時代 - みる会図書館


検索対象: 世界 2016年10月号
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1. 世界 2016年10月号

( こやまけいた氏は、早稲田大学教授 ) 小山慶太 書ンーベル賞でつかむ現代科学 ア 一一六〇年余の泰平の時代をもたらした徳 德川宗英 川時代。将軍家を支えた田安徳川家第十 一代当主が、戦争、 0 道を突き進んだ明円 ~ ~ 売 治以降の日本の歩みを考察する。自身の発 " 徳川家が見た戦争 海軍兵学校での体験をまじえて語る若い 8 」 体辭幻 世代のための平和論。 本新引・ 既 刊 日本の歴史を各回一〇分でわかりやすく 新 「側ボックス」制作班編 紹介するの中学・高校生向け番組観 岩」 店 「 2 血ポックス日本史」全二〇回を一冊円頃 にまとめました。縄文時代から現代まで、 62 。 波 主な出来事や人物、文化など、各時代の 8 捗 一分で読む日本の歴史 体 重要ポイントを理解するのに役立ちます。本新 3 歌舞伎以前本の中の世界サッチャ 1 時代のイギリス ーその政治、経済、教育ー 波コ 本体 820 円 本体 900 円 本体 78 。円森嶋通夫 湯川秀樹 林屋辰三郎 〈新赤版ー四九〉 4 占 94384 甲 5 8233 〈青版ー九〇〉 4 占 94 一 50996 C0295 〈青版ー九九〉 4 占 94 一 309 甲 9 C022 一 岩ル・ ( とくがわむねふさ氏は、田安徳川家第十一代当主 ) 一一一世紀に入り、日本人の相次ぐ受賞で より注目度が高まったノーベル賞。物 8 質・生命・宇宙の三つのテーマにおける円頭売 受賞の歴史と学問の歩みを丁寧に解説。、田発 日 現代科学の展開と現段階の概要が見えて 8 判 体田 くる一冊。 本新・

2. 世界 2016年10月号

北杜夫が一九六〇年に精神障害者殺害と医師の葛藤を描いた小説『夜と 大きな反響があった。この番組が相模原事件の容疑者に影響 霧の隅で』を発表し芥川賞を受賞したが、それ以降大きく語られること を与えたのではないかと憶測されてか ( 事実はわかっていない ) 、 はなかった ) 。 朧今再び番組の経緯や内容を知りたいという声も寄せられてい る。 当のドイツでも事実に向き合う動きが始まったのは最近の 界 ことだ。一一〇一〇年、ドイツ精神医学精神療法神経学会が長 私たち自身も、「番組はこのような事件が起きないために 世 年の沈黙を破って、過去に自分たち精神科医が患者を殺害し と制作したのではなかったか」「視聴者にはどんなメッセー てきたと認め、謝罪。その後専門家を入れた第三者委員会を ジが伝わったのか ? 事件が起きた今、伝えることは何なの 設置し、いかに当時の医師たちが殺人に関わるようになった か」などあらためて考えさせられる日々を送っている。 のかなどについて去年の秋、報告書をまとめた。 さらに、捜査情報がわからないだけに、優生思想と安楽死 謝罪まで七〇年近くかかった背景には、生存した精神や知 ( あるいは殺害 ) を直結させたり、「障害者」をひとくくりにし て議論が起きたりするなど、考える軸が揺れているように感的に障害のある人たちが自ら訴えることができなかったこと じることも多い。そこでまずは、今一度、ナチスの障害者虐や、医師たちの世代交代を待たなくてはならなかった現実が あると言われている。″加担した″医師たちが亡くなってい 殺についての番組を制作の動機から振り返って、歴史に学ぶ く中、政府も慰霊碑を建立したり、遺族たちが少しずつ声を ことを考えるとともに、その他の番組を通しメディアの役割 あげたりするようになっている。 について考えてみたい。 私たちはこの悲惨な歴史を「いっか取り上げなくては」と 番組化のきっかけ 思っていたものの、本格的に取材をしたのは初めてだった。 きっかけは、日本障害者協議会代表・藤井克徳さん 六百万人ものユダヤ人犠牲者を出し「人類最大の悲劇」と がドイツを訪問すると聞いたことだ。報告書も出るタイミン 言われてきたナチス・ドイツによるホロコースト。しかしそ グであり、戦後七〇年の節目でもある。この機会に藤井さん れより前から、およそ二〇万人ものドイツ人の精神障宝暑や とともに、「障害者虐殺は狂気の時代のなせる極端な事態」 知的障害者、回復の見込みがないとされた病人たちが「生き と片付けるのではなく、時空を超えて今私たちに問いかけら る価値がない」として、ガス室などで殺害されたことについ れていることを考える番組にしようと、制作を決意した。 ては、これまであまり注目されてこなかった ( 日本では作家・

3. 世界 2016年10月号

大人を同時に持っていて、その子供の部分で芸術を創造する、 といったよ , つな。 リービ子供時代の記憶を、「現在形」のように保ちつづ けているということです。 温「模範郷」は、大使館づとめのアメリカ人のお父さん をもち、植民地時代に日本人が台湾につくった家に住んで、 そこで李香蘭が歌っていた「支那の夜」のレコードを聴いて ・ : と、政治的な背景を強く連想させる言葉が並んでいるの 、政治的なニュアンスはほとんど前面に出てこない。なぜ かと考えると、人間にとっていちばん普遍的な幼年期の思い 個人的な、大切な部分での動揺を書かれているからではない かと思いました。 リービたくさんの人から感想をもらって気付いたのは、 現代人には皆「失われた家」の記憶があるということでした。 それは田舎の家だったり、いまいるマンションの前に住んで いた東京の家だったりするんだけれども、現実から消えたも う一つの家を、心のなかにもっている。 僕の場合はいろいろな要素が入って、いわゆる国際的にな ってしまったんですが、「模範郷」のコアにあるものは、何 むかの理由で五歳から十歳までいた家を失ったことです。失っ 読 をたあと、四十になっても、五十になっても、六十になっても、 郷それを忘れることはできない。ただ東アジアの経済史は知っ ているから、西洋以上に、自分の家どころか辺り一帯が違う 景色になっている可能性が高いこともわかっていた。それで 台湾へ行くのをずっと恐れていたのに、なんとなく恐れを超 えて行ってしまったというのが、二〇一三年のあの旅でした。 一般読者の感想として、または何人かの批評家の指摘とし てよく言われたのが、「模範郷」の最後に、台湾の原住民 ( 先住民 ) の家のエピソードが出てくることで、作品にある奥 行が生まれたということ。「原住民の帝国」だったという台 湾の古代、家とはどんなものだったのか、原住民作家のワリ ス・ノカンに尋ねる場面です。彼は、本来の原住民は山の斜 面に小屋を建てて、家父長が亡くなると、それを潰して、別 の山に移った、そう丁寧に答えてくれた。その知識に対して、 家が突然潰されて、見知らぬ山に移されてしまったら、子供 はどんな気持ちになったのか、迷いを感じなかったのか、そ う心のなかで尋ねて、この作品は終わります。もしかすると ワリス・ノカンからは、答えをもらうというより、最後の質 問をもらったということなのかもしれない。 一行、これは書きたかった、書かされたかなと思ったのは、 奥へ奥へと重なる山の時間の中で、「国民党」も「大日本 帝国」も「戦後のアメリカ」も吸いこまれていった というところです。山ではアイゼンハワー大統領も蒋介石 も消えて、ただ、暗闇がある。

4. 世界 2016年10月号

ここで重要なことは、監視捜査についての情報が一切 開示されず第三者の検証という監督が働かない状況では、 朧日本政府が実際にどのような監視を行なっているかにつ いて、邪推ともいえる推測がとどまるところを知らずに 世働きかねないということである。日本政府に対するムス リム社会、国際機関、諸外国からの不信を食い止めるこ とができないのだ。 さらに問題なのは、日本の警察が、流出事件が起きて 以降、国会に対しても、裁判所に対しても、国連人権委 員会や人種差別撤廃委員会に対しても、ムスリムである ことのみを理由として監視したことはないと言い続けて いる点である。今年の八月に行なわれた外務省主催の人 権 zeo に対するプリーフィングにおいても同様の説明 に終始し、いまだにテロ対策の秘密主義を理由に一切の 説明を拒み続けている。 しかし、流出資料の一つには、ムスリムまたは 0 — O 諸国出身者でさえあれば、一切の留保も要せず監視対象 とするべきことが明記されており、監視の違法性を否定 した裁判所ですら、警察がムスリムであることを対象選 定の理由としていたことは、事実として認定しているの である。警察への信頼こそテロ予防において最も重要な 要素と位置付ける研究機関もあり、このように最低限の 事実すら否定し続ける警察の姿勢は、テロ予防の効果を 毀損するきわめて問題のある姿勢である。 適切な情報公開と検証作業の重要性 ・Ⅱから一五年がたち、時代は少しずつ変わりつつ ある。テロとの戦争の時代から、テロ対策を監督し検証 Ⅱからポスト・スノーデンの時 する時代へ。ポスト 9 ・ 代へ。 翻って日本の現状を見ると、ムスリム監視搜査一つと っても、行政内部や国会において、情報にアクセスでき る独立の検証委員会を設置して捜査の当否を検証しよう という動きは全く見られなかった。具体的な公開情報に 基づいた議論が繰り広げられない限り、日本はポスト・ スノーデンの時代に対応することができないまま国際社 会から取り残される。もたらされるものは過度の人権制 約、そして不信感と邪推の連鎖だ。 人権を制約することなくテロを適切に予防するという、 ポスト・スノーデンの時代に求められる役割を実現する ためには、実施されている施策をできる限り公開し、具 体的な議論を積み重ねなければならない。 融和の象徴であり、差別の禁止を根本原則に掲げるオ リンピックがやってくるまで、残された時間は多くない。

5. 世界 2016年10月号

ポスト 9 ・からポスト・スノーデへ テロ監視政策井桁大介 歴史には時代を画する事件がある。 9 ・Ⅱテロはポス 監視プログラムが進められた。捜査の密行性を理由にそ ト冷戦時代に終わりを告げ、テロとの戦争とそれに伴う の全貌は・ヘールに包まれていたが、根気強い調査報道に 新たな″軍拡″をもたらした。多くの国の議会ではテロ より・ヘールが取り払われることもあった。そして二〇一 対策の予算が寛大に承認されていった ( たとえばオハイオ 三年にスノーデン事件が起きた。・ ヘールは吹き飛ばされ、 州立大学のジョン・ミュラー教授らの算定によると、アメリカ合衆 時代はポスト 9 ・ Ⅱから「ポスト・スノーデン」へと移 国では 9 ・Ⅱ以前と比較して一年あたり七五〇億ドルがテロ対策費 行した。 として上乗せされている ) 。 ポスト・スノーデンの時代の特徴は、テロ対策をひと 国家の存亡を理由にテロ対策は神聖視されるようにな くくりに聖域扱いしないことにある。キーワードは、ト っていった。″平時″と違い自由や平等を犠牲にするこ ランスペアレンシー ( 透明性 ) と第三者による検証である。 とに抵抗がなくなっていき、いくつかの国では大規模な 本稿ではアメリカにおいて、アメリカ合衆国国家安全保 ニューヨク市内の全モスクを警 察当局が秘密裏に監視していた ことに対し、ムスリムを中心に 2013 年 8 月、抗議の声があがった。 ( 写真 : AP / アフロ ) いげた・たいすけ弁護士・あさひ法律事務所所属。 ムスリム違法捜査の訴訟に関わる。ニューヨーク大 学客員研究員を経て、現在はカリフォルニア大学バ クレー校客員研 究員。早稲田大 学法務研究科卒。 世界 SEKA[ 2 0 16.10

6. 世界 2016年10月号

華民国ってどこ ? 」といまも聞かれることがありますが、私 意味なんです。先ほど、ご自身でも私小説し こ歴史を凝縮させ も子供の頃から、自分は台湾人のはずなのに、なぜこんなに ると仰っていましたが、みずからのリアリティを書くことで 自分は「中華」と縁のある感じがするんだろう : : : そう思っ 日本語の可能性を問うリービさんの実践は、偏狭なナショナ てきました。私の両親がそうなんですが、 リービさんと同世 リズムがはびこる昨今の日本に身をもって対決しているよう 代の普通のいわゆる台湾人、中華民国人は、蒔介石の夢を共 な、文学による一種の抵抗であるようにも感じられるのです。 有させられて育ってきた。映画館でリービさんが観た光景、 リービどうもありがとう。何と一言ったらいいかな : ・・ : 何 「三民主義」の国歌が流れる中で、台湾からの光が大陸の、 を言っても政治的にヤバイという感じがします ( 笑 ) 。 モンゴルの一帯までひろがっている、そういう夢です。いま でも、文学を書けば、それがそのまま前衛になると思って の拠点は、あのイモのような形をした台湾でしかないのに、そ いたのが、いま、政治的にとてもきつい時代にーーーならない の範疇をはるかに越えたものを「あなたたちのものですよ」と かもしれないけれども なる可能性が出てきている。ただ、 念を押されながら育った。要するに国民は皆、まず中国の歴代 アメリカの大統領選にしても、東アジア情勢にしても、僕た 王朝、それから中国大陸の地名を覚えさせられるんです。 ちがそれについて何か言おうとすると、やつばりアメリカ人、 うちは父にしても母にしても、政治的なことはめったにロ 台湾人の意見、という扱いになるわけで、そういう対話には にしませんでした。たぶん、そのめったにロにしなかったこ したくない。日本文学を書いている台湾人と日本文学を書い とも含めて、私が自分の親の世代の台湾人たちが歩まざるを ているアメリカ人が世界を語りあう、そういう対談になるの 得なかった時代を書こうとするのなら、台湾のことだけでな はいやなんです。 く、台湾と中国の関係、それを支える冷戦構造、そうした要 むしろ、そう読まれないために、文体をつくっていかなけ 素を取り込まなければならないと思うんです。 ればいけない。政治的にうまくいっている年よりも、政治的 リービさんは『模範郷』で、自分の極めて個人的な物語を書 に非常に危機的な年だからこそ考えさせられます。 むいていると同時に、その背後にあるアメリカとソ連も含めた 温考えますね。私がもしも日本人だったら問われないよ 読 を東アジアの近現代史を織り込んでいる。そうならざるを得な うなことも、ただ日本で別の国籍をもって暮しているだけで 郷いんですよね。改めて思うのは、確実に日本語でしか書けな何かの発言が政治的になる。それは、すごく窮屈なんですね。 い文体なのに、日本のことだけを書いた内容ではないことの 日本語を一行書いただけで政治的と見なされるような緊張

7. 世界 2016年10月号

本質を見抜く眼識で新たな時代を切拓く 、デ一寺島実郎 科学革命の影としての魔女狩りー一七世紀オランダからの視界 ( その ) 一般的に魔女のイメージはトンガリ帽子で箒にまたがり、 近代は一直線に到来した訳ではない。謎めいた話だが欧州 魔女集会 ( サバト ) へと空を飛ぶ黒衣の老女で、この世の悪を凝 社会が近代への啓蒙の時代の扉を開かんと動き始めていた正 縮したかのごとき存在で、恐怖、疫病、狂乱、淫蕩の世界へと引 にその頃、一六世紀から一七世紀においてなぜか残虐極まり き込む「悪魔の情婦」であった。だが、一方で魔女は民衆の潜在 ない「魔女狩り」が最盛期を迎える。これにより火刑に処さ 意識の表出でもあり、理め込まれた願望を逆立ちさせたシン れた人の数は全欧州で三万人から一〇万人といわれ、人間社 会の歴史は複雑かっ不可解である。科学革命、資本主義、近ポルといえる。「悪魔の存在を信じない者は神の存在を信じな い者」という表現があるが、神と悪魔は表裏一体であり、魔女 代デモクラシーの潮流につながる近代的理性や知性が花開き を巡る熱狂はキリスト教の光と影との柤克がもたらした一一重 かけていた中で狂信的殺戮が繰り広げられた理由とは何か。 魔女狩りの熱狂は一五八〇 5 一六七〇年が最高潮であった構造を内包していることに気づく。何故原罪と愛の認識を基 という。フランス、スイス、イタリアが先行、最も悲惨で過盤とするキリスト教が悲惨な魔女狩りを生んだのか、欧州の 激だったのがドイツで、やがてイギリスにも波及した。魔女近代を考察する上で避けて通れないテーマである。 不思議なことに、二一世紀を生きる我々でさえい虚構にす 狩り最盛期の時代の欧州は、本連載でも再三触れてきた最後 ぎない「魔女」という世界観から自由ではない。『魔法使い の宗教戦争「三〇年戦争」とオランダのスペインに対する八 サリー』は愛くるしい子供向けアニメとしても、未だに『ハ 〇年間にわたる独立戦争の終結点で結ばれた「ウエストファ リー・ポッター』が描く魔術的物語に引き寄せられているの リア条約」 ( 一六四八年 ) の締結を挟む時代であり、こうした である。空を飛ぶ魔法使いに人知を超えた夢を描いているよ 時代環境を背景として悲惨な魔女狩りが荒れ狂ったのである。

8. 世界 2016年10月号

て本当によかった ( 笑 ) 。口にして初めて自分でも、この島 てきたのに、自分は日本人でないということにちょうど悩ん は自分にとって何なのかということを意識させられる。 でいました。日本は一つではないと思うし、自分のような日 温さんに出会う前にも、在日台湾人の友達がいました。た 本人がいてもいいはずだと感じる一方で、どんなに日本語が ぶん彼らも、台湾籍、中華民国籍だけれども、十年前の温さ 自分の感性として染み込んでいても、私は日本人として認め 界 んのように、台湾はただおばあさんの家のあるところ、とい られないのではないかと考えていた。そういうときに、日本 世 う感覚でいるように見えた。それに対して、僕は「じゃ、日 語の作家で、日本の作家であるリービ英雄が世にも美しい景 色を指さして、「ここはあなたの国でもある」と言うんです本人でいいじゃないか」と、日本人にだって色々な出身の人 かいるんだから、そういうふうに考えていた。 よ。その日本語が自分にとってどれだけ大きかったか。 でも、温さんは、たぶん新しい世代であるということと、 これはいまもそうですが、私は台湾に対しても、日本に対 その個人的な文学への姿勢、両面があって、結局おまえは何 しても、距離を感じる。どちらに対しても、自分のものなの 人であるとか、そういう結論に単純には行かない。より複雑 に、自分のものでないという感覚がある。かといって日本の な、豊かな問題を文学にしようとしている。そういう姿勢を 現在に対して「私は日本人じゃないから、この国がどうなろ うとかまわない」とはまったく思えないし、台湾に対しても もつ人には、出会ったことがなかったと思います。 そうなんですね。今年一月の台湾の総統選挙では初めて投票 、。文体と政治 にも行きました。ただ、投票はできても、そこで育たなかっ 温リービさんと毎週のようにゼミで話し込んでいた二十 たというのがあるからか、自分はここの一員であると思いき るのにはためらってしまう。でも、そうであるからこそ、台 三、四歳の頃に私は、自分が日本語でできることは何だろう、 自分の書く日本語って一体何だろうと考え始めました。そし 湾と自分との距離を日本語で一一一口語化しようと意気込むときに てそれは小説家を本気で志すようになる時期と重なっている 私は、言い知れぬ安らぎを覚えるんです ( 笑 ) 。たぶん、「こ んです。 こはあなたの国でもある」という、リービさんのその日本語 その問いを突き詰めると、やつばり曽祖父母とか祖父母の を台湾の東海岸を走る列車の中で聞いたあの瞬間、私と台湾、 世代、つまり日本統治時代の台湾も絡んでくる。「中華民国 そして私と日本語の本当の関係がはじまったように思います。 籍」という言葉も一筋縄ではいかなくて、日本にいると「中 リービ僕もあの瞬間、そういうせりふを言える相手がい

9. 世界 2016年10月号

本でも取り上げたバール・バックの伝記によれば、『大 ったく触れずに奥地の人民そのものを書く。そのことを複雑 地』の新聞書評で、中国のある評論家は、「これまで誰も農 にしているのは、当時の現地の知識人は、農村を、奥地の人 民を文学で書いたことがなかった」と述べたそうです。その 民の暮らしを、書かなかったということではないかと思うん 一つの背景は、ほとんどの農民が文字とかかわりなく生きて です。だからいま、たとえば莫言や閻連科ー、ーー農村出身であ いた、文字は、古典が読める人たちのものとされていたこと り、農村を舞台にした世界文学の書き手たちは、バール・バ ックをどう読むか。聞いてみたいと思います。 です。見えなかった世界の半分を、彼女は確かに西洋に提供 した。そのバール・バックにネガテイプな評価がっきまとう 前にも話したことがありますが、僕自身は、魯迅を大きな のは、一九三〇年代、とめどない痛手の真最中、中国が国と 例外として、長いあいだ中国文学についてはほとんど無知だ して存続できるかという困難な状況にあった時代に、「近 った。ところが、あるとき出会った莫言の小説は、本当にス 代」と取りくんでいた知識人たちをいっさい無視して、いわ ッと読むことができた。閻連科もそうです。イデオロギー的 ゆる農村の後進性を徹底的に描いたからです。 な社会主義リアリズム小説とはまったく違って、僕自身が河 中国政府はノーベル賞授賞式をポイコットしたし、当局だ 南省で体験し始めた、いまでも大陸の大多数である農民の生 けでなく当時の知識人も「男は辮髪で女は纏足」、書き手が 活から出てきた文学だということを感じた。高行健の作品は、 そういう面を強調していると反発した。とりわけパール・バ 特に北京の知識人のもだえを書いているところがなかなか読 ックの評価を永久に傷つけることになったのが、彼女が崇拝み切れないのですが。何を言いたいかと言うと、こうした農 民出身の作家たちがあらわれて、ついに、。ハール・バックの していた魯迅が、中国のことを本当に書けるのは中国人だけ だーーーそういう聞き慣れた先入観で、『大地』を否定したこ 時代の構図が変わったのではないか、ということです。 とです。彼女は・ヘストセラー作家となったけれども、一九四 一九三〇年代、九九・九 % の西洋人は日本文学も中国文学 九年以降は中国に入国禁止処分となって、僕の青年時代には も知らなかったし、当時の日本語も中国語も、西洋の支配言 むすでに西洋においても「婦人雑誌で農民についてばかり書い 語からすれば、現在よりはるかに周縁的なものと見なされて 読 をている」「昔の白人オバさんの大衆作家」そういうイメージ 、こ。バール・バックは、中国語で考え、中国語で書くこと 郷が定着していた。 もできた。でも、書き手として中国語の文体づくりに加わる、 模 でも、外国人があえてその国の知性、近代的な知性にはま そういうことが想像すらされない時代に生きていたというこ

10. 世界 2016年10月号

障害者枠で働きながら通塾して織と共同しながら運営し、社会 くれている男性が「社会が悪い 全体で子どもや若者を犯罪から んだよ、だってヘイトスピーチ 守っていることに感、いした。 なんかを野放しにしていて、み 子どものときからの平等教育 んながお互いをバカにしてるん の徹底やセイプ・ザ・チルドレ だから」と話す。彼もまた何回 ンなどの ZCO の組織が、子ど かの離職を経験し、いやという もの人権意識を高めようと努力 ほど職場での差別やいじめにあ している事実も垣間見てきた。 ってきた一人だ。 迂遠といわれようと人権・人命 今回の相模原殺傷事件の直接教育に重きをおいた社会施策で 論理をもち、その人々の人間と の動機や原因を新聞報道やテレ ある。「 education for all 」を標榜 「僕も生きている価値がないん しての存在や尊厳を否定しよう ビの情報以外には詳しくは知らするスウェーデン社会の意識が、 ですか」 とする理由を、ヒトラー伝説に ないが、私たちの塾のメンバー 障害の有無にかかわらず生きや 小笠毅 求めたような感じがする。 や父母にとっても大きな衝撃ですいインクルーシヴな社会をつ 神奈川・相模原殺傷事件で多 かって『灰色のバスが来た』 あったことは事実である。 くるのだ、という確信を生み、共 くの若者を含む障害と生きる人という本で、ナチス時代の障害 私もまたこの塾を始めてから生と学びの社会の実現を国を挙 たちが、ヒトラーの妄想に生き者狩りの凄まじさを知ったのだ こうした事件が生起しないよう げて目指しているのではないか。 る男に、理不尽にも命を奪われ、が、今向の事件と通底するとこ に、いろいろな手を考えてきた。 「人間の生命は地球よりも重 傷つけられた。私たちの塾にも ろがあり、この時代のありよう その中でスウェーデンに学ぶ教 、って昔最高裁判所の判決文 学ぶことに困難や障害のある子をも含めて心配している。 育の在り方があった。彼の国の にあったんだって。そんな時代 どもや若者がたくさんいるが、 塾の若者たちも自分のことの教育は、ノーマライゼーション をもう一度つくっていかないと、 授業の折に一様に不安げな表情ように気にしている。担当して の理念の下、すべての人が平等今度のような事件はまた起こる で事件を語っている。 いる高校生の男子が、「先生、 かもしれないよね」と高校生に であり、差別をしない、されな 容疑者の男は、いわば障害と僕も生きている価値がないんで 、という考え方を・ヘースにし話しながら、いまの日本の行く ともに生きている人々の存在自すか。殺されるかな」と問うて / ていることを知った。そのため末をやつばり心配しているんだ 体が許せないという、自己流の きた。また、義務教育を卒業し、 に子どもオンブズマンを民間組な、とちょっと誇らしく思いな 7 1