ーの「新古典主義時代」以降の音楽いう。 祭典」を書いたのは三十一歳の時で にはまるで魅力を感じない。音楽家 これはすごく不思議なことでもあ ある。初演では大いに物議を醸した る。というのは、彼は若い頃、小説 が、まもなく一一十世紀を背負って立でもない私がこんなことを言えば怒 っ天才作曲家として認められ、将来られるのを承知で書くが、彼は「春家のマルセル・プルースト ( 『失わ れた時を求めて』の作者 ) に対し、 の祭典ーでピークを終えたと思う。 を大いに嘱望された。ところが彼は その曲を否定していたことがあった 彼の最高傑作は、一一十代の終わりか これ以後、作風をがらりと変える。 からだ。ある。ハーティーで、プルー ら三十代にかけて書いた三大バレエ それまでの前衛的な手法をやめ、 ストに「べート 1 ヴェンはお好きで バロック音楽 ( ヴィヴァルディの時音楽の「火の鳥」「ベトルーシュ 力」、そして「春の祭典」だと思う。 すか ? 」と訊かれた彼は、「大嫌い 代の音楽 ) や古典派 ( ハイドン、モ ーツアルト時代の音楽 ) のような簡この三曲こそ、若き天才がその才能です」と答えている。「しかし晩年 の四重奏曲はーー・」とプルーストが を爆発させた傑作ではないだろう 明な曲を書くようになる。彼のこの さえぎ 言いかけると、彼はそれを遮り、 時代は「新古典主義時代」と呼ばれか。 「べートーヴェンの書いたものの中 る。ちなみに「春の祭典」を書いて べートーヴェンは「大嫌い」 ? で日骼です」と言い放っている。 いたころは「原始主義時代」と呼ば 晩年になって、ある人にこのこと れる。ところが後には、十一一音技法 を訊かれたストラヴィンスキーはこ 余談だが、ストラヴィンスキーは を取り入れた作風に変化する。 う答えている。 ストラヴィンスキーほど作風が何晩年、十一一音技法にも背を向け、自 「べートーヴェンの晩年の弦楽四重 度も大きく変わった作曲家はいな分の作品さえも聴こうとはしなかっ い。そのために「カメレオン作曲た。最晩年に彼がレコードで聴いて奏曲を鶩するのは、当時のインテ リ文士のスタイルで、音楽的な いたのは、べートーヴェンが晩年に 家」と呼ばれることもある。 と言うよりも文学的ポーズだった。 しかし私自身はストラヴィンスキ書いた弦楽四重奏曲ばかりだったと
「春の祭典ーが当時の聴衆の反発を得ない。正直に言えば、「火の鳥」 言ったという話が残っている。 サッス買った理由は、あまりにも前衛的だや「ベトルーシュカ」の方が好みで 前衛詩人ジークフリート・ ったからだ。次々と拍子が変わってある。 1 ンは「春の祭典」の詩を書いてい あらが いく上に、無調に近い旋律、それに るが、その一部を抜粋するだけで、 しかし「春の祭典」には抗いがた 全曲にわたって妻まじい不協和音が い魅力があるのも事実である。この 彼がどう感じたのかがわかる。 曲を聴いていると、まだ言葉を持た 「指揮者をリンチにかけろ ! 太鼓満ちている。そのために当時の人々 の耳にはまるで理解しがたい音楽に なかった時代の人類の原始的な。ハワ の首を切れ ! 金管楽器を殺せ ! バリアン ( 野 聴こえたのだが、百年後の現代では 、敢えて言えばバ 弦楽器を血染めに ! 」 もはや古典的名曲として位置付けら蛮 ) なエネルギーのようなものを感 この曲に拒否反応を示したのは一 じる。それに三つの作品の中では最 般の聴衆だけではない。当時の大作れ、演奏会ではポピュラーな演目の 曲家のサンⅡサーンス ( 「動物の謝ひとっとなっている。この百年で聴もストラヴィンスキーの個性が色濃 く出ている作品である。 肉祭」などで知られる ) は、初演で衆の耳もそれだけ進歩したというこ とかもしれない。 この曲を聴き、冒頭部分を聴いただ とはいえ、四十年前に私が初めて 映像にシンクロしている けで、「楽器の使い方を知らない者の 曲は聞きたくない」といって席を立この曲を聴いたときの第一印象は、 この曲は、そもそもはストラヴィ ったといわれているし、またこの初「変な曲」というものだった。そし て「多分、何度聴いても好きにはな ンスキーが見た幻想から生まれた曲 演を指揮したピエール・モントウー だ。その幻想というのは、以下のよ ( 世界的指揮者 ) も、最初、スト一フれない曲だろうなあ」と思った。と うなものだ。 ヴィンスキーにこの曲をピアノで演ころが不思議なもので、今では普通 奏してもらった時、「一音符も理解に聴いている。もっとも大好きな曲 「異教徒たちが行なう厳粛な儀式の かと訊かれれば、徴妙と答えざるを場で、車座になった長老たちの前 できなかった」と後に語っている。 242
そうでなければ、私も大いに共鳴すたからだ。 ル・マルケヴィッチ指揮のフィルハ るところだった」 この二つのエピソードを知った上 ーモニア管弦楽団の演奏だ。一九五 この言葉は一見なるほどと思わせ で、ストラヴィンスキーの若い頃の 一年と一九五九年の一一種類あるが、 るものもあるが、私には苦しい言い 音楽を聴くと、彼はべートーヴェン どちらも素晴らしい。かって「春の 訳のように聞こえる。というのは同のことはまるで認めていなかったよ祭典」は複雑な変拍子のため、これ じ頃、大西洋を渡る船旅の中で、世 うに思う。しかし、晩年になり、よ を完璧に指揮できる指揮者はほとん 界的な指揮者のアルトウーロ・トス どいなかった。マルケヴィッチはこ うやくその魅力に気付いた可能性が ある。 カニーニと同席した際、ストラヴィ の曲を得意としており、「ミスタ ンスキーはべートーヴェンのことを 彼は年を経て様々な音楽を知るに サクレ・ド・プランタン ( ミス けな 「はったり屋」と貶し、トスカニー つれて、音楽の好みも変わっていっ ター春の祭典 ) 」という異名を持っ ニをかんかんに怒らせたことがあっ たのかもしれない。そう考えれば、 ていたほどだ。狂気に満ちた演奏で 作風の変化も頷ける。ただ、怖いも ある。ズービン・メ 1 タ指揮ロサン イ弦 ゼルス・フィル、 の知らずであった若い時の傑作は一一 ーモニー管弦楽団 かア 度と書くことはできなかった ( 晩年の演奏はスピード感抜群。それでい 祭←ン のストラヴィンスキーを評価する人 て迫力もあり、「春の祭典ーの魅力 ・イ定ジ がいたら、ごめんなさい ) 。 を十分に引き出している。ピエー キ、 9 ク ル・プーレーズ指揮クリープランド ン指田ジ イ 0 ヴッュ ミスター春の祭典 管弦楽団の演奏が素晴らしい。プー イ U) ミ トケ Q- ナ レーズ自身が前衛的な作曲家であるす スル いマワ 「春の祭典」の名盤も少なくない。 だけに、リズムと音の切れ味がい ゴル演元 一一売 イゴ楽発 〈以下、次号〉 まず第一に推したいのが、イゴー STRÅVINSKY PROK0 日 EV ℃ 0R MARKEVITCH
春の祭典 覚醒するランツク 第 40 回 五月二十九日、。ハリのシャンゼリゼ す 劇場だったが、伝え聞くところによ ト田よ で イ太と 中れば、曲が始まった途端に客席から 売 ! 0 海 偵の 発 嘲笑と同時に野次が飛び、劇場内は 遠一 永ュ 第 番 騒然となった。足踏みや拏尸で音楽 の功 はまったく聞こえなくなり、ダンサ 書究 退 た研 尚家 ーたちは何を頼りに踊ればいいのか 学な ) 儺大と収 社家所で わからなくなった。 田 志作に ) 成庫社 る 。構文 - を 劇場オーナーは観客に対して「と れノ社 ま談下す 生メ講 にかく最後まで聴いて下さい」と叫 阪のは カ 大ブ在 曲 んだが、騒ぎは収まらず、ついには ク版 の賛成派と反対派の観客同士が殴り合 ス出 いを始め、怪我人まで出たというか ら普通ではない。最後は憲兵隊が出 ろう。 動したというから、異様な事件であ る。新聞はこれを「春の災典」とい 野蛮なエネルギー いや、物議を醸したという言葉で う見出しで報じた。 はとても足りないくらいの大騒動だ 当時、。ハリの社交界の女王的存在 6 った。この曲は彼の三大バレエ音楽 クラシック音楽史上、最も物議を であったプールタレ伯爵夫人は「六 の最後に書かれた曲である ( 他の一一 醸した作品と言えば、イ 1 ゴル・ス トラヴィンスキー ( 一八八二ー一九曲は「火の鳥」と「ベトルーシュカ」 ) 。 十年の生涯でこんなに馬鹿にされた 七一 ) のバレエ音楽「春の祭典」だ 初演が行なわれたのは一九一三年作品は初めてだ」と顔を暖きせて かも 「カメレオン作曲家」 ストラヴィンスキーが見た幻想 ひやくたなおき けいれん
たちの神秘的なつどいー「生贄の賛は、宇宙空間における地球の誕生、 で、太陽の神の生贄として選ばれた 乙女が狂ったように踊りながら死ん美」「祖先の呼び出し」「祖先の儀そして原始の地球からの生命の誕 でいくーーこ 式」「生贄の踊り」の六つの曲から生、やがて恐竜が現れ、それが絶滅 していくまでのドラマである。スト できている。 まあ、なんとも奇妙な幻想であ る。 ラヴィンスキーは後にこの映画を観 物語は大地で乙女たちが踊ってい る。長老たちはその中から一人の乙て、そのシーンの内容が自分のイメ 曲は一一部構成で、第一部「大地の ージとまるで異なっていたことに衝 礼賛」は、「序奏」「春の兆し」「誘女を選び出す。乙女は喜びの踊りを 撃を受けたと言われている。しかし 拐」「春の輪舞」「敵の部族の遊戯」舞うが、いっしか狂乱状態になり、 『ファンタジア』で使われている音 「長老の行進」「長老の大地へのロづ踊りながら死ぬ。長老たちは乙女の け」「大地の踊り」の八つの曲から体を高く掲げ、太陽の花嫁になった楽は驚くほど映像にマッチしてい る。何も知らない人がそのシーンだ ことを喜ぶ できている。 け観たなら、その音楽は映画用に作 実に奇妙で不気味なストーリーを 舞台は古代ロシア、今まさに春を られたと勘違いするくらい映像にシ 迎えようとしている草原に、異教徒持ったバレエである。おそらくスト ンクロしている。「春の祭典」はそ ラヴィンスキーの頭の中には、この の男女たちが集まり、大地に感謝を ういうドラマの音楽として使っても 幻想と音楽が同時に誕生したのでは 捧げる。やがて長老たちが登場し、 ないだろうか。 違和感なく聴こえるのだ。 数人の乙女たちを生贄として大地に さんぜん 余談だが、「春の祭典ーはウォル 捧げる。その時、太陽が燦然と輝 「カメレオン作曲家」 ト・ディズニー制作の音楽アニメ映 き、太陽の神にも感謝を捧げるべき だと悟るーーこれが第一部の「大地画『ファンタジア』 ( 一九四〇年公 ストラヴィンスキーが「火の鳥」 開 ) の中でも使われている。面白い の礼賛」である。 「ベトルーシュカ」に続いて「春の 第二部「生贄」は、「序奏」「乙女のは、そこで使われているシーン いけにえ 243 覚醒するクラシック
らないための〈祈り〉とを願い続けていらした。その陛 下におかれては、。ハラオ共和国ご訪問こそがまさしく 「戦後七十年」の「大きな節目ーであったにちがいない。 併せて一一年後に迎える御即位から「三十年」となる大 事もある。 天皇の御即位より数えて十年・一一十年を民と共に年月 も重ねる慶賀は、次の御製に詠まれるとおり、天皇自身 にも民と心をひとつにし、民との祝意が心に「染む」大 慶なのである。 即位より十年たちて 日の暮れし広場につどふ人びとと 祝ひの調べともに聞き人る 即位一一十年の国民祭典にて 日の暮れし広場に集ふ人と聞く 心に染むる「太陽の国」 ( 平成十七年 ) この御製に詠まれたとおりに、戦争のない世を歩まれて きて、それに対してもあの困難な戦争の日を生きた人び とを思い出されてはさらに、戦争のない世を祈られてい 「平成三十年を迎え」る大事も大きい。 このような「お言葉」の冒頭からは、今上陛下の「満らした年月のつみ重ねを表されると拝見される。これに たっ ついては皇后陛下も「君が『歩み』」とは、一筋に崇と を持されての天皇となされてのご決意」が拝見される。 ぎよせい ( 平成二十一年 ) ( 平成十一年 ) このような「お言葉」から始まって次には、そういう硯 お一一一口葉へ至られたお気持ちが述べられる。 「私も八十を越え、体力の面などから様々な制約を 覚えることもあり、ここ数年、 振り返るとともに、この先のーや 第につき、思いを致すようになりました」 この「歩み」こそは、今上陛下がご自分のご人生を表 されたお言葉にほかならなく、それは、「歩みーを歌題 として表された御製、 歌会始御題歩み いくさ 戦なき世を歩みきて思ひ出づ かの難き日を生きし人々 かた
意味ではなかった筈だからである。「海ゆかば」はいふ こそなほ自分は殉じるのだといふ意味であって、例へば までもなく、大伴家持の長歌の一節にメロディーを付け 小林秀雄が戦後の座談会で「僕は馬鹿だから反省なぞし たものだ。 ない」と言ったといふ話とは全く違ふ。小林の場合は、 歴史といふ巨大な現象にどう処するかといふ処世術を語 「海ゆかば水漬く屍山ゆかば草生す屍大君の辺にこ ってゐる。小林の戦中の沈黙も、戦後に戦争批判に便乗 そ死なめ顧はせじー しなかった事も、モラリッシュに潔癖な、しかしあくまで も処世の術である。が、保田はここで、自分が発見した思 保田はここで、軍歌を引いたのではない、大伴家持の想、戦後徹底的に傷つき、否定された思想を、今こそ改 思想を引いたのである。家持の「大君の辺にこそ死なめて守るのだと言ってゐるのである。この違ひは大きい。 め」といふ思想を引いたのである。 なぜさう言へるのか。 歴史的に孤立した文献 保田こそは、萬葉集の頂点を柿本人麻呂と見る正岡子 規以後アララギに至る萬葉理解に対して、萬葉集の核心 保田與重郎は昭和十七年、大東亜戦争勃発直後に刊行 を大伴家持の側に見、家持の「大君の思想」を、標語と された大著『萬葉集の精神』の中で、次のやうに書いて ゐる。 してでなく思想として発見した人だったからである。そ して、彼が、萬葉集に家持の「大君の思想」を発見した のは、まさに支那事変から大東亜戦争にかけての「皇国 未曾有」の危機においてであった。 だから、保田が、戦後になってあへて「海ゆかばを歌 ひ、朝戸出の挨拶を残して、死す」と書いたのは、日本 の危機の中で自らが発見した「大君の思想」に、戦後に はず 古典復興の肝要の眼目は、アララギ風な文藝学的美 学を排し、国文学者的の文藝学を排し、さらに今日の 古典を利用する日本主義的論理を、これも又文明開化 の一遺物として批判するところに発生するのである。 全集六一一頁 198
ましにつながっていくのだ、と。個々人の努力の小さな いました。お金持ちだからといって、誰も尊敬なんかし 積み重ねがやがて大きな石垣となって、被災地の復興のない、と。それよりも、全体のために死ねるような人間 城となる。だからこそ、自分の仕事に手を抜いてはなら のほうが、お父さんは偉いと思う。そういう人間になっ ないのだ、と。 てほしい、といわれたことを思い出します。 村井そのとおりだと思います。 童門私は今年で八十九歳になりますが、被災地の子 覇道ではなく、王道の政治を 供に教えられて、また真人間に戻ることができたわけで まき す ( 笑 ) 。かっては薪を背負って本を読む二宮金次郎 童門ときどき、市長が集まる会などに呼ばれて講演 ( 尊徳 ) の銅像が、あちこちの学校に立っていましたね。 することがあります。決まったように出る質問は、「い その金次郎が読んでいたのは、中国古典の『大学』で くら正しいことをいっているつもりでも、なかなか人が す。この本が説くのは、修身 ( 身を修める ) 、斉家 ( 家を付いてこない、どうしたらいいか」というものです。そ 整える ) 、治国 ( この場合は地方を治める ) 、平天下 ( 天下んな難しい問題の解決策を聞かれても困るんですが を平らかにする ) の順序のこと。つまり、まず自分の身 ( 笑 ) 、こう答えるようにしています。一〇〇〇人のう を正しくし、次に家のことをしつかり整え、地方の自治ち、最初の理解者は五人ぐらいだと思ったほうがいい、 を確立し、最終的に天下、つまり国家の平和のために尽と。本人のやる気が町内に徐々にロコミで広がれば、五 くしなさい、という教えです。国民一人ひとりがこのよ人が一〇人になり、一〇人が一〇〇人になる。一〇〇〇 うに思わなければ、東北の復興はなりません。ただその人全員は無理でも、半数の五〇〇人が味方に付けば、改 しつけ ためには、どうしても子供のころの躾が大事というか、 革は成功するでしよう。 教育が絡んできますね。大人になって急に国家のために 村井童門先生が『小説上杉鷹山』でお書きになら 尽くしたいと思っても、それはハリポテにすぎない。 れているように、まずは少数でもいいから、改革の火種 村井そうですね。私が小さいころ、父もよくいってをつくることが大事なのですね。 132
いまは協会を頼っても、噺家の数が多いので落語を披でも「おつ、ラッキー」と思えるかどうか。平たくいえ 露する機会になかなか恵まれない。それなら、協会や流ば、陽気に毎日を過ごすことが大事でしよう。 派を超えて活躍の場を増やそうとして動いているのが、 いまの若い噺家のいいところです。彼らなりのやり方 Ⅷ落語で学ぶ「世辞愛嬌」 で、顔と名前を売っていけばいいと思います。 はくちょう ー最近では、三遊亭白鳥さんや春風亭一之輔さんの 小遊一一一師匠は卓球がお得意と聞きました。落語と ように、古典的なスタイルに縛られずに落語を披露する卓球に共通する点はありますか ? 噺家も頭角を現しています。 小遊三「絶対に負けられない」という気持ちで本番 小遊三頼もしいですね。物事を普通に見ているだけ に臨む点では、落語も同じです。 では、人は大して驚きません。どこか変わっている人、 勝ち負けだけで言い表せるものではありませんが、寄 面白い見方をしている人は、周りから疎まれやすい半席でウケたら噺家の勝ち、お客さんの雰囲気なりにしか 面、「面白そうだから高座に上がらせてみようーといっ できなかったら引き分け、シーンとしたまま終わったら てチャンスをもらい、かわいがられることが往々にして お客さんに負けた、ということ。お客さんを笑わせられ あります。 なかったのは迫力不足で、「相手を落語の世界に引き込 お弟子さんには、どういった指導をしますか。 んでやろう」という気持ちが欠けていたから。 小遊三私はたまたま運がよくて何とかなっているだ まさにお客さんとラリーをする感覚ですね。 けなので、「俺に追いつくには、俺の三倍は稽古するよ 小遊三「ちょっと寝ちゃいそうだから、ここで起こ うに」といっていますよ ( 笑 ) 。 してやれ」といった具合に、お客さんとの駆け引きも楽 もって生まれた運も落語家には必要です。運は努力し しんでいますよ。 て掴めるものではない。真打に昇進するにしても、テレ ちなみに、寄席ではその日に披露された演目がネタ帳 ビ番組に出て顔を売るにしても、重要なのはタイミング に記されます。べテランともなると、出番の前にネタ帳 です。人生で好機を逃さず、運を掴むには、些細なこと をザーツと見ただけで、「この演目だと反応が厳しいな」 158
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