温暖化がもたらす影響はわからないが、非常に大きな だ。数 % の料金の違いでも数千億円の利益額の差にな る。東日本大震災後の電気料金上昇により、製造業の支ものになる可能性もある。したがって、万が一に備えて 保険を掛け、何らかの対策を取らざるをえないと考えら 払う電気料金は一兆円増加した。製造業の人件費は年間 れる。火災保険と同じだ。家が火事になる可能性はわず 一一一十数兆円なので、中小企業を含む製造業全体で一一一 % の かだが、多くの人は火災保険を付保している。被害額の 賃上げ可能な額に相当する。燃料代は海外のサプライヤ ーに支払われるだけだが、人件費であれば、大半が消費大きさを考えると保険を掛けるメリットがあるからだ。 温暖化問題で保険を掛ける発想も、それと同じだ。保険 に回ることが期待できる。 安定的に競争力のある価格でエネルギー・電力を供給として化石燃料の消費を抑制し、低炭素電源と呼ばれる することはエネルギー政策の基本だが、それは製造業の再生可能エネルギーと原子力の利用を進める必要がある のだ。 業績に大きな影響を与え、結果、私たちの平均給与にも ここで問題は、保険料としてどれほどの額を負担でき 影響を与えるということだ。 るかだ。火災保険の保険料は負担可能なレベルに抑制さ 気候変動問題とエネルギー政策 の れているから、負担可能だ。保険により支払われる額の 石炭、石油などの化石燃料の消費増が一一酸化炭素の排何分の一かの多額の保険料が必要であれば、保険を掛け¥ 信 出量の増加を招くことから、エネルギー政策は、地球温る人はいなくなる。温暖化の問題も同じように考えられ 査 る。将来予想される被害額に対して、いま行なう対策の 暖化防止の観点からも重要だ。温暖化を招いているのは 温室効果ガスと呼ばれる一一酸化炭素などであると多くの費用が巨額であれば保険料が高すぎることになる。経済 科学者は考えている。しかし、温暖化は太陽の黒点など的なメリットは失われる。 の動きにより発生するとの説もあり、地球規模の問題で 温暖化対策としては、省エネによるエネルギー消費削類 原 あるがゆえに温暖化の原因を証明し、その結果を正確に減、新世代自動車による排出削減などがあるが、世界の 一一酸化炭素排出量の約四割を排出する発電部門では低炭 予測することは困難だ。
そこに最後に示される「常に途切れることなく」「安 に表されるようにも推察される。 それこそが、「典範」について陛下もお考えになって 定的に続いていく」「象徴天皇の務め」こそが、今回の おいでのさまざまな選択肢を、陛下と共に未来の日本社「お言葉」の最もの大切と鮮明になってくる。それは、 会を創ってゆく日本人一人一人も考え、その議論の過程 〈皇統の安定と永続〉 から始めて、将来の「共に在るー安寧な国の形を模索し こそが、じつは歴代天皇の最もの責任で、そのことは天 てゆく必要性といえよう。 皇の位とは一瞬たりとも空位になってはならないとの考 みかどおおんくらい のたま 時の帝が、御位をかけて宣われた「お言葉」なのであえ方からなのである。 るから、一部では一時的な法律改正でも、との案も出て すると日本国民も一人一人が、この「途切れ」ず「安 いると報道されているが、やはり、ここは、今上陛下の 定的に続いてゆくー方法を、天皇を象徴とする国と民と 御心に添っての根本からの議論と熟考とによる国民との の当事者として考える必要に迫られよう。 相互理解の上の、何らかの新しい方向性が必要といえよ そこでは、次代に天皇の座に御即位なさる皇太子殿下 の内親王様への将来における継承も選択肢のひとっとし 「そうした中」で「我が国の長い天皇の歴史」を振り返て議論の対象となろうか。 るとき、近代に至って使われるようになった " 君臣同 そもそも天皇直系の皇女とは、第十一代垂仁天皇皇 やまとひめのみこと 治〃との一一一暴で表される常に天皇と民とが歴史を築いて女・倭姫命以来、天皇から唯一に祭祀権を分与されて きたという日本の永い伝統が浮上してくる。これについ伊勢神宮に天皇の祖先女神・天照大神を奉斎してきた格 ては、昭和天皇も〔人間宣言〕について、〃君民同一〃 式をもっ存在で、今上陛下内親王・黒田清子様の祭主ご という考え方から、天皇の在り方として何ら変化するこ就任もその歴史と格式に拠る。 とのなかった伝統とも述べられている歴史。 さらに現在の、天皇が親任する官僚機構の律令体制を その歴史の上でさらに今後とも、将来において、天皇確立したのは、六世紀から八世紀までの六人八代の女性 家と国民とが共により良い形で日本の将来を築いてゆけ天皇方による「大宝律令」等の法整備、宮廷制度の完 る方法を陛下にはお考えと拝読される。 備、遣唐使等の外交政策から、水田開発での経済政策な
っとも私なら、こんな脅しは何でもない。いかにも党の 辞任しただけで、社会に大きな損害を与えるような恐ろ しい立場にいなかっただけでも、私たち普通の市民は身指導どおりに動くような顔をしておいて、投票所では全 く自由に別の名前を書く。宗教団体でもどこでも、団体 の幸福を思うべきだろう。 今回の知事選は、結果は別として、ドラマが分かりやが特定の人を推すということ自体が選挙違反だと私は思 っているが、個人的にそれに対抗する手段は残っている すくておもしろい。ということは、純文学ではなくて、 いささか安つぼいメロドラマ調だということだ。小池百のだから、何でもない。 私には関係ないことだが、十五日無料対話アプリを提 合子氏は権力志向型だというが、自民党公認を要請し、 それを拒否されると待っていたように「孤軍奮闘型」に供するが株式を日米で同時に上場した。世界に 切り換えた。とにかくその時々の戦略がよく見えて、分は今、一一億一千八百万人の利用者がいるというが、今に かりやすいのだ。「不当に、党利党略で冷たく捨てられ「当時はそれつぼっちだったの ? 」というようになるだ ろう。私の人生の後半生で成功したことの一つは、こう た女」を演じたタイミングもよかった。 私たちは人ごとでも「捨てられた女。の肩をもち、捨したに全く触れなかったことだ。それでも済ん だ、というのが正しかろう。何よりよかったのは、その てた男 ( つまり自民党 ) を激しく憎む。自民党はこんな ありふれた心理さえわからない人が舵を取っているらし時間を私はもっと別の有益なことに使えたからだ。何よ り人に会えた。家族のためにも働けた。 く、テレビの画面ではあからさまに小池氏をやつつけた 七月十三日、天皇陛下が生前退位のご意向を示され 石原伸晃大臣は、小池氏の票を奪うどころか、むしろ後 た。天皇が「人となりたまひて」からもう七十年以上。 押しをしただろう。自民党も、嘘かほんとうかわからな いが、党の認めない人に投票したら、その家族までを含私は誰によらず、 ( 犯罪の計画以外は ) その希望するとこ ろを叶えたいと願っている。それ以外に、その人の運命 めて党員資格剥奪だ、などという通達があったことが、 を決められる人間はいないからだ。陛下の場合、できる記 世間に洩れるようなことをする。安倍総理の指導力もど うなっているのだろう。 だけ早く : : : ご希望にそえたらいいのに、と思う。老年 の時間は若者の倍の速度で進むからだ。高齢者に対して こういう党員に対する弾圧は明らかな選挙違反だ。も
0 0 0 0 0 0 0 0 友を訪ねて 考える人になる 誰でもどこかで一度くらいは目にしたことがあるに違術教育を受けることなく彫刻家になった。アカデミーの しオし これほどまでに有名な彫刻がほかにあるだ手垢がいっさいっかなかったのは、むしろ幸運だったと ろ、つ、か いえるだろう。ロダンが登場するまで、彫刻家たちは自由 『考える人』は、フランスの彫刻家、オーギュスト・ロダン闊達に表現できなかった。既成の価値観にとらわれて、そ の代表作である。切り株のような台に腰掛けて、右手をあの呪縛から解き放たれるのが難しかったのだ。 ロダンは、室内装飾の職人として働きながら、こっこっ ごにつけ、左手は膝に置いて、前屈みの姿勢で沈思黙考す と彫刻を創り続けた。長い回り道の果てに、新設予定の国 る男性。いや、ほんとうは沈思黙考しているのではなく、 立美術館のために彫刻を依頼される。ところが美術館の 彼の真下に広がる奈落をのぞき込んでいるのかもしれな 計画が頓挫し、彫刻の依頼は白紙撤回された。それでも口 。「考える人ーとい、つタイトルがあまりにもこの像に びったりはまっているので、いかにも考え込んでいるよダンは創作を中断せす、自分のために作品を完成させた。 うに見えてしまう。しかし、このタイトルは、ロダンの死それが『地獄の門』であり『考える人』だったのだ。 静岡県立美術館は、ロダンの美術館として知られる。三 後、鋳造職人がつけたのだという。もともとは、ダンテの 『神曲』の中に登場する「地獄の門」をイメージした作品を二点ものロダン作品が「ロダン館ーに集められていて、圧 創ったときに、その一番上に添えられたのがこの人物像巻の眺めだ。もちろん、『地獄の門』も『考える人』もここに だった。 ある。沈思黙考中なのか、奈落をのぞき込んでいるのか 、パリロダンと向き合いなから、しばし、考える人になってみ 「近代彫刻の父ーといわれるロダンは、一八四〇年 の労働者階級の家庭に生まれ、生涯にわたって高度な美る Visit Art as Friends 原田マ ( 作家 ) はらだ 東京都生まれ。森美術館設立準備室などを経て、「カフーを待ちわびて』で第 、一回日本ラブストーリー大賞、『楽園のカンヴァス」で第一一十五回山本周五郎 6 ノ賞を受賞。近作に 9 ヴェルニーの食卓』『生きるほくら』がある。最新刊は、ピ田 カソの作品「ゲルニカ」を巡るアートサスペンス「暗幕のゲルニカ」 ( 新潮社 ) 。 0 0 0 0 ~
「希にやって来る人」だからマレビトと呼んだともいわる神が村を訪れ、人々に祝福を与えるという形で行なわ れます。ナマハゲは年に一度やって来る歳神であり、恐 れます。 とこよのくに 島国の日本では、海の彼方の異境に常世国という豊穣ろしい形相の面を付け、包丁を手にし、蓑笠を着るとい な地があり、その地から幸せをもたらしにやって来る神う異形で現れます。 海から訪れるマレビト神には、沖縄県八重山列島の豊 があるという信仰が古くからありました。穀物や果実の 豊かな稔り、豊漁などの恵みをもたらす自然の威力への年祭 ( プールイ ) に登場するアカマタ・クロマタと呼ば 信仰が、島国特有の海の彼方の地への憧れと結び付いたれる来訪神があります。アカマタ・クロマタは、海の彼 方のニライ・カナイ ( ニライスクともいう。本土の常世国 信仰といえるでしよう。 に相当 ) から村を訪れ、稲の豊作をもたらすとされてい この、海の彼方からやって来る神を待ち望むマレビト 信仰は、山の神への信仰、また春に山から平地へ降りてます。アカマタ・クロマタは仮面を被り、草木の葉を身 来る田の神への信仰ともなり、新年に村々を訪れる歳神にまとうといった異形で祭場に登場します。 こうしたマレビト ( 客人 ) 信仰の古い姿は、北海道で ( 年神 ) への信仰ともなり、盆にやって来る祖先神への とし 信仰ともなっていきます。いずれも季の節目にやって来季節の変わり目に行なわれるアイヌの熊祭に見ることが できる、といえるかもしれません。 て、人々に恵みをもたらすのです。 アイヌ語で熊祭をイオマンテ ( 神送り ) といいます。 マレビトは異界・異境からやって来る客人神ですの イオマンテは、熊の姿でやって来た神の皮や肉を脱が探 で、通常の人とは異なる姿 ( 異形 ) で、豊かな富を携え せ、その魂を神の国へ送り返す儀礼です。アイヌ語で客 て季節ごとに村々を訪れると信じられました。 の 山から訪れるマレビト神の信仰は、秋田県・男鹿半島人をマラットといいますが、イオマンテでの熊もマラッ商 トと呼ばれます。日本語では客人をマレビトともマロウ人 で毎年十二月三十一日 ( または一月十五日 ) の夜に行な ドともいいます。マロウドもマラットも元は同じ言葉だ われるナマハゲの行事に、よくうかがうことができま ったと考えられます。 す。この行事は、年越しの晩に山からナマハゲと呼ばれ
です。できるだけ多くの人に会って、意見を聞くように 養子に人った経歴から、家中をまとめるのに苦労しまし したのです。周囲の声に耳を傾けず、いきなりトップダ た。時に鷹山は「泣いて馬謖を斬る」厳しい人事を貫き ましたが、普段は部下を怒鳴るような真似はしなかっ ウンで物事を決めると、人心が離れてしまうと思ったか た。ほんとうのリーダーとしての資質を備えていたと思 らです。童門先生のご本からは、そうした知恵も学ばせ います。私は未熟な人間で、鷹山のようにはいきません ていただきました。最初は「何か打ち解けていないな」と が、「為せば成るーの精神で今後もやっていきたいと考思った職員も、だんだん私に近寄ってくれるようにな えております。 り、とくに東日本大震災の際は、ぎりぎりの状況のなか、 童門鷹山がいろいろな難事にぶつかった際、教えを よく頑張って協力してくれたと今も感謝しています。 そいへいしゅう 仰いだのが師の細井平洲 ( 儒学者 ) です。平洲の答えは そもそも部下というものは、上役が本気であるかどう いつも決まって「大事なのは勇気」でした。まさに「為か、すぐに見抜きます。さらにいえば、上が全体の利益 せば成る」の精神ですね。 を考えて行動しているか、それとも私利私欲で動いてい るか、下の者からはじつによく見えるんですね。 「衆知を集める」という方法 童門おっしやるとおりですね。鷹山の改革が成功し たのも、「愛民」を貫く誠の精神の持ち主である、と多 村井いまから十一年前、私が宮城県知事になったのくの藩士たちが認めたからでしよう。江戸時代には多く の藩が財政再建に取り組みましたが、一部を除いてほと精 は、四十五歳のときでした。県庁の課長クラスは私より も年上で、しかも私は、前知事の後継者を破っての就任んどが失敗した。「領民のために」という大義が欠けて 学 いたからだと思います。 です。最初、職員は柱の陰に隠れてしまって「いった に い、この人は何をやるつもりか」という感じで遠巻きに かくいう私自身、偉そうなことはいえません。私が都鷹 上 私を見ていた。たいへん苦しかった記憶があります。 の職員になったのは昭和二十一一 ( 一九四七 ) 年ですが、 そこで私が実践したのが、「衆知を集める」という方法最初から「主権在民」の精神で働いていたかどうか。ち盟 ばしよく まこと
一つは観光ですね。 松下ですから先ほど申しました、日本の位置という囲 そのほかの産業は全部やめてしまうわけですか。 ものの把握が大切になってくるのです。非常に気候温暖 松下いえ、そんな極端なことを考えているわけではで、しかも国土は風光明媚である。さらに極東という多 ありません。この二つが柱になっていくということです くの国からは遠い位置にあります。そういう地理的条件 ね。例えていえば、戦前の日本では紡績が産業の中心に は、観光の対象としてはきわめて魅力的だと思います なっていましたね。また、戦後は昭和三十年代に入っ ね。世界中の人びとを引き付ける要素を日本は最初から て、重化学工業に重点を置いた発展が図られた。だから もっているわけですよ。 といって、それだけをやっていたのでなく、他の産業も しかし、現実には海外からの観光客は年に一〇〇 並行してあったわけです。 万人足らずで、そう多くはないですね。 そのように、その時々の国の発展段階に応じた中心産 松下それは、観光客が来るようなことをしていない 業というものがあった。しからば、二十一世紀におい からですよ。物は考えようですが、一説によると一一十一 て、過去のように紡績なり、重化学工業を中心としてい世紀には世界の人口は七〇億になるといわれています くことが望ましいのかどうかというと、そういうものもね。その人たちが皆、一生に一度は日本へ行ってみたい 適度に必要でしようが、やはり中心を成すものは、さっ と考えると、人生七十年として、年に一億人が日本に来 きいった二つだろうし、またそうしていくことがいちばることになります。 ん適切だと思いますね。 まあ、全部ということは無理として、一〇人に一人で も年に一〇〇〇万人で、いまの一〇倍です。実際にいま 日本ほど美しい国はない 世界で外国に観光旅行に行く人は年に一一億人だそうです よ。ところが、その行先は七一 % が欧州、一三 % がアメ 精密工業のほうは先進国としての日本にふさわし リカです。ですから、日本に年に一〇〇〇万人の観光客 いものだと思いますが、観光というのはその点いかがで に来てもらうことは、私はやり方次第で可能だと思いま しょ - つ、か す。ただ、いまはそれだけのことをやっていませんから
二〇一六年八月八日の「陛下のビ とも考えられます。しかし、この場により、成年に達した皇族が、これ デオメッセージ」は直接、国民に語 合も、天皇が十分にその立場に求め に就任する。一皇太子又は皇太孫」 ることで、過熱していたマスコミ報られる務めを果たせぬまま、生涯の に合致していたと思われます。現在 道による「政治的発言」との誤解を終わりに至るまで天皇であり続ける も「狭心症」が完治されていないと 解かれ、国民一人ひとりに伝統を踏ことに変わりはありません》。これなると、すぐにでも「摂政」を置く まえたこれからの皇室の在り方を、 を「摂政」を否定しているご発言と条件に合致することになります。 静謐な環境のなかで考えてもらうた 過大に解釈することには、無理があ マスコミ報道を俯瞰すると、「摂 めのご発言と受け止めるべきなので ります。 政」の実態に触れると都合が悪いの はないでしようか。 今上陛下は、一一〇〇一一一年に「前立か、初めから「摂政」を除外した記 腺癌」、二〇一二年には「狭心症の事がほとんどです。 占領下の憲法と皇室典範 冠動脈バイ。ハス」手術を受けられ、 「摂政」の実例については、ご病気 「″神の手〃の技術をもっ外科医」と だった大正天皇の摂政を務められた あまのあっし マスコミ報道のなかには、陛下が して国際的に著名な天野篤医師が昭和天皇の皇太子時代を国民に明ら 「摂政には否定的」であるとか、憲執刀しました。これが現行の皇室典かにして、これからの皇室の在り方 も、領下に起草された「憲 法に触れられたかのような記事が散範が施行された昭和一一十一一 ( 一九四 見されますが、ビデオメッセージの 七 ) 年当時であれば、摂政を置く条法」と「皇室典範」にこだわること 実 「お気持ち」では、「象徴天皇」と 件としての「第三章摂政 ( 第十六 なく、国民一人ひとりが、陛下のの とき 「摂政」の役割について次のように条一 l) 天皇が、 : : 身体の重患又は「お気持ち」を真剣に考える秋が来 皇 天 ているのです。 言及されています。《天皇が未成年重大な事故により、国事に関する行 和 であったり、重病などによりその機為をみずからすることができないと 皇室典範で「生則退位」を認めて 能を果たし得なくなった場合には、 いない理由として、一九九一一年に宮戦 きは、皇室会議の議により、摂政を 天皇の行為を代行する摂政を置くこ置く。第十七条摂政は、左の順序尾盤宮内庁次長が「曰退位を認める乃 せいひっ
昇に結び付く経済成長が不要という主張はどこから出てり、大きなイン。ハクトを自給率、電気料金と温暖化問題 に与えることになる。世論調査からは、国民の過半数は くるのだろうか。富める少数派の意見のように思える。 エネルギー政策の重要度が増しているもう一つの理由原子力再稼働に反対とされている。その世論調査の結果 は、日本の国民だけの問題ではなく、途上国、なかんずに関しては疑問があるのだが、まずエネルギー政策が重 く最貧国の人たちの被害の問題に直結するからだ。地球要な理由を詳しく説明したい。 温暖化、気候変動が地球規模の大きな問題となっている エネルギー政策と私たちの給与の関係 が、大多数の科学者は一一酸化炭素が増えていることが温 暖化の原因と考えている。一一酸化炭素は石油、石炭など 失われた一一十年と呼ばれるバブル崩壊後から続く経済 の化石燃料の燃焼から発生するので、化石燃料の消費を低迷の時代には一人当たりの国内総生産も成 抑制することが温暖化防止に結び付くと考えられる。 長せず、私たちの平均給与も一九九七年度の四六七万円 温暖化が進展した場合に最も影響を受けるのは、皮肉をピークに下落を続け、一一〇一四年度には四一五万円に なことにエネルギ 1 消費が少なく、一一酸化炭素をほとんなった。この間エネルギー消費も低成長だったが、給与 の の下落とエネルギー消費とのあいだには関係がある。 ど排出していない農業中心で自給自足経済の最貧国だ。 気候が大きく変動すると農業は大きな影響を受けると考 ( 国際通貨基金 ) の資料によると、平均給与が脈 えられるが、働く人の七割から八割が農業に従事してい過去最大だった一九九七年の日本の名目は五二三は る最貧国は経済と雇用面で大きな影響を受けることにな 兆円。うち、製造業の占める額は一一四兆円だった。二 る。この影響の軽減に貢献するのは、先進国の化石燃料〇一四年の日本の名目は四八八兆円、製造業の額 関 の消費量を左右するエネルギー政策になる。 は九〇兆円になった。デフレだったために、実質では銚 日本のエネルギー政策は、日本のみならず、世界にと は増加しているが、製造業の名目に占める比再 原 っても重要な課題だが、経済と温暖化の問題を考える率は、一九九七年の二一・八 % から二〇一四年は一八・ と、原子力と再生可能エネルギーの導入政策が重要であ四 % に低下している。
て、正統な継承者として正当な格式を天皇から与えら どに拠る力。いまも日本人の魂の原郷となろう仏教理念 からの飛鳥・白鳳・天宝文化もこの、女性天皇の時代れ、歴史の必然から生まれてきた方々なのであるから。 むしろ日本の歴史では、国際社会のなかでの日本の変 で、何よりは、日本で初めての本格的都城となった藤原 京も平城京も女性天皇方の手によるものであった。 改に迫られる新しい時代においてこそ、〈女性天皇〉が 天皇直系の皇女から皇后・天皇・太上天皇と位に就い 必要とされてきているとも考えられよう。 たこの時代の女性たち約百一一十年によってこそ、日本創 現状では次代において皇太子の位が空位となり、先に 生期の〈国創り〉が成され、同じく天皇直系の皇女から 記した八代の女性天皇のなかの第四十六代孝謙天皇は天 伊勢斎王となった女性たちが天皇と共に皇祖を奉斎して皇直系の皇女から初めて女性皇太子となり女性天皇に即 きたのである。これは歴史の事実ーーー 位していて、同じく現状ではごく近い将来に一宮家の一 付記するが、この継承のなかには元明帝から元正帝へ皇子ひとりの皇室となってしまう。 国民の一人一人が〈皇統の安定と永続〉を、今の時 の母帝から内親王へと、女性から女性への継承方法も歴 に、考えうる限りの選択肢を可能性に人れて議論するこ 史事実として存在する。 女性天皇はさらに、江戸時代も一一人一一代の帝が武家政とが求められよう。 権に対して朝廷を護った歴史もあり、これに伴って浮上 最後にもう一度、陛下がご念を押された「お言葉」を する宮家の存在意義に関係しても、幕末から明治へと女 性当主として桂宮家を存続させた皇女も存在した。この拝読させていただいて小論を終える。 議 女性は江尸へ降嫁した皇女和宮と、江戸時代最後の孝明 の 天皇には姉となる淑子内親王である。 「象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的魑 定 今後の議論においては、これらの歴史事実もよくよく に続いていくことをひとえに念じ : : : 」 安 知見に入れた上で将来を考えたい。 「国民の理解を得られることを、切に願っていま 皇 天皇直系の皇女から位に就いた女性天皇方も伊勢斎王 方も、また女性宮家当主も決して中継ぎや偶然ではなく すみこ