作品 - みる会図書館


検索対象: 群像 2017年1月号
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1. 群像 2017年1月号

いんだな、と嘆息する気配をかすかだがにじませたな、と素 「えーでも、ホンモクくん、自分で自分のこと『草食系』っ 成夫はみてとった。 て言ってなかった ? 」 「そうそう。 「君らに任せるわ」メニューを手渡して布田先生がトイレに いつだっけ、ほら、布田ゼミで映画みた後も話 立った。友人は居酒屋のけばけばしいメニューを広げ、注文 し込んで、そのまま女子何人かと飯いく流れになってたのに のためのタブレットを引き寄せて操作し始めた。 さ、あいっ『ゲームやる』って帰っちゃったことあったよ 「布田先生もさあ」てきばきと注文を決定しながらつぶや な」 「今は、『してやらないと仕方ない』って」素成夫も友人も 「うん」 嫌らしい話をしている抑揚にならない。 「あ、ホンモク今からくるって : : : 先生、ホンモクって奴、 「教え子とすぐやっちゃうらしいよ」 「へえ」布田先生もの「も」って、どこにつながるんだろう 呼んでもいいですか」 とまず思った。それから、ついさっきまで先生を慕って旺盛 「噂の草食系か、いいよ」八畳くらいの和室にいくつか置か に会話していたのに、不在になった途端に掌を返して後ろ暗 れた、四人掛けの座卓に腰を下ろす。 い噂を始めた友人に驚いた。さっきの布田先生の、ジョブズ 「ああ、まただよ」友人は嘆息してみせる。今度はホンモク がスマートフォンの作り手であることを知らないのか、とい とは無関係の話題のようだ。 う眼差しをバカにしたものと感じ取り、意趣返しをしている 「あいつも『ジョブズが、ジョブズが』って、マジうぜえ」 のだろうか。 手の中のスマートフォンでおそらく coZc-n の画面を更新しな 「前の学校はそれでやめさせられたって説も」 がら友人は毒づいてみせた。 「へえ」相槌を打ったものの、不快な気持ちがわき上がる。 「誰か死んだらすぐ、『・—・・』だもんな」 これは歴然 素成夫は頷く。誰が、という話ではない、ネット上の「大さっき交わしたアキノとホンモクの話題と違い とした陰ロだから。 勢」がだ。 そこまで考えて、だが素成夫は反駁ではなく「スルー」す 「だいたい、・ ショブズって俺よく分かってないんだけどさ、 ることにした。 なにした人よ」 三人で乾杯をすませると素成夫は自分のスマートフォンを 「アップル社の会長だろう」 「その、手に持ってるものを作った人だよ」布田先生は二人取り出した。また別の友人から誘いのメールがきている。返 ともが携えているスマートフォンを指差した。若者は知らな信を保留にして、ニュースサイトの画面を出す。見覚えのあ

2. 群像 2017年1月号

・信田さよ子【のぶた・さよこ】心理学。年 ■多和田葉子【たわだ・ようこ】作家。年生。 ■島田雅彦【しまだ・まさひこ】作家。礙年生。 『優しいサヨクのための嬉遊曲』『彼岸先生』『犬婿入り』『容疑者の夜行列車』『雪の練習生』生。『「アダルト・チルドレン」完全理解』『母 が重くてたまらない』『愛情という名の支配』 『退廃姉妹』『虚人の星』『優しいサヨクの復活』『雲をつかむ話』『献灯使』 ■中条省平【ちゅうじよう・しようへい】フラン『アディクション臨床入門』 ・清水良典【しみず・よしのり】文芸評論家。 ■橋本治【はしもと・おさむ】作家。年生。 年生。『虚構の天体谷崎潤一郎』『自分づくりス文学。年生。『最後のロマン主義者』『反い の文章術』『あらゆる小説は模倣である。』『書近代文学史』『フランス映画史の誘惑』『恋愛書『「三島由紀夫」とはなにものだったのか』『双 調平家物語』『上司は思いっきでものを言う』 簡術』 きたいのに書けない人のための文章教室』 ・辻原登【つじはら・のほる】作家。年生。『村『結婚』『百人一首がよくわかる』 ■諏訪哲史【すわ・てっし】作家。年生。『ア の名前』『飛べ麒麟』『円朝芝居噺夫婦幽霊』■蓮實重彦【はすみ・しげひこ】フランス文学、 サッテの人』『りすん』『領土』『偏愛蔵書室』 評論家。年生。『監督小津安二郎』『表象の ・関川夏央【せきかわ・なつお】作家。年生。『籠の鸚鵡』 奈落』『映画時評 2 012 ー 2 014 』『「ポ 『海峡を越えたホームラン』『昭和が明るかった■坪内祐三【つほうち・ゅうぞう】評論家、エッ 頃』『子規、最後の八年』『文学は、たとえばこセイスト。年生。『ストリートワイズ』『酒中ヴァリー夫人」論』 ー蜂飼耳【はちかい・みみ】詩人、作家。年 日記』『文庫本宝船』 う読む』 ・中島京子【なかじま・きようこ】作家。年生。生。『いまにもうるおっていく陣地』『紅水晶』 ・瀬戸内寂聴【せとうち・じゃくちょう】作家。 年生。『花に問え』『場所』『秘花』『死に支『』『小さいおうち』『妻が椎茸だっ『転身』『顔をあらう水』 ■平野啓一郎【ひらの・けいいちろう】作家。 たころ』『長いお別れ』『彼女に関する十二章』 度』『求愛』 ■長嶋有【ながしま・ゅう】作家。年生。『猛年生。『日蝕』『決壊』『透明な迷宮』『マチネの ■髙樹のぶ子【たかぎ・のぶこ】作家。年生。 『光抱く友よ』『透光の樹』『トモスイ』『オライスピードで母は』『タ子ちゃんの近道』『佐渡の終わりに』 ・平松洋子【ひらまっ・ようこ】エッセイスト。 三人』『三の隣は五号室』 オン飛行』 年生。『とっておきのベトナム家庭料理』『買 ■長野まゆみ【ながの・まゆみ】作家。年生。 ■高島俊男【たかしま・としお】中国文学、エッ セイスト。年生。『水滸伝と日本人』『本が好『少年アリス』『レモンタルト』『冥途あり』『フえない味』『野蛮な読書』『彼女の家出』 ■福嶋亮大【ふくしま・りようた】文芸評論家。 ランダースの帽子』 き、悪口言うのはもっと好き』『お言葉ですが ・沼野充義【ぬまの・みつよし】ロシア・ポーラ年生。『神話が考える』『復興文化論』『厄介 ・ : 』『漢字と日本語』 ・高橋源一郎【たかはし・げんいちろう】作家。ンド文学、文芸評論家。年生。『イリヤ・カな遺産』 コフの芸術』『亡命文学論』『ュートピア文学■藤井光【ふじい・ひかる】アメリカ文学、翻訳覧 年生。『さようなら、ギャングたち』『恋するバ 家。年生。『ターミナルから荒れ地へ』訳書一 ・ロビン』『ば論』『チェーホフ』訳書に・『賜物』『かもめ』 原発』『さよならクリストファー に『煙の樹』『紙の民』『タイガーズ・ワイフ』筆 ■野崎歓【のざき・かん】フランス文学、文芸評 くらの民主主義なんだぜ』 ・滝ロ悠生【たきぐち・ゅうしよう】作家。年論家。年生。『五感で味わうフランス文学』『夜、僕らは輪になって歩く』 生。『寝相』『愛と人生』『ジミ・ヘンドリク『赤ちゃん教育』『異邦の香りーネルヴァル「東・古川日出男【ふるかわ・ひでお】作家。年生。 『アラビアの夜の種族』『・ヘルカ、吠えないの ス・エクスペリエンス』『死んでいない者』 方紀行」論』『フランス文学と愛』

3. 群像 2017年1月号

ような言葉がありますね。その格言の部分がバスカル的な小説だと言ってもいいのからみを見破る。どの段階で見破ってもいし ですよ。先輩のたくらみがうまくいって、 と、アリサが相続する巨額のお金が主人公もしれません。 の頭の中で合致すると、あ、ここだという もともと運動、ムーヴマンが人間の本質キャピタルが手に入った後で、実はこう ふうにわかるんですよ。それが先輩にとつで、それはバスカル的には人間の中途半端だったんだろうというふうに言っても構わ てのキャピタルで、人生にとっての資本金さを言っているんですね。常に動いていな ないと思うんです。 ーをつくっ なんですね。そこで終わると、大変いい話きやダメなんだ。そうでないと絶対に永遠野崎先輩との対決でストーリ になるんです。 の安らぎは得られないと。この平静というていくと、面白いかもしれませんね。 野崎この状態だと、今おっしやった格言のはサバティカルと同じで、フランス語で石田やつばり先輩なので、腰が引け の部分がちょっと浮いていますよね。 は休息という意味も持っ単語ですけど、そちゃっていますよね。もう少し頑張ると、 片岡明らかに浮いています。だから、格れは死でしかないという。そうすると、こ先輩に対して自分なりにある程度応戦した 言とキャピタルを結びつけないといけなこで描かれている世界は、その運動の中かなという気持ちになれて、そのさきへ向か 。主人公が、先輩の格一言をコンピュータら一歩降りた状態で、どこかヒャリとしたうのかなという気もするんですけど、加藤 にすべて書き込んでいたりすると面白いで死の感覚もある。非常にメランコリックなさんは決めかねてる状態が描きたかったの す。 でしようね。 叙情が漂います。 野崎これは先輩の格言ではありません片岡最初は漂っているんですよ。雨のバ野崎いま一つつかめない最後になってい が、「一度前に漕ぎ出したら余裕などない。 ンコクですから。でも、二、 三ページで急ます。 遠くに着いたら後ろなど見えない。すべて速に消えて、後が続かない。 片岡主人公の推測に終わっていますか ら。 はそういうように出来ている。パスカルも石田主人公は、コンサルティングファー 言っていただろう」とある人物が言うと、ムの中でサバティカルを得るまで生き残っ石田アリサの事故も不思議です。アリサ 「僕」のほうは即座に反応してバスカルをてきたわけで、このひとは勝者なんですよ自身のこともよくわからなかった。 引用するんですね。「我々の本質は動くこね。 野崎理屈というか、設定がちょっと勝っ ~ 。 作 とにある」「全き平静とはすなわち死であ片岡ある程度は優秀なんです。その優秀ているような気がしましたね。人のいない る」。つまり、この業界の人たちはバスカさをうまく物語に使わないといけない。どところだけ案内されて、肝心なところは見 ル的な認識を共有していて、この作品全体ういうふうに使うかというと、先輩のたくせてもらっていない感じです。

4. 群像 2017年1月号

く手順であったからだ。 わたしの父が文字職人だったせいか、子どものころから町 わたしが読んでいたのは、たまたま家にあった角川書店刊 の看板や缶詰のラベルや新聞の折り込み広告というものに注 『昭和文学全集』の「宮沢賢治」の巻だった。旧かなづかい 目する習性があった。父は職業柄で、雑誌や広告のなかの図 で「ゐ」や「ゑ」もふくまれる。学校では習わない字ではあ 案化された文字を切り抜いてスクラップ帳をつくっていたの るけれど、わたしの小学校低学年のころ ( 昭和四十年代前 で、その真似をして気に入った文字を切り抜いて画用紙に貼 半 ) は、まだ世間の出版物に旧かなづかいが残っていたせいか、 る遊びに熱中した「 小学一年生のときにつかっていた「かな」の学習玩具 ( マグ 、「たてかけて 小学校の社会科見学で新聞社を訪れたさい ネット式のひらがな、カタカナをポードにならべる ) には通 ある壁」と「粟粒ぐらゐの活字」の実物を目にした 6 脳内の 常の五十音のほかに音便用の「つ」や「ー」、濁点用の「・」 活版所のイメージを補足できたが、ジョバンニがはたらいて や「。」があり、そのほかに謎の「ゐ」と「ゑ」もあった。 いた町の印刷所とちがい、新聞社はずいぶん大きかった。 賢治さんの童話のなかにその文字を「発見」したときは、 砂場あそびできれいな縞もようの小石を見つけたときのよう ジョバンニが勢よく帰って来たのは、ある裏町の小さ な心もちになった。 な家でした。その三つならんだ入口の一番左側には空箱 ジョバンニはすぐ入口から三番目の高い卓子に座った に紫いろのケールやアスパラガスが植ゑてあって小さな 本 二つの窓には日覆ひが下りたまゝになってゐました。 人の所へ行っておじぎをしました。その人はしばらく棚 を一さがしてから、 美 もちろん、ケールやアスパラガスが植わっている畑など見 「これだけ拾って行けるかね。」と云ひながら、一枚の る たことはなかった。だからよいのだ。日常とはことなる風景え 紙切れを渡しました。ジョバンニはその人の卓子の足も をあたまのなかでイメージすることこそ、最大のたのしみでが とから一つの小さな平たい函をとりだして向ふの電燈の あったので、霊感源がどれだけあるかによって物語を評価し〇 たくさんついた、たてかけてある壁の隅の所へしやがみ 込むと小さなピンセットでまるで粟粒ぐらゐの活字を次ていた。その意味で賢治さんの作品群は〈ことばの宝庫〉 だった。それはいまも変わらない。 から次と拾ひはじめました。 テープル 美しい日本語

5. 群像 2017年1月号

ここに引いた一一一一口葉が書かれたのは晩年のことである。しか に生きていた人間だといってもやはり余程のことであって、 しこれとほとんどおなじことを、彼は早くから「哲学するこ繊細な感性が死の強迫観念にとり憑かれていたとでも思うほ とは死ぬことを学ぶこと」 ( —の二十 ) という初期のエセーの かはない。死に直面したとき過去の人間たちはどう振舞った なかで繰り返し書いている。要するに死は終生変わらない彼だろうか。果たして自分は怯えずに死を迎え入れることがで の関心事だったのである。 きるだろうか。そういう必死な声がこの一節から聞こえて来 たとえばそのエセーのなかに次のような一節がある。 そうであるが、それほど死によせた彼の関心は抑えがたい内 「@これはリュクルゴス〔古代スパルタの伝説上の立法家〕が 心の不安を伝えていて、人間性を冷静に観察するモラリスト いっていたことであるが、われわれの墓地を教会のとなりに の傍観者的な興味といったものを大きく越えていた。 建てたり、町でいちばん賑やかな場所に建てたりするのは、 モンテーニュはずっとあとになって、これに次のような文 しがない民衆や女子供に死人を見てもけっして怯えたりしな章を書き加えた。三巻本の『エセー』を書き上げてからその い習慣を付けさせるためであり、また骸骨や墓場や葬列を始全体をふりかえって、自分の死への関心について語ったもの である。 終見ることでわれわれの境遇について警告を与えるためだっ ・ : それと同様に私も死を想像するだけでなくたえず死 「◎ここに述べたことは、私がこの本に詰め込んだ実例を見 を口にする習慣を身に付けた。また人間たちの死はど、い、 てもらえれば一目瞭然であり、また私がこの〔死という〕題 かえれば彼らが死に臨んでどんな一言葉を口にしたか、どんな材に特別の熱意を持っていることも一目でわかることであ 顔をしたか、どんな態度を見せたかということほど私が進ん る。もしも私が本の作り手であれば、さまざまな死について で調べてみたいと思うことはなに一つないし、また歴史のな注釈をつけた記録を作るだろう」 ( 同上 ) かでこれほど注意深く目をとめるところもないのである」 彼が意識的に死を『エセー』のテーマの一つに選び、それ ( —の二十 ) に関する史実をそこに収録していたことをみずから認めた加 たしかに死にたいする異様に強い関心の持ち方である。 筆である。たしかにこの本にはさまざまな人間のさまざまな 彼がこれを書いたとき、まだ四十に手が届くかどうかとい 死に方が語られているが、これからわたしが探ってみたいと う年齢だったと思われるが、死を想像するだけでなくたえず思うのは、繰り返すようだが、彼自身がその半生を通して深 死を口にしていたというのよ、、 。しくら死と隣り合わせの乱世めて行った死の思索の曲折である。 っ ) 0 314

6. 群像 2017年1月号

生。 ■金田一秀穂【きんだいち・ひでほ】言語学。 0 ■大澤信亮【おおさわ・のぶあき】文芸評論家。年生。『新しい日本語の予習法』『「汚い」日本 間年生。『神的批評』『新世紀神曲』共著に語講座』『新歳の日本語上達法』 、 N 『「ジャパニメーション」はなぜ敗れるか』『世■熊野純彦【くまの・すみひこ】倫理学、哲学史。 界が決壊するまえに言葉を紡ぐ』 年生。『レヴィナス移ろいゆくものへの視 ・大澤真幸【おおさわ・まさち】社会学。年生。線』『西洋哲学史』『マルクス資本論の思考』 『恋愛の不可能性について』『〈自由〉の条件』 ■小池昌代【こいけ・まさよ】詩人、作家。年 『〈世界史〉の哲学』 ( 古代篇、中世篇、東洋篇、生。『タタド』『コルカタ』『たまもの』『詩につ いての小さなスケッチ』 ・阿部公彦【あべ・まさひこ】英文学。年生。イスラーム篇 ) 『可能なる革命』共著に『ふし 『モダンの近似値』『英詩のわかり方』『文学をぎなキリスト教』 ・鴻巣友季子【こうのす・ゆきこ】翻訳家。年 〈凝視する〉』『幼さという戦略』 ■小川洋子【おがわ・ようこ】作家。年生。生。气孕むことば』『カーヴの隅の本棚』『翻訳 ■安藤礼ニ【あんどう・れいじ】文芸評論家 教室はじめの一歩』訳書に『恥辱』『嵐が丘』 。『妊娠カレンダー』『博士の愛した数式』『ミー 年生。『神々の闘争折ロ信夫論』『光の曼陀羅ナの行進』『琥珀のまたたき』 『風と共に去りぬ』 ( 全 5 巻 ) 日本文学論』『祝祭の書物』『折ロ信夫』 ・奥泉光【おくいずみ・ひかる】作家。年生。 ・佐伯一麦【さえき・かずみ】作家。年生。 ・池田清彦【いけだ・きょひこ】生物学、評論家。『石の来歴』『神器軍艦「橿原」殺人事件』『ショート・サーキット』『ア・ルース・ポー ・バップ』 年生。『構造主義と進化論』『昆虫のバンセ』『東京自叙伝』『ビビビ・ビ イ』『ノルゲ Norge 』『空にみすうみ』 『科学は錯覚である』『心は少年、体は老人。』 ・小野正嗣【おの・まさつぐ】作家。間年生。 ・アンヌ・バヤール坂井【あんぬ・ばやーる日 ・石田千【いしだ・せん】作家、エッセイスト。『水に埋もれる墓』『にぎやかな湾に背負われたさかい】日本文学、翻訳家。年生。共著に 『谷崎潤一郎』 年生。『月と菓子バン』『ばっぺん』『きなり船』『九年前の祈り』『水死人の帰還』 の雲』『家へ』 ・加賀乙彦【かが・おとひこ】作家。四年生。 ■坂上弘【さかがみ・ひろし】作家。年生。『台 ・磯﨑憲一郎【いそざき・けんいちろう】作家。『フランドルの冬』『帰らざる夏』『雲の都第所』『百日の後』『啓太の選択』『眠らんかな』 年生。『肝心の子供』『終の住処』『往古来今』五部鎮魂の海』『殉教者』 ・佐々木敦【ささき・あっし】評論家。年生。 『電車道』 ・片岡義男【かたおか・よしお】作家。年生。『ニッポンの思想』『批評時空間』『ゴダール原 ・戌井昭人【いぬい・・あきと】鉄割アルバトロス『友よ、また逢おう』『スローなプギにしてく論』『ニッポンの文学』 ■さだまさし【さだ・まさし】シンガーソングラ ケット主宰、劇作家、俳優。れ年生。『すつばれ』『ミッキーは谷中で六時三十分』『豆大福と ん心中』『どろにやいと』『のろい男』 珈琲』 イター、作家。年生。『精霊流し』『解夏』 ・内田樹【うちだ・たつる】フランス文学。年■片山杜秀【かたやま・もりひで】政治思想史、『眉山』『風に立っライオン』 生。『ためらいの倫理学』『寝ながら学べる構造音楽評論家。年生。『近代日本の右翼思想』■佐藤康智【さとう・やすとも】文芸評論家。 主義』『下流志向』『困難な結婚』 『音盤考現学』『音盤博物誌』『未完のファシズ年生。「『奇蹟』の一角」 ( 第回群像新人文学 ・江南亜美子【えなみ・あみこ】ライター。年ム』『見果てぬ日本』 賞評論部門当選作 ) 執筆者一覧

7. 群像 2017年1月号

やがてホモイは、狐に利用されていたこ 宮澤賢治「貝の火」について輝きを増していく。 とに気づくが、もう手遅れだった。光を失った貝の火は砕け 散り、粉となって目に入り、ホモイは失明してしまう。泣い ているホモイを父が優しく慰めるところで物語は終わる。 この童話の意図は明確である。賢治は原稿の冒頭に書いて いる。〈貝の火意味をなさず / 却って権勢の意を表す方可な らん / 因果律を露骨ならしむるな〉。つまり、貝の火に意味 、や、むしろ権力を示すべきものであるが、それを 貝の火が今日位美しいことはまだありませんでした。そ露骨に関係づけて書かないように、そう自分を戒めている。 原稿上部には『易経』から影響を受けた自作の図も記され れはまるで赤や緑や青や様々の火が烈しく戦争をして、 地雷火をかけたり、のろしを上げたり、又いなづまが閃ている。ほば同じ図は、執筆時期不明の「創作メモ 3 」と、 一九三三年三月三十日森佐一宛書簡にもある。さらに、後者 いたり、光の血が流れたり、さうかと思ふと水色の焔が 玉の全体をバッと占領して、今度はひなげしの花や、黄と共通する内容の書簡 ( 一九三〇年四月四日澤里武治宛、一 色のチュウリップ、薔薇やほたるかづらなどが、一面風九三三年九月十一日柳原昌悦宛 ) にも、この童話の主題は及 んでいる。そこで賢治は、かっての教え子たちに向って、人 にゆらいだりしてゐるやうに見えるのです。 生で最高に恵まれていた教師生活を捨て ( 実際はもう少し込 み入った事情があるのだが ) 、自ら百姓となり、農民のため 宮澤賢治については、十年前に論じて以来、再び書いてい の芸術を興すという理想を実践した自分が、いかに傲慢で間 これは私が薄情だからでもあるが、全力で付き合った 相手だからこそ、「それから」が書けないということもある違っていたかを痛切に説いている。その羅須地人協会 ( 一九 一一六年設立 ) の活動が、詩集『春と修羅』 ( 一九二四年四月 ) と田 5 う。ただ折に触れて読み返す作品がある。「貝の火」だ。 や童話集『注文の多い料理店』 ( 同年十二月 ) の自費出版と 子兎のホモイはひばりの子供を助ける。母鳥は喜び、貝の 火と呼ばれる鮮やかな赤い宝珠を、王からの贈り物としてホ連動していたことを考えるなら、賢治の後悔の深さは計り知 れない。 モイに渡す。増長したホモイは、狐を従えて、乱暴を働いて それだけではない。「貝の火」が生徒たちの前で朗読され いく。それをホモイの父が咎めるのだが、かえって貝の火は 美しい日本語 大澤信亮 220

8. 群像 2017年1月号

″非常時にはそのような言葉がある、あるいは生まれよう られるような書評は、残念ながら頂戴していない。目に入れて とする″とも言い換えられる。 いないだけかもしれないが。ただ、否定的な評価はもらった。 ここた ところで、初めに挙げた三点、助詞、読点、改行のうち、助詞 ここが肝なのだ。 というものの価値をきちんと定義した本を読んだ時には驚い 一一一一口語 ( 「日本語」 ) に、これまでにない「美しい」何事かを た。おそらく、このエッセイ特集のタイトル「美しい日本語」 与えようとするならば、そこに非常時を滲ませなければなら のために、もっとも適した解説書となるのは、その本ではない ない。そこから非常時が滲まなければならない。 か。吉本隆明の『一一 = ロ語にとって美とはなにか』だ。この書名の、 最後に、これは美しい、と思える日本語の小説の文章を、 言語、はじつは「日 . 本語」だ。だから「美しい」「日本語」 引用する。 はここで解釈、分析されている、と言える。私はーー唐突に こ変えるが この『言語に ″僕はみの自称から″私は″し 半蔵は二十五のその歳でいきなり絶頂で幕が引かれるよ とって美とはなにか』には救われた。二度読んだ。という うに、女に手を出してそれを怨んだ男に背後から刺さ か、まだ二度しか読んでいない。あと数回通読すると思う。 れ、炎のように血を吹き出しながら走って路地のとばロ そうであるからには、あとは、「この『一一一一口語にとって美と まで来て、血のほとんど出てしまったために体が半分ほ はなにか』を読めばいい」と言えばすむ。 ど縮み、これが輝くほどの男振りの半蔵かと疑うほど醜 そこで終わらせないために、たとえば吉本が戦後のある種 く見える姿でまだ小さい子を二人残してこと切れた。九 の言葉、に触れた箇所に言及する。そこで、吉本は、「昭和 語 本 かさなりの九月九日。 二十六ー二十七年」に武田泰淳の『風媒花』、野間宏の『真 日 空地帯』、椎名麟三の『自由の彼方で』などの大作が「技法 これは中上健次の『半蔵の鳥』 ( 作品集『千年の愉楽』所収 ) 美 は成熟し、構成力はまし、輪郭もモチーフも主題もはっきり のほばエンディングの一節で、ここには圧倒的な美があるとる としてきたが、そのかわりに、うしなったものはかけがえの ないほどおおきかった」と書く。つまり否定的な評価を下感じるのだが、この美しさを得るために中上は谷崎潤一郎を考 す。そして「かれらは構成力と技法をえたかわりに、うしな経由する必要があり、たとえば谷崎オマージュの『重力の 〇 うべきものはうしなったのだ」と断じる。一・刀両断の切り捨都』にはぎりぎりの駄目さが表出しているが、ここでは突き 五 抜けている。なぜならば中上は中上健次の″非常時。を出し てだ。ここで大事なのは、終戦直後、何かが「日本語」に たから、だ。 あった、あるいは生まれようとしていたことで、これは単純 美しい日本語

9. 群像 2017年1月号

を得む。 ( 森鵐外『椋鳥通信』田池内紀編注岩波文庫より ) 竹西寛子『一瞬の到来』 速度と闘争に「美」を見出すマッチョで暴力的な末来派の 「小さいこと」を積み重ねて 宣言には共感できないが、一一十世紀初頭のミラノで打ち出さ れた都会的で工業的な「美」の感覚がそういうものだったと いうことは注目に値する。同じ時期、シェーンベルクら新 松永美穂 ウィーン楽派の作曲家たちが無調音楽を本格的に追究し始 め、新しい「美」の可能性を探っていた。美術の世界ではカ ンディンスキーやモンドリアンが最初の抽象絵画とされる作 「美しい日本語」について書いてほしい、 という依頼を見品を制作した。マルセル・デュシャンが「泉」で美術界に殴 て、思わず身構えてしまった。「美しい国へ」と言った人を り込みをかけたのよ、、 。しまから九十九年前。それ以来、美術 思い出し、「美しい日本の私」と言った人のことも思い出し は「美」よりもコンセプトを追求するものに変化してきた。 た。「美しい」という言葉が国家戦略と関わっているような 末来派の宣言が出る数年前、オーストリアの作家フーゴ 気がして、近ごろ素直に「美しいーと言えなくなっている自 ・フォン・ホーフマンスタールは『手紙』 ( 日本では 分がいる。それで、慌てて辞書で「うつくしい」の項を調べ 「チャンドス卿の手紙」というタイトルで知られる ) という てみたりもした。 散文のなかで、主体と一一 = ロ語が解離していく状態や、コミュニ 「美」の基準は、時代によって変わる。森鵐外の『椋鳥通ケーションツールとしての一一 = ロ語に対する違和感、言語による 信』を読んでいたら、一九〇九年三月十二日の通信でイタリ 現実描写の可能性への懐疑、言語の限界などについて語って アのマリネッティら未来派の宣一一 = 口が紹介されているのに出 いた。社会が急速に変化していくなかで、自我のとらえ方も 会った。 複雑になり ( 折しも精神分析学が勃興しつつあった ) 、言語 は自明のものではなくなっていた。 吾等は世界に一の美なるものの加わりたることを主張 科学技術が急速に発展した十九世紀を経て「美」の基準が はやさ す。而してその美なるものの速の美なることを主張す。 変化していったように、二十世紀後半の通信技術の発展とグ いやしく 美は唯闘に在り。苟も著作品にして攻撃的ローバリゼーションは、一 = ロ語表現のあり方を大きく変えつつ かぎりいずく ある。誰もが発信できる時代、ネット上にはあまりにもたく (Aggressivo) 性質を帯びざる限は安んそ傑作たること 美しい日本語 ただたたかい 178

10. 群像 2017年1月号

いと思いもせず、それきり放りだしてあったものでした。 泉鏡花「売色鴨南蛮」 それでまだ読んでいない作品を読もうと思って選んだの が、「売色鵯南蛮」でした。意味はよく分からないながら、 虚空に浮かぶ美の世界 新東宝映画のようなどぎついお下劣さが漂ってくるタイトル に引かれたのかもしれません。 ところが、これにやられました。冒頭の女の赤い長襦袢の 中条省平 描写につづいて、神田・万世橋付近の川辺に咲く花の情景が 出てくるのですが、この花を描く文章の喚起力とリズムの、 文字どおり、とりこになりました。 一一 = ロ葉の美というあいまいな観念が、自分にのつびきならな その物語にも驚きました。主人公は秦宗吉という大学病院 し問題として迫ってきたのは、十九歳のときでした。 の医師なのですが、彼はかって十七歳のとき、頼まれて買っ そのころ、私は東京外国語大学の英米語学科というところ てきた煎餅をひもじさのあまり盗み喰いしてしまい、それを に籍を置いていたのですが、新学期が始まって数週間ほどで知人に見られて、恥ずかしさから自殺しようとしたのでし つまらない授業に心の底からうんざりしてしまい ( 聴くに値 た。それを救って一緒に家出してくれたのが、亡き母の面影 した授業は河野一郎のイギリス小説の講読だけでした ) 、ま を宿すお千という近所のお妾さん。しかし、逃避行の先で、 もなく大学にほとんど行かなくなり、プータロー同然の生活お千は美人局か何かの罪で警察に捕まってしまい、それきり をだらだらと送っていました。中学高校で当時はやりだった 宗吉とは生き別れ。ここで冒頭に回帰して、宗吉が駅で見か 学生反乱の真似ごとに加わって、この世に破壊してはいけな けた赤い長襦袢の女は、品川の遊郭で女郎になって気が狂っ いものなど何ひとつない、などとたわ言をほざいていた罰が てしまったお千だったというオチです。 当たったのかもしれません。 安手の極致のメロドラマ、ありえないご都合主義の連続 そんなおり、いつもの習慣で自宅の風呂場に本をもちこん で、物語のすべての焦点は、狂ったお千の胸に顔をうすめて で風呂桶に漬かりながら読みはじめたのですが、そのときな泣きじゃくる宗吉の最後の姿に絞られるのですが、その宗吉 んとなく選んだのが、泉鏡花の新潮文庫版『歌行燈・高野といっしょに、私も滂沱の涙を流していたのです。これはひ 聖』でした。中学か高校時代に国語の課題図書として買った とえに、あらゆるリアリズムの桎梏を軽々とこえて、虚構の 気がするのですが、有名な表題作を二編読んで、とくに面白夢物語をひたすら言葉の力だけで、まぎれもない現実として 美しい日本語 170