心を けず広く深い射程を持っていることについて触れた。思い 「孤、い」に置くことを強いた。強いたとはいっても、目に がけずというのは、大岡はおそらく文芸作品の理解を深め見える力によって強いたのではない。人は、意識としては るために、それもとりわけ日本古典の理解を深めるため きわめて自然に、個室にこもって孤独に本を読むように に、「うたげ」と「孤心」という対概念を提示したので なったのである。図書館はもとより、電車のなかでも、人 あって、文学を成立させるその同じ対概念が、政治や宗 はあたかも個室にいるかのように本を読むようになった。 教、社会や経済の根源に潜むと考えていたとは思えないか これにはむろん印刷も照明も不可欠なのだが、意識にとっ らである。 てそれは空気や水のようなものにすぎない。それがなけれ 「まれびと」の光背 連載評論 言語の政治学〔第五回 三浦雅士 214
ディヴァイン・プロヴィデンス 高くして深きこと、神慮はすべての上に行き 大拙のそうした仏教理解は、ヨーロッパの仏教学者たちか 渉りて細大洩らすことなきこと、世の中には偶然の事物ら激烈な批判を浴びた。「東方仏教」は仏教の正統な教え ひとはこ と云ふもの一点も是れあることなく、筆の一運びにも深を逸脱するものである、と。スエデンポルグのキリスト教 もまた、一般的なキリスト教理解とは大きく異なるもの く神慮の籠れるありて、此処に神智と神愛との発現を認 め得ること、此の如きは何れも、宗教学者、殊に仏教徒だった。スエデンポルグも、自らの体験をもとにして、こ の一方ならぬ興味を惹き起すべきところならん。是れス う説いていたからだ。霊界は自己の外部に存在するのでは エデンポルグの研究すべき第三点なりとす。 なく、自己の内部、「心」のなかに存在する。その霊界こ そが「神」である、と。スエデンポルグのキリスト教も、 注目しなければならないのは、やはり最後の言明であろ キリスト教界から激烈な批判を浴びた。キリスト教の正統 う。スエデンポルグの特異なキリスト教神学は、「仏教」 な教えを逸脱するものである、とーーー『天界と地獄』では の教義と大変よく似ている部分がある、というのだ。しか そうした攻撃への対抗として、カソリック勢力が徹底的に も、大拙がいう「仏教」は、いわゆる仏教一般を指してい 批判されている。 るわけではない。北方仏教 ( インドから中央アジアに広 大拙の仏教もスエデンポルグのキリスト教も、いわゆる がった「大乗仏教」 ) でもなく、南方仏教 ( インドからス正統な教義理解からは、ともに「異端」として位置づけら リランカをはじめとする東南アジア諸国に伝えられた「小 れるものだった。宇宙そのものを産出する超越的な根本原 理が、自らの「心」のうちに内在すると説いていたから 乗仏教」 ) でもなく、その二つの流れを一つに総合するか のように、この列島日本 ( 「極東」 ) でかたちになった、大だ。仏教がたどり着いた極限にして限界 ( 地理的にも「極 拙名づけるところの「東方仏教」の教義の構造と、スエデ東」に位置する ) から仏教を乗り越えていくような教え と、キリスト教がたどり着いた極限にして限界 ( 地理的に ンポルグのキリスト教神秘神学の教義の構造はきわめてよ く似ている、というのである。 も「極北に位置する ) からキリスト教を乗り越えていく 大拙の主張する「東方仏教」は、いわゆる一般の仏教理教えが、大拙の裡で一つに結び合わされたのである。 大拙は、仏教とキリスト教の伝統を脱構築することでか 解とは大きく異なったものだった。「東方仏教」は、自ら たちになったこの二つの極を一つに包み込む概念として の「心」の奥底に存在する「仏」 ( 如来 ) と一体化するこ 「神秘主義」を見出すーー後にスエデンポルグの名はエッ とが可能である、と説く。『大乗仏教概論』で述べられた
袋小路の隙間をすり抜けることも可能であろう。すなわ く存在しないからだ。小説はその本質からして規範的Ⅷ ち、時間とは偶有性ことアクシデントとしての″今″たち ではない。ハ ; 。 」説よ柔軟そのものである。これは永遠に の連なり以外のなにものでもないと、性急かっ強引に断言 自己自身を探究し、永遠に自己を研究し、みずからの することも。 できあがった形式をひとっ残らず再検討しないではお もちろん、そのような時間に揺曳するのは、それ自体が かないジャンルである。 ( パフチン「叙事詩と小説」、杉 本質を欠いたものたちであるだろう。しかし、『トム・ 里直人訳、『ミハイル・パフチン全著作』第五巻、水声社 ) ジョウンズ』の時空に登場するのがすべて根拠のない僭名 者たちであることは、すでに確認ずみである。それどころ パフチンが優れているのは、未完結性を現在という時間 か、こうした時間性が小説というジャンルの性質と一致し の本質と捉えた点にある。デリダとパフチンはここで響き ていることも、ミハイル・パフチンの「叙事詩と小説」 あう。パフチンの言うとおり、小説は「未完結の現在」を 接続することで了解できる。 描くことでアクチュアルな文学ジャンルとして台頭するこ ハフチンによれば、古典古代から続く叙事詩的伝統は、 とになるが、それは同時にデリダの指摘するアポリアとの 「絶対的過去」における不変の出来事を語ることに重きを葛藤のはじまりでもあった。デフォーとリチャードソンが 置いてきたが、小説とは叙事詩とは根本的に異質な時間意プロットを展開できなかったことはすでに述べた。スター 識、すなわち「未完結の現在」を表現した文学だという。 ンが脱線文学の大家であることは間違いないが、十八世紀 小説の歴史を見るかぎり、そもそも本筋を堅実に展開する ジャンルとしての小説はそもそもの始めから、新しい ような小説は珍しかった。このアポリアを十分に理解して 時間感覚にもとづいてかたちづくられ、発達してき いたフィールディングは、決して小説を時代遅れの物語文 た。 ( 中略 ) 小説は、一等最初より、絶対的過去のは学に回帰させるのではなく、むしろ現在の未完結性を受け るかいにしえのイメージのなかにではなく、この未成容れながら、ありえないアクシデントの過剰な重なり合い の同時代の現実とじかに接触しうる領域において構築のなかで出来事が生じるという脱神学的な世界観・歴史観 された。 ( 中略 ) に基づいて、近代ならではのプロット構築の技法を編み出 文学の小説化とは、ほかのジャンルにふさわしから したのである。ここでパフチンの議論をデリダ的に脱日し ざる、異質なジャンル的規範をむりやり押しつけるこ つつ、近代小説の時空間を定義するならば、それは「未完 とではだんじてない。小 説にはその種の規範はまった 結の″今″たち」となるだろう。 ゥーシア アポリア
カントの晩年の出来事である。カントよりも半世紀近く若 5 近代の内的複数性 いへーゲルは、まさに青春の時期にフランス革命を体験 よく知られているよ , つに、ジャック・ラカンは、サド し、やはり強い衝撃を受けている。ナポレオンが、軍隊を に、カントの哲学のーーとりわけその道徳哲学のーー真実 率いてイエナに到着したとき、ヘーゲルがこれを「馬上の を見た。マルキ・ド・サドは、フランス革命の端緒とされ 世界精神」と呼んだのは、有名な話であろう。ドイツ観念 ているバスティーユ監獄襲撃の出来事の直前まで、同監獄 論とフランス革命は、同時代的に連動した出来事である。 に幽閉されており、彼の監獄からの叫びーー「ここで囚人 カントやヘーゲルの哲学は、キリスト教の哲学化である たちが殺されている ! 」という叫びーーが革命のきっかけ と解釈することができる。もっと端的に言えば、それは、 の一つになったという風聞があるくらい、フランス革命と プロテスタンティズムの哲学的産物である。このことは、 結びつきが深い人物である。 しかし、彼らの哲学が神学のようにキリスト教に従属して この延長上で、フランス革命を、カントの哲学の真実と いる、ということではない。キリスト教から合理的な成分 して読むことができるのではないか。厳密には、カントの を抽出し、信仰に依存することなく、理性によってキリス ト教の中核的な教義に等しいことを基礎づけること、これ倫理学は、フランス革命に先立って完成している。しか し、それはまったく抽象的な性格のものであった。その倫 がドイツ観念論である。だから、彼らの説は、信仰をもた 理学が、究極的にはどのような結果を生みうるのか、現実 なくても、また聖書の記述を参照しなくても納得すること に対してどのような含意をもちうるのか、ということは、 ができる。しかし、結論的には、厳格なキリスト教の教え フランス革命を通じてはじめて確認することができる。っ と同じことが、つまり宗教改革が説こうとしていたこと まり、カントの哲学は、フランス革命を通じて遡及的に読 が、彼らの哲学を通じて得られるようになっている。たと えば、カントの定一一一口命法は、キリストが説いた隣人愛 ( 分んで、はじめて真に理解可能なものになるのだ。ドイツ観 念論の研究家、レベッカ・コメイは、実際、このように論 け隔てがない普遍的な愛 ) の哲学版だ。このように、ドイ じている。彼女は、さらに、次のようにさえ言っている。 ッ観念論は、プロテスタンティズム以上のプロテスタン カントの道徳哲学は、自らが時系列的には先取りしていた ティズムである。この極限のプロテスタンティズムとカト リックの国の政治革命とが、同時代的にーーー必ずしも意図革命を、継承しているのだ、と。つまり、カントの道徳哲 することなく 共鳴しあっているように見えるのだ。も学は、自分より後にきたものを継承していることになる、 というわけだ。フランス革命というフィルターを通じて、 う少し、哲学の内容に即して説明しよう。 256
てしまうのだ。このことが実現されてようやく人びとはた で、自分の直覚と真摯に向き合って思考すればそれが結ぶ 。、いに「同じ人間であることを知る」のだ。ヴェイユが、 像はどうやっても右のような絶望的で非人間的なものにし 「共存」をはばこのようなものとしてイメージしていたこ かならないという事実に、腸の千切れるような想いをして とはたしかである。 いたのではあるまいか。工場労働の時期からはげしくなっ 荒唐無稽なイメージだ。だがやはり気になるのは、非戦 た抑うつ症状は、こういう揺れや翳りがあったことの証左 論についてと同じく、そのイメージの「カ」のなさだ。そ なのかもしれない。「カ」を徹底して否定するおのれの思 こでは、個性を持った個人としての主体は、あたうかぎり想の正しさを確信しながらも、その思想が現実的には人び 退けられている。それは「あいだ」の産物にほかならない とはおろか自分ひとりの身さえ支えられないくらい「カ」 からだ。そして矛盾した言い方だが、各主体はあたかも関 のないものだと観じて、絶望していたのではないか。 係していないかのように関係しなければならず、そこにお これ いて「自己」と「他者」が形成されてはならない。 3 不幸と共存 が、関係から非対称的な「カ」が生じてしまわないために 可能な唯一の途なのだ。こうした見方をヴェイユは、おの そうだとすれば、 1 でふれたヴェイユのすがたは余計に れの経験と直覚から直に引き出したのであり、甘たるいと謎めいてくる。晩年において「共存」は、積極的なものと ころはまったくない。それはよくわかる。だが、 それでも して掴み直されていたということだろうか。示唆的なの 具体的な方法論以前のところで、素朴に思わずにはいられ が、「われわれは正義のために戦っているのか」という論 ~ ない。個性のない人間同士が出会い、ようやくたがいが同考 ( 一九四二年 ) である。 類であることを理解し平和に「共存」したとして、それが どうしたと言うのか、そうしてまで人間は「共存」する必 飢えたみじめな人間にとってあらゆる食堂がそうであ 要があるのか、と。ヴェイユの言うことがほんとうに正し るように、正義に飢え乾く人びとにとってはあらゆる人 、唯一の途なのだと頭では理解できても、それに心から 間存在が実在的である。 ( 中略 ) くだんの愚かで常軌を 同意して現実に実行することなど、人間にはとうてい不可 逸した人びとは、、かなる状況におかれたいかなる人間 能ではないのか、と。 存在にも注意をそそぎ、その存在から実在の衝撃をうけ とることができる。 このような揺れや翳りはヴェイユにもあったはずだ。彼 女もまた、一方で平和や共存を希求しながら、しかし他方 ( 肥 ) 75 不幸と共存ーーーシモーヌ・ヴェイユ試論
と嬉しいんだけれど。」 若くてというところで。の表情が曇ったように 「発音がとても柔らかいので、難しい。柔らかいものばかり見えたが、気のせいかもしれない。 食べるようにして発音の努力をしている。」 僕らは放送局を出て、並んで話しながら歩いた。僕が理解 「母語はもうずっと話していないの ? 」 した内容は多少間違っているかも知れないが、自分の理解し た限りではこうい , っことになる。 「わたしと同じ母語を話す人間になかなか会えない。みんな どこに行ってしまったのか。少しずつ捜すつもり。」 彼女の生まれ育った村はハイテクな土地柄で、雪が降り出 「どうやって捜すんだい ? 」 すと道に埋められたセンサーが感知して、道路に開けられた 「今日、放送の後で、たくさん電話やメールをもらった。探穴から温水が吹き出してきたそうだ。この温水は温泉から引 す場所はたくさん。」 いてきたものらし い。だから雪が道路に積もることがない。 「なあんだ、電話したのは僕だけじゃなかったんだね。 また屋根も暖房で暖められているので、降った雪はすぐに溶 ちょっと、がっかりだな。」 けて、決して積もらない。 しかし彼女の祖母は雪かきをしな 「明日トリアで行われるウマミ・フェスティバル。旨味は、 いと身体がなまると言って、もう百歳なのに、わざわざセン 本来的には、わたしの母語にあった単語。実演会場に行け サーのついていない裏道に出て、雪かきをすることがあっ ば、母語をシェアする人に会える可能性。」 た。祖母の手にかかると、シャベルは天から雲の神様が見え 「僕もいっしょに行っていい ? なくなってしまった国の言 ないロープで引っ張り上げるのか、軽々と山盛りの雪を持ち 語を研究したい。 これは実は今日思いついたことなんだけれ上げ、祖母はそれを狙った場所にひゆっと飛ばす。飛ばされ ど、なんだか昔から自分はそういう研究がしたかったという た雪は山盛りになり、砂糖でできたお城のように見える。ま 気がしてきた。」 だ子どもだった。は雪かきをいつまで眺めていて 「トリアはその研究課題にふさわしい町。今はもう存在しな も退屈しなかった。 い神聖ローマ帝国の拠点。」 。がそこまで話した頃に僕のお気に入りの寿司 「でも、ラテン語のネイテイプはもう生きていないから、つ レストランが見えてきた。思い違いではなく、大きなムーミ まらないよ。その点、あなたは若くてびんびんしているの ンの看板が出ている。 に、あなたの国はもう存在しない。」 「ほら、やつばりフィンランド料理だろう。」
的なレベルの暴力なのだ。肯定されるのは、とりもなおき は言える。あと必要なのは勝利し、自らを善の側に位置せ " ずそれが真の「共存」の、あるいは隣人愛の兆しだからで しめること、つまり、「不幸」との非対称的な関係を支え ある。正確には、それは主体が「不幸」との非対称的な関切ることだけだ。しかるに、目下の戦争は、そのような対 係に躓いて憤激してしまい、存在の交換が未遂に終わった立の隠蔽・回避を暗黙に意図して戦われている。もし、不 ことの証しなのだ。だがそれでも、「不幸」はたしかに可可視の「不幸」がいたるところで生じているはずのたった 視となり、主体に「恥ずかしさ」が生起していたにちがい 今「宗教戦争」が戦われないならば、以後、「共存」を可 ない。それは「共存」に至るための道標かもしれず、その 能にする回路はすべて閉じられてしまうかもしれない。そ ような意味にかぎって、ヴェイユは暴力を肯定しようとし うなってしまえば、戦後に向けて理想的な「共存」や隣人 。そし ていたのではないか。理解されないだろうと思いつつも、 愛を語ってみたところで、結局は虚しいはずだ : 彼女は人びとに呼びかけていたのではないか。ーー・・幸運に てまた、戦時下のヴェイユが固執した「人格」と「聖なる も「不幸」を見ることができたとしても、あなたはかなら もの」の差異も、そういう切迫した危惧から導き出されて いたのだろう。あらゆる権利の基盤に想定されるべきは、 " ずや躓き、「共存」の可能性を暴力によって断ち切ってし まうだろう。それでも たんなる事実として存在する人間ではなく、「不幸」との いいから何度でも躓いてみろ、あな たがわずかな可能性に賭け、奇蹟的な「共存」を意志する 非対称的な関係を奇蹟的に通過することのできた、まった のなら、わたしはあなたのその暴力を否定しない。 く未知の、新しい、倫理的な人間でなければならない。そ 戦争についての不遜な言葉ーー「この戦争は宗教戦争で うヴェイユは考えていたのではないか。 ある」と宣言して今すぐそれに参加せよ、そして勝利せよ 冒頭で、ヴェイユと状況との食い違い、あるいはヴェイ も、ここから理解すべきだろう。ヴェイユは、奇蹟が ュと人びとの心象との食い違いを確認し、それらの齟齬の 根本にあるものはなにかと問うた。今、それは「不幸」に 意志されてさえいれば、その人が善の側にいることになる と楽観的に考えていたわけではない。逆に、「不幸」と直たいする感覚だ、「不幸」を見ることを意志する強靭な精 面して「恥ずかしさ」、にとどまれず「嫌悪」が生じてし神だ、と答えることができる。それがなかったなら、「あ いだ」にまつわる悲愴な直覚を超えてそれを肯定的に掴み まった以上、その人は悪の側にいるのだと考えていた。で あるならば、ほとんどすべての人間は悪であるほかない。 直すことも、そこに「共存」が生起するほんのわずかな可 だが、だとしても、その人間は「善と悪の対立」をたしか 能性に賭けることも、また人びとにそうすることを求める ということも、できなかったにちがいない。 に戦っており、そのかぎりで「宗教戦争」を戦っていると
て無限かっ永遠の場に立っための実践的な教えだった。そ大拙にとっても西田にとっても、昭和四年の段階になって こでは「一」なる霊的太陽から無限の「度」をもった さえ、いまだにスエデンポルグの思想は真剣に議論すべき 「多」なる霊的光が、さまざまな形態 ( 「情態」Ⅱ精神的な対象であったということでもある。 ただし、大拙が、西田に対して、スエデンポルグの記述 身体 ) を取りながら、絶えず流出しては、また帰還して いった。時間と空間という限定が取り除かれたなかで、霊は「荒唐」に見えるなかにも「面白」いところがある、と 的な光、精神的な身体そのものとなった者たちはただ自由やや距離を置いて紹介していることは無視できない。さら に、幸福に、遊び戯れていたーーースエデンポルグは、天界 、評伝『スエデンポルグ』の「緒言」においても、スエ みどり′ ) にふさわしい住人は、無垢なる「嬰児」の魂そのものだ、 デンポルグの著作が広く読まれなかった理由の一つとし とさえ述べている。 て、「彼が文章の如何にも冗漫にして、同じゃうな事を繰 そのような内的かっ霊的な世界の光景を、自らの体験を り返し / 、説くところ、恰も老爺が小児を教ふるが如き もとに詳細に描写したのが『天界と地獄』であり、その体観」があると説明している点も見逃せない。 この「緒言」 験を踏まえて体系的な意識発生論にして宇宙発生論、つま に記された欠点は『神智と神愛』や『神慮論』、そのなか でも特に『神慮論』には、そのままあてはまる。おそらく りは一つの宗教哲学の体系として整備することが意図され たのが『神智と神愛』、そして『神慮論』だった。 は大拙がスエデンポルグから離れていく遠因にもなったは 云『スエデンポルグ』をずである。 『天界と地獄』を刊行した後、評イ 書き上げ、『新エルサレムとその教説』を訳出して刊行し 大拙によるスエデンポルグ思想の紹介には、かなりの濃 た大拙は、すでにその時点で、スエデンポルグ神学の骨格淡が見受けられる。大拙は、スエデンポルグによる聖典の をなす他の二冊の大著、『神智と神愛』および『神慮論』霊的な解釈学それ自体には、それほど興味を惹かれなかっ の翻訳もほば終えていた。「大拙とスエデンポルグ」の関たようだ ( ラテン語で新旧両聖書を読む習慣をもたない極 係を真に理解するためには、この二つの大著の分析も必要東の列島人には最も縁遠い主題であったことはやむを得な い ) 。なによりも、その特異な解釈学を生み出した、スエ 不可欠である。事実、後年、昭和四年七月一〇日の日付を もっ書簡で、大拙は、第四高等中学校以来の盟友・西田幾デンポルグの「体験」と、解釈学から生み出されたスエデ ンポルグの「哲学」 ( 意識発生論にして宇宙発生論 ) を重 多郎に宛てて、スエデンポルグ思想を組織的に理解するた 視した。具体的な書名を上げるならば、『天界と地獄』お めの入門書として、この二冊の書名をあげているからだ。
の濃いものではないが、アメリカ時代から晩年に至るま い共感があったこともまたきわめて明白であると思われ る。 で、大拙の諸著作の各所にスエデンポルグの名前、あるい はその思想の痕跡を追うことが可能である。このなかで 帰国した大拙は学習院の英語講師の職に就き、その上で 『天界と地獄』、『神智と神愛』および『神慮論』はきわめ まず世に問うたのが、スエデンポルグの代表作『天界と地 て大部の著作であり ( 逆に『スエデンポルグ』と『新エル 獄』の翻訳だった。それでは、一体なぜスエデンポルグ サレムとその教説』は小篇である ) 、『天界と地獄』が体験だったのか。大拙は、『スエデンポルグ』の「緒言」で三 篇、『神智と神愛』と『神慮論』が理論篇となっている。 つの理由をあげている。おそらく大拙のスエデンポルグ受 大拙による翻訳を通じて、スエデンポルグの実践と理論 容、スエデンポルグ理解は、その三点に尽きている 。 : ほば過不足なく理解できるようになっている。 『天界と地獄』を訳出し、刊行したとき、大拙はすでに四 まづ彼は天界と地獄とを遍歴して、人間死後の状態を 〇歳を迎えようとしていた。しかもその前年、大拙は十年 悉く実地に見たりと云ふが、その云ふところ如何にも真 以上に及ぶアメリカでの生活を切り上げ、ヨーロッパを経 率にして、少許も誇張せるところなく、また之を常識に 由して日本に帰国したばかりであった。その帰国の途中、 考へて見ても、大に真理に称へりと思ふところあり。是 ロンドンに立ち寄った大拙は、かの地に存在するスエデン れスエデンポルグの面白味ある第一点なり。 ポルグ協会から、スエデンポルグの諸著作の日本語訳を依 此世界には、五官にて感する外、別に心霊界なるもの 頼された ( それゆえ、スエデンポルグ神学の実践と理論が あるに似たり、而して或る一種の心理情態に入るとき 十全に紹介されたのである ) この「依頼」による翻訳 は、われらも此世界の消自 5 に接し得るが如し。此別世界 という点に、大拙とスエデンポルグの関わりの消極性、受 の消息は現世界と何等道徳上の交渉なしとするも、科学 動性を考える者たちもいるが、全集で三巻にわけて収録さ 的・哲学的には十分に興味あり。是れス氏研究の第二点 れているその翻訳の分量は、大拙の側からの積極的かっ能 動的な働きがなければ、とうてい不可能であっただろう。 スエデンポルグが神学上の所説は大に仏教に似たり。 プロプリアム また、これほど短期間に一気に翻訳がなされていることを 我を捨てて神性の動くままに進退すべきことを説く 考えれば、それ以前から、大拙のなかにスエデンポルグ神 ところ、真の救済は信と行との融和一致にあること、神 学に関する相当な知識と、スエデンポルグ神学に対する深 性は、智と愛との化現なること、而して愛は智よりも ウイズダムラブ 159 大拙
葉が頻出する。スエデンポルグⅡ大拙は、「霊性」という とが可能になるという「絶対矛盾」の体験を、「即非の論 言葉を、人間の外にひろがる物質的な世界ではなく、人間 理」として結晶化させる。その際、スエデンポルグによる の内にひろがる精神的な世界こそが森羅万象あらゆるもの 「天界」の理解は、大拙にとって、必要不可欠のもので の源泉となっている、という意味で用いている。つまり、 あった。大拙は、スエデンポルグ思想を土台として、スエ 大拙が『日本的霊性』 ( 昭和一九日一九四四年 ) で展開する デンポルグ思想の彼方へと超出していくことで、創造的な 「霊性」という言葉の起源の一つは、明らかにスエデンポ仏教哲学者となっていった。 もちろんそれだけ ルグ神学の「翻訳」に存在していた 大拙のスエデンポルグは、大拙における「霊性」と「浄 ではなく、極東の列島において、「霊性」は中世神仏習合土」の起源として位置づけられる。しかも、大拙とスエデ 期にまでさかのばり、おそらく大拙は、そうした伝統をも ンポルグ思想との出会いは、大拙のアメリカ時代、『大乗 ふまえてこの言葉を用いていたと推測される。 仏教概論』 ( 一九〇七年 ) を英文で書き上げ、出版する「以 また、『日本的霊性』の刊行に先立って、大拙が、この・前」にまでさかのばっていく。スエデンポルグが幻視した 列島の中世に確立された「日本的霊性」を担う教えとし 内的な霊界とその霊界の中心に位置する霊界の「主」、大 て、禅とともに重視する浄土の思想を、書物一冊すべてを拙が東方仏教の核心として抽出してきた「怯身」と法身が 使って論じきった『浄土系思想論』 ( 昭和一七Ⅱ一九四二年 ) 治める法界との関係は、ほば等しい。霊界の「主」も、法 においても、スエデンポルグの名前、特にその「霊界」の界の法身も、いずれも光遍く永遠の楽園の中心に位置する 体験は、「浄土」を理解するための積極的かっ肯定的な比太陽神にして太陽仏として捉えられている。しかも、その 較、および消極的かっ否定的な比較、という二つの対照的光の楽園と光の「主」 ( ないし法身 ) が存在するのは、ス な側面から参照されている。「浄土」は、この地上とは隔エデンポルグにとっても、大拙にとっても、われわれの外 バラダイス 絶した世界 ( 極楽すなわち天界、さらに大拙はそれを「霊部にではなく内部、「心」の奥底にひらかれる「霊性」 ( ス 性」の世界と定義している ) であるとともに、「死」を介ピリチュアリティ ) の世界においてだった。後に大拙は、 して、あらゆる人々が平等に訪れることが可能になる世界『浄土系思想論』 ( において、法身と法界の関係を、さらに でもある。すなわち、超越が内在化される。大拙は、有限阿弥陀如来と極楽浄土の関係と重ね合わせるであろう。大 の人間を超越する無限の世界を、有限の人間が体験するこ拙の探究は、『大乗仏教概論』から『浄土系思想論』まで、 155 大拙