白川 - みる会図書館


検索対象: 群像 2017年1月号
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1. 群像 2017年1月号

提になるからである。 霊とは一般に目に見えないものであり、呪とはその霊に かかわることである。理性の時代、科学の時代になってな お、霊についても、呪についても、さまざまなかたちで論 白川静が折ロ信夫の影響を受けていたことは疑いな、。 じられてきたのは、人間という現象が、目に見え、手でさ 白川については以前、「白川静問題」、「起源の忘却」と わることができるものからだけでは解明されえないと考え いう文章を書いたことがあって、いずれも拙著『人生とい られてきたからだ。数学が零と無限、負数と虚数を必要と う作品』に収めた。折ロと白川の関係についても少しは触したように、人間という現象も同じようなものを必要とし れているがーー - ー中国古代文学研究者の多くが密かに折口を てきた、いや現に必要としているのではないか。折ロも白 参照しはじめていたのである 、影響を受けたとまでは リもそう考えていたといっていし 書いていない。だが、いまは明記しておく必要を感じる。 霊とは何か、呪とは何か、という問いに接近するための前 峠路や海上でなくても、道はおそるべきものであっ 光のスイッチ 連載評論 一一 = ロの政治宀子〔第六回〕 三浦雅士

2. 群像 2017年1月号

くもっとも人に知られている次の一首を思い出した。 た。もし呪詛が加えられていると、人は必ずそのわざわ いを受けた。そのため道路には、これを防ぐ種々の呪禁 を加えておく必要がある。道 ( 道 ) はその字形の通り、 人も馬も道ゆきっかれ死にゝけり。旅寝かさなる ほどのかそけさ 首を携えて修祓を加えながら進む道であった。金文の字 形には、首を手に持った字形がかかれている。それは戦 第一歌集『海やまのあひだ』所収。歌集は、作者十七歳 争のための先導を意味する用法であるが、あるいは実際 から三十八歳までの作品六九一首を逆年順に収めるかたち に首を捧げて、呪禁を加えながら行軍をしていたのかも 知れない。異族神に対する行為であるから、おそらく異で、大正十四 ( 一九二五 ) 年、改造社から「現代代表短歌 叢書」の一冊として刊行された。引用した「人も馬も」 族の首を奉じていたのであろう。 は、大正十二年三十首のうち「供養塔」五首の冒頭、「数 多い馬塚の中に、ま新しい馬頭観音の石塔婆の立ってゐる 白川の『漢字』の、とりわけ記憶に残る一節である。一 のは、あはれである。又殆、峠毎に、旅死にの墓がある。 九七〇年、岩波新書の一冊として刊行された。白川はこれ で一般読書人に広く知られるようになった。後に一九九九中には、業病の姿を家から隠して、死ぬるまでの旅に出た 年に刊行された著作集第一巻の劈頭に置かれたことから人のなどもある」の詞書が付されたその直後に置かれてい る。詞書が、歌の背後に広がる闇の深さをいっそう強く感 も、白川にとっても重要な一冊であったことが分かる。 じさせる。 道は、中国においてはもとより、日本においてもきわめ 白川の文が折ロの歌を思い出させるのは、道と死という て重い文化的負荷を帯びた言葉である。引用した一節が、 その負荷を一瞬にして吹き飛ばすほどの力を持っているこ主題が重なり合っているからだろうが、それ以上に、白 とはいうまでもない。歴史のある段階においてほとんど精のいう「道はおそるべきものであった」という一一 = ロ葉が、折 神と重なるほどの意味を帯びることになった道という言葉ロの「旅寝かさなるほどのかそけさ」の背後にも同じよ が、その起源において呪詛と切り離しがたいものとして うに響いていると感じられるからである。「もし呪詛が加治 政 えられていると、人は必ずそのわざわいを受けた」とする白 あったという指摘は、人を驚愕させる。それが白川の意図 の であったかどうかはおいて、精神の起源は呪に潜む、と示 川の断定の背後には確信があり、その確信が白川自身の呪語 術的古代への身の重ね方から生じていることは疑いない。 唆しているに等しいからである。 これをはじめて読んだとき、折ロの歌のなかでもおそら 白川は発掘された殷代遺物の膨大な甲骨文を、自身、謄

3. 群像 2017年1月号

神の起源としての呪という見方が強く感じられるのは、折フロイトは十九世紀人として科学的説明にこだわったが、 ロや白川のほうであって、欧米の人類学者のほうではな説明するという行為、解釈するという行為そのものが、も タンバイアはクーンを論じ、フーコーに言及するが、 ともと呪的な行為だったと思えば、 しし。バラダイムも知の 科学への信頼、普遍への信頼は、バラダイムという語に 考古学もそこに着目したのだと考えれば、奥行きが深ま よっていくぶん相対化されるにせよ、少しも揺るがないよ る。守備範囲はイデオロギーという語に等しい うに見える 9 むろん、折ロも白川も科学を信頼しないわけ 見ることが呪的行為の筆頭としてあったと、白川は繰り ではない 9 だが、あえていえば、二人には、科学は精神に返し述べているが、見るという呪的行為がどのようにして よって支えられ、精神は呪によって支えられていると考え 私という現象を惹き起こすのか。 ていたのではないかと思わせるところがある。基本的に、 見るは、見わたす ( 見つめる、見える、見なす、といっ 私という現象そのものが呪的な仕組をもっていると考えて た拡がりをもつ。さらに、見せる、見せしめるといった反 いるのである。たとえば呪を古代イデオロギーとでも言い 転をもつ。 換えてみるといし 人は、見わたすこと、すなわち俯瞰することによって事 白川が呪の力として強調するのは、見る力と、言葉のカ物、事象を、把握し、掌握する。道が地図と不可分である の二つである。 ことはいうまでもない。歩くとき、人はすでに自身を上空 目は心の窓とは言い古されたことだが、目と精神の関係から眺めているのである。そうでなければ、上下前後左 を正面から取り上げ、論じ切ることなく死去した哲学者に 右、暗闇と同じで歩くことができない。上空からの眺めを メルロ日ポンティがいる。折ロや白川の仕事は、フレイザ把握しているからこそ、人はたやすく後続するものに地図 マリノウスキー、モースの仕事以上に、メルロ日ポン 文字以前の文字ーーを描いて示すこ七ができる。地図 ティらの仕事を思わせることのほうが多い。後に少し触れ は基本的に鳥瞰図だが、 鳥瞰図は飛行機が実用に供される るが、メルロポンティの最後の著書は『眼と精神』であ はるか以前から存在していた。飛行機が鳥瞰図を生んだの り、遺著は『見えるものと見えないもの』である。また、 ではない。鳥瞰図が飛行機を生んだのである。鳥瞰図は言 折ロや白川の仕事には、民俗学者、人類学者よりも、むし 語以前から存在していたと考えるべきである。人はーーー他 ろフロイトやユンクといった精神分析学者の仕事に近いと の動物もそうだがーーー目を見開くことによってたやすく鳥 ころがある。フロイトやユンクも、私という仕組そのもの になりえたのである。逃げる兎は鷹の眼で自分の後姿を が呪的な仕組をもっと考えたのだと思えば分かりやすい 追っているのだ。 274

4. 群像 2017年1月号

白川静『孔子伝』『文字講話』 岡潔『春宵十話』 内田樹 として、早く孤児となり、卑賤のうちに成長したのであ ろう。そしてそのことが、人間についてはじめて深い凝 視を寄せたこの偉大な哲人を生み出したのであろう。思 想は富貴の身分から生まれるものではない。 この引用の中には四つの文が含まれている。二つは「であ ろう」という推測であり、二つは断定である。司馬遷の孔子 についての物語を「すべて虚構である」と断定するためには どれほどの学殖の裏づけが要るのか、私には想像も及ばな 。寝食を忘れ、世事を遠く離れた数十年の研究生活が必要 私自身はどういう文章を「美しい日本語」として読んでいる だろうということしかわからない。 のだろう。ふだんはそのような問いを主題的に考えることは もう一つの断定は「思想は富貴の身分から生まれるもので ないので寄稿依頼を奇貨として、それについて考えてみた。 はない」の一言である。これは今の断定とは違って、学識の 「美しい」の汎通的な定義は私にはわからない。けれども、 支えが言わせた言葉ではない。白川静という一人の人間がそ 自分がどういう文章を好むかは知っている。書棚を眺めて、 の実存を懸けて言い切った一言である。学問的な命題であれ 目に付く本をいくつか選び出した。 森銑三『明治人物閑話』、中島敦『名人伝』、吉田満『戦艦ば、いずれ新資料の発見などで所説が覆される可能性はある 大和ノ最期』、福沢諭吉『瘠我慢の説』、幸徳秋水『兆民先かもしれない。だが、この一言の重みは白川静という人がこの 生』、勝小吉『夢酔独言』、穂積陳重『復讐と法律』、丸山眞世にいたという事実そのものが担保して揺らぐことがない。 次は『文字講話』から。これは講義を採録したので話し一言 男『超国家主義の論理と心理』。これらの本の文章が私に い。たしかに好尚にあ葉であるが、白川静の文体の骨法は変わらない。 とっての「美しい日本語」の見本らし きらかな偏りがある。どのような偏りなのか。とりあえず二 目の呪力を強めるために、目の上に呪飾をつける。今 人を選んだ。まず白川静の『孔子伝』から。 の人もまぶたなどにつけ毛をしますね。昔は呪的な行為 をする、そういう重要な時に眉飾をつける。 ( 中略 ) 眉 孔子の世系についての「史記〕などにしるす物語は、 飾は女の人が用いることが多く、その字は媚。媚とは女 すべて虚構である。孔子はおそらく、名もない巫女の子 美しい日本語

5. 群像 2017年1月号

多くが恋愛成就を願うものであることは、古今東西変わり げるのである。それはかっての、征服支配の事実を儀礼 ようがない。漢の時代に、『詩経』は原意を捻じ曲げられ 的に実修する、客神参上の儀式である。客は金文では、 て、儒教の教えに添うものであるかのように変えられた 各・格と同じように、「いたる」という動詞にも用いら れている。 ーー変えたほうはそれこそ原意と考えたーーーわけだが、そ んなふうにして層が形成されてゆくわけである。 白川の折口に対する呼応は、第三章「神聖王朝の構造」 折ロの「まれびと」論が古代一般に通用するものである においていっそう顕著であるというべきかもしれない。小 と指摘しているようなものだ。白川はさらに「古代にあっ 見出し「客神について」のもとに次のような記述が展開す ては、国を滅ばすことは、その民人を滅ばすことではな るが、ここには折ロの「まれびと」への呼応が歴然として かった。その奉ずる神を支配し、その祖霊を支配すること いるというべきだろう。 であった」とも述べているが、この神々の戦いをめぐる記 述は、古代中国に当てはまる以上に、古代日本にーーたと えば『古事記』などにーー、当てはまるのではないかとの思 宗廟に祖霊をまつるとき、客神を迎えることがあっ いを禁じえない。 た。召にこたえて、廟中におとずれてくる神を、客と いった。わが国でいう「まらうど」である。わが国で 白川は、古代のあらゆる事象において中国はより荒々し は、まろうどの字に客をあてている。わが国の古い時代 く日本はより穏やかであるとの印象を折に触れてしるして における漢字のよみかた、いわゆる古訓には、字義に即 いるが、むろん中国も一様ではない。鳥越憲三郎は『古代 して、きわめて正確なものが多い。彦を「ひこ」とよんで 中国と倭族』 ( 二〇〇〇 ) などにおいて、中原すなわち黄河 成人の意に用いるのも、字の原義に最も近い用法である。 流域のみを中心に中国史を記述して怪しまない流儀ーーー日 しゅうしよう 中両国の中国史の欠陥と思えるーーーの始まりを司馬遷の 客は客神を意味した。「詩経〕の周頌に、〔有客〔と 『史記』に帰し、黄河ではなく長江流域を中心とする新し いう一篇がある。客神が白馬に乗って、くさぐさのささ げものをもって、祭場に臨んでくる。その姿は、しずし い古代中国史を構想している。楚の地、呉越の地をさらに ずとして、つつしみ深い これを迎えるものは、たづな遡って日本との関係を探ろうとする学者がいまようやく出 でその馬をつなぎ、これを追うしぐさをする。そしてお はじめている。連載第一回で触れた歴史一一一一口語学の松本克己 どろく馬をなだめすかして、なぐさめるしぐさをする。 もその代表的なひとりであると思われる。だが、呪に漢字 の起源を探ろうとする白川の説は、殷を遡ってむしろ長江 客神はやがて心なごんで、かぎりない祝福を廟神にささ 272

6. 群像 2017年1月号

るのである。折ロや白川はそう考えていたと思われる。 わばそこに、現代にまで続く思考の水脈のはるかな源泉を 見ようとしているのである。そういう意味では、繰り返す が、呪術を現代に蘇生させたフロイトやユンクのほうが折 ロや白川に近いということになるだろう。私という現象を モースは、彼に先行する人類学者たちが「呪術をもって解明して、フロイトは無意識、ユンクは元型という図式ま 科学以前のある種の科学とみることでは一致して」 ( 『社会 で作り上げたのである。 学と人類学』 ) いたと述べているが、植民地時代の民俗学者 これらの図式が思考を刺激するのは、むろん目や言葉に や人類学者が見出した呪術者たちは、思考するものとして ついて論じているからではない。私なるものを思考の出発 ではなく、より多く行為するものとして考えられていたと 点に置くことが不可能であること、少なくとも、その権利 しし。その行為が彼らおよびその集団の世界観、宇は人間にはないことを告知しているからである。私は私の 宙観を示すとされているのであり、こうして未開社会の思 なかで起こっている思考を持続させようとしているが、そ 惟が考察の対象とされてゆくわけだが、行為者すなわち技れは私が思考しているということではない。ある思考が私 術者としての呪術者から疑似科学的な側面が除かれ、さら のなかで生起しているにすぎない。そう考えさせるのであ に宗教的な祭祀の担い手という側面が除かれると、たんに る。そしてその思考を私という場にもたらしているのは、 類似の法則と接触の法則に支えられた共感呪術、すなわち 私という現象をはるかに遡る、目の誕生であり、言葉の誕 迷信しか残らないということになる。並べられた迷信のな生であると思わせる。折ロや白川の思考が人を刺激する理 かからもっとも強い類型としてたとえば王殺しの話が残由もそこにある。呪は、人の目の誕生、人の言葉の誕生、 り、イエス・キリストの物語もその変容のひとつ、すなわ つまりは霊の誕生をくるんでいる胞衣のように見える。 ち豊穣を祈願する農耕儀礼のひとっとして分類されること 見ることがそのまま力であるとすれば、人がいっそうよ になる。これだけでも素晴らしい成果ということになる。 く見ようとするのは必然である。高みに向かうのも、馬に エリオットの「荒地」に霊感を与えたほどなのだから。 跨るのも必然である。小高い丘に館をつくり、塔を建てる だが、迷信は、たとえば目についての、あるいは言葉に のも、時に応じて領地を見て回るのも、領民に姿を見せる ついての、現生人類の誕生をはるかに遡って蓄積されてき のも必然である。二十世紀のヘーゲルともいうべきティャ ール・ド・シャルダンやルロワグーラン風の言い方でい たほとんど身体的といってよい思考によって支えられてい 人にそれを強要できるものと、強要できないものがいるだ けのことなのだ。 言語の政治学 277

7. 群像 2017年1月号

の呪術者です。殷の甲骨文には、目にくまどりをした一一一継ぎなしに一気に語られる、そういう「習合」的な文体こそ 千人の媚女に、並んで敵方を望ませることをトした例が がすぐれて日本的な文体なのだと私には思われるのである。 そこで「ありえないものとの習合」の消息を伝える文章をも あります。たぶんくまどりをした若い女が三千人、ずら りと前線にならんで、敵方を望んで呪詛をかけるのだと う一つ引く。岡潔が数学上の発見について述べた文である。 思います。それで戦いに勝ちますと、まずはじめに敵の 媚女を捕えて、敵方の呪力をなくする。それには媚女を 七、八番目の論文は戦争中に考えていたが、どうしても 殺すわけですが、その字は蔑。 ひとところうまくゆかなかった。ところが終戦の翌年宗 教に入り、なむあみだぶつをとなえて木魚をたたく生活 殷代というと、今から三千年ほど前の話である。なぜ白川 をしばらく続けた。こうしたある日、おっとめのあとで考 えがある方向へ向いて、わかってしまった。このときの 静はそのような太古の異邦の戦場のありさまを甲骨文の文字 わかり方は以前のものと大きくちがっており、牛乳に酸 だけを通して知ることができたのか。白川静は三千人の媚女 しちめんにあったものが固まり たちが前線から敵陣めがけて呪詛を送る風景を実際に幻視し を入れたときのように、、 になって分かれてしまったといったふうだった。それは たのだと私は思う。時空を超えて古代中国を訪れた体験がなけ ればこのような断定を軽々に下すことはできないからである。 宗教によって境地が進んだ結果、物が非常に見やすくな ったという感じだった。だから宗教の修行が数学の発展 破格の強度を持っ知性はときに限界を超えて「壁の向こ う」に抜けてしまう。知的な「プレークスルー」はそのよう に役立つのではないかという疑問がいまでも残っている。 語 ( 『春宵十話』 ) 本 な過激な知性によってしか担われることができない。白川先 ( 中略 ) 情操が深まれば境地が進む。 生の文章はそのことを私たちに教えてくれる。 多変数函数論と「なむあみだぶつ」の奇跡的な邂逅は、どの美 る 先のリストからわかると思うが、私は明治大正の文人たち ような体系的思弁も透明な詩想もこれを扱うことができない。 が自在に操った漢語まじりのごっごっした文体が好きであ生身の人間から流露する、剛毅でしなやかなことばだけがそ考 る。でも、ただ乾燥していて無骨なだけではもの足りない。 れらを包み込み、相容れないものの間に架橋することができる。 〇 素っ気ない骨格に、コロキアルでいささかの情緒的な湿り気 日本語の美しさは音韻やリズムや造形によって決されるも 五 が絡みつくような「ハイプリッド」なエクリチュールを私は のではない。日本文化の深層構造と深く同期することによっ てことばは美しくなる。私はそう思っている。 好む。出自を異にする思考や感覚が一文のうちに含まれ、息 美しい日本語

8. 群像 2017年1月号

れて、その音だけが残されているのである。 繰り返すが、呪術において視覚がもっとも重要なものと してあったことは、白川が一貫して力説するところであ 一転して、血なまぐさい記述である。見る行為がただち る。殷代の甲骨文は田猟の吉凶を問うト占に満ちている に文身に、文字にかかわり、さらに「ロ合戦」という呪一言 が、田猟すなわち当時の軍事演習は、支配者にとっては国 の応酬にかかわってゆく。見ることの呪的なカから言葉の 見であり示威であった。すなわち、国を見ることであり、 見るその姿を人々に見せることであった。そういう例に比呪的なカへの移行を素描しているのである。語弊を恐れず にいえば、戦争は、人類という種の展開にとって、深部に べれば、『詩経』の衛風「淇奥」にせよ、小雅「瞻彼洛矣」 おいてつねに重大な役割を果たしてきたということだ。こ にせよ、目の呪力を示すものとして適切かどうか、あまり のことについてはよくよく考えなければならない。 にのどかで一瞬疑いたくなるが、先に引かれた『万葉集』 これもモースだったと思うが、未開人の男たちは日がな からの二首に対応させたのだろう。「白木綿花」に対して 「綠竹」を、「明石の門」に対して「洛の水」を置いたのだ呪的行為にあけくれていた、なぜなら隣村のものたちも自 と思われる。 分たちの村に呪いをかけていると信じられていたからであ その後に次のような記述がある。 るという意味のことを述べている。進歩史観に与しようと はまったく思わないが、未開人と呼ばれるものたちがここ びしよく 眼の呪力を強めるために、ときに目の上に媚飾を加 で呪から精神の領域へと進もうとしていることは、私には ふじよ えることがある。媚はシャーマン的な巫女であった。 疑いないと思える。それは目から言葉への離陸を示してい ( 中略 ) 媚女は異族との戦いのとき、つねにその先頭に る。未開人だけではない。人はこの過程をほとんど日々、 じゅそ 立った。敵に呪詛をかけるためである。勝敗は、両軍の・繰り返しているのだ。 白川の引用の後には、さらに次の一節が続く。 媚女の呪力の優劣にかかっていた。のちのロ合戦といわ れるものは、そのなごりであろう。 ( 中略 ) 戦いに勝った場合、相手の呪力を殺ぐことが、何より 古代の人々にとって、聞くこと、見ることは、言うこ ととともに、深い意味のある行為であった。見ること も必要であった。敵の媚女は戈にかけて殺された。その は、相手の霊と交渉をもっことであり、ことばとしてあ 字は蔑、、 しまの軽蔑の蔑がそれである。蔑はその呪力を らわされたものは、相手にはたらきかけ、そのままに実 無くする意味であった。味方からいえば、それは戦功の 現されるべきものであった。ことだまの信仰は、原始の 成果である。戦功を伐ということがある。蔑の媚が省か 279 言語の政治学

9. 群像 2017年1月号

時代には普遍的なものであった。聖や聡のように、耳さ十二歳、文体に若さが漲っている。 ときものが神聖な人とされたのは、このような時代のこ 一節は、先に触れた巻一の第一、つまり『万葉集』全体 とである。 の劈頭を飾る雄略天皇御製への注釈だが、言葉をめぐる白 川の説をいっそう突っ込んだかたちで説明している。はじ 呪的行為としての「見る」から「言う」までが、一筆で めに御製の長歌を引く。「籠もよみ籠持ちふくしもよ 粗描されている。 みぶくし持ちこの止に菜摘ます児家聞かな名告ら さねそらみつやまとの国はおしなべて吾こそをれ タンバイアは原始古代の呪的な世界を描くにあたってオ ースティンのパフォーマティヴの概念を引いている。私は しきなべて吾こそませ我こそは告らめ家をも名を オースティンやサールの仕事に疑問をもっているが、それも」である。注釈は、「名告らさね」の万葉仮名表記「名 は別として、白川のこの記述が。ハフォーマティヴの概念を告沙根」のもとに収められているが、古代の「ことだま信 説明するにきわめて適切であることを疑うものではない。 仰」を浮き彫りにしている。長文だが、読みごたえがある。 パフォーマティヴとはすなわち遂行的発話、コンスタティ ヴすなわち陳述的発話の対概念である。古代において言葉 さねのさは、敬相を作る語尾。ねは、命令・希望の意 を表す接尾語。決して敬相語尾せの延言ではない。家の はそれじたい行為であり、また行為の成就であったという コトダマ とき、この概念はもっとも役立っというべきかもしれな り・名のりのことについては、上古一一一一口語精霊信仰の盛ん 。レヴィストロースの『悲しき熱帯』のなかに、調査 であった時代には、人の名も亦、人格の一部と考へてゐ していた村の女児が、レヴィ日ストロースのところに駆け た。此事は、世界を通じてのことゝ思はれる。或人の名 寄り、密かに他の女児の名を告げる場面があったと記憶し を知ることは、其人の人格生命を左右する力を獲た訣で ている。女児は他の女児に何か仕返ししたかったのであ ある。人格の一部と見て居るから、名を対象として、呪 る。名を告げるという行為がきわめて重大な意味をもって 詛することも出来るのである。其で、他人に名を知られ オホナムチノミコト 】ることを忌んだ。大汝命を多名持の義と言ふのも、 しることが分かるが、白川が書いているのはそういうこと 古代の民間語原説で、世間広い人程、何れが本道の名だ このことについてはしかし、当然のことながら、折ロの か、訣らぬ様にして置く必要があったのであらう。七人 記述を引くに如くはない。たとえば、大正八 ( 一九一九 ) 将門や、真田の影武者の様に。名を隠す風は、男には保 ち切れなくなって後も、女には長く維持せられて居た。 年の『万葉集講義』に次の一節がある。ちなみに折ロは三 、、つ ) 0

10. 群像 2017年1月号

流域を重視しようとする新たな見方に対しても、じつは強も漢字に占める量は圧倒的である。文も彡も入れ墨を意味 い適合性をもっているといっていい。実質的に、漢字の南するが、その系列だけでも相当な数に上る。世上いわれる 方起源説を示唆しているからである。連載第一回でも軽く貝偏の文字ーーー売 ( 賣 ) 買など経済関係の文字のほとんど 触れたが、その根拠を挙げておく。 をも含めれば、過半を制することにもなりかねない。 『漢字』最終章「人の一生」に、「文身の俗」すなわち いずれにせよ白川は、漢字の起源がさまざまなかたちで殷 「入れ墨の習俗」と小見出しされた一節がある。「生まれる をさらに遡ることは当然のことと考えているのである。 ことを産といった。産の本字は産、もと文に従う字で、文 はひたいに加えた文身の象である。厂はひたいの形」と書 き出されている。象形文字と入れ墨とが密接に関連するこ フレイザ とが示唆されているのである。「文身は、一定の年齢に達 呪とは何かについて考える場合、タイラー するごとに行なわれた。彦 ( 彦 ) は顔に文身を加えた形で 、マリノウスキー、モースら、民俗学者、人類学者の説 あるが、顔とはひたいの部分をいう。顏 ( 顔 ) は文身を加を参照するのが常套である。この系列のなかで比較的新し しゅうめんばん ー・・タンバイアの『呪術・科 えたひたいである。中国の南方には、繍面蛮のように、 い文献としてスタンレ しゅうきやくばん 顔中に文身を加えるものや、繍脚蛮のように脚にそれを学・宗教ー 1 人類学における「普遍」と「相対」』 ( 原著一 九九〇、邦訳一九九六 ) があるが、その冒頭には、モルガン 加えるものなどもあった」と、その習俗が南方出自である むね明記されている。 『古代社会』、マリノウスキー『呪術、科学、宗教』などの さらに、「文身はもと沿海民族、夷系の俗であった」と書が挙げられた後に、タイラー、フレイザー、デュルケー ム、モース、レヴィⅡプリュル、レーナルト、ラドクリフ 付け加えたうえ、「その俗は、古くわが国にもあった。「後 げいめん プラウン、エヴァンズプリチャードらの名が連ねら 漢書〕東夷伝に、倭国では男子はみな黥面文身、身分に かもん れている。 よって大小や花文を異にしているとしている」と日本にも 言及したうえで、「東アジアの沿海から太平洋の沿岸一帯 これら英仏の人類学者を一概に扱うわけにはいかよ、 が、しかしあえて折ロや白川の所論と対比すれば、そこに にわたって、文身の俗をもっ種族は五十以上を数えるが、 内陸にはその俗がない。 ごのことは、文身に関する文字は外部から観察し分析しようとするものと内部に入って感 じ考えようとするものほどの違いがあるように私には思わ が、夷系の文化圏で成立したものであることを示してい れる。むろんそれは違いであって優劣ではない。だが、精 る」としるしている。かりに文身に関する文字だけとして がん 学 治 政 の 273