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検索対象: ハヤカワ ミステリマガジン 2015年5月号
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1. ハヤカワ ミステリマガジン 2015年5月号

べている 「本格探偵小説というものは、要するに犯罪捜査小説であり、それ なぜ、英米と日本の探偵小説で、こういう違いが起こったのか に適当な謎とトリックを配し、読者に推理を楽しませるものであ 論理的な謎解きのミステリがなぜ戦前の探偵小説では育たなかった り、一面からいえば、文学としては幼稚で窮屈で 1 千篇一、律のもの のか である。それに反して、変格物は要するに探偵趣味を多分に含んで 私は『日本探偵作家論」 ( 一九七五年 ) で、その理由を、日本人 いればいいので、取材自由、トリックの有無は問題にならず、・より の非論理的な性格、絶対天皇制の下で民主主義的な警察や裁判制度文学的に表現することが出来る」 が確立していなかったこと、乱歩をはじめとする日本の近代探偵小 このように甲賀三郎は、日本の探偵小説の特殊性を一応認めた上 説が、谷崎潤一郎や佐藤春夫、芥川龍之介など芸術至上主義的な傾で、それを区別する必要があるという意見であって、氏は「本格」 向の純文学作家の強い影響を受けていたこと、などに求めている 探偵小説が文学的には幼稚であることは認めながらも小説的な面白 さが必要であることをちゃんと認めている。 本格と変格 ただし、本来「本格」探偵小説の魅力を十分に発揮できるのは長 さて、現在ミステリ界で使われている「本格」という言葉は、こ篇 ( 氏は「本格探偵小説は長篇がプロ パー」という表現を使って ういう戦前の日本の特殊な探偵小説の状況から生まれたもので、島 いる ) なので、「変格」探偵小説はそれと区別して ( 短篇を意味す 田氏も指摘しているように、問題を提起したのは甲賀三郎である る ) ショート・スト 1 リ 1 という名称にすればいいというのが 0 氏 乱歩の指摘しているような日本の探偵小説の特殊な状況に対し の提唱だった。が、これは、後に触れるように、長篇でも日本の戦 て、甲賀三郎は英米で探偵小説といわれている、論理的な謎解きの前の探偵小説では「変格ーのものの方がむしろ優れたものがあると 探偵小説を「本格」探偵小説と呼び、日本で同じ探偵小説の名称でもいえるので、無理な提言だった。 呼ばれている「犯罪・怪奇・幻想」の作品を「変格」探偵小説とし その点を別にすれば、甲賀三郎の所論は決して単純な「探偵小説 非文学論ではなかった。 て区別すべきであり、「変格」探偵小説は、ショ 1 ト・スト 1 リ 1 とするべきだと主張した。 この点は、氏が「講話」の中で、自分の考えを次のように要約し ていることからも明らかである 「探偵小説講話」 ( 《ぶろふいる》一九三五年一月 5 十二月号 ) で、 後 甲賀三郎はこういう持論を展開しているが、第一回の「まえ書」で 「 ( 一 ) 探偵小説には探偵小説的要素と小説的な要素がある。かり にエラリー・ クイ 1 ンの分析法に従うと、探偵的要素の十の要素 「もし私が慨いているとすれば、所謂変格ものに探偵小説とい テ う名を附けることであって、毫も作品そのものではない。それらの ( 殺人方法、手掛かり、フェアプレイ、意外性「 = 解決の推理、プロ 格砺作品は立派に存在理由があり、小説として価値高きものであること ット、サスペンス、文体、性格描写、背景描写 ) - のうち、殺人方法 の AJ は十分認めているのである」と述べている から推理までの五つは探偵的要素であり、残りの五つは小説的要素 ス 以下はいずれも、「講話」からの引用だが、「本格」と「変格」探である。前者の探偵的要素の皆無又は稀薄なものは、探偵小説とは 代 現 ~ 偵小説の違いについて氏は次のように指摘している 呼べない 297 ミステリの話題ⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢ川川Ⅲ日ⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢ員日ⅢⅢⅢⅢⅢⅢ

2. ハヤカワ ミステリマガジン 2015年5月号

時に、サイコ・キラー的な犯人を設定することで、怪人対本格ミステリ云々とは別に、絶対的に優位な存在である 名探偵という、江戸川乱歩的な物語パターンを、より先鋭殺人犯の権力性を揺るがすライムのパフォーマンスが読み 的な形で現代に復活させることになった。ここで、より先手に与える爽快感は、一度でも〈ライム〉シリーズを読ん 鋭的というのは、本格ミステリとしてテクストに求められだ読者であれば、中毒性をもたらす力タルシスであること る知的闘争や犯人の意外性を犠牲にせすに、古くからの物は間違いない 語パターンを現代的かっリアルに再現している点を踏まえ ディーヴァーの作品、特に〈ライム〉シリーズの面白さ てのことだ。それが可能になったのは、未詳の殺人犯に対を根底から支えているのは、アメリカ由来の哲学思想とい してコードネ】ムを付けるという方法によってである。例われるプラグマティズムなのではないかと思われる。この ィリュージョニスト えば『魔術師』は、同じタイトルが江戸川乱歩のいわゆ点について、以下、大賀祐樹『希望の思想プラグマティ る通俗長篇にあるというだけで、ワクワクさせられたが、 ズム入門』 ( 筑摩書房、二〇一五 ) に拠りながら、プラグ 作中に出てくる犯人の魔術師が行なうケレン味のあるトリ マティズムについて祖述してみよう ックは、まさに乱歩通俗長篇の世界を現代に甦らせたかの プラグマティズムの創始者は、一般的にチャ】ルズ・ 1 スだとされている ようだった ( その伝でいえば『バ 1 ニング・ワイヤー』は 1 スのプラグマティズムは「概念 ディーヴァー版『電人』ということになる ) 。 の意味は、結果としてどのようなものを生み出すのかによ また、こうしたコ 1 ドネームの採用によって、語り手つて決まる」 ( 大賀、前掲書 ) という考え方で、伝統的な ( = 作者 ) が未詳の犯人の内面を描写することが可能に 西洋哲学が理性的な思考の積み重ねによって真理に到達で なった。そのために、確信し予想していた展開とは異な きるというものだったが、パ ースはこれに対して、観察さ る事態に直面した犯人の驚愕を描写されるようになり 、犯れた事実に立脚して帰納的に導き出されるものが真理であ 人の驚愕があとでライムがどのようして犯人の裏をかいた る、という考え方をする。このパースの考え方を普及させ 1 スとジェイムズ かを説明することで、読者がカタルシスを感じるという効たのがウィリアム・ジェイムズだが、パ 果をもたらすことができるようになった。ディーヴァ 1 の の考え方には微妙な違いがある 作品が、良質の本格ミステリのような知的興奮をもたらす のは、そうした物語構造に拠るところも多いように思われ ースにとって「真理」は、同じ条件で何度も検証 る でき、誰がそれをしても同じ結果に至るよ、つになるこ 028 特集新ミステリ、ハンドブックを作ろう ! / 資料と研究

3. ハヤカワ ミステリマガジン 2015年5月号

( 一 l) 探偵小説の二要素のうち、探偵的要素は小説的要素よりも重ている 要である。 実際、皮肉なことに「犯罪、怪奇・幻想」の「変格」。探偵小説を ( 三 ) 探偵小説の二要素は渾然融和すべきものであり、実際に於い 探偵小説から切り離そうとした甲賀三郎の書いた「本格 1 探偵小説 て、いい探偵小説はそうなっている。」 は、現代の日本ではほとんど読まれていないのが実情である 英米の戦前の探偵小説の名作が誕生したいわゆる黄金期といわれ 甲賀三郎の「探偵小説講話」をめぐって起こった戦前の探偵文壇 る一九一〇年、二〇年代から三〇年代に書かれた作品は長短篇と で名高い甲賀三郎と木々高太郎の論争も、私見によれば、つまると も、その主流は論理による謎解き小説だったから、こういう甲賀三 ころ詩人であり、一流の知識人でもあった木々と甲賀との、探偵小 郎の当時の主張はある意味で常識的だし、当を得たものともいえ説に求める「小説的要素」あるいは「文学的要素」の要求水準に大 る。 きな落差があったことから生まれたもので、探偵小説についての甲 しかし、問題は、日本の探偵小説の当時の状況が英米と違って、 賀の主張はそれ自体決して間違ったものではなかったと思う。 甲賀のいう論理による謎解きの「探偵的要素と小説的要素がク渾然 逆に木々高太郎の「私は探偵小説は、本格的にい ~ 純正に探偵小説 融和クした」質の高い「本格」作品が少なく、かえって「変格」と としての精髄に至れば至るほど「益々芸術小説となると考える立場 されたものに優れた作品が多かったという日本特有の事情にある を固執する」といういわゆる「探偵小説芸術論」 , は、余りに楽天的 たとえば、長篇での本格ものとして浜尾四郎の「殺人鬼』 に過ぎ、むしろ暴論に近いともいえる。しかし、こういう氏の極端 ( 一九三二年 ) 、蒼井雄の「船富家の惨劇」 ( 三六年 ) などがある な主張には、戦前の修身の教科書などに見られた、探偵小説は不良 が、それらよりも、激しい議論を巻き起こした小栗虫太郎の『黒死少年の読物とするような一部の人の偏見に対する強い苛立ちもあっ たのではないだろうか 館殺人事件』 ( 三四年 ) や夢野久作の「ドグラ・マグラ』 ( 三五年 ) の方がはるかに評価が高く、戦後は異端文学として新しい角度から 文学史に位置づけられていることはよく知られているとおりであ Mystery と CrimeFiction という言葉 る。 さて、こういう探偵小説の流れが、戦後の英米でどう変わって行 こういう日本の探偵小説の実情を踏まえて、谷口基は、「変格探ったかを見てみよう。 偵小説入門奇想の遺産』 ( 二〇一三年、岩波書店 ) で、「「変格』 まず、戦前の探偵小説の主流であった論理による謎解きを主題に とは戦前探偵小説の挑戦的性質そのものであり、奇想をもってするする本格ものは、古典的な探偵小説よりもずっと現実味と小説的な 表現の変革であった。また、『探偵』とは『変格』の行為者の暗喩魅力を増す形で英国を中心に描き続けられ、 , ( いぜん多くの読者に読 ともいうべき存在であった」という視点に立ち、谷崎潤一郎、江戸まれており、その内容も多様化している 川乱歩、横溝正史、小酒井不木、夢野久作などの変格探偵小説の中 また、同時に、本格もの以外の分野でも米国で誕生したハードボ に、戦後の山田風太郎、中井英夫、京極夏彦、三津田信三などに連イルド ( 私立探偵小説 ) や米仏のノワール、警察小説、 , リーガル , なる貴重な奇想の源泉を読み取る独自の変格探偵小説観を打ち出しサスペンス、サスペンス小説や心理もの、スパイ小説、コン・ゲ 1 ⅢⅢ川ⅱⅢⅢⅲ川Ⅲ川Ⅲ川ⅢⅢリⅲⅢ ltl 山ⅢⅢⅢⅢ日Ⅲ日ⅱⅢⅢ川川け ) ミステリの話題 298

4. ハヤカワ ミステリマガジン 2015年5月号

全然違うものになっていました。自分はもずは二人で会話するそうだ。 「こんなアイディアはどうだろう、と私が っとびつくり箱的でパニック小説のような 話にするつもりだったのに、鮎川が心情を鮎川に尋ねるんです」 『女王はかえらない』であれば、それこそ 掘り下げるような内容にしてくれました」 「記憶をリフレッシュしようとプロットを一文ほどのアイディアだ。 読み返したら、ク先生は自分の生徒を守ろ「それで面白そうということになったら、 うと思うクとか ' 愛そうと思うクとか書い萩野がプロットを書くんです」 てあって、それで勘違いのもとに書き始め「細かいところは書かす、大まかな流れを 書きますね。分量としては、で二枚か たらああなったんです」 ら三枚ほど。テキストデータでの受け渡し 第三部で見えてくるみ真相は意外で、 なおかっ薄気味悪く、しかも文章として強です。例えば、パッチンどめをつかうとい 烈に印象的だ。そう、この『女王はかえらうような小道具の指定なんかも入れたりは ない』は、第一部から第三部まで、それぞしますね。だれそれが死ぬ、とかいうこと れ異なる魅力的な表情を見せながら、全体は書きますが、具体的にどういう描写にす としてきちんと一体になっているのであるかは書いていません」 このプロットを待っ時間が、鮎川にとっ る。しかもキャラクタ 1 が徹底的に濃い 強者揃いの第十三回『このミス』大賞におてはイライラする時間なのだという に口を出さないとい、つ いて、同時受賞ではなく、単独で大賞に選「頭のなかで考えているらしいんですけ ど、なにをしているのかは私にはわからな「私は横から見る程度ですね。意見を求め ばれたのも納得の出来映えである。 いので、早くしてよと思ってしまうんでられない限り、ロは出しません。プロット になかった人物が出てきたときなどは、こ す。クまだ ? まだ ? と言い続けて、 世界解体 、つい、つエピソ 1 ドを足したら ? とかは一言 クうるさいなクと言われてしまう ( 笑 ) 。 合作 いますけどね で、ある日突然、こんなのになったよ、と 二人は、依然として共同生活を継続して 降田天の二人は、プロットと執筆という渡されるんです」 いる。そのメリットを萩野が語る かたちで、きちんと担当を分けている。ま文章を書く段階になると、萩野は基本的 つわもの 萩野氏愛用のポメラ 鮎川氏愛用のヘアクリップ 0 迷宮解休新書 090

5. ハヤカワ ミステリマガジン 2015年5月号

幇助、『カプト虫殺人事件』における殺人示唆のほか ) はてにはや (Francis Nevins Jr., E 0 ミ e ミ The ゝミ、ミ e ミぎド 2013 ) ネヴィンズ・ジュニアが指摘しているヴァン・ダインの作品の問むをえない事情ながら、犯人みずからが命を絶っように仕向けた り、ギャングたちを射殺したりする。友人のマーカム検事もさぞか 題点は、そのほとんどがかってエラリ 1 ・クイ 1 ンや甲賀三郎が取 し後始末に窮したことであろう」 ( ハメットの書評も前掲「名探偵 り上げていた「探偵小説の小説的要素」の不十分さであり、パズル 的面白さだけでは、ミステリが生き残れないことを示している の世紀』から ) また、名探偵のファイロ・ヴァンスは超エリ 1 トで確かに頭はい つまり、現代ミステリでは本格ものでも、私立探偵小説でも、警 察小説でも、サスペンス小説等々でも、謎解きの面白さと小説的な いかも知れないが、気障で高慢な性格のため、どうみても人間的な 魅力を兼ね備えていなければならないということである 魅力が乏しい。この点について、ジュリアン、シモンズは『プラッ もう一つは、ミステリにも次第に現実性が求められるようになっ ディ・マーダー』で、ユーモラスな諷刺詩人のオグデン一ナッシュ て来たことである の次のような二行詩を紹介している。 もともとミステリは架空の小説空間に人工的な謎と恐怖を設定し ファイロ・ヴァンス て楽しむもので、その本質は今もなおまったく変わらないが、架 空なストーリ 1 であればあるほど、読者が実感できるようなリアル 尻を蹴っ飛ばさなくちゃ な書き方が必要とされるようになって来たということである。 こういう名探偵ファイロ・ヴァンスへの読者の反発もヴァン、ダ ヴァン・ダインの探偵小説には、この点でも色々問題があったこ インの寿命を縮めた一因に違いない。 とは、たとえば、ハメットの「べンスン殺人事件」 ( 一九二六年 ) の次のような書評の指摘 ( 筆者が要約 ) などにもうかがえる 被害者が至近距離から大口径の自動拳銃で撃たれたのに死体の姿社会構造の変化 勢が崩れていないのはおかしいし、警察が基本的な捜査手順に従う いずれにしても、ミステリの世界的潮流は、一九一一〇年代から ことが許されれば、すぐ事件は解決したはずなのに、関係者への尋四〇年代にかけて大きく変わって来た この変化の要因は何だろうか。 問さえできなかったり、指紋採取も犯行現場から外されているな 後 大きく見て、社会の構造的な変化とそれにともなう犯罪の多様 ど、疑問が多い。 ( サンデ 1 ・レピュ 1 一九二七年一月十五日付 化、警察の科学捜査の進化、メディアの発達の中での読者意識の変 け、村上和久訳 ) テ ス また、森英俊は、「博学多才な精神貴族」の中で、いささか皮肉容、などが考えられる 行 ます、社会の構造変化から考えてみよう。 な口調で次のようにヴァンスの法律無視のやり方を取り上げてい る 最初に第一次世界大戦が終わった当時のアメリカの社会状況の概 ドテ 「物的証拠を重視しないヴァンスは、法律上の正義にもとらわれ況についてウイキペディアの「一九二 0 年代」の項は、次のように 現 ~ ず、種々の犯罪を犯している。『カナリヤ殺人事件』における自殺簡潔に要約している 。ミステリの話題日ⅢⅢ 0 ⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅲⅢ川川Ⅲ山ⅢⅢⅢⅢⅢ 1 ⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢ」川 303

6. ハヤカワ ミステリマガジン 2015年5月号

いたジャーナリストだったので、あの作品にも言論の自由や女性の魅力的な探偵役を創造することは可能だと考えている 虐待に対する著者の立場がヒロインの設定やストーリ 1 に反映して ただし、その可能性はミステリのジャンルや取り上げる事件の種 いると考えるからである。ただ、それがその時代の読者の意識とい 類によって大きく左右されるだろうし、、作者が越えなければならな い意味でびたりと重なれば、『ミレニアム』のように世界的な大べ ハードルは高くなっていることは否定できないと思う ストセラ】になるが、そうでなければ、空回りになるおそれもある まず第一に、警察が事件性をまだ認識していない事件や、捜査を わけである したが解決できなかった事件などの場合は、アマチュアの名探偵が したがって、作家は無理に社会性とか政治性を取り入れる必要は活躍できる余地があるに違いない。 ないと私は考えている。自然体で書きたいことを書くのがいいとい 当然のことだが、日常的な謎を扱うコ 1 ジ 1 ・ミステリなどはこ うのが私の立場である。歌野氏の作品などもそういう点ではいい意れからもアマチュアの名探偵がどんどん誕生するだろう。 味で自然に備わった社会性が現代の読者の意識とうまく重なった好 また、私立探偵小説の場合は、多くの場合は失踪事件などを扱う 例ではないだろうか ことが多いので、調査の過程で重大犯罪がからんでいることを発見 するなどさまざまな設定で個性的な魅力を持っ名探偵を作り出すこ アマチュアの名探偵の創造は可能か ? とができると考えられる 少し脱線したが、次に警察の科学捜査の発展と名探偵の創造との もちろん、警察の捜査結果を直接間接にある程度知りうる新聞記 問題を取り上げたい。 者、雑誌記者、あるいは法医学の関係者 ( 有栖川有栖の火村英生な 前述のように森氏は「英国の本格ミステリの探偵役のほとんどが ど ) は、これまでと同じように名探偵として活躍を続けることにな 警察官である」としているが、それは、現代の本格ミステリでは警る。ただ、エラリー・クイーンのように警察の上級幹部の息子とい 察の組織的捜査や科学鑑識を無視しては、現実味のある名探偵を作うだけでは、現代では警察の最新の捜査情報を入手するのは現実に り出すことが段々難しくなっていることを一小している。このことが は無理である。「九尾の猫』では、確か市長に任命されて特別捜査 現代の警察小説の流行にもつながっていることは確かだろう 官になっていたと記憶する。確かにこういう設定ならアメリカでは では、現代では警察官以外の名探偵、例えば私立探偵あるいは保現実感があるかも知れない。 険調査員など、取材・調査を職業とするが、組織力や科学鑑識など さて、あなたのご意見はどうだろうか を余り活用できない人や完全にアマチュアの魅力的な名探偵はまっ たく作り出すことはできないだろうか ? とりあえすの結び ジュリアン・シモンズは、犯罪現場に残された物的証拠などの 後半は駆け足になり、トリックの問題などに触れることができな 手掛かりは、「法医学者や科学捜査官の担当領域となり、アマチュ くなったが、私は従来の論理的な謎解きだけを強調する定義では、【 ア探偵の出る幕ではない」 ( 前掲書 ) ときわめて否定的だが、私は現代の広範なミステリの流れを包括できなくなっていると考えて 色々制約はあるが、科学捜査が進んでいる現代でも、警察官以外の る。むしろ、ボワロー & ナルスジャックの「謎と恐怖の両義性の Ⅲ日ⅢⅢ日ⅢⅱⅢ山ⅢⅢ川ⅢⅢⅢⅱ日川Ⅲ山山Ⅲⅲ川Ⅲ田川川ⅲⅢ暴ズの話題 小二し、 310

7. ハヤカワ ミステリマガジン 2015年5月号

がトマス・デュ 1 イである。デューイの考え方によれば、 とて、複数の人びとに共有され得るものでなければら なかった。それに対してジェイムズは、ある人にとっ解決を要する問題に直面した時、人は次のような行動をと るとい、つ て「真」であリ、その「信念」によってよい結果がも たらされるのであれば、たとえそれが検証不可能で、 問題解決のためには、それがいかなる状況で生じて 他人からすれば明白な誤リであっても、「真理」である と考えていた。 いるのかを観察し、何が問題であるかを明確化しなけ ( 大賀、前掲書 ) ればならない。その場において、その状況を成リ立た せている全ての要素を検証するのは困難だが、ある程 ここで「真理ーといわれている部分を「真相」といしカ 、んると、 度の情報が得られれば、何が問題てあるかを明確に パ 1 ス的な「真理」に対する考え方と、ミステリ における真相の捉え方との親近性がはっきりする。ただ し、適切て実現可能な解決法を導き出すことができる だろう。観察に基づく情報がよリ多く集まリ、その内 し、ここでの「真理ーないし「真相ーを、唯一絶対の真理 というふうに捉えてしまうと、プラグマティズムの重要な 容が精確になればなるほど、問題解決のための処方箋 ( 大賀、前掲書 ) も、より的確なものになっていく。 考え方のポイントを押さえ損ねてしまう。パ 1 ス的な「真 理にしても、あくまでも観察された事実に基づいて導き 出される限定的なものであり、それが複数の人々に共有さ こうした探求の方法論は、リンカーン・ライムを通して れることで、とりあえず正しいと認められるものであるに描かれる真相解決の流れと全く同じであるように思われ 過ぎない。したがってジェイムズの考え方にしても、「真る。事件のプロファイル用にホワイトボードに書き込まれ ア理ーないし「真相ーという考え方を重視する立場からすれていく情報が、物語が進むにつれてどんどん増えていくと いう展開は、〈ライム〉シリーズでお馴染みのものだ。 ば違和感を覚えるかもしれないが、「よい結果がもたらさ デ こうしたプラグマティズムの考え方は、近年話題となっ れる」とい、つところにポイントを置けば、。、 1 ス的な考え 方と通底する。複数の人々が共有し納得するのは、それが た後期クイーン的問題という問題設定を考える上でも有用 フ 工 ジ だと思われる。後期クイ 1 ン的問題のポイントは、一度、 今のところ、他の真理竈真相 ) と比べれば「よい結果」 をもたらすからである 探偵役が犯人の用意した偽の手がかりによって推理を誤る こうしたプラグマティズムの考え方をさらに展開したのというイベントが作品内で描かれてしまうと、探偵が推理 029 特集新ミステリ・ハンドブックを作ろう ! / 資料と研究 を第、す・をま

8. ハヤカワ ミステリマガジン 2015年5月号

れ陳舜臣 2015 年 1 月幻日、神戸市内の病院で、作家の陳舜臣氏が逝去した。享年。 1 1 年に「枯草の根」で江戸 川乱歩賞、 1 年に「青玉獅子香炉』で直木賞、 1970 年に「玉嶺よふたたび』「孔雀の道」で日本推理作家協 会賞、 1 的 1 年に「諸葛孔明」で吉川英治文学賞を受賞するなど数々の賞に輝き、 1 的 8 年には勲三等瑞宝章を受け た。 ~ 推理小説のみならず、歴史小説、随筆、翻訳においても多数の著作を発表。 1 的 2 年に発表した「琉球の風』は、 翌年に NHK で大河ドラマ化もされた。 14 年 5 月には神戸市中央区に陳舜臣アジア文藝館が開館している。 本誌では、ミステリ作家としても評価の高かった氏を悼み、この特集をもって追悼の意を表したい。 ( 編集部 ) ( 注】「影は崩れた』の内容に触れています ) いが、気が向けば読むというスタンスで 内外を問わず、最近のミステリに疎くある。ミステリ好きのガキは先すトリッ なっている。ミステリというジャンルヘクの面白さで読むから、陳舜臣はトリッ の関心が薄れてきているのだろうが、そキ】なミステリを書くという点で取っつ れでも読みたくなることはある。そういきやすかったのである う時に、国産ミステリだったら例えば松『炎に絵を』はトリックが面白いので特 本清張を読む。清張はミステリとして見に好きな作品だった。このトリックは日 ると欠陥が少なからずあるが、子供の頃影丈吉の短篇に先例があり、高木彬光も から喰ってた「サッポロ一番みそラーメ後に使用しているが、前者がミステリと ン」のようなもので、時々読みたくなるしては記述がフェアでない部分があり、 「懐かしの味」なのだ。 後者はあまり文章が好きでないというこ やはり それと矢張「いい文章を書く作家」をともあって、陳舜臣に軍配を上げたい。 読みたい。下手な文章は読みたくない。 俺が生まれた年に発表されたという点で となると、俺の場合は多岐川恭、結城昌もお気に入りである。 治、そして陳舜臣となる 『枯草の根』に始まる陶展文登場の四作 陳舜臣とは「付かず離れずーという関も勿論読んでいる。どれも面白かった 係を保っていた。熱狂的なファンではなが、中でも『割れる』が古典的なトリッ 追悼ェッセイ 極俺的陳舜臣 ( 小説家 ) 深堀骨 268 小特集追悼・陳舜臣 / 追悼工ッセイ

9. ハヤカワ ミステリマガジン 2015年5月号

のための依拠する手がかりが、偽の手がかりであるかどう 「人間は己の限界をわきまえなければならない A 」い、つムロ かの信頼性は、作品世界内においては保証され得ないとい 詞を引く場面がある。限界の中で、己の能力が研ぎ澄まさ うことである。そのために、特に日本の本格ミステリ界れたことを受けとめた上での引用なのだが、ライムの介護 において、様々な試みがなされてきた ( 詳しくは諸岡卓士であるトムは、そうした文脈を踏まえて「人間は己の強 真『現代本格ミステリの研究ーー「後期クイーン的問題」 みを知らなければならないーと言い換えてみせる。ライム をめぐって』〔北海道大学出版会、二〇一〇〕を参照のこ が自らのありようを引き受ける場面における、この「人間 と ) 。エラリイ・クイーンのミステリは、意外な真相の面は己の限界をわきまえなければならない」という言葉は、 白さではなく、意外な推理の面白さを楽しませるテクストプラグマティズム思想の前提をよく示しているように思 だと論する飯城勇三は、「読者への挑戦状」が手がかりが う。限界を超えられるという考え方が、真理に到達できる 本物であることを担保するという考え方を示して、後期ク という考え方や、自分が到達したのは絶対的な真理である ィーン的問題に応えている ( 精しくは『エラリ 1 ・クイー という考え方に人間を陥れ、人間から謙虚さや寛容さを奪 ン論』〔論創社、二〇一〇〕を参照のこと ) 。この飯城の う。「人間は己の強みを知らなければならないーとトムが 考え方は、クイーンのミステリをプラグマティズムの観点言い換えることで、「限界ーこそが「強み」であるという からとらえ直す時、強度を増すだろう。読者への挑戦状が意味になる。限界の中で最善の判断をすることが人間の務 提示されたその時点で、推理の結果、複数の人々を納得さめなのである、と書かれているようにも読めてしまうのだ せる「真相ーが提示されれば、それは正しく真相なのだ か、これは、つがち過ぎとい、つものだろ、つか と、とりあえすは見なす、というのが、プラグマティズム 『ゴースト・スナイバー』は人間の「限界に人間の可能 的な「真相」の提え方というべきだろう。後期クイーン的性を見出しているが、それこそが〈リンカーン・ライム〉 問題というのは、西洋形而上学における絶対的な真理を把シリーズの全篇を通じて訴えかけているものではないだろ 握することへの希求が前提となっているからこそ、問題と うかここに、思想と謎解きミステリとの幸福な出会いを して前景化してくるものなのだと考えることもできる 見出すことができると共に、現代を生きる私たちにとって 邦訳されたものでは最新作である『ゴースト・スナイバ の〈ライム〉シリーズの重要性が示されているといえそう ー』三〇一三。以下、引用は池田真紀子訳から ) の最後だ で、リンカーン・ライムが映画「ダーテイハリー 2 」から 030 特集新ミステリ・ハンドブックを作ろう ! / 資料と研究 を、を・トををを ・ンみ・を・

10. ハヤカワ ミステリマガジン 2015年5月号

ていると言ってもイイ国だ。で、人種的に も民族的にも色々な人がいる。宗教も 色々。言語だって色々と言ってもイイ。き ちんと英語が話せないアメリカ人も大勢い るくらいだから ( アメリカは国家として公 解部室 用語を決めていない、英語が公用語という わけではないということについては既にこ 向井万起男 の欄で触れたことがある ) 。つまり、多様 性を認めなきややっていけない国というこ とにもなる それではアメリカは人の多様性を認める 千 第間回色々な人がいるから面白い 井 人ばかりかというと、そんなことはないか 向 の もしれないというのは皆さんも先刻承知だ ろう。人種差別が今でも大きな問題になっ 今回は、読者の方々から ' 結局、オマエう考えているかはわからない。私はこうい ているみたいだし、色々な宗教に寛容では 女社 は自慢話がしたかっただけじゃないかクとう分野の専門家でもないし、こういうこと ない人もいるみたいだし。もっと下世話な 本回 ′ / 言われるとしか思えない話。それを覚悟の について他の方々と話し合ったこともない こと ( ? ) で言うと、離婚歴があって大統離 者 < 上で書くことにしました。何かしらの参考ので 領になったのはロナルド・レーガンだけ にして下さる方が一人でもいらっしゃれ しかし、こうした多様性を受け容れない ( レ 1 ガンは離婚・再婚してから随分と年病 卒宿 ば、それでイイと思ってです 人も世の中にはいるのかもしれない。自分月が経っていたから例外的にオ 1 ケーだっ その話を始める前にチョット。 と同じようなタイプの人間しか受け容れな たみたいだ ) 、夫婦別姓の大統領はゼロ 世の中には色々な人がいる。だから世のいという人。そういう人の存在も認めて受 つい最近離婚したとか、夫婦別姓じや大統塾真 中は面白いとも言える。同じような人ばかけ容れるのも多様性ということになるのか領になれない国かもしれないわけだ。なん慶 セ りになった世の中、つまり人の多様性が失もしれないが、それを言っていたらキリが だかャケに保守的というか多様性がないと おの き謎 ないというか堂々巡りになってしまう われた世の中なんて味気なくてつまらな いうか、ヨ 1 ロッパの幾つかの国の大統領 私はそう考えているが、他の方々がど さて、アメリカは移民によって成り立っとは違う感じがする。国の実質的なトップむ秋 連載 向井の 286 Dr. 向井のアメリカ解剖室