行なわ - みる会図書館


検索対象: Voice 2016年10月号
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1. Voice 2016年10月号

の緊張関係を緩和し、信頼関係を養い、戦争によらない平 いからである 和な相互関係を築いていく機能をもっていることです。 こうした機能をもっ交易の起源は、おそろしく古いも 太古の日本人も、ポリネシア人と同じように、物は物 それ自体としてあるのではなく、それを産んだ土地や氏ので、原始の時代から異種族間で行なわれたと考えられ ています。人類学の研究からも、未開社会の交易は経済 族の魂を宿している ( 付着している ) と考えていたこと 的な目的からではなく、贈り物を交わし合うことで互い は確かだと思われます。 に慰撫し合い、対立を避ける目的で行なわれたことが知 モースは、物が贈与した者の手を離れても、物に付い た魂はなお贈与した者の所有としてその物にとどまってられます。 こうした精神的な意義をもっ贈与 ( プレゼント ) の習 いるので、返礼の義務を果たさないかぎり、その魂のカ の働きを免れることができない、と理解しています。モ慣はいまも生きています。贈与される物には贈り主の感 ースははっきりいってはいませんが、お返しをしないと謝や祝意などの「心がこもっている ( 魂を宿している ) ー のです。ですから、必要に応じて、何らかの形をもって 贈与した側のもっ呪術的な威力に服従することになる、 と考えたからだと思います。別の言い方をすれば、「相その心をお返しするのが礼儀なのです。 とりこ 経済関係は物と物との交換で始まりますが、古くは物 手の善意の虜」になったままではいたくない、というこ は、たんなる物質とは見なされていなかったのです。そ とではなかったでしようか。現代的にいえば、有り難い けれど貰ったままでは心苦しくて仕方がない、というこれは、あらゆる物に「神が宿る、魂が宿る」と考えたか探 らです。したがって、最も初期の交換の主人公は魂でし とになるでしよう。 の た。ですから物の意義は、大切な魂を乗せて運ぶ「乗り嫡 交易もたんなる経済交換ではなく、贈与の精神にのつ ふさわ の とったものでした。幕末の黒船来航を契機とする開国が物ーとしていかに相応しいものであるか、にありまし人 た。ここが商業というものを考えていく出発点になりま そうであったように、古く国交というものはまず交易か 〈以下、次号〉 ら始まるのが常でした。交易で重要なことは、国と国とす。

2. Voice 2016年10月号

いぶ することで、互いに慰撫し合う機能をもった「贈与経済 大切な「魂を宿す物」の贈与 ( ギフトエコノミ↓ーの世界だったと論じています。ま たフランスの人類学者マルセル・モースは、ポリネシア マレビトの原型は動物あるいは共同体の外部の異郷に社会での贈与について研究し、ポリネシア人がさまざま 属する人、いわゆる異人 ( ストレンジャ↓にあります。 な贈与関係を通じて社会的な統合性を形づくっているこ 異人は共同体の外の見知らぬ世界に属しているため、そ とを明らかにしています。 の正体がうかがい知れない存在です。そうした見ず知ら モ 1 スが『贈与論』 ( 有地亨訳、勁草書房刊 ) で示した ずの異人に対しては、接触を拒否して追い返すのではな 贈与の精神的な仕組みは、およそ次のように整理するこ 、精一杯もてなして気分よくお帰り願おうとするとこ とができます。 ろから、もてなしの習慣が生まれました。敵として対立 するのではなく、できるかぎり親密な関係を築いていこ 物を贈与されることは、その贈与者 ( あるいは共同 うとしたからです。 体 ) の魂の一部を分けてもらうことである。そして、 物品の交換も古くはそうした主旨で、外部の共同体と 返礼なしに贈与された物を所有し続けることは、未知 のあいだで行なわれました。しかしこれは、たんなる物 の威力を秘めた魂を持ち続けることだから、生命に関 の交換ではなく、お互いに共同体 ( 土地や氏族 ) の魂を わる危険性を避けられない。その危険性をなくすに 贈与しムロうところに意義がありました。このことは、日 は、必ず対抗贈与、つまりお返しをしなくてはならな い。 本人のあいだに古くからあった「あらゆる物に魂が宿 る」という信仰と深く関わっています。 贈与に対してお返しが行なわれるのは、物に付着し フランスの文化人類学者レヴィⅡストロースは、未開 ている魂がその物を産み出した氏族や土地に対して、 社会の経済は、外部の生活共同体との対立・戦いを避け 自分の代わりになりうる価値ある物を返すことを願う るため、自分たちにとって大切な「魂を宿す物」を交換 からで、誰もそうした魂の願いに逆らうことができな 192

3. Voice 2016年10月号

き、やがてバブルに近づいていくのです。 ンを長い時間越えることができませんでしたが、アベノ では、現在の日本は何時なのか。一国の経済状況は、 ミクス後は、日銀によって十分な金融緩和が行なわれ、 ようやく時計の針を進めることができた。その後は、典外的要因にも左右されますので、先に外国の状況から見 てみましよう。 型的には資産価格が上昇し、プームの状況に向かってい アメリカは、昨年十一一月に利上げを行なったので、十 成 景気況 作 一一時を回った形跡が濃厚です。さらなる利上げは、経済 氏 山 の失速を招く恐れがあり、現在は十一一時から一時のあい だで留まっている状態です。 中国は、不動産価格の下落に加えて、株価も下がって おり、四—五時に当たります。 ヨーロツ。ハは、一度は八時くらいまで針を進めました が、銀行問題が表面化し、七時に逆戻りしつつありま す。不良債権が膨らむイタリアの銀行危機だけでなく、 ドイツの銀行問題の影響に注目が集まります。 各国の状況を総合してみると、アメリカはピークを越 え、中国とヨーロツ。ハはポトムに近づいています。海外 ム ラ のいずれもマイナス要因が日本に影響しました。 フ そして現在の日本経済は、一昨年末にかけてアベノミ クスによって十一時近くまで進みましたが、消費税増税胤 でプレーキが掛かり、海外要因にも影響を受けた結果、 十時くらいに逆戻りしてしまいました。 山崎式経済時計 下げ相場 引き締めー資産価格 バブル 高値波乱 金融政策 緩和 好況 株価高すき 調整 ? 本格下落 ! イ フ レ 的 フ レ 的 株価安すぎ 不況 ノⅢ ノⅢ 不良債権累 金融政策 嫋景気 自律回復 リバウンド 流動性危機 信用収縮 ポトム とど

4. Voice 2016年10月号

くこと、これこそは、歴代の天皇がつねに、いかなる歴も同じく平安朝からの本来の意味も、近代に人っての日 史のなかでも護り続けてきた将来へつながる永一日遍な本と民と天皇にとっての肝心も生きていることである。 ちんじゅ 植樹祭とは、古来に鎮守の森と崇められてきたとお 在り方と考えられる。 くにたみ 、国民の平穏を護る木々への祈りが込められる祭で、 しかし陛下はご高齢によるご体力の低下から、これま でのように「全身全霊」で「象徴の務め」を果たされる沖縄県で行なわれた第四十四回の植樹祭を詠まれた御製 には、戦場となった地への永遠平和を祈られて松をお植 ことに危惧されるといわれる。ここにも、今上陛下のご えになられるお心も表れる。 誠実でどこまでも理想を求められる尊い人間性が強くに じみ出ているように感じられてならないのである。 第四十四回全国植樹祭沖縄県 やはり「お言葉」は、平成の〈新しい〔人間宣言〕〉 弥勒世よ願て揃りたる人たと からの、次代の国際社会における〈新しい象徴天皇像〉 戦場の跡に松よ植ゑたん へのお問いかけと考えられよう。 至高の〈人間愛〉 そして今上陛下がご即位以来お務めになっていらした ことが述べられた。 「何より」「大切に」なされたことこそは「国民の安寧 と幸せを祈る」こととされる。 これはたとえば、新年の一般参賀の際に、毎年、必 ず、同じく、陛下がおっしやり続けていることからも一 般の方に理解されやすいお心といえよう。また、毎年の 全国植樹祭・全国豊かな海づくり大会・国民体育大会に ( 平成五年 ) 国体も、天皇が民と一堂に会して、民と共に在る結び 合いの場で国民の平安を共にするもの、広島県で行なわ れた第五十一回での御製には、深い鎮魂も祈られる。 議 の 第五十一回国民体育大会秋季大会広島県 定 慰霊碑の火の燃え続く広島に 安 の 国体選手あまた集へり 皇 くにたみ ちんこん ( 平成八年 )

5. Voice 2016年10月号

いきさつが中心となっている。長いほうは、その前一一年間で行なわれた生物調査の結果に中心を 置き、クモやらダニやらへビやら、あるいはキノコや粘菌 ( 変形菌 ) などを含む、森のなかの生 き物たちと、それを調べる動植物の家たちの生態 ? が丁寧に紹介されている。ディレクター はフリーの伊寿彦氏で、虫好きなナチュラリスト。そういう人でなければこんな番組は作ら ない。余計なことだが、伊藤は伊文の伊藤で、ヤスヒコさんは曾孫。生物調査の具体的なあ れこれを請け負ったのは、環境指標生物の新里達畏。新里氏は知る人ぞ知るカミキリムシの 家。八月に明治神宮で行なわれた「不思議の森に集うーという一般向けの集まりでは、新里 氏の所属は「カミキリムシ」となっていた。 創建当時、全国から一〇万本の樹木が献木された。現在は一一一万六〇〇〇本に減っている。それ は当然で、木が大きくなって、その分滅びる木が出てくるからである。自然に間引かれてしま う。神宮の創建には政府の音尚も大きく関与したであろうが、森はまさに草莽の民の志による。 この森のの第一はここにあると思う。戦後風にいえば「民主的」な森である。しかもその後 の推移は、まったくの自然に任されている。木々の自由競争といってもいい。東京に森ができる としたら、こんな森ですよ。現在の神宮の森はそれを如実に示している。 もう一つのは、この森がまったくの人工林だということである。人工でも百年経てばここ までになる。世界自然に代表されるように、自然といえば、いまはまず「人手が人っていな い」ことが注目される。しかし人跡未踏ということは、人間には関係だということでもある。 世界がここまで都市化してしまった現在、人工林の育成という課題はきわめて重い。たとえば中 国の未来をお考えいただきたい。黄砂は日本にも大量に降ってくる。余計なお世話といわれるに 違いないが、中国は尖閣より神宮の森に注目すべきであろう。広い中国に空き地がないはずがな く、そこに植樹する力が北京政府にないはずがない。あとは百年を待てばいい。日本人のヴォラ ンティアが中国に植樹していると聞いているが、根本的にはご本人が本気にならなきや、埒が明 そら - 、もう

6. Voice 2016年10月号

る意図をもっており、短時間で判断をしなければならな い。そのときにどう行動するか。最初に叩き込まれたの 広後 / 一 は「任務分析」を必ずやれ、ということでした。部隊の 職下咥 勤褪り経多任務や組織のなかでの地位、役割、達成すべき目標。こ に任よのど 庁歴山庫山海 れらを押さえたうえで、敵や自分の戦力比較や地形の分 京ど杉社杉 凍な上英仕美析をして作戦を立てる。このような基礎教育を長く受け れ長説成 ま室小年行」 ました。 生策 3 % 刊村 京政に。 次に指揮官を支える幕僚の教育として受けたのが、物 かな 年局 」将事に取り組む優先順位のつけ方です。まず、時宜に適っ 整る人山 博調入房鷹「 た活動をする「適時性」。一一番目は、先を見通す「先行 事に強い関心をもちました。 性」。三番目は、さまざまな組織や人と調整しながら同 童門自衛官の幹部候補生向けの講義を担当した際、 時並行的に仕事を行なう「並行性」。最後が、緻密で完 防衛庁 ( 当時 ) から自衛官が行なう誓いの内容を取り寄全な仕事をめざす「完全性」。この順番が大事であり、 てきせんへいかん せてもらったことがあります。そのなかに「身命を賭し よく「適・先・並・完」と覚えさせられました。 て」という一一一口葉が書いてあった。先の安保法制をめぐる もう一つ、先輩から教えられたのが「結論から先に述 議論にも関連しますが、「安全な戦場」なんてものは、村べる」ということです。「やれるのか、やらないのか、 井知事の一言葉を借りれば机上の空論でしかないことは、 まず先にいえ。そのあとで理由を述べよーと口を酸つば 当の自衛官がいちばんよく知っています。紛争地に派遣 くしていわれました。二〇一一年三月十一日、東日本大 される自衛官は皆、覚悟して現地へ赴くわけですから。 震災が起こった直後には、重要な決断を次々に下す必要 村井おっしやるとおりです。自衛隊で私が学んだも がありましたが、自衛隊時代に学んだことがほんとうに のは、究極の「ハウッー」です。相手はこちらを撃滅す役に立ちました。

7. Voice 2016年10月号

「希にやって来る人」だからマレビトと呼んだともいわる神が村を訪れ、人々に祝福を与えるという形で行なわ れます。ナマハゲは年に一度やって来る歳神であり、恐 れます。 とこよのくに 島国の日本では、海の彼方の異境に常世国という豊穣ろしい形相の面を付け、包丁を手にし、蓑笠を着るとい な地があり、その地から幸せをもたらしにやって来る神う異形で現れます。 海から訪れるマレビト神には、沖縄県八重山列島の豊 があるという信仰が古くからありました。穀物や果実の 豊かな稔り、豊漁などの恵みをもたらす自然の威力への年祭 ( プールイ ) に登場するアカマタ・クロマタと呼ば 信仰が、島国特有の海の彼方の地への憧れと結び付いたれる来訪神があります。アカマタ・クロマタは、海の彼 方のニライ・カナイ ( ニライスクともいう。本土の常世国 信仰といえるでしよう。 に相当 ) から村を訪れ、稲の豊作をもたらすとされてい この、海の彼方からやって来る神を待ち望むマレビト 信仰は、山の神への信仰、また春に山から平地へ降りてます。アカマタ・クロマタは仮面を被り、草木の葉を身 来る田の神への信仰ともなり、新年に村々を訪れる歳神にまとうといった異形で祭場に登場します。 こうしたマレビト ( 客人 ) 信仰の古い姿は、北海道で ( 年神 ) への信仰ともなり、盆にやって来る祖先神への とし 信仰ともなっていきます。いずれも季の節目にやって来季節の変わり目に行なわれるアイヌの熊祭に見ることが できる、といえるかもしれません。 て、人々に恵みをもたらすのです。 アイヌ語で熊祭をイオマンテ ( 神送り ) といいます。 マレビトは異界・異境からやって来る客人神ですの イオマンテは、熊の姿でやって来た神の皮や肉を脱が探 で、通常の人とは異なる姿 ( 異形 ) で、豊かな富を携え せ、その魂を神の国へ送り返す儀礼です。アイヌ語で客 て季節ごとに村々を訪れると信じられました。 の 山から訪れるマレビト神の信仰は、秋田県・男鹿半島人をマラットといいますが、イオマンテでの熊もマラッ商 トと呼ばれます。日本語では客人をマレビトともマロウ人 で毎年十二月三十一日 ( または一月十五日 ) の夜に行な ドともいいます。マロウドもマラットも元は同じ言葉だ われるナマハゲの行事に、よくうかがうことができま ったと考えられます。 す。この行事は、年越しの晩に山からナマハゲと呼ばれ

8. Voice 2016年10月号

村井ええ。 童門現在、私は目黒 ( 東京都 ) の自衛隊幹部学校で 政治の「原点」を思い出させてくれる本 「徳育」の講義を行なっているのですが、以前は久留米 の幹部学校で教えていました。久留米の幹部学校という 村井今回は尊敬する童門先生と対談する機会をいた だきまして、非常に嬉しく思います。童門先生の『小説ことは、村井知事は伝統行事である高良山の登山走 ( 標 うえすぎようざん ・二 E) も経験されたわけですね。 上杉鷹山』は私の座右の書であり、このご本を読むこと高三一二 村井はい。ヒイヒイいいながら、何とか登りました によって、つねに政治家の「原点」に戻ることができます。 ( 笑 ) 。幹部学校卒業後はヘリコプターの。ハイロットとし 童門ありがとうございます。上杉鷹山はいまから二 かすみのめ 百年以上前の米沢藩主 ( 山形県米沢市 ) で、九州の小藩て、東北方面航空隊 ( 仙台霞目駐屯地 ) に赴任しまし から名門の上杉家に養子に入り、見事に藩財政を立て直た。これが私と宮城とのご縁の始まりです。その後、一 した人物です。『小説上杉鷹山』は私の代表作の一つ等陸尉に任官し、結婚して子供も生まれ、それなりに充 であり、私も村井知事と鷹山について語り合えることを実した生活を送っていたのですが、ちょうど昭和から平 成に元号が変わったころ、 ( 国連平和維持活動 ) 楽しみにしておりました。 村井童門先生のご本は私に政治の「原点」を思い出への自衛隊派遣問題が起こりました。当時の国会では さまっ 「小銃は武器なのか、武器ではないのか」といった些末 させてくれると申し上げましたが、同じく政治家として のバックポーンにな 0 ている経験は、自衛隊と松下政経な議論が行なわれていましたが、われわれ自衛官からす 興 復 塾で得たものです。高校まで比較的、恵まれた環境で育れば、机上の空論にしか思えませんでした。 そんなとき、たまたま目にしたのが、松下政経塾の募 った私が防衛大学校に進学したのは「自分を鍛え直した い」という思いからで、防大を卒業後は当然のごとく陸集広告だったんです。「志のみ持参」というキャッチコ鷹 上 ピーを見て、自分にはお金はないけれど、これなら行け 上自衛官に任官し、幹部候補生学校に入校しました。 るかもしれないと思い、このとき初めて政治家という仕 童門幹部学校は久留米 ( 福岡県 ) のほうでしたか。

9. Voice 2016年10月号

私個人の部分はどのようであるのだろうかと考えさせ て真摯に受けとめ、虚心坦懐に陛下のお一一一口葉を拝読させ られる。筆者は、この、「個人」と申すお言葉を受けて ていただきながら、筆者のもちうる限りの知と理解と心 は、直ちに、「人間」と解したものである。現天皇の、 持ちとをもって以下、筆者なりの受けとめをここにまと めたい。 ご自分のお立場のご選択や、小論で最後に拝読させてい ただく「お言葉」に込められたご継承のなさり方などに ついて、ご自身やご自分のご「家族」 ( 「お言葉」中の表 ニ千年の歴史を今に生きる 現 ) でご決定なされない状況にあって、「お言葉」のな かで述べられる象徴の務めを「全身全霊」で果たされて いよいよ今回の「お言葉」で、陛下がお伝えになられ いらした旨と併せると、筆者には今回の「お一言葉」は人たい ( お思い ) ( お考え ) に入る。 間となされての〃魂からのご表出〃、と、鋭く受け止め 陛下は、ご即位以来に行なわれていらした「国事行 られたのである。 為」と共に、「日本国憲法下で象徴と位置づけられた天 昭和天皇によって昭和二十一年一月一日に「詔書」皇の望ましい在り方」を、日々に及ばれ模索なされてい 〔人間宣言〕が発せられている。すると、平成二十八年らしたと述べる。 八月八日今上陛下の「お一言葉」とは、戦後七十年を経た ひとつは「伝統の継承者」としてそれを「守り続ける 節目の今、七十年間に進歩した日本とそういう日本を取責任」とされた。 さいし り囲む国際社会全体の進展のなかで今上陛下が大系化な これは天皇の本来においては〈祭祀〉となろう。 されていらした天皇の「在り方」をもとに、現在から将 現代の宮中に伝わる祭祀は、ほとんどが平安時代に完 まつり みかど 来の国際社会へ向けてお望みなされる〈新しい時代の象成された祭で、そこには帝がすべての〈人間の長寿と国 徴天皇像〉への、昭和の【人間宣言〕に続き重なる平成の平安を祈る〉という、人間存在の本質からの願いが深 の〈新しい〔人間宣言〕〉とも考えられてくる。 く生きていた。たとえば正月元日の四方拝では、帝は天 くにたみ 歴史上も重要な、日本の国の姿からも本質となるテー 地四方の神々と代々の皇祖に国民の災を払って安泰を祈 にいなめのまつり マを問われた八月八日「お言葉」を受けて、一国民とし 、十一月のなかの卯の日に行なわれた新嘗祭では一 わたくし しうはい

10. Voice 2016年10月号

第第ドヤ款 小遊三じつは何年も前から、私ども落語芸術協会は 海外興行にも力を人れています。歌丸師匠は以前、アメ リカやフランス、インドでも公演を行ないました。海外 公演の際は、スクリーンに字幕を映しながら、日本の寄 髜席と同じかたちで落語を披露するんです。 独特のリズムやテンボで進める落語は、外国人に 受け人れられるのでしようか ? 小遊三日本人が大してわかりもしないのにオペラに 興じているくらいですから、あちらも事情は同じ ( 笑 ) 。 それに、落語もオペラも、人情の悲哀や情事をネタにす る点は一緒です。ニュアンスが伝われば、外国人も落語 を面白がってくれるはず。 たしかに、オペラのように歌や衣装の豪華さで魅せる ことができない分、落語は不利かもしれません。でも、 せつかく海外の人に日本の伝統芸能を知ってもらうな ら、あまり小細工せずに「これが日本の文化だ」とスト レートに伝えることが大切だと思います。 一喜一憂しても仕方がない 落語の楽しい面ばかりがメディアで報じられる一 方で、噺家の苦労についてはほとんど触れられません。 川ⅢⅢ鬮ⅢⅢ間皿 155 不景気にこそ落語を楽しむ